2015/10/29 - 2015/11/03
42位(同エリア927件中)
こあひるさん
飛鳥京の中心地にあるスポットを楽しんだあと・・・寄ろうかどうしようか前もって決めていなかった岡寺へも行ってみることにした。
時間は正午をとっくにまわっている。
お寺の参拝時間や暗くなってくる時間、そしてレンタサイクルの返却時間(17時)を考えると、そうそうのんびりしているわけにはいかない。
肝心の橘寺(聖徳太子生誕の地とされている)にも余裕をもっていかなければならないし・・・先を急ごう!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
飛鳥寺から続く通りをスイスイと飛ばす・・・と思っても・・・写真を撮りたくなって自転車をとめて・・・流れが中断することしばしば。
岡寺の方へ近づいてくるに従い、家やお店が多く活気が感じられるようになり、道もキレイなタイル敷きに変わりました。歩いている人も多くなった感じ。 -
12:20頃・・・岡寺へと向かう参道の入口・・・通りに面した鳥居のところにやってきました。
この鳥居は、岡寺までの参道途中にある治田神社のものです。 -
鳥居をくぐると・・・緩やかながらも・・・じりじりと上り坂になっています。普通の人なら、自転車こいでいくんでしょうが・・・体力も筋力も衰えまくっている私には、こんなゆるゆる坂ですら、自転車では耐えきれず・・・鳥居から・・・自転車を押しながらの徒歩です(爆)。
岡寺までは500mほどありました(あまり距離を知らずに行ったので、かなり遠く感じました・・・)。 -
途中にあった岡本寺。真言宗豊山派のお寺のようです。
飛鳥時代、舒明天皇の岡本宮といわれる旧蹟を伽藍として「岡本寺」としたとも伝えられ、現在の本堂は昭和63年(1988)に修復されたものらしいです。
ご本尊・如意輪観世音菩薩は、子安観音として安産、良縁等にご利益があるとされています。 -
岡寺と関係あるのかなぁ・・・?同じ宗派だし・・・かつての塔頭寺院だったとか・・・?
時間も体力もギリギリなので、寄らずに先へ進みます。 -
だんだん坂の角度が・・・増してきたような・・・。
途中、県道が高架になって、頭の上を横切っていくあたりに駐輪場があり、そこに停めて歩いていくことになります。どっちにしろ、ずっと自転車押して歩いてたからね(笑)。 -
鳥居から歩くこと十数分・・・お〜〜!!ついに岡寺の三重宝塔が見えました〜ぁ!でも、だいぶ上にあるんだわ〜〜(;O;)・・・まだ上んなきゃいかんのか・・・。
この塔が見える辺りからは、下りでは転げるんじゃないかと思うくらい、急な坂道になります。ひどい仕打ち・・・(;'∀')。 -
息も絶え絶えになって・・・門がやっと見えたあたりでは・・・奥之院には行かずに、本堂辺りだけでいいや・・・もう体力が尽きた・・・と思いました。
岡寺・・・正式名は「東光山真珠院 龍蓋寺」といいます。
天智天皇2年(663)、草壁皇子(若くして亡くなった)が住んでいた岡の宮を仏教道場に改め、当時の仏教の指導者であった義淵僧正に下賜されたのが始まりと言われています。義淵僧正は、幼少の頃、観音さまの申し子だとして、天智天皇に引き取られ、岡の宮で草壁皇子とともに育てられたいう伝説もあるそうです。
義淵僧正は、東大寺のもとを開いた良弁僧正や、菩薩と仰がれた行基など、奈良時代の仏教を興隆した多くの先駆者の師として知られています。
義淵僧正は法相宗の祖です。江戸時代までは法相宗興福寺の末寺であったので、興福寺から別当(住職)を選出しており、室町時代には、興福寺別当が岡寺別当を兼務していました。江戸時代以降は長谷寺の末寺(真言宗豊山派)となり、今日に至っています。 -
参拝料を払って・・・仁王門へ。
仁王門は、慶長17年(1612)に建立されたもの。
昭和42年から同43年にかけて行われた大規模な解体修理時の調査で、この仁王門は、ほとんどの部材に古材を転用、あるいは作り替えられて使用されている事が判明しました。
これらの古材は、文明4年(1472)に大風で倒壊し、翌年に再建に着手したものの完成にいたらなかった「塔」のものであると思われます。四隅上にはそれぞれ阿獅子・吽獅子・龍・虎の彫刻が装飾されています。 -
阿形。
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吽形。
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仁王門を入ると、手水舎と・・・石垣に囲まれたようなお庭みたいな感じ。
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石垣の上には、まるで旅館のような立派な建物が見えます。こちらは、書院や庫裡らしいです。
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本堂などの建物は、さらに階段を上がったところにあるんです。あ〜あ・・・上りは終わった・・・と喜んでたけど、まだ・・・上るんだねぇ・・・。
階段の途中から、下方を眺められる方向を見渡すと・・・ -
だいぶ上ってきたんだ〜と実感!
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階段の途中で、書院の方を・・・。
それにしても、イメージしていたよりも、大きなお寺だなぁ。 -
このお寺の境内には、3000株ほどのシャクナゲが植えられ、GW頃、とっても美しいみたい・・・!
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ふ〜ぅ・・!!!岡寺に来て・・・ほぼ体力は使い果たしたな・・・。
鐘楼と・・・その向こうは、休憩所と納札所。
鐘楼の正確な建立年代は不明ですが、梵鐘には文化5年(1808)と刻まれており、建築様式などから、本堂と同時期に再建されたものと考えられています。
鐘の中央付近に7つの穴があいており、これは、戦時中、供出のため鐘の材質を調べる為にあけられた穴の跡なんだそうです。当時、全国の寺院でもそうだったように、この鐘も供出の運命にありました。しかし幸運にも供出の難から逃れられ、現在もその音色を明日香に響かす事が出来ています。
自由に撞いていいようです。 -
鐘楼の向かいにある開山堂。
多武峰妙楽寺(現・談山神社)より移築されたお堂で、元は護摩堂であったと伝わっています。移築の際、屋根の形状が桧皮ぶきから瓦葺きに変更された影響で、お堂自体にかなりの負担がかかり痛んでいたので、その負担を無くし、なおかつ元の形状に戻す為、平成16年よりおよそ2年をかけ解体修理を行い、現在は元の姿に戻っています。
解体修理では、建立年代と思われる「寛政9年」の墨書きが発見され、また移築当時の棟札も発見され、明治4年に当寺に移築されたことが明らかになりました。その前年の明治3年には、廃仏毀釈の運動が吹き荒れていたことから、その影響で岡寺に移築されたと考えられています。 -
開いた扉のところがガラス張りになっています。
かなりの反射ですが・・・開山堂のご本尊・阿弥陀如来と・・・向かって右に観音菩薩、向かって左に勢至菩薩が安置されています。江戸時代の仏像のようです。 -
観音菩薩。
個人的には、阿弥陀三尊のときの観音菩薩に、好きだわ〜と感じることが多いのですが(こら!馴れ馴れしい!)・・・こちらの観音菩薩と勢至菩薩は・・・区別がつきにくいなぁ・・・。 -
勢至菩薩。
よく見えんわ・・。 -
開山堂の隣には、本堂。
現在の本堂は、棟札などから、文化2年(1805)の上棟で、完成までに30年以上かかった事が判明しています。 -
-
本堂内部は撮影禁止ですので・・・入り口の軒下を・・・。
御朱印やお守りなどはこちらで。 -
購入した絵はがきを写しました。こちらが、ご本尊の如意輪観音坐像です。
高さ4・85mもある、奈良時代の塑像(粘土で造られたもの)です。日本最大の塑像であり、如意輪観音像としては日本最古の塑像だそうです。塑像は、主に奈良時代に多く造られました。
現在は、左脚の下方が切りつめられて結跏趺坐の姿をしていますが、本来は、左足を踏み下げた半跏像であったと思われています。
寺伝によると、弘法大師が日本・中国・インド三国の土を以って造られ、それまでご本尊とされた金銅の如意輪観世音菩薩半跏思惟像を、塑像の胎内に納めたと伝わっています。その体内仏は、現在、京都国立博物館に寄託中で、岡寺にはご分身の像が安置されています。
如意輪観音の姿といえば、六臂(六本の手)で、片膝を立てて思惟する像が多いのですが、それは、平安時代以後、密教の流入に伴って流布した姿であると言われており、二臂(二本の手)の姿は大変珍しく、西国三十三所観音霊場でも、岡寺と第十三番札所石山寺の御本尊だけだそうです。
本堂に入ると・・・とにかく大きい〜!!です! -
本堂の参拝のみで、奥之院へは体力的に無理・・・と諦めていたので、本堂にかかわるご朱印だけ頂きました。
ご本像の脇侍に、不動明王と愛染明王がいらっしゃいました(ともに江戸時代の仏像)。 -
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境内案内図がありました。
これを見ると、奥之院までそんなに遠くないのかな・・・?と、行ってみる気になってきました。 -
龍蓋池。
この寺近くに農地を荒らす悪龍がいました。優れた法力を持つ義淵僧正は、その悪龍を、法力によって小池に封じ込め、大石で蓋をしました。この伝説が、岡寺の正式名称「龍蓋(りゅうがい)寺」の原点となっており、その池が、境内にあるこの池で、「龍蓋池」と呼ばれています。
こうした伝説は「災いを取り除く」信仰に発展、それまでの観音信仰に厄除け信仰が加わり、岡寺は、日本最初の厄除け霊場となりました。 -
よし!奥之院にも行くぞ!・・・と決め、疲労した体にムチ打って・・・上りま〜す。まずは鳥居があるので・・・それをくぐって進みます。
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道の右手斜面の上の方には十三重石塔。
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このあたりにはシャクナゲが特にたくさん植えられているようです。
ゆるやかな段々を上ります。 -
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まもなく「瑠璃井」(るり井)と呼ばれる井戸がありました。
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弘法大師ゆかりの厄除けの涌き水だそうです。今でも湧き出ているものの、飲めないそうです。
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周りに、石仏など色々あります。
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修行大師像。
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仏足石も。
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瑠璃井から更に奥へ進むと・・・まもなく稲荷社が見えました。
奥之院全体は、想像していたほど広くなく、さほど急坂でもなかったので・・・諦めずに目指してよかったです。拍子抜けするくらい短い距離でした。 -
鎮守の稲荷明神社(如意稲荷社)。
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石仏がポツンポツンと、あちこちに見られます。
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苔をまとっています。
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稲荷社の右奥へ少し上ったところに「弥勒の窟」といわれる石窟堂があります。
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石窟の奥には、弥勒菩薩坐像が安置されています。
入り口付近に立ってる時には真っ暗なんですが、ある程度中へ入って・・・弥勒菩薩に近づくと・・・自動で灯りが点ります。
でもちょっと離れて、このあたりの位置から撮ろうとすると、すぐに消灯してしまうので・・・バカみたいに、行ったり来たりしちゃいました(笑)。 -
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弥勒の窟から、山の斜面に沿うように造られている細い山道を歩いていくと・・・
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歴代墓所。
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さきほど下から眺めた十三重石塔。
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細い山道をそのまま進むと、三重宝塔の方へ出るようですが・・・その前に、いったん来た道を引き返し・・・もう一度本堂に行って、参拝した石窟の弥勒菩薩のご朱印も頂きました。
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書院の前方・・・開山堂の隣に建つ入母屋造の楼門。
古くは内部に鐘を吊っていた鐘楼門だったそうです。
また、古い写真の残っている時代になると、2階部分に、現在本堂に陳列している、平安時代作の兜跋毘沙門天が祀られていたようです。
建立年代は、仁王門に転用されている古材と同種の痕跡をもつ部材が多く使われている事から、この楼門も仁王門と同様に、慶長年間(1596〜1615)頃の建立と考えられています。 -
境内で少し高台になったところにある大師堂。昭和の始めの建立。
お堂の前に「稚児大師像」と、四国の地を巡り修行していた頃の「修行大師像」がいらっしゃいます。 -
ご本尊の弘法大師像。
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ちょっと高い所から見た仁王門。
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大師堂あたりから眺めた境内。山の木々の中にひっそりと・・・といった風情です。
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そして、大師堂からさらに上がったところには三重宝塔。
古来、三重宝塔は、旧境内地(現・治田神社境内)に建っていましたが、文明4年(1472)の大風により倒壊してしまいました。
翌年から再建をしようと勧進が進められましたが、結局完成をみず、やがて解体転用されることになりました(現、仁王門・楼門の部材に転用された)。
創建当時の塔についての詳細は分かっていませんが、鎌倉時代初期、岡寺に三重塔があったことが「諸寺建立次第」によって明らかにされています。
その後も復興される事なく長い月日が経ちましたが、昭和59年の弘法大師1150年御遠忌を契機に復興に着手、昭和61年に、514年ぶりに再建されました。
そして平成6年より三重宝塔の扉絵・壁画・琴などの作成に着手し、平成13年に完成。
特に、軒先に吊るされた琴は、全国的に見ても復元されている例はなく、珍しい荘厳となっています。
琴・・・? -
琴・・・?
そういうものが吊るされていることを知らなかったので(いつもながら今知りました)・・・後からPCで見てみたら・・・確かに風鐸とともに、細長い板のようなものが吊るされているのがわかりました。
知ってればもっとちゃんと見たのにねぇ。彫りの飾りや琴線もついているようです。こんなの見たことないですね〜。
音が鳴るわけではないようですが・・・?? -
言われてみて初めて気づいた軒先の琴にも注目です。
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三重宝塔のある高台からは、この眺め〜〜!(^^)!!!
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三重宝塔のある高台から境内の眺め。
岡寺
http://www.okadera3307.com/index.html -
さて・・・もう13:50です。
帰りは下り坂オンリーなので、すっごく楽ちんで嬉しい〜〜!行きに苦しいと、その分帰りは楽だ・・・とこれほど実感して嬉しかったことはあんまりない・・・。
この石段の上に、かつて岡寺の境内だった治田神社があるようです。
残り時間も多いとはいえないし、岡寺で体力・元気を消耗し尽くした感が強く・・・この先のプランをちょっと端折らなくては・・・。 -
下りは自転車でだ〜っと走り抜けます!スピードが出すぎちゃって危ないので、ブレーキをずっとかけながら・・・。
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飛鳥寺から続く通りに戻りました。次に向かうのは「石舞台古墳」。
道なりに進めばいいだけだし、道標も多くあるので、迷うことはありません。 -
このあたりは、飛鳥寺のあたりに比べると、お店も多いし、観光客も多くてかなり賑やかな雰囲気。
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県道155号に出ると、道幅も広くなり、車も人もぐっと増えて・・・観光地〜〜!!って雰囲気がかなり強くなりました。
石舞台古墳があって、駐車場も集まっており、明日香の夢市という店舗&レストランがあったりして・・・団体さんも個人観光客も、必ず訪れるスポットのようになっています。
石舞台古墳の周りは、国営飛鳥歴史公園となっており、キレイに整備されています。 -
近くの駐輪場に自転車を停め・・・石舞台古墳の入口にやってきました。
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石舞台古墳。
巨石を積んだ石室が露出した墳墓です。7世紀初めに築造されました。
本来は、すべて盛り土に埋もれていたのですが、早い時期に盛り土が剥がされ、巨大な横穴式石室がむき出しになってしまったものです。国営飛鳥歴史公園 公園・植物園
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石室内に入れる・・・ということですが・・・どこからかな・・・?
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あ、ここからなんですね〜。数段の段を降りていきます。
石室が出来上がったら、盛り土で埋め、最後に、この横の通路から石棺を運び入れ、その出入口や通路も埋めました。 -
通路、けっこう長いですね。
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石室の内部はかなり広いです。
誰の墳墓だったかについては、蘇我馬子のものではないかという説が有力なようです。 -
長さ約7・8m、幅約3・4m、高さ約4.8mの巨石を積んだ石室です。30個ほどの岩石でできており、総重量は2300トンにもなるそうです。
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石室内からは、凝灰岩片が出土していることから、家形石棺が安置されていたものと推定されています。
しかしながら・・・石棺はもちろん、副葬品など何も残ってなかった・・・ってことなんですねぇ。 -
石舞台古墳がどのように造られたのか・・・こんな説明板がありました。
役場明日香村が製作した動画で、わかりやすく説明してくれているので、貼っておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=CRooOSmVByg -
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先ほどと反対側から眺めてみました。一応お墓だから・・・お花を供えてるあたり・・・日本人らしいですね。
石舞台古墳の名前は、むき出しになった天井石の上で、女に化けた狐が舞った・・・とか、旅回りの芸人が舞台代わりにした・・・とかいう説からきているようです。 -
子どもにとっては、単にあそび場。
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昭和8年から実施された調査では、1辺約55mの日本最大級の方墳または上円下方墳で、周囲には濠と外堤が巡らされており、墳丘と外堤の斜面には、貼石が施されていることが明らかになりました。
現在は、1段目の墳丘と周りの濠が再現されています。
さて・・・14:15になりました〜。
プランでは、このあと祝戸地区の方へサイクリングして、ちょこっと棚田の風景を眺めてから、橘寺へ向かうつもりだったのですが、けっこうな距離を回り道することになり、また、山に入りこんでいく道だと思うので、上り坂続きになってしまってキツ過ぎるので・・・体力的にも時間的にも今日は無理だ・・・と思い、今回はそれを諦めて、橘寺へ向かうことにします。
続きま〜す!
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この旅行記へのコメント (2)
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- aoitomoさん 2015/11/23 15:35:57
- 壮大なロマンを感じる石舞台古墳!
- こあひるさん
『開山堂』
ご本尊・阿弥陀如来に観音菩薩と勢至菩薩。
見事に金で目映いですが、ガラス張りなんですね。
顔のところは反射を避けて綺麗に見えてます。
ガラス張りは難儀しますね。
反射はPLフィルター被せて、斜めから撮ると反射が消せる時もありますが、
もっと見やすくしてほしいものですね。
『本堂』
ご本尊の如意輪観音坐像、ここは絵はがきがあるのは助かります。
京都国立博物館の金銅の如意輪観世音菩薩半跏思惟像ネットで見てみました。実物も見てみたいです。
『奥之院』
苔生した場所も多くフォトジェニックな場所ですね。
色々な被写体に巡り会えそうです。
弘法大師の像もさすが多いですね。
『石窟堂』
回りが暗くて分かりにくいですが、雰囲気は分かります。
自動で灯りが点ったりすると私はビビリます。(笑)
この写真を撮るために、行ったり来たりと・・
静かなお顔の弥勒菩薩坐像です。
『大師堂』
ご本尊の弘法大師像よく写ってますよね。
少し若い頃のお顔な感じです。
高野山では、霊宝館のレプリカぐらいしか弘法大師像を見ることができません。
『三重宝塔』
軒先に吊るされた琴はびっくり、どんな目的があるのですかね〜
私も初めて気付きました。
『石舞台古墳』
日本版ストーンヘンジというか、ピラミッドというか凄いものが残っているのですね〜
土が取り除かれてからは、石舞台として使われていたのも、分かりましたが、もっとかっこいい名前を付けてあげたいものです。(笑)
動画も見ました。
あながち、ミニピラミッド造りのようです。
疾うの昔に掘り返されてしまったようで蘇我馬子の墓かもということですね。
ここにも謎が眠っているのですね〜
aoitomo
- こあひるさん からの返信 2015/11/24 10:12:40
- RE: 壮大なロマンを感じる石舞台古墳!
- aoitomoさん、おはようございま〜す!!
ガラス張りは、ほんとに見づらくて・・・室内ならば反射も少ないのでしょうけれどねぇ・・・外の景色がバッチリ写りこんじゃって・・・(笑)。仏像が撮影できるとはあまり考えていなかったのですが、PLフィルターを持って行ったとしても・・・斜めからじゃないと反射が消せないんじゃ、いまいち役に立たなさそうですね〜。ああいう感じに安置しているところは、見せるが目的でなく、参拝して頂く・・が目的だから(←どこでも本来そうですね・・・笑)、お姿がちょっとでも見えれば有難いでしょ・・・って感じがしますねぇ。じっくり近くで見てほしければ、別の形で安置するでしょうからねぇ・・・。
岡寺のご本尊は、ほんとにデカくて、お〜〜ぉ!!っていう迫力でした。近くで見ると全体像がよくわかりません(東大寺の大仏のよう)。塑像でこんなに大きいのもすごいです。色が白っぽくて独特の雰囲気でした。今回は、絵はがきやパンフレットを必ず買うようにしたので、自分の記録として、自らの旅行記が今後、きっと役に立つでしょう〜(笑)。でもお金がすっごくかかりまして・・・旅行後に超ビックリ!ショック!!でしたが。
奥之院は、最初は行くのをやめとこう・・・とあきらめていたのですが、石窟の弥勒を含めフォトジェニクなものがたくさんあって、神秘的な空気もあり・・・なかなか良かったです。
三重宝塔の琴をじっくり見てこなかったのがちょっと惜しいです〜〜。現地で塔を見ているときには全く気付きませんでした・・・。琴(こと)でなく琴(きん)っていう楽器なのかもしれません。正倉院の宝物の本を今見ていて・・・時代的に、琴(きん)なのかも・・・と思いました。どっちにしろ、何のために吊り下げられているのか・・・復元しているのは珍しいとあるので、この時代、ほかの塔でも、こういう飾りがあったものなのか・・・など、勉強不足でわかりません。
石舞台古墳は、今は野原の真ん中・・・みたいな感じのところにあるので、ほんと、ストーンヘンジ(行ったことはないですけど)みたいですね〜。まぁ、ほんとは土に埋められてあるべきものなのですけれど・・・。馬子の墓だったとしたら・・・副葬品などほんとに豪華だったんだろうなぁ・・・。
明日香はほんとに楽しい謎が多くて・・・魅力あふれるところだ〜とつくづく思いました。
こあひる
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