2013/02/03 - 2013/02/07
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旅人のくまさんさん
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暁の寺、『ワット・アルン』紹介の続きです。英語表記は『Temple of Dawn』、この呼び名が三島由紀夫の『暁の寺』の小説名の由来になったとされます。暁(あかつき)は、夜明け時の、まだ夜の気配が残った頃合いです。(ウィキペディア、るるぶ・タイ)
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大仏塔の周りに四つある小仏塔の内の1つの光景です。大仏塔が右端に見えていました。観光名所として有名はワット・アルンですが、ライトアップされた夜間の光景は一段と見応えがあるようです。ワット・アルンの夜景を楽しみながら食事を楽しめるレストランの情報を目にしましたが、残念ながらその機会はありませんでした。
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左が小石塔、右が大石塔の光景です。ネット情報では、『対岸にあるカフェやレストランなどから、ワット・アルンの夜景を眺めながら食事やお酒を味わうのが特におすすめです』、と紹介されていました。『時間が遅くなるにつれ、夜景を見に訪れる観光客が増え、大変混雑するのでなるべく早めにレストランやカフェに移動しましょう』、とも紹介されていました。
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大石塔を支える、モックとヤックの光景です。小石塔の方だったかもしれません。交代要員はいないようですから、支え続けるのは大変そうですが、左足を跳ね上げたポーズには、まだまだ大丈夫との余裕も感じられました。勿論、勝手な想像に過ぎませんが。
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チャオプラヤ川の対岸から眺めますと、大石塔に対し、小石塔はその半分くらいの高さに見えます。しかし、デザインはよく似ていますので、近寄って眺めた場合は、一瞬、どちらか判断に迷ってしまします。この写真では、右が大石塔、左が小石塔です。同時に比較ができた場合は、間違わずに判断できます。
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何度か紹介した、宝物庫のような建物の光景です。外観的には、緑色の部分が、巨大な石碑のようにも見えました。この建物も、下の方ではモックとヤックが勢揃いして塔を支えていました。現在のカンボジアにあるアンコール遺跡群では、目にしなかったような様式です。タイ国で定着した様式かも知れませんが、石像文化を持つ国の歴史を調べてみないことには、推測の域を出ません。
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イチオシ
大石塔の中腹辺りから頂上に向けての光景です。右手に急峻な登り階段が見えていましたが、登っている人の姿は見えないようでした。タイ王国の10バーツ硬貨のデザインにも使われている、タイのランドマークと言ってよい石塔です。その高さは、75メートルほどのようです。
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須弥山を模した石塔が作り出す光景の紹介です。右手が宝物庫らしい建物、左手が大石塔の石段になるようです。その中間に長く伸びた、尖塔がちょうどいいアクセントになりました。正確な角度ではありませんが、石段の角度は45度をはるかに超えて60度近くはありそうです。登りはまだ楽ですが、下りは後ろ向きで恐る恐る降りてくることになりそうです。
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ワット・アルンが、修復工事の時期に来ていることを示す光景です。石積の間から、野草らしいものが伸びてきていました。最初は鳥などが立てを運んでくるのでしょうが、処置が遅れて小木などが成長し始めますと、途端に隙間が広がってしまいそうです。早く手を打たないと、その後のメンテナンスが厳しくなってきそうです。
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仏陀像へのお供え物らしいし類造り物の光景です。何かを模しているようでしたが、判断が付きませんでした。蓮(はす)の花のようでもあり、大きな葉を持った睡蓮(すいれん)のようにも見えましたが、尖った部分との関係も分かりませんでした。お手上げといったところです。
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イチオシ
礼拝堂の前にあった黄金の千手観音像らしい光景です。『千手観音(せんじゅかんのん:サハスラブジャ)』は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊です。『サハスラブジャ』とは『千の手』あるいは『千の手を持つもの』の意味です。この名はヒンドゥ教のヴィシュヌ神やシヴァ神、女神ドゥルガーといった神々の異名でもあります。インドでヒンドゥ教の影響を受けて成立した観音菩薩の変化身(へんげしん)と考えられています。(ウィキペディア)
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同じく、黄金の千手観音像らしい像の光景です。日本の仏教では、『十一面千手観音』、『千手千眼(せんげん)観音』、『十一面千手千眼観音』、『千眼千臂(せんぴ)観音』など、様々な呼び方をされています。『千手千眼』の名は、千本の手のそれぞれの掌に一眼をもつとされることから来ています。千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表している、と教えられています。(同上)
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イチオシ
金銅仏のような、仏陀像のお顔の部分のズームアップ光景です。螺髪の頭と長い耳、額の丸い印などが特徴でした。やや下向き加減の半開きの目線で、彫りの深い顔の仏陀像でした。バックに、陶磁器を使った石塔の装飾が見えていました。仏陀の青年期といった年齢にも見えました。
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エキゾチックな姿のピンクの花を咲かせていた花木の光景です。名前は分かりませんでしたが、エキゾチックなピンクの花と、少し肉厚そうな細長い葉が特徴でした。名前を調べるには、時間がかかりそうな予感がしましたので、まだ不明のままです。イメージ的には、『キョウチクトウ(夾竹桃)』の仲間の特徴があるようです。
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シルエットで紹介する、屋根飾りの光景です。伝統的な建物は、いろんなところに工夫が凝らしてありますから、それを探し出すのも楽しみの一つになります。ふつうは、高い場所には鳥さんの姿がありますが、暑いせいでしょうか、その姿はなかなか見掛けません。
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周りに履物や荷物などが置かれ、通用門らしい扉でしたが、全面が青銅か黄銅らしい金属で仕上げられていました。その扉の全面に、鉄砲らしい武器を持った人物が左右に描かれていました。あまり彫りの深くないレリーフ増に見えました。穏やかそうな像の背後は草花で一杯です。
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似たような金属製の扉が近くに並んでいました。こちらには、刀を持った兵士らしい姿が、二人描かれていました。足元に目を向けますと、靴を履いていない裸足のままに見えました。この部屋を使用している人を現わしているのでしょうか、全体に女性のような雰囲気を持った姿でした。
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ワット・アルンの見学を終えて、桟橋に向かう途中の光景です。前方に門らしいアーチ状の建物が見えてきました。両側に建物が並んでいましたが、締め切った窓があるだけで、裏通りといった雰囲気でした。左側の建物と壁は、王宮の外壁になるかも知れません。
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これで『暁の寺』、『ワット・アルン』の紹介はお終いです。チャオプラヤ川を東にに向かって渡り、次は、王宮寺院の『ワット・プラ・ケオ』の見学です。川を渡りながら、『暁の寺』を日本に有名にした三島由紀夫と、その作品の紹介です。最初に年表で、その生涯を紹介します。『日本史はくぶつかん』を参照しました。
〇1925年(0歳):東京四谷区(現新宿区)で三兄妹の長男に誕生、本名は平岡公威。 -
〇1931年(6歳):学習院初等科入学、詩や俳句を初等科機関紙に発表。
〇1937年(12歳):中等科へ進学、文芸部に入部、国語教師に才能を認められる。
〇1939年(14歳):新しく国語教師となった清水文雄に師事。第二次大戦勃発。
〇1941年(16歳):処女作「花ざかりの森」発表。「三島由紀夫」の筆名を使用。
〇1944年(19歳):学習院高等科を主席で卒業。東京帝国大学法学部に入学。 -
〇1945年(20歳):戦況が激しさを増し、広島と長崎への原爆投下。終戦。
〇1946年(21歳):三島の作品を読んでいた川端康成との出会い。生涯の師弟。
〇1947年(22歳):東京帝大法学部を卒業。大蔵省入省。執筆活動との二重生活。
〇1948年(23歳):父の許可を得て作家一筋として生きるため大蔵省を退職。
〇1949年(24歳):「仮面の告白」を出版、高い評価を得る。 -
〇1954年(29歳):「潮騒」を発表し、新潮社文学賞を受賞。
〇1957年(32歳):代表作となる「金閣寺」を発表、読売文学賞を受賞。
〇1958年(33歳):川端康成の媒酌で、日本画家・杉山寧の長女・瑤子と結婚。
〇1959年(34歳):大映映画「からっ風野郎」で主演。長女誕生。
〇1965年(40歳):短編集「憂国」で、監督と主演を務める映画「憂国」を制作。 -
〇1967年(42歳):自衛隊に体験入隊。
〇1968年(43歳):独自の組織「楯の会」を結成。
〇1970年(45歳):「豊饒の海」の最終原稿を仕上げる。
〇1970年(45歳):自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)で決起。東部方面総監を人質に演説、割腹自殺。 -
*年表の総括:長年師弟関係にあった川端康成へは礼節をもって対し、結婚生活も堅実に過ごしたと伝わります。川端康成の1968年(昭和43年)のノーベル文学賞の受賞は、アカデミーが発表した授賞理由を、『日本人の心の精髄を優れた感受性で表現する、その物語の巧みさ』というものでした。三島由紀夫も1963年(昭和38年)、ノーベル文学賞の最終候補6名の内の1人に選ばれていました。
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次は三島由紀夫の代表作の紹介です。五つの作品に絞って紹介します。
〇『花ざかりの森』:三島由紀夫の処女作で、これを書いたのは十六歳の時でした。当時、『天才が現れた』と、評価も高く、これを読んだ評論家・蓮田善明もまた称賛しました。『わたし』という主人公の祖先をめぐる物語で、五部構成の短編集です。 -
〇『仮面の告白』:『私』の告白という形式で書かれた長編小説で、この『私』は、性的異常者という自覚を持つ青年です。そんな『私』の生まれ生い立ちから、青年期までを描いた全四章の構成の作品です。三島由紀夫の第二作目の長編小説であり、今日では三島文学の代表作といわれる作品です。発表された当時は、大きな話題となり、また、世界各国で翻訳、出版されました。
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〇『潮騒』:三重県鳥羽市の歌島(現在の神島)を舞台にした、若い漁夫と海女の純愛物語です。二人の恋には数々の障害や困難があり、一時は会うことさえできなくなってしまいますが、そんな二人の恋が成就するまでを描いた作品です。この作品ために、三島は水産庁に依頼し、舞台に相応しい漁村を教えてもらいました。ひ弱に見えた三島は、島の人に病気療養者と勘違いされていたようです。
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〇『金閣寺』:三島由紀夫の代表作であり、また、日本文学の中でも傑作という評価を持つ作品です。この作品は、実際の金閣寺放火事件を題材としています。しかし、登場人物の設定や犯行に至までの動機などは、三島由紀夫のオリジナルです。三島由紀夫だからこそ描けたもう一つの金閣寺放火事件といえるようです。
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〇『豊穣の海』:「春の雪」「奔馬」「暁の寺」「五人五衰」のシリーズ四巻となっている作品で、三島由紀夫最後の長編小説になりました。一巻は貴族の世界を舞台にした悲恋愛物語を、二巻は一巻の主人公・清顕の生まれ変わりという青年・勲の暴挙ともいえる一連の右翼的思考行動を描いています。(以下に続きます)
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〇『豊穣の海』:三巻では二巻の主人公のまた更に生まれ変わりというタイ王室の姫と、成唯識論を突き詰めようとする初老の男性・本多との関わりが描かれています。そして、最後の四巻では、本多の前に現れた生まれ変わりだという少年との対立が描かれています。一巻から最終巻に至るまで一貫して登場するのが、本多という登場人物です。そして、最終巻で、予想外な結末を迎えます。(以上)
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対岸の寺院光景です。チャオプラヤ川を横断するだけですから、10分とはかからない、5分ほどの乗船だったようです。前方に見えてきたのは、目的地の『王宮』と王宮寺院の『エメラルド仏寺院』のようです。
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