2015/05/20 - 2015/06/01
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Berg Heilさん
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今回 伯林のに3泊して博物館をゆっくり見学する計画を立てた。伯林は1997年訪問時から4回目になるが、その後東西独逸時代に拡散していた美術品等の展示替えが行われ、やっと落ち着き、しかるべき博物館にテーマごとに収まった。
そんな時ネットで調べていたら郊外の飛行場を利用した空軍博物館「Luftwaffenmuseum」。正式には「Militaer historisches Museum」がある事が分った。この大昔の軍国少年、是非見学せずばなるまいと、さらに調べたら、この4tra のメンバーの中にすでに訪問されている方があった。ただその旅行記には詳しい事が載っていないのは残念であったが。
場所については "Google Earth" と云う真に便利なものがあるのでこれでその位置が分る。それに行き方も独逸鉄道のHPで検索すれば一発で迷わず目的地までいけるのは実に有難い。 てなわけでさっそく訪ねる事とあいなった。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
独逸空軍士官学校のエンブレム
どうも1990年の閲兵記念の時のものらしい。わが国に於いて戦前は士官教育の為に、陸軍士官学校 海軍兵学校 があり、特に「海兵」は「一高」(現・東大)と並んで入試合格には一番難しい学校であり、若者の憧れであった。又 空軍は独立していなくて、陸軍は飛行隊 海軍は航空隊といった。陸海軍はことごとくライバル意識があって、同じことを表現するにあたって違う用語を使っていたらしい。 一例をあげれば 陸軍参謀総長 海軍軍令部長 等々。
戦争が終わった1945年8月の時には小学3年生 いっぱしの軍国少年であったから大きくなったら軍人になるのが当然だと思っていた。どういうわけか、海軍なら戦艦や巡洋艦ではなくて、すばしっこく洋上を走り回る駆逐艦に憧れていたし、飛行機乗りになるなら絶対戦闘機だと決めていた。
父に連れられて映画を見に行くと、ナチス・ドイツの勇ましいニュース映画が必ず上映され、なんとドイツ人の軍服姿が格好良いかと子供の目に焼き付いた。
一方 わが町には陸軍第34連隊があり、日露戦争の首山堡の戦いで戦死した 大隊長 橘 周太中佐の活躍が有名で、歌にも歌われるほどでもあったが、どうも陸軍の兵隊姿が子供の目には野暮にうつり、軍人になるなら海軍だと思っていた。 -
入り口を入るとこんな風景、見学にはかなり歩かなければならない。
飛行場は軍事施設なので周囲全体を高い網に囲まれている。入り口に9:30に到着して、10時開門にはいささか早すぎた。ところが受付の小屋からどうも夫婦らしい人が出てきて、「日本からわざわざ来たのか、中の部屋で待っていろと開門してくれて、その受付でしばらく開館時間まで待つ事にした。そしたら英文の76頁もある、立派なグラビアの冊子をこのエトランゼに無料で進呈された。有難く頂き、この旅行記をかくにあたって大変役にたった。感謝!! -
頂いた冊子
-
博物館の独文パンフレット(英文もあり)背後の建物に多数の古い飛行機や写真等、展示されていて、館内には ミュージアム・ショップがある。
実はこのパンフレットと頂いた立派なグラビアの冊子に依れば Dresden の大規模な 軍事史博物館の事が載っていた。今迄4回も Dresden を訪れているのに迂闊にもこの博物館の事は全く知らなかったのは返す返すにも残念な事であった。Dresdenを訪問する時にはかなり観光パンフレット等で情報を集めたのだが正に探索不足であった。
位置は Googl Earth で Gatow Berlin で検索 -
博物館案内図
行き方:S5 又は U5 で Spandau(シュパンダウ)下車。 駅前のバス停 8番乗り場から 135番の Alt-Kladow 行 乗車 約20分。 Kurpromanade 又は Seekorso 下車 博物館方面の看板あり、住宅地を抜けると広々した飛行場が目の前に 約1.2Km. (ベルリン交通路線Bゾーン) -
飛行場全体が博物館 博物館の名は "Luftwaffenmuseum"(空軍博物館)としてある。
Militaerhistrisches Museum der Bundeswehr Flugplatz Berlin-Gatow
info@mhm-gatow.de www.mhm-gatow.de
月曜休館 10時〜18時 入場無料
Visitours Entrance
Am Flugplatz Gatow 14089 Berlin -
※ 航空機の説明はこのグラビアの冊子の英文を和訳引用、さらに Wikipedia で調べたらかなり詳細な航空機の説明があったのでそれから抜粋、引用した。
(Luftwaffenmuseum で検索)
仏蘭西のグライダー Fasman 3 1909年初飛行
1910年(明治43年) 日本での初の試験飛行に使用した。 -
Junkers D 1(原寸大のレプリカ)
ワイマール共和国時代の禁じられた飛行機。 1918年 世界で最初のすべて金属アルミニュウム製の航空機。 -
Siemens Schckert D 3 1917年初飛行
※ 館内の二次大戦中の飛行機はほぼ原寸大のレプリカである。 -
Fokker D 7 (レプリカ)
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Fokker D 1 (レプリカ)1917年
リヒトホーフェン男爵 の三葉飛行機
Manfred Freiherr von Richthofen (1892/1918)
独逸の軍人 飛行士 第一次大戦にて80機を撃墜 戦闘機操縦で名をはせた。空のエース。レッド・バロンと呼ばれた。 -
Training Glider SG 38
ヒトラーユーゲントの航空部門が使用した。 -
Fokker E 3 (レプリカ)最初の戦闘機 1911/1913
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Junkers Ju 87 Stuka (急降下爆撃機:小型レプリカ)1937年
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Messerschmitt Bf 109 1937/1945年(レプリカ)
第二次大戦中、世界的に最も有名な戦闘機 -
撃墜された Messerschmitt Bf 108 Taifun の実物の残骸。
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DHC-1 Chipmunk T-10 1946
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ロケット推進戦闘機 Messerschmitt Me 163 Komet 1939年試験飛行 実用にはならなかったらしい。
我が国がこの技術を導入し、「秋水」を造るも墜落失敗 -
Searchiligt 今次大戦時の探照灯 Flak Schweinwerfer 34
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Lockheed F 104 G Starfighter 戦闘爆撃機 1954年初飛行
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国家元帥 ヘルマン・ゲーリングの軍服
(Reichsmarschall Hermann Goering)
Helman Wilhelm Goering(1893/1964)
オーバーバイエルン出身 第一次大戦中リヒトホーフェン飛行中隊を指揮 ナチス政権下で航空相 プロイセン首相 1946年ニュルンベルク裁判で死刑判決を受けるも処刑直前に自殺。
Mein Name ist Meier (私の名は家老。又は小作農)
※ この言葉の正確な意味が分からない。(ヒトラーの忠実な部下という意味なのか? もしご存じの方があったらお教えを乞う
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左: 空軍奇襲攻撃隊将校の制服
中央:空軍下級将校の制服
右: 空軍下士官の制服 -
The Knights of the Sikies
第一次大戦時の英雄達 -
Lockheed F-104G Starfighter 1954
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Hawker Harrier GR Mk 1 (英吉利)攻撃機 1960年
屋外展示の飛行機や兵器は本物 -
ビジネスジェット HFB 320 Hansa-Jet ECM 1964年
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Republic RF-84F 偵察機 戦闘機 1946年
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The Dassault-Breguet 1150 Atlantic of Navy 1961年 対潜哨戒機
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上の飛行機を背後から撮影
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Hawker Sea Hawk Mk 4 艦上戦闘機 英吉利
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Fairey Gannet AS Mk 4 1949年 対潜哨戒機
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Rockwell OV-10B Coin機(軽爆撃機) 1965年 暴動などに使用
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Mikojan Gruewitsch Mig-15 bis 1947年 チェコ
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中央右 Lockheed T33A 練習機
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航空機マニアにはたまらない場所であろう。航空機ファンでなくても家族連れで楽しめるし、男の子でもいたらさらにお薦め!!
この好天でこの老体も来たかいがあったし、少年時代のあの「ワクワク」感を甦らせてくれた半日であった。
今回の旅行に限らず、今迄雨に苦労し、傘を濡らす旅は 2001年冬のクリスマス・マーケットの旅で連日の雨で苛まれた時を除いて、ほとんどなかったのは「晴れ男」なのかもしれない!!(夕立程度はあったが)
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この旅行記へのコメント (7)
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- しょうちゃんさん 2015/06/20 10:54:21
- RE:ガトー空軍博物館
- 今日は いつも楽しく質の高い旅行記を拝見させていただいております。
たしか、スペイン戦争時のコンドル軍団が飛び立った飛行場だったと思います。レプリカが多いのは焼失してしまった飛行機が多いからでしょう。
ただ、ロンドンのヘンドンにいけばJu87,トリプレーンはたしかフランスのルブルージェ航空博物館でみられると思います。
ドレスデンの軍事博物館は、戦争の歴史を極めて公平かつ客観的に記述しています。また、その奥に陸軍士官学校の建物があります。問いあわせすれば、見学可能だと思います。日本のドイツ大使館に駐在武官にたずねたことがあります。 以上
- Berg Heilさん からの返信 2015/06/20 11:14:44
- RE: RE:ガトー空軍博物館
- >お便り深謝します。Dresden の軍事博物館」は全く気が付かなかったのは返す返すも残念でした。だいたいヨーロッパの歴史は「戦争の歴史」と云っても間違いはありません。そこそこ欧州史の知識があればその歴史の確認が出来ます。 来年は傘寿です。おそらく今回の独逸への旅で卒業です。
様々なアドヴァイス感謝します。徐々に旅日記、一週間に2回くらいのペースで投稿していきますので、よろしかったら又御笑覧ください。
Berg Heil 拝
- しょうちゃんさん からの返信 2015/06/20 20:20:59
- RE: 軍人墓地
- 拝復 「来年は傘寿です。おそらく今回の独逸への旅で卒業です」。
そうですか。それは残念です。私の知人(京大・住金・産業技術短大)も69歳まで働いて、その後77歳ぐらいまで毎年ドイツ(城巡りとワインが趣味)にでかけていました。小生も糖尿病で足が弱くなりましたが、今のうちに出かけようと思っています。ベルリンにいく場合、中央駅裏にある軍人墓地を訪れるつもりです。プロイセン時代からドイツ帝国時代(37年まで)の名のある軍人(例、グナイゼナウ)が埋葬されておりますし、ベルリン最後の戦闘地だからです(弾丸の跡がある)。では
- Berg Heilさん からの返信 2015/06/21 06:49:19
- RE: RE: 軍人墓地
- > 私の知人(京大・住金・産業技術短大)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小生 1959年卒の同志社です。貴兄は戦争関係の歴史にお詳しいと推察いたします。実は我が国の戦争、就中、戦国時代の戦争についてですが、何十万 何万の人達が遠征、陣をひき、何日も戦ったのですが、食料の調達はどうしたのか疑問です。と云いますのも大学時代は山岳部で勉強はおろそかにして年に100日は夏冬問わず山の入っていました。(小生の山日記は4トラに掲載してあります)特に2月下旬から4月上旬までの40日に渡る山行にはかなり綿密な食料計画をたて、(当時は部員が40名前後)秋には山小屋に荷揚げをしておきました。
戦国時代の戦争の食糧計画についての綿密な研究の書籍はまだないような気がします。いつか歴史学者の講演の時、戦国時代専門の学者に質問したのですが、納得できる回答はありませんでした。貴兄がその方面に知識をお持ちでしたら、御教示くだされば幸甚です。おそらく3日分の食料は(糒,味噌等)各自携帯していたと思われますが、長い道中、何日にもわたる陣そなえ、莫大な量の食料が必要です。この方面の研究というものが我が国の学会であるのでしょうか?
いつもそんな事を考慮にいれて戦史を考えています。今迄 Praha, Budapest,
Wien(2回訪問)の軍事史博物館を訪れています。 Berg Heil 拝
- しょうちゃんさん からの返信 2015/06/21 13:09:49
- RE: 補給(ロジスティック)
- >>「 戦国時代の戦争の食糧計画についての綿密な研究の書籍はまだないような気がします。この方面の研究というものが我が国の学会であるのでしょうか?」
拝復 今まで出版されている本はマーチン・クレフェルト「補給線」中公文庫(元原書房)1500円があります。大変参考になります。
Logistiqueは元々フランス語です。ナポレオン時に海外遠征のときに、欧州域内は運河を使って補給線を確保しています。ロシア遠征のとき帝政ロシアはモスクワを放棄する際、食料を廃棄処分しています。大阪・江戸・パリ・ロンドンなどみな水運を利用した都市です(1800年代に鉄道が開通する前)。秀吉が小田原攻めをする際、津から沼津まで船で食料・弾薬を運んでいます。武田や上杉が小田原城攻めしたときは、当時の兵は乾季のみ兵を動因しています。従って3月も防御していれば補給が続かすに撤退しています。織田信長が兵農分離した結果、一年中戦を続けるようになりました。わが国の軍隊はプロイセン王国から学び、数日間の補給を用意し、あとは現地調達を基本にしています(当時東欧州は農業国)。なお、戦争が大規模になったのは鉄道の発達によるもので、南北戦争が最初です。>
「今迄 Praha, Budapest, Wien(2回訪問)」
まだ、工業国であったプラハの軍事史博物館はまだ訪れておりません。
- Berg Heilさん からの返信 2015/06/21 19:17:47
- RE: RE: 補給(ロジスティック)
- 貴重な御教示深謝します。
秀吉の小田原遠征は海運を利用したのは存じておりますし、家康の関ヶ原の時は掛川城の食料を全て家康に献上したそうです。
しかしながら 神武東征 日本武尊の神話時代は別として、源義朝 源義経武田信玄の駿河遠征 等々 どうしたのか納得のいく話は未だ聞いておりません。おそらく 軍団のかなりの人達が輜重兵だったのではないのかと想像しています。(もちろん素人考えですが)それにして莫大な量になりまし、そうそう現地の百姓から調達できるものでもありますまい。
こんな疑問に的確に答える学者はいないものかと日頃思っています。
歴史好きのアマチュア疑問です。
軍事博物館はインゴルシュタットのバイエルン軍事博物館は見学しておりますが、別館の第一次大戦の部は時間がなく未訪問です。
学者もあまり地味な部門の研究はパスしているのかもしれません。
今後とも よろしくお願い致します。 Berg Heil 拝
- しょうちゃんさん からの返信 2015/06/22 11:19:18
- RE: RE: RE: 補給(ロジスティック)
- 拝復 源義朝 源義経武田信玄の駿河遠征 等々 どうしたのか納得のいく話は未だ聞いておりません。おそらく 軍団のかなりの人達が輜重兵だったのではないのかと想像しています。
織田信長以前の戦争は、乾期に農民を兵士として動因できたこと、加わった農民兵は余祿(略奪)が期待できたことです。(武田)武将も多めにみていたことです。
> こんな疑問に的確に答える学者はいないものかと日頃思っています。
明治以後の輜重あるいは兵站の研究をしているでしょう。特に、防衛大学校戦史研究室や陸上自衛隊幹部学校(久留米)の所属の人ならいるでしょう。 それ以前は、この分野の研究をしている人はいないでしょう。それは、趣味でやるもんだというのが多くの歴史家・研究家の共通認識です。そのうえ、日本ではマルクス史観が主流だったからす。>
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