2013/02/21 - 2013/02/21
189位(同エリア213件中)
まりも母さん
勝手に”ひなまつりウィーク”第四弾の後半です。
江戸崎商店街のおひなまつりを見た後は、
ちょっとむりやり感が否めない、大日苑見学へと向かいました。
団体の見学ツアーに乗っかろうと言うのは、ずうずうしいようですが、
管理されているNPOの保存会の方が 一緒になら見学できますよ、と言われたのでお願いする事にしました。
江戸崎の商店街から大日苑までは700m位ですので、最初は歩いて行くか?と思いましたが、
すこし小高い場所の坂の上だったので、車で移動して正解でした。
行ってみると、思いがけず、貸切でじっくり全部を見せて頂けてしまい、
大変ありがたい事となりました。
あまり知られていなかった登録有形文化財のこの建物は
見どころ沢山の豪華な建物でありました。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 自家用車
-
”大日苑”は江戸崎あたりの干拓事業を行った、植竹庄兵衛が住居とした昭和14年に建てた和洋折衷の木造建築です。
その後、昭和天皇の義兄である久邇宮朝融殿下(くにのみやあさあきら)が一時住居として使われていました。
戦後は所有者が変わり、一時は結婚式場・大日苑となった事もありました。
現在は、所有者の許可のもと、NPO法人稲敷伝統文化保存会が管理をしています。
見学は事前の電話連絡が必要です。基本は土日だそうですが、開いていない事も多いそうです。
NPO法人稲敷伝統文化保存会webサイト
http://www.dn-en.jp/index.html
道路から門までは少し奥まっています。
敷地の広さが伺えます。
石の門柱もかなりの大きさです。
(後で、聞きましたが、看板を架け替えて、中国の刑務所の入り口として撮影に使われた事もあるそうです) -
屋敷の前は広いスペースになっていました。
ここが駐車場になります。
見学会は午後2時からだと伺いましたので、
遅れてはいけないと、少しだけ早く来てみました。
まだ、バスは来ていないので、セーフかな?と思います。
先に建物の外観の写真を撮らせて頂こうと思ったら、室内にどなたかいらっしゃるのが見えました。
一応、お声をかけて、留守電に廻されて、”あきらめます”と言ったのが嫌味っぽいとダンナに言われたので、それも謝らないと・・・。
洋館の白い建物が目立ちますが、
左側には和風の建物が接続しています。 -
玄関です。
大きな鶴の絵の飾りが置いてあります。
衝立のようなものでしょうか・・・。
男性が出てこられたので、ごあいさつと、今朝電話した者だと告げると、
折り返し電話を下さった方ではないそうでした。
見学の団体さんは30分遅れそうなので、静かなうちに先にご案内しましょう、と言って下さいました。
ダンナを呼んで、建物にあがり、中を案内して頂きます。 -
まずは、洋館風の建物の1階奥の部屋です。
このお部屋は中は和室です。畳敷きです。
部屋の広さから考えるとかなり大きな神棚がありました。
普通の神棚より造りが凝っていて、特注品ではないかと思われます。
この後、色々と見学する中で、贅沢すぎると思うような豪華で、こだわった意匠が次々と出てくるので、これも特別な、神棚だろうと思いました。 -
和室には床の間がある部屋が多いのですが、
床柱は全て、異なる材質のものを使っています。
この和室は竹でしたが、
その竹、太さはかなりのものであるのに丸ではなくて、角材のように角ばっているのです。
つまり、人工的に若竹が伸びる前から板か何かで四角い竹になるように加工し、育てたものであると思われるのです。
角竹っていうやつですね。
その床柱に合わせ、この天井の棹も竹ですが、同じく、四角い竹なのです。
ものすごいこだわりが天井の棹にまで・・・なのです。
(床柱の画像は暗くて上手く撮れませんでした) -
これは、この部屋の入り口引き戸です。
廊下の外が洋館風なデザインなので、ふすまではないのですね。
ガラスのはまった引き戸です。 -
廊下の照明にはメダリオンがついています。
普通、メダリオンの下には、ペンダントやシャンデリアなど照明が下がっているのですが、
ここでは、シーリングがメダリオンの真ん中についています。
後から、シーリングに付け替えたのかな?と思ったのですが、
サイトをいくつか検索した時、これはオリジナルのように書いているページを見つけました。
案内してくださった時 聞いてみればよかった・・・。
どうも、下調べなどしないで来てしまったので(もともとはおひなさま飾りを見るつもりでしたから)
今になって、ちゃんと聞いて置けばよかった・・・と後悔も。 -
先に和風の建物の方へ向かいます。
廊下でつながっていて、その先に和風の建物が接続しています。
昭和の建築ですから、ガラスはゆがみのひどいものではありませんが、
それでもかなり古いもののようです。
和室の外には縁側がぐるりと囲んで、庭が見られるようになっています。 -
和室は10畳のお部屋が二間続きで、手前の横にも もう1部屋の三間続きになっています。
和室ですが、シャンデリアが下がっています。
しかし、このシャンデリアは建築当初からあったものではないだろうとの事です。
戦後、結婚式場に使われた事があったそうなので、その頃、付け替えられたものかもしれません。
天井は豪華です。
折り上げ格天井(ごうてんじょう)になっています。
寺社仏閣に多い、格式の高い場所に使われる天井ですね。
ここは、建築当時は客間だったのでしょうか? -
角の部分も美しいです。
板がきれいに曲げられていて、すばらしいお仕事!!
昭和14年建築というと、約75年前です。
きれいな状態で残っています。 -
そして欄間はステンドグラス!!
鳳凰のデザインでしょうか。
こんな豪華な和洋折衷見たことないです。
まりも母静かに興奮〜。
保存状態も大変すばらしいです。 -
そしてこれ!!彫刻の欄間は、ふたつのお座敷の間にあります。
解説員さんのお話で、これまた たまげました!!
これは奥の方の間から彫刻を見た所です。
橋に注目。
橋は斜め上から見たようなパースがついています。 -
これを戻って手前のお部屋から同じ欄間の橋の部分を見ると・・・
ひょえ〜斜め下から見た図になってるじゃありませんか!!
これ〜紙に書いたものじゃなくて、彫刻ですよ!!
遠近法を使って、薄い彫刻を奥行きあるように見せるのは判りますが、
その裏側も同様に裏から見た様子が彫ってあるなんて・・・。
驚愕のこだわりではありませんか。
そして、恐るべき財力。 -
奥の床の間 横の書院です。
ここにもこんな細工が!
このスカシ柄は「松竹梅」
下に梅と竹、松はどこ?と思ったら、
富士山の横に〜。
室内にいながら、シルエットの冨士が見られる・・・。
贅沢じゃ・・・。 -
案内してくださった、保存会の方。
ばっちり顔出しは無断では申し訳ないので、後ろ姿です。
丁寧に案内&解説して下さってありがとうございます。 -
床の間には皇族のお写真が。
それは、ここを建てたのは開拓事業で財を築いた植竹庄兵衛氏ですが、
その後、この建物は久邇宮朝融殿下の使用する所となってるからです。
朝融殿下は昭和天皇の皇后兄で、海軍土浦航空隊の司令官になっておいでだったそうです。
皇族の司令官なので、常に土浦に詰めて居た訳でもなく、また、土浦には住むのに適当な建物が無かったなどの理由もありそうですが、
ここに住まわれていたという事です。 -
一応、”えどさき雛まつり”の協賛施設でもあるのでおひなさまも飾られています。
しかし、ここではおひなさま単なる季節の飾り程度にしか見えなくなっちゃう。
建物の方が見所満載なもんで・・・。 -
彫刻の欄間は手前のお部屋に接する二つの間との間 二箇所にあります。
こちらは、また、柄が異なっていますが
同じようなリバーシブル彫り(?)でございます。 -
お座敷のテーブルの上には沢山の色紙が。
まりも母も一筆書いてく?っていらないいらない。
これは、この”大日苑”に来られた、タレントさんのサイン色紙。
映画やテレビドラマのロケに使われるんですって。
建物が超豪華だから、田舎の旧家とか、ちょっと悪い金持ちとか同じような設定が多いようです。
「相棒」のロケもあったと教えてくれました。
右から二列目、下から3枚目がその時のだそうで。
水谷豊って読みやすく書いてくださっているんですね。 -
右側のお部屋にもおひなさま飾り。
どちらのおひなさまも古いものではないですね。 -
右のお部屋のステンドグラスは花のデザインです。
しかも、引き戸になっています。 -
このお部屋の床の間は
天井が網代になっていますが、
色々な組み方のサンプラーのようになっていて、とても珍しいと思います。
落とし掛けは、太い藤の幹のような、蔓のような木でした。 -
床の間の壁が壊れていました。震災で痛んだ跡だそうです。
-
結婚式場として使われていた時は、この二間続きのお部屋が披露宴の宴会場だったのでしょうね。
日あたりの良い縁側の向こうは庭園の池があります。 -
窓から見える洋館の建物。
建物は少し高さのある丘のような場所にあるので、木立の向こうに干拓された場所なのでしょう、田んぼが見えるのです。 -
和風の建物から洋館に戻ります。
こちらのメダリオンもシーリング仕様
先ほどのものとレリーフが異なります。
このお屋敷は、ひとつひとつが皆違う、という贅沢もあります。 -
二階への階段は意外と広くありません。
お屋敷には、いろいろとものすごい豪華な部分がありますが、
階段は踊り場の無い、ストレートなものでした。
手すりは彫り物があるのですが、
けっこうシンプル。 -
二階に上がりました。
階段はシンプルでしたが、上がってまず見えるお部屋の障子にびっくりです。
階段ホールではないので、
上の様子は階段を上がらないと見えないので、ストレートな階段は、
上がった先のこの窓を効果的に見せる演出?とか考えてしまったのですが・・・。
この建物の設計はどなたなのか?
頂いたパンフレットには書かれていませんでしたね。 -
2階の広間です。
ここにも変わった床柱があります。
こちらの壁も傷んでいますね・・・。 -
角に窓のある明るい部屋です。
窓の上に写真撮影用のバックスリーンのロールがセットされていますね。
明るいお部屋なので、きっと結婚写真の撮影スタジオに使われていたのでしょう。 -
ここの畳はサイズが普通のものと違う特注品だそうです。
表向きは洋館スタイルでありながら、中は畳敷きなので、通常のサイズだと合わなかったのかな? -
廊下から見えたスカシの飾りは、ガラスとガラスの間に彫り物細工が入っているものでした。
細かい細工がすばらしいものです。 -
シーリングメダリオンその3
リーフのレリーフが、また、違っています。 -
2階の引き戸。
やはり、ふすまとかは使われえていません。
ガラスのはまった、板戸です。
和風ではなく、洋のテイストが入ってますね。
ひし型の形はシンメトリー、雰囲気アールデコ調でしょうか? -
二階には他に和室が2部屋。
この2部屋はさほど広くはないです。
住人の個室でしょうか。 -
1階に戻ります。
ここは玄関隣の応接間になるのでしょうか。
あまり広くはありませんが、床はフローリングの部屋です。 -
シャンデリアは新しそうです。
置かれたソファーのセットも、
これは昭和40〜50年代にあったようなお部屋の感じです。 -
応接間の玄関側の窓。
玄関の土間の右側に見えたガラスはこれでした。
デザインとしては、アールデコスタイルですね。 -
外に出てみます。
駐車場になっている建物の前 スペースのはじっこに石が積まれています。
この石、以前 今の駐車場だった所に置かれた庭石だそうです。
広いこのスペースは昔は日本庭園だったという事です
戦後、この建物の所有者は田中角栄氏と知人で、角栄氏が病気で倒れた後、療養のためにここに来る計画があったそうです。
それで、角栄氏が来るとするとヘリコプターで、との事で、ヘリポートなど当然無いので、所有者は日本庭園の石などをどけて、ヘリが下りられるスペースを作ったのだそうです。
(結局 田中角栄氏は来られなかったそうです)
その時、どけて積まれたのがこの石だとか。
今となっては、車で来る人が多いから、駐車スペースが必要で、よかったのだかなんだか・・・という事です。 -
結婚式場として使われていた時の名前が”大日苑”だったようですが、
その由来はこの「大日堂」から来ているものだそうです。
お堂の中はのぞきませんでしたが、
大日如来がいらっしゃったでしょうか・・・。 -
狛犬が変わっていると教えて下さいました。
それも、ここに来た、”狛犬に詳しい方”が教えてくれたとか。
まず右の狛犬ですが、
珍しく仔犬がいます。
乳を飲んでいるのです。
親の犬頭には何か渦巻状のものが乗かっています。
なんだろ?
(不謹慎にもアレだとはいいませんが・・・) -
そして、左側の狛犬。
こちらの仔犬はおしっこをしているポーズですよね。
頭の上には今度は縦線の入ったやや尖った物・・・。
これはなんなのだろう??? -
そして、巨大な石灯籠。
お庭もかなり広いです。
この石灯籠の先に、干拓事業の成果である、広い田畑の風景が広がっています。 -
奥のは茶室だそうです。
これは、後々、所有者になった方が作ったようです。 -
こちらの建物も、後から作ったようで、
古い建物は使い勝手が悪くて、こちらに設備のある(お風呂とかトイレとかきっと古いと不便でしょうから)家を作り、使っていたようです。
今は、管理をされている方の住まいのようです。 -
建物の中と外の施設を案内して頂き、大体見終わったかと思ったら、
「あと、別の場所なんですが、
昔の建売住宅があるんですが見ますか?
古いものを見るのが好きな方は大変喜ぶんですよ、
建売りと言っても、なかなか洒落た作りで、当時としては珍しかったと思うんですが」と、思ってもいなかった、レア情報に、即反応です。
ロープで仕切られた、多分通常は公開していないらしい所へ案内されました。
木の生い茂る場所に門柱らしきものがあります。 -
まず、見えたのは火災で焼けて、壊れかけた残骸です。
不審火だったそうで、
普段は使っていないし、誰も居ないはずだから、
ワルガキの火遊びか何か?という感じの火災だったそうです。
解体してしまおうかと思ったそうですが、
ロケに使えるかもしれないと、そのまま保存されているという事です。 -
隣のもう1軒も延焼だったようです。
この部分は廃墟状態です。
周りの木がもうちょっと整理されていれば、
ビジュアル系バンドのPVとかに使えるかも・・・って私がロケハンしてどうなるもんでもなく・・・。 -
けっこう、凝った造りです。
やはり、和洋折衷な感じで。
当時は相当モダンな住宅だったでしょうね。 -
奥にももう1軒。
燃えてしまったものも入れて、5軒くらいあったようです。
それぞれに石の門柱がありました。 -
この家は窓がサッシに入れ替えられています。
住む予定があったから入れ替えたのだろう、と言っていましたが、
その後誰も住まなかったのでしょうか? -
保存会の方は「建売り住宅」と言っていましたが、
建売りだったら、それぞれ所有者が異なるので、個別に壊したり、建て替えたりしていそうなものの、こうして5軒が残っている所を見ると、賃貸ではなかったのかと考えたのですが・・・。
木が無秩序に生い茂っていますが、これは、放置されてから長い年月の間に、勝手に生えてきたり、伸びてこうなってしまったようです。
手入れして、きれいにすれば、見に来る人にもいいのだろうが、
どの木を切って、どのように手入れすればいいかが
保存会では判断できないし、人手や予算がなかなか都合がつかないように話されていました。
うーん。確かに、このまま放置はもったいないし、また火災でもあったら取り返しがつかないとも。
このような、一見価値があるのか無いのか判らない古いものは、
シロウト目には取って置いて欲しい気がとってもするのですが、
それには予算をはじめ、簡単にはいかないのですよね。
しかし、この集合住宅は珍しいと思います。
今日、初めて知ったのですが、
こんな場所にあっては、一般に知られませんよねぇ〜。
貴重なものを見せて頂き、まりも母大感激〜って感じですが、
またしても、失われゆくかもしれないものの課題を見せ付けられました・・・。 -
見学はほぼ終了です。
そういえば、もう2時半どころか3時くらいなのに団体さん来ませんね。
おかげで、ゆっくりありとあらゆる所を見せて頂きました。
いや、もっと掘り下げると、見所ありそうだけど・・・。 -
先ほど応接間の中から見た窓の玄関側。
玄関の腰壁と床は御影石でした。 -
最後に玄関左側の小さいお部屋が気になって、何なのか聞きました。
現在の所有者の方の関係にドイツ人の方が居て、その縁で、ドイツの雑貨などと、
元々この建物を建てた植竹庄兵衛のお孫さんのフルート奏者で女優の神埼愛さんのチャリティー品などの売店になっていました。
う〜んちょっとよく判らない品物のセレクトだったので良く見ませんでしたが・・・。
外観をゆっくりチェックしていないので、それを見てから帰る、とご挨拶をしました。 -
現在は特に大規模な手入れはされていないようで、
建物周りの庭木は結婚式場だった時とは違うと思います。
建物の保存状態が良いので、もったいない気もします。 -
池のあった場所はいつの間にか枯れてしまったそうです。
結婚式場の時に飾られたらしい鶴と亀が枯れた池にそのままいました。
今も、映画やドラマのロケの他に貸切パーティーや講習会、展示会、教室などに利用ができるそうですが(有料だと思います)
豪華な作りのこの建物、
もっと知られて、有効に使われたり、見学に来る人も居ればいいのに、と思いました。 -
和風の方も充分、りっぱですよねぇ。
-
屋根瓦は、家紋入りです。
外から見た感じでは震災被害は無いように見えます。 -
細かい所も壊れずにきれいな状態がいいです。
-
古い写真を見ると、入り口のところには以前屋根があったようです。
その柱の跡が、一番上の段の端に残っています。
左右のスロープは車寄せで、真ん中に屋根のある入り口となっていたので、
建物が出来た当初のファサードは今と様子が違っていた訳です。 -
そろそろ帰ろうかと思った時、車が入ってきました。自家用車です。
別のお客さんかな?と思ったら、同じような自家用車が次々と入ってくるので、なかなか出られない状態に・・・。
団体の見学者さんたちはバスではなく、自分たちの車で何十台もが列になって入ってきたのです・・・。
どういう見学会だ??・
こんな何十台も車の移動じゃ、時間も予定通りにはいきそうに無いですね・・・。
おかげで、ゆっくり見学できちゃいましたが。 -
この後、もうここまで来たのだから、となぜか”毒皿”状態で、千葉ニュータウンのジョイフル本田まで買い物に行ってしまいました・・・。
私は、いい加減古いもの見たって言うのに、オールドフレンドで更にアンティークを眺め物色しました。
その帰り、今度こそ帰宅・・・の道で
本日最後のおひなさまを発見! -
まだ、準備中でしたが、なんだか超巨大なおひなさまセティング中でした。
-
印西市木下万葉公園南側で、1万株のビオラを植えつけた
”きおろしビッグ雛まつり”だそうです。
男雛6m女雛5.5m子供たち3m!!
開催は2月24日〜3月9日
今年は寒くてなんか〜ビオラ咲いてない感じ・・・9日までに満開にならないんじゃ・・・。 -
開催中でなかったのが残念でしたが、
これまた思いがけずでっかいおひなさまを見られちゃいました。
国内最大って書いてありましたが、すると世界最大じゃないの?ギネス級か〜?
まだまだ知らないひなまつり、知らないレトロ建物沢山あります。
これからもコツコツと見まくっていくのでありました。
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