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骨董市が開かれていた大須観音境内の紹介です。『大須観音骨董市』と呼ばれ、毎月18日と28日に開かれています。清洲越しのお寺の中でも最重要とされたお寺ですのようです。(ウィキペディア)

2015秋、骨董市の大須観音境内:大悲殿(本殿)、普門殿、境内の骨董市、仁王門、阿吽像

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2015/09/18 - 2015/09/18

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旅人のくまさん

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骨董市が開かれていた大須観音境内の紹介です。『大須観音骨董市』と呼ばれ、毎月18日と28日に開かれています。清洲越しのお寺の中でも最重要とされたお寺ですのようです。(ウィキペディア)

  • 大須観音がこの地に移されたのは慶長17年(1612年)のことです。もとは、尾張国長岡庄大須郷(今の岐阜県羽島市大須)にありました。開山は後醍醐天皇(1288〜1339年)が帰依した、能信上人です。

    大須観音がこの地に移されたのは慶長17年(1612年)のことです。もとは、尾張国長岡庄大須郷(今の岐阜県羽島市大須)にありました。開山は後醍醐天皇(1288〜1339年)が帰依した、能信上人です。

  • 後醍醐天皇は、元弘3年(1333年)に能信上人をその別当職に補し、『北野山真福寺寶生院(きたのさんしんぷくじほうしょういん)』の寺号を与えたとされます。現在の大須観音の正式寺号に引き継がれています。

    後醍醐天皇は、元弘3年(1333年)に能信上人をその別当職に補し、『北野山真福寺寶生院(きたのさんしんぷくじほうしょういん)』の寺号を与えたとされます。現在の大須観音の正式寺号に引き継がれています。

  • 後村上天皇(1328〜1368年)も能信上人に帰依し、『北野山真福寺寶生院』を勅願寺にしました。能信上人は、学徳ともに高い僧で、現在、大須観音が所蔵する国宝や重要文化財の多数の書物は、それらの多くは、能信上人が集めたものとされます。

    後村上天皇(1328〜1368年)も能信上人に帰依し、『北野山真福寺寶生院』を勅願寺にしました。能信上人は、学徳ともに高い僧で、現在、大須観音が所蔵する国宝や重要文化財の多数の書物は、それらの多くは、能信上人が集めたものとされます。

  • 名古屋市教育委員会名での『大須(真福寺)文庫』が解説された立看板です。古事記を始めとする4点の国宝、40点以上の重要文化財、層数1万5千点以上の資料のことが紹介されていました。徳川家康が名古屋経営に当たり、貴重な文書類を水難から守るため、この地に移したとも解説されていました。

    名古屋市教育委員会名での『大須(真福寺)文庫』が解説された立看板です。古事記を始めとする4点の国宝、40点以上の重要文化財、層数1万5千点以上の資料のことが紹介されていました。徳川家康が名古屋経営に当たり、貴重な文書類を水難から守るため、この地に移したとも解説されていました。

  • 『真言宗智山院・別格本山・北野山真福寺宝生院』の表札です。ご本尊は、観世音菩薩です。寺伝によれば、第二代住職は信瑜上人、第三代住職を任瑜法親王が継がれ、寺領も一万余石に及び、伊勢・美濃・尾張・三河・遠江・信濃六カ国の真言宗寺院を末寺としました。

    『真言宗智山院・別格本山・北野山真福寺宝生院』の表札です。ご本尊は、観世音菩薩です。寺伝によれば、第二代住職は信瑜上人、第三代住職を任瑜法親王が継がれ、寺領も一万余石に及び、伊勢・美濃・尾張・三河・遠江・信濃六カ国の真言宗寺院を末寺としました。

  • 境内の片隅で咲いていた、フイリヤブラン(斑入薮蘭)の紫色の花です。ユリ科の常緑多年草です。

    境内の片隅で咲いていた、フイリヤブラン(斑入薮蘭)の紫色の花です。ユリ科の常緑多年草です。

  • 骨董市で賑わう大洲間の境内です。現在は、日本三大観音の一つに数えられます。ほかの二つは、浅草観音(東京都台東区:金龍山浅草寺)と、津観音(三重県津市:恵日山観音寺)です。

    骨董市で賑わう大洲間の境内です。現在は、日本三大観音の一つに数えられます。ほかの二つは、浅草観音(東京都台東区:金龍山浅草寺)と、津観音(三重県津市:恵日山観音寺)です。

  • 平成25年(2013年)に、名古屋大須ロータリークラブが寄贈した、『大須しだれ桜』です。その背後に本殿が見えます。

    平成25年(2013年)に、名古屋大須ロータリークラブが寄贈した、『大須しだれ桜』です。その背後に本殿が見えます。

  • 『真言宗智山院・別格本山・北野山真福寺宝生院』の表札が掛かっていた門を潜った場所の光景です。この一角には、庫裏、客殿、旧文庫、奥書院があります。

    『真言宗智山院・別格本山・北野山真福寺宝生院』の表札が掛かっていた門を潜った場所の光景です。この一角には、庫裏、客殿、旧文庫、奥書院があります。

  • お暗示場所から眺めた、現在の大須観音の堂宇の光景です。第二次世界大戦時の名古屋大空襲により、明治の大火に次ぐ二度目の焼失後、昭和45年(1970年)に再建された本堂です。

    お暗示場所から眺めた、現在の大須観音の堂宇の光景です。第二次世界大戦時の名古屋大空襲により、明治の大火に次ぐ二度目の焼失後、昭和45年(1970年)に再建された本堂です。

  • 青いシーツの上に並べられた骨董品の数々です。『大須』の地名は、大須観音の門前町が発祥の地とされます。

    青いシーツの上に並べられた骨董品の数々です。『大須』の地名は、大須観音の門前町が発祥の地とされます。

  • 下から見上げた大須観音の本堂光景です。『大悲殿』の扁額が懸り、その脇に『仏旗』と呼ばれる五色旗が掲げられていました。

    下から見上げた大須観音の本堂光景です。『大悲殿』の扁額が懸り、その脇に『仏旗』と呼ばれる五色旗が掲げられていました。

  • 石段の下から眺めた、本殿に当たる『大悲殿』の光景です。幟に記された文字は、『南無聖観世音菩薩』でした。南無(ナム)は、サンスクリット語のナマス(namas)およびナモー(namo)の音写とされます。『帰依』の意味で使われます。

    石段の下から眺めた、本殿に当たる『大悲殿』の光景です。幟に記された文字は、『南無聖観世音菩薩』でした。南無(ナム)は、サンスクリット語のナマス(namas)およびナモー(namo)の音写とされます。『帰依』の意味で使われます。

  • 境内の骨董市の光景です。常設展ではありませんから、建物は、すべて臨時施設です。

    境内の骨董市の光景です。常設展ではありませんから、建物は、すべて臨時施設です。

  • 木陰に陣取った、骨董市のお店の光景です。骨董市のことは、なごや大須商店街の公式HPの中で、『大須観音骨董市』の名前で紹介されています。

    木陰に陣取った、骨董市のお店の光景です。骨董市のことは、なごや大須商店街の公式HPの中で、『大須観音骨董市』の名前で紹介されています。

  • 普段は鳩さんの集団で賑わう大須観音の境内ですが、18日と28日の骨董市の日だけは、肩身が狭いようです。上空を過る鳩さんの姿がありました。

    普段は鳩さんの集団で賑わう大須観音の境内ですが、18日と28日の骨董市の日だけは、肩身が狭いようです。上空を過る鳩さんの姿がありました。

  • 骨董市を境内の隅で見守る弘法大師の修行像です。弘法大師の呼名は、讃岐の国、いまの香川県の善通寺市に生まれた、空海(774〜835年)に対し、921年に醍醐天皇が贈った諡号です。

    骨董市を境内の隅で見守る弘法大師の修行像です。弘法大師の呼名は、讃岐の国、いまの香川県の善通寺市に生まれた、空海(774〜835年)に対し、921年に醍醐天皇が贈った諡号です。

  • 骨董品を近くから撮影するのは商売の邪魔をするようで、憚れましたから、少し離れた場所からの撮影が続きます。

    骨董品を近くから撮影するのは商売の邪魔をするようで、憚れましたから、少し離れた場所からの撮影が続きます。

  • 大須観音の境内で開かれていた、骨董市の光景が続きます。天候にも恵まれた、この日の市でした。

    大須観音の境内で開かれていた、骨董市の光景が続きます。天候にも恵まれた、この日の市でした。

  • 大須観音の境内で開かれていた骨董市と、その背後の建物光景です。右が本殿の『大悲殿』、左が『普門殿』です。

    大須観音の境内で開かれていた骨董市と、その背後の建物光景です。右が本殿の『大悲殿』、左が『普門殿』です。

  • 大須観音の境内から眺めた東方面の光景です。正面に見える建物は鐘楼です。

    大須観音の境内から眺めた東方面の光景です。正面に見える建物は鐘楼です。

  • 北側の出入口から眺めた、骨董市が開かれていた境内方面の光景です。左が本殿の『大悲殿』、右が『普門殿』の間にある通路です。

    北側の出入口から眺めた、骨董市が開かれていた境内方面の光景です。左が本殿の『大悲殿』、右が『普門殿』の間にある通路です。

  • 同じく、北側の出入口から眺めた、骨董市が開かれていた境内方面の光景です。

    同じく、北側の出入口から眺めた、骨董市が開かれていた境内方面の光景です。

  • 『普門殿』の文字が記された扁額の光景です。案内図には、十二支まいりと念持仏祈願が案内されていました。

    『普門殿』の文字が記された扁額の光景です。案内図には、十二支まいりと念持仏祈願が案内されていました。

  • 『普門殿』の中に祀られていた、文殊菩薩像です。その脇に沢山の小さな脇侍が置かれていました。

    『普門殿』の中に祀られていた、文殊菩薩像です。その脇に沢山の小さな脇侍が置かれていました。

  • 仁王門に向かって、左側の云形の像のアップ光景です。正面からの眺めです。

    仁王門に向かって、左側の云形の像のアップ光景です。正面からの眺めです。

  • 仁王門に向かって右側の像です。こちらが阿形です。

    仁王門に向かって右側の像です。こちらが阿形です。

  • 正面から眺めた、唐風の造りの玄関を持つ本殿、『大悲殿』の建物光景です。

    正面から眺めた、唐風の造りの玄関を持つ本殿、『大悲殿』の建物光景です。

  • 骨董市の見学をしたのは13時前後です。お昼の時間でしたから、この後が更に賑いそうでした。

    骨董市の見学をしたのは13時前後です。お昼の時間でしたから、この後が更に賑いそうでした。

  • 『女人梵鐘』とも呼ばれる、『華精の鐘』が吊るされた鐘楼堂の光景です。屋根の上には、下りる場所が見つからない鳩さん達がいました。

    『女人梵鐘』とも呼ばれる、『華精の鐘』が吊るされた鐘楼堂の光景です。屋根の上には、下りる場所が見つからない鳩さん達がいました。

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