2014/01/12 - 2014/01/12
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entetsuさん
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竹橋の東京国立近代美術館で公開中の「ジョセフ・クーデルカ」展のチケットが手に入っていました。
展覧期間は2013.11.6〜2014.1.13。
ん、もう終わってしまうぞ。
ということで、三連休の中日に観賞に出かけました。
それだけでは勿体ないので、前は通ることはあってもこれまで行ったことの無かった「靖国神社」に参拝してみることに。
折しも、ジャニーズ・V6の岡田准一くん主演の「永遠の0」も公開中。
映画は観てませんが、原作には大変感動した記憶があります。
(その後。1・15に観ました。結構良かった)
美術館と靖国の訪問順序が逆になったりしましたが、一日楽しめました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
「永遠の0」。
百田尚樹著。
漫画化・映画化されています。
2009年に講談社文庫から文庫化され、2013年8月付けで、湊かなえ著「告白」の254.4万部を超えて文庫部門1位を記録し、同年12月には販売部数300万部を突破。
ベストセラー小説らしく、一気に読めます。
隠された、「特攻で戦死した海軍航空兵」の秘密。
感動しました。
ということもこれあり、東京国立近代美術館に程近い靖国にも行こう。
家内も行ったことがないので、二人とも初です。
【PS】
1月15日に映画も観ました。岡田くん熱演でなかなか良かったです。家内は、終始泣きっぱなし・・・。
興行成績も良好で、4週連続トップ。
岡田くん、「V6目指します!」とか。 -
さて、「旅行」に戻ります。
この日はあんまり寒いので、軟弱にも車で出掛けることに。
ところが、ナビ設定を間違えて、美術館に先に行くつもりが靖国神社に先に着きました。
まぁ、順番はどっちでもいいわけで・・・(笑)。
靖国の駐車場は満車。
近くのコインパーキングに停めます。奉納神楽 by entetsuさん靖国神社 寺・神社・教会
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この辺り、タクシーで時々通ることありましたが、靖国には初めて来ます。
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鳥居が見えてきました。
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すぐ近くには、「二松學舍大学」九段キャンパス。
ここにあったんですね。
卒業生には、女優の石田ひかりさんや元ドリフターズの荒井注さんなどがいるようです。 -
もう初詣も終わり、空いているかと思っていたら、案外混んでます。
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境内脇の駐車場には、この車の列。
それで、あきらめコインパーキングに入れた、という訳です。 -
まだまだ、「迎春」です。
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靖国神社の前身である東京招魂社は、大村益次郎の発案のもと明治天皇の命により、戊辰戦争の戦死者を祀るために1869年(明治2年)に創建され、明治12年(1879)に「靖国神社」と改称されて今日に至っています。
案外、新しいのですね。
さぁ、入場します。
写真は、「石鳥居」。
石鳥居は1933年(昭和8年)に奉納されたもので、石製鳥居としては京都の八坂神社のものと並び最大級とされるそうです。
靖国には、鳥居が4つあるそうですが・・・。奉納神楽 by entetsuさん靖国神社 寺・神社・教会
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狛犬。
少し変わってます。 -
大村益次郎像。
幕末期の長州藩の医師、西洋学者、兵学者で、維新の十傑の一人。
戊辰戦争での朝廷方戦死者を慰霊するため、東京招魂社(現在の靖国神社)の建立を献策したとされています。奉納神楽 by entetsuさん靖国神社 寺・神社・教会
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右側遠くには、「第一鳥居」。
http://www.yasukuni.or.jp/precincts/map.html -
産直市です。
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こちらは、いわゆる普通の屋台。
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「第二鳥居」をくぐります。
「第二鳥居は1887年(明治20年)の建立で、大阪砲兵工廠で鋳造された青銅製。
現存の靖国神社の全4基の鳥居の内では最も古いものであり、また青銅製の鳥居としては日本一の規模。」
とのことです。(靖国神社HP)奉納神楽 by entetsuさん靖国神社 寺・神社・教会
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「神門」が見えてきました。
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献上酒。
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高知の銘酒、司牡丹と酔鯨。
何れも辛口で美味し。 -
「同期の桜」は、広島・江田島のお酒。
靖国にはぴったり。 -
神門の屋根です。
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神門にある、菊の御紋(「菊花紋章」)。
直径1.5メートルあります。
大きい! -
斎殿。
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靖国の桜は約600本あるそうです。
ここの桜(3本のソメイヨシノ)が標準木になっていて、東京地方の桜開花を発表しますが、どの木かは公表されていません。 -
「中門鳥居」。
中門鳥居は2006年(平成18年)に建て替えられた素木鳥居。
埼玉県産の檜が用いられ、以前は1975年(昭和50年)に奉納された台湾産の檜が用いられていたそうです。 -
「拝殿」まで来ました。
大勢の人ですが、お詣りします。 -
ご存知でしたでしょうか。
実は、私も今回「靖国神社」について調べることになり知りました。
何かというと、靖国には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされているということ。
第二次世界大戦だけじゃないんだ・・・。奉納神楽 by entetsuさん靖国神社 寺・神社・教会
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これは「拝殿」です。
「本殿」はこの建物の裏というか後ろにあって、全景は見えませんね。 -
靖国神社には、戊辰戦争、佐賀の乱、西南戦争といった国内の戦いで、近代日本の出発点となった明治維新の大事業遂行のために命を落とした方々や、明治維新のさきがけとなって斃れた坂本龍馬・吉田松陰・高杉晋作・橋本左内といった歴史的に著名な幕末の志士達も眠っています。
明治維新の功労者であっても、その後に叛乱を起こし、あるいは叛乱に加担した西郷隆盛や江藤新平、前原一誠らは祀られていないのです。奉納神楽 by entetsuさん靖国神社 寺・神社・教会
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また、身分・勲功・男女の区別なく、祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として一律平等に祀られているのは、靖国神社の目的が唯一、「国家のために一命を捧げられた方々を慰霊顕彰すること」にあるからです。
つまり、靖国神社に祀られている246万6千余柱の神霊は、「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の神霊」であるという一点において共通しているのです。(靖国神社HP)
なお、乃木希典(自殺)、東郷平八郎(病死)といった著名な軍人や、八甲田雪中行軍遭難事件の遭難者等は、戦時の死歿者でないため祀られていません。 -
毎月変わる社頭掲示です。
HPより引用します。(実際に掲示されてもいますし、プリントアウトしたものを自由に持ち帰ることができます)
(1月の社頭掲示)
「書き遺す事」 陸軍上等兵 吉野浩藏命
昭和二十一年一月三十日、ソ連シベリヤセミノフカ地区第十二収容所にて戦病死
新潟県柏崎市比角出身、二十一歳
此の期に及んで何も書き遺す事も御座なく候へども、此の世の名残に一筆書き残し候。
万一小生戦死の報行くも、小生は欣然(きんぜん)として国難に殉じ、笑って帝国の礎石となり候間、決して嘆く間敷(まじく)候。
顧れば生を受けてより二十年、只御厄介になるのみにて、何一つとして親孝行も致さず、今更ながら後悔の外無之(これなく)候。
然しながら忠孝一本とか君に忠なる事、即ち親に孝と存じ候。
我軍の戦況、愈々不利に相成候へども、小兵等は日本の国民として情勢の如何に拘らず全力を尽して、自己の任務に邁進すべきと存じ候。
夜青白き月光の木陰よりもるゝを見れば、想ひは遠く故郷の空にはしり申し候。
小生の亡き後も皆様には、帝国軍人の遺族として見苦しき事のなきやう、勝利の日迄仇敵米英の撃滅に邁進致され度候。
簡単乍(なが)ら右を以て遺書と致し候。
昭和二十年六月二十一日 十四時
箇山(済南の南約十五里)にて雨の音を聞きつゝ
吉野浩藏
(原文のまま)
涙が出ますね。 -
「大燈籠」。
日本一の大きさの燈籠。
1935年(昭和10年)に富國徴兵保険(現富国生命)が奉納したそうです。 -
「元宮」、「鎮霊社」に行くことにします。
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近くに行くと、衛守の方。
「お参りされますか?」
戸を開けてくれます。
一々開け閉めするのも大変かと思いますが・・・。
ただ、ご覧のように緊張感はあんまり無いです。 -
中に入り、これが「元宮」です。
元宮は幕末期に京都で造られた小祠を1931年(昭和6年)に移祠したもの。靖国神社の前身との意味から「元宮」と称されます。 -
「元宮」のすぐ隣には「鎮霊社」があります。
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「鎮霊社」は1965年(昭和40年)7月に、当時の筑波藤麿宮司の発案で、嘉永6年以降の戦争や事変で国に殉じたとされながらも、本殿においては合祀対象外となった御霊と、諸外国の戦没者の御霊の2座を祀る為に創祀されました。
「元宮」「鎮霊社」ともかつては一般には公開されておらず、参拝もできない状態が長く続いていましたが、2006年(平成18年)から一般参拝が可能になっています。 -
「元宮」と「鎮霊社」の参拝を終え、拝殿を横から眺めています。
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これは右横から。
奥に少し写っているのが、「本殿」です。 -
「拝殿」脇にある、「参集殿」。
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各地の神社から奉納されている「絵馬」。
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「参集殿」。
本殿内での参拝(昇殿参拝)を希望する場合は、ここで受付します。
※参拝時の服装は平服でも構いません。
※昇殿参拝される場合は、駐車料金が無料となります。
※玉串料(初穂料)は、お志を申し受けますが、お一人2,000円以上を目安とお考え下さい。
とのこと。
総理大臣などが参拝する場合も、ここから入殿するのですね。 -
参集殿の前を過ぎ、広場みたいなところに来ました。
左の建物は「靖国会館」、右は「遊就館」の一部。 -
「軍犬慰霊像」。
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「戦没馬慰霊像」。
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「鳩魂塔」。
軍令などを伝書した鳩も慰霊しています。
戦没者のみならず、苦楽を共にした犬、馬、鳩なども鎮魂の対象なんですね。 -
バスみたいな喫煙所。
排煙設備はなく、煙を窓から出すだけの設備でした。 -
「靖国会館」。
1Fは、参拝者休憩所です。 -
靖国会館脇から見えるのは、法政大学市ヶ谷キャンパスの校新校舎「ボアソナード・タワー」。
法政大学創立120周年記念事業の一環として2000年竣工。
ボアソナードは、1881年5月に法政大学の前身である東京法学校の講師、1883年9月には東京法学校の教頭として着任し、10年以上に渡り日本法学への貢献した法学の権威だそうです。
凄い建物だぁ。受験等での法政人気アップに貢献したとか。
法政は昨年、東京六大学で初となる女性総長(田中優子)を選出しました。
法政といえば、以前、「田嶋陽子」というおばさん教授がいて、「ビートたけしのTVタックル」などのTV番組や選挙にも出てたけど、最近見ませんねぇ。 -
「母の像」。
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「パール博士顕彰碑」。
極東国際軍事裁判(通称 東京裁判)でインド代表判事を務め、裁判官の中でただ一人、被告団全員を無罪とする意見書を提出したラダ・ビノード・パール博士の功績を伝えるため、平成17年(2005)に建てられました。
パールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張したのですが、これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないようです。
また、「パール判事は親日家故に日本に有利な主張をした」「反白人のため、欧米に不利な主張をした」という説は事実誤認であり、自身も強くこれを否定していたそうです。 -
「特攻勇士の像」。
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「遊就館」。
ここは、一言でいえば、1882年(明治15年)に開館した日本における「最初で最古の軍事博物館」だといえます。
しかしながら、所蔵品については、とても博物館という内容を超越しているようです。
(以下靖国神社HPより)
「靖国神社宝物遺品館」とし、宝物遺品の陳列展示していましたが、昭和20年5月の空襲により、大ホール周辺の展示室に被害があり、別館は焼失し、蔵書や幕末以来の貴重な絵画類を失いました。
また敗戦により、64年に及んだ遊就館の機能は停止しました。
遊就館の建物はその後、占領軍に社屋を接収された富国生命保険相互株式会社の本社事務所として昭和55年まで使用されます。
昭和55年になると、いよいよ遊就館再開の準備が本格的に始められ、昭和60年12月、遊就館改修工事竣工、昭和61年7月、展示内容等を充実し、およそ40年ぶりに遊就館は再開されました。
その後、靖国神社御創立130年を記念して、平成14年7月13日、本館を全面改装、展示手法・展示内容も一新し、更に映像ホールを備えた新館を増設。ガラス張りのホールの中に零戦を初め、野外展示物を収納し現在に至っており、世代を越え、多くの方々にご拝観いただいております。
入館してみましょう。
1Fは自由に観られるようです。英霊の御霊に鎮魂 by entetsuさん靖国神社遊就館 美術館・博物館
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おぉ!
ゼロ戦。 -
素晴らしい雄姿。
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思ったより大きくて驚き。
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「零式艦上戦闘機五二型」。
ゼロ戦の名前の由来です。
三菱重工製ですね。 -
尾翼も凛々しい。
ゼロ戦は、太平洋戦争初期、2200kmに達する長大な航続距離、20mm機関砲2門の重武装、優れた格闘性能を生かして米英の戦闘機に圧勝し、米英パイロットから「ゼロファイター」の名で恐れられた名機です。
極めて軽量に作られ、映画「永遠の0」で岡田くんが「ひょい」っと尾翼に飛び降りるシーンがありますが、実際にはそんなことをしたら、曲がってしまったようです。従って、乗降りする場所だけ補強してあり、操縦士は慎重にそろりと乗降りしてた(笑)。 -
隣には、「89式15糎(センチ)加農」。
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沖縄戦を、2ヶ月以上にわたり戦った独立重砲兵第100大隊の主力武器だったそうです。
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タイヤのゴムは劣化しています。
スポークはなんと木製!。 -
これは、「96式15糎(センチ)榴弾砲」。
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ゼロ戦のバックスタイル。
ここでは、綺麗に塗装されてますが、実際の戦闘時は塗装は大分剥げて、まだらになってたようで、映画では見事のCG再生されてましたね。 -
大戦中に、泰緬鉄道において鉄道連隊将兵の手によって運用されていた「C56 31号蒸気機関車」。
1Fの玄関ホール内での展示物の撮影はOKです。 -
有料スペースに入場しましょう。
大人@800円也。 -
バーコード部分をかざして、エシカレータで2Fへ。
「遊就館」は、22部屋の展示室と2つの映像ホールより構成されています。
展示室では主に、英霊の遺書・遺品と歴史記述パネルが展示されています。 -
2Fからゼロ戦を望みます。
こんな感じで飛翔していたんですね。
ビジュアルは最高です。
なお、ここから先は撮影禁止ですので、展示物の写真がありません。
また、靖国のHPでも掲載されていません。
明治維新、日清・日露戦争、シナ事変、大東亜戦争と歴史を振り返り、多くの英霊(祭神)の遺品や遺書などが展示されています。 -
「回天一型」。
海軍の特攻兵器、つまり「人間魚雷」である「回天」。
展示物に話を戻します。
ハワイ真珠湾攻撃で奇襲作戦成功を告げた電文「トラ・トラ・トラ」、終戦時の奉焼命令による処分を免れ旭日旗部分や菊花紋の竿頭などほぼ完全な形で現存する唯一の陸軍の連隊旗、東條英機が死刑直前まで付けていた丸メガネなど興味深い展示物などに始まって、遺族から献上された軍服、軍帽、飯盒など一体何点あるのでしょうか。
靖国からも、公式に発表されていないようですが・・・。 -
「九七式中戦車 チハ」は、サイパンの戦いに従軍し同島で発見された戦車第9連隊所属の戦車。
展示物には、看護婦や軍属、軍需工場員などとして国に仕えた女性御祭神や、戦歿されたオリンピック選手・プロ野球選手等の英霊の遺品やなどの展示もあり、涙を誘われました。
また、遺族より奉納された英霊のご遺影が壁面に掲げられていて、何とも言えない気持ちにさせられました。
遺品のほか、家族に宛てた英霊の遺書は、読むにつけ心を締め付けられます。
なお、靖国神社に祀られている246万6千余柱の神霊のうち、女性は5万7千余柱が祀られているそうです。西南戦争、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争における軍病院、病院船の従軍・救護看護婦などです。 -
「九六式二十五粍高角機銃」。
-
「永遠の0」の他に、もう一冊。
「靖国への帰還」
講談社文庫、内田 康夫著。
昭和20年5月26日、夜間戦闘機「月光」に乗り込んだ主人公が、激しい空中戦を、負傷しながらも何とか乗り切ったその矢先に視界が開け、記憶を失い、目が覚めたとき、そこは平成19年6月の厚木基地だった・・・。
SF調ですが、楽しめます。もちろん、靖国についても考えさせられます。
なお、「月光」も遊就館には展示されていました。
万感の思いを抱え、「遊就館」を後にします。 -
「能楽堂」では、 神楽が奉納されていました。
全くのピンボケで恐縮です。 -
この能楽堂は、岩倉具視らにより東京・芝公園に建てられたかつての芝能楽堂で、1903年(明治36年)に奉納されたそうです。
-
神門近くの木には、白鳩が停まっていました。
神門脇には、白鳩鳩舎があって、平和の象徴である鳩を育てています。 -
境内の案内図です。
ところで、昭和天皇は、戦後は数年置きに計8度、靖国神社に親拝したが、1975年11月21日を最後に親拝が行われなくなり、今上天皇も参拝を行っていない。この理由については、昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感をもっていたからという仮説があり、具体的な物証は見つかっていなかったが、宮内庁長官を務めた富田朝彦が1988年(昭和63年)に記した「富田メモ」、及び侍従の卜部亮吾による「卜部亮吾侍従日記」に、これに符合する記述が発見された。
天皇の親拝中止は、1978年(昭和53年)10月17日に、A級戦犯が「昭和殉難者」として靖国神社に合祀されていた事実が、1979年(昭和54年)4月19日朝日新聞によって報道され国民の広く知るところとなったことを受けたと考えられています。
天皇が「政治的に問題視または利用」されることを忌避されたとも推察されています。
ただ、靖国が「身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊を斉しくお祀りする」ということから鑑みると、政治から離れ、天皇も首相も胸を張って参拝していいのでは、と私は考えます。
戦争や戦犯を礼賛しているのではなく、彼らが犯した罪に対する罰は裁判によってすでに下されており、「斉しくお祀りする」ことこそ大切なのでは・・・。
もちろん、色んな考えがあります。
押しつけるつもりも、議論するつもりもありませんが、国を信じ、「靖国で逢おう」と戦場で散った人々の御霊に礼を失することだけはしたくない。
そう思います。奉納神楽 by entetsuさん靖国神社 寺・神社・教会
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毎週日曜日に開催されているらしい、靖国神社骨董市。
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覗いて冷やかしている人は、日本人より外人が多い。
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テレビ東京「開運!なんでも鑑定団」で、何十回かに一回、掘出し物が出ますが、殆どがガラクタの域を出ない(失礼)。
でも、外人は真剣。 -
ちょっと、腹が減ったので、何か食べよう・・。
長野県御代田町(みよた)の「おにかけうどん」をいただきました。
一杯400円。
鬼かけかと思いきや、「お煮かけうどん」だった。
(ひらがなではわからん)
「おにかけうどん」の歴史は定かではないが、古くから法事などにおけるこの地方
の伝統ある料理として受け継がれてきている、そうです。
味?
コストパフォーマンス悪し、とだけ言っておきましょう。
(何せ私は、うどんの本場、讃岐の出身です。うどんには極めて辛口・・・) -
隣の店のさつまスティック。
さつまいもをオイルでゆっくり揚げ、砂糖をまぶした一品。
でも、さつまいもなんだが、青森の方の出店だったような気がしますが・・・。 -
300円也。
これは、超グッド。
但し、熱い。
もっとぎっしり入っていて、これは何本か食べた後!
コスパ、最高!! -
大村益次郎像から、第一鳥居を見た景色です。
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鳥居越しには、「東京理科大」九段キャンパス。
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この通り、「靖国通り」ですが、よく通ってましたが、今回初めて「靖国神社」に来てみて、いろんな意味で、感慨深い訪問でした。
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靖国の石鳥居を出た通り。
靖国には、日の丸が似合う・・・。
では、順序が逆になった、東京国立近代美術館「ジョセフ・クーデルカ展」に向かいましょう。 -
途中、英国大使館の前というか横を通りました。
あんまりにも素敵な建物だったので、今度はウォーキングできて写真でも撮ろうと思いました。
皇居脇の道を、美術館に向かっています。 -
美術館に駐車場ぐらいあるだろうと思い、車を走らせましたが、結局見つからず近くの「パレスサイドビル駐車場(300台収容)」に入庫。
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地下二階に入れました。
-
メトロ東西線「竹橋」駅直結です。
竹橋 名所・史跡
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「パレスサイドビル」について調べました。
以下同社HPより。
〜(株)パレスサイド・ビルディングは東京オリンピック開催1年前の1963年11月に設立され、皇居に面したパレスサイドビルは1966年10月1日に開館しました。
ビルは毎日新聞社東京本社をはじめ、オフィス、店舗、郵便局などが入り、駐車場(300台収容)も併設する複合ビルで、一日の在館人口は約6000人です。
また日本建築学会の「近代主義建築20選」に選定されるなど、日本の近代建築を象徴する建物です。
へぇ〜、そうだったのか・・・。 -
皇居のお堀と石垣が見えますね。
-
美術館までは、徒歩5分ほどです。
-
振り返って撮った写真。
左の建物が「パレスサイドビル」。 -
ナビの設定ミスで靖国神社と順序が逆になりましたが、やってきました。
会場は、「東京国立近代美術館」企画展ギャラリー。
この美術館には、前に一度来ました。
記憶を絞り出したら、2004年(平成16年)に「ゴッホ展」で来てました。 -
「ジョセフ・クーデルカ展」。
冒頭表紙でも書きましたが、会期は2013年11月6日(水)〜2014年1月13日(月)で、残すところあと2日。 -
「ジョセフ・クーデルカ」は、1938年チェコスロヴァキア生まれ。
世界で最も注目される写真家の一人だそうですが、もちろん?知りませんでした。 -
入口脇にある、オブジェ作品。
-
これも。
-
これも。
ところで、「東京国立近代美術館」は、日本で最初の国立美術館だそうです。
以下HPより。
古くは明治初年より、同時代の美術を恒常的に展示する美術館を要望する動きが起こり、幾度か議会での請願の採択も見ましたが、ついに当館の開設(1952年)まで、近代の美術を常時展示する国立の施設は実現されませんでした。
昭和27(1952)年、中央区京橋の旧日活本社ビルの土地建物を購入し、同年6月、文部省所轄の機関として国立近代美術館が設置され、建築家前川國男氏の設計による改装工事を施して、同年12月に開館しました。その後も二度にわたって隣接地を購入、拡張改修を行いました。
所蔵品の増加と企画展の拡充等により、コレクションの展示が次第に制約されるようになったことから、美術館の移転が検討されていたところ、設立当初からの評議員である石橋正二郎氏より美術館建物の寄付申し入れがあり、その好意によって、北の丸公園の一画に新館造営が決まり、建築家谷口吉郎氏の設計による新館が、昭和44(1969)年6月に開館しました。
移転後30年を経過し、設備の面で社会の要請に応える上での不備も生じてきたことから、平成11(1999)年7月から約2年半、館を閉じて、坂倉建築研究所の設計により、大規模な増改築工事を施しました。
そうだったのか・・・。
石橋正二郎氏=ブリヂストンタイヤの創業者。なんと素晴らしい人だ。
中央区京橋には「ブリヂストン美術館」、福岡県久留米市には「石橋美術館」がある。 -
「ジョセフ・クーデルカ展」、驚きの大行列。
クーデルカ、そんなにすごい人だったのか・・・。
我々は、招待チケットもってましたので、行列には無縁ですが。 -
東京国立近代美術館には、分館として「フィルムセンター」と「工芸館」があります。
工芸館は、この本館から徒歩5分ほど、フィルムセンターは、中央区京橋にあって、私の勤務先のすぐ近くです。 -
中央区京橋の「フィルムセンター」。
昨日、写真だけは撮りました。
前を通るだけで、入館したことな〜い(笑)。 -
チケット。
常設の所蔵作品展「MOMAT コレクション」も観られる。
これは、ラッキー池田(古いか・・・)。
ちなみに、本企画展は850円。一般観覧料は、420円。 -
「ジョセフ・クーデルカ展」は撮影禁止なので、残念ながら作品をご紹介できません。
彼は、航空技師として働きながら1960 年代初頭に写真を発表し始め、徐々にその存在を知られるようになります。1967 年には技師の仕事を辞め、フリーランスの写真家として活動を開始。その翌年ワルシャワ条約機構軍のプラハ侵攻を撮影。その写真は匿名のまま西側に配信され、それをきっかけに1970 年、クーデルカは故国を離れました。
当初イギリス、後にフランスを拠点に、チェコスロヴァキア時代からとりくんでいた「ジプシーズ Gypsies1962-1970」や、亡命後にヨーロッパ各地で撮影された「エグザイルズ Exiles 1970-1994」などのシリーズを発表して行きます。今回、クーデルカの作品は280点。
ただ、私にとっては写真はあまりぴんと来ませんでした。
良いのやら悪いのやら・・・。正直に言います。
それよりも、常設の所蔵作品展「MOMAT コレクション」の方が良かった。
毎週観ている、テレビ東京「開運!なんでも鑑定団」で贋作が出てくる日本の洋画家たちの作品が何点かありました。
「眺めのよい部屋」と題された4Fにある休憩スペースに来ています。
大きな窓から、皇居や丸の内のビル群が見えました。 -
「マラソン人が行き過ぎた・・・」
五輪真弓かぁ、これも古い(笑)。
皇居1周は約5km。東京のどのエリアからもアクセス良く、景色も良い。
しかも、高低差は30m程度と程よい、などから大人気。
2011年観光庁は、「走って気持ちがいい」道の第1号に認定したそうです。
一番混雑している平日の20時〜22時ぐらいだと、4500人〜5000人ぐらい走っているようです。この日も、沢山のランナーです。 -
2Fにある、作品。
屋外と屋内でシンメトリーです。
(鏡やガラスに映っているのではありません)
写真は、屋外から撮っています。 -
ミュージアムショップ。
特に買うものもないので、パス。 -
イサム・ノグチのモニュメント作品「門」(1969年)。
-
美術館前にあり、目立ちますが、直近では2011年5月、色の塗り替えが行われました。
竹橋への新築移転に合わせて制作さた作品で、イサム・ノグチの生前の指示に基づき、この作品の色は、4ヴァージョンあるとか。(赤と赤、赤と黒、青と青、黄と黒)。
今回の「赤と黒」の色は、1969年の開館当初の色で、その時以来の久々の登場だそうです。
知ってましたか?? -
冬の陽はすぐ翳ります。
西の方向に向けて写真を撮るとこんな感じ。
色が良くわからないですね。 -
所蔵作品展(常設展)で、作品にカメラを向けている人がいて、調べました。
以下HPより。
「作品の模写はご遠慮いただいております。写真撮影は可能ですが、撮影の際には1階インフォメーションで、撮影許可のシールをお受け取りください。ただし、フラッシュや三脚のご使用はご遠慮いただいております。
また、著作権保護のため一部撮影をお断りしている作品もございますのでご了承ください(作品横に撮影禁止のマークが掲示してあります)。
なお、企画展・共催展での撮影は、借用の際の契約上原則的に禁止されております。」
なるほど、そうだったのか。
以下、写真を拝借して何点か「おぉ」という絵を紹介してみます。 -
「道路と土手と塀(切通之写生)」。
岸田 劉生(1912年)作。(きしだ りゅうせい)
重要文化財指定作品。
神奈川県立近代美術館蔵「童女図/麗子立像」が有名ですが、この絵も有名ですね。
なんとも力強い。
塀や地面の質感と、電柱の影が横切り・・・。
ウットリしました。 -
「裸体美人」。
萬鉄五郎(1912年)作。(よろず てつごろう)
重要文化財指定作品。
萬が、東京美術学校の卒業制作として描いた作品。モデルは「よ志夫人」と言われています。 -
「金蓉」。
安井 曾太郎(1934年)作。(やすい そうたろう)
安井が肥後細川家16代細川護立(細川護熙元首相の祖父)からの依頼で、満州から帰国していた小田切峰子さんを描きました。
美しさと強さを、美しいブルーのチャイナドレスに身を包んだ美女の姿です。
教科書か何かどっかで見たことある絵ですよね。 -
「南風」。
和田 三造(1907年)作。(わだ さんぞう)
和田は、1901年(明治34年)、東京美術学校(現・東京芸術大学)に入学。青木繁、熊谷守一、児島虎次郎、山下新太郎らと同期であった。1902年(明治35年)、八丈島への渡航途上、暴風雨に会い漂流ののち伊豆大島へ漂着しており、これが後の「南風」制作の契機となったといわれています。
うーん、名作だぁ。
なお、青木繁は福岡県久留米市出身。(株)ブリヂストン創業者石橋正二郎が郷里久留米市に寄贈した石橋美術館にある、「海の幸」(重要文化財)が有名ですね。
観てみたい・・・。 -
「練習場の踊り子達」。
小磯 良平(1938年)作。(こいそ りょうへい)
小磯は、神戸市出身。
東京美術学校(現・東京芸術大学)では、猪熊弦一郎・岡田謙三・荻須高徳らと同期。1938年から1年間藤田嗣治らとともに陸軍省嘱託の身分で従軍画家として中国に渡り、帰国後戦争画を製作した。
出番を待つバレリーナと、バイオリンとチェロ奏者。
静謐なる緊張感。
家内は、「音が聞こえるようだね」。
がやがやした客席の音や声、楽器のチューニング音、踊り子の衣擦れの音・・・。
うーん、なるほど。
家内のセンスを見直してしまった。
確かに、音が聞こえる気がしてきた・・・。 -
写真は、帰り道、車で日比谷通りを走っている時のショット。
増上寺付近から見えた、東京タワー。
スカイツリー、台北101タワー、KLCCペトロナスツインタワー・・・色々あるけど、タワーはやっぱり、東京タワーがいいよね、ね。
ということで、「靖国神社」参拝と「東京国立近代美術館」観賞の日帰り行楽を終えます。
お付き合いくださり、有難うございました。
なお、靖国に関しては全くの私見で、ただただ戦争に巻き込まれ、お国のためにと散っていった英霊に対し、敬意と哀悼の意を表するということ以上でも、以下でも、以外でもありませんので改めて申し上げます。増上寺 寺・神社・教会
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この旅行記へのコメント (3)
-
- 墨水さん 2014/01/23 23:58:37
- びくつかない。
- 初めまして、entetsuさん今晩は。
靖国神社の項は良くまとめられていますが、若干弱気。(笑)
びくつく必要は有りません。(笑)
靖国神社には、台湾人、中国人、韓国朝鮮人、フィリピン人、マレー人、ベトナム人、インドネシア人、ミャンマー人、タイ人、インド人達も祀られています。
彼らは、死んでも故国に帰れない人々で、故国では政敵扱いに成っています。
台湾元総統李登輝氏の兄も祀られています。
これは、台湾に持ち帰へても祀る場所が無いために、靖国神社へ祀たままにしておくと本人も認めています。
死んでもなを受け入れを拒否する国が、日本を批判できる能力が有りません。
極東軍事裁判については、日本政府見解は「判決は受け入れるが、裁判については受け入れない。」としていて、米国政府も介入は避けています。
まぁ、敗戦時の無条件降伏受け入れも、国体堅持を米国に受け入れさせました。
無条件降伏に、日本は条件付で受け入れてます。(笑)
条件付無条件降伏なんですよ。(笑)
ジュネーブ条約は、日本は加盟しましたが批准はしてません。
遵守義務はないんですが、対戦相手国に遵守義務を通告しています。
米国は、ジュネーブ条約に加盟していませんので、ぶっちゃけ言うと「何でも有り。」です。
対戦末期のドレスデン大空襲は、その後米国が公式に謝罪しました。
原爆については、長く冷戦構造が続いてきたために黙殺されてきましたが、最近になって米国政府は歩み寄りを見せてきています。
謝罪のタイミングを、計っている物と思われます。
中華人民共和国は昭和25年成立なので、大東亜戦争に対して発言権はありません。
日中平和条約締結時に、当時の中国政府は請求権を放棄しました。
中国政府が請求権を行使した場合、中国から日本に対する賠償請求額は、日本から中国に対する賠償請求額の方が圧倒的に多く。
且つ、当時の中国政府にとっては天文学的数字に登るため、請求権を放棄する形式を取りながら、日本から援助を引き出す事に成功しました。
老獪そのものです。
韓国については、昭和20年まで日本国でした。
昭和20年以前の案件は、同じ責任を負う義務があります。
(韓国は、完全に拒否!。)
米国政府の見解は「韓国は第二次世界大戦終結まで日本国であり、日本軍の中に多数入り込み、且つ士官として指揮する者も多く、明確に米国の敵であった。」としています。
従って、韓国の言い分を聞き入れてくれる国は少ない。
墨水。
-
- キラキラcmさん 2014/01/22 20:10:33
- こんばんは。
- いつもながら丁寧な説明、わかりやすいです。靖国神社はやはりとっても意味深い場所だと改めて思います。
人によっていろんな思いがあるんでしょうね。
さつまスティック美味しそう!
entetsuさんの旅行記に出てくる食べ物はどれも美味しそうに思えてくる…。
ではでは〜。
- entetsuさん からの返信 2014/01/23 02:37:29
- 投票ありがとうございます。
- キラキラcmさん、こんばんは。
投票有難うございます。
おっしゃる通り、まぁ、靖国神社は意味深い場所ですね。
政治とは関係なし考えたいですね。
神話にすぎない「〜尊」をお参りするより、分かりやすいかも・・・。
家内は、ジャニーズ某漢字一文字アイドルグループの泊まりのオフ会が今週末あるそうで、自由になった私は、旧東海道川崎宿をウォーキングしてみようと思ってます。暖かそうですので。
10キロくらいだと思います。
でも、まだタイペイの旅行記終わってない〜・・・。
風邪、インフルエンザ、ノロ、ご自愛下さい。
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