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浄土真宗の宗祖、親鸞聖人の750回遠忌に向けての修復作業中の東別院の紹介です。親鸞の生涯については不明確な事柄が多く、諸説あるようです。五木寛之さん等の小説にもなりました。

2015秋、東別院と古渡城址(2/3):東別院、修復工事中の本堂、手水舎、太鼓楼、中門

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2015/09/18 - 2015/09/18

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

浄土真宗の宗祖、親鸞聖人の750回遠忌に向けての修復作業中の東別院の紹介です。親鸞の生涯については不明確な事柄が多く、諸説あるようです。五木寛之さん等の小説にもなりました。

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  • 東別院の境内で咲いていた、可愛らしい赤と白のツートンカラーの花です。ハーブの1種で、サルビアのミクロフィラ(ホットリップス)です。

    東別院の境内で咲いていた、可愛らしい赤と白のツートンカラーの花です。ハーブの1種で、サルビアのミクロフィラ(ホットリップス)です。

  • 同じく、ハーブの1種、サルビアのミクロフィラ(ホットリップス)のツートンカラーの花の光景です。メキシコ原産のシソ科サルビア属の植物です。

    同じく、ハーブの1種、サルビアのミクロフィラ(ホットリップス)のツートンカラーの花の光景です。メキシコ原産のシソ科サルビア属の植物です。

  • 境内の葉桜の光景です。その背後に見える建物は、左が鐘楼、右奥が納骨堂です。

    境内の葉桜の光景です。その背後に見える建物は、左が鐘楼、右奥が納骨堂です。

  • 東別院の境内から眺めた、名古屋テレビの建物光景です。隣接する敷地ですが、元は古渡城址の敷地の一部のようです。

    東別院の境内から眺めた、名古屋テレビの建物光景です。隣接する敷地ですが、元は古渡城址の敷地の一部のようです。

  • 本堂前に一対で設置された巨大なブロンズ製の灯篭です。こちらは本堂に向かって左手の灯篭です。

    本堂前に一対で設置された巨大なブロンズ製の灯篭です。こちらは本堂に向かって左手の灯篭です。

  • 『手水舎(てみずや/ちょうずや)』の光景です。『水盤舎(すいばんしゃ)』とも呼ばれます。その水盤の側面には、夏目漱石を連想させる、『漱水』の文字がありました。

    『手水舎(てみずや/ちょうずや)』の光景です。『水盤舎(すいばんしゃ)』とも呼ばれます。その水盤の側面には、夏目漱石を連想させる、『漱水』の文字がありました。

  • 周りを工事用のシートに囲われ、建物近くには鉄パイプの足場が組まれた、修復工事中の『本堂』の光景です。昭和20年(1945年)3月の名古屋空襲により焼失し、現在の建物は昭和37年(1962年)に再建されたものです。

    周りを工事用のシートに囲われ、建物近くには鉄パイプの足場が組まれた、修復工事中の『本堂』の光景です。昭和20年(1945年)3月の名古屋空襲により焼失し、現在の建物は昭和37年(1962年)に再建されたものです。

  • 同じ場所からの光景です。本堂の東側では、『対面所』も修復作業が行われていました。こちらは銅葺き屋根です。

    同じ場所からの光景です。本堂の東側では、『対面所』も修復作業が行われていました。こちらは銅葺き屋根です。

  • 境内の内側から眺めた、『お茶所と太鼓楼』の建物光景です。屋根飾りのような建物部分に太鼓が置かれているようでした。今は使われていません。

    境内の内側から眺めた、『お茶所と太鼓楼』の建物光景です。屋根飾りのような建物部分に太鼓が置かれているようでした。今は使われていません。

  • 境内の常緑樹の光景です。真夏には程よい木陰を造り出しそうです。樹種は、まだ調べていません。

    境内の常緑樹の光景です。真夏には程よい木陰を造り出しそうです。樹種は、まだ調べていません。

  • 修復工事中の『対面所』の建物光景です。東別院の公式HPには、『毎月5日(1月は10日)〜28日まで、名古屋教区内外の布教使による定例法話が務められる』建物と紹介されていました。

    修復工事中の『対面所』の建物光景です。東別院の公式HPには、『毎月5日(1月は10日)〜28日まで、名古屋教区内外の布教使による定例法話が務められる』建物と紹介されていました。

  • 同じ場所からの光景ですが、こちらはカメラを左(西)に振った、修復工事中の本堂の光景です。来年(2016年)の親鸞聖人750年遠忌に向けてのお色直しの工事のようでした。

    同じ場所からの光景ですが、こちらはカメラを左(西)に振った、修復工事中の本堂の光景です。来年(2016年)の親鸞聖人750年遠忌に向けてのお色直しの工事のようでした。

  • 内側から眺めた、『中門』の光景です。簡単な修復作業が行われているようでしたが、通路の敷物は、本殿などの工事用の資材運搬のためのようでした。

    内側から眺めた、『中門』の光景です。簡単な修復作業が行われているようでしたが、通路の敷物は、本殿などの工事用の資材運搬のためのようでした。

  • 『中門』の屋根飾りのズームアップ光景です。銅葺きの唐風の造りです。三本の角を持った鬼瓦は、経典に因んだらしい『経の巻』と呼ばれているようです。この鬼瓦は焼物ではなく銅製でした。

    『中門』の屋根飾りのズームアップ光景です。銅葺きの唐風の造りです。三本の角を持った鬼瓦は、経典に因んだらしい『経の巻』と呼ばれているようです。この鬼瓦は焼物ではなく銅製でした。

  • 参道脇で咲いていたピンク色のフヨウ(芙蓉)の光景です。アオイ科フヨウ属の落葉低木です。

    参道脇で咲いていたピンク色のフヨウ(芙蓉)の光景です。アオイ科フヨウ属の落葉低木です。

  • こちらは白い花を咲かせたフヨウ(芙蓉)の光景です。『芙蓉』は、仏教に縁が深いハス(蓮)の美称でもありますから、とくに区別する際には『木芙蓉(もくふよう)』とも呼ばれます。

    こちらは白い花を咲かせたフヨウ(芙蓉)の光景です。『芙蓉』は、仏教に縁が深いハス(蓮)の美称でもありますから、とくに区別する際には『木芙蓉(もくふよう)』とも呼ばれます。

  • 山門より東側に位置する『中門』の光景です。中門も小規模の改修工事中でした。山門の正面に位置するのが本堂、『中門』には『対面所』が正対しています。

    山門より東側に位置する『中門』の光景です。中門も小規模の改修工事中でした。山門の正面に位置するのが本堂、『中門』には『対面所』が正対しています。

  • 境内の外から眺めた、『お茶所と太鼓楼』の建物光景です。参詣者の休憩所と時刻案内の太鼓楼ですが、現在は時を知らせる太鼓は使用されていません。

    境内の外から眺めた、『お茶所と太鼓楼』の建物光景です。参詣者の休憩所と時刻案内の太鼓楼ですが、現在は時を知らせる太鼓は使用されていません。

  • 木の影が映って見難くなりましたが、釈迦の入滅後の仏教伝来の様子です。インドと中国の代表的な僧侶の図です。この後の説明パネルは、年代が新しい方へと遡ります。

    木の影が映って見難くなりましたが、釈迦の入滅後の仏教伝来の様子です。インドと中国の代表的な僧侶の図です。この後の説明パネルは、年代が新しい方へと遡ります。

  • 『仏教伝来』の説明パネルです。釈尊入滅後の教えは、経・律・論の三蔵としてまとめられ、アジアを中心に広まっていったことなどが解説されていました。

    『仏教伝来』の説明パネルです。釈尊入滅後の教えは、経・律・論の三蔵としてまとめられ、アジアを中心に広まっていったことなどが解説されていました。

  • 釈迦が亡くなった時を描いた涅槃図です。釈迦が入滅する様子は、涅槃図や涅槃像として広く伝わっています。釈迦は80歳で入滅したと伝わります。諸説ありますが、紀元前500年前後です。

    釈迦が亡くなった時を描いた涅槃図です。釈迦が入滅する様子は、涅槃図や涅槃像として広く伝わっています。釈迦は80歳で入滅したと伝わります。諸説ありますが、紀元前500年前後です。

  • 『釈尊の生涯・涅槃』の説明パネルです。80歳になった釈迦は、ガンジス川を渡り故郷に帰る途中で病気になりました。最後の言葉は、『すべてのものは移ろい変わっていく、怠ることなく努めはげみなさい』であったと伝わります。

    『釈尊の生涯・涅槃』の説明パネルです。80歳になった釈迦は、ガンジス川を渡り故郷に帰る途中で病気になりました。最後の言葉は、『すべてのものは移ろい変わっていく、怠ることなく努めはげみなさい』であったと伝わります。

  • 菩提樹の下で悟りを開いた釈迦像の続きです。釈迦が悟ってブッダになったガヤー地区は、ブッダガヤと呼ばれ、巡礼の対象となりました。

    菩提樹の下で悟りを開いた釈迦像の続きです。釈迦が悟ってブッダになったガヤー地区は、ブッダガヤと呼ばれ、巡礼の対象となりました。

  • 『釈尊の生涯・初転法論』の説明パネルです。菩提樹の下で悟りを開いた釈迦が、その教えを広める経緯などについて解説されていました。最初に帰依したのは五人とされ、仏教の教団(サンガ)が成立し、その後四十数年に亘り、釈尊は教えを説かれたことが解説されていました。

    『釈尊の生涯・初転法論』の説明パネルです。菩提樹の下で悟りを開いた釈迦が、その教えを広める経緯などについて解説されていました。最初に帰依したのは五人とされ、仏教の教団(サンガ)が成立し、その後四十数年に亘り、釈尊は教えを説かれたことが解説されていました。

  • 菩提樹の下で悟りを開いた釈迦の像です。周りは、釈迦の悟りを妨害しようとする悪魔(マーラ)です。

    菩提樹の下で悟りを開いた釈迦の像です。周りは、釈迦の悟りを妨害しようとする悪魔(マーラ)です。

  • 『釈尊の生涯・降魔成道』のタイトルの解説パネルです。釈迦族の王子として暮らしていた、ゴータマ・シダーツタが29歳の時に出家し、35歳で悟りを開くまでのことが概説してありました。

    『釈尊の生涯・降魔成道』のタイトルの解説パネルです。釈迦族の王子として暮らしていた、ゴータマ・シダーツタが29歳の時に出家し、35歳で悟りを開くまでのことが概説してありました。

  • 釈迦族の王子として誕生した場面です。天上天下唯我独尊を示す釈迦のポーズです。釈迦が誕生したのは、現在のネパール南部のタライ平原にあるルンビニとされます。仏教聖地の一つとして世界文化遺産に登録されています。

    釈迦族の王子として誕生した場面です。天上天下唯我独尊を示す釈迦のポーズです。釈迦が誕生したのは、現在のネパール南部のタライ平原にあるルンビニとされます。仏教聖地の一つとして世界文化遺産に登録されています。

  • 『釈尊の生涯・釈迦の誕生』の解説プレートです。『釈尊』とは、釈迦族の聖者であり、『仏陀(ブッダ)』とは、心理に目覚めた人を意味することなどが解説されていました。

    『釈尊の生涯・釈迦の誕生』の解説プレートです。『釈尊』とは、釈迦族の聖者であり、『仏陀(ブッダ)』とは、心理に目覚めた人を意味することなどが解説されていました。

  • ピンク色の花を咲かせた、マツバギク(松葉菊)』の光景です。ハマミズナ科(ツルナ科)マツバギク属の多年草です。

    ピンク色の花を咲かせた、マツバギク(松葉菊)』の光景です。ハマミズナ科(ツルナ科)マツバギク属の多年草です。

  • 東本願寺の境内の片隅で咲いていたヒガンバナの光景です。ハーブのミントの中から顔を出していました。

    東本願寺の境内の片隅で咲いていたヒガンバナの光景です。ハーブのミントの中から顔を出していました。

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