2010/05/15 - 2010/05/15
114位(同エリア357件中)
SUR SHANGHAIさん
- SUR SHANGHAIさんTOP
- 旅行記929冊
- クチコミ7097件
- Q&A回答49件
- 6,430,712アクセス
- フォロワー237人
ちょっと必要があって、あちこちの廃墟の画像を検索していた時のこと。
「あれ? この田老(たろう)鉱山跡の廃墟って、もうすぐ行く予定になっている岩手県宮古市にあるの? うそ?!(◎o◎)! へえ?、廃墟マニアには結構有名だなんて、こんな場所があったんだ?。個人でも行ける場所だったら行ってみたいな。」
で、ちょいとSUR SHANGHAIつながりに聞いてみると、「すらながったのが? いったごどながったけぇが? みやごがらすぐちけぇどごだがら、つれでってやんが。」
※訳文→「知らなかったのか? 行った事無かったっけ? 宮古からすぐ近い所だから、連れて行ってやるぞ。」の答えが。(^^ゞ
で、ちょっとドキドキしながら、連れて行ってもらいました。
さて、田老鉱山とはどんな所だったのか?
●注: 田老(たろう)は、岩手県宮古市北部の太平洋沿岸にあります。
浄土ヶ浜で有名な宮古と同じように三陸海岸のリアス式海岸が美しく、三王岩(さんのういわ)がよく紹介されています。
以前は下閉伊郡(しもへいぐん)田老町だったのが、2005年6月6日からは宮古市と合併し、宮古市田老になったようです。
表紙の画像は、田老鉱山の選鉱所だったあたりの廃墟。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
田老(たろう)は、宮古市の北部にある小さい町。
宮古市の中心からだと、国道45号線(旧称・浜街道)で10数km。
これまでにこのあたりを訪れた時には、三陸海岸の景色がきれいな小さい漁師町としか思っていなかったので、鉱山があったなんてびっくり。
そもそも田老鉱山が何の鉱山だったのかすら知らないSUR SHANGHAIなので、今日はじっくりお勉強させていただきます。φ(..)メモメモ
田老鉱山跡に行く前に寄ってみたのは、国道45号線上にある≪道の駅たろう≫と産直物産館の≪やませの丘≫。
やませというのは、初夏の頃の濃い海霧のことだそう。
道の駅のほうには、はまぎくという食堂もあって、海鮮丼とか、しゅうり(ムール貝)ラーメン、めかぶラーメン、海藻ラーメンなんかがメニューに載ってました。
あれ? 宮古の辺りだと海藻のほかにもいろんな海産物を乗っけた磯ラーメンっていうのがあるはずだけど、ここでは具が分かれてるのね。
一番人気だという、しゅうりラーメン750円也を頼んでみたSUR SHANGHAI。
あっさり醤油味のとろみスープに中細麺に茹でたムール貝のむき身がたくさんで、それなりによかったと思います。
お土産コーナーには色々並んでいますが、田老周辺のものでは、田老かりんとうがお勧め。普通のかりんとうは棒状ですが、これは丸い形で渦巻き模様が入っています。田老かりんとうで画像検索をすると出てきます。
あんまり甘くなくて、後を引くおいしさ。ドライブのお供に買っていってみては?
あとは、お隣の岩泉町にある龍泉洞関連のお土産もよし。
そのほか、SUR SHANGHAIが買ってみたのは…、 -
…田老にある、しあわせ乳業株式会社製の≪四季むかしの牛乳≫という牛乳。蓋の裏に脂肪が付くほど濃いのに後味はすっきり。
説明を見てみると:
無脂乳固形分 8.0%以上
乳脂肪分 3.0%以上
生乳 100%
殺菌 63℃30分間
と出ていました。
この画像のものは200ml入り瓶で200円。
道の駅≪たろう≫のお店には、720ml入り瓶720円というのもありました。
ちょっとお高いですが、地元産の牛乳を飲んでみたい方はお試ししてみては?
ちなみに、SUR SHANGHAIが気付いた限りでは、この道の駅以外では見かけませんでした。 -
さて、腹ごしらえも済んだところで、SUR SHANGHAIは田老鉱山跡へ案内してもらいます。
国道45号線からだと、道の駅≪たろう≫と田老の観光名所の三王岩(さんのういわ)への標識の間に脇道があって、そこから入って行きます。
ちょっと分かりにくいかもしれませんが、脇道入り口付近には≪明星(めいせい)大学研究施設≫と書いてある看板が出ていました。
あとは道なりに数km。すぐに未舗装道路になりましたが、普通車でも大丈夫。
ガードレールが半分落ち葉に埋もれているかと思えば、鉱山からの配管が道に沿ってずっと続いているのがちょっと異様な眺め。 -
田老鉱山は硫化鉱などを採掘していた鉱山で、昭和46年(1971年)に最終的に閉山。
跡地は昭和49年(1974年)に東京都日野市の明星(めいせい)大学に校地として譲り渡されたそうで、今では明星大学田老キャンパスの看板も出ていました。
キャンパスと言っても、鉱山時代の廃墟もたくさん残っている山間の土地。ここには写っていませんが、大学の宇宙線観測所もあるんだそう。
廃墟に宇宙線観測所? (◎o◎)!
なんか、そう聞いただけで、ちょっと秘密めいてドキドキするようなSF的設定だあ。
まずは、部外者のSUR SHANGHAIたちでも車で入って行ける所まで入って行きます。
関係者以外立ち入り禁止の札が出ていた手前に車を停め、あとは徒歩でも見て回りました。
駐車料金、見学料金は共に無し。
崩れかけた橋の向こうに二つの碑を発見。ちょっと回り道して行ってみます。 -
田老鉱山跡の明星大学田老キャンパスにあった田老鉱山関連の二つの碑のうちの一つ。
これは田老鉱山年表の碑。この裏側には何も出ていなかったと思います。
画像をクリックして元画像で見てみると、文字も読み取れるようになると思いますが、それでも見えにくい場合は、一旦コピーで保存してからさらに拡大してご覧ください。
この碑によると、田老鉱山は安政年間に高島嘉右ェ門という人物によって発見されたという伝承があるようです。
はっきりと歴史に残るようになったのは、大正7年(1918年)から。
その後、ラサ工業株式会社に買収されてからも、何度も諸事情で採鉱の中止・再開を繰り返し、鉱石の品質低下と埋蔵量の減少などによって最終的に閉山になったのは昭和46年(1971年)のようです。
第一次産業の厳しさを見た思い。 -
これは、田老鉱山跡の明星大学田老キャンパスにあった田老鉱山関連の二つの碑のうちの別の一つ。
表側には大きく≪田老鉱山阯≫と出ていて、これはその裏側の碑文。
この画像もクリックして元画像で見てみると、全文がはっきりと読み取れるようになります。
この碑を建てたのは、ラサ工業株式会社、学校法人明星学苑、それに元田老鉱山従業員一同と名が出ています。
閉山になった田老鉱山と、ここを終の栖とした人々への愛惜の念が込められているようです。 -
「そういえば、たろうがへぇざんになったぁどぎには、やまぁおりできたひとでみやごがいっぺえになったがなあ。あれらのひどだぢは、あれがらどうなったんだべ。」
※訳文→ 「そう言えば、田老が閉山になった時には、山を下りて来た人で宮古がいっぱいになったなあ。あの人たちは、あれからどうなったんだろう。」
…と言ったのは、SUR SHANGHAIをこの田老鉱山跡に案内してくれた人物。
この画像に写っている建物を指差して、「たろうのおまづりのどぎには、おれもよばれであそびにきたったがなあ。あそごのたてものがこうみんかんみでぇになってで、みんなあそごさあづまってきたぁもんだった。」
※訳文→ 「田老のお祭りの時には、俺も呼ばれて遊びに来たなあ。あそこの建物が公民館みたいになっていて、皆あそこに集まってきたものさ。」
SUR SHANGHAIは頷くしかないけど、往時を知っている人にとっては、ノスタルジー以上の感慨が湧いて来たに違いない。 -
田老鉱山跡の敷地には、明星大学理工学部土木工学科の実験トラス橋も置かれていた。
トラス橋については、SUR SHANGHAIは全然知識が無いので、次のウィキペディアのページで見てみてくださいね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%B9%E6%A9%8B -
田老鉱山跡地の低い山にはトンネルと溝が掘られていた。
坑道から湧いてくる水を排水するためのもの?
そのトンネルも、生い茂る植物に覆い隠されてしまいそう。 -
田老鉱山跡地には、大小の廃墟が今も残っています。
上の方で見てきた、公民館だったような建物や、崩れかけた橋、坑道のようなトンネル、そしてこんな小さい倉庫。
春の花がポツポツと彩を添える灰色の倉庫。
晴れた日の昼間には別になんとも思わなくても、夕暮れになったら、あんまり直視したくない雰囲気。
廃墟って、そういう不思議な怖さがある。 -
田老鉱山跡地は、上の方で言ったように今では明星大学の田老キャンパスになっているので、その施設も点在しています。
これが明星大学田老宇宙線観測所の建物。
さすがに、廃墟の建物ではなく、新しく建てた建物の中に入っていました。(^^ゞ
ちなみに、明星大学田老キャンパスが開校したのは昭和54年(1979年)、宇宙線観測所が完成したのは昭和59年(1984年)だそうです。
それにしても、鉱山廃墟の合間に宇宙線観測所なんて、すごくミステリアスな組み合わせのような気がする。
そう思うのはSUR SHANGHAIだけ? -
田老鉱山の坑道から今も湧いて来る水を中和処理しているらしき設備。
二つ見えているタンクには、生石灰と書かれています。
その機械の音がゴオゴオと響いてくるのに、誰の姿も見えない昼下がり。 -
田老鉱山跡地の敷地。
上の画像の中和処理施設の近くには、立坑(垂直の坑道)設備らしき建物が、これも廃墟になって残っていた。
それに付属する倉庫も、明星大学の田老キャンパスで使用するものが入っている以外は、今はほとんどがらんどう。 -
窓も破れて、外壁にツタが這う田老鉱山跡地の倉庫廃墟。
これからの季節は、またツタの葉っぱに覆われてしまうのかな。 -
車道に戻って、ここまで見てきた設備の方向を振り返る。
車で奥まで行った時には気付かなかったけど、全体が緩い斜面になっていた。
右手に見えるのは、中和処理施設やその他の設備が混じっている区画。
車道との間には、一筋の水の流れがあります。
これは、田老港まで流れて行く長内(おさない)川になるのかなと思ったんですが、間違っていたらお許しを。m(__)m -
田老鉱山跡地の廃墟で見応えがあるのは選鉱所だった辺りの建物。
車道からだと、長内川になる流れを隔ててその姿がよく見えます。
関係者の方に確認の上でこれらの建物内部へも行けるようなんですが、今回SUR SHANGHAIの案内人になってくれた人物は脚に故障があるので、足場の悪そうな内部へは行きませんでした。 -
イチオシ
田老鉱山の選鉱所だったあたり。
人々が営々として築き上げ使っていた設備が、今はがらんどうになって草木の間に朽ちていく。
往時には賑わっていたはずのこの場所も、今は何の音もしない。
廃墟の持つ寂しい感じ、悲しい感じは、賑やかだった頃を想像して無意識に比較してしまうところから生まれるんじゃないかな。 -
イチオシ
田老鉱山の選鉱所だった部分をアップで。
上段の画像はカラーのまま、下段の画像はモノクロにしてみました。
雰囲気がずいぶん違って見えるけど、気のせい?
窓も割れ、壁も落ちて、残骸になっていく過程の選鉱所。
昼だからまだいいけど、夕暮れ時に見たら怖いだろうなあ…。 ((+_+))ブルブルッ!
そうそう、田老鉱山で採掘された鉱石はゴンドラに積まれ、山の上を通るロープウェイで、宮古市の鍬ヶ崎(くわがさき)の港そばにあるラサ鉱業駅まで送られていたんだそうです。
その後は、銅鉱石はトラックや鉄道引込み線で同じく宮古市の小山田(こやまだ)にあるラサ工業の工場へと運ばれ精錬されていたのだそう。
今ではそのロープウェイも無くなって、ラサ工業も下火になったようですが、その頃の名残は今もあると知って驚き。
それは、小山田の精錬所跡の小高い山に残るラサ工業の大煙突。その大煙突はJR宮古駅や三陸鉄道宮古駅辺りからも見えますよ。
SUR SHANGHAIも、これまでその大煙突は目にしていましたが、これでその歴史の一端が分かって目からウロコ。 -
田老鉱山の選鉱所だったあたりを過ぎて、さらに緩い斜面の車道を下って行くと…、
-
…シックナーと呼ばれるプールのような装置が蔓草に覆われるようにしてまだ残っていた。
これは、液体中の細かい砂などを分離させるための装置。
今は雨水が溜まっているのかも? -
田老鉱山跡地脇を通る車道から、選鉱所跡の廃墟がある方向を見る。
長内川になる流れがカーブする場所で、ここで車道もカーブ。
緩い斜面になった上の方を見ると、この画像では見えにくいんですが、≪明星大学田老キャンパス≫と書かれた看板も出ていました。 -
田老鉱山の選鉱所廃墟を後にして、国道45号線方向に戻って行くと、鉱山社宅も廃墟になって車道脇に残っています。
2階建てのアパート形式になった社宅が数棟。 -
田老鉱山の鉱山社宅だった建物の一つ。
車道沿いのコンクリート塀は倒壊して、敷地は藪がボウボウですが、立ち入り禁止にはなっていませんでした。
なので、ちょっと敷地に入ってみます。 -
田老鉱山の鉱山社宅廃墟の一つ。
SUR SHANGHAIをこの鉱山廃墟に案内してくれた人物によると、この社宅と社宅の間には、昔はきれいに植えられた花壇か植え込みがあったそうです。
今は、周辺の木や植物が侵入して育ち放題。
夏になったら葉っぱが生い茂って、この敷地に入るのは難しくなりそう。 -
田老鉱山が最終的に閉山になったのは昭和46年(1971年)。
この鉱山社宅の住民が立ち退いたのも同じ時期だったんだろうか。
そうすると、この旅行記を書いているのは2011年だから、ちょうど40年前のこと。
きれいな植え込みがあったという社宅と社宅の間には、今では時間と同じように大量の落ち葉が積み重なっていた。
廃墟になった社宅入り口のドアも下から三分の一近くまで落ち葉に埋もれて地面が高くなった。
ドアの取っ手がずいぶん低い位置に付いているように見えるのはそのせい。
田老鉱山で働く人々が賑やかに住んでいた時の様子が想像できないSUR SHANGHAI。 -
イチオシ
落ち葉が降り積もって、ドアの下3分の一近くが埋もれてしまった社宅廃墟。
そのお陰で取っ手の位置がずいぶん低く見えるそのドアは、下の方から朽ち始めていた。
午後の陽の中の取っ手の影がやけに寂しいのは、もうこのドアを開けてくれる人がいないから? -
田老鉱山の鉱山住宅廃墟は、窓がすっかり破れて、中が丸見えになっていた。
これは1階の居間の窓から台所や出入り口方向を見た様子。
もうすっかり天井も床も抜け落ちて、吹き込んで来る落ち葉で埋め尽くされてしまいそう。 -
これも田老鉱山の鉱山住宅廃墟。
なんだか凄惨な災害後の住居のよう…。
抜け落ちた床の下には、掘り炬燵の跡も見えていた。 -
2005年6月6日からは宮古市と合併して宮古市田老になった田老。
それ以前は下閉伊郡(しもへいぐん)田老町だったのだそう。
田老鉱山が栄えていたのはその頃だったのを示すかのように、田老町と彫られた標石が社宅跡そばに残っていた。 -
田老鉱山跡地の廃墟脇を流れ下って来て長内川になる流れには、明神新橋という名の橋が架かっていた。
その欄干の上にも降り積もる落ち葉。 -
明神新橋が架かる流れ。
この画像だと、さっき見た田老鉱山社宅の廃墟は左手の林の中にあります。
その廃墟もこの日は新緑に隠されて、この画像だけ見たらうららかな春。 -
明星大学田老キャンパスがある田老鉱山跡や鉱山社宅の廃墟を見終えて、さらに国道45号線方向に緩い坂を下りてくると、第三ダムと呼ばれる大きな沈殿池が目に入ります。
画像奥には、太平洋もうっすらと見える位置。
この日の第三ダム内の水は少なかったので、底に溜まっていた真っ赤な泥が露出して印象的な眺め。
このダムは貯泥を目的に作られたダムで、昭和43年(1968年)に竣工したんだそう。
それまでは田老鉱山からの排水は長内(おさない)川に直接流れ込んでいたので、川は真っ赤だったそうです。 -
イチオシ
今は閉山になった田老鉱山だけど、坑道から湧いて来る水を引いて来て、含まれている泥をこうして沈殿させているのかな。
第三ダムをぐるりと回りこんで、沈殿した泥の不思議な縞模様を見てみた。
湯気が立っているのは、今日の陽気のせい?
こうして眺めると、日本の風景とはかけ離れた雰囲気。 -
第三ダムに沈殿した赤い泥。
その赤にもさまざまな程度があって、思いがけない模様が浮かび上がる。
毒々しい色の泥の周辺に大きく育った木があったり、芽生え始めた雑草もあって、その強靭さにはびっくり。 -
これは、砂漠を流れる一筋の川の航空写真のように見える。
この第三ダムは、誰が管理しているんだろうと思ったら、田老鉱山の採掘をしてたラサ工業が今も引き続き管理しているんだそう。
ラサ工業株式会社は日本の化学メーカー。
SUR SHANGHAIも詳細は知らないので、次のウィキペディアのページで見てみるといいですよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B5%E5%B7%A5%E6%A5%AD -
乾いてひび割れた、第三ダムの赤い泥。
その周りに生えた雑草の緑が一層濃く見える。 -
第三ダムの土手から見下ろした景色。
赤い泥とは打って変わった新緑で、目がパッチリすっきり。
山がどこまでもずっと連なっているように見えますが、その向こうには太平洋が青く霞んでいます。
田老のあたりは、山が海に迫るリアス式海岸の三陸海岸というのがこれでちょっと分かるかも。 -
さらに国道45号線に向かって下りてくると、ラサ工業株式会社田老事務所の建物があった。
上段の画像は、現在使われている新しい建物。
下段の画像は、以前使われていた古いほうの建物なんだそう。
田老鉱山は閉山になっても、その後始末のために40年経った今も働いている人がいるんだなあとしみじみ。 -
ラサ工業株式会社田老事務所の古いほうの建物脇には、八重桜の大きな木が一本。
いつ頃植えられたんだろう。
ひょっとしたら、この木も田老鉱山で働いていた人々と一緒にその興亡を見てきたのかも?
田老鉱山が閉山になった今も、こうして色濃い花を咲かせているのがちょっと物悲しい春の一日。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
廃鉱山、廃墟、廃駅、ゴースト・タウン、ミステリー・スポット
-
★スコットランド紀行(19)エジンバラ近郊、ロスリン・チャペルへ
2006/09/13~
エジンバラ
-
★遠野訪問(1) 遠野ふるさと村とデンデラ野へ
2007/06/02~
遠野
-
★遠野訪問(2)伝承園とカッパ渕、そして遠野の町へ
2007/06/02~
遠野
-
★遠野訪問(3、完)南部神社へ そして花巻へ
2007/06/03~
遠野
-
★ポーランド旅(7)ヴィエリチカ岩塩坑へ
2007/09/06~
クラクフ
-
★初冬のヨーロッパ(6) −ザルツブルク市内とバート・デュルンベルク岩塩坑.へ
2007/11/29~
ザルツブルク
-
★青森県(2)黄金崎不老ふ死温泉や白神山地十二湖のあたり
2008/05/02~
白神山地
-
★田老鉱山の廃墟へ
2010/05/15~
宮古
-
★地下宮殿へ
2011/12/05~
イスタンブール
-
★宮古の街を見下ろすラサの煙突へ
2013/04/28~
宮古
-
★岩手山周辺めぐり(1) 雲上の楽園だった松尾鉱山跡廃墟から松川温泉へ
2013/05/02~
八幡平(岩手側)
-
★南米、時にはバイクで(50)無数のモアイたちに会って来た
2014/04/21~
イースター島
-
★かつては海底炭鉱で栄えた端島(軍艦島)の廃墟へ
2014/10/01~
長崎市
-
★モンゴル 失われたチベット仏教寺院群マンジュシュリヒード
2016/08/04~
ゾーンモド
-
★ページの街からアッパー・アンテロープ・キャニオンへ
2017/06/09~
ページ
-
★スプリングデールからネバダ州道375号線(地球外生命体ハイウェイ)経由でトノパーへ
2017/06/11~
ネバダ州
-
★銀鉱山で栄えたトノパーから、シエラ・ネバダ山脈を眺めつつジューン・レイクへ
2017/06/12~
カリフォルニア州
-
★かつては金鉱山で栄え、ゴースト・タウンになった町、ボディ
2017/06/13~
ビショップ
-
★シギショアラ歴史地区の昼と夜を歩く
2017/10/06~
シギショアラ
-
★座敷わらしに会いに金田一温泉の緑風荘へ
2018/06/18~
二戸・一戸
-
★ナミビア+南アフリカ車旅(11)ゼーハイム~リューデリッツ間に残るトランス・ナミブ鉄道の廃駅と現役ホテル
2018/08/27~
その他の都市
-
★ナミビア+南アフリカ車旅(12)ナミブ砂漠に埋もれ行く、ダイヤモンドで栄えた町の廃墟
2018/08/28~
その他の都市
-
★青森のミステリースポット キリストの墓へ
2018/10/26~
八戸
-
★陸中大橋駅から徒歩で旧釜石鉱山事務所や鉱山施設遺構へ行ってみた
2020/09/18~
釜石
旅行記グループをもっと見る
この旅行記へのコメント (2)
-
- kovaさん 2011/02/14 11:57:35
- すごい廃墟を見つけましたね!
- SUR SHANGHAIさん いやはや驚き桃の木 山椒の木 田老までお出かけとは驚きです。(ここの跡地 明星大学宿舎で新入社員を教育したことがあります)
小生も縁ありまして かつてこの近くで海や山を探訪したり、山菜や海の産物 を楽しみながら採取?しておりました。
写真こそありませんがすばらしい自然のあるところです。
緑の多い季節にどうぞ オデンセ!(いらっしゃいませ!)
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2011/02/15 08:53:01
- RE: すごい廃墟を見つけましたね!
- お久しぶりです。ご訪問、ありがとうございます。
よもや、田老をリアルでご存知の方が4トラベルにいらっしゃったとは私も驚きです。(◎o◎)!
この田老鉱山の廃墟は、たまたまその存在を知り、案内してもらえた場所なんです。
宮古の辺りといえば、浄土ヶ浜を代表とするリアス式海岸くらいしか思いつきませんが、かつて−−それもそんなに遠くない時代にそんなに遠くない場所が鉱山で賑わっていただなんて不思議な気がしました。
そういえば、宮古の南にある釜石も鉄で栄えていたんですよね。
栄枯盛衰とはこのことかもしれません。
田老鉱山については、これからボツボツとコメントを入れていく予定ですが、間違いなどにお気付きでしたらご遠慮なくご指摘をお願いいたします。m(__)m
> SUR SHANGHAIさん いやはや驚き桃の木 山椒の木 田老までお出かけとは驚きです。(ここの跡地 明星大学宿舎で新入社員を教育したことがあります)
>
> 小生も縁ありまして かつてこの近くで海や山を探訪したり、山菜や海の産物 を楽しみながら採取?しておりました。
>
> 写真こそありませんがすばらしい自然のあるところです。
>
> 緑の多い季節にどうぞ オデンセ!(いらっしゃいませ!)
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 廃鉱山、廃墟、廃駅、ゴースト・タウン、ミステリー・スポット
2
39