2012/11/02 - 2012/11/05
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万葉の世界を訪ねて 前編。
この11月2日より5日まで奈良へ行くことにしました。 過去30年程、私は国内旅行なるものは行ったことがありません。(社員旅行は除く) 我が家より自家用車での1人旅、気楽な旅として出発と相成った。
今回の旅の目的としては、万葉歌碑めぐりと古代遺跡等を中心に奈良の秋を満喫したい、そんな思いでおります。自身としては決して、万葉集及び歴史(古代史)に精通している訳ではありません。 ずっと昔よりの興味だけは持ち続けていた(おおよそ50年になる)、へたな横好きのシロウト人です。万葉の世界に浸って見たい、そんな思いの中でここに旅行記を投稿するに至った次第です。何分未熟ですので、ご指導の程宜しくお願い致します。
(写真・二上山の夕日 千股池より・葛城市)
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楽しみにしていた「かぎろひの丘」にやってきました。 朝日の昇る前のかげろひを観ることなど正直期待してはいなかった。 (何分にも10年に1・2度しかないとの見えないとの事) 私は見たかったのはこの丘で朝日が昇るのと西に傾く月です。真似事でもいい、人麻呂が見たと云うこの「かぎろひの丘」で。
人麻呂がこの歌を詠んだとされるのは、持統六年(692年)陰暦11月17日と推定し、毎年かぎろひの丘で「かぎろひを観る会」を催している。今日訪れたのは11月3日、例年より2ヶ月近く早いが、私の大好きなこの歌の情景描写を、堪能できたことは誠に嬉しい限りです。
(写真・かぎろひの丘 大宇陀 宇陀市)
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柿本人麻呂
東の野(ぬ)に陽光(かぎろひ)の立つ見えて
かへりみすれば、月傾きぬ (1-48)
( 写真 ・ 同上)
東の野を見ると、朝日のほのめきのさすのが見えているので、ふりかえって見ると、月は最早、西の方へ傾いてしまった。 (これは、朝猟の後の歌と見ればよい。)
(註。この旅行記で以降万葉集 及び口約を載せてまいりますが、折口信夫著の「万葉集」を参照とされて頂きます) -
同上。(写真、かぎろひの丘・大宇陀 宇陀市)
この丘にある立札。 和歌にまつわる説明の様、なるほど私は分かったような?軽皇子に人麻呂が随行した時に詠まれたのかな。 -
同上。(写真、かぎろひの丘・大宇陀 宇陀市)
この「かぎろひの丘」に立ち、素敵な人麻呂の歌碑も見る事も出来き感慨もひとしおと言ったところです。
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同上。 (写真、かぎろひの丘・大宇陀 宇陀市)
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かぎろひの丘のふもとにある、素敵な柿本人麻呂の像。
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かへりみすれば、月傾きぬ、・・・・振り返ってみると月の位置がちょっと高い。今日は9月20日(旧暦)です。(20日の月) でも西に傾いているでしょう、間違いはないですね。
(同上・写真) -
同上。
しばらくして、かぎろひの丘に朝日が差し込んできました。(写真) -
私は万葉集(14-3438)が読まれた「つつみ井」があったとと言う、大井神社(現在は関神社・亀山市)へ来ました。 実はこの旅行の最初の訪問地です。 奈良への出発で名阪国道を走り、関インター(三重)を下り途中の立ち寄り地です。
(写真。大井神社)
「大宝律令(701)で、駅制がひかれ、馬による緊急情報伝達制度ができました。それにより駅制という交通ルールが規定されました。およそ街道は約30里(昔の30里・約16km)ごとに駅家(うまや)という中継所が設けられました。つまり駅ごとに人が配置され、また馬も5?20頭あまり配置されていました。駅家には宿泊食事をする設備もありました。駅家に都から使者が到達すると、次の駅家まで馬が用意されている制度で、これを駅制というのです。そして馬は駅馬と呼ばれ鈴を付けていました。 -
作者不詳
鈴音の駅亭(はゆまうまや)の包み井の
水をたまへな。妹が直手従(ただてよ)(14-3438)
この街道の、うまつぎの屋敷に在る、囲いをした井戸の水を下さいよ。いとしい人の直(じか)の手から。
もうちょっと現代風な訳を1つ。
鈴の音をひびかせる 早馬の駅家の 堤井の水をくださいな 娘さん(お嬢さん)、あなたの手から直接に。
(写真・大井神社 亀山市) -
この歌は万葉集14巻にあります。私は東歌の中で1番好きな歌です。想像を含めて私なりのコメントをさせて頂きます。
都(平城京)から来た役人がこの地での休息、喉の渇きを催し女の手ですくった水を飲みたいなぁ~?、そうした時に詠んだ歌であろう。 何と心優しい乙女がいたことか。私は地元の娘との好意的な情景と想像したい。(一説にはこうしたサービスをする遊女とも?)。それにしても当時の役人といい(現代社会の官僚の上から目線と違って)、女とのカラミは実にのどかで趣ある場面である。私はこうした万葉の時代にロマンを感じる。さしずめ今日なら、出張先でステーションで買うペットボトルのお水を飲むシーンでしょうが、比するにいかに味気なさ、そっけないことであろうことか。 現代に生きる私の思いを言わせてもらえれば、「最高に美味しい水!」ではなかろうか。
当時の駅家(宿泊・食事施設)の賑わしい趣は全くに無く、静寂そのものの様相であった。ましてや、美しき女性が現れ直手で水をすくう姿を見ることなんぞは、現代に於いては夢物語と言えよう。 当時の駅亭での水飲み場とは、私はこの様な想像をします。
(写真・ネットより)
類似の一首を紹介します。長野県(井泉に)にも女神がいたようです。
人皆の言は絶ゆとも、埴科の石井の手児が言な絶えそね
(14-3398) -
ここで、我が宿泊(3連泊)したホテル(旅館)を紹介します。
椿寿荘。(ちんじゅそう) かぎろひの里がキャッチフレーズのようです。
上記、かぎろひの丘より徒歩10分、(約800m)西に位置した静かな山荘と云う感じです。リーズナブルな価格と親切なスタッフ、私はここを起点として有意義な旅を過ごすことができました。それに1つ付け加えるならば、大きな池を含む景観が私の心身を癒し、旅の醍醐味を味わいさせてくれました。
(写真・椿寿荘 大宇陀 宇陀市) -
額田王(ぬかたのおおぎみ)
君待つと我が恋ひ居れば
我が宿の簾動かし、秋の風吹く (4-488)
(写真・市神神社境内・東近江市)
今にもあのお方がおいでになるか、と待ちこがてれていると、人の来るさきぶれのように、秋の風ばかりが自分の家の簾を動かして来た。 -
万葉集中屈指の女流歌人、額田王の和歌(うた)です。 (拡大写真)
額田王が待っているのは天智天皇です。(大海人皇子ではなく) 660年頃には、愛人として大海人皇子より譲り受けていたようです。私が知る限り、天皇自らの娘4人(大田皇女・鵜野讃良皇女、後の持統天皇他)と交換に?。額田王はそれだけ女性としての魅力があったのでしょうね。
(写真・同上) -
歌碑のそばに立て札までありました。この歌碑の揮毫も犬養 孝氏でした。万葉歌碑だけで百数十種と聞き及んでいます。さすが、歌碑揮毫の第一人者です。
(写真・同上)
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女の切ないため息、ふとだれかの気配に振り返るとむなしく簾が動いていた・・・・・、こんな情景を思わせる和歌です。
(写真・奈良市) -
山上憶良
秋の野に 咲きたる花を 指(及び)折り
かき数ふれば 七種(ななくさ)の花 (8-1537)
秋の野に咲いている目につく花を、指を折って数えて見ると、ちょうど、七種類の花がある。
(写真・春日大社 奈良市) -
秋の七草、 尾花。(写真・東山植物園・名古屋市)
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これほど単純明快は歌はないと思います。山上憶良が指を折り草花を吟味してさまも想像され、ユーモラスな雰囲気が感じられます。
秋の七種 女郎花
(写真・東山植物園・名古屋市) -
あさがおの花。
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なでしこの花。
以上、四種を載せておきます。 -
作者不詳
磯城島の大和ノ国に
人ふたりありとし思わば、何かなげかむ (13-3249)
(写真・志貴御県座神社・桜井市)
この大和の国に、同じような人が二人いるのだと思われれば、こんなにまで、何も溜め息ついて焦れることはないのだが、いとしいあの人の外に、身代わりになる者はない、とわかって、歎かずにはおられない。 -
拡大写真 (同上)
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山の辺の道を下った、三輪駅(桜井線)の東あたりに志貴御県座神社(しきのみあがたにいますじんじゃ)があります。ちょっと分かりづらかったが・・・。
余りにもひっそりとした神社に、以外にも(似合わない)情熱的な恋の歌碑である。俳人・山口誓子揮毫と聞く。
(写真・同上) -
内大臣中臣鎌足卿
我はもや安見児得たり。
皆人の得がてにすとふ安見児得たり (2-95)
どうだ。俺はねい、安見児を手に入れたぞ。それ、誰も彼も、皆手に入れにくがっているという評判の安見児をば手に入れたぞ。 (素朴な放胆な歌で、殊に唐化主義の張本とも見える人から、儒教などの束縛を受けていない、本然の声を聞くのはおもしろい。)
この万葉歌碑を見ましたが、写真では判読できないようです。
(写真・談山神社 桜井市) -
拡大写真。
何とか読めるようになりました。(写真・同上) -
この歌の作者は後に藤原の性を賜った鎌足である。(誰もが教科書で習う)中大兄皇子と供に「大化の改新」を断行した人物です。以後千三百年余に渡り、何百という彼の子孫が歴史に登場した事は言うまでもありません。
歌の中の采女については後にも触れますが、地方の豪族が服従のしるしに大和朝廷に差し出された人質であり、云わば天皇個人の所有物であったようである。ここでは鎌足が天智天皇から1人を(采女)譲り受けたのであろう。
歌の内容ですが、鎌足が手放しで喜んだ表情がよくわかる歌です。前項の訳(素朴で放胆な歌で・・・・)の後の所見の意味が私は余り理解できません。(折口信夫先生の文は難解) 私は「鎌足の人となり」のコメントを考えました。ヘタな文面で書き終えたのが、それが何故か先生の所見に要約されてるじゃん・・・、そんな思いに駆られて取りやめと致します。
(写真・同上) -
休憩タイム。 薬師寺。(写真・西ノ京・奈良市)
「残念です・・・・、修復中で1つ塔(東塔)はありませんでした。」 -
同上。石舞台古墳。(写真・明日香村)
「蘇我馬子の墓でしょうかねぇ~?。」 -
同上。柿本人麻呂の像。(写真。人麻呂公園・宇陀市)
「人麻呂さ~ん、草壁皇子様(くさかべのみこ)の狩猟のお供ですか?、・・・いいぇ~それは昔の話で~す、今は軽皇子(文武)にお仕えしています~。」 -
同上。醍醐池。(写真・橿原市)
「たそがれの醍醐池。」 -
同上。天武・持統天皇の陵。(写真・明日香村)
「叔父と姪の結婚、お仲がよかったのかな?。」 -
作者不詳
向峰(むかつを)の 若楓(わかかつら)の木
下枝(しづえ)とり 花待つ間もなげきつるかも (7-1359)
(写真・春日大社万葉植物園・奈良市)
前の山の若い楓(かつら)の木の、手のとどく下の枝を折り取って、花の咲くのを待つ如く、この美しい幼い処女を、未来の妻と心に定めていながら、一人前になる間が待ち遠しくて、溜息がでてくることだ。 -
同上。万葉歌碑
(写真・正道官衛遺跡公園・城陽市) -
この和歌に私の所感。
和歌の中では触れていないが、解釈で「幼い処女を未来の妻に」と踏み込んだのはめずらしい。 万葉集の第一研究者の想像の口訳として、私は好きです。私は思う、この歌の作者は男であり、花の咲くのを待って嘆く理由(わけ)は真にこの思いそのものではなかろうか。この歌に、長い時間、空間の中での息遣いまでもが聞こえてきそうな気がします。、それ故、私の1押しの1首です。
余談。私は歌謡曲(フォークソング)なるものは余り聞かないが、
♪時が過けば~、幼い君も大人になると気づかないまま~、
♪君が去ったホームに残り~、落ちてはとける雪を見ていた~、
♪今春が来て~、君はきれいになった~、
♪去年より~、君はきれいになった~。
確か「なごり雪」と言う歌だったと思います。少女が大人になって自身より離れてゆく、(先のことを和歌では触れていないが、これは私の想像で多分そうでないのかな) 哀しさが似ていると思うのは私だけでしょうか?。
(写真・同上) -
この和歌の立て札を東山植物園で見つけました。
(写真・ひがしやま植物園 愛知県)
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植物ひと口メモ。
註。 若楓(わかかつら)の葉がハートです。上記万葉集に詠われた木。 -
植物ひと口メモ。
註。 若楓(わかカエデ) 一般的な楓の木。 -
志貴皇子(しきのみこ)
采女の袖吹きかへす飛鳥風
都を遠み いたづらに吹く (1-51)
今頃までは、官仕えの采女たちの袖を吹き返していた、飛鳥の里を吹き風よ、みやこが遠くなったので、吹くには吹いても、詮(かい)なく吹いていることだ。
(写真・甘樫丘 明日香村) -
この写真は、有名な高松塚古墳の壁画です。当時の采女(宮中に仕える女官)とはこの様なお姿ではなかったかと私は想像します。
この歌は、飛鳥の浄御原宮(きよみがはらのみや)から藤原京へ遷った後のものです。つい先程まで、賑わしかった都に風だけが空しく吹いていた、そんな情景でしょう。
志貴皇子の母親は采女であった。采女は天皇のみのまわりや宮中の雑務を務める女官、地方の豪族は天皇への従属のあかしとして、一族から容姿の優れた娘を奉った。
和歌の作られた真意は定かではないが、皇子は美しい采女たちに若き母の面影を重ねていたかもしれない。
(写真・高松塚癖が西女子群像)
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今日私は、この志貴皇子の歌碑がある甘樫の丘(148m)に立った。大和三山をはじめ、藤原宮跡他飛鳥の里を一望する体験ができました。
ここで志貴皇子とは・・・、如何なる人物かを私なりに紹介したいと思います。父親は天智天皇、(歴史で有名な)子供には白壁王、(後の光仁天皇)孫に桓武天皇と受け継がれていきました。その皇統は現在に続き、皇室の繁栄の礎となった人です。云ってみればこの皇子なくして、現存の皇室は存在しえないこと付け加えておきます。
皇子が生存した時期の皇統は、天武系の天皇で踏襲(壬申の乱後)され、完全に皇位継承の外にあった。しかしながら身の処し方においても、権力の中枢から1歩引き、運命に逆らわず、目立たぬ道を選んで生きたのであろう。私が思うに、母の身分が低かったのが幸い(生き永らえた)したかもと思っています。
後年、春日宮天皇として田原西陵に祭られています。
春日宮天皇の追尊・・・・・。崩去から50年以上後宝亀元年(770年)に、聖武天皇の娘井上(いがみ)内親王を后として、母系では天武系となる他戸王(おさべおお)を儲けていた六男の白壁王が、皇嗣に擁立され即位した。(光仁天皇)
(写真・甘樫の丘、豊浦展望台より・明日香村) -
甘樫の丘、豊浦展望台からの眺め。 まさに絶景です、カメラに写った山は耳成山と思います。
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作者不詳
立ちて思ひ、座(み)てもぞ思ふ。
紅の赤裳裾曳き(あかもすそひき)いにし姿を (11-2550)
何事をするにつけても、思い出される。あのいとしい人が、赤い下袴の裾を曳いて、帰って行った姿が。
(写真・高松塚股份明日香村) -
同上。(写真・拡大)
同和歌は、作者が家の中から道行く恋焦がれた彼女を眺めて詠んだのであろう。 その意味で類似の歌がありますのでここで2首(11巻・読み人知らず)を紹介しておきます。
恋ひ死なば、恋ひも死ねとや吾妹子が
吾家(わぎえ)の門を、過ぎて行くらむ (11-2041)
この和歌の内容は、恋で死にたければご勝手にどうぞと、男(作者)の家の前をわざと見透かすように通り過ぎていった。 作者が「吾妹子」と云う程でなく、女性はノーマークで全く男の片思いかも。(私の解釈)
いづれにしても、男を引き付ける女性の強力な恋のアイテムは極彩色の衣装だったのであろう。 万葉集11巻の読み人知らずの恋の歌で、恋の駆け引きに面白さがある一首と思います。
思ひにし あまりにしかば すべをなみ
出(い)でてぞ行きし その門を見に (11-2551)
赤裳裾曳きの和歌(11-2550)のひとつ後の和歌で、小生は同時期(同じ日)に覚えました。 歌の内容は、いても立ってもいられず恋しい妻の住む門を見に行った。(家の中へ迎えてもらったかは定かでない) そんな感じ?だと思いますが・・・・。 小生が中学生の頃(少々ニァンスが違いますが)、ちょっと可愛い同級生の女の子の家を見に行った事を・・・・・。 後年にこの歌を知り、同様の思いを重ね合わせる素敵な体験を得るに至った。 -
高松塚古墳です。
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歌碑は高松塚古墳の入り口の丘の上、高い所にありました。
昭和47年春、高松塚古墳の壁画発見の二ュースは、日本中を驚かせたのは周知の通りです。赤、黄、緑と、私はこの極彩色の衣装に万葉女性の美しさを知りました。
この和歌の感想が最後になってしまいましたが、色彩感がたっぷりで素晴らしい作と思う。 まさに上記写真の情景にピッタリですね?(高松塚古墳壁画の女性に)、そんな経緯でこの地に歌碑が作られたかどうかは定かではありませんが、この歌碑の前に立ち往時を偲ぶに良ききっかけとなりました。
(写真・高松塚古墳壁画 デジタル復元)
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湯原王(ゆはらのおおぎみ)
吉野なる夏箕(なつみ)の川の川淀に
鴨ぞなくなる。山陰にして (3-375)
(写真・十二柱神社・吉野町)
吉野の夏箕川の川の淀んでいるところに、鴨が鳴いていることだ。その山陰の川淀で。 -
同上。 拡大部。
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東吉野村に近い所に菜摘の地があります。 私はこの地にある「湯原王の歌碑」を訪れた。
私が二十歳少し前の頃だったと思います。我が家にあった万葉集の本(万葉秀歌・斉藤茂吉著)で知ったのが湯原王、(ゆはらおおぎみ)の一首です。当時の記憶として、解りやすく且つ、優美で繊細な歌だなぁ、そんな印象を持っていました。そしてもう一つは「夏実・菜摘」の美しい言葉の響きに、妙に心和む思いでもありました。勿論、今でも私の好きな一首です。
作者の湯原王(ゆはらのおおぎみ)という方は、志貴皇子(前述)の子で兄が白壁王、(後の光仁天皇)です。彼は天智系であった為か、叙位、任官の史書は見えない。父同様、政治よりも和歌等文化の道に生きた人生だったようである。
(写真・菜摘の里 吉野町)
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(写真・同上) 来てよかった、美しい景観に感激!。
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作者不詳
紫草(むらさき)は灰さすものぞ。
海石榴市(つばいち)の八十の巷に会へる子や。誰(12-3101)
(写真・海石榴市観音・桜井市)
紫草の汁には、椿の灰の汁を注して染めるという、その名を持った椿市の、人のたくさん行き交う、四通八達の辻で出会うたお前さんは、一体誰だ。名を名告って聞かせなさい (歌碑揮毫は今東光和尚) -
作者不詳
たらちねの母が呼ぶ名を申さめど、
道行く人を、誰と知りてか (12-3102)
(写真・春日大社万葉植物園・奈良県)
なるほど名を言えと仰っしゃれば、お母さんがわたしを呼び寄せる時に言われる名を申しましょうが、一体そう仰っしゃるあなたは、どこの誰ですか。道で行き合うたあなたを誰だ、とも知らないで、申し上げる訳には行きません。
(この歌は伝説的の興味と、時代の背景の心を引く歌で、二つながら傑作である。万葉註釈を試みた先輩は、この歌を飛鳥時代以前のものと観察している。) -
上記の拡大写真。二首は問答歌となっています。
(註・返歌の方の歌碑は海石榴市には無く春日大社のものです。)
私はこの歌が好きなことは当然ですが、この地この歌碑を訪れ、海石榴市とは何ぞや、歌垣で若い男女が賑わった往時を想像するだけで、心踊る思いでした。
海石榴市という名は街路樹に椿の木が植えられていたから付けられたらしい。椿の木の下で、盛大な歌垣が行われた。若い男女が集まり歌を掛け合い踊りながら気に入った相手を見つける開放的な恋のイベント。この歌も歌垣でのものだろう。
「女(紫)は結婚(灰汁を入れる)してこそ美しく、一人前になるまのだ。男のこの様な問いかけは・・・・、 古代では女性に名前を聞くのは求婚を意味した。
この二首では男のウィットな誘いに対して、女はピシャリ?(まんざらでもないよう)と拒否した場面の様です。
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紫草の花。
(写真・くすり博物館 各務原市)
小さく可愛い白い花です。この歌に詠まれた通りムラサキの根は、その名のとおり表皮が赤紫色をしており、色素を絞り染料に用いる。 -
こうしたドラマ(男と女の出会い)で賑わった海石榴市は、(現桜井市金屋地区) 静かで閑散としていました。
(写真・金屋地区の集落)
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その桜井市金屋地区に表示立て札がありました。
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柿本人麻呂
近江の海 夕波千鳥
汝が鳴けば 心も萎に古思ほゆ (3-266)
(写真・近江神宮境内・大津市)
近江の湖水、その夕波に鳴く千鳥よ公様が鳴くというと、自分は意気消沈して、昔のことが思われてならぬ。 -
拡大写真。
この歌碑は近江神宮境内(大津市)登り坂左手側にありました。
(写真・同上 )
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琵琶湖の写真を3点載せてみました。
(写真・琵琶湖・彦根市付近) -
同上。
この和歌は万葉集の中でも有名で、折口信夫(万葉集訳)をして傑作の一首とされています。
(写真・琵琶湖 長浜市付近) -
遠いいにしえの近江京を心しみじみと思い・・・・・・、人麻呂が見たと云う近江の湖水とは、こんな風景なのでしょうか?。残念ながら千鳥はいませんでしたが・・・。
(写真・琵琶湖・長浜付近) -
休憩タイム。談山神社。(写真・多武峰・桜井市)
今日は11月2日、訪れた談山神社は紅葉にはちょっと早すぎました。 -
同上。椿寿荘の池。(写真・大宇陀・宇陀市)
湖面に写る景観がなんとも美しい!。 このホテル(拠点)戻り、明くる朝の散策が楽しみの日課(3日間)となりました。 -
同上。 椿寿荘の池。(写真・大宇陀・宇陀市)
「この池はホテルのオーナー所有?と聞く} -
同上。かぎろひの丘。(写真・大宇陀・宇陀市)
「かぎろひの丘の日の出を見ました。」 -
同上。羅城門跡公園。(写真・西九条町南・奈良市)
「ここにも歌碑がありました」 -
同上。かぎろひの丘。(写真・大宇陀・宇陀市)
私はこの旅行で4日間(6~7回)この丘に立ちました。 -
同上。吉備池。(写真・吉備・桜井市)
一説に般余の池では、と云われていまが真実は?。
では休憩タイムがすみましたので、般余の池にまつわる大津皇子の和歌を紹介します。 -
悲劇の皇子。
私は今、橿原市東池尻町の妙法寺より東方面を眺めています。今は無い般余の池があったとされる所です。
(写真・妙法寺・橿原市)
朱鳥元年(686)10月、大津皇子は死を賜り、般余の池を見て万感の思いで詠んだ辞世の歌である。(享年24才)
大津皇子は、父に天武天皇、母に大田皇女(父天智)をもち、宮中(浄御原京)きってのプリンスである。父天武の信望も厚く(朝政を任されたという)、幼少の頃より、才能長けた皇子をして祖父天智にも寵愛された経緯がある。
天武の死後、突然皇子に悲劇が襲った。謀反の罪に刑死させられたのである。処刑は10月3日、訳語田(おさだ)の舎で行われ、妃の山辺皇女(父天智)は髪を振り乱し裸足のまま走りよって殉死したと「書記」にある。
私が思うに謀反はでっち上げの様です。友人の川島皇子(父天智)の密告と言われていますが、皇后(持統天皇称制元年)の手により強引に執行されたと見るべきと考えます。そこには1人息子、草壁皇子の皇位継承の障壁になるものは除かねばならない、と言う皇后母の異常な愛に他ならない。
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大津皇子(おおつのみこ)
ももづたふ般余の池のに泣く鴨を。
今日のみ見てや、雲隠りなむ (3-416)
(写真・妙法寺入り口前 橿原市)
これまでは、度度般余(いわれ)の池に来て遊んだが、その池の鴨も、今日で見納めだ。これを限りとして、自分は死んで行くのであろう。 -
同上。拡大写真。
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吉備池にある大津皇子の歌碑。 (写真・吉備池・桜井市)
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作者不詳
月見れば 国は同じく 山へなり
愛はし妹が へなりたるかも (11-2420)
(写真・月・宇陀市)
月を見ると思うが、この月を同じ国で見ていながら、ただ山が隔たっているばかりで、可愛い人が隔たって、逢われないことだ。 -
月を読んだ和歌は159首(万葉集)あるそうです。私はそのほとんどを知らない。この歌に限り何故か昔より愛着がありました。お互い、月を見ると言う共通認識の中でのもどかしさ(逢えない)そんなところが私はいい、素敵な一首と思います。
(写真・2015.01 満月・地元) -
大津皇子(おおつのみこ)
あしびきの山のしずくに、妹待つと
われ立ち濡れぬ、山の雫に (2-107)
(写真・当麻健民運動場入口)
いとしいお前の来るのを待つために、山から垂れる雫に、自分は、こんなに立っていて濡れたよ。その山の雫のために。 -
皇子の恋。
大津皇子は悲痛とも言える短い生涯を終えるが、父親が生存中は真に青春そのものであったのではなかろうか。(まぁ~、いやな事と云えば叔母持統の妬みの冷たい視線ぐらいのものであろう。)
大津はひときわ目立つ体格と美貌を持ち、しかも才能は勝れ、弁舌もさわやか、その上武勇を愛した、当代きってのNO1のプリンスだった。その大津が彼女に逢うためには、ひっそりと山陰に隠かくれて、何時間も待っていたのだから・・・・・・・、(石川郎女の歌の項につづく) -
大津皇子の歌碑と石川郎女の歌碑。
香芝市・下田西の中央公民館にきました。 先の当麻健民運動場には、石川郎女の歌碑はありませんでしたがここには双方の和歌が(表・裏)書かれてありました。
(写真・中央公民館前・香芝市)
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石川 郎女(いしかわのいらつめ)
我(わ)を待つと。君が濡れけむ
あしびきの山の雫にならましものを (2-108)
(写真・下田西中央公民館前・香芝市)
私を待つために、あなたがお濡れになった相な、その山の雫にわたしはなったらよかったのに。 (老獪な口ぶりで、人を悩殺する歌というべきだ。贈答の歌としては、皇子の歌も勝れているが、この方が一段、巧みである。)
(皇子の歌の項より)・・・・・石川郎女という女性はよほど魅力的な人だったのだろう。いや、肉体的な魅力だけではない。彼女が大津と四つに組める才気を兼ね備えていたことは、上記の返歌で推察がつく。永井路子氏の「万葉恋歌」を引用すれば、「お待たせしてすみませんでした」などという月並みなことは言わない。
「まぁ、私をお待ちになって、山の雫に濡れておしまいになったのですって、それなら私こそ、その雫になって、あなたのおからだにすがりつきとうございましたわ。」とどこか官能の思いをひそめた、機知の富んだ歌と賞賛している。
この2首は、万葉集の相聞(問答歌)で最も有名な歌の1つに上げられるであろう。又双方ともに秀歌だと私は思います。 -
大伯皇女(おおくのひめみこ)
うつそみの人なる我や
明日よりは、二上山を阿弟(いろせ)と我が見む (2-165)
(写真・当麻休養センター・葛城市)
肉体を持った人間である私として、大事の弟を葬った山だから明日からは、二上山をば兄弟と見みねばならぬのだろうか。(山獄信仰に根ざしている。) -
同上。
歌碑の裏面。 書いてある内容はわからなかったが、私が察するに姉弟の事の様だ。 大伯皇女と大津皇子にまつわる。 -
皇女が弟(大津皇子)を二上山と見立てた・・・・、その二上山。
-
大伯皇女のこの歌の歌碑は奈良に多くあります。 ここにも同じ歌碑が2つ並んでありました、歌が有名な故に。
(写真・中央公民館前 香芝市) -
同上。 (写真・吉備池・桜井市)
-
大伯皇女は父親に天武天皇、母親に大田皇女(父天智)に持ち、2歳年下に弟の大津皇子がいる。母大田皇女が早世した為に不遇な一生を送った。大津皇子とは姉弟でとても仲が良かった。(私に云わせると異常な程)
十三歳で伊勢の斎宮となった大伯皇女は、弟・大津皇子が刑死した年に斎宮の任を解かれ、飛鳥の都へ帰ってくる。二十六歳になっていた。この歌は大津皇子を悼む挽歌と言えよう。伊勢から飛鳥まで、皇女がどんな思いで帰ってきたかは、この残された歌から知ることができる。
以後、大宝元年(701)に四十一歳でなくなるまで、大津皇子の葬られた二上山を眺める余生だったのであろう。 千三百余年の年月を経た今日は、美しい姿で私を迎えてくれた。 じっと眺めていると何故か皇女の思いを語りかけている様な?、そんな・・・・・・二上山であった。
(写真・二上山の夕日)
ー万葉の世界を訪ねて 前編 おわりー
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この旅行記へのコメント (37)
-
- willyさん 2017/02/05 11:30:35
- 初めまして
- ryujiさん
こんにちは。初めまして。willyと申します。
ご挨拶が遅くなりましたが、わたくしのいいかげんな旅行記にお出でいただき、いいねも頂戴しましてありがとうございました。
最初にご訪問頂いた時に 、どんな方だろうとお尋ねしましたら、あっと声の出てしまった星空の写真。素晴らしさに見入ってしまいました。写真がお上手なトラベラーさんはたくさんいらっしゃいますが、星空という特殊な分野は全くもって憧れの世界です。加えて星空にまつわる易しい解説もとても勉強になって、1人で見ていてもなかなかわからないことをたくさん知ることができました。ありがとうございます。
そして、熊野の記事にはかかなかったかもしれませんが、もともと斑鳩や大和に行こうとしていたのですが、それは早春が良かろうということで熊野に変更した経緯があり、こちらの記事がどんぴしゃりで拝見しました。
あまりに素敵で、多分、このテーマに関してこれ以上の旅行記はないだろうと、個人的に思いました。
他の方もおっしゃっておられますように
わたしも行く時には参考にさせて頂きたいと思います。
このあとも引き続き旅行記を拝見させていただきます。
また素敵な旅と記録を続けていかれますよう、楽しみにしております。
willy
- ryujiさん からの返信 2017/02/05 14:08:16
- RE: 初めまして
- > ryujiさん
>
> こんにちは。初めまして。willyと申します。
> ご挨拶が遅くなりましたが、わたくしのいいかげんな旅行記にお出でいただき、いいねも頂戴しましてありがとうございました。
willyさん、こちらこそはじめまして。 私はryujiと申します。(willyさんにならいまして) この度は、書き込みのコメントを頂きありがとうございます。 私の方こそお世話になっております、「いい加減な旅行記」だなんておっしゃらないでね。
>
> 最初にご訪問頂いた時に 、どんな方だろうとお尋ねしましたら、あっと声の出てしまった星空の写真。素晴らしさに見入ってしまいました。写真がお上手なトラベラーさんはたくさんいらっしゃいますが、星空という特殊な分野は全くもって憧れの世界です。加えて星空にまつわる易しい解説もとても勉強になって、1人で見ていてもなかなかわからないことをたくさん知ることができました。ありがとうございます。
お褒めに預り感謝感激です。 でも私なんてまだまだ序ノ口ですよ。 おっしゃる通り、このフォートラには写真の上手い方がいっぱい見えますね。 私は星空に興味があり、幾つかの旅行記を投稿していますが、なかなか難しく巧くゆかないのが現状のようです。
>
> そして、熊野の記事にはかかなかったかもしれませんが、もともと斑鳩や大和に行こうとしていたのですが、それは早春が良かろうということで熊野に変更した経緯があり、こちらの記事がどんぴしゃりで拝見しました。
> あまりに素敵で、多分、このテーマに関してこれ以上の旅行記はないだろうと、個人的に思いました。他の方もおっしゃっておられますようにわたしも行く時には参考にさせて頂きたいと思います。
「万葉集」を題材にした旅行記ですね。 「このテーマに関してこれ以上の旅行記はないだろうと」、だめでっすよ〜こんなことをおっしゃられては。 実はこれ投稿するときには躊躇しました、フォートラに載せるべきか否かを。 タイトルへの自身の思いがありましたので載せは致しましたが、どうも・・・・内容のまとまりが難しく今でも気がかりでしてね。 私は頭は良くない方でして、(かと申して他に取得もない)学校も出ておりません。 皆様方の10倍の時間、40年間をおっしゃるテーマに関わったのは事実のようです。 勉強をしたかどうかは別にして、ある意味「興味ある事を知りたい」これは継続してきたつもりです。 そんな経緯で現在この旅行記があるのですが、実際のところはどうなんでしょうね。(旅行記としての評価等)
> このあとも引き続き旅行記を拝見させていただきます。
> また素敵な旅と記録を続けていかれますよう、楽しみにしております。
>
> willy
ありがとうございます、励ましのお言葉で締めくくって頂き感謝です。 これからもよろしくお願いします。 とは申せ、高齢にいていつまで続くやら。
ryuji
>
>
- willyさん からの返信 2017/02/05 14:45:33
- RE: RE: 初めまして
- ryujiさん
早速のお返事ありがとうございます。謙虚なお言葉、恐れ入っております。
わたしはこちらのサイトに登録をしてからまだ日も浅いし、行ったところ全部の記録ものせていません。こちらに登録する前から自分のブログをもっていて、そちらがメインであるのもあり、両方に書くと結構な労力となりまして・・。
思い入れの強い旅ほど、大切に思うあまりなのか、あまり詳細に書かない、書けないということもありますし、書くならちゃんと納得いく形で書きたいとおもうので、リリースできるまでにずいぶんと時間がかかって悩みますね。
ちょろっといったところのほうが気楽に書けます。
旅行記に対する思いやスタイルは人それぞれのようで、気軽なタッチの方のものも面白いですが、わたしは書くことが好きなこともあるせいか、旅をして見つけたり感じたり考えたりしたことがその人独自の目線で書かれた旅行記が特に好きで目に留まります。
その意味でryujiさんの旅行記はぴたりとくるのですね。
ただ名所旧跡の写真だけならガイドブックをみればプロの写真があるわけですし、私自身がみつけた瞬間ならば撮る意味があると、せめてそこに救いを求める次第です。
万葉の旅のお写真も星空とはまた別に、ふつうの意味ですごくきれいです。いいなぁと思いまして、うらやましい限りです。
再来週、ベネチアの予定なのですが、人気のある都市なだけによく見る絵面だけで記事を埋めることがないようにしたいなあと思っています。
記事を拝見してすぐ3月末に奈良行のバスを予約しました!
willy
- ryujiさん からの返信 2017/02/05 21:14:57
- RE: RE: RE: 返事の返事を!
- > ryujiさん
>
> 早速のお返事ありがとうございます。謙虚なお言葉、恐れ入っております。
> わたしはこちらのサイトに登録をしてからまだ日も浅いし、行ったところ全部の記録ものせていません。こちらに登録する前から自分のブログをもっていて、そちらがメインであるのもあり、両方に書くと結構な労力となりまして・・。
こんばんは、willyさん。旅行記の投稿の方は4年半ぐらいでしたか?、もうベテランの域ですね。 小生は6年弱です、それ以前の物も3〜4点投稿したのかな。 フォートラは毎日の生活の中で、欠かせない一部となっていて結構楽しくやっています。
>
> 思い入れの強い旅ほど、大切に思うあまりなのか、あまり詳細に書かない、書けないということもありますし、書くならちゃんと納得いく形で書きたいとおもうので、リリースできるまでにずいぶんと時間がかかって悩みますね。
> ちょろっといったところのほうが気楽に書けます。
よく理解できます。 これは人それぞれで幾分の考え方の違いがあるかもしれません。 小生の場合は旅行記の作成に於いて、苦労・苦痛はないですね。 総じて楽しく作り上げる、モットーのようなものです。 時には地金が出て、(メッキが剥げる)ゆき過ぎた文章等の訂正をがありますが。 こればっかりは性格で、あまり気にせず自由・気ままにやっていきたいですね。。
>
> 旅行記に対する思いやスタイルは人それぞれのようで、気軽なタッチの方のものも面白いですが、わたしは書くことが好きなこともあるせいか、旅をして見つけたり感じたり考えたりしたことがその人独自の目線で書かれた旅行記が特に好きで目に留まります。
> その意味でryujiさんの旅行記はぴたりとくるのですね。
ありがとうございます。 おっしゃる自身の旅行記に対する思いやスタイルなんですが、どうも昨今変わり映えなく固まりつつあるようです。 特に星空・紅葉・桜。これが我がスタイルと云う事で納得しています。
>
> ただ名所旧跡の写真だけならガイドブックをみればプロの写真があるわけですし、私自身がみつけた瞬間ならば撮る意味があると、せめてそこに救いを求める次第です。
その通りですね。 写真の出来不出来を判断するならばプロの写真家に任せればいい。 そうではなくこのフォートラでは、素敵な思い出等を「見せっこ」する場と小生は思っています。
>
> 万葉の旅のお写真も星空とはまた別に、ふつうの意味ですごくきれいです。いいなぁと思いまして、うらやましい限りです。
> 再来週、ベネチアの予定なのですが、人気のある都市なだけによく見る絵面だけで記事を埋めることがないようにしたいなあと思っています。
イタリア旅行ですか、いいですねぇ〜羨ましい!。 美しい水の都を楽しんできてください。 旅行記の投稿を楽しみにしております。
>
> 記事を拝見してすぐ3月末に奈良行のバスを予約しました!
>
> willy
奈良旅行もね、旅行ラッシュで大変だ。 慌てず、焦らず頑張ってね!
ryuji
>
-
- Rolleiguyさん 2015/12/04 23:38:53
- 再訪
- ryujiさん
久し振りにこの旅行記を再訪しました。実は大分以前に拝見して、大変感銘を受けたために、その感触を保っておきたく、暫くご無沙汰していたものですが、ryujiさんに私の旅行記にしばしばおいでいただいているため、意を決して再訪したものです。 最初に拝見したときよりも印象が強くなり、写真と文章が一体となっていることに強く感銘を受けます。万葉の世界にはもう何年も足を踏み入れていませんが、次回その機会には是非ryujiさんのこの旅行記を写真ともどもコピーして持っていきたいと思っています。本当は、これは小冊子にして市販していただきたいくらいですが、折口信夫の訳を本に使うのは難しいかもしれませんね。折口信夫は、3年前まで私が仕事をしていたある私立学校で、戦後何年も講師として短歌の指導をしてくださった方で、ひときわ親しみを感じます。またお邪魔したいと思います。
Rolleiguy
- ryujiさん からの返信 2015/12/05 11:18:12
- RE: コメントを頂きありがとうございます
- > ryujiさん
> 久し振りにこの旅行記を再訪しました。実は大分以前に拝見して、大変感銘を受けたために、その感触を保っておきたく、暫くご無沙汰していたものですが、ryujiさんに私の旅行記にしばしばおいでいただいているため、意を決して再訪したものです。 最初に拝見したときよりも印象が強くなり、写真と文章が一体となっていることに強く感銘を受けます。万葉の世界にはもう何年も足を踏み入れていませんが、次回その機会には是非ryujiさんのこの旅行記を写真ともどもコピーして持っていきたいと思っています。本当は、これは小冊子にして市販していただきたいくらいですが、折口信夫の訳を本に使うのは難しいかもしれませんね。折口信夫は、3年前まで私が仕事をしていたある私立学校で、戦後何年も講師として短歌の指導をしてくださった方で、ひときわ親しみを感じます。またお邪魔したいと思います。
> Rolleiguy
こんにちは、Rolleiguyさん。
ずいぶん前の旅行記を改めて見て頂けた事、小生にとっては感謝感激でいっぱいです。 もっともそれだけの価値を有するかは甚だ疑問ですが。 小生がこの分野(万葉集)に興味を持ったのは十代の頃からです。 老年に好きで始めた旅行記の一編ですが、余りにも稚拙な(褒めては頂きましたが)内容にて今だもって投稿に躊躇している次第です。
Rolleiguyさんは折口信夫にお詳しいですね。 小生が同氏を知ったのは二十代(著書を購入)で、すでに亡くなられていました。
今回コメントを頂きましたので、小生の敬愛する折口信夫先生の人となりを述べたいと思います。 最初に、「口約万葉集(全)」を買ったのは計画も何もあった訳ではありませんでした。 はっきり申しまして著名な民俗学者・国文学者・和歌選者すら知らなかったぐらいです。 おっしゃる様に口約がむずかしいですね。 辞書を片手での理解する事が多かったことを記憶しています。(とは言っても4500の1割にも満たない) でも気に入った点があります。まずは先生の感想が織り込まれて事、同氏の造詣の深い独自の感覚に小生は酔いました。それと和歌を採点する?、傑作・佳作・無印がいい〜ですね。 小生のような凡人からすれば、和歌の良否を決めるより単に好きなもの楽しむのがころあいかもしれません。 好奇心旺盛な方で、折口信夫先生が良いとおっしゃる和歌に小生も同化したい思いでいました。
おそらく先生は、人生・はかなさ・旅のテーマが好きではないのかな。 そこで万葉集の中で一首選ぶとすれば、「家にてもたゆたう命・・・・・」(17−3896)を挙げてみえます。 この和歌は小生にはちょっと?理解しがたい感じ。 それよりも先生に教えて頂き、素晴らしい花の和歌(地元の桜の旅行記に投稿)を知ったのは、小生かけがえのない人生の喜びの1コマです。
長々とたわいのない話して申し訳ありません、お許しを。
ryuji
-
- kaz-ykさん 2015/10/28 08:53:07
- 始めまして
- ryujiさん 今日は
小生の拙いブログにお越し願い有難う御座いました。
足跡を辿り,貴女様の万葉の歌碑を巡る旅にお邪魔ししました。
清らかな優雅な旅、博学で軽妙なご説明に、うっとりです。
綺麗なお写真と相俟って、万葉の時代が、目に浮かびます。
学生時代、万葉集の入門を、某女性国文学者の本で読み、額田女王や、
聖徳太子、蘇我馬子、物部の討伐など、読みましたが、上面のみです。
その後、歴史に興味を持ち、海外渡航の前後には、現地の歴史を勉強してきました。曰く 神聖ローマ帝国、コンスタンチノーブルの陥落、中東での英国の2枚舌、アラビアのローレンスなどを調ました。
ご紹介感謝致します。
- ryujiさん からの返信 2015/10/28 12:23:47
- RE: こちらこそ、はじめまして
- > ryujiさん 今日は
>
> 小生の拙いブログにお越し願い有難う御座いました。
こんにちは、kaz-ykさん。 書き込みを頂きありがとうございます。
>
> 足跡を辿り,貴女様の万葉の歌碑を巡る旅にお邪魔ししました。
「万葉の世界を訪ねて」の旅行記を見て頂き恐縮です。 トラベラーryujiのイメージを壊したかもしれませんが、小生は冴えない老人(男)でございます。
>
> 清らかな優雅な旅、博学で軽妙なご説明に、うっとりです。
>
> 綺麗なお写真と相俟って、万葉の時代が、目に浮かびます。
決してそのような旅行記ではありません。 万葉の時代が大好きであることは間違いない事ですが。 幾分なり力を入れてしまった思いはありますがダメですね。 文が苦手で構成力が無い為、お見苦しい限りです。
>
> 学生時代、万葉集の入門を、某女性国文学者の本で読み、額田女王や、
> 聖徳太子、蘇我馬子、物部の討伐など、読みましたが、上面のみです。
>
> その後、歴史に興味を持ち、海外渡航の前後には、現地の歴史を勉強してきました。曰く 神聖ローマ帝国、コンスタンチノーブルの陥落、中東での英国の2枚舌、アラビアのローレンスなどを調ました。
日本、洋の東西を問わず歴史にお詳しいですね。 小生は日本史ではやはり古代です。 西洋史ではローマ帝国の興亡に興味があります。 関連でおっしやるビザンツ帝国の滅亡は悲哀です。
>
> ご紹介感謝致します。
改めて書き込みを頂きありがとうございます。
ryuji
>
-
- わんぱく大将さん 2013/09/15 02:25:57
- ミステリーな世界
- ryujiさん
知らない間にこんな力作を作られてたのですね。
万葉の世界はミステリアス。暗号によって歴史を伝えるような感じに思えます(自分のとっては)
大将
- ryujiさん からの返信 2013/09/15 13:42:26
- RE: ミステリーな世界
- > ryujiさん
>
> 知らない間にこんな力作を作られてたのですね。
> 万葉の世界はミステリアス。暗号によって歴史を伝えるような感じに思えます(自分のとっては)
>
> 大将
おはようございます、大将さん。
力作ですか?、ありがとうございます。
万葉の世界はミステリアス、う〜んいいですねぇ〜、確かに謎めいています。これは男の発想かも知れませんが、ロマンを推したいですね。小生はこの言葉がいいです。
ありがとう、大将さん。
-
- 十三の白髭さん 2013/06/05 20:33:40
- 初めまして。
- ryujiさん
今晩は、
私もこの時代に興味があり
10代の頃から、奈良飛鳥地方には何回も足を運びましたが
歴代の天皇陵墓ばかりを見て回る
1代神武天皇〜45代聖武天皇
退職してからは少し離れていますが、ryujiさんの旅行記を見てから
また、始めようかと思います
素晴らしい写真、コメントですね
旅行記にお邪魔させてもらいます
〜十三の白髭〜
- ryujiさん からの返信 2013/06/06 08:58:41
- RE: 初めまして。
- > ryujiさん
>
> 今晩は、
>
> 私もこの時代に興味があり
>
> 10代の頃から、奈良飛鳥地方には何回も足を運びましたが
> 歴代の天皇陵墓ばかりを見て回る
>
> 1代神武天皇〜45代聖武天皇
>
> 退職してからは少し離れていますが、ryujiさんの旅行記を見てから
> また、始めようかと思います
>
> 素晴らしい写真、コメントですね
>
> 旅行記にお邪魔させてもらいます
>
> 〜十三の白髭〜
こちらこそ、はじめまして。
メールを嬉しく拝見しました。私も歴史が大好きなんですよ!、特に日本の古代史が。十三の白髭さんはいいですね、関西にお住まいで。(関西でしょ?) 昨今私は奈良にはまって、車で走るんです。(名阪国道を)我が家から3時間程です。今後、テーマもっての奈良を廻りたいですね。そうそう、歴代の天皇陵、これは興味有です。ちかじか旅行記の仕上げで奈良へ行きます。
ありがとうございます、今後ともよろしくお願いします。
ryuji
-
- frau.himmelさん 2012/12/19 21:01:57
- ていねいに仕上げられた旅行記!
- ryujiさん お久しぶりです。
ryujiさんのヨーロッパ旅行記は拝見させていただいていましたが、
日本国内の旅行記もステキですね。
まず、お写真がきれいなのよねー
万葉集の歌が貼り付けられているところがいいのよねー
コメントがまたいいのよねー
結局、全部いいのよねーってことになってしまいました。
とっても丁寧に仕上げられた旅行記、見るものを幸せにしてくれます。
ありがとうございました。
himmel
- ryujiさん からの返信 2012/12/20 13:46:01
- RE: ありがとうございました。
- > ryujiさん お久しぶりです。
>
> ryujiさんのヨーロッパ旅行記は拝見させていただいていましたが、
> 日本国内の旅行記もステキですね。
>
> まず、お写真がきれいなのよねー
> 万葉集の歌が貼り付けられているところがいいのよねー
> コメントがまたいいのよねー
>
> 結局、全部いいのよねーってことになってしまいました。
>
> とっても丁寧に仕上げられた旅行記、見るものを幸せにしてくれます。
>
> ありがとうございました。
>
> himmel
frau himmelさん、こんにちは。本当にお久しぶりです。ご無沙汰しておりました。書き込みメールを頂きありがとうございます。
himmelさん!、いつの間に?ドイツ旅行記の投稿がいっぱいで!びっくりです。私は最近までずーと(夏〜秋)見てなくて、ごめんなさい。確か、グリム兄弟&心優しい青年との出会いの旅行記以後見てない様でした。himmelさんは本当にドイツがお好きなんですね。いい〜ですねぇ、ドイツを愛してやまない心情が旅行記を素晴らしくしています。ぼちぼちですが拝見します。よろしく。
私の旅行記の感想で・・・・・・、身に余るお言葉にいささか私は有頂天です。
(どうだ。僕はねぇ、himmelさんに旅行記を見てもらったんだ。そしてメールもだよ。多くの人がもらえないという。・・・・・・これは旅行記の中の鎌足のセリフとされる部分の引用です。どうやら私も鎌足と同じ心境みたい。)
こんな能天気な(いい気になっている)私ですので、himmelさんからは、ばっさり切り捨ての酷評の方が良かったのではと思っています。そんな事で、今後厳しいご意見も宜しくお願いします。
この度はありがとうございました。文面での失礼の段はお許しを。
ryuji
- frau.himmelさん からの返信 2012/12/20 20:59:05
- RE: RE: ありがとうございました。
- 何をおっしゃいます、ryujiさん。
私こそ身にあまるお言葉。
思わず、誰のこと?って周りをキョロキョロしました。
遅くてノロクて、齢のせいにはしたくありませんが、
たぶん1年がかりで今年の旅行記を仕上げられるかな?というところです。
でも、その間、旅の思い出に浸っていられますので、
随分と経済的な旅行だったと思います。
> こんな能天気な(いい気になっている)私ですので、himmelさんからは、ばっさり切り捨ての酷評の方が良かったのではと思っています。そんな事で、今後厳しいご意見も宜しくお願いします。
ryujiさんのどこを酷評すればいいのか?
それを考えるほうが難しいと思います。
また、お邪魔しますね。
himmel
- ryujiさん からの返信 2012/12/21 13:06:29
- REありがとうございます。
- > ryujiさん お久しぶりです。
>
> ryujiさんのヨーロッパ旅行記は拝見させていただいていましたが、
> 日本国内の旅行記もステキですね。
>
> まず、お写真がきれいなのよねー
> 万葉集の歌が貼り付けられているところがいいのよねー
> コメントがまたいいのよねー
>
> 結局、全部いいのよねーってことになってしまいました。
>
> とっても丁寧に仕上げられた旅行記、見るものを幸せにしてくれます。
>
> ありがとうございました。
>
> himmel
こんにちは、frau.himmelさん。
今年も残り少なくなりました。himeelさん、このところ寒い日が続いています。風邪などひかれぬようご滋養下さい。私も今のところ何とかやっております。来年の事はまだ具体化(旅行)してませんが、1つ2つ・・・ぼちぼちとがんばりますので宜しくお願いします。
ありがとうございました。
ryuji
-
- くまくまさん 2012/12/06 11:04:32
- ryujiさーん
- くまくまです
こんにちわ
すみません、きのうはばたばたと読み逃げしていまいました。
万葉の世界、見ごたえありましたね〜
さすが奈良、そこここに歌碑があるのですね。
一か所に泊まってあちこち歩く、これぞ旅というかんじです。
私は京都のお寺より、奈良の密教文化が好きで学生時代にはいきましたが、
学生時代に見たものと今見るものはなんだか違う気がします。
わたしもryujiさんのように、ゆっくり奈良を訪ねてみたいなと思いました。
後篇もお待ちしております。
- ryujiさん からの返信 2012/12/07 09:27:44
- RE: ありがとうございます。
- > くまくまです
> こんにちわ
>
> すみません、きのうはばたばたと読み逃げしていまいました。
>
> 万葉の世界、見ごたえありましたね〜
> さすが奈良、そこここに歌碑があるのですね。
> 一か所に泊まってあちこち歩く、これぞ旅というかんじです。
> 私は京都のお寺より、奈良の密教文化が好きで学生時代にはいきましたが、
> 学生時代に見たものと今見るものはなんだか違う気がします。
> わたしもryujiさんのように、ゆっくり奈良を訪ねてみたいなと思いました。
>
> 後篇もお待ちしております。
おはようございます、くまくまさん。
読み逃げでしたか〜(笑い)。いい言葉ですね、私なんぞ何百人の方の旅行記を読み逃げしたことか、ここで謝っておきます。
私の旅行記「万葉の世界」を見て頂きありがとう。大した旅行記ではありませんが、こうゆうのが私の趣味(好きなところ)で是非体験したかったのが今回の旅行でした。人それぞれ感じ方は違っていても、旅行はいいですね。くまくまさん、奈良に興味をお持ちならば是非とも・・・・・、きっと素敵な発見があると思います。
ありがとう、くまくまさん。
ryuji
-
- わんぱく大将さん 2012/11/28 10:08:29
- 万葉集
- ryujiさん
万葉の歌、いいですね。中学の時には、いろいろ覚えさせられ、その時はそんなにいいとは思いませんでしたが、言葉の音がいいというか。
それに合わせてのお写真、いいですなあ。写真とともに、音楽が後ろでなってるかのような歌。何とも言えません。
大将
- ryujiさん からの返信 2012/11/29 09:09:27
- RE: ありがとうございます。
- > ryujiさん
>
> 万葉の歌、いいですね。中学の時には、いろいろ覚えさせられ、その時はそんなにいいとは思いませんでしたが、言葉の音がいいというか。
> それに合わせてのお写真、いいですなあ。写真とともに、音楽が後ろでなってるかのような歌。何とも言えません。
>
> 大将
大将さん、私の旅行記を見てくれてありがとう。
仰った「言葉の音」がある、いい〜ですねぇ〜。これ大将さんの名言ですよ。きっと和歌の(五・七・五・七・七)流れにリズムがあると私は理解しました。
写真、褒めていただきありがとう。おだててではないでしょうね。又木に登らなければなりません。
大将さん、素敵なコメントをありがとう。
ryuji
-
- naniwa ladyさん 2012/11/26 08:16:33
- おはようございまーーす♪♪
- ryujiさん、飛鳥、そして万葉集、味あわせていただきました。
額田王のあの歌、せつないですよね。万葉人はずーーと好きな人を待つ生活をしていたのでしょうか。。この歌、大好きです。
万葉集を読んでいると、まだちょっとかじった程度ですが、可愛くて、切なくて、ほんわかした気持ちになります。自分の気持ちを歌に表す才能、私も欲しいなぁ。。
- ryujiさん からの返信 2012/11/26 09:04:05
- RE: ありがとうございまーーす♪♪
- > ryujiさん、飛鳥、そして万葉集、味あわせていただきました。
> 額田王のあの歌、せつないですよね。万葉人はずーーと好きな人を待つ生活をしていたのでしょうか。。この歌、大好きです。
> 万葉集を読んでいると、まだちょっとかじった程度ですが、可愛くて、切なくて、ほんわかした気持ちになります。自分の気持ちを歌に表す才能、私も欲しいなぁ。。
おはようございまーーす♪♪、naniwaladyさん。
私の旅行記を見てくれてありがとう〜。私は思います、万葉人(女性)の気質は今現代女性に受け継がれています。それ故、naniwailadyさんの感性・才能(旅行記を作られる)は十分に額田王と共有でき、その素晴らしさを感じ取る事ができるのです。万葉集は日本人の心の原点です。
はっ、はっ、は〜、生意気を申しました、すみません。この度は素敵なコメントをありがとう。
ryuji
-
- DANAさん 2012/11/13 21:31:22
- 万葉の歌と素晴らしい画像
- ryuji様
万葉集、大好きです。若い頃は随分暗唱しておりましたが、最近はちょっぴりご無沙汰していました。
額田王、素敵な女性だったのでしょうね。彼女の出自には諸説ありますし、姉の鏡女王も不思議な雰囲気を持っていますよね…。謎のままがいいのか、事実を突き詰めていくべきなのか。ロマンとのジレンマ。
それにしても、凝った画像です。特に、柿本人麻呂の秀歌「ひんがしの…」、思い入れが感じられます。風景を想像すると、雄大な自然と読み手の壮絶な葛藤を感じてしまいますが、本当はどうだったのでしょうね。
DANA
- ryujiさん からの返信 2012/11/14 10:33:19
- RE: 万葉の歌と素晴らしい画像
- > ryuji様
>
> 万葉集、大好きです。若い頃は随分暗唱しておりましたが、最近はちょっぴりご無沙汰していました。
>
> 額田王、素敵な女性だったのでしょうね。彼女の出自には諸説ありますし、姉の鏡女王も不思議な雰囲気を持っていますよね…。謎のままがいいのか、事実を突き詰めていくべきなのか。ロマンとのジレンマ。
>
> それにしても、凝った画像です。特に、柿本人麻呂の秀歌「ひんがしの…」、思い入れが感じられます。風景を想像すると、雄大な自然と読み手の壮絶な葛藤を感じてしまいますが、本当はどうだったのでしょうね。
>
> DANA
おはようございます、DANAさま。
DANAさんも万葉集の愛好家ですか。それはよかった、うれしいです。一般的でないこの旅行記、見て頂ける人がいないと私は思っていました。
私から鏡女王(鏡王女)についてコメントさせてください。鏡女王の歌は私は1首しか知りません。(風をだに・・・・・・。)旅行記に載せた額田王のすぐ後にあります。待つ楽しみ?の額田王に対して、鏡女王の待つ悲痛な思いは対照的ですね。
余談ですが鏡女王は鎌足の正妻になっています。かって天智より譲り受けた安見児が鏡女王では、という説もあります。歴史で有名な藤原不比等(鎌足の二男)はご存知ですね。母親は車持国子の娘が定説ですが、昨今、鏡女王も有力です。身ごもった彼女を妻とした鎌足・・・・、お分かりですね。不比等落胤説(後胤)です。(13歳で後ろ盾を失いつつも藤原宮トップを極めた。私見、まんざら嘘でないかも)
ごめんなさい、DANAさん。 好き勝手を申しました、お許しを。(これ以上は・・・人麻呂は遠慮します)
旅行記を見て頂きありがとう。これからも宜しくお願いします。
ryuji
-
- ココさん 2012/11/13 01:26:59
- こんばんは☆
- ryujiさん
こんばんは。
こんな夜中に失礼します。
万葉の世界の旅行記、ゆっくり見させていただきました。
学生の頃に習った古文や歴史の授業を思い出しながら、
意味を考えながら・・・
この歳になって再びそういう文章を見るとも思っていなかったので新鮮でした。
昔の言葉は情緒があり美しいですね。
すすきやなでしこも季節感があって素敵です。
特にこの夕陽の写真が好きです。
すごく素敵だったのでコメントさせていただきました。
この写真を見ていると心が浄化されるようです。
実際に見たらもっといいのでしょうね☆
だんだん寒くなってきましたね。
お風邪などひかないよう、お体には気をつけて
これからも素敵な旅行記アップしてくださいね。
期待しております。
ではでは☆
ココ
- ryujiさん からの返信 2012/11/14 09:06:15
- RE: ありがとうございます。
- > ryujiさん
>
> こんばんは。
> こんな夜中に失礼します。
>
> 万葉の世界の旅行記、ゆっくり見させていただきました。
> 学生の頃に習った古文や歴史の授業を思い出しながら、
> 意味を考えながら・・・
> この歳になって再びそういう文章を見るとも思っていなかったので新鮮でした。
> 昔の言葉は情緒があり美しいですね。
>
> すすきやなでしこも季節感があって素敵です。
> 特にこの夕陽の写真が好きです。
> すごく素敵だったのでコメントさせていただきました。
> この写真を見ていると心が浄化されるようです。
> 実際に見たらもっといいのでしょうね☆
>
> だんだん寒くなってきましたね。
> お風邪などひかないよう、お体には気をつけて
> これからも素敵な旅行記アップしてくださいね。
> 期待しております。
>
> ではでは☆
>
> ココ
>
>
おはようございます、ココさん。
まずは、万葉の旅行記を見てくれてありがとう。大した旅行記ではありませんがココさんに褒めて頂き嬉しく思っています。
永年来描いてみたいと思っていた課題、何とか仕上がりほっとしたところが今の心境です。一感想としては、自身として(私のような者がこの旅行記を投稿すること)何か万葉集に対して申し訳ない気持ちです。もっと真摯に取り組むべきが反省点です。
ありがとう、ココさん。
-
- 横浜臨海公園さん 2012/11/06 14:18:07
- 大津皇子
- ryujiさま、こんにちは。
大津皇子と大伯皇女は天智系列と見做され、皇位につく事を嫉み危険視した天武系列に拠り粛清されたと観るべき皇族です。
この後、天武系列に属した孝謙天皇に至るまで、天武系列な内紛に次ぐ内紛が続き、淳仁天皇など謀反の容疑ありとして廃嫡させられ淡路島に流されたりと、結局首を絞めてしまい、天武系列は自滅の道を辿ります。
孝謙天皇崩御後に即位した光仁天皇など、天智系列でありながら、天武系列から謀反で粛清される事を恐れ、酒ばかり飲んで世をくらましていたと伝えれている方です。
大伯皇女の詩は悲哀を感じさせる内容で、小生も好きなものです。
横浜臨海公園
- ryujiさん からの返信 2012/11/07 06:49:23
- RE: 大津皇子
- > ryujiさま、こんにちは。
>
>
> 大津皇子と大伯皇女は天智系列と見做され、皇位につく事を嫉み危険視した天武系列に拠り粛清されたと観るべき皇族です。
>
> この後、天武系列に属した孝謙天皇に至るまで、天武系列な内紛に次ぐ内紛が続き、淳仁天皇など謀反の容疑ありとして廃嫡させられ淡路島に流されたりと、結局首を絞めてしまい、天武系列は自滅の道を辿ります。
> 孝謙天皇崩御後に即位した光仁天皇など、天智系列でありながら、天武系列から謀反で粛清される事を恐れ、酒ばかり飲んで世をくらましていたと伝えれている方です。
>
> 大伯皇女の詩は悲哀を感じさせる内容で、小生も好きなものです。
>
>
>
>
> 横浜臨海公園
おはようございます、横浜臨海公園さま。
突然の休養宣言に驚いております。お体の状況、知るすべもありませんが一刻も早い快癒をお祈りいたします。この度は、私の拙い旅行記を見ていただいたこと嬉しく思っております。又、書き込みまで頂きありがとうございます。
私といたしましては、できればメールでのバトル(古代史)をお願いしたいところですが、元気な横浜臨海公園さんになって頂くことを祈ってやみません。 ryuji
- ryujiさん からの返信 2012/11/21 13:17:47
- RE: 大津皇子
- > ryujiさま、こんにちは。
>
>
> 大津皇子と大伯皇女は天智系列と見做され、皇位につく事を嫉み危険視した天武系列に拠り粛清されたと観るべき皇族です。
>
> この後、天武系列に属した孝謙天皇に至るまで、天武系列な内紛に次ぐ内紛が続き、淳仁天皇など謀反の容疑ありとして廃嫡させられ淡路島に流されたりと、結局首を絞めてしまい、天武系列は自滅の道を辿ります。
> 孝謙天皇崩御後に即位した光仁天皇など、天智系列でありながら、天武系列から謀反で粛清される事を恐れ、酒ばかり飲んで世をくらましていたと伝えれている方です。
>
> 大伯皇女の詩は悲哀を感じさせる内容で、小生も好きなものです。
>
>
>
>
> 横浜臨海公園
こんにちは、横浜臨海公園さま。
お久しぶりです。フォートラ復活宣言、まずはおめでとうございます。よかったですね、心身の疲労等よりの脱却、これからのご活躍を期待します。
さて、私の大好きな(敬愛してやまない)大津皇子のコメント、ありがとうございます。横浜臨海公園さんの造詣深いお言葉に関心を持って拝見しました。自身の考え(一説にあり)を一つ加えさせてください。
大津皇子の悲劇の一端は、天武天皇の第3子でなく第2子(草壁皇子より年上)だったではなかろうか?。まず第1子は高市皇子、勝れた人格者であったが母親の身分が低く除外されても仕方がない。この時代、長子及び母親の身分が絶対的に優先であった。宮中では慣例通りの大津皇子の皇位継承の意見が多かったと思います。姉が早世し妹(持統)が皇后となり権力の中枢となり、その息子(草壁)が凡庸であったのが問題を大きくしたと私は考えます。その後のことは横浜臨海公園さんの仰るとおり、私も同感です。
大津皇子第2子、草壁皇子第3子説はいかがお考えでしょうか?。横浜臨海公園さん、コメント宜しくお願いします。
この度は、コメントを頂いたこと改めて御礼申し上げます。
ryuji
- 横浜臨海公園さん からの返信 2012/11/22 16:52:23
- 拝復
- ryujiさま、こんにちは。
この度は、メッセージを賜りまして誠に有難うございました。
> さて、私の大好きな(敬愛してやまない)大津皇子のコメント、ありがとうございます。横浜臨海公園さんの造詣深いお言葉に関心を持って拝見しました。自身の考え(一説にあり)を一つ加えさせてください。
>
> 大津皇子の悲劇の一端は、天武天皇の第3子でなく第2子(草壁皇子より年上)だったではなかろうか?。まず第1子は高市皇子、勝れた人格者であったが母親の身分が低く除外されても仕方がない。この時代、長子及び母親の身分が絶対的に優先であった。宮中では慣例通りの大津皇子の皇位継承の意見が多かったと思います。姉が早世し妹(持統)が皇后となり権力の中枢となり、その息子(草壁)が凡庸であったのが問題を大きくしたと私は考えます。その後のことは横浜臨海公園さんの仰るとおり、私も同感です。
> 大津皇子第2子、草壁皇子第3子説はいかがお考えでしょうか?。横浜臨海公園さん、コメント宜しくお願いします。
→仰せの通り、大津皇子は秀逸で頭脳明晰とされた方で、敵視するグループが存在したものと思います。
また、平安期に於ける桓武天皇の生母は高野新笠と云う身分低き者ですが、即位が可能だったのに対し、奈良期では高市皇子の如き生母の身分低き者では皇位継承者として除外され、そうなると大津皇子の存在は将来に於ける有力皇位継承者となり得る事から危険視されたものと考えております。
横浜臨海公園
- ryujiさん からの返信 2012/11/23 05:18:45
- RE: 拝復
- > ryujiさま、こんにちは。
>
>
> この度は、メッセージを賜りまして誠に有難うございました。
>
> > さて、私の大好きな(敬愛してやまない)大津皇子のコメント、ありがとうございます。横浜臨海公園さんの造詣深いお言葉に関心を持って拝見しました。自身の考え(一説にあり)を一つ加えさせてください。
> >
> > 大津皇子の悲劇の一端は、天武天皇の第3子でなく第2子(草壁皇子より年上)だったではなかろうか?。まず第1子は高市皇子、勝れた人格者であったが母親の身分が低く除外されても仕方がない。この時代、長子及び母親の身分が絶対的に優先であった。宮中では慣例通りの大津皇子の皇位継承の意見が多かったと思います。姉が早世し妹(持統)が皇后となり権力の中枢となり、その息子(草壁)が凡庸であったのが問題を大きくしたと私は考えます。その後のことは横浜臨海公園さんの仰るとおり、私も同感です。
> > 大津皇子第2子、草壁皇子第3子説はいかがお考えでしょうか?。横浜臨海公園さん、コメント宜しくお願いします。
> →仰せの通り、大津皇子は秀逸で頭脳明晰とされた方で、敵視するグループが存在したものと思います。
> また、平安期に於ける桓武天皇の生母は高野新笠と云う身分低き者ですが、即位が可能だったのに対し、奈良期では高市皇子の如き生母の身分低き者では皇位継承者として除外され、そうなると大津皇子の存在は将来に於ける有力皇位継承者となり得る事から危険視されたものと考えております。
>
>
>
> 横浜臨海公園
おはようございます、横浜臨海公園さま。
早速のご返答ありがとうございました。小生にも少しばかり反論させてください。 私の長子・母親の身分論で、高市皇子に山部王を引き合いに出されては白旗を揚げざるを得ません。・・・がしかし横浜臨海公園さんもご承知の事と思いますが、桓武帝誕生秘話をもって弁解します。(今回は大津皇子と違ってかなり真面目に)
まぁ、歴史と言うものは後から何とでも付け加えることができ、真実かは別にして文献からの私なりの考えを述べます。桓武天皇の即位ができたのは強力な後ろ盾者があったのひと言です。
後世の我々からして藤原氏は日本国をだめにしたと言います。がしかし・・3人を除いての事、その1人が藤原百川です。光仁天皇の擁立と山部王の立太子の立て役者、その人です。百川はかなり以前(武智麻呂全盛期)より山部王と親交があり、かなり王をかっていた。若き山部王を励まし(血統の壁等で悩む王を勇気付けた) 次世代を展望していたとされます。奈良朝末期の血なまぐさい粛清につぐ粛清に癖壁していた公家たちにも一つの道筋があったようです。(天武系から天智系へ・・吉備真備は頑固として反対論者) 藤原四家(左大臣永手中心に)がこぞって白壁王を押し、(百川の策略をもって) 光仁天皇が誕生した。百川と違って公家の全てが、(この時百川は公家でなかったと思う)母系での天武の血を残す事に固執していたようです。
百川と云う人物は強引で策士だったのであろう。(称徳天皇毒殺説・井上皇后、皇太子親子幽閉) 百川自身、これを自らの役目と承知していたようで、桓武帝を見届けることなく病死した。
余談として桓武帝時代より薬子の変までは式家の全盛時代となる。これも百川のおかげと私は思う。(娘旅子は桓武帝妃で淳和天皇母.遺子緒嗣を若年で公家に抜擢等)
横浜臨海公園さん、万葉集及び大津皇子から話が大きく外れました。これもフォートラと云うことでおゆるしを。
ryuji
- 横浜臨海公園さん からの返信 2012/11/23 05:30:49
- 再拝復
- ryujiさま、おはようございます。
早速メッセージを賜りまして誠に有難うございました。
大津皇子といい、有間皇子といい、奈良期に於いて有能な人物が登場すると危険視して抹殺された時代背景は悲哀です。
横浜臨海公園
- ryujiさん からの返信 2012/11/23 05:41:17
- RE: RE: 拝復
- > > ryujiさま、こんにちは。
> >
> >
> > この度は、メッセージを賜りまして誠に有難うございました。
> >
> > > さて、私の大好きな(敬愛してやまない)大津皇子のコメント、ありがとうございます。横浜臨海公園さんの造詣深いお言葉に関心を持って拝見しました。自身の考え(一説にあり)を一つ加えさせてください。
> > >
> > > 大津皇子の悲劇の一端は、天武天皇の第3子でなく第2子(草壁皇子より年上)だったではなかろうか?。まず第1子は高市皇子、勝れた人格者であったが母親の身分が低く除外されても仕方がない。この時代、長子及び母親の身分が絶対的に優先であった。宮中では慣例通りの大津皇子の皇位継承の意見が多かったと思います。姉が早世し妹(持統)が皇后となり権力の中枢となり、その息子(草壁)が凡庸であったのが問題を大きくしたと私は考えます。その後のことは横浜臨海公園さんの仰るとおり、私も同感です。
> > > 大津皇子第2子、草壁皇子第3子説はいかがお考えでしょうか?。横浜臨海公園さん、コメント宜しくお願いします。
> > →仰せの通り、大津皇子は秀逸で頭脳明晰とされた方で、敵視するグループが存在したものと思います。
> > また、平安期に於ける桓武天皇の生母は高野新笠と云う身分低き者ですが、即位が可能だったのに対し、奈良期では高市皇子の如き生母の身分低き者では皇位継承者として除外され、そうなると大津皇子の存在は将来に於ける有力皇位継承者となり得る事から危険視されたものと考えております。
> >
> >
> >
> > 横浜臨海公園
>
> おはようございます、横浜臨海公園さま。
>
> 早速のご返答ありがとうございました。小生にも少しばかり反論させてください。 私の長子・母親の身分論で、高市皇子に山部王を引き合いに出されては白旗を揚げざるを得ません。・・・がしかし横浜臨海公園さんもご承知の事と思いますが、桓武帝誕生秘話をもって弁解します。(今回は大津皇子と違ってかなり真面目に)
> まぁ、歴史と言うものは後から何とでも付け加えることができ、真実かは別にして文献からの私なりの考えを述べます。桓武天皇の即位ができたのは強力な後ろ盾者があったのひと言です。
> 後世の我々からして藤原氏は日本国をだめにしたと言います。がしかし・・3人を除いての事、その1人が藤原百川です。光仁天皇の擁立と山部王の立太子の立て役者、その人です。百川はかなり以前(武智麻呂全盛期)より山部王と親交があり、かなり王をかっていた。若き山部王を励まし(血統の壁等で悩む王を勇気付けた) 次世代を展望していたとされます。奈良朝末期の血なまぐさい粛清につぐ粛清に癖壁していた公家たちにも一つの道筋があったようです。(天武系から天智系へ・・吉備真備は頑固として反対論者) 藤原四家(左大臣永手中心に)がこぞって白壁王を押し、(百川の策略をもって) 光仁天皇が誕生した。百川と違って公家の全てが、(この時百川は公家でなかったと思う)母系での天武の血を残す事に固執していたようです。
> 百川と云う人物は強引で策士だったのであろう。(称徳天皇毒殺説・井上皇后、皇太子親子幽閉) 百川自身、これを自らの役目と承知していたようで、桓武帝を見届けることなく病死した。
> 余談として桓武帝時代より薬子の変までは式家の全盛時代となる。これも百川のおかげと私は思う。(娘旅子は桓武帝妃で淳和天皇母.遺子緒嗣を若年で公家に抜擢等)
> 横浜臨海公園さん、万葉集及び大津皇子から話が大きく外れました。これもフォートラと云うことでおゆるしを。
> ryuji
横浜臨海公園さま。
訂正します、宜しく。(武智麻呂ではなく)仲麻呂又は恵美押勝と言う事で。大変失礼しました。
ryuji
- ryujiさん からの返信 2012/11/23 11:53:38
- RE: 再拝復
- > ryujiさま、おはようございます。
>
>
> 早速メッセージを賜りまして誠に有難うございました。
>
> 大津皇子といい、有間皇子といい、奈良期に於いて有能な人物が登場すると危険視して抹殺された時代背景は悲哀です。
>
>
>
> 横浜臨海公園
おはようございます、横浜臨海公園さま。
こちらこそ何時もメッセージを頂きありがとうございます。有間皇子につきましては来年、後編にて旅行記を投稿したい所存です。
ryuji
- 横浜臨海公園さん からの返信 2012/11/24 03:01:21
- 再々拝復
- ryujiさま、こんばんは。
> こちらこそ何時もメッセージを頂きありがとうございます。有間皇子につきましては来年、後編にて旅行記を投稿したい所存です。
万葉集に於ける松枝に結びし詩、及び、旅中に於ける椎の葉の詩、何れも、小生愛唱のものです。
横浜臨海公園
-
- norisaさん 2012/11/06 13:59:16
- 花鳥風月
- ryujiさん
こんにちは!
相変わらず美しいお写真の数々ですね!
それにしても万葉の里、こうしてみると素晴らしいところですね。
ryujiさんの画像、花鳥風月の全て(いや鳥さんはいないが)が日の移り変わりとともに表現されていて、プロ顔負けの凄さですーー。
さらに和歌とフォークソングを比較したくだりは思わず納得の苦笑をしてしまいました。
とでも見ごたえ、読み応えのある作品でしたーー。
norisa
- ryujiさん からの返信 2012/11/08 12:15:41
- RE: 花鳥風月
- > ryujiさん
>
> こんにちは!
>
> 相変わらず美しいお写真の数々ですね!
>
> それにしても万葉の里、こうしてみると素晴らしいところですね。
>
> ryujiさんの画像、花鳥風月の全て(いや鳥さんはいないが)が日の移り変わりとともに表現されていて、プロ顔負けの凄さですーー。
>
> さらに和歌とフォークソングを比較したくだりは思わず納得の苦笑をしてしまいました。
>
> とでも見ごたえ、読み応えのある作品でしたーー。
>
> norisa
こんにちは、norisaさん!。
書き込みを頂きありがとう。まずは私の今回の奈良旅行を見て頂けたこと嬉しく思います。そうですか、私の写真の美しさ・・・はねぇ〜?。 とてもnorisaさんには及びませんが、精力的に各所を廻ったことは事実ですよ。 1人旅の気楽さ、好き勝手な行動、よかったぁ〜のひと言です。ただ前にも言いましたが、今回は完全に私の趣味の範中の旅行記、アクセスは余り頂けないと思っています。でもnorisaさんに見て頂けた(比喩で和歌とフォークソングの対比など)だけでも私は満足です。
ありがとう、norisaさん。
ryuji
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