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玄奘三蔵法師所縁の大雁塔の紹介です。3回目の見学となりました。この塔は、玄奘三蔵法師がインドから持ち帰った経典や仏像などを保存するため、時の唐の皇帝、高宗に申し出て652年に建立されました。(ウィキペディア、るるぶ・中国)

2011暮、中国旅行記21(16/28):西安、大慈恩寺、大雁塔、客殿、大雄宝殿、阿弥陀如来像

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2011/12/03 - 2011/12/06

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旅人のくまさん

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玄奘三蔵法師所縁の大雁塔の紹介です。3回目の見学となりました。この塔は、玄奘三蔵法師がインドから持ち帰った経典や仏像などを保存するため、時の唐の皇帝、高宗に申し出て652年に建立されました。(ウィキペディア、るるぶ・中国)

  • 大慈恩寺の入口付近の光景です。大雁塔はこのお寺の境内にあります。唐の時代、長安城の東南部、左街の晋昌坊に当たる場所に建つお寺です。何より、玄奘三蔵法師所縁のお寺として有名です。

    大慈恩寺の入口付近の光景です。大雁塔はこのお寺の境内にあります。唐の時代、長安城の東南部、左街の晋昌坊に当たる場所に建つお寺です。何より、玄奘三蔵法師所縁のお寺として有名です。

  • 現地ガイドさんが全員のチケットを購入している間に、ひと声かけて撮影してきた像です。横から眺めた玄奘三蔵法師像です。

    現地ガイドさんが全員のチケットを購入している間に、ひと声かけて撮影してきた像です。横から眺めた玄奘三蔵法師像です。

  • 正面からアップした玄奘三蔵法師像の上半身です。大慈恩寺は、玄奘三蔵法師所縁のお寺として有名ですが、空海を始めとする修行中の僧も、唐の時代にお参りしたことがあるお寺とされます。

    正面からアップした玄奘三蔵法師像の上半身です。大慈恩寺は、玄奘三蔵法師所縁のお寺として有名ですが、空海を始めとする修行中の僧も、唐の時代にお参りしたことがあるお寺とされます。

  • 入口前にあった狛犬です。由緒ある年代物の狛犬のようです。頑丈な鉄の柵でガードされていました。歯をくいしばった姿です。

    入口前にあった狛犬です。由緒ある年代物の狛犬のようです。頑丈な鉄の柵でガードされていました。歯をくいしばった姿です。

  • こちらは一対の狛犬です。上の方が濡れて濃い色になっていましたが、下の方は白い色でした。弱い雨が降った後のためです。少し欠けた部分もあった、新しそうな像でした。

    こちらは一対の狛犬です。上の方が濡れて濃い色になっていましたが、下の方は白い色でした。弱い雨が降った後のためです。少し欠けた部分もあった、新しそうな像でした。

  • 1対になったもう一方の狛犬です。先程の像が雌、こちらが玉を右足で抑え込んだ雄の方です。こちらも顎の辺りに、少し欠けた部分がありました。

    1対になったもう一方の狛犬です。先程の像が雌、こちらが玉を右足で抑え込んだ雄の方です。こちらも顎の辺りに、少し欠けた部分がありました。

  • 『大慈恩寺』の額が掛かった正面入口です。中央の扉は閉まり、左脇の出入口が入口専用、右側が出口専用になっていました。

    『大慈恩寺』の額が掛かった正面入口です。中央の扉は閉まり、左脇の出入口が入口専用、右側が出口専用になっていました。

  • 大慈恩寺の入口の建物のアップ光景です。軒下辺りの光景です。青色が主体の彩色ですが、この色にも意味合いがあります。向かいあった龍が描かれています。青龍は東方を守護します。しかし、その他の情報で確認した方角は南側でした。

    大慈恩寺の入口の建物のアップ光景です。軒下辺りの光景です。青色が主体の彩色ですが、この色にも意味合いがあります。向かいあった龍が描かれています。青龍は東方を守護します。しかし、その他の情報で確認した方角は南側でした。

  • ここからは、大慈恩寺の境内に入場しての見学です。東側の門から入場して、正面に見えるのが大雁塔です。現在は、やや左に傾いた塔です。玄奘の設計により建設された当初は、5層でしたが、現在は7層64メートルの塔です。

    ここからは、大慈恩寺の境内に入場しての見学です。東側の門から入場して、正面に見えるのが大雁塔です。現在は、やや左に傾いた塔です。玄奘の設計により建設された当初は、5層でしたが、現在は7層64メートルの塔です。

  • 入口付近の建物光景です。入場した門は右手にありましたが、正面の建物にも扉がありました。周りには竹の植え込みもあり、風情のある光景でした。

    入口付近の建物光景です。入場した門は右手にありましたが、正面の建物にも扉がありました。周りには竹の植え込みもあり、風情のある光景でした。

  • 左手にブロンズ製の香炉を入れての大雁塔の光景です。大雁塔の名前は、菩薩の化身として、雁の群れから地上に落ちて死んだ1羽を、塔を建てて埋葬したことに由来します。

    左手にブロンズ製の香炉を入れての大雁塔の光景です。大雁塔の名前は、菩薩の化身として、雁の群れから地上に落ちて死んだ1羽を、塔を建てて埋葬したことに由来します。

  • 『客堂』の額が掛かった建物の光景です。大雁塔に向かって右手にありました。大慈恩寺の最盛期には648の伽藍があり、3000人程の僧がいたとされます。現在は30程の僧堂に300名ほどが務められているようです。

    『客堂』の額が掛かった建物の光景です。大雁塔に向かって右手にありました。大慈恩寺の最盛期には648の伽藍があり、3000人程の僧がいたとされます。現在は30程の僧堂に300名ほどが務められているようです。

  • 正面から眺めた客堂の光景です。開け放たれた扉から、中の仏像が見えました。祭壇を中心に椅子席が設けられているようですが、入場は出来ませんでした。

    正面から眺めた客堂の光景です。開け放たれた扉から、中の仏像が見えました。祭壇を中心に椅子席が設けられているようですが、入場は出来ませんでした。

  • ブロンズ製の香炉の窓から眺めた大雁塔の光景です。建立当初5層だった大雁塔は、8世紀には10層にまで積み上げられましたが、その後8層以上の階が倒壊したため、現在の7層の構造となったとされます。

    ブロンズ製の香炉の窓から眺めた大雁塔の光景です。建立当初5層だった大雁塔は、8世紀には10層にまで積み上げられましたが、その後8層以上の階が倒壊したため、現在の7層の構造となったとされます。

  • ブロンズ製の香炉に付いていた風鐸(ふうたく)のアップ光景です。風鐸は、日本の寺社建築にも採り入れられています。風鐸の内部に吊るされた打棒の先に、大きな風招(ふうしょう)と呼ばれる板が付いています。

    ブロンズ製の香炉に付いていた風鐸(ふうたく)のアップ光景です。風鐸は、日本の寺社建築にも採り入れられています。風鐸の内部に吊るされた打棒の先に、大きな風招(ふうしょう)と呼ばれる板が付いています。

  • 大雄宝殿に続く石段の手前からの大雁塔の光景です。中央に大理石の彫り物を置いた石段の光景は、北京の紫禁城、天壇などと同じ造りのようです。

    大雄宝殿に続く石段の手前からの大雁塔の光景です。中央に大理石の彫り物を置いた石段の光景は、北京の紫禁城、天壇などと同じ造りのようです。

  • 線香の煙が立ち込める大雄本殿の光景です。堂宇の中の金色の仏像が見えています。ご本尊のようです。阿弥陀仏でしょうか。

    線香の煙が立ち込める大雄本殿の光景です。堂宇の中の金色の仏像が見えています。ご本尊のようです。阿弥陀仏でしょうか。

  • 外からの金色の仏像の撮影です。阿弥陀如来は大乗仏教の如来の一つです。梵名の『アミターバ』を音訳したものとされます。密教では、法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智と成所作智の5つの知恵を五智如来の一如来として尊崇されます。

    外からの金色の仏像の撮影です。阿弥陀如来は大乗仏教の如来の一つです。梵名の『アミターバ』を音訳したものとされます。密教では、法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智と成所作智の5つの知恵を五智如来の一如来として尊崇されます。

  • 歩いてきた境内を振り返っての撮影です。3000もの伽藍があった当時は、これだけ広い参道は無かったでしょうが、今は石畳になっています。

    歩いてきた境内を振り返っての撮影です。3000もの伽藍があった当時は、これだけ広い参道は無かったでしょうが、今は石畳になっています。

  • 大雁塔が近くに見えてきました。斜めから見上げた塔の光景です。離れた場所からは灰色に霞んで見えましたが、本来の塔の色が見えるようになりました。黄土を固めたレンガとされます。

    大雁塔が近くに見えてきました。斜めから見上げた塔の光景です。離れた場所からは灰色に霞んで見えましたが、本来の塔の色が見えるようになりました。黄土を固めたレンガとされます。

  • 大雁塔の低層階からの眺めです。真っ直ぐに伸びる大路が見えました。この写真の方角は確認していませんが、西側の道であれば、遠くローマに続いたシルクロードの起点の大通りですが、北側の方角のようでした。

    大雁塔の低層階からの眺めです。真っ直ぐに伸びる大路が見えました。この写真の方角は確認していませんが、西側の道であれば、遠くローマに続いたシルクロードの起点の大通りですが、北側の方角のようでした。

  • 大雁塔の2階当たりの室内光景です。体内仏のような大雁塔の模型がありました。玄奘三蔵法師のインドへの遙かなる旅をモデルにした小説、『西遊記』は、三国志、三国志演義などと並んで、現代中国でも若い時の必読書とされます。

    大雁塔の2階当たりの室内光景です。体内仏のような大雁塔の模型がありました。玄奘三蔵法師のインドへの遙かなる旅をモデルにした小説、『西遊記』は、三国志、三国志演義などと並んで、現代中国でも若い時の必読書とされます。

  • 周囲がぐるりと建物に囲まれた、お寺らしい一角が見える光景です。こちらは東側の方角になるようです。東側には、大慈恩寺遺址公園が地図に記されていました。

    周囲がぐるりと建物に囲まれた、お寺らしい一角が見える光景です。こちらは東側の方角になるようです。東側には、大慈恩寺遺址公園が地図に記されていました。

  • 中層階からの撮影です。左手の中間部分には工事中の区画が見えました。広い通りを挟んだ右側には、出来上がったばかり新しい建物が見えました。西側の方角になるようです。シルクロードへと続く道です。大路の名前は、雁塔西路です。

    中層階からの撮影です。左手の中間部分には工事中の区画が見えました。広い通りを挟んだ右側には、出来上がったばかり新しい建物が見えました。西側の方角になるようです。シルクロードへと続く道です。大路の名前は、雁塔西路です。

  • 東側方面の光景のようです。目印は、大慈恩寺遺址公園とお寺です。東と北側には大きな通りが見えないのも目印です。

    東側方面の光景のようです。目印は、大慈恩寺遺址公園とお寺です。東と北側には大きな通りが見えないのも目印です。

  • 中間よりやや上の中心部に、三蔵法師の後ろ姿が見えます。こちらの方角が南側のようです。写真の手前から半分少しが、大慈恩寺の境内です。真っ直ぐ伸びる雁塔南路も目印です。

    中間よりやや上の中心部に、三蔵法師の後ろ姿が見えます。こちらの方角が南側のようです。写真の手前から半分少しが、大慈恩寺の境内です。真っ直ぐ伸びる雁塔南路も目印です。

  • こちらは、明代の城壁が残る北方向になるようです。眼下に見える建物は、大慈恩寺の一部でしょうか。最上階からの眺望でよく確認できましたが、噴水がある方角です。

    こちらは、明代の城壁が残る北方向になるようです。眼下に見える建物は、大慈恩寺の一部でしょうか。最上階からの眺望でよく確認できましたが、噴水がある方角です。

  • 真っ直ぐ伸びる大通りが見えますから、南側か、西側の光景です。三蔵法師の後ろ姿が見えませんから、消去法で西側の光景になります。遠くはすっかり霞んでしまいました。

    真っ直ぐ伸びる大通りが見えますから、南側か、西側の光景です。三蔵法師の後ろ姿が見えませんから、消去法で西側の光景になります。遠くはすっかり霞んでしまいました。

  • 眼下に大雁塔北広場の噴水が見える光景です。スモッグで霞んでいなければ、遠くには、城壁の一部が見えるかも知れません。

    眼下に大雁塔北広場の噴水が見える光景です。スモッグで霞んでいなければ、遠くには、城壁の一部が見えるかも知れません。

  • 同じく、眼下に噴水が見える光景です。噴水は大雁塔北広場にあるようですから、こちらが北側になります。大慈恩寺は城壁に囲まれた西安中心部の南に位置しますから、その中心部の方角です。

    同じく、眼下に噴水が見える光景です。噴水は大雁塔北広場にあるようですから、こちらが北側になります。大慈恩寺は城壁に囲まれた西安中心部の南に位置しますから、その中心部の方角です。

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