2013/02/03 - 2013/02/07
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旅人のくまさんさん
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民族舞踊のディナー・ショー紹介の締め括りです。タイ舞踊は、指先の芸術と言われています。指先を美しく見せるために、手を反らしたり、長い金属製の爪をつけたりと、美しく繊細な踊りです。動きは全体にゆったりとしていますから、写真撮影には好都合でした。(ウィキペディア、るるぶ・タイ)
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ラムとラバムについては、すでに紹介しましたが、踊りのことをタイ語でラムと言い、タイ舞踊においては一般的には一人舞踊のことをラム、二人以上の集団舞踊のことをラバムと呼んでいます。そのラバムの紹介です。
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集団舞踊のラバムから、一人をピックアップしての紹介です。タイダンス(タイ舞踊)は、タイでは小学校の授業にも取り入れられ、タイ国民にとってとても馴染み深い存在とされます。日本でタイダンスを教えている方のブログで、『音楽がかかれば、皆さん自然とタイダンスを踊り始めます。(スカイチケット)』、と紹介されていました。
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五本の指前部に装着した、金属製の爪の光景です。指の長さが2倍ほどになったように見えました。ただ長いだけではなく、しなやかに見せることろが、芸の大切な部分になるようでした。『古典舞踊は遺跡に描かれた天使のごとく、宮廷内の踊りは優美に、民衆の踊りは軽快に楽しく、どの踊りにも共通しているのは、どれも手足の指先をしなやかに使い、微笑みの国と言われるタイ国の踊りだけに、柔和な美しい笑顔で踊ります。(タイ舞踊家:エミコ・ルジラー)』
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エミコ・ルジラーさんの公開されていたプロフィールの紹介です。
〇1990年、日タイ芸術協会(東京/現在 日本アジア芸術協会)で日本人タイ舞踊家のパイオニア、秋元加代子氏に師事しタイ 舞踊を学び始める。
〇協会在籍時の1992年~タイ王立舞踊学校(ウィティアライナータシン)バンコク校で定期的に研修を受ける。
〇1994年から1年間はタイ国立チュラロンコン大学芸術学部タイ舞踊学科に留学し、タイ舞踊の女性型(トアナン)の基礎過程を修了する。
〇タイ舞踊指導者としてタイ王立舞踊学校から正式に認められている数少ない日本人の内のひとり。(写真の方とは違いますが、ルジラーとは、タイ語で「魅力ある人・美しい神様」という意味) -
場面が代わって、今回の古典舞踊の『ラーマキエン』の主役の『シーダ妃』を務められた方の舞台挨拶の紹介です。照明の具合で、きらびやかな衣装が色々と変化しました。これは、自然色に近いスポットライトを浴びた姿です。ラーマキエンの元となったインドの叙事詩の『ラーマーヤナ』のヒロインが、ラーマ王子の妃となったシーダです。シーダー、シータとも記載されますから、ここでは『シーダ』または『シーダ妃』で紹介します。生まれ故郷は、ジャナカプール(現ネパール)とされています。
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今度は照度を上げた照明が、肩より下に当てたようです。黄金色の衣装が、白っぽくなり、例えればプラチナ(白金)のような色彩に変化しました。『シーダ妃』の紹介に戻ります。『シーダは、ジャナカ王の娘で、ラーマ王子の妃となりました。しかし、ダンダカの森で羅刹の王ラーヴァナに攫われ、ラーマ王子がシータ妃を取り戻すための戦争が『ラーマーヤナ』の主題となっています』(ウィキペディア)
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イチオシ
『7巻からなる『ラーマヤナ』の第1巻からの紹介です。世界はラークシャサ(羅刹)の王ラーヴァナの脅威に苦しめられていたため、ヴィシュヌはラーヴァナ討伐のためダシャラタ王の王子として生まれることとなりました。カウサリヤー妃からラーマ王子、カイケーイー妃からバラタ王子、スミトラー妃からラクシュマナとシャトルグナの2王子がそれぞれ生まれました。成長したラーマはリシ(聖賢)ヴィシュヴァーミトラのお供をしてミティラーのジャナカ王を訪問しましたが、ラーマはそこで王の娘シーダと出会い、結婚しました』(同上)
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『第2巻のあらすじです。ダシャラタ王の妃カイケーイーの計略により、ラーマ王子は、王の願いを快く受け入れ、シータ妃、弟のラクシュマナを伴って王宮を出ました。しかし、ダシャラタ王は悲しみのあまり絶命しました。第3巻では、ダンダカの森で鳥王ジャターユと親交を結びましたが、ラークシャサ王ラーヴァナにシーダ妃を攫われました。第4巻では、リシュヤムーカ山を訪れて、ヴァナラ族のスグリーヴァと親交を結び、猿族の支援でシーダ妃がランカー(セイロン島)にいることを知ります』(同上)
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舞台を下りて、客席に回っての御挨拶です。主役の一人、シーダ妃を演じた方です。豪華な衣装と、チャダーと呼ばれる冠を被った姿です。チャダーの下に付けた赤い花が、可愛らしいアクセサリーになっていました。小さな赤い花を寄せ集めた飾りのようでした。話は戻って第5巻のあらすじの紹介です。『風神ヴァーユの子であるハヌマーンは、ランカーに渡り、シーターを発見しました。ハヌマーンは自分がラーマの使者である証を見せ、やがてラーマが猿の軍勢を率いて救出にやってくるであろうと告げなすいた。続いて第6巻のあらすじです。ラーマとラーヴァナとの間に大戦争が起きました。猿軍は大きな被害を受けながらも次第にラークシャサ軍を圧倒していき、ラーヴァナはラーマによって討たれました。ラーマはヴィビーシャナをランカーの王とし、シーダとともにアヨーディヤに帰還しました。(同上)
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同じく、舞台を下りて、客席に回っての挨拶されていた、主役の一人、シーダ妃を演じた方の紹介です。タイ王国の古典舞踊は、かつては王宮内でのみ舞うことが許された特別に高貴な踊りだったようです。その衣装の艶やかさと美しさは、その伝統に繋がるようです。襷の飾りは、サッシュと呼ばれるフォーマルな装飾を連想させます。ラーマヤナの最終章、第7巻のあらすじです。『ラーマの即位後、人々の間ではラーヴァナに捕らわれていたシーダの貞潔についての疑いが噂されました。それを知ったラーマは苦しんで、シーダを王宮より追放しました。女神グラニーが現れ、 シーダの貞潔を認め、シーダは大地の中に消えていきました。ラーマは嘆き悲しみましたが、その後、妃を迎えることなく世を去りました。(同上)
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シーダ妃とラーマヤナのあらすじ紹介を終わって、先に撮影していた1枚ですが、ブログのレイアウトの関係で、幕が下りた後での紹介になります。左側の赤い服の方は、左右の手に、ローソクをイメージした明かりを持っていました。右手の方の指先には長い金属製の爪が見えました。ラバムのお終いの部分です。
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幕が下りた後で披露された、『ラーマキエン』から切り取って来たような寸劇の紹介です。右手がシーダ妃、左側が青い面を付けていますから、トサカン王のようです。トサカン王は、シーダ妃を攫ったロンカー国(セイロン)の国王で、魔王トサカンとも呼ばれています。
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イチオシ
同じく、『ラーマキエン』から切り取って来たような寸劇紹介の続きです。魔王トサカンは、ラーマ王子の放った矢で倒される役です。元になったインドの叙事詩『ラーマヤナ』では、ラーマ王、シーダ妃とも悲しい結末ですが、『ラーマキエン』では、シータ妃が竜神王国に留まる間にラーマ王は善行を積み、それを見ていたシヴァ神の仲裁で、二人はハッピーエンドで終わる物語となっています。
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寸劇を終えて、正面を向いて舞台挨拶のシーダ妃です。脇でエスコートするのは、先ほどの魔王トサカンではなく、猿族の将軍、ハヌマーンのようでした。『ラーマキエン』の筋書きでは、ラーマ王子に協力して、シーダ妃の救出に大活躍します。創造神ヴィシュヌの化身とされます。
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6人が揃いの衣装の集団舞踊のラバムの場面に代わりました。左右の手に、赤いセンス(扇子)を手にしていました。『扇』という漢字は、本来軽い扉のことを意味し、そこから転じて『うちわ(団扇)』のことをいうようになりました。うちわは紀元前の中国で用いられたという記録があります。(ウィキペディア)
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両手の扇がよく見える踊りの場面になりました。古代エジプトの壁画にも、王の脇に巨大な羽根うちわを掲げた従者が侍っている図があり、日本では利田遺跡(佐賀県)で出土したうちわの柄が、最古とされます。弥生遺跡のようでした。この場面の艶やかな色の扇子は、衣装とあいまって、中国を連想してしまいますが、日本にも古くて長い団扇・扇子の歴史があります。(全国団扇扇子カレンダー協議会)
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『扇の舞』は、まだ続きます。扇の起源について、少し紹介しましたが、『うちわは文明発祥時から存在するが、木の薄板を重ねたり、また紙を折りたたんで製作する扇は日本で発明されたものです。日本の扇はコンパクトに折り畳めるという利点が高く評価され、中国大陸には北宋の時代に、またその中国を経てヨーロッパにも輸出された』との紹介もありました。(同上)
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『全国団扇扇子カレンダー協議会』の公式サイトから、厳島神社蔵とされる平安時代の『彩絵檜扇』についての紹介です。『扇を作る檜の薄板全てに胡粉、さらに雲母を塗り、金銀の箔を散らして絵を描き、児童および婦人用の檜扇です。最初に現れた扇は30cmほどの長さに2~3cm幅の薄い檜の板を重ねて作る檜扇と呼ばれるもので、これは奈良時代から平安時代の初期に出現しました』(同上)
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イチオシ
『日本の檜扇には、紙は貼られていず、その起りは一説には木簡を束ね一方の端に穴を開け、そこに紐などを通して縛ったものです。檜扇そもそもの用途は、開いて煽ぐものではなく、メモ帳として物を書きつけるものでした。のちに檜扇は冬の季節の扇とされました。その後平安時代の中頃までに、5本または6本の細い骨に紙を貼った蝙蝠扇(かはほりあふぎ)が夏の扇として現れました』(同上)
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『蝙蝠扇が、現在一般に見られる扇の原型ですが、このころの紙貼りの扇は扇面の裏側に骨が露出する形式でした。平安時代には扇はあおぐという役割だけでなく、儀礼や贈答、コミュニケーションの道具としても用いられました。具体的には和歌を書いて贈ったり、花を載せて贈ったりしたことが、源氏物語など、多くの文学作品や歴史書に書かれています』(同上)
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扇の利用方法としては『近世には毎月一日、天皇が三種の神器が安置されている内侍所へ参拝する時の持ち物として、御月扇と称して月毎に末広の扇が絵所より新調されました。そのほかに表面に古代中国の賢聖、裏面に金銀砂子に草花を描いた賢聖御末広という末広が献上されることもありました』(同上)、以上で、団扇、扇子の紹介はお終いです。(同上)
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タイの古典舞踊で使われる主な楽器と、その役割の紹介です。5~15人ほどの編成が多いようです。
〇ラナート(木琴):緩やかな弓形に曲がった木琴です。伝統的な旋律を奏でますが、地方によって、その音色は異なるようです。
〇ピーナイ(笛):ソプラノリコーダーくらいの大きさで、メロディーを奏でます。
〇チン(小シンバル):リズムを刻む、金属製の小さな楽器です。指揮者の枠割を持ちます。
〇タポーン(太鼓):リズムの基本を担う太鼓です。 -
出演者が揃っての、終幕の御挨拶です。右側半分ほどが古典劇を演じた方たち、左側半分ほどが古典舞踊を披露された方達です。目算しましたら、総勢13名の方でした。これに楽器演奏の方たちが加わりますので、20名前後といったところです。舞台背景が夕焼け空になったようです。
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終幕の御挨拶が済んだところで、舞台上が賑やかになりました。観客の皆さん達を舞台上に呼び込んで、俄かのタイ古典舞踊のレ寸です。中国、台湾、韓国、ベトナム、色々な東南アジアの国で共通してきたフィナーレの光景になりました。それぞれに、楽しまれているようでした。
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舞台に呼び込まれたお客さんも揃って、グランドフィナーレの御挨拶です。これで、民族舞踊のディナー・ショーの紹介はお終いです。この劇場は、ニューハーフ・ショーでも有名なようです。別料金で見学することもできるようでした。手元のガイドブックには、『お子さんたちも一緒に楽しめるタイのニューハーフ・ショー』と紹介されていました。
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現地でパンフレットや古典劇紹介のシナリオなどは貰っていませんでしたから、シアターの名前が分かりませんでした。最後に撮影しておいたこの写真で、そのお店が『MANBO:(マンボ)』だったことが確認できました。手元のガイドブックにも記載されていましたが、『元映画館だったホールを使った劇場型スペース』と紹介されていました。
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『MANBO:(マンボー)』でのタイ古典舞踊のディナーショーを楽しんだ後、ホテルに戻り、泊まった部屋から眺めたバンコク市街の夜景です。今回泊まったロイヤル・ベンジャ・ホテルは、スクンビット5番路地の奥に位置し、マンボーから近い場所のようでした。
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同じく、泊まったホテルの部屋から眺めた、バンコク市街の夜景です。公式情報では、BTS(スカイトレイン)スクンビット線のナナ駅まで480メートル、同じくブルンチット駅まで652メートルと紹介されていました。
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国際ニュースになっていた、日本の若いアイドルの丸刈り頭でので謝罪シーンです。字幕にニュースソースがユーチューブであることが表示されていました。2013年1月に週刊誌にスキャンダルをスクープされたことに対するファンへの謝罪場面と、日本のマスコミでも報道されていました。画面は、宿泊したホテルで撮影したCNNニュースです。
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CNNニュースの画面の続きです。字幕に『MORE ABOUT AKB48』の表示もありました。私は『AKB48』について、何の興味も知識もありませんが、国際ニュースで、若い女性の涙での謝罪会見は、裏で動いている人が想像されて、正直言って、心地よいものではありません。二度と目にしたくない思いを込めて、カメラに収めました。今晩は、ワインの飲み直しです。
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