2015/10/29 - 2015/11/03
35位(同エリア928件中)
こあひるさん
明日香村サイクリングで巡るスポットの中で、私にとって絶対に外せない場所・・・それが飛鳥寺と橘寺である。
色々寄り道しながら・・・やっとひとつめのメイン目的・・・飛鳥寺までやって来た。
飛鳥寺は、蘇我馬子が596年に建立した日本初の本格的寺院。
現在、往時の大伽藍は残っていないが、安置されている飛鳥大仏(釈迦如来坐像)だけは、創建時からず~っと同じ場所に座っている。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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飛鳥寺に到着〜〜!
おや、意外に団体の参拝者がいっぱいで驚き〜〜!今日は土曜日・・・ってこともあるのかもしれない。
・・・と、境内に入る前に、お寺の横のひまわり畑が目に入っちゃって・・・。もう萎れちゃってるけど・・・想定外の風景に気分が高まっちゃう! -
コスモスならぬ・・・ひまわりと飛鳥寺・・・ってひまわり、元気なさ過ぎ〜〜(笑)!!秋のはずの季節感が・・・変・・・(;'∀')・・・。
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お寺の前の住宅街を通る道が、今やってきた道。
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飛鳥寺は、崇峻天皇元年(588)に蘇我馬子が発願し、推古天皇4年(596)に創建された日本最初の本格的寺院であり、寺名を法興寺あるいは元興寺、飛鳥寺とも呼ばれました。
昭和31年の発掘調査により、創建時の寺は、塔を中心に三方に金堂を置き、その周りに回廊を巡らせ、南側に中門・南門、回廊の北側には講堂があったことがわかりました。
寺域は、南北290m、東西200〜250mの規模を持つ、日本最初の本格的寺院でした。
その造営に際しては、多くの博士・工人が朝鮮半島から渡来してあたったと伝えられています。
本尊・飛鳥大仏(釈迦如来坐像)は、推古天皇17年(609)、天皇が詔して、鞍作鳥(止利仏師)に作らせた、日本最古の仏像です。
以後、飛鳥寺は、大化改新や天皇の病気平癒など、飛鳥時代を通じて、飛鳥における中心的な役割を果たしました。
また、聖徳太子の仏教の師である、高句麗の僧・恵慈(えじ)と百済の僧・恵聡(えそう)は、飛鳥寺の法要の責任者としてここに住みました。
平城京遷都の後、養老2年(718)に飛鳥寺も移され、元興寺(奈良市)となりましたが、伽藍の中心部はそのまま旧地に残され、本元興寺と呼ばれました。これが現在の飛鳥寺です。
しかしながら旧伽藍は、仁和3年(887)と建久7年(1196)の火災よって焼失し、室町以降には荒廃しました。
寛永9年(1632)と文政9年(1826)に、昔の中金堂跡に安居院と呼ばれる現在の本堂が再建されました。
現在は真言宗豊山派に属し、新西国第9番、聖徳太子第11番の霊場でもあります。 -
門の前に、飛鳥大仏の標石。
江戸時代の寛政4年(1792)、飛鳥寺参拝の道しるべとして彫刻された文字で、台座は飛鳥寺創建時の礎石を用いています。 -
本堂内にあった旧伽藍復元図。こうして絵にしてくれると、とってもわかりやすいですね。
瓦葺きの金堂や講堂、五重塔などの大伽藍は、それまで日本で誰も見たことのない・・・驚くべき壮麗なものだったに違いありません。
創建時当初の飛鳥寺は、仏教の拠点というだけでなく、外国使節の饗宴や、朝廷人の遊興が催されるなど、政治・文化の総合センター的な役割も担っていました。
大化改新を起こした中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)が、最初に出会ったのが、ここで催された蹴鞠会だと伝えられています。
飛鳥寺と飛鳥大仏について、役場明日香村が製作した動画がありましたので、貼っておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=FLaZKv-N4QE -
日本初のお寺・・・と言われると、先ほどの豊浦の向原寺・・・蘇我稲目の邸に、聖明王からの仏像を安置した・・・というお話を思い出して、あれ?と思いましたが、あちらは本格的な寺院というわけではなかった・・・ということになるんでしょう。
向原寺(蘇我稲目の邸)の時に、疫病(疱瘡)が流行し、廃仏派の物部氏に、在来の神々の怒りであると奏上され、仏像は捨てられ、邸も焼かれました。その後、同様な出来事が再びありました。
しかし、蘇我馬子がついに物部氏を滅ぼし、誰はばかることなく本格的寺院を建てることができるようになったのです。 -
本堂脇の受付で参拝料を払い、本堂内へ入ることにします。
思っていたよりも、参拝客が多く(明日香村の中でも、ボランティアガイドツアーなんかが寄るスポットは、思ったより賑やかなようです)、想像していたよりも活気があっていい雰囲気です。小さなお寺なので売っていないと思っていたご朱印帳も(お寺オリジナルではないかもしれませんが)売っていましたし。 -
本堂を入ると・・・すぐに飛鳥大仏(釈迦如来坐像)がいらっしゃいました。
高さは約3mあります。
推古天皇13年(605)、天皇が、聖徳太子や蘇我馬子および各皇子と誓いを立てて発願し、推古天皇17年(609)に開眼供養されてから1400年余り・・・中世の火災によって損傷したり、荒廃して雨ざらしになりながらも・・・創建当時の位置から一度も動かされることはなく、今もってず〜〜っと元の位置にお座りになっていらっしゃるんです。 -
かつては、光背もあり、脇侍もいらしたようです。こうして完成形を見ると、法隆寺の釈迦三尊像と形状が似ています。
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完成当初は、まばゆい黄金色に輝いていたと言われています。
火災で黒焦げになりながら・・・また、長い歳月雨ざらしになりながらも、今日まで残りましたが、わずかに顔の上半分と、右手の指3本のみが創建時のもので、他は後世に修復されたものです。
それでも、面長の顔に杏仁形の目、アルカイックスマイルを浮かべ・・・飛鳥仏の特徴をとどめています。 -
発掘により、さまざまな部分を見つけて修理したところもあり、継ぎはぎのようなお顔の傷が痛々しく・・・長い歴史を物語るよう・・・。
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人が集まってくると、仏像などについての説明もしてくれます。
右から見るのと、左から見るのと、表情が違うんですって・・・。確か・・・向かって左側からだと優しいお顔・・・だったかな(←写真撮るのに夢中で、ちゃんと聞いてなかった・・・)。 -
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向かって右からは、やや厳しいお顔・・・だっけな?
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このお寺・・・どんどんお写真撮っていいですから!って。撮影OKって情報は持っていたけど、ここまであっけらかんと勧めるのも珍しいよね〜。
しかも、双眼鏡もお貸ししますのでよく見てください・・・って、こんなに明るい堂内で、こんなに大きな仏像で、こんなに近づいてじっくり見れるのに、双眼鏡要らんでしょ・・・?一応、ちょっと借りて覗いて見たけど、近すぎてかえって見づらかったわ〜(笑)。 -
銅15トン、黄金30キログラムを用いて造られたそうです。
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飛鳥大仏の脇に安置されている、藤原時代の阿弥陀如来坐像(木造)。
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飛鳥大仏の脇に安置されている、藤原時代の聖徳太子孝養像(木造)。
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珍しく色のない、シンプルな曼荼羅。
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団体さんが飛鳥大仏の前でお話を聞いているうちに・・・誰も来ないうちに、本堂の内陣脇から、後方の廊下伝いに進みます。
中庭に、色々な石灯籠などが置かれています。飛鳥時代に関係するものはあんまりないのかな。 -
南北朝時代の飛鳥寺形石灯籠。
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室町時代の宝篋印塔。
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江戸時代の道標。
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昭和31年からの発掘の写真。かつて大伽藍だった場所・・・今では田んぼや民家となっている様子がわかります。
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創建時の飛鳥寺の瓦なども発掘されているのですね〜。
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時空を超えて・・・色々想像していると・・・何だか気が遠くなる・・・。
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鬼瓦の一部も。五重塔焼失時の壁と炭まであります。
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藤原時代の深沙大将。
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藤原時代の勢至菩薩。
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今は失われた、飛鳥大仏の光背の破片だそうです。よく光背ってわかったなぁ〜〜。
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光背の破片は、この図で、飛鳥大仏の頭の上・・・赤丸の部分だそう。
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室町時代の不動明王。
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展示物を見学しながら進むと・・・本堂の脇から外に出ました。そういえば、団体さん、展示物の方までは来なかったみたい・・・。一人で静かに見学できました。
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本堂の正面。この扉の向こう側に、ちょうど飛鳥大仏がこちらを向いてすわっていらっしゃいます。
本堂への参拝は、写真右側の脇から入ります。 -
本堂の前に見られる、創建当初の金堂礎石。
現在の本堂は、かつての中金堂の位置に建てられています。 -
感慨深いです・・・。
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小さな池もあります。
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思惟殿。
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思惟殿の中には、聖観音像(昭和時代)。
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かなり個性的・・・。
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鐘楼。撞くこともできます。
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地蔵堂。
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飛鳥寺ご朱印。
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さて、飛鳥寺の西側にある門から出て・・・広がる田んぼの中に整備された道を進むと・・・(団体さんがたくさん歩いているのでわかります)
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この田んぼのあたりも、かつては飛鳥寺の境内だったはず。
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西門跡があります。発掘した遺構はおそらくこの下に埋まっていると思われます。
西門は、礎石を置いて柱を建てた茅葺きの門でした。間口11・5m、奥行5・5mの大きさでした。門の西には塀があり、土管をつないだ上水道が埋まっていました。寺の四方にあった門の中で、この西門が最も大きいものです。寺の西に「槻(つき=ケヤキの古名)の木広場」があったからです。
この広場での蹴鞠会で出会った中大兄皇子と中臣鎌足は、大化改新(645年)のとき、飛鳥寺に陣をかまえ、西門から甘樫丘の蘇我入鹿・蝦夷の舘を睨んでいたのです。
また、672年の壬申の乱の時には、槻の木広場を軍隊が埋め尽くしました。
その後は、外国使節や遠方の使者を歓迎する宴会の場となり、噴水がおかれ、歌や踊りが満ち溢れました。そんな飛鳥の風景を、西門は見つめていたのですね。 -
こちらが発掘時の西門跡。
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団体さん(たぶんボランティアガイドさんと一緒に歩いてるグループ)が取り囲んでいたため・・・しばし待ち・・・やっといなくなってから・・・。
西門跡から数メートル先にある「蘇我入鹿の首塚」。槻の木広場は、このあたりにあったのではないかと言われています。
中大兄皇子に討ち取られた蘇我入鹿の首が、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)からここまで飛んできた・・・とか、襲ってきた首を供養するためにここに埋めた・・・とか言われています。五輪塔は、鎌倉時代ころに立てられたものらしいですが。 -
飛鳥寺のまわりは、今は田んぼが広がる長閑な風景ですが、かつては蘇我氏の立派なお屋敷が多くあったそう・・・。
飛鳥寺は蘇我氏の氏寺だったわけですが、蘇我氏が滅亡した後も、官寺に準じた扱いを受け、飛鳥三大寺のひとつとされ・・・藤原京時代には四大寺のひとつとされ、栄えました。 -
11時半をまわりました。
意外と甘樫丘で時間を食ってしまったような・・・(←その前の寄り道と迷子のせい・・?)。
再び自転車に乗り、次の目的地へ走り始めます。 -
飛鳥寺から少し南へ進んだあたりで、「飛鳥寺瓦窯」という説明板を見かけました。
昭和28年に、飛鳥寺の東南にある丘陵斜面で発見されました。現在、2基が確認されています。
瓦窯は、丘陵の裾に焚口を置き、岩盤中に燃焼室と階段状の焼成室、煙道を設けた登り窯。全長10・1m、幅1・5m、高さ90cmで、天井をアーチ型に削り出しています。窯の勾配は、22〜25度になっています。
出土する瓦が、飛鳥寺の瓦と同じであることから、飛鳥寺の瓦を焼いた窯であることが判明しています。
昨日見た、三井瓦窯と同じような構造です。 -
明日香瓦窯の位置。
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丘陵には入れないようなので(入りませんが・・・)・・・どのへんにあるのか・・・遺構を見られるのか・・・はわからないのですが・・・こんな雰囲気の場所です。
遺跡って、発掘して調査して、また埋めちゃうってパターンがけっこうあるんですねぇ。 -
さぁ、まだ先は長いぞ・・・急ごう!
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起伏もなく、走りやすい道です。
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飛鳥寺から4〜500mほどのところ・・・目指す「酒船石遺跡」があります。
ガイドブックでは、亀形石造物と酒船石という2つのスポットです。マップを見ると、通りのどこから入るのかな・・・とか、通りから入り込んだところなのかな・・・見過ごさないかな・・・などとちょっと心配していたのですが・・・通り沿いに看板があり、駐輪場もあってすぐにわかりました。
2つの石造物は、やや離れているのかと思っていたら、入り口としては一ヵ所から・・・のようです。
チケット売り場の右手階段を上がると、酒船石(こちらは無料)があり、左手に行くと亀形石造物(ことちらは有料)です。 -
まずは、有料の亀形石造物から見に行ってみます。
このあと見に行く酒船石は、伝・飛鳥板蓋宮跡の東方に位置する小高い丘陵にあり、日本書紀の中で、斉明天皇2年の条に記載のある「宮の東の山の石垣」にあたる遺跡です。酒船石は、ずっと以前から、その場所で、人々の目に触れてきました(発掘されたものではない)。
平成12年に行った発掘調査で、新たに、酒船石から北西約75mのところに、亀形石造物や小判形石造物が見つかったのです。ここは以前、県民グラウンドだったのですが、万葉文化館の駐車場用に道を造ることになり、7mほど掘り下げたところから、誰もが予想もしなかった遺構が発見されたわけです。
亀形石造物と小判形石造物は、石槽となっています。また、石槽を中心とした導水施設が造り出されていたこともわかりました。
その周囲には、石敷きが広がり、東側に階段状石垣、西側にも石垣などが見つかっています。
これらの遺構は、東西2つの尾根に挟まれた谷になっていて、周囲を囲む石垣や石敷きで閉ざされた人工的な空間であることや、水の流れを見て楽しむ構造でないことから、天皇祭祀にかかわる場所であったと推定されています。 -
この2つの石が発見された際には、丘の上にある酒船石(写真奥の木々が茂っている高台にあります)から水を引いていたのではないかと推測されたのですが、石槽のすぐ横から湧水施設が発見され、酒船石とは別の遺構ということが確認されました。
水の流れとしては、砂岩切石を積んで造られた湧水施設から、木樋を伝って、小判形石造物に溜まり、さらに小穴から流れ出た少量の水が、亀形石造物に入り貯まります。亀形石造物を通った水は、北へと延びる溝に排出されており、水源から排水までの一連の導水構造が解明されています。 -
小判形石造物は長さ1.65m、幅1mで深さ20cmの楕円形の水槽で、水が貯められるようになっており、排水口は亀の頭に繋がっています。小判形から亀形に流れる水の穴は、小判形の底下から8cmほど上にあり、不純物が沈殿し、綺麗な水だけが流れるように工夫されていたようです。
亀形石造物は花崗岩で作られており、全長約2.4m、幅約2mで頭や尻尾、足が造形されています。
明日香村教育委員会は、以前から知られている酒船石に加えて、平成12年(2000)の発掘で発見された、亀形石造物と小判形石造物および周辺の遺構も含めて「酒船石遺跡」と命名しています(ちょっと紛らわしくね?)。 -
亀形石造物は、花崗岩の石塊を亀の形に彫ったもので、手足が表現され、円形の甲羅部分は、幅19cmの縁を残して、直径1・25m、深さ20cmの水槽状に加工されています。
貯まった水は、V字型に彫りこまれた尻尾から溝に流す仕組みになっています。 -
階段状の石段や石垣、石敷きのテラスなどを見ることができます。
この施設は、斉明天皇期に造営され、何度か改修されながら、平安時代に廃絶されるまで、約250年間存続したことが判明しています。
私たちが見学できるのは、特に良好に遺存している7世紀後半に改修造営された部分のみのようです。この頃、亀形や小判形石造物が改修されています。 -
では、丘の上にある酒船石のほうへ上ってみましょう〜。
平成4年(1992)とと平成7年(1995)に行われた発掘調査で、実はこの丘全体が人工的に造成されたものであり、斜面に沿って積み上げた石垣が、裾部分から4層に構築されていることが判明しました。
削ったり盛ったりして、人工的に閉鎖的な空間を造成したのでしょうね。 -
まだかしら・・・?
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ハァハァ・・・まだ〜〜ぁ??
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竹やぶの中に現れた・・・酒船石。
石の長さは5・5m、幅2・3m、厚さ1mの花崗岩の石造物です。酒船石 名所・史跡
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こちら側から見ると、なんとも不可思議な形に彫られた模様。
平坦な面に円や楕円の浅いくぼみが掘られ、幅約10cmの直線状の溝で、それらのくぼみが結ばれています。 -
石の両側に欠損部分が見られ、石割りの工具跡が残っていることから、近世になって削られて、どこかへ運び出されたと考えられています。
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お酒を搾るため・・・油を作るため・・・薬を作るため・・・など色々な説があるようですが、何のために造られたのかはいまだにわかっていません。
この石の東40mのやや高い所で、ここへ水を引くための土管や石樋が見つかっています。
また、昭和10年(1985)、酒船石の南側で、酒船石の付属とみられる車石が16個発見されました。平坦に成形された幅40cm、長さ50cmほどの花崗岩の表面に、車の轍のように直線の溝が彫られているため、酒船石から流れ出た水を南側に導く施設に使われたとみられています。
これらのことから、酒船石は庭園の流水施設の一部だった・・・という説もあるようです。 酒船石遺跡全体が、斉明天皇の「両槻宮(ふたつきのみや)」ではないかという推定もあるので、宮の庭園施設のひとつだった・・・という説になんとなく納得できるものがあります。 -
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さらに奥の方へ道は続きますが・・・なんだか行ってみたくなっちゃう。
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果物畑のようです。誰かの私有地のようです。
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正午を周りました。
次に岡寺を目指すのですが・・・マップを見て描いたイメージと、実際に訪れて知る位置情報とで・・・場所の位置関係や距離感にギャップを生じることが、ここ明日香村サイクリングでは何度かありました。
岡寺を目指して走っていたら、予定のスポット「伝・飛鳥板蓋宮跡(いたぶきのみやあと)」の道標を何度か見かけたので・・・そちらへ先に行ったほうが近いのかしら・・・と思い、車通りから逸れて・・・道標通り、田んぼ道へ入りこんでみることにしました。 -
田んぼの中の集落に入ると・・・「伝・飛鳥板蓋宮跡」がありました。
ここには、4つの宮跡(古いものから順に、飛鳥岡本宮(630〜636年、舒明天皇)、飛鳥板蓋宮(643〜645年、皇極天皇)、後飛鳥岡本宮(656〜660年、斉明天皇)、飛鳥浄御原宮(672〜694年、天武天皇・持統天皇))が重なって埋もれています。
現在、復元整備されている石敷広場や大井戸跡は、上層の飛鳥浄御原宮の一部です。
これ以前の時代には、天皇ごとに場所を移して宮が造られていました、6世紀末頃から、歴代の天皇は、飛鳥盆地のなかに宮を造営するするようになり、中国・朝鮮の影響を受けた政治制度・機構の改革を進めました。
その過程である645年、ここ皇極天皇の板蓋宮で、中大兄皇子らによって蘇我入鹿が暗殺され、大化の改新につながりました。
先ほど見た蘇我入鹿の首塚(ここから600mほど離れている)まで、首が飛んだという伝説があります。飛鳥宮跡(伝飛鳥板蓋宮跡) 名所・史跡
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推古天皇から持統天皇に至る7世紀の約100年間、飛鳥地方には、歴代天皇の宮が次々と造営されましたが、その遺跡はどれもまだ確認されていません。
そのうち皇極天皇の飛鳥板蓋宮については、この付近とする伝承があり、昭和34年以来、発掘調査が続けられてきました。
その結果、掘立柱列で囲まれた東西約156m、南北197mの長方形の区画(内郭)と、その南側半分に、中軸線上に位置する5間x2間の門と、7間x4間の建物・・・北半分に、ここに復元したような高床式の大きな建物や大井戸など多くの遺構が検出されました。
また、内郭の東南に接しては、9間x5間の大規模な掘立柱建物(飛鳥エビノコ大殿と仮称)を中心とする一区画があり、さらに東の県道沿いには、これらの遺構を囲む外郭の柱列や石溝が南北に続いていることも明らかになりました。
建物はすべて掘立柱で、周囲に石敷きがあり、木簡や土器などの出土遺物から、板蓋宮より新しい7世紀末ころの宮殿遺跡と推定されますが、下層にも遺構があり、いずれの宮であるかは、なお今後の調査を待たなければなりません。
(説明板より)
こちらの石敷きの真ん中が大井戸跡のようです。 -
こちらが高床式の建物だったところでしょうか。
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何が何なのか・・・それぞれ簡単な表示があるといいのにね・・・何が何なのか全くわかりません。
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回廊跡・・・?
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復元されている場所より、遺構はもっと広い範囲に及んでいるのでしょう。多くの建物が建っていたんでしょうねぇ・・・。
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今では・・・周りはのどかな田園風景。
正午をまわりました。
お寺の参拝時間や、暗くなってくる時間を考えると、あと4時間くらいで、予定のスポットを周らなくては・・・周り切れるかなぁ・・・。
行こうか行くまいか・・・その時の状況や気分によって・・・どちらでもいいと考えていた岡寺(かなりの上り坂っぽかったので)・・・やはりお寺だし、せっかくここまで来たから行っとこうか・・・と決心。
岡寺へGo!
続きま〜す。
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この旅行記へのコメント (8)
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- るなさん 2015/11/23 10:43:50
- 歴史好きにはたまらないね
- こあひるお姉ちゃま、こんにちは〜
連休はいかがお過ごしで?お出かけかな?
私は2日間出かけたので、今日はのんびりしています。お天気も良くないしね。
来年のイタリアの旅計画なんぞしながら(笑)ようやっとスケジュールも決まってホテルを抑えましたわ。
季節外れの向日葵と飛鳥寺、こりゃいただけないねぇ〜(爆)
お花って咲いている時は本当に美しいし癒されるけど、枯れてしまう途中の姿は何ともあかんですな。枯れきってしまえば葉だけでいいけど((+_+))
お寺には蓮とかススキとか楓がいいね。
んーっ、やっぱり金ぴかなタイの仏像とは重みが違うわね(笑)
奈良って行ったことないんだけど、周りがいがありそうねぇ〜でも、自転車乗れないからな(;'∀')
人と同じで左右の表情が違うってわけか〜なるほど。
酒船石もすごいけど、竹林の雰囲気のがいいなぁ♪(笑)
こんなとこ掘ったら掘っただけ遺跡だの古代の物が見つかって、地下鉄なんて開通出来ないだろうね(*_*)ナポリやローマみたいだ。
るなっちょ
- こあひるさん からの返信 2015/11/24 09:34:01
- RE: 歴史好きにはたまらないね
- るなっちょ、おはよ!
わが家の連休は、近所の食べ物イベント行っただけで、大人しくしてました〜(笑)。年末年始までは大人しく・・・溜まりまくっている旅行記をひとつでも多く作ろう〜〜っと。
イタリア、ついにスケジュール決まってホテルも押さえたのね!自分のナポリ旅より、るなっちょのイタリア旅のほうが楽しみだ〜〜(笑)。
お花で枯れ始めてもキレイなのは・・・桜吹雪くらいかしら・・・。コスモスはまだマシだったけど、ひまわりは、季節感ズレすぎ〜〜!え〜!?ってビックリしちゃったよ。
日本じゃ、古びて剥げちゃった仏像を、元のように金ぴかやハデハデ彩色とか、絶対に復元しないもんね。当時は、タイとかの金ぴか仏像のようだったと思うけど、古びた仏像を見慣れた日本人には、やっぱり違和感あるね〜、たとえそれが古い時代のものだったとしても。彫刻芸術としての細やかな美しさもなさそうだしね〜(見たことないけど)。
明日香村は、わりと平坦だから自転車向きみたいよ〜。スポットも点在してるしね〜。でも、ほかのエリアはどうなんかな〜。ならまちとかも、自転車でもいいと思うけど、道狭いし、停めるところなさそうな気がする・・・。歩けちゃう距離だしねぇ・・・。
ほんと・・・奈良って、掘ったらなんか出てくる・・・って感じがする・・・。とくに、かつて都があったエリアは・・・。謎もまだまだ多いから、どんどん発見されて、ひとつでも真実が解明されていくと面白いな〜。
歴史好きでなかった私ですが・・・奈良は、歴史好きへと変えてくれました〜。
こあひる
-
- たらよろさん 2015/11/22 22:03:16
- 明日香村サイクリング
- こんばんは=こあひるさん
飛鳥、実は全く未知の世界。
亀石も、教科書で学んだだけで、単なる石でしょう。
的な知識しかなく、
実際に見たことないものだから、有難味も全然感じておらず。。。
勿体ないことしてるよね〜
飛鳥、すごく見ごたえのある地域ですね
それに、本当にビックリするくらい写真撮らせてくれて、、、
今の時代、フェイスブックとかで拡散するから、
外国からのゲストを呼ぶには写真ってツールは大事だと思うな。
仏像をここまで撮らせてもらえるの、本当に珍しいもの。
私も飛鳥、行ってみようっと!
もっと、何もないと思っていたの、、、いや失礼しました。
たらよろ
- こあひるさん からの返信 2015/11/24 09:19:16
- RE: 明日香村サイクリング
- たらよろさん、おはようございま〜す!
京都はすべて揃っている・・・王者だと思いますが(まだ行ったことないんですけどね・・・笑)、その京都にないもの・・・平安京以前の古代の都と謎・・・そのエッセンスが明日香だろうな〜と感じているのですが・・・。
何にもないどころか・・・私にとっては、見てみたいスポットがありすぎて・・・知れば知るほど奥が深いな〜と、しみじみ・・・旅行記を作りながら色々後から知って・・・感じています。
たらよろさんは、京都なんてお庭のようでいて・・・奈良へも行こうと思えばいつでもすぐに行けるので・・・羨ましいです、ほんとに・・・。
こあひる
-
- ippuniさん 2015/11/21 02:16:24
- 秋の奈良一人旅
- こあひるさん、こんにちは
ちょうど紅葉の良い時期に奈良へ行かれたんですね!
旦那様はお一人で(お互い)少々不安だったんじゃないですか?
5泊って意外と結構長いですものね。
一昨年の秋に私もちょうど紅葉の時期に奈良を訪問したんですよ。
でも、JR PASSを使った忙しない旅で奈良は1泊だけの宿泊でした。
私もJR奈良駅に隣接した新しく出来たビジネスホテルに泊まりました。
やっぱり駅付近は移動の多い旅行には便利ですものね。
で、私も秋の旅の時にこういう田舎の風景を堪能したかったんです。
でも時間的に1泊だけだったので他の地域への移動は無理だったし、
観光と言うよりはガブリエラさんにお会いしたくて行ったので断念しました。
今度また良い時期に奈良に行けるならこのルートで行ってみたいです。
コスモスが咲き乱れ、向日葵畑も見えて本当に良い時期ですね。
武家屋敷でもないのに宮大工の住んでいたエリアは立派だし、
静かで長閑な昔ながらの住宅街、の〜んびりお散歩したいです。
今はただただ、こういう田舎の夕ご飯の匂いが漂ってきそうな古い町並みに憧れます。
継母とお地蔵さんのお話、読んでいて私も反省しました。
虐めてはないですよ!!!(笑)
ただ、やはり来る日も来る日も一人きりで誰とも話さず育児をしていると
娘にイライラしてしまうこともあって、今日ちょうど考えていたんです。
生まれる前は心臓が動いているだけで他に何も望むことはないほど嬉しかったって。
無事に生まれて健康に育っているとついそれが当たり前になってしまって。
初心に戻ろうって思っていた矢先にこのお話を読んで再び反省しました。
やっぱり自転車でも写真を撮るのには不便なんですね。
時間は短縮できるけどのんびり写真を撮りながら進むとなると歩きの方がいいのかな^^
でも移動距離があるからずっと歩くのは大変ですもんね。
1日1000円位なら自転車借りた方がいいのかもしれませんね。
自分が通った商店街などが出てきて懐かしい気分でした。
続きもたのしみにしています。
ippuni
- こあひるさん からの返信 2015/11/23 02:17:04
- RE: 秋の奈良一人旅
- ippuniさん、こんばんは〜!
紅葉にはちょっと早かったんですが・・・色づき始め・・・ってことで、場所によっては少し紅葉を楽しむこともできました。
ひとり留守番の旦那は、仕事でトラブルが発生して、毎日かなり遅くまでお仕事だったらしく・・・まぁ、それも気の毒でしたが・・・こんな仕打ちはいつものことなので・・・諦めているから、さほど不安はなかったのではないかと・・・(笑)。色々気遣ってくれて、手助けしてくれる親切な同僚が多いようなので有難いです。
あんまり遠くまで出歩かず、まったりと・・・あるひとところで過ごすには、駅近でないホテルや旅館でいいんですが・・・あちこち観光に出かけるような場合には、やっぱり交通の便のいいのほうが効率的ですねぇ。
1泊だけだと、奈良公園の鹿ちゃんを見るくらいしかできませんでしたね〜。興味を何に持つかにもよると思いますが・・・奈良はほんとに見どころが多くて・・・私は仏像に興味が絞られているのでまだ決めやすいのですが、神社も・・・古墳も・・・なんて広がっていくと、何度か訪れないと見きれないですね。まぁ、京都なんかもそうでしょうが。
コスモスは、もちっと早い時期ならキレイだったんでしょうけど、こんなに秋になっても、まだ咲いていて驚きましたが、嬉しかったです。ピークと言えば、柿でした。
奈良では、ふと通り過ぎる集落になかなか風情あって・・・ブラブラ歩きを意外と楽しめました。
お地蔵さんのお話・・・ippuniさんが反省することないのに〜〜(笑)。このお話を読んで、自分を顧みることのできるippuniさんなら、大丈夫ですよ〜。私なんて、そういう思いやりの優しい心を持つ(子どもがいなくとも)ってことを顧みようなんて思いもよらなかったですもの・・・それこそ反省です(爆)。
自転車だと、写真撮りながら進むスタイルにはちょっと面倒です。でも移動はやはり・・・徒歩とは比べ物にならないほど距離を稼げますので・・・自転車なしでは(車でももちろんいいんでしょうけど)こんだけ周るのは無理ですね〜。
斑鳩の里くらいなら徒歩でOKですが、明日香村は(周るスポットにもよりますが)スポットが点在しているので、自転車(車)向きです。
こあひる
-
- aoitomoさん 2015/11/20 18:54:15
- 写真撮り放題!
- こあひるさん こんばんは〜
『飛鳥寺と飛鳥大仏』
分かりやすい動画があったりすると、助かりますね〜
どんどんお写真撮っていいというのは、現代のニーズに即しているし、
興味を持つ人も増えると思いますし、いい傾向だと思います。
『思惟殿』
御本尊の聖観世音菩薩像が一度見たら忘れないお顔になりました。(笑)
『亀形石造物&酒船石』
祭祀に関わる施設というぐらいで、謎の多いまだ解明され尽くしていない石造物ですね。
なにかと気になります。
酒船石が古代インカ帝国の遺跡のようで面白いです。
『伝・飛鳥板蓋宮跡』
4つの宮跡が重なって埋もれてということで現在は上層の飛鳥浄御原宮の一部ということですが、残りの3つも復元されるのでしょうかね〜
トロイの遺跡のように難しいです。
色々解明されていくと面白いですね。
aoitomo
- こあひるさん からの返信 2015/11/23 01:56:16
- RE: 写真撮り放題!
- aoitomoさん、こんばんは!
動画は、aoitomoさんのお陰です!!!感謝!!自分は、やっぱり写真派ですが、場合によっては動画のほうがよければ撮って行きたいと思うようになったし(でも上手くないんですよねぇ・・・笑)、情報源として動画を利用するということも勉強になりました。
飛鳥寺は、開放的な雰囲気だったし、写真どんどんOKってのもお寺では初めてだったので、有難かったです。いっぱい撮ってきちゃいました(笑)。
思惟殿の聖観音・・・最初知らずに見た時には、聖母マリアかと思っちゃいましたが・・・よく見るとちょっと怖い〜〜(笑)。
明日香での様々な遺構は、謎のものも多くて、いまだに日々新しい情報が出てくる楽しみがありますね〜。ひとつが解明されると、それが証になって、近くのものが何なのかがわかったり・・・すごくワクワクするものを秘めていて、ほんとに奥が深いです。色々想像したり、様々な説を聞きかじったりすると・・・伝説めいた古代史が、ほんとにあったことなんだ・・・と改めて現実味を帯びてきて・・・不思議な気分に陥ります。
重なって建てられた複数の宮の跡・・・もっと色々解明されていくと面白いですよね〜。それこそ飛鳥の都の中心であり、飛鳥時代のピークだった時のものですので・・・。
次に明日香に行くことがあったら、今回は時間もなくて寄らなかった資料館のようなところに行けば、もっと色々知ることができるかもしれません。
こあひる
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