2015/10/29 - 2015/11/03
121位(同エリア5392件中)
こあひるさん
丸一日歩き回れるのは今日が最終日。旅は始まってしまうとあっという間・・・。
ここまでお天気に恵まれたのだが、今日だけはあいにくの雨降り。でも今日はずっと歩き回るのではなく、美仏のおられるお寺を、タクシーや電車で移動することが多いプランなので、雨でもなんとか我慢できそう。
佐保路と桜井と・・・やや離れた2つのエリア・・・5寺1神社を巡る予定なのでけっこうギリギリのプラン。ひとつひとつのお寺での参拝時間には余裕をもちながらも、移動を効率的にしなければならない。
まずは・・・美しい観音さまがいらっしゃる佐保路から。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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昨日、ノモケマナで買ったパンで朝食。ホテルの無料の朝食は有り難く助かるのですが・・・5泊となるとさすがに飽きてきて・・・つい我慢できず、お金を使ってしまうのです・・・。
コンフォートホテル奈良 宿・ホテル
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まず、不退寺まではタクシーで。今日はタクシーを駆使して効率よく周る予定なので、ちょっと支出が多めになっちゃうな。
不退寺の前に着いたのがちょうど9時。お寺の参拝時間は9時からなのでちょうどいい。お寺の門の前には鬱蒼とした木々のトンネル。 -
大同4年(809)、第51代平城天皇は、弟の嵯峨天皇に譲位し、(すでに平安京に遷都されていたが)平城京を懐かしみ、平城京の北東の地に茅葺き屋根の御殿を造営して住み、そこは「萱の御所」と呼ばれました。
崩御後、第1皇子・阿保親王と、その第5子・在原業平がそこに居住しました。
承和14年(847)、在原業平は、仁明天皇の勅命により、平城天皇の旧居をお寺に改め、自ら聖観音像を造り、本尊として安置し、父・安保親王の菩提を弔うとともに、衆生救済のために「法輪を転じて退かず」と発願し、金龍山不退転法輪寺と号して、仁明天皇の勅願所となりました。略して不退寺・・・または業平寺とも呼ばれます。
往時はかなり広大な荘園があったらしいのですが、平安末期の南都焼き討ちにより、諸堂が消失したため、鎌倉時代に叡尊により再興されました。
南門は鎌倉時代末期のもの。不退寺 寺・神社・教会
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南門を入ると受付があり、鬱蒼とした緑の中に、本堂が見えます。さほど大きくない境内のようです。
御朱印帳は、受付で預ける形なのですが、御朱印を書く人がまだ来ておらず、書き置きしたものになる・・・といわれたので、もし帰りまでにいらしたら書いて頂くことをお願いしておきました。来るのが早すぎるとこういうこともあるのねぇ・・・。 -
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それにしても、日本史に超疎い私・・・恥ずかしながら・・・在原業平が、平安時代の歌人だったことくらいは何とな〜く知っていましたが・・・平城天皇の孫で、お寺まで建立した人だったなんてことは初めて知りました。
本堂も鎌倉時代後期に再興されたものです。 -
レンギョウやユキヤナギが本堂前に植えられているので、そのシーズンに訪れると、全然雰囲気が違うのでしょうね〜。
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なんだか渋くて・・・落ち着いた感じのステキな本堂です。
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本堂から眺めた境内。こうして全体的に眺めてみると、雑然と木々が茂っているわけでなく、様々な種類の木花が見栄えよく整えられていますね。
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お寺で買った冊子「南都 花の古寺 不退寺」の写真を写しました。
御本尊の聖観音菩薩立像は、一度見たら忘れられない・・・インパクトのある美仏です。近世までは秘仏だったらしいですが、明治以降はずっと御開帳されています。現在でも通年公開されています。
在原業平が造ったとされ、業平観音とも呼ばれます。大きなリボンのついた宝冠帯に特徴があります。
全身胡粉地(白色の顔料)に極彩色の花紋が描かれ、復元すると艶めかしい観音像となるため、業平の理想の女性像ではないかともいわれています。
高さは1・9mで、平安初期の作です。
現在では、胡粉や彩色が剥げ落ち、木地が見えている部分が多いですが・・・CGで復元したもとのお姿を是非見てみたいなぁ〜〜!
本堂には、聖観音のほかに、五大明王像(平安時代作)などが安置されています。 -
「佐保路には珍しい石棺」と標示がありますので、見に行ってみましょ〜。
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小さな門を入って・・・。
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土塀に囲まれた庫裡の庭の一画に・・・
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ありました〜石棺です。5世紀のものだそう。
ウワナベ古墳南側(不退寺の北側あたりには、古墳がたくさんあります)の平塚古墳から、幕末に発掘され、そこから運ばれたものだといわれています。発見当初は、蓋(亀の甲羅形)や副葬品があったとか・・・。
石材は砂岩の一種である春日砥。長さが2・7mで、舟形割竹くり貫き石棺とも言います。 -
近隣の農民たちが、砥石の代わりに鎌を研いだと思われる痕がたくさん残っています。また、蓋は割って各自が持ち帰ったとも言われています。
その後、石棺は不退寺の境内に移されたようです。 -
本堂のほうへ戻ります。それにしても、鬱蒼とした雰囲気の・・・面白いお寺です。
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雨脚は弱まることなく・・・けっこうな降り方です。
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小さな池も配されています。
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池の傍には・・・鎌倉時代中期の多宝塔。
この塔には、上層があって檜皮葺きだったことがわかっています。現在は初層のみが残り、上層と相輪は失われています。
内部の壁板には、真言八相が彩色されているそうですが、剥落が激しいとのことです。多宝塔には、快慶作の千体地蔵が安置されていたらしいです(たぶん今はないのでしょう)。
多宝塔は、5月28日の業平忌の時だけ開扉されるようです。 -
百人一首の第17番、在原業平の詠んだ歌「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川
からくれなゐに 水くくるとは」の石碑です。石碑は平成元年に建立されたもの。
この歌が詠まれた「紅葉の瀬」と呼ばれた場所は、護岸工事のため、現在では失われてしまい無いそうです。 -
まだ紅葉には早い奈良です。
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こちらは、伊勢物語(在原業平がモデルになっているといわれる)第88段の歌碑(昭和55年に建立されたもの)。おほかたは月をもめでじこれぞこのつもれば人の老いとなるもの。
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お地蔵さまかと思っていたけど、よく見ると、五輪塔が彫られているようです。
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9時半です。御朱印を書いてくださる人はやっぱりまだ・・・ということで、書き置きしてあった御朱印をいただいて・・・南門を出ます。
不退寺
http://www3.kcn.ne.jp/~futaiji/index.html -
木々の繁みのトンネルを通り抜けて・・・次のお寺・・・海龍王寺へ向かいます。
不退寺、海龍王寺、法華寺と、近いところにあるので美仏めぐりにはもってこいです。 -
繁みのトンネルを抜けると・・・ごく普通の住宅街。
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大通りに突き当たったら、右に曲がって道なりに・・・。
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標示があるのでわかりやすいです。10分余りで海龍王寺に着きました。
道路沿いにあるので、山門を写そうと、道路の向かい側に渡って撮っているうちに、歩道の石につまづいてコケました・・・。私がやりがちな出来事ですが、ちょっと恥ずかしかったです(誰もいなかったと思いますが)。
山門と築地塀は室町時代のものです。海龍王寺 寺・神社・教会
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現在の境内はごくシンプルです。
海王龍寺のあった場所には、飛鳥時代より毘沙門天を祀った寺院があったそうです。天平3年(731)、光明皇后の御願により、新たに堂舎を建立して伽藍を改めたことで、海龍王寺としての歴史が始まりました。
もともと北の方角を護る毘沙門天が祀られていたところに海龍王寺を建立し、毘沙門天を祀ることで、平城宮の東北(鬼門)を護る役割としたわけです。平城京の北東の隅にあったので、隅寺とも呼ばれます。
一方、遣唐使として唐に渡っていた玄ぼうが、唐からの帰国途中、暴風雨に襲われましたが、海龍王経を一心に唱え、九死に一生を得て無事に帰国を果たしました。貴重な多数の経典をもたらした玄ぼうは、その功績により、海龍王寺初代住持に任ぜられました。玄ぼうは、海龍王寺において海龍王経を用い、遣唐使の渡海安全を祈願するようになりました。
海龍王寺は、鎌倉時代に隆盛を迎えましたが、その後の戦災や地震などにより、壊滅的な打撃を受けました。江戸時代には少し盛り返しますが、明治の廃仏毀釈により、すっかり荒廃してしまいました。昭和になり、西金堂と経蔵の解体修理が行われ、以降も境内の整備や修復が進められているところです。 -
山門を入ると・・・このお寺も、野趣味あふれた参道となっています。
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築地塀に風情があります。
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参道の突き当りの門をくぐると受付があります。
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受付から・・・すぐに本堂(右側)と西金堂が見えてきます。ここまで入ってくると、かなりすっきりとした印象の境内です。
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本堂は、奈良時代に建っていた中金堂の位置に建てられています。深い軒の出と、勾配の緩い屋根、堂内の柱配置が整然としていることなど、奈良時代の仏堂の様式と似ている点が多いようです。
建立年代は、寛文年間(1665年ごろ)とも伝えられ、江戸時代の建物ながら古風な造りであり、古い伝統建築の様式が好まれた奈良の地域性を知ることができます。 -
本堂内に入ります。
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お寺で買った写真を写しました。
御本尊の十一面観音菩薩立像。高さ94cm。光明皇后が自ら刻まれた十一面観音像を模して、鎌倉時代に慶派の仏師によって造立されたものです。
全体に金泥が施され、衣の部分の彩色は、朱・丹・緑・青・群青などカラフルな色彩の地に、唐草・格子に十字などの諸文様が切金で表されています。縁取りや区画の境界線にも二重の切金線が多用されています。
装身具も精緻な作りで、すべて銅製鍍金・・・透かし彫りを多用し、ガラス小玉なども用いた、繊細かつ豪華なものです。
昭和28年まで秘仏だったため、かなり保存状態がよいのです。現在は、年に3度ほどの御開帳となっています。 -
チラシにもなっています!う〜〜ん!!!美しすぎる〜!確かに・・・麗しさ、極まっています!!
飛鳥時代や奈良時代の仏像もそれぞれ特徴があって好きだけど・・・鎌倉時代のこういう仏像は・・・垢抜けているというか・・・洗練されているというか・・・美術品として極まった・・・という感じを受けます。オシャレなんだよなぁ(こら!)。 -
海龍王寺の御朱印。
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本堂の前あたりから見ると、綺麗に整備された開放感のあるお庭が広がっています。
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西金堂。こちらだけは創建当時(731年)からの建物です。
鎌倉時代と昭和40〜41年にかけて大きな修理を受けてはいるものの、一部に奈良時代の木材を残しています。規模や形式に大きな変更はなく、奈良時代に造られた小規模の堂は、この西金堂以外に現存していないことから、非常に価値の高いものと評価されています。 -
西金堂に安置されているのは、国宝の五重小塔。高さ4mほどで、天平時代前期に造られたものです。
創建当時から西金堂内に安置され、細部は、天平時代のかなり早い時期の手法を用いて造られています。薬師寺の三重塔と類似していることからも、天平時代の建築技法を現在に伝え、建築様式の発展をたどる上でも重要であることと、建造物としての天平時代の五重塔はこの1基しか現存していないことから、(工芸品ではなく)建造物として国宝に指定されています。
屋内で安置することを目的としたため、近くから見た時の工芸的な性格を考え、小塔の外部は細部に至るまで忠実に造られています。またこのことは、寸法取りにも表れており、上層部にいくに従って塔身が細くなっていることから、上層部と下層部の均衡を重視した寸法取りを行っていることが伺えます。 -
西金堂の内部。
小塔を造立した理由ですが、通常、寺院には高さが数十メートルの五重塔のあるのが一般的ですが、海龍王寺は飛鳥時代から建っていた寺院をもとに創建されたので、限られた敷地の中に、大寺院の伽藍の形式を持ち込まなければならないという困難な状況にありました。この事情の中で「東西両塔」を備えた伽藍の形式を持ち込むべく、五重小塔を造立し、東金堂(明治初年に喪失)と西金堂の両金堂の中にそれぞれ小塔を納めたのではないかと考えられています。 -
お地蔵さまの祠。
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こちらには入れないようで・・・庫裡かな。
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こちらにもお地蔵さまの祠。
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叡尊により中興され、正応元年(1288)に建立された一切経蔵。経典や文書を納めたことから、高床式の建物になっています。
寛永7年(1630)に修理が行われ、昭和40〜42年に解体修理が行われました。 -
創建時には、西金堂と向かい合う形で東金堂が建っていました。明治の廃仏毀釈の影響を受け、現在は基壇の跡を残すのみとなっています。
こちらの東金堂にも、五重小塔が納められていました。 -
百度石とあります。幾多の人が・・・どんな願いを込めて百度参りをしたのでしょうか。
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10時半になります。不退寺も海龍王寺も、そんなに大きなお寺ではなかったけれど、お寺の境内の様子や、仏像をじっくり見ようと思うと、やっぱりわりと時間がかかります。
海龍王寺
http://www.kairyuouji.jp/ -
海龍王寺とは、ほんの目と鼻の先・・・の法華寺へ向かいます。
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数分で法華寺に着きました。
法華寺 寺・神社・教会
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法華寺は、光明皇后が、父である藤原不比等の没後、不比等の屋敷跡に建立した総国分尼寺で、当時は法華滅罪之寺と呼ばれました。略称として法華寺と呼ばれるようになりました。
東大寺が総国分寺とされたのに対し、法華寺は総国分尼寺として建てられました。法華寺 寺・神社・教会
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法華寺門跡として、格式の高い赤門。
法華寺御所とも呼ばれ、門主は皇族もしくは摂家姫君により継承されています。 -
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現在の境内は、先に訪れた2つのお寺とは異なり、けっこう広いようです。
かつては七堂伽藍を備える大寺だったそうですが、平安遷都後は衰退していきました。鎌倉時代に、叡尊によって復興しますが、室町時代になると、何度かの兵火や大地震や火災により、荒廃しました。
桃山時代になって、豊臣秀頼の母・淀君の発願により、慶長6年(1601)に、現在の本堂、鐘楼、南門、築地塀などが再建されました。現在の伽藍は、そのころに再建された姿なのです。 -
赤門から入ると受付があり、受付を過ぎるとすぐ右手に稲荷神社があります。
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稲荷神社。
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稲荷神社の横には薬師堂。本尊は薬師如来。でも中は見えません。
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横笛堂もあります。鎌倉時代の建物で、平家物語第10巻に登場する横笛が、祈りを捧げたお堂。現存する法華寺の建物の中で最古。
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さて・・・本堂のある左手に向かうと、すぐに鐘楼が見えます。
桃山時代のもので、袴腰がついた美しい形をしています。 -
鐘楼を通り過ぎて進むと、本堂が見えてきました。
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正面に三間の向拝がついた本堂。慶長6年(1601)に再興されたものです。
かつて本堂の解体修理が行われた際、鎌倉時代や室町時代の古材が一部転用されているほか、天平時代の古材も発見されたそうです。 -
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本堂へ参拝しに入ります。
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こちらが御本尊の十一面観世音菩薩像(国宝)。お寺で購入した冊子「光明皇后と法華寺」の写真を写したものです。
この十一面観世音菩薩像は、光明皇后が蓮池をお渡りになっている姿をうつしたもの・・・と伝えられているものです。高さ1m。光背は、蓮の蕾や葉を後光のように、像の周辺に配した珍しいものとなっています。見たことないですね〜、こんな光背。 -
こちらは絵はがきを写しました。
群青色の流れるような長い頭髪、唇のほのかな紅色など顔の一部に彩色が施されているほかは、木肌のままの素地仕上げになっています。
腰のあたりを少しひねり、衆生を救うために伸ばした長〜い右手が、天衣の端を軽くつまんでいる仕草が美しいです。
右足を少し前方に踏み出し、親指の先が軽く跳ね上がって・・・今まさに歩き出そうとしているところです。
年に3回、御開帳されるようです。
本堂には、御本尊のほかにも、文殊菩薩像など色々な仏像等が安置されていました。中でも、かなり大きな創建時の仏頭があり、その大きさから、その仏像を安置していたお堂はかなり大きなものだったんだろうな〜と思いました。 -
本堂正面からは、南門が見えます。
南門も、慶長6年、本堂が再興されたときに造られたものです。 -
鐘楼の隣に池があり、池の中央に護摩堂があります。
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室町時代に護摩堂は倒壊し、それ以後再建されることはありませんでした。護摩法要は、本堂内で行われてきましたが、防災上の危険もあるため、平成16年、600年ぶりに新しく護摩堂が建立されました。
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橋を渡って、護摩堂の廻り廊下を歩いてみます。
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池を挟んで鐘楼の姿が見えます。
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ぐるっと回って本堂が見えました。
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まだ・・・雨はかなり降っています。天気予報だと、お昼くらいまでには止むって言ってたけどなぁ・・・。
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本堂の横に、中門があります。奥には名勝庭園と客殿があるようです。残念ながら、入れません。
客殿は、桃山時代から江戸初期に、京都御所の一部を移築したものだそうです。築地塀で仕切られた奥に、広大なお庭があるらしいです。 -
中門から客殿の玄関までは前庭だそうですが、前庭だけちょっと覗けました。
築地塀が続く美しい通り道ですね。左に見えてるのは本堂、奥の屋根は東書院だと思われます。客殿は見えません。
庭園は、公開される期間があるようです。 -
慈光殿という収蔵庫には、仏像、仏画などの宝物があり、公開されているので、見学しに行ってみます。築地塀の向こう側にあるようです。
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慈光殿(収蔵庫)。
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いつの時代のものなのかわかりませんが、慈光殿の前にあった大きな鉢の天女がなかなか美しい〜。
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本堂前あたりに戻ってきました。往時の礎石らしきものがあります。
本堂やその周辺の地下には、天平時代の創建以前の壮大な建物跡が発掘されており、藤原不比等の邸宅があったことが確認されているようです。 -
雨脚はまだ衰えません。
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けっこう見どころが多いお寺です。
浴室(からふろ)と光月亭、華楽園への入口がこちら・・・。
お寺に入る時、受付で、こちらにも入場したい場合には、本堂拝観料プラス300円となります。 -
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から風呂。
光明皇后の「我自ら千人の垢を去らん」との施浴発願に由来する、我が国社会福祉の原点ともいうべき建造物です。
慶長年間に現在地に再建されましたが、現在の建物は、明和3年(1766)に建て直されたものです。敷石の一部に、天平時代のものが残っています。
建物内部は2部屋になっていて、薬草を煎じ、その蒸気を浴びる蒸し風呂になっていたようです。近年まで、実際に使用されていたそうです。
浴室の傍らには井戸があり、その水は浴室に使用されました。 -
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こちらは、江戸時代の光月亭。もとは奈良の月ヶ瀬にあった農家で、ここに移築したものだそう。
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縁側。屋根がずいぶん低い位置まで降りています。
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上がっての見学はできないです。暗くてよく見えません。
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華楽園。雨が降っているし、お花の季節でもないので・・・あまり乗り気はしないですが、一応料金払ったし・・・。
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約1000坪の平地に、東屋や蓮池を配し、100本のツバキを始め、約750種の花木・草花があるそうです。
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けっこう広いですし、通路がくねくねと巡っているので、お天気が良くてお花のシーズンならば、けっこう楽しめそうなお庭です。
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もともと参拝する人が多くなさそうな今日でしたが、この雨の中、お庭を歩く人は皆無・・・。
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法華寺の御朱印。
法華寺
http://www.hokkeji-nara.jp/
まもなく正午になります。じっくりと参拝時間をとりましたが、ほぼ予定通りの感じです。
法華寺の前でタクシーを呼び、JR奈良駅まで行ってもらい・・・JR奈良駅から桜井駅まで万葉まほろば線(桜井線)で桜井駅へ向かいます。
桜井線は、1時間に2本しかないので、とにかく効率よく動くにはタクシーが一番。さすがに、法華寺から桜井までタクシーにしてしまうと、かなり高くなるので・・・奈良⇒桜井だけは電車で移動です。
次の目的地は、桜井の安倍文殊院です!こちらの安倍文殊院の文殊菩薩は、写真で見て、そのカッコよさにひとめぼれしたお方(こら〜!)なので・・・お会いするのがかなり楽しみ〜〜!続きま〜す。
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この旅行記へのコメント (7)
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- るなさん 2015/12/22 11:22:01
- 美仏
- こあひるお姉ちゃま、こんにちは。
そうそう、あまり連泊すると同じ朝食は飽きてくるよね(苦笑)
「在原業平が、平安時代の歌人だったことくらいは何とな〜く知っていましたが・・・平城天皇の孫で、お寺まで建立した人だったなんてことは初めて知りました。」
こんなん私も全然知りまへん(=_=)
この本堂の扉?襖?何と言ったらいいかわからんけど、とても美しい格子になってて建築美を魅せられますな。
お天気は良くなかったみたいだけど、こういうところは雨でも美しいわぁ〜境内を回るのは大変かもだけどね。
御朱印って書置きもしてあるの?
海王龍寺の仏像は渋みのある色が施されててまさに麗しの仏像だね。頭にいっぱい顔が乗っるのが怖いけど(笑)
欧州で教会巡りやタイで寺院巡りもしたけど、日本ではこういったお寺巡りはしたことないかも。鎌倉とかでちょっとはあるけど、ここまで仏像に萌え萌えしながらはないなぁ〜まっそんなに仏像に萌えることもない私なんですが(;'∀')
るなっちょ
- こあひるさん からの返信 2015/12/23 14:03:31
- RE: 美仏
- るなっちょ、こんちは!
いよいよ暮れも迫ってきて・・・年末の旅行まで1週間を切っちゃった〜。特に準備する気合いもないから、パスポートとお金さえあれば・・・って感じなのだけど(←アジアだと国内旅行感覚・・)。
るなっちょも準備できた・・・?
奈良の旅行記を作っていると、知らなかったことばかりで、いまさらながら勉強できてなかなか楽しい。歴史に疎い私も、以前より少しは知識がついてきたかも・・・といっても、すぐ忘れちゃう記憶力のなさ・・・。旅行記を作りながら調べるので(前もって調べていかないのがずぼらな私のスタイル・・・)、作のに時間かかっちゃって・・・もう。
御朱印は、すごく混雑するような(団体さんがくるような)お寺や神社で書き置きしてあるところはあるけど、基本的にはその場で書いてくれるかな〜。不退寺はきっと、書く人がひとりしかいなくて、不在のことがあるから、書き置きをしてあるんじゃないかな〜と思う。まぁ私の場合、そこにそんなにこだわりないから、どっちでもいいんだけどね・・・仏像さえ見れれば・・・。書き置きの文字のほうが美しかったりすることもあるし(笑)。
タイや中国などの寺院巡りもちょっと興味あるけど、日本と違う建物には惹かれるものの・・・仏像には全く萌える要素がなさそう(笑)。海外に行ったら、仏像より建物に萌えるんだろうな。
こあひる
-
- はなかみno王子さん 2015/12/21 21:58:04
- ようこそーー。
- こあひるさま
ようこそ、私の生まれ育った奈良へおいでくださいました。
海龍王寺、法華寺は広い平城宮跡を挟んでおうじの育った家のすぐ近くです。
既にその家はありませんが何時も奈良は故郷のように慕ってます。
そんな大好きな奈良を歩いていただけて嬉しく思ってます。
是非、何度もどうぞーー。
おうじ
- こあひるさん からの返信 2015/12/22 12:16:54
- RE: ようこそーー。
- > こあひるさま
>
> ようこそ、私の生まれ育った奈良へおいでくださいました。
> 海龍王寺、法華寺は広い平城宮跡を挟んでおうじの育った家のすぐ近くです。
> 既にその家はありませんが何時も奈良は故郷のように慕ってます。
> そんな大好きな奈良を歩いていただけて嬉しく思ってます。
> 是非、何度もどうぞーー。
>
> おうじ
おうじさま
あら?さっき返信したんですが消えちゃいました〜〜('Д')???
おうじの子供時代、あのあたりに住んでいたなんて身近に感じますね〜〜!あのあたりも昔とは変わったんでしょうね。
奈良、まだまだ極めたいです!
こあひる
-
- aoitomoさん 2015/12/21 18:30:43
- 美仏集合!
- こあひるさん
『不退寺』
聖観音菩薩立像、大きなリボンのついた宝冠帯が印象的です。
復元すると艶めかしい観音像にということで、私もCG復元を思わず期待してしまいました。
もとの艶めかしい観音像を想像して仏像を身近に感じることが、仏像を楽しむコツかな〜とも思えてきました。
『舟形割竹くり貫き石棺』
農民らの砥石として鎌を研いだりして役立っていたとは面白い話です。
そんな、いい石だったのでしょうね〜
『海龍王寺』
御本尊の十一面観音菩薩立像は昭和28年まで秘仏だっただけにお顔もツルピカで美しいです。
チラシにもなっているのが面白い。
女性のファッション雑誌の表紙になっても違和感ないかも〜
玄ぼうさんはここでも御活躍ですね〜
『法華寺』
十一面観世音菩薩像、光背が串かつに見えたのは私だけか〜(こら!)←こあひるさんの真似
明皇后が蓮池をお渡りになっている姿だったのですね。
『法華寺=串かつ』で頭にインプットされました。(笑)
こちらも当初は美しい彩色で見る人を魅了していたのかも。
御開帳でなくても絵はがきを購入して御本尊の写真を入れてくれていると、旅行記も分かりやすいです。
aoitomo
- こあひるさん からの返信 2015/12/22 10:10:24
- RE: 美仏集合!
- aoitomさん、おはようございま〜す!
不退寺の業平観音、ぜひぜひ元のお姿を見てみたいですよね〜〜。白い仏像は、塑像なら見たことありますが、如来や観音さまでは見たことないですもの〜。どんなにあでやかで不思議なお姿だったことか・・・。
なぜ石棺がお寺の境内にわざわざ運ばれたのかよくわからないですが(笑)、庶民にとっては、遺跡の価値よりも、普段の生活がすべてだったんでしょうねぇ。
海龍王寺の観音さまは、鎌倉時代の慶派の仏像らしい・・・ほんとに垢ぬけて美しい仏さまでした。インパクトとしては業平観音のほうが強かったですが。
玄ぼう・・・聖武天皇・・・光明皇后・・・中興の叡尊・・・今回旅行記を作りながら、何度出てきたことか・・・。平安京以前の時代に触れると、このあたりの名前は必ず出てきちゃいますね〜。まだきちんと勉強していないので、とぎれとぎれのわずかな知識をくっつけながら・・・なのですが、この時代にはけっこう惹かれるなぁ〜。
串かつ大好きな私ですが、串かつとは連想しなかったな〜ぁ。弓矢がいっぱい刺さってるみたい(こら!)と思ったけど〜(笑)。蓮の蕾と葉っぱだということは、説明を読むまで気付かなかったし・・・。こちらの観音さまは、顔の一部に彩色されていますが、もともと木肌を生かした素地仕上げだったみたいですよ。
絵はがきやパンフの写真を、勝手に使ってしまっていて、ちょっとうしろめたさもあるんですが・・・なにしろどこも撮影禁止なんで・・・自分の記録のために入れとかないと忘れちゃうんですよねぇ。すでに、この3つのお寺についても、御本尊のお姿は覚えていますが、ほかの仏像がどんなだったか・・・もう忘れちゃっていますから・・・。
こあひる
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