2013/02/03 - 2013/02/07
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旅人のくまさんさん
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アユタヤ県のバンパイン郡にある、美しいバンパイン宮殿紹介の締め括りです。2回目の見学ですが、見飽きることがない庭園と建物群の光景でした。見学を終えた後、仏塔などが残る世界遺産のアユタヤ遺跡に向かいました。(ウィキペディア、るるぶ・タイ)
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橋の欄干の上に並ぶ、ギリシャ・ローマ風の彫刻群の光景です。確認はしていませんが、オリジナルの作品ではなく、レプリカの作品群の感じがしました。オリジナルなら、博物館の中での展示になりそうです。全部で8体ほどですから、その半分をズームアップで紹介します。ネット情報では、『まるで突然ギリシャへ迷い込んだような彫刻が並ぶ橋がある』との書き込みもありました。
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左手に男の首を持った構図です。この種の物語で有名なのは、1世紀頃の古代パレスチナに実在した女性の『サロメ(ヘロディアの娘)』です。義理の父は古代パレスチナの領主ヘロデ・アンティパス、実母はその妃ヘロディアです。古代イスラエルの著述家フラウィウス・ヨセフスが著した『ユダヤ古代誌』や、新約聖書の福音書などに伝わります。数多くの絵画や彫刻などの題材となり、近年では、20世紀初頭にリヒャルト・シュトラウスの歌劇『サロメ』も誕生しました。手にしているのは、預言者ヨカナーン(イエス・キリストに洗礼をした聖者)の首です。
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答えのないクイズを解くようで、題名が分からない像の解読に苦労しています。この女性像は、左手に巻物のようなものを持ち、右手にも縦長の品を持っていましたが、その品の見当が付きませんでした。像を見た最初の直感では、司法世界でのシンボルとなっている『正義の女神』を想像しましたが、持ち物などが全く異なりました。正義の女神ですと、ギリシア神話の女神のテミスか、ローマ神話の女神のユースティティアになります。
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この種の作品では、 フランス新古典主義の画家の『ドミニク・アングル(1780~1867年)』が1820年から1856年にかけて描いた絵画の『泉』が有名です。アングルの画業において最もよく知られる代表的傑作で、『泉』を完成させたときアングルは、エコール・デ・ボザールの学長を務めていて、76歳に達していました。彼が1808年に制作を開始し1848年に完成させた『海から上がるヴィーナス』との共通点があります。
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ほとんどが女性像の中で、この像は若い男性像のようでした。右手を高く掲げ、左手にトーチのようなものを持っていました。時代考証はさておき、近代オリンピックの聖火が連想されました。オリンピック大会開催期間中、主競技場で灯され続けますが、その起源は古代ギリシア時代に遡ります。ギリシア神話に登場するプロメーテウスがゼウスの元から火を盗んで人類に伝えたことを記念して、古代オリンピックの開催期間中に灯されます。ペルシア戦争のマラトンの戦いで、ギリシア軍の勝利をある青年が一刻でも早くアテネ市民に知らせようと、一度も休まず悪路を走りぬき、「喜んでください、わが軍は勝ちました!」と告げると同時に息絶えました。この青年ともイメージが重なりました。
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同じ橋の欄干の上に展示してあったブロンズ製の飾り物です。あまり鋭い嘴(くちばし)ではありませんが、羽を広げた鳥が、上部を飾っていました。イメージ的にはヨーロッパ辺りの国の紋章をイメージしました。タイ王国の国章は、仏教およびヒンドゥ教の神話に登場する神鳥・ガルダ(クルット)をモチーフとしています。羽を広げた姿は似ていましたが、それとは異なっていました。アユタヤ王朝以来のタイのシンボルであり、正式に国章となったのは1911年とされます。
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ブーゲンビリアが飾られた池の畔から眺めた、右側が伝統的なタイ様式の建築の『プラティーナン・アイスワンティップアート(プラ・アイサワン・ティッパート)』その左の白い建物が、ギリシャコリント様式の『テワラート・カンライ門』です。その背後に天文台の『ホー・ウィトゥン・タサナー』のカラフルな姿も見えていました。
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最後にもう一度紹介する、ギリシャ・ローマ風の彫刻群が並ぶ石橋の光景です。ところで、バンパイン宮殿があるアユタヤ県のバンパイン郡の紹介です。地元の伝説では、ある王がこの周辺の民家に泊まりました。その時インと言う美しい女性に会い、妻の一人に迎えましたので、ここをバーンナーンイン(イン婦人の水村、の意)と名付けたのが、呼び名の始まりとされます。(ウィキペディア)
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当初は『バーンナーンイン』と呼ばれていましたが、後に『バーンパイン』に変わりました。これは、『インに合った水村』の意味とされます。また、ラーマ5世時代には雰囲気を出すため、『バーンパーイン』と表記されたこともあります。これは、『インドラあるいは帝釈天の森の水村』の意味です。対岸の光景でしょうか、西洋風の青い尖塔が見えました。ラーマ5世が建てた仏教寺院かも知れません。(同上)
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何度か紹介した、ルネサンス様式の宮殿『 プラ・ティナン・ワロパット・ピマン』の光景です。宮殿入口の北側に位置し、王の居室として、また謁見の間として使われていたという宮殿です。建物の中にはタイの歴史や文学を題材にした油絵が飾られているようです。
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『水上のパレス』とも呼ばれている、伝統的なタイ様式の建築の『プラティーナン・アイスワンティップアート』の光景です。大量の黄金を使った十字型の美しいタイ建築 が特徴です。これはラーマ4世がバンコクの王宮内に建てた『アポーン・ピモーク・プラーサート』をコピーしたものです。建物中央に、ラーマ5世も軍服姿の像が置かれています。
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バンパイン宮殿は、バンコクよりも車で2時間ほど北に位置しますので、バンコクよりはやや涼しいようです。その涼しさを強調してくれているのが、チャオプラヤ川の中州の池にある噴水です。あちらこちらで水煙を上げていました。見た目だけでなく、実際に涼しさをもたらしているようでした。
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バンパイン宮殿は、アユタヤ王朝時代(1351~1767年)に第27代王の『プラーサートトーン(在位:1629~1656年)』によって避暑地の離宮として建てられました。『サンペット5世』の呼び名も持つ王です。戦国時代が終わった日本からやって来た武士の一人、山田長政(1590~1630年)と少し時代が重なる時代の王です。(ウィキペディア)
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山田長政について、少しだけ紹介しておきます。長政は、日本人傭兵隊に加わり頭角を現し、アユタヤ郊外の日本人町の頭領となりました。スペイン艦隊の二度に亘るアユタヤ侵攻を退けた功績で、アユタヤ王朝第24代王のソンタム(在位:1611~1629年)の信任を得ました。シャムの王女と結婚、第三位であるオークヤー(プラヤー)・セーナーピムックという官位を授けられました。(同上)
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官位を授けられた長政は、チャオプラヤー川に入る船から税を取る権利を得たと伝わります。ソンタム王の死後、長政はソンタム王の遺言に従い、シーウォーラウォン(後のプラーサート・トーン王)と共同でチェーター親王を王に即位させましたが、チェーター王はシーウォーラウォンに処刑されました。長政もリゴール王に封じられ、シーウォーラウォンによって左遷されました。(同上)
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名前:『シキチョウ(四季鳥)』
分類:ヒタキ科ヒタキ亜科
分布:インド から、東南アジア、 中国 南部に分布。
その他:美声で知られる鳥です。撮影している私に気付いたようです。 -
名前:『シキチョウ(四季鳥)』
分類:ヒタキ科ヒタキ亜科
分布:インド から、東南アジア、 中国 南部に分布。
その他:まるで『気を付け!!』をしているような光景です。警戒態勢に入ったのかも知れません。かえって、可愛らしい仕草になりました。 -
名前:『ブーゲンビリア』
分類:オシロイバナ科ブーゲンビリア属
分布:中央アメリカ及び南アメリカの熱帯雨林が原産。
その他:和名は『イカダカズラ(筏葛)』です。寄せ植えされた、赤、白、黄色の三色の花の色です。 -
名前:『ブーゲンビリア』
分類:オシロイバナ科ブーゲンビリア属
分布:中央アメリカ及び南アメリカの熱帯雨林が原産。
その他:和名は『イカダカズラ(筏葛)』です。寄せ植えされた、赤、白、黄色の三色の花の色です。 -
製作年代、もしくは発掘時期は分かりませんでしたが、希少価値があるらしい丸木舟の展示光景です。相当な大木が使われているようでした。巨木を刳りぬき一本の木で成形され、基本的に付属構造物を持たない舟のことです。いわゆる単材刳舟であるカヌーを主に指します。しかし、刳った舷側に船底板を組み合わせるなど、複材化したものも丸木舟と呼ばれます。
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展示されていた丸木舟のズームアップ光景です。想像したよりは、新しい木に見えました。水上での最初の乗り物として、太古の昔より用いら、考古学者により発見されているものは、新石器時代にまで遡ります。木材の腐食は避けられないものの、壊れにくく、現代でも使われている安全性の高い船です。
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あちらこちらで噴水が吹き上げていた池の光景です。右手奥の白い建物が、ギリシャコリント様式の『テワラート・カンライ門』に、左奥の建物が、ルネサンス様式の宮殿の『 プラ・ティナン・ワロパット・ピマン』になるようです。適当な流れが造られているのでしょうか、チャオプラヤ川の水を取り入れた池の水質は、悪くないようでした。
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かなり大きな魚の姿が見えました。餌として、野菜屑が与えられていて、その餌に集まっていました。まだ野菜屑が浮かんでいますが、時折水面近くに顔を出しては、野菜くずを食べていました。余った餌で池が濁らないよう、水に浮かぶ野菜屑が選ばれているようでした、
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左側に半分だけ姿を見せた赤屋根の建物は、『プラ・ティナン・ワロパット・ピマン』の建物のようです。1876年チュラロンコン王よって建立された、ネオクラッシック様式の1階建てです。『拝謁の間』などがあります。大きく仕立てられた、ブーゲンビリアの赤い花も見えていました。
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見納めの天文台の『ホー・ウィトゥン・タサナー』のカラフルな塔の光景です。1881年に建てられたこの塔は、『ラーマ4世(在位:1851~1868年)』が亡くなった後ですから、その子の『ラーマ5世(在位:1868~1910年)』の時代の建立になります。ラーマ4世は、王子時代はモンクットと称し、27年間の出家生活を送りました。その間に様々な学問を修め、ヨーロッパの文明にも目を開いた人です。(ウィキペディア)
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ラーマ4世の紹介を続けます。父はラーマ2世、母はシースリエントラーです。元々は兄のラーマ3世よりも彼の方に王位継承権がありましたが、学業専念のために兄に王位を譲り、学問を続けました。経文の言語であるパーリ語、サンスクリット語をマスターし、その後、キリスト教宣教師を通じて、英語・ラテン語をマスターしています。(同上)
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即位後は、西洋との関係を重視し、イギリスからアンナ・レオノーウェンズを家庭教師に招き入れ、子弟に西洋の教育をさせました。この時のことは、小説『アンナとシャム王』に書かれています。1854年には清への朝貢を止め、トンブリ王朝以来続いていた冊封体制から脱し、1855年にイギリスと通商貿易に関するボーリング条約を締結、自由貿易を開始し、米を輸出するようになりました。(同上)
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ラーマ4世(モンクット王)は、独学で学んだ天文学によって日食の場所・時刻を発見し、1868年8月18日にプラチュワップキーリーカンを訪れ、予測通り観測できたといわれます。しかし、観測場所に選んだサームローイヨート付近はマラリアのはびこる地帯だったため、ラーマ4世もこれに伝染し、2週間後崩御したとされます。現在は、『カオ・サームローイ・ヨート国立公園』になっています。(同上)
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ラーマ4世を主人公とした映画は次の三つがありますが、現在のタイ王国では、不敬罪が影響しているのでしょうか、上映禁止とされています。
〇アンナとシャム王(1946年)演:レックス・ハリソン
〇王様と私(1956年)演:ユル・ブリンナー
〇アンナと王様(1999年)演:チョウ・ユンファ(同上) -
バンパイン宮殿の見学を終えて、次のアユタヤ遺跡に向かう途中の光景です。1991年にタイ王国の世界文化遺産に登録されたアユタヤ遺跡は、1767年にビルマ軍(現・ミャンマー)により大部分が破壊されていましたが、往時を偲ぶことが出来る石塔などはその姿を留めていました。(同上)
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