2013/02/03 - 2013/02/07
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旅人のくまさんさん
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王宮の敷地内にある『ワット・プラ・ケオ(エメラルド仏寺院)』紹介の続きです。ワット・アルンにあった小さなエメラルド色の本尊は、この仏教寺院の本堂に移され、現在も篤い信仰を受けています。数奇な運命を辿ったエメラルド仏です。(ウィキペディア、るるぶ・タイ)
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ワット・プラ・ケオの本堂光景です。現在、この寺院にタイ王国を象徴するエメラルド仏は祀られています。その数奇な運命を紹介します。本堂内は写真撮影できませんので、写真紹介できないことをご了解ください。それでは、この後はエメラルド仏の数奇な運命の紹介です。タイ王国のみならず、東南アジアの上座部仏教国からも巡礼者が訪れるエメラルド仏です。(ウィキペディア)
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〇その伝来はよく分かっていませんが、『エメラルド仏年代記』や『ジナカーラマーリー』などの伝説によれば、高僧ナーガセーナ長老が考案し、インドラ神とその配下のヴィッサカンマ(ヴィスカンマ)がつくったとされます。『玉仏(ぎょくぶつ)』とも呼ばれ、その正式名は、『プラ・プッタマハーマニーラッタナパティマーコーンケーオモーラコット』です。(同上)
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〇その後、エメラルド仏はマガダ国の都パータリプトラにしばらく安置されていましたが、内戦によりパーターリプトラに安置することが困難となり、その王シリダンマキッティによりスリランカに運ばれました。マガダ国(紀元前413~ 紀元前395年)は、古代インドの十六大国の一つです。現在のインド北東部のヒンドスタン平原にある、パータリプトラ(現パトナ)が王都でした。(同上)
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〇エメラルド仏が東南アジアに戻ったのは、アリマッダナ(パガン王朝)のアニルッダ王(アノーヤター?)が西暦457年、国内の三蔵経がずさんな内容のものであると知り、スリランカに完全無欠の三蔵経を求めてスリランカに行きました。
〇アニルッダはその帰路、2隻の船に完璧な三蔵経とエメラルド仏を積んで帰りましたが、2隻の船のうち三蔵経とエメラルド仏を運んだ船の方がインダパタナガラ(マハーナガラ、現在のアンコール・トム)に流れ着きました。
〇この後、三蔵経は返してもらいましたが、エメラルド仏はインダパタナガラに留まりました。(同上) -
〇伝承によれば、『インダパタナガラ(マハーナガラ、現在のアンコール・トム)』は洪水で壊滅し、エメラルド仏はアユタヤの『アッディカー(アディッチャ)』に帰することになりました。
〇エメラルド仏はアユタヤに移動後、国主によってカムペーンペットに持ち込まれました。カムペーンペット歴史公園の『ワット・プラケーオ』とされます。(同上) -
〇その後、ラーンナーのクーナー王の弟のマハープロムが、カムペーンペットからエメラルド仏を持ち去り、チエンラーイに安置しました。
〇その後、ラーンナー王セーンムアンマーとマハープロムが抗争を起こしたため、エメラルド仏は戦火の中、密かに隠されました。(同上) -
〇1434年、チエンラーイのある寺の仏塔が落雷で破壊されたとき、その中から漆喰でできた仏像が見つかりました。しばらくして、ある仏僧がその漆喰の仏像の鼻がもげているのを見つけ、よく調べると中にヒスイの仏像が入っていました。
〇現在では、『チエンラーイにあるワット・プラケーオ』がこの寺であったと言われています。(同上) -
〇仏像発見後、ラーンナーのサームファンケーン王(即位:1401~ 1442年?)は白象をもってエメラルド仏をチエンラーイから首都のチエンマイまで運ぼうとしましたが、三度試しても象がラムパーンに引き返すので、王はチエンラーイにエメラルド仏を運ぶのを止めました。
〇その後、サームファンケーン王の6男であるティローカラート王の手により、エメラルド仏のチエンマイへの運び込みは1468年にようやく成功しました。(同上) -
〇1548年、ラーンサーン(現在のラオスにあった国)のセーターティラート王は、1551年にエメラルド仏をラーンサーンの首都ルアンパバーンへ運びました。
〇1564年、ビルマ(タウングー王朝)の侵攻を懸念したセーターティラート王によって、仏像はさらに新しい首都ヴィエンチャンに運ばれ、ラーンサーン分裂後はヴィエンチャン王国によって保持されました。(同上) -
〇1777年、トンブリー王朝(シャム)のタークシン王が、ビルマ(コンバウン王朝)と繋がっていたヴィエンチャン王国へ侵攻すると、1779年にラーマ1世(当時はタークシン王に仕える将軍)がヴィエンチャンから奪取し、トンブリー(現在のバンコク)へと持ち帰りました。トンブリー朝時代に安置された寺院が、ワット・アルンです。(同上)
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〇後にラーマ1世がチャクリー王朝を開くと、エメラルド仏は1784年からラーマ1世が設置したワット・プラケーオに安置されることとなり、そのまま今日に至っています。(同上)、以上でエメラルド仏の数奇な運命の紹介はお終いです。エメラルド仏と呼ばれていますが、鉱物としては『ヒスイ(翡翠)』です。
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南国雰囲気の『ヤシ(椰子)』の樹の光景です。『タビビトノキ(旅人の木)』の名前を持つ、ヤシ科ではなく、マダガスカル原産のバナナに似たゴクラクチョウ科の植物です。『オオギバショウ(扇芭蕉)や、『リョジンボク(旅人木)』等の和名も持ちます。名称の由来は、葉柄に雨水を溜めるため、乾燥地帯の旅行者の飲料水供給源として利用されたからとも言われます。(ウィキペディア)
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黄金色の土台を支える、ヤックやモック達の光景です。ゴールデンパゴダまたはプラスワンパゴダと呼ばれる石塔を支えるヤックやモック達です。右端が白い顔のモック、中央が緑の顔のヤック、左端もヤックのようです。ラマ1世が、皇太子のために建てた20本の県が装飾されたパゴダです。この寺院内で最も古い仏塔で、ラーマ1世が両親に捧げた『プラ・スワンナ・チェディ』のようです。
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イチオシ
『プラサート・プラテープ・ビドーン』、別名『ロイヤル・パンテオン』の伝統的なタイ寺院様式の建物光景です。この寺院には、ラーマ1世から8世までの歴代国王像が祀られていますが、入場して見学することはできません。背後に、建物中央にある立派な尖塔が見えていました。
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イチオシ
『プラサート・プラテープ・ビドーン』、別名『ロイヤル・パンテオン』の尖塔の光景です。古典的なタイ寺院様式で建てられた十字型の建物で、屋根の上にクメール様式の尖塔が聳えます。その尖塔のズームアップ光景です。繊細さを備えた、格式高い建物です。
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『鐘楼(しょうろう)』は、本堂の脇に建っています。ネット情報からの紹介ですが、現在は鐘は鳴らされていないようです。もともと、日常的に鐘が鳴らされることはなく、特別な機会にだけ鐘が鳴らされるとのネット情報もありました。建物自体に、随分と贅を凝らしているようでしたが、伝統的な施設というより、近代建築物に見えました。
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王宮敷地の一角にある王宮寺院の『ワット・プラ・ケオ』の境内光景です。右端に見えている黄金の塔が、仏舎利を収めている『プラ・シー・ラタナ・チェディー』、その左の小さめの建物群は、本堂に付属する建物群です。
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この付近に、アンコールワットの模型が置かれていたはずでしたが、時間切れで、撮影することはできませんでした。19世紀末にラーマ4世の命によって造られたといわれる『アンコール・ワット(アンコール寺院)』の精巧な模型です。ラーマ4世が、アンコールワットの素晴らしさに感動したことが契機とも言われます。
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イチオシ
回廊に展示された、『ラーマキエン』の物語の絵の紹介です。王宮は長さ1,900メートルの壁で囲まれていますが、ワット・プラ・ケオは、その王宮の中で更に回廊に取り囲まれた一角です。その回廊には、ラーマ1世の時に『ラーマキエン』の物語の絵が描かれましたが、その後に何度か修復されたようです。(王宮のご案内・日本語版)
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『ラーマキエン』の物語の絵は、ウイハーン・ヨートの反対側の北口から始まりますが、ここはその場所ではないようです。ラーマ王子の美しいシーター妃が、ロンカー王国のトッサカン王に誘拐されますが、シータ妃を救い出すためのラーマ王子とトッサカン王との戦いの物語です。物語の下敷きは、インドの叙事詩『ラーマーヤナ』です。
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戦力としての象も見える戦いの場のようですが、ラーマキエンの物語のどの場面なのかは、判断が付きません。ラーマキエンは、トンブリ王朝の時代にタークシン王が戯曲として編纂しはじめ、その王朝を引き継いだラタナコーシン王朝時代に、ラーマ1世が物語を完成させました。ラーマ1世は、トンブリ王朝時代のタークシン王に仕えた武将だった人です。現在のラーマ10世に繋がっています。
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ラーマキエンの物語の中の一場面ですが、現在のタイ王国の王宮と寺院を連想させるような建物群です。平和な時代の場面かも知れません。背後には森や川が描かれていました。『ラーマヤナ』では、主人公のラーマ王子は、イクシュヴァーク王家に生まれた、バラ色の瞳を持つ英雄として描かれていますが、『ラーマキエン』では詳しいことは分かりませんでした。
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こちらの建物群も、現在のタイ王国の王宮と建物群を連想させます。先にロンカー王国のことを紹介しましたが、ラーマヤナの中では、現在のセイロンを意味する島ではなく、単に『島』の意味とされます。ラーマヤナからラーマキエンに再編集された時に『セイロン島』に特定されたようです。
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再び、戦火の光景になりました。大規模な戦いではなく、刀を持った左側の人が、追われるような場面に見えました。あくまでも推測ですが、セイロンを想定したロンカー国での出来事のようです。戦いの場面ですが、殺伐さではなく、どこかおおらかさも感じさせる人物の動きです。
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ほんの一部を紹介しただけですが『ラーマキエン」の物語の紹介の最後の場面になりました。ただし、物語全体の最後の場面ではありません。『ラーマヤナ』では、主人公のラーマ王にとっては悲劇の締め括りになっていますが、『ラーマキエン』では、シータ王妃が竜神王国に留まる間にラーマ王は善行を積み、それを見ていたシヴァ神の仲裁で、二人は再び結ばれるというハッピーエンドで終わっています。
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回廊に描かれた『ラーマキエン』の物語の一部を見学した後、現地ガイドさんの先導で次に向かったのは、王宮の『チャックリー・マハー・プラサート宮殿』です。チャックリー・マハー・プラサート宮殿は、ラーマ5世の『チュラーロンコーン大王(在位1868~1910年)』によって建てられ、1882年のバンコク王朝百年祭に完成しました。現在ではレセプションホールとしてのみ使用されています。(ウィキペディア)
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同じく、『チャックリー・マハー・プラサート宮殿』の入口に向かう途中の光景です。右手に見えている白い建物は、既に王宮の一部になります。タイ王国での近代化への改革は、ラーマ4世から6世までを広義、その中心部分のラーマ5世時代を狭義の『チャクリー改革』と呼び、内外的に肯定評価されています。このため、『ラーマ5世(在位:1868~1910年)』は、『ラーマ大王』とも呼ばれています。(同上)
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チャックリー・マハー・プラサート宮殿の正面入り口付近の光景になるようです。見学時間が指定されていたかもしれませんが、入口付近は、大勢の見学客で溢れていました。1999年のアメリカの『タイム』誌で、『今世紀もっとも影響力のあったアジアの20人』の1人に、ラーマ5世がタイ人から唯一選ばれました。(同上)
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ラーマ5世によって行われた、狭義の『チャクリー改革』の評価の紹介です。
①公然と行われていた奴隷売買を、長年かけて廃止しました。
②各地方の王を廃止し、中央集権国家を作り上げました。
③官僚制を導入し、行政を効率化しました。
④議会制度の前身となる、国政協議会と枢密院を設置しました。(同上) -
ラーマ5世によって行われた、狭義の『チャクリー改革』の評価の続きです。
⑤学校教育を開始しました。
⑥ラーチャダムヌン道路の整備と、バンコクからの列車を開通しました。
⑦電話業務を開始しました。
⑧内政面での民主化と併せ、外交面では国の独立を守りました。(同上)
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