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名古屋市中心部を東西に走る、通称100メートル道路は、『若宮大通』が正式名です。その名前の元になった『若宮八幡社』の紹介です。社伝によれば、文武天皇の時代に那古野庄今市場に創建された神社とされます。

2015秋、名古屋総鎮守の若宮八幡社(2/2):本殿、境内末社・石標、狛犬、石灯篭、鳥居

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2015/09/13 - 2015/09/13

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旅人のくまさん

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名古屋市中心部を東西に走る、通称100メートル道路は、『若宮大通』が正式名です。その名前の元になった『若宮八幡社』の紹介です。社伝によれば、文武天皇の時代に那古野庄今市場に創建された神社とされます。

  • 斜め前から眺めた、若宮八幡社の拝殿・本殿の光景です。昭和20年(1945年)3月の名古屋空襲により焼失しましたが、昭和32年(1957年)に復旧・造営された本殿のようです。60年近く経過していますから、修復工事の手が入ったかもしれません。

    斜め前から眺めた、若宮八幡社の拝殿・本殿の光景です。昭和20年(1945年)3月の名古屋空襲により焼失しましたが、昭和32年(1957年)に復旧・造営された本殿のようです。60年近く経過していますから、修復工事の手が入ったかもしれません。

  • 若宮八幡社の拝殿・本殿の屋根のズームアップ光景です。社伝による創建は、文武天皇(683~703年)の時代とされます。第42代の文武天皇の在位は、697~707年でした。1300年以上前の創建になります。

    イチオシ

    若宮八幡社の拝殿・本殿の屋根のズームアップ光景です。社伝による創建は、文武天皇(683~703年)の時代とされます。第42代の文武天皇の在位は、697~707年でした。1300年以上前の創建になります。

  • 檜皮葺の屋根の中央に載せられた、千鳥破風の屋根飾りのズームアップ光景です。『檜皮葺(ひわだぶき)』は、樹齢70年以上の充分な樹径のある檜の立ち木から剥いた皮を成型した、檜皮を用いた屋根の葺き方です。

    檜皮葺の屋根の中央に載せられた、千鳥破風の屋根飾りのズームアップ光景です。『檜皮葺(ひわだぶき)』は、樹齢70年以上の充分な樹径のある檜の立ち木から剥いた皮を成型した、檜皮を用いた屋根の葺き方です。

  • 正面から眺めた、若宮八幡社の拝殿・本殿のズームアップ光景です。神社本庁が定めた『別表神社』は全国に350余、その内の九つが愛知県にあります。その内の一社が『若宮八幡社』です。名古屋市には、三社があり、あとの二つは、熱田神宮と愛知縣護國神社です。『別表神社』は、神社の格付けではなく、神職の人事に関する取扱いが主とされますが、実質は格付けになっているようです。

    正面から眺めた、若宮八幡社の拝殿・本殿のズームアップ光景です。神社本庁が定めた『別表神社』は全国に350余、その内の九つが愛知県にあります。その内の一社が『若宮八幡社』です。名古屋市には、三社があり、あとの二つは、熱田神宮と愛知縣護國神社です。『別表神社』は、神社の格付けではなく、神職の人事に関する取扱いが主とされますが、実質は格付けになっているようです。

  • 右手前から眺めた、若宮八幡社の拝殿・本殿の光景です。手前に見えるのは、篝火を焚く金属容器のようです。

    右手前から眺めた、若宮八幡社の拝殿・本殿の光景です。手前に見えるのは、篝火を焚く金属容器のようです。

  • 春日灯篭の光景です。比較的新しい、標準タイプの造りのようです。各地で見かけますから、石灯篭の中では、春日灯篭が一番人気のようです。かつては、現在の名古屋城内にあった若宮八幡社が、当時の末広(現在地)に遷座したいきさつです。名古屋城築城にあたり障害になるため、若宮八幡社と亀尾天王社のいずれかを移転させる必要が生じました。それで、家康はくじを引かせ、敗けた若宮八幡社を末広町(現在地)に移転させたとされます。

    春日灯篭の光景です。比較的新しい、標準タイプの造りのようです。各地で見かけますから、石灯篭の中では、春日灯篭が一番人気のようです。かつては、現在の名古屋城内にあった若宮八幡社が、当時の末広(現在地)に遷座したいきさつです。名古屋城築城にあたり障害になるため、若宮八幡社と亀尾天王社のいずれかを移転させる必要が生じました。それで、家康はくじを引かせ、敗けた若宮八幡社を末広町(現在地)に移転させたとされます。

  • 拝殿・本殿に向かって右側に置かれた、大きく口を開けた阿形の雄獅子の光景です。自信満々の男盛りの獅子と言った姿です。

    拝殿・本殿に向かって右側に置かれた、大きく口を開けた阿形の雄獅子の光景です。自信満々の男盛りの獅子と言った姿です。

  • 拝殿・本殿に向かって左側に置かれた、口を閉じた吽形の雌獅子の光景です。子育てが終わったのでしょうか、子獅子がいない姿でした。睨みを利かせた実力者の姿でした。

    拝殿・本殿に向かって左側に置かれた、口を閉じた吽形の雌獅子の光景です。子育てが終わったのでしょうか、子獅子がいない姿でした。睨みを利かせた実力者の姿でした。

  • 若宮八幡社の境内の南側方面の光景です。参道脇は、鎮守の杜の光景でした。左手に見えるのは、連理稲荷社の赤い幟です。落葉樹ではなく、常緑樹が選ばれているようです。よく目にするのが、『クス(楠)』などです。

    イチオシ

    若宮八幡社の境内の南側方面の光景です。参道脇は、鎮守の杜の光景でした。左手に見えるのは、連理稲荷社の赤い幟です。落葉樹ではなく、常緑樹が選ばれているようです。よく目にするのが、『クス(楠)』などです。

  • 同じく、若宮八幡社境内の北側方面の鎮守の杜の光景です。出所がはっきりしない情報でしたが、鎮守の杜のベストテンの樹種は、①シイ(椎)、②タブ(椨)、③カシ(樫)、③ケヤキ(欅)、⑤クス(楠・樟)、⑥イチョウ(銀杏・公孫樹)、⑦ツバキ(椿)、⑧スギ(杉)、⑨ムク(椋)、⑩サカキ(榊)と紹介されていました。銀杏の様な落葉樹も含まれていました。

    同じく、若宮八幡社境内の北側方面の鎮守の杜の光景です。出所がはっきりしない情報でしたが、鎮守の杜のベストテンの樹種は、①シイ(椎)、②タブ(椨)、③カシ(樫)、③ケヤキ(欅)、⑤クス(楠・樟)、⑥イチョウ(銀杏・公孫樹)、⑦ツバキ(椿)、⑧スギ(杉)、⑨ムク(椋)、⑩サカキ(榊)と紹介されていました。銀杏の様な落葉樹も含まれていました。

  • 若宮八幡社の境内光景が続きます。北側方面の光景になりますが、こちらにも鳥居の光景がありました。右手に見える赤い幟は、連理稲荷社の奥の院のようです。

    若宮八幡社の境内光景が続きます。北側方面の光景になりますが、こちらにも鳥居の光景がありました。右手に見える赤い幟は、連理稲荷社の奥の院のようです。

  • 境内社が合祀された社の光景だったようです。前方の石段を登った上の社に祀られているようです。

    境内社が合祀された社の光景だったようです。前方の石段を登った上の社に祀られているようです。

  • 境内社の御車の名前が記された席補油の光景です。熊野社、日吉社、香良洲社、天神社、と秋葉社の5社です。昭和 43 年(1968年)に末広町八幡講によって建立されたようです。香良洲社はあまり目にしない名前ですが、『からすしゃ』と読むようです。三重県津市香良洲町にある香良洲神社が、近代社格制度に基づく旧社格は県社で、香良洲町の町名の由来となった神社です。

    境内社の御車の名前が記された席補油の光景です。熊野社、日吉社、香良洲社、天神社、と秋葉社の5社です。昭和 43 年(1968年)に末広町八幡講によって建立されたようです。香良洲社はあまり目にしない名前ですが、『からすしゃ』と読むようです。三重県津市香良洲町にある香良洲神社が、近代社格制度に基づく旧社格は県社で、香良洲町の町名の由来となった神社です。

  • 境内に植樹された苗木の光景です。周りが柵で囲われていませんから、ご神木の苗木ではないようです。

    境内に植樹された苗木の光景です。周りが柵で囲われていませんから、ご神木の苗木ではないようです。

  • 鎮守の森に囲まれた若宮八幡社の本殿と。左に見える手水舎の光景です。

    鎮守の森に囲まれた若宮八幡社の本殿と。左に見える手水舎の光景です。

  • 若宮八幡社の境内図を参照しますと、若宮大通に面した場所に、3基の鳥居が記されていました。この鳥居は、その中で、中央に位置する鳥居です。境内の内側からの眺めです。

    若宮八幡社の境内図を参照しますと、若宮大通に面した場所に、3基の鳥居が記されていました。この鳥居は、その中で、中央に位置する鳥居です。境内の内側からの眺めです。

  • 同じ鳥居の扁額のズームアップ光景です。『若宮八幡社』の文字がありました。『宮』の文字は、単独ではほとんど読めない文字でした。三つの鳥居の内の中央の鳥居の境内の外側からの眺めです。

    同じ鳥居の扁額のズームアップ光景です。『若宮八幡社』の文字がありました。『宮』の文字は、単独ではほとんど読めない文字でした。三つの鳥居の内の中央の鳥居の境内の外側からの眺めです。

  • 同じく鳥居の光景ですが、こちらは三つの鳥居の内、一番右側(東側)に位置する鳥居です。境内の外からの眺めになります。右手に見える建物は山車の倉庫です。

    同じく鳥居の光景ですが、こちらは三つの鳥居の内、一番右側(東側)に位置する鳥居です。境内の外からの眺めになります。右手に見える建物は山車の倉庫です。

  • 東西に走る、若宮大通の光景です。名古屋市の戦災復興の時に造られた道路で、その道幅から、100メートル道路と呼ばれました。今は、その中央を都市高速の高架道路が走ります。

    東西に走る、若宮大通の光景です。名古屋市の戦災復興の時に造られた道路で、その道幅から、100メートル道路と呼ばれました。今は、その中央を都市高速の高架道路が走ります。

  • 若宮大通に南に面した、フラリエの建物光景です。以前は、『名古屋市ランの館』の建物でした。施設の所有権は名古屋市のままで、運営だけが外部委託されたようです。最寄りの地下鉄駅、上前津に向かう途中の光景です。

    若宮大通に南に面した、フラリエの建物光景です。以前は、『名古屋市ランの館』の建物でした。施設の所有権は名古屋市のままで、運営だけが外部委託されたようです。最寄りの地下鉄駅、上前津に向かう途中の光景です。

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