2015/08/11 - 2015/08/11
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山崎城は永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いの後、織田家の重臣だった佐久間信盛が城主となりましたが、信盛は天正8年(1580年)に信長から高野山に追放され、山崎城は廃城になりました。
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地下鉄最寄り駅の新瑞橋駅付近の市街光景です。この地図の北側は上ですから、南方向に新瑞橋を渡ってイオンモールの手前を西に向かった丘の上に、山崎城址に建つ安泰寺があります。約10分の距離です。
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新瑞橋交差点付近の光景です。今日はイオンモールの中のお店で飲み会を計画していましたから、早めに出掛けて山崎城址の見学を計画しました。
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山崎川に架かる新瑞橋の手前の光景です。橋に向かって緩い上り坂になりました。山崎城の名前は、山崎川と関係がありそうですが、詳しいことは調べていません。
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山崎川と新瑞橋の光景です。平安時代頃には、この辺りが河口だったと推定されています。奈良時代の717年の尾張古図には、星崎の隣に山崎の地名があり、川の名の由来になったようです。
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イオンモールの北側までやって来ました。ここで右折して西に向かいました。
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イオンモール脇の道路の光景です。車も人通りも少ない脇道です。
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西側から眺めたイオンモールの建物光景です。正式名は、イオンモール新瑞橋です。平成22年(2010年)3月に開業しました。工場跡地でしたから、土壌汚染を巡っての紆余曲折があったようです。
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山崎城址らしい丘が見えてきました。東側から眺めた光景ですが、西面の崖下を名鉄電車が走っています。
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この辺りは既に安泰寺の敷地内になっていました。警察署名の駐車禁止の看板ではなく、安泰寺名でした。
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安泰寺への登り坂の途中から眺めたイオンモール新瑞橋の光景です。東方面の光景になります。
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宝珠山・安泰寺の本堂が見えてきました。安泰寺の境内は、別名『羽城』とも呼ばれた『山崎城』の跡地になります。東西が約45メートル、南北が約56メートル、三方が崖で囲まれた要害の地でした。
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横から眺めた安泰寺の山門光景です。名鉄線路の上に架かる人道橋を渡ってお寺に向かう場合は、この山門を潜ることになります。後ほど、そちらの光景も紹介します。
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境内から眺めた南方面の光景です。木々が生い茂った丘は、熊野三社の境内です。正式名は『熊野三社松巨島』で、山崎城主だった佐久間信盛が永禄年間(1558〜1570年)に守護神とした社を、山崎村の氏神として寛永4年(1627年)に移したものです。
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安泰寺の本堂の光景に戻りました。熊野三社が『松巨島』と呼ばれるようになった理由は、この地を熱田方面から眺めますと、『松の大きな島』に見えたからと伝わります。熱田神宮自体も、かつては伊勢湾に面した岬にあった神社です。『宮の渡し』とともに、かつての地形を彷彿させてくれます。
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石製の雨受けと、側面に印されていた寺紋のアップ光景です。五角にデザインされた竜胆(りんどう)のようです。禅林寺の寺紋とされます。
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『宝珠山』の扁額です。安泰寺の山号です。禅林八十四世・法主大僧正・教空亮明の落款がありました。西山禅林寺派の法主です。
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安泰寺の境内の中から眺めた小さな山門の光景です。この門の少し先に、名鉄線路の上に架かる人道橋があります。
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安泰寺の境内光景です。現在は浄土宗西山禅林寺派に属するお寺です。西山禅林寺派の本山は、京都市左京区にある禅林寺です。
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安泰寺の境内のお墓の光景です。安泰寺が属している浄土宗西山禅林寺派の本山の禅林寺は、空海の高弟の真紹僧都によって真言宗寺院として出発しましたが、後に浄土宗のお寺となりました。
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緑の葉越しに眺めたお墓の光景です。その中心に石段風の造りが見えました。その石段で座禅を組む仏像がありました。
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お墓の中にあった、地蔵尊の光景です。蓮座の上に立った大きさの違う二体が並んでいました。足元には、玉のような石が置かれていました。
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こちらにも地蔵尊がありました。名古屋市中心部のお寺は、都市計画工事のため第二次大戦後にお墓を平和公園に移しました。中心部から少し離れた高台のこのお寺は、対象外だったようです。
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お墓の中に生える、名古屋市保存樹のエノキ(榎)です。締め括りは山崎城址のことです。築城年は分かりませんが、最初の城主は蔵人浄盤、次に加藤与三郎が入りました。与三郎は、熱田加藤氏13代順盛の次男で、14代順政の弟です。信長の勘気を蒙って織田家を出奔しました。最後が佐久間信盛でした。佐久間信盛は信長により高野山に追放になり、その後廃城となりました。佐久間信盛(1528?〜1582年)は、尾張国愛知郡山崎に生まれ、若い頃から織田信秀に仕え、後に幼少の織田信長の重臣となりました。数々の武功を上げ、家臣団の筆頭格として扱われていました。失脚の原因には、明智光秀による讒言説などもありますが、謎に包まれています。
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同じく、名古屋市保存樹のクスノキ(樟)です。根元に標識がありました。佐久間信盛は、戦の中でも難しいといわれる殿軍(しんがり)の指揮を得意としたため、『退き佐久間』とも呼ばれました。永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いでは善照寺砦を守備し、戦後に鳴海城を与えられました。信盛失脚後に信長の実質的な本拠地である近畿地区で大軍団を統率することになったのは明智光秀です。この失脚事件は、『本能寺の変』に心理面、軍事面など、さまざまな影響を与えたとされます。
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名古屋市保存樹のクスノキ(樟)の全景です。佐久間信盛は、天正10年(1582年)1月に紀伊熊野で死去しました。享年55歳でした。嫡男の信栄は、その直後に帰参を許され、信長の嫡男の織田信忠の家臣となりました。信忠は、本能寺の変で明智軍に攻め寄せられ、京都の二条御所で自害しました。
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お墓の光景に戻りました。新しい墓石の背後に、一際立派な石碑がありました。二代目城主の加藤与三郎が出奔した理由は、1569年の『伊勢大河内城攻め』の後、信長の勘気を蒙ったこと原因とされます。この戦いは、織田信長と、伊勢国の国司の北畠具教・具房親子との間で行われました。結果は、織田側に有利な和睦による大河内城の開城でした。
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一際立派な石碑のズームアップ光景です。墓石が混み合っていましたので、近くまで行って撮影するのは遠慮しました。この種の石碑は、墓石ではなく、記念碑の場合が多いようです。
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同じく、檀家の物らしいお墓の光景です。永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いの後、鳴海城を与えられた佐久間信盛ですから、山崎城を居城とはせずに、支城としたのかも知れません。詳しいことは調べていません。
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小さな山門から眺めた、西方面の光景です。佐久間親子が問責された直接の契機は、石山合戦(1570〜1580年)の戦果でした。膠着状態に業を煮やした織田信長が、天正8年(1580年)に朝廷を動かして本願寺と和睦すると、19か条に亘る折檻状を突き付けられ、親子共に高野山に追放されました。
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振り返って眺めた本堂方面の光景です。寄進者の名前などを記した、神社やお寺に付き物の光景がありました。
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山門を潜って、西方向の光景です。現在は名鉄電車の上に架かる橋がありますが、かつては、厳しい天然要害の一角だったようです。
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山門から振り返って眺めた本堂方面の光景です。ネット情報では、地元での法事活動に関する項目が紹介されていました。
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山門を潜ったあと、振り返って眺めた山門の光景です。ほとんど参拝客の姿がありませんでしたから、短時間に予定の撮影ができました。
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紀元2600年に建てられたらしい石碑の光景です。『宝珠山・安泰寺』の文字がありました。神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝った昭和15年(1940年)のことのようです。
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安泰寺の境内近くから眺めた、『熊野三社松巨島』方面の光景です。『松巨嶋(まつこじま)』は、白い砂浜に青い松というコントラストが綺麗だったようです。江戸時代の寛政年間に記された『尾張恂行記』にも、名所として記されています。
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名鉄線路の上に架かった人道橋の光景です。この後用事がありましたので、渡るのは止めました。現在電車が走っている場所は、山崎城のお堀址とされます。
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もう一度山門を潜って、安泰寺の境内に戻りました。お墓の周りだけでなく、他の場所にも大樹の光景がありました。
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安泰寺の庫裏らしい建物の光景です。新しい立派な造りの建物でした。敷地をたくさん持ったお寺さんのようです。
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本瓦を乗せた、低い塀越しに眺めた本堂の光景です。最後での祖愉快になりましたが、ご本尊は阿弥陀如来です。
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左側が先ほど見学した安泰寺の境内がある方面になります。往きに登った坂道を、帰りに下る時の撮影です。これで山崎城址の安泰寺の紹介はおしまいです。
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