名古屋旅行記(ブログ) 一覧に戻る
名古屋市熱田区の旗屋2丁目にある臨済宗妙心寺派のお寺、『臨済山・龍珠寺』の紹介です。永正年中(1504年)の創建で、御本尊は、木像釈迦如来立像と釈迦牟尼仏立像です。

2015秋、その他十三箇寺(12/13):臨済山・龍珠寺:龍珠禅寺石標、山門、境内、鐘楼

6いいね!

2015/09/26 - 2015/10/09

4156位(同エリア5909件中)

旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

名古屋市熱田区の旗屋2丁目にある臨済宗妙心寺派のお寺、『臨済山・龍珠寺』の紹介です。永正年中(1504年)の創建で、御本尊は、木像釈迦如来立像と釈迦牟尼仏立像です。

交通手段
私鉄 徒歩
  • 京都妙心寺の直末とされる、臨済宗妙心寺派のお寺、『臨済山・龍珠寺(りょうしゅうじ)』の光景です。周りに石垣が廻らされ、白塀で囲われていました。直末寺としての格式のようでした。

    京都妙心寺の直末とされる、臨済宗妙心寺派のお寺、『臨済山・龍珠寺(りょうしゅうじ)』の光景です。周りに石垣が廻らされ、白塀で囲われていました。直末寺としての格式のようでした。

  • 草書体の『龍珠禅寺』の文字が刻まれた石標の光景です。ネット上に紹介されていたお寺の縁起の紹介です。『龍珠寺は永正年中、南溟紹化禅師によって開かれました。当初熱田湊の玄関口、神戸町に在って龍珠庵と称した後、天文元年(1532年)、官許を得て臨済山・龍珠寺と号する様になりました』と紹介されていました。続いて、『その後時代は変って、寛文五年(1665年)、尾張藩の西浜御殿造営の為現在の地、旗屋へ移転してまいりました』と紹介されていました。

    草書体の『龍珠禅寺』の文字が刻まれた石標の光景です。ネット上に紹介されていたお寺の縁起の紹介です。『龍珠寺は永正年中、南溟紹化禅師によって開かれました。当初熱田湊の玄関口、神戸町に在って龍珠庵と称した後、天文元年(1532年)、官許を得て臨済山・龍珠寺と号する様になりました』と紹介されていました。続いて、『その後時代は変って、寛文五年(1665年)、尾張藩の西浜御殿造営の為現在の地、旗屋へ移転してまいりました』と紹介されていました。

  • 境内全体が石垣を積んで高くなった基壇の上にありました。その石段の下から眺めた『臨済山・龍珠寺』の山門光景です。その右奥に見えているのは鐘楼のようです。

    イチオシ

    境内全体が石垣を積んで高くなった基壇の上にありました。その石段の下から眺めた『臨済山・龍珠寺』の山門光景です。その右奥に見えているのは鐘楼のようです。

  • 山門の下から眺めた、『臨済山・龍珠寺』の境内光景です。作庭されて間がないようでしたが、立派な庭石や庭木が配されているようでした。正面少し左手に見える唐風の造りが、本堂の玄関のようでした。

    山門の下から眺めた、『臨済山・龍珠寺』の境内光景です。作庭されて間がないようでしたが、立派な庭石や庭木が配されているようでした。正面少し左手に見える唐風の造りが、本堂の玄関のようでした。

  • 同じく、山門の下から眺めた、『臨済山・龍珠寺』の境内光景です。右手に見える白い壁の建物は、鐘楼のようでした。

    同じく、山門の下から眺めた、『臨済山・龍珠寺』の境内光景です。右手に見える白い壁の建物は、鐘楼のようでした。

  • 山門の下から眺めた、『臨済山・龍珠寺』の境内光景が続きます。山門の下からの石畳の参道が、途中から左手に折れ曲がっていました。

    山門の下から眺めた、『臨済山・龍珠寺』の境内光景が続きます。山門の下からの石畳の参道が、途中から左手に折れ曲がっていました。

  • 『諸悪莫作衆善奉行』の文字が刻まれた石標の光景です。『 諸悪莫作(しょあくまくさ)』は、『もろもろの悪を作すことなく)』、『衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう)』は、『もろもろの善いことを実行しなさい』の意味とされます。その後に、『自浄其意・是諸仏教』と続き、『七仏通誡(しちぶつつうかい)の偈』といわれるものです。後半は、『自ずからその意(こころ)を浄めていくこと。これが諸佛の教えである』との意味とされます。七仏とは、過去七仏と言われる毘婆尸仏(びばしぶつ)・尸棄仏(しきぶつ)・毘舎浮仏(びしゃふぶつ)・拘留孫仏(くるそんぶつ)・拘那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)・迦葉仏(かしょうぶつ)・釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)のことです。お釈迦さまは、自分は古仏の跡を歩んだと説かれました。

    『諸悪莫作衆善奉行』の文字が刻まれた石標の光景です。『 諸悪莫作(しょあくまくさ)』は、『もろもろの悪を作すことなく)』、『衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう)』は、『もろもろの善いことを実行しなさい』の意味とされます。その後に、『自浄其意・是諸仏教』と続き、『七仏通誡(しちぶつつうかい)の偈』といわれるものです。後半は、『自ずからその意(こころ)を浄めていくこと。これが諸佛の教えである』との意味とされます。七仏とは、過去七仏と言われる毘婆尸仏(びばしぶつ)・尸棄仏(しきぶつ)・毘舎浮仏(びしゃふぶつ)・拘留孫仏(くるそんぶつ)・拘那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)・迦葉仏(かしょうぶつ)・釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)のことです。お釈迦さまは、自分は古仏の跡を歩んだと説かれました。

  • 草書体で揮毫された『臨済山』の扁額の光景です。洒脱な文字の落款がありましたが、読み解けませんでした。その末尾は90歳の文字のようでした。

    草書体で揮毫された『臨済山』の扁額の光景です。洒脱な文字の落款がありましたが、読み解けませんでした。その末尾は90歳の文字のようでした。

  • 塀の外から眺めた、鐘楼のような建物光景です。丸い窓から、その撞き棒のようなものが見えていました。珍しい鐘楼の造りのように見えました。

    塀の外から眺めた、鐘楼のような建物光景です。丸い窓から、その撞き棒のようなものが見えていました。珍しい鐘楼の造りのように見えました。

  • 小石を敷き詰めた中庭風の場所を取り囲んだ、六地蔵尊の光景のようです。地蔵菩薩の6分身を指します。仏教では生前の行為の善悪により、人は死後に地獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天という六道の境涯を輪廻・転生すると説きます。そのそれぞれに衆生救済のために配される檀陀、宝印、宝珠、持地、除蓋障、日光の六地蔵尊を呼ぶ名です。

    イチオシ

    小石を敷き詰めた中庭風の場所を取り囲んだ、六地蔵尊の光景のようです。地蔵菩薩の6分身を指します。仏教では生前の行為の善悪により、人は死後に地獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天という六道の境涯を輪廻・転生すると説きます。そのそれぞれに衆生救済のために配される檀陀、宝印、宝珠、持地、除蓋障、日光の六地蔵尊を呼ぶ名です。

  • これで、『臨済山・龍珠寺』の紹介はおしまいです。臨済宗妙心寺派の大本山は、『正法山・妙心寺』、室町時代の1337年、95代の花園法皇の勅願により、創建されたお寺です。

    これで、『臨済山・龍珠寺』の紹介はおしまいです。臨済宗妙心寺派の大本山は、『正法山・妙心寺』、室町時代の1337年、95代の花園法皇の勅願により、創建されたお寺です。

この旅行記のタグ

関連タグ

6いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP