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『那古野府城志』によれば、慶長5年(1600年)3月7日に亡くなった仙千代を甲府の教安寺に葬り、高岳院(こうがくいん)の院号を付けたと記してあります。その仙千代は、徳川家康の八男です。清州越しで、この地に移ったお寺です。

2015秋、功徳院はじめ十六箇寺(11/16):持名山・高岳院、山門、境内、楠、本堂、庫裏

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2015/09/18 - 2015/09/22

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旅人のくまさん

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『那古野府城志』によれば、慶長5年(1600年)3月7日に亡くなった仙千代を甲府の教安寺に葬り、高岳院(こうがくいん)の院号を付けたと記してあります。その仙千代は、徳川家康の八男です。清州越しで、この地に移ったお寺です。

  • 『持名山・高岳院』の山門光景です。旧国宝だった清州城の黒門があった場所のようですが、名古屋空襲で焼失しました。清州城の名残としては、名古屋城の一角にある国の重要文化財の『西北隅櫓』が天守を移築したとの説があります。外観3重、内部3階建、塗籠造、本瓦葺の櫓で、『清洲櫓』とも呼ばれています。それに相応しい外観です。

    イチオシ

    『持名山・高岳院』の山門光景です。旧国宝だった清州城の黒門があった場所のようですが、名古屋空襲で焼失しました。清州城の名残としては、名古屋城の一角にある国の重要文化財の『西北隅櫓』が天守を移築したとの説があります。外観3重、内部3階建、塗籠造、本瓦葺の櫓で、『清洲櫓』とも呼ばれています。それに相応しい外観です。

  • 名古屋市教育委員会名で建てられた、『高岳院(こうがくいん)』の立札です。家康の八男の仙千代が葬られた甲府の教安寺を、清州城外に移し、更に慶長16年(1611年)の清州越しで、この地に移ったことなどが紹介されていました。

    名古屋市教育委員会名で建てられた、『高岳院(こうがくいん)』の立札です。家康の八男の仙千代が葬られた甲府の教安寺を、清州城外に移し、更に慶長16年(1611年)の清州越しで、この地に移ったことなどが紹介されていました。

  • 『持名山・高岳院』の山門に掛けられた表札です。『浄土宗・耕学院』の文字がありました。地名でも『高岳』の名前が残りましたが、読み方は『たかおか』です。最寄りの桜通線の地下鉄駅名ともなっています。

    『持名山・高岳院』の山門に掛けられた表札です。『浄土宗・耕学院』の文字がありました。地名でも『高岳』の名前が残りましたが、読み方は『たかおか』です。最寄りの桜通線の地下鉄駅名ともなっています。

  • 『持名山・高岳院』の境内に生えていた大楠のズームアップ光景です。地名の『高岳町(こうがくちょう)』が、『たかおかちょう』とされたのは、明治4年(187年1)以降のこととされますが、詳しい経緯は分かっていません。現在の町名は、昭和51年(1976年)の町名変更で、『泉町(いずみちょう)』となりました。高岳院は、その2丁目になります。

    『持名山・高岳院』の境内に生えていた大楠のズームアップ光景です。地名の『高岳町(こうがくちょう)』が、『たかおかちょう』とされたのは、明治4年(187年1)以降のこととされますが、詳しい経緯は分かっていません。現在の町名は、昭和51年(1976年)の町名変更で、『泉町(いずみちょう)』となりました。高岳院は、その2丁目になります。

  • 郷土史に詳しい沢井鈴一氏(1940~2015年)によれば、江戸時代の『高岳院』の規模は、『境内は東十五間(約23メートル)、西九五間(約173メートル)、南一〇二間(約186メートル)、北八三間三尺(約151メートル)もあった』と解説されていました。沢井氏は、教育家で、郷土史家だった方です。郷土史関係の数多くの出版もされました。

    郷土史に詳しい沢井鈴一氏(1940~2015年)によれば、江戸時代の『高岳院』の規模は、『境内は東十五間(約23メートル)、西九五間(約173メートル)、南一〇二間(約186メートル)、北八三間三尺(約151メートル)もあった』と解説されていました。沢井氏は、教育家で、郷土史家だった方です。郷土史関係の数多くの出版もされました。

  • 参道の東側にあった、まるで博物館の様な庫裏らしい建物の光景です。参道側には、窓が見当たりませんでした。

    参道の東側にあった、まるで博物館の様な庫裏らしい建物の光景です。参道側には、窓が見当たりませんでした。

  • 庫裏らしい建物の鬼瓦のズームアップ光景です。文字通りの『鬼面』をした、まだ新しい焼物の鬼瓦でした。軒丸瓦の文様は『三つ葉葵』、軒平瓦は波文様でした。尾張徳川家所縁のお寺であることが一目で分かる瓦の文様でした。

    庫裏らしい建物の鬼瓦のズームアップ光景です。文字通りの『鬼面』をした、まだ新しい焼物の鬼瓦でした。軒丸瓦の文様は『三つ葉葵』、軒平瓦は波文様でした。尾張徳川家所縁のお寺であることが一目で分かる瓦の文様でした。

  • 浄土宗のお寺、『持名山・高岳院』の本堂光景です。境内が駐車場になっていたのが残念でした。戦災後に再建された建物のようでした。大屋根の背の部分の『大棟』には、『寺名山』の山号を記した瓦がありました。

    浄土宗のお寺、『持名山・高岳院』の本堂光景です。境内が駐車場になっていたのが残念でした。戦災後に再建された建物のようでした。大屋根の背の部分の『大棟』には、『寺名山』の山号を記した瓦がありました。

  • 参道の西側に植え込まれていた庭木の光景です。郷土史家だった沢井氏の解説の続きです。『 高岳院の前には、門前町ができあがった。町は南北で、西は富士塚町に接し、南は駿河町、北は善光寺筋に続いていた』と、高岳院の盛時を解説されていました。

    参道の西側に植え込まれていた庭木の光景です。郷土史家だった沢井氏の解説の続きです。『 高岳院の前には、門前町ができあがった。町は南北で、西は富士塚町に接し、南は駿河町、北は善光寺筋に続いていた』と、高岳院の盛時を解説されていました。

  • 振り返って眺めた、本堂と庫裏の光景です。沢井氏の高岳院の解説の主題は、『高岳院の門前町に(赤穂浪士)四十七士のひとり片岡源五右衛門高房の生家があった』ことと、『片岡源五右衛門が討ち入りに際し、それとなく父親に別れを告げるために、生家に来た時の様子』が紹介されていました。

    振り返って眺めた、本堂と庫裏の光景です。沢井氏の高岳院の解説の主題は、『高岳院の門前町に(赤穂浪士)四十七士のひとり片岡源五右衛門高房の生家があった』ことと、『片岡源五右衛門が討ち入りに際し、それとなく父親に別れを告げるために、生家に来た時の様子』が紹介されていました。

  • 山門の根元部分のズームアップ光景です。古い木材に、新しい木材ではなく石材が継ぎ足してありました。推測になりますが、戦災を受けた旧国宝の黒門の柱をできるだけ残した補修工事のようでした。

    山門の根元部分のズームアップ光景です。古い木材に、新しい木材ではなく石材が継ぎ足してありました。推測になりますが、戦災を受けた旧国宝の黒門の柱をできるだけ残した補修工事のようでした。

  • 最後にもう一度、山門を振り返っての撮影です。その周りは近代工法で作られた高塀となっていました。花崗岩らしい石材を使って根元が継がれた柱は、門の左右にありました。

    最後にもう一度、山門を振り返っての撮影です。その周りは近代工法で作られた高塀となっていました。花崗岩らしい石材を使って根元が継がれた柱は、門の左右にありました。

  • 高岳院の境内は、駐車場として使われていましたが、塀の外にも駐車場が設けられていました。見学することはできませんでしたが、高塀越しに中庭の庭木の姿が見えました。

    高岳院の境内は、駐車場として使われていましたが、塀の外にも駐車場が設けられていました。見学することはできませんでしたが、高塀越しに中庭の庭木の姿が見えました。

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