2013/02/03 - 2013/02/07
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旅人のくまさんさん
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ワット・ポー(涅槃寺)紹介の続きです。巨大な黄金涅槃像がある、王室寺院の一つです。正式名は、ワット・プラチェートゥポンウィモンマンカラーラーム、別名がラーチャウォーラマハーウィハーンです。アユタヤ朝時代に創建され、バンコクで最も古い歴史を持つ寺院です。(ウィキペディア、るるぶ・タイ)
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イチオシ
巨大な黄金涅槃仏の上半身のズームアップ光景です。『涅槃(ねはん)』とは、一般にインド発祥の宗教のヒンドゥー教、ジャイナ教、仏教における概念であり、繰り返す再生の輪廻から解放された状態のことを指すとされます。涅槃は『解脱(げだつ)』の別名ともされます。涅槃は、サンスクリット語で『ニルヴァーナ』、解脱は、同じく『モークシャ』と呼ばれます。インドの宗教は、『涅槃は完全な静寂、自由、最高の幸福の状態であるだけでなく、誕生、生、死の繰り返しである輪廻からの解放と終了である』、と主張しています。(ウィキペディア)
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足元付近から眺めた『涅槃仏』の頭部方向の光景です。ラーマ3世によって造立された涅槃仏は、全長46メートル、高さ15メートルとされます。ところで、『寝釈迦仏』と『涅槃仏』の違いについて、いくつか当ってみましたが、基本的には違いがないようでした。日本でも、お釈迦様に関しての『涅槃仏』と『寝釈迦仏』とは特段の区別はされていないようでした。(同上)
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巨大な涅槃仏の中間に設けられていた礼拝場所の光景です。仏陀の教えに始まる仏教での『涅槃』とは、『煩悩を滅尽して悟りの智慧(菩提)を完成した境地のこと』と教えているようです。また、『涅槃』は、『生死を超えた悟りの世界であり、仏教の究極的な実践目的とされる』とも教えているようです。(同上)
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中間付近から眺めた、足元方面の光景です。仏教では『完全な涅槃を般涅槃(はつねはん)、釈迦の入滅を大般涅槃』と呼んでいます。また、『この世に人として現れた仏の肉体の死を指すこともある。仏教以外の教えにも涅槃を説くものがあるが、仏教の涅槃とは異なる』とも解説されていました。(同上)
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イチオシ
10本縦に並んだ、涅槃仏の足指の光景です。足指先だけでなく、足指の3か所に、それぞれ記されていました。鑑識に関する記述で、『指紋の認知度よりはかなり低いと思いますし、私自身ほとんど気にも留めていなかったのですが、足にも足紋があり、指紋と同様の役割を果たしています』(斎藤鑑識証明研究所)、との解説もありました。私も足紋については、全く無知でした。
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足元から眺めた、涅槃仏の全景です。『足紋』について、もう少し紹介します。『もし、すべり止めや温度感知、材質感知などの役割がある足紋がなかったら、つるつる滑ってしまい、裸足で歩くことが出来なくなってしまいます。また、温度感知ができないと、例えば灼熱の砂浜の上では温度が分からないまま歩って火傷してしまいます』(同上)、とも解説されていました。終生、不変とされます。
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涅槃仏の足の裏のズームアップ光景です。足の裏には仏教、もしくはヒンドゥ教の世界観を現した108の図が、美しい螺鈿(らでん)細工で描かれています。螺鈿細工は、貝殻を研磨して模様にはめ込んでいく装飾方法です。貝殻の内側、虹色光沢を持った真珠層の部分を切り出した板状の素材が使われます。日本でも高級な什器類などに用いられています。
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更にズームアップした、足の裏に描かれた仏教等の世界観を現した108の図の一部です。日本でも年収めの除夜の鐘の数として知られる百と八つの数です。『煩悩百八つ』には色々な説がありますが、例えば、根本煩悩と言われている『貪、瞋、痴、慢、疑、見』の煩悩を中心に、これに派生する煩悩108つを一覧したものなどがあります。
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背後から眺めた足元付近の光景です。ラーマ3世によって医学の府とされたこの寺院は、東洋医学に基づくタイ・マッサージを教える総本山となっています。敷地内ではタイ古式マッサージを受けることができるようです。また、ワット・ポーは、『19世紀タイの知の殿堂』とも呼ばれています。
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黄金涅槃仏が安置された、この建物の正式名称がよく分かりませんでしたが、、この後は便宜上、『大仏殿』呼ぶことにします。ワット・ポーの主要な施設は、この『大仏殿』のほか、扉に『ラーマキエン』を描いた本堂、ラーマ1世から4世までを象徴する四つの仏塔などがあります。ラーマ1世は、このお寺のご本尊の下の基壇に遺骨が納められています。黄金のご本尊は、アユタヤ時代後期の造りとされます。(追記):英語表記の伽藍配置図の中の和訳では『礼拝堂』(Phra Vihara of the Reclining Buddha)と紹介されたものがありました。Phra Viharaが礼拝堂の意味になるようです。(ハテナ・ブログ)
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随所にお祈りの場所が設けられ、小さな仏像などが置かれていました。立派な台の上に置かれた黒い仏坐像と、その前に置かれた黄金の仏坐像の光景です。その左右に見える赤い色の蜂の巣模様の飾りは、蓮の花を模したもののようでした。夜間には照明が灯るようでした。
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大仏様の中間地点付近から眺めた、足元方面の光景です。その足元方面に、開け放たれた出入口がありましたが、20~30メ-トルの距離がありそうでした。涅槃像の背後の姿になりますが、こちらにも、小さな金色の仏像が祀られていました。足元の方から反時計回りにやって来て、振り返って眺めた光景です。
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『大仏殿』の中に飾られていた壁画の紹介です。お釈迦様の生涯や、仏教にとっての大きな出来事などを描いたものではなく、風俗画のようにも見える構図でした。上半身裸で礼拝する若い男子と、別の区画でお祈りする若い女子の姿のようでした。背後に描かれた金色の仏像が、まるで生きた姿のように躍動感がありました。
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同じく、『大仏殿』の中に飾られていた壁画の紹介です。推測ですが、舞台はこのワット・ポーのようでした。修行中らしい人の姿が敷地内のあちこちに鳥観図のように描かれていました.左上に、涼しそうな高床式の建物が描かれていました。壁面がないようですから、サーラーと呼ばれる東屋かも知れません。
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涅槃仏の後ろ姿です。夥しい数の螺髪の頭と、その下の枕の光景です。涅槃仏のほとんどの像容は、右手を枕とするか、もしくは頭を支える姿です。基本的には、頭は北向き、顔は西向きとされます。これが後に、一般の俗人が亡くなった時に『北枕』とされる由縁となりました。また涅槃像には、目が閉じているものと、目が開いているものがあります。目を閉じた涅槃像は、既に入滅した姿で、目が開いている涅槃像は、最後の説法をしている姿といわれます。
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同じく、涅槃仏の後ろ姿です。仏陀が、悟りを開いてから80歳で入滅するまでの45年間、毎晩1時間、この涅槃像の姿で説法をしていたと説明されることもあります。ところで、日本の仏涅槃図は、他の釈迦を描いた仏教絵画とともに宗派を問わず多くの寺院に具備されています。鎌倉・室町時代の作例も多いとされますが、鎌倉後期には宋元画の影響を受けたようです。(ウィキペディア)
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涅槃仏の頭の後ろの位置から眺めた。足元方面の光景です。1988年、S社が自社製品のCMなどにタイの寝釈迦像を想像させる仏像を登場させたことに、『仏教国タイの崇拝する信仰仏を商業広告に用いることは、敬虔な仏教徒の気持ちを侮辱するものだ』と、在東京タイ大使館を通じて抗議され、S社側も反論は試みたようですが、放送を取り止めた経緯があります。(ウィキペディア)
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釈迦の像には、誕生時の像、苦行時の像、降魔(ごうま:悟る直前)の像、説法している時の像など様々ありますが、立像、坐像、涅槃像の3種類に大別されます。一説に立像は、まだ修行中で悟りを開く前の姿、坐像は修行して悟りを開かんとしている時、あるいは開いた直後の姿、そして涅槃像は全ての教えを説き終えて入滅せんとする姿を顕すとされます。中国産らしい大瓶が飾られていました。(ウィキペディア)
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写真紹介が後になってしまいましたが、左後方の建物が、黄金の巨大涅槃仏が安置されている『大仏殿』です。先にお断りましたが、『大仏殿』の呼び名は正式名ではありませんが、正式名が分かりませんでした。人気の高い見学場所ですから、行列ができていました。
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大仏殿と、その手前にあった白い基壇の上の鐘楼らしい建物の光景です。西洋的な意匠が色濃い造りのようでした。吊り下げられている鐘も西洋式の小型の鐘に見えました。撞き棒がいるような大きさではないようでした。和訳された『伽藍配置図』には『鐘楼』と記されていました。原文表記が『Hor Rakang』です。Rakangが、鐘楼の意味とも紹介されていました。この鐘楼を含めて、2箇所にあるようです。(ハテナ・ブログ)
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『ワット・プラ・ケオ』の見学の時に、『アタウィチャーン・サーラー』と呼ばれる、タイ式の『東屋(あずまや)』を紹介しましたが、この建物も『サーラー』と呼ばれる範疇に入れて良さそうでした。休憩する場所でもあり、仏像が祀られていたり、壁画が描かれているサーラーもあるようです。サーラーの主な種類と用途は、次の四つとされます。(ハテナ・ブログ)
〇サーラーラーイ:礼拝堂や御本堂の周りに並んでいる戸建てのサーラーです。
〇サーラーバート:托鉢の丸い鉢(バート)を置くためのテーブルがあります。
〇サーラーカーンプリアン:説法堂、または大講堂とも呼ばれます。
〇サーラーバムペンクソン:僧の説教や読経など、多目的のサーラーです。 -
地元の小学生の課外授業の一環らしく見えた、ワット・ポー寺院と王宮の見学光景です。黄色の制服姿でした。途中で一度出会った生徒さんたちかも知れません。日本の小学校と同じく、タイ国の初等教育は、6歳から6年間です。日本の中学校に相当するのが『前期中等教育』の3年間です。日本の高校に相当する『後期中等教育』も3年間です。
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イチオシ
大人しそうな猫のように見える石像ですが、虎かも知れません。茂みに半ば隠れて、辺りの様子を窺っていました。どちらかと言えば、癒し系でした。2007年に遺伝子調査がアメリカの学者オブライエン氏達によって行われ、その調査からネコ科動物の祖先は、約2000万年前にヨーロッパ周辺にいたプセウダエルルスという生物の可能性が高いと発表されました。猫も虎も同じネコ科です。(ねこちゃんホンポ)
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ワット・ポーの出入口光景です。敷地内の間仕切りの場所だったかもしれません。ここでも黄色の制服の生徒さんたちに出会いました。2~30人程のグループに分かれ、先生が引率されているようでした。穏やかな仏教国の一つですが、歴史的に軍の政治介入が多い国のようです。
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参詣と見学の人で賑わう、ワット・ポーの境内光景です。釈迦涅槃仏を安置する仏堂の建立に尽力したラーマ3世は、1832年、この寺院にタイで最初の学問所(私立大学)を設置しました。この学問所は、殊にタイの伝統医学の研究が盛んで、タイ式の古式マッサージもその範疇に入るようです。海外からの入学者が大変に多いようでした。中央に見える樹は、菩提樹のようです。
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名前:『サンタンカ(山丹花)』
分類:アカネ科サンタンカ属
分布:中国南部からマレーシアにかけて原産。
その他:サンタンカ属は、世界の熱帯域に300~400種が分布。沖縄県では「沖縄三大花」の一つです。 -
名前:『ラン(蘭)・デンファーレ』
分類:ラン科セッコク属(デンドロビュウム属)
分布:ニューギニアから北部オーストラリアが原産。
その他:着生植物になるラン科の多年草です。 -
名前:『ランタナ』
分類:クマツヅラ科シチヘンゲ属
分布:南アメリカ原産、世界中で帰化植物化。
その他:和名は『シチヘンゲ(七変化)』です。 -
ワット・ポーの境内光景です。ワット・ポーは、バンコク最大の敷地面積を持つ寺院で、バンコク最古の歴史を誇る寺院でもあります。すでに紹介しましたが、創建は14世紀のアユタヤ時代とされ、ラーマ1世とラーマ3世により大規模な改修工事が行われました。『仏歴2331年(西暦1788年)、ラーマ1世によって建てられた(バンコク・ナビ)』とも紹介されていました。
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ワット・ポーの敷地は、50ライ(8万平方メートル)と、大変に広く、南北に二分されています。本堂や礼拝堂、マッサージ場などの見どころはすべて北側にあり、南側には僧房があるのみです。南北はチェトゥポン通りという道路で区切られています。先ほどの話の続きですが、手元のガイドブックには、『ラーマ1世が建設に着手、ラーマ3世が大改修を敢行』(ブルーガイド)、とも紹介されていました。
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