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名古屋市の昭和区にある、式内社の川原神社の紹介です。古くから、『川名の弁天様』として知られた神社です。かつては、この辺りは入り組んだ海岸線の入江とされます。

2015初秋、川原神社(1/3):山崎川、道祖神、弁天池、亀、楠の大樹

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2015/09/12 - 2015/09/12

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旅人のくまさん

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名古屋市の昭和区にある、式内社の川原神社の紹介です。古くから、『川名の弁天様』として知られた神社です。かつては、この辺りは入り組んだ海岸線の入江とされます。

  • 川原神社の名古屋市地下鉄の最寄り駅、川名駅の出入口光景です。鶴舞線になります。

    川原神社の名古屋市地下鉄の最寄り駅、川名駅の出入口光景です。鶴舞線になります。

  • 地下鉄川名駅からは、歩いての移動です。片道10分ほどの距離になります。川名駅近くを流れている山崎川の光景です。下流は桜の名所です。上流方向に橋が見えますが、帰りに通った『飯田街道』です。

    地下鉄川名駅からは、歩いての移動です。片道10分ほどの距離になります。川名駅近くを流れている山崎川の光景です。下流は桜の名所です。上流方向に橋が見えますが、帰りに通った『飯田街道』です。

  • 振り返って眺めた山崎川に架かる広路通りの橋の光景です。中央付近に見える青い道路標識は川名交差点です。看板に表示されている『飯田街道』と、こちらの広路通りは、もう少し東の山中交差点で合流します。旧の『飯田街道』は、徳川家康によって作られた、尾張名古屋と信州飯田を結ぶ街道です。現在はほぼ国道153号線となっています。

    振り返って眺めた山崎川に架かる広路通りの橋の光景です。中央付近に見える青い道路標識は川名交差点です。看板に表示されている『飯田街道』と、こちらの広路通りは、もう少し東の山中交差点で合流します。旧の『飯田街道』は、徳川家康によって作られた、尾張名古屋と信州飯田を結ぶ街道です。現在はほぼ国道153号線となっています。

  • 広路通りの脇にあった小さな祠の光景です。石像が祀られていました。かつての飯田街道の路傍の神、道祖神が移設されたのかもしれません。道祖神は、集落の境や村の中心、 村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに石碑や石像として祀られました。

    広路通りの脇にあった小さな祠の光景です。石像が祀られていました。かつての飯田街道の路傍の神、道祖神が移設されたのかもしれません。道祖神は、集落の境や村の中心、 村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに石碑や石像として祀られました。

  • かつては、道祖神だったものが、地蔵尊や仏座像も一緒に祀られているようでした。神仏混合で、道祖神信仰は地蔵信仰とも習合したようです。

    かつては、道祖神だったものが、地蔵尊や仏座像も一緒に祀られているようでした。神仏混合で、道祖神信仰は地蔵信仰とも習合したようです。

  • 広路通りから右に折れて、飯田街道の旧道に面した川名神社に向かいました。前方に見えているのが飯田街道、赤い鳥居は川名神社境内のものです。

    広路通りから右に折れて、飯田街道の旧道に面した川名神社に向かいました。前方に見えているのが飯田街道、赤い鳥居は川名神社境内のものです。

  • 地下鉄川名駅を出発して、10分弱で川名神社に到着しました。鳥居と、『県社・式内・川原神社』の石碑の光景です。

    地下鉄川名駅を出発して、10分弱で川名神社に到着しました。鳥居と、『県社・式内・川原神社』の石碑の光景です。

  • 『県社・式内・川原神社』の石碑のズームアップ光景です。『式内社』は、延長5年(927年)に纏められた、『延喜式』の巻九・十に記載された全国の神社一覧の官社です。

    『県社・式内・川原神社』の石碑のズームアップ光景です。『式内社』は、延長5年(927年)に纏められた、『延喜式』の巻九・十に記載された全国の神社一覧の官社です。

  • 川原神社の境内には、名古屋市の保存樹に指定された、数多くの楠の大木が育っていました。1000年以上の歴史を持つ式内社の、鎮守の杜です。

    川原神社の境内には、名古屋市の保存樹に指定された、数多くの楠の大木が育っていました。1000年以上の歴史を持つ式内社の、鎮守の杜です。

  • 緑色の池の中に建つ赤い鳥居の光景です。広路通りから右に折れて、飯田街道に向かった時に目にした赤い鳥居です。弁天池と呼ばれています。

    緑色の池の中に建つ赤い鳥居の光景です。広路通りから右に折れて、飯田街道に向かった時に目にした赤い鳥居です。弁天池と呼ばれています。

  • 弁天池で泳ぐ亀さん達です。人の気配を感じると、水音を立てて、餌を請求します。たまに民家にカメが現れる事があるようですが、その時はカメに酒を飲ませてから池に返すのが慣わしとされています。

    弁天池で泳ぐ亀さん達です。人の気配を感じると、水音を立てて、餌を請求します。たまに民家にカメが現れる事があるようですが、その時はカメに酒を飲ませてから池に返すのが慣わしとされています。

  • 人の気配を感じると、大きな亀から小さな亀まで、一斉に集まってきます。この日も、お母さんに連れられた地元のお子さんが餌を上げていました。

    人の気配を感じると、大きな亀から小さな亀まで、一斉に集まってきます。この日も、お母さんに連れられた地元のお子さんが餌を上げていました。

  • 通路脇にあった石造の太鼓橋の光景です。推測ですが、境内を流れていた小川に架かった橋で、俗界と聖界を分ける橋のようです。尾張名所図会には、この橋を渡って鳥居に向かう図が描かれています。

    通路脇にあった石造の太鼓橋の光景です。推測ですが、境内を流れていた小川に架かった橋で、俗界と聖界を分ける橋のようです。尾張名所図会には、この橋を渡って鳥居に向かう図が描かれています。

  • 石橋の近くにあったに樹の石碑の光景です。この後、それぞれの石碑の紹介をします。

    石橋の近くにあったに樹の石碑の光景です。この後、それぞれの石碑の紹介をします。

  • 南側の入口に近い方にあった石碑の光景です。頭部に記された横書きの文字は、『県社御昇格記念』の文字でした。その下の文の末尾に昭和14年(1937年)12月の日付がありました。昭和9年(1934年)の申請に対し、10年に昇格の内命があり、社殿や社務所の建築を経て、昭和14年7月に県社に列せられたことなどが記されていました。昭和6年(1931年)に満州事変が勃発し、昭和16年(1941年)の太平洋戦争の開戦に向かって一直線に向かっていた時代です。

    南側の入口に近い方にあった石碑の光景です。頭部に記された横書きの文字は、『県社御昇格記念』の文字でした。その下の文の末尾に昭和14年(1937年)12月の日付がありました。昭和9年(1934年)の申請に対し、10年に昇格の内命があり、社殿や社務所の建築を経て、昭和14年7月に県社に列せられたことなどが記されていました。昭和6年(1931年)に満州事変が勃発し、昭和16年(1941年)の太平洋戦争の開戦に向かって一直線に向かっていた時代です。

  • こちらは戦後の昭和28年(1953年)3月に建てられた『再建記念』の石碑です。昭和20年3月19日に戦災に遭い、復興された記念碑であることなどが記されていました。再建された社殿は1992年、不慮の火災で焼失し、1998年に建て直されました。

    こちらは戦後の昭和28年(1953年)3月に建てられた『再建記念』の石碑です。昭和20年3月19日に戦災に遭い、復興された記念碑であることなどが記されていました。再建された社殿は1992年、不慮の火災で焼失し、1998年に建て直されました。

  • 正殿に正対して建つ鳥居の光景です。錆が付着していましたから、金属製のようでした。

    正殿に正対して建つ鳥居の光景です。錆が付着していましたから、金属製のようでした。

  • 川原神社の境内にある末社は十社です。列挙しますと、①川名弁天社、②津島社、③川名天神社、④猿田彦社、⑤山神社、⑥秋葉社、⑦龍神社、⑧川名社、⑨川名稲荷社と⑩若宮社です。

    川原神社の境内にある末社は十社です。列挙しますと、①川名弁天社、②津島社、③川名天神社、④猿田彦社、⑤山神社、⑥秋葉社、⑦龍神社、⑧川名社、⑨川名稲荷社と⑩若宮社です。

  • 境内の東側にある鳥居の光景です。一旦外に出て、西を向いて撮影した鳥居の光景です。

    境内の東側にある鳥居の光景です。一旦外に出て、西を向いて撮影した鳥居の光景です。

  • 限りなく赤色に近い朱色に塗られた末社の光景です。末社の名前は確認できませんでした。

    限りなく赤色に近い朱色に塗られた末社の光景です。末社の名前は確認できませんでした。

  • 『川原神社のご案内』のタイトルがあった案内看板です。年間五つの主行事と祈願や結婚式の案内などでした。

    『川原神社のご案内』のタイトルがあった案内看板です。年間五つの主行事と祈願や結婚式の案内などでした。

  • 浄めの水、手水舎(てみずや/ちょうずや)の光景です。昭和20年の戦災の際、火災を待剥かれた施設とされますが、その後に建替えられたかもしれません。

    浄めの水、手水舎(てみずや/ちょうずや)の光景です。昭和20年の戦災の際、火災を待剥かれた施設とされますが、その後に建替えられたかもしれません。

  • 手水舎に水を注ぐ龍のズームアップ光景です。井戸水を汲みあげて、池に流されていることが記されていました。

    手水舎に水を注ぐ龍のズームアップ光景です。井戸水を汲みあげて、池に流されていることが記されていました。

  • 川名天神社の石碑と、その右にあった名古屋市の保存樹のクスノキ(楠)の標識です。川名天神社は、境内にある九つの末社の内の一つです。

    川名天神社の石碑と、その右にあった名古屋市の保存樹のクスノキ(楠)の標識です。川名天神社は、境内にある九つの末社の内の一つです。

  • かなり大きな春日灯篭風の石灯篭の光景です。基礎部分に石垣が組まれ、更にその上に土台を乗せて立てられていました。

    かなり大きな春日灯篭風の石灯篭の光景です。基礎部分に石垣が組まれ、更にその上に土台を乗せて立てられていました。

  • こちらの春日灯篭風の石灯篭も、かなりの高さでした。3メートルを超えそうでした。同じ春日灯篭風の造りですが、デザインは少し違っていました。

    こちらの春日灯篭風の石灯篭も、かなりの高さでした。3メートルを超えそうでした。同じ春日灯篭風の造りですが、デザインは少し違っていました。

  • 境内の鎮守の杜を形成する楠の大木です。根元には名古屋市の保存樹であることを記した立札がありました。

    境内の鎮守の杜を形成する楠の大木です。根元には名古屋市の保存樹であることを記した立札がありました。

  • こちらの大木も、クスノキ(楠)です。名古屋市の保存樹の内の1本だったようです。楠の他に、タブノキも保存樹に指定されているようです。

    こちらの大木も、クスノキ(楠)です。名古屋市の保存樹の内の1本だったようです。楠の他に、タブノキも保存樹に指定されているようです。

  • 建物の中で例えれば、玄関の衝立、神社の境内の正面に建つ、その衝立のような施設のようです。低い石段の上に建てられていました。

    建物の中で例えれば、玄関の衝立、神社の境内の正面に建つ、その衝立のような施設のようです。低い石段の上に建てられていました。

  • 式内社の川原神社の本殿光景です。1992年に火災に遭い、1998年位再建された建物のようです。

    式内社の川原神社の本殿光景です。1992年に火災に遭い、1998年位再建された建物のようです。

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