2015/09/18 - 2015/09/22
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旅人のくまさんさん
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日蓮宗のお寺、法華山・首題寺の紹介です。木造建築ではなく、基壇の上に建つ近代工法の本堂でした。寺名の『首題』とは、『南無妙法蓮華経』のお題目を意味するようでした。
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『日蓮宗・首題寺』の文字が刻まれた黒い表札の光景です。山号は、日蓮宗に因む『法華山』でした。『首題』とは『南無妙法蓮華経』のお題目を意味するようです。『南無』は『帰依する』、『妙法蓮華経』は訳経僧の鳩摩羅什が翻訳した『法華経』の意味で、七字で『法華経の教えに帰依をする』意味となります。『五字七字の題目』とも呼ばれています。
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山門から眺めた本堂の光景です。少し高い基壇の上に建てられた本堂です。山門から本堂まで、一直線の敷石の参道が伸びていました。
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イチオシ
首題寺の本堂のズームアップ光景です。ネット情報を参照しながら、日蓮宗についての簡単な説明をします。日蓮宗の総本山は、山梨県にある身延山・久遠寺です。『祖山』とも呼ばれています。
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見事に育った、『ソテツ(蘇鉄)』の光景です。日蓮宗は法華宗とも称される、鎌倉時代中期に日蓮上人(1222~1282年)によって興された宗派です。文永11年(1274年)の蒙古襲来(文永の役)、弘安4年(1281年)の蒙古軍再襲来(弘安の役)が起こるなど、国際情勢が厳しい時代でした。
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同じく、本堂に向かって左手にあった『ソテツ(蘇鉄)』の光景です。日蓮は、文応元年(1260年)、『立正安国論』を著わし、前執権で幕府最高実力者の北条時頼に提出しました。『立正安国論』の中では、相次ぐ災害の原因は人々が正法である法華経を信じずに浄土宗などの邪法を信じていることにあるとして諸宗を非難しました。このまま邪法を放置すれば内乱が起こり、外国からは侵略を受けて滅びると主張しました。
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大きな石碑が並んだ、境内の片隅の光景です。『立正安国論』の中で、謗法の者(浄土宗の信者)を殺すことも辞さないとした内容は、たちまち内外に伝わり、その内容に激昂した浄土宗の宗徒による日蓮襲撃事件を招いた上に、禅宗を信じていた時頼からも『政治批判』と見なされて、翌年、日蓮は伊豆国に流罪となりました。
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『豊竹巴勝之碑』の文字が刻まれた大きな石碑の光景です。その名前で検索してみましたが、三光となる情報はヒットしませんでした。『豊竹」や『竹本』の名字は、文楽(人形浄瑠璃)の太夫で見かけます。
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芝生の中の庭木の光景です。板状根の様な根元でした。ところで、勝手に本を脅かした『モンゴル帝国』は、モンゴル高原の遊牧民を統合したチンギス・カンが1206年に創設した遊牧国家です。最盛期の領土面積は約3300万平方キロで、地球上の陸地の約25%を統治し、当時の人口は1億人を超えていました。三大洋全てに面していました。
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標準タイプとは少し異なりますが、春日灯篭型の石灯篭の光景です。モンゴル帝国は、モンゴル高原に君臨するモンゴル皇帝を中心に、各地に分封されたチンギス・カンの子孫の王族たちが支配する国が集まって形成された連合国家の構造をなしていました。その帝国は、14世紀から緩やかに解体に向かいました。
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一対で置かれた石灯篭のもう一方の光景です。モンゴル帝国の侵略を完全に退けた国は、日本とエジプトを中心としたイスラム国家のマムルーク朝の二つとされます。
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本堂付近から振り返って眺めた入口門の光景です。日蓮上人が『立正安国論』を著わすきっかけとなったのが、正嘉元年(1257年)8月23日に鎌倉を襲った『正嘉の大地震』とされます。マグニチュード7~7.5の大きさの地震と推定され、関東南部に大きな被害をもたらしました。しかし、その後の1293年5月20日(正応6年4月13日)の『鎌倉大地震(永仁鎌倉地震)』は、マグニチュード8クラスの相模トラフ巨大地震と推定されています。
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本堂正面のズームアップ光景です。1293年5月の『鎌倉大地震(永仁鎌倉地震)』の被害は、建長寺などで火災発生、死者2万3千人あまり、余震多発と記録されています。それ以降の相模トラフの大地震は、元禄16年(1703年)にマグニチュード8.1~8.5の元禄関東地震、大正12年(1923年)にマグニチュード7.9~8.3の大正関東地震(関東大震災)が記録されています。
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本堂の軒下の木組みと彫刻のズームアップ光景です。正面は獅子像、その左奥に見える像は、象をイメージしたような、牙を持ち、鼻の長い動物像です。
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寺紋らしい紋章の光景です。『井桁の内橘』と呼ばれる紋章のようです。橘は蜜柑の原種で、その香は古代人にも尊ばれました。垂仁天皇の頃、田道間守が、不老不死に憧れた天皇の命令で 常世の国に往き持ち帰った『トキジクノミ』が橘とされます。凛とした姿から、『太刀花』とも記されます。
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主柱の下部のズームアップ光景です。台石に載せられた部分に、金属製の飾りがありました。寺院建築では、この柱のことを『向拝柱(こうはいばしら)』、金属飾を『沓巻(くつまき)』と呼ぶようです。
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青銅製の擬宝珠が取り付けられた手摺りの光景です。『擬宝珠(ぎぼし)』は、伝統的な建築物の装飾で橋や神社、寺院の階段、廻縁の高欄(手摺り、欄干)の柱の上に設けられる飾りです。ネギの花に似ていることから、『葱台(そうだい)』とも呼ばれます。雨水などによる木材の腐食を抑える役目もあります。
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境内の中から眺めた。周りの建物光景です。庫裏のようでした。近代建築の建物ですが、屋根は本瓦で葺いてありました。
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『首題寺』の本堂の大屋根のズームアップ光景です。『大棟(おおむね)』と呼ばれる部分に3箇所の飾りがありました。右から読んで、『法華山』の三文字でした。山号が記される場所としては、一番オーソドックスなようです。
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イチオシ
逆立ちをした獅子像の屋根飾りです。悟りを開いた仏は人間の獅子となり、『獅子吼(ししく)』は、仏の説法がライオンが吼えて百獣がひれ伏すように、威力に充ちていることから、獅子は仏教と強く繋がっているようです。
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『法華山・首題寺』の見学を終えて、外から眺めた本堂の光景です。本堂の階下が駐車場らしい、都心部の建物として合理的な造りになっていました。
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『首題寺』の破風のズームアップ光景です。屋根飾りは、『経の巻』、軒丸瓦には、八角形の幾何学文様が記されていました。
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真横から眺めた本堂の光景です。神社の流れ造りのように、中央部分の屋根が、反りを持って長く伸びていました。
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少し行き過ぎた場所から、振り返って眺めた本堂と前庭の光景です。庭木の背景に、高層ビルの姿が重なりました。
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『首』の文字が陽刻にされた軒丸瓦の光景です。その両脇の軒平瓦の端面は無地でした。軒丸瓦だけが特注品のようでした。
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首題寺の近くで撮影した、ランタナの花です。和名は『シチヘンゲ(七変化)』、中南米原産のクマツヅラ科の常緑小低木デス。この時期、あちらこちらで見掛けます。
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旅行記グループ 2015年、尾張の寺社巡り(その2)
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