2013/04/28 - 2013/04/28
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SUR SHANGHAIさん
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岩手県沿岸の宮古の街は陸中海岸国立公園の観光の拠点や漁港として知られていますが、一昔前はラサ工業宮古工場の銅鉱精錬でも賑わった街。
1936年、ラサ工業田老鉱山の銅鉱石採掘が再開されると、次いで宮古工場精錬所が1939年6月に操業を開始。
その精錬所と一緒に完成したのが、ラサの煙突と呼ばれるコンクリート製の大煙突で、その高さは160m、直径は根元で10m、先端で5mあり、当時は東洋一の大煙突の異名もあったのだそう。
●注: ちなみに、2013年現在、日本で一高い煙突は東京電力鹿島火力発電所のもので231mあるそうです。
しかしながら、田老鉱山は1971年に閉山。
1986年には煙突を含む銅鉱精錬所は合同資源産業宮古精錬所に譲渡されてラサ工業も業態を変えたそうです。
その後日本シーアールアイの所有となったその大煙突は、現在でもラサの煙突と呼ばれ、東日本大震災後も宮古のランドマークとしてそびえています。
宮古を訪れた事のある人は、通称煙突山と呼ばれる丘の上に立っているその姿を目にした覚えがあるのでは。
今回の宮古訪問前に、その煙突のある山(通称:煙突山)には上れると知ったので、滞在期間中にお天気のよさそうな日を選んで行ってみました。
廃墟になった田老鉱山については、別の時期に訪れた時の様子を下記の旅行記にアップ済みです。参照してみたい方はご覧ください。
★田老鉱山の廃墟へ
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10530778/
表紙の画像は、足元に立って見上げるラサの煙突の威容。
煙が出ているように見えるのは、雲のいたずらです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
ラサの煙突と呼ばれる、元ラサ工業宮古工場の大煙突は、高さが160m。
所有が日本シーアールアイと変わった現在も、小山田(こやまだ)地区の山(通称: 煙突山)の上に立っています。
その煙突山の標高は90m。
そのため、ただでさえ高い煙突なのに、余計に背が高く見えます。
岩手県の県庁所在地の盛岡方面からJR山田線や岩手県北バスの106急行バスで宮古を目指すと、花原市(けばらいち)という地名の場所あたりからもその姿が行く手に見えてきますよ。
宮古に着いた後は市街地のあちこちから見えるので、宮古を訪れた人は目にした覚えがあるのでは?
これらの画像は、東日本大震災後の閉伊川(へいがわ)沿いから眺めたラサの煙突。
震災の大津波は、宮古湾から閉伊川を遡り、河口付近では高さ5.2mの防潮堤を越えて市街地に侵入。
宮古市役所上階から撮られた、真っ黒い水が防潮堤を乗り越えてくる映像は、見たことがある人は多いと思います。
その津波は、さらに、その先にあるJR山田線の宮古⇔磯鶏(そけい)間にある閉伊川鉄橋や宮古橋をも大破させました。
右上の画像は、閉伊川鉄橋のかろうじて残った橋脚の一つ。
そんな津波の襲来も、ラサの煙突は煙突山の上から見つめていたんでしょうね。 -
小山田(こやまだ)地区から見上げた煙突山。
元のラサ工業宮古工場があった敷地には、往時の銅鉱精錬所が廃墟になって残っています。
上段の画像の左手、煙突山の中腹あたりに見えている古びたコンクリート製の建物がそう。
盛んに銅鉱精錬が行われていた時期には、夜になると溶けた銅の熱と色で周囲が真っ赤に染まって見え、遠目からでも迫力ある眺めだったそうです。
この画像だと右手の斜面に、作業車が煙突山に上って行く道がありましたが、関係者以外立ち入り禁止の標識があったので、SUR SHANGHAIはそこから上るのは断念。
煙突山向こうの磯鶏(そけい)地区には山道があるらしいので、のちほどその道を辿ってあの大煙突のお膝元まで行ってみることにします。
下段の画像左手のツタが絡まった建物は、鍬ヶ崎(くわがさき)地区の漁港そばにあるラサ鉱業駅の廃墟。これも東日本大震災後に耐えて残っています。
往時は、田老鉱山の銅鉱石を山伝いにゴンドラでここまで運び、さらにトラックや鉄道引込み線を使って、煙突山の銅鉱精錬所まで送られていたんだそうです。
田老鉱山については、下記の旅行記をご参照ください。
★田老鉱山の廃墟へ
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10530778/ -
さて、この日はお天気もまずまず。
煙突山へは磯鶏(そけい)地区から上って行くことにしたSUR SHANGHAIは、宮古市街地からまずはJR山田線の磯鶏駅へ。
…と言っても、磯鶏駅のあるJR山田線の宮古⇔釜石間は、2013年4月下旬現在も東日本大震災の被害から立ち直っていません。
よって、岩手県北バスの路線バスで市民文化会館前まで行き、あとは徒歩。
市民文化会館から磯鶏駅までは徒歩5分足らず。
岩手県北バスの時刻表は下記をご覧ください。
市民文化会館前で降りるなら、山田・船越(ふなこし)方面行きに乗るとよし。
http://www.iwate-kenpokubus.co.jp/regular/map/miyako/ -
これは、JR山田線の磯鶏駅(そけい・えき)近くの線路。
幸いこの部分の線路は東日本大震災の津波でも流されませんでしたが、宮古⇔磯鶏間の閉伊川鉄橋(へいがわ・てっきょう)は橋脚だけになったり、磯鶏⇔津軽石(つがるいし)間の線路は流されてしまったり。
2013年4月下旬現在、復旧はいつになるのかも分かっていません。
二年以上も列車が通っていないレールは、宮古方面(左の画像)も、津軽石方面(右の画像)もすっかり赤錆びてしまっていた。
このレールがまたピカピカになる日が一日も早く来ますように。 -
JR山田線の磯鶏駅(そけい・えき)そばには、昭和52年(1977年)の3月に竣工したというSL公園あり。
その名のように、公園の片隅には機関車が展示してあります。
ひょっとして、ラサ工業宮古工場へ田老からの銅鉱を運んでいた機関車なのかも?
ラサの煙突行きの本題からちょっとそれて、寄り道して行きます。
そばに出ていた説明によると…、 -
…この機関車は、昭和51年(1976年)に、当時の国鉄から宮古市に寄贈されたもの。
大正3年(1914年)川崎造船所兵庫分工場で造られ、急行貨物列車として東北本線などで活躍していたんだそう。
正面に見えている9625の数字は、9600型蒸気機関車のうち、25番目に製造されたことを示しているそうです。
最後には青森機関区に配置され、昭和47年(1972年)にお役目を終えたときの走行距離は2750.671km(地球70周分)。
あれ? 山田線や、ラサ工業宮古工場へ続く引込み線を走っていた機関車じゃなかったのかな? -
前置きが長くなってしまいました。(;^ω^)
さて、ここからがこの旅行記の本題。
いよいよ煙突山の上にそびえるラサの煙突を目指します。
…とは言うものの、SUR SHANGHAIにははっきりしたルートが分からないので(ノω`*)、まずは磯鶏(そけい)地区の上村(わむら)と呼ばれるあたりから、ラサの煙突が見える方向へテクテク。
もし、途中で道が無くなったとか、立ち入り禁止の札が出ているようなら潔く引き返して来るつもり。
●注: 上記の上村と言う地名の発音は、『かみむら』でも『うえむら』でもなく、『わむら』だそうです。 -
緩やかな斜面をちょっと上り始めて、途中で来た方向の磯鶏(そけい)地区を振り向く。
画像の一番奥に見えている山は、宮古湾向こうにある重茂半島(おもえ・はんとう)の月山(がっさん)。
宮古湾の水面もチラリとのぞく眺め。
正面に見えている白い大きな三角屋根は、さっき岩手県北バスを降りた市民文化会館。
ここからだと分かりませんが、その市民文化会館も東日本大震災の津波に襲われ、下の階は大きく被災。
2013年4月下旬現在も復旧作業は進んでいないようでした。 -
JR山田線の磯鶏駅(そけい・えき)あたりから、ラサの煙突が見える方向の緩い斜面まで徒歩10分程度。
ここはもう、東日本大震災の津波も届かなかった地域。
林に囲まれたのどかな畑もあって、ぼちぼちと農作業も始まっていました。
この畑までは、上掲の画像のように、車1台が通れる幅の舗装された道あり。 -
上掲の画像の畑から先は、すぐに舗装の無い山道。
ここからは幅も狭くなって、人一人が通れるほど。
結論から先に言うと、ラサの煙突のお膝元までこんな感じの道が続いていました。
4月下旬だと、まだ草木が茂っていない時期で、藪漕ぎはしないで済みましたよ。
夏に入ったらちょっと大変かも?
傾斜自体は緩やかで、晴れたこの日はスニーカー程度の靴で大丈夫でした。 -
ラサの煙突を目指して、山道を上る。
林が途切れると、その向こうには煙突がゴールのポールのように立っているのがよく見えた。
ちょっとした谷間には小さな畑が点在。
この道も、その畑仕事のために作られたんだろうか。
それとも、昔は煙突山を越えて小山田(こやまだ)地区と磯鶏(そけい)地区を徒歩で行き来するための交通路だったのかも? -
ラサの煙突がある煙突山は標高90m。
行く先にラサの煙突も見えるし、たぶんこの道で大丈夫だろうと見当を付けて上って行ったSUR SHANGHAI。(。・w・。) ププッ
磯鶏(そけい)の上村(わむら)からの道は、こんなに緩やか。
ん? ここには昔、畑があったような雰囲気。
もうここでの耕作はやめたのかな?
このあとも点々と山の畑がありました。 -
イチオシ
最後は、踏み分け道になったような斜面を上って行くと…、
ラサの煙突が林の向こうから出迎えてくれた!!
ヤタ───v(-∀-)v───♪ 道の選択は正しかった!
でもこの道、夏の草木の茂る頃には見えなくなるんじゃないかな。 -
木立の向こうに全容を現したラサの煙突。
わ〜! 160mと言う高さ以上に大きく見える!
凄い! (◎◇◎)
ここまで来たら、あとはもう≪立ち入り禁止≫の札があって引き返したとしても悔いは無し。
それでもまだ、煙突の方に向かっている小道があるし、立ち入り禁止にもなっていないようなので、SUR SHANGHAIは更に前進。
こうして見る煙突山の頂上は草木が多い印象ですが、これは近年になってから植林した結果だそうです。
以前、まだラサ工業宮古工場が銅鉱精錬で賑わっていた頃には、排出される亜硫酸ガスで煙突山は上から下まで丸禿だったそうです。 -
標高90mの煙突山にそびえるラサの煙突の高さは160m。
第二次世界大戦末期には宮古市も爆撃されたそうで、この煙突も標的になったようですが、幸い爆弾は当たらなかったのだとか。
山の上のこんなに高い煙突だと、落雷も気になりますが、てっぺんにはもちろん避雷針は取り付けてあって、その長さは1.5m、太さは30cmあるんだそう。
実際、その避雷針に落ちる稲妻を見たことがあると言う人にも出会ったことがあります。
驚くべきことに、その避雷針は1939年にこの煙突が竣工してから一度も取り替えられていないんだとか。
すると、この2013年で74年? (◎◇◎) 本当?
よって、そんなに長い年月取り替えずに済む避雷針は、純金で出来ているとの伝説もあるとかないとか。
これぞ宮古のミステリ〜。
そんな逸話がある避雷針は、見る角度が悪いのか、ここからは見えていません。 -
徐々に近づいて、見上げるラサの煙突。
煙突山は標高90mとは言え、周りに風を遮るものがない丘の上によくこんな煙突を立てたもの!!
SUR SHANGHAIは建築に関して無知なので、型で造ったパーツごとのコンクリート壁を徐々に積み上げて行ったんじゃないかと思いましたが、間違っていたらお許しを。
上の方なんて、風もあるだろうし、どんな足場を組んでいたんだろう。
建設途中の人身事故は無かったんだろうか。
コンクリート製の74才の煙突とは思えないほど、見た目の表面はつるつるだあ。
あれ? 煙突側面の途中まで梯子が取り付けてるみたい。
ウソでしょ〜〜。((ノ)゚Д゚(ヽ))
…どれどれ? と近寄って行ってみると…、 -
イチオシ
…これは正しく、ラサの煙突の途中まで上って行く梯子。
どひゃ〜!! ((ノ)゚Д゚(ヽ)) ここを上って行ける人なんているの?
梯子のてっぺんには、ちょっとしたプラットフォームみたいな足場が見える。
煙突の点検用なんだろうか?
この梯子を上っていく人の姿や、あのプラットフォームに人が立つ姿を想像しただけで、もう足がガクガク。
ブルブル ((;゚ェ゚;)) ブルブル
梯子はもうすっかり赤錆びてるけど、今も使っているの? -
やれやれ、着いた途端にびっくりのラサの煙突のお足元。
磯鶏(そけい)地区の上村(わむら)からは徒歩30分足らずで、ちょいと拍子抜け。
あ、煙突の外壁に取り付けられた梯子は、手の届かない数mの高さから始まっているんだ。
これだと、梯子に上るための梯子が必要。
いたずらで上る人を防ぐためなんでしょうね。
右側に見えている出っ張りは、煙突山の中腹にあったラサ工業宮古工場銅鉱精錬所からの煙道の名残。
往時は、精錬所からこの煙突まで、亜硫酸ガスが煙道の中を上って来ていたのか〜。(@_@;) -
イチオシ
ラサの煙突に更に近寄って見上げてみる。
どひゃ〜! 煙突自体の高さや太さも凄いけど、その途中まで上って行く点検用(?)梯子がそれ以上に凄い!
SUGEEEEEE(゚Д゚)EEEEEEEEE!!
上の方は風もあるだろうし、途中で汗で手が滑ったらとか、梯子を踏み外したらとか想像すると、とてつもなく怖い。
コワ━━━((;゚Д゚))━━━!!
これまで転落事故なんて無かったんだろうか。
あれ? 右手に小さいプレートが埋め込んである。
何だろう、とズームで見てみると…、 -
…そのプレートには、設計主任、工事主任、労力供給者として、ラサの煙突建設に関わった人々の名が連ねてありました。
現代から見るとレトロなお名前がずらり。
肩書きの中には、そのほかに≪定夫≫として6名の名が挙げてありましたが、≪定夫≫とは?
特殊な用語?それとも何かの当て字? …ちょっと調べてみましたが、力及ばず。
これまたミステリ〜。 -
ラサの煙突を見上げて気になったもの。
ひび割れ一つ無い煙突だと思っていたのに、側面に取り付けられた梯子の上の辺りから、煙突のてっぺんに向かって亀裂のような線が見えています。
SUR SHANGHAIの見間違いでしたら、お騒がせして申し訳ありません。 -
今度はラサの煙突のお足元を回り込んでみます。
この四角い出入り口(?)は何だろう。
白いタイルで塞いである。
その周囲は煙突の表面が剥げたようで、鉄筋が露出。
やはり建設から70数年も経つと、いくら頑丈に造った物でも経年劣化は免れないのかも。 -
これも、ラサの煙突の基部。
さっきご紹介した梯子やプレートも写っています。
煙突壁面にはところどころ小穴が開いていますが、これは?
水が流れ出したように見えるのは、煙突内部に降った雨水が排出された痕跡? -
ラサの煙突の基部を更に回りこむと、かつての煙道の名残が見えてきます。
元々はコンクリート製の太い煙道が煙突山の斜面に沿って銅鉱精錬所まで続いていたそうですが、それはすでに取り壊され、それに代わって残っているのは、数回りも細い金属製の煙道。
これって、いまも使われているんだろうか。 -
ラサの煙突の煙道からは先は煙突山の斜面になっていて、上掲の画像のように柵が取り付けられています。
オリジナルのコンクリート製煙道は既に取り壊されているので、この画像で見えている煙道はあとになって造られた金属製のもの。
その煙道と宮古市街地が一緒になった眺めも見えました。
下に見えている灰色の更地は、ラサ工業宮古工場銅鉱精錬所周辺の跡地。
画像右手に見えている白い工場群が、現在の煙突を所有している日本シーアールアイになるんだろうか。
画像中程を流れている川が宮古湾に注ぐ閉伊川(へいがわ)で、ここからは見えませんが、画像右手にその河口があります。
画像奥の市街地で、黄色い楕円形を付けた場所は宮古市役所。
東日本大震災の大津波が閉伊川を遡って来て、宮古市役所そばの防潮堤を乗り越えた映像を見た事がある人は多いのでは?
その津波で破壊された閉伊川鉄橋も木の枝越しに見えているんですが不鮮明。
その橋の様子はこの旅行記内の別写真でご紹介します。 -
ラサの煙突の煙道。
コンクリート製の古い方は既に無くなっていて、煙突の基部に接した部分だけが残っています。
新しい金属製の煙道がアタッチされて内部に入りこんでいました。 -
ラサの煙突の煙道部分。
古い方のコンクリート製煙道は、山の斜面を下って行く部分が取り壊されていて、ガランと大きく口を開けたまま。
そこに横から差し込まれて内部に入り込んでいるのが、新しい金属製煙道。
二つの煙道の規模を比べると、その差は歴然。
まだ古い方の煙道が使われていた時代、煙道内部の掃除をした事があるという人の話も聞きましたが、煤払いなどという生易しいものではなく、スコップで煤を掘るという以上の大変な作業だったようです。 -
ラサの煙突が立っている煙突山から見下ろした宮古市街地。
手前に見えているのは小山田(こやまだ)地区。
ラサ工業宮古工場が隆盛だった頃は、この地区に長屋風社宅がずらりと並んでいたそうです。
昭和40年代は、夕方になると工場からの亜硫酸ガスも流れて来たのだそう。
いまは社宅も公害も無くなって、画像中央に見えている丸みを帯びた建物は市民総合体育館。その周辺には宮古合同庁舎のほか、大型ショッピング・センターあり。
画像奥を左から右に流れている川は閉伊川(へいがわ)。
画像右手に見えているこんもりとした丘は、横山八幡宮。ここは源義経北行伝説もある神社。
観光インフォでパンフレットをもらって、その足取りを辿ってみるのもおもしろいかも。 -
これも煙突山から見下ろした宮古市街地。
手前に見えているのは、ラサ工業のあとにやって来た日本シーアールアイの工場?
画像中央を左から右に流れるのは閉伊川(へいがわ)。
画像奥に見える黄色くて大きい建物の向こう側に、JR山田線や三陸鉄道の宮古駅があります。
東日本大震災の津波は、宮古市役所そばの防潮堤を乗り越えたあとは市街地を襲撃。
宮古駅にもかなり迫ったようで、今回の訪問時には、駅前の岩手銀行入口脇に『津波到達地』の碑が新しく出来ているのを見つけました。
津波はこの画像で見えている閉伊川両岸の堤防は越えなかったようで、不幸中の幸いだったかも。 -
閉伊川(へいがわ)が宮古湾に流れ去って行く方向の宮古市街地。
画像右奥には太平洋も見えています。
黄色い□を付けたのが、宮古市役所。
その手前に橋がいくつか見えていますが、市役所に近い方から宮古大橋、宮古橋、閉伊川鉄橋と続きます。
この画像は、クリックして元画像にすると大きく表示されます。
東日本大震災の津波が閉伊川を遡って来た時には、漁船が波と共に防潮堤を乗り越え、宮古大橋に激突した映像も報道されました。
宮古大橋には大きな被害は無かったようですが、次の宮古橋は補修が済んだばかりの時期に津波に襲われ、再度の補修が必要となった橋。この2013年の訪問時には既に復旧していました。
ただ、閉伊川鉄橋に至っては、レールも橋桁も半分ほど流されてしまい、この画像では橋脚だけになった部分も点々と写っています。
第二次世界大戦末期に宮古が爆撃された際の銃撃痕が残っているというこの鉄橋については、別旅行記で取り上げようと思います。
●注: 画像のほぼ真ん中を長く横切っている水色の橋らしきものがありますが、これは工場用(?)のパイプラインです。 -
今度はちょっと離れた場所から、ラサの煙突を見上げてみる。
あれ? こんな所にテレビのアンテナ?
SUR SHANGHAIがいま立っている煙突山斜面の麓には民家があるから、そこのお宅のアンテナなんだろうか。
このラサの煙突は、一度お祭りか何かの時に、ライトアップしようという案が出たことがあったのだとか。
その後はどうなったことやら、SUR SHANGHAIは実行されたと言う話は聞いていません。 -
以前は、ラサ工場宮古工場の銅鉱精錬所から排出される亜硫酸ガスで丸禿だったと言う煙突山。
近年になって植林され始めたようで、藪と林の中間のような木立が多い。
ふと、気付くと、
わ! ラサの煙突が湾曲して見える!
ドキ───Σ(゚Д゚;)───ン
目の錯覚よね、きっと。 -
イチオシ
まだ芽吹かぬ木立の合間に立つラサの煙突。
この雰囲気には廃墟を連想させるものがある。
これが月夜ならどんな感じに見えるかな、とちょっと画像を加工してみると…、 -
イチオシ
…想像していたより怖い感じになって、ホラー映画の一場面のよう。
異様に背の高い煙突って、ただでさえ畏怖の念を起こさせるけどね。
ブルブル ((;゚ェ゚;)) ブルブル
木も煙突も、シルエットだけになるとこんなに怖い。
ドイツのロマン主義画家のカスパル・ダーヴィト・フリードリヒの絵画を思い出してしまった。
この画家の絵も、こんな色調の冬の林に、異様に背の高い教会の廃墟があったりするのよね。 -
さ、そろそろまた下界に戻ろうっと。
ん? 煙突山のあちこちに木が倒れているのは、なぜだろう。
これも東日本大震災の影響? -
磯鶏(そけい)地区の上村(わむら)から煙突山に上って来たのとは別の道があった。
今度は煙突山の尾根を下りて行くような道だけど、方向から言っても、磯鶏地区のどこかに出られそうな感じ。
よし、ここを下りて行ってみるぞ〜! と、歩き始めて見つけた標石。
これは? -
近くで見てみると、素っ気無く≪ラサ≫とだけ彫られていた標石。
ここはラサ工業宮古工場の敷地だぞ、と言う目印だったのか? -
煙突山の尾根の道には、ほかにも標石がいくつもあった。
これには数字やリボンが付けられた棒が結び付けられている。
これって、測量のため?
ひょっとして、東日本大震災後の地盤沈下の具合を調べていたとか?
う〜ん、よく分からない。 -
さっきまで目の前にそびえていたラサの煙突が遠くなる。
煙突山の麓に見えている町並みは小山田(こやまだ)地区。
今日は、宮古のもう一つの顔を見せてくれてありがとう。
宮古にまた来た時にはもう一度会おうか? -
煙突山の尾根を下って行く途中で振り返ったラサの煙突。
このあとは、道を降りて行くに従って林の向こうに消えてしまった。
フリフリ(。´Д`。)ノシ バィバ〜ィ またね。 -
煙突山の尾根道を下って行く途中に立っていた標識。
今頃、立ち入り禁止の標識か? と思ったら、これは東北電力の≪伐採に注意≫の標識。
そのすぐ近くには…、 -
…なるほど大きな送電用の鉄塔が。
あれ? ずいぶん華奢に見えるなあ。 -
鉄塔の下を通って、さらに煙突山の尾根道を下りて行く。
途中にはまた倒木が。
いくら伐採に注意しても、こんなに木が倒れるような場所だと、送電線に影響が出るんじゃないの?と気になった。 -
まだ木々が芽吹くにはちょいと早すぎた煙突山。
それでも、日当たりのいい足元にはスミレの花が咲いて春の訪れを告げていた。
そこだけホッコリと暖かく見える色。 (*^。^*) -
煙突山をさらに下りて行く。
行く手に磯鶏(そけい)地区の家並みがチラホラ見えて来た頃。
あ、帰り道の選択も正しかった! v(`ゝω・´) -
最後にはまた道も太くなって、磯鶏(そけい)地区に到着。
画像の一番奥に見える山は、宮古湾向こうにある重茂半島(おもえ・はんとう)の月山(がっさん)。
煙突山を下り始めてからここまでが、やっぱり30分かからない程度。
すっかり下り切ってみたら、上り始めた時の道とは数百mも離れていなかった。
わ〜い、ついにラサの煙突のある煙突山へも行って来た。
――ヽ(・∀・)ノ――♪ -
これは、この日の午後、小山田(こやまだ)地区のショッピング・センターに行って見上げた煙突山とラサの煙突。
煙突の基部から下に延びているのは、さっき見てきた新しい方の煙道。
「あの煙突の足元まで行って来たよ〜。」と今日の煙突山行きの顛末を、いつもは宮古周辺について教えてくれるAさんに言ってみたところ、呆れ顔になって「ほかにも見所はあるのに、物好きだなあ。(ノω`)」の一言。
いえいえ、これでちょっと変った宮古体験が出来たと思います。(^◇^)
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この旅行記へのコメント (3)
-
- 一歩人さん 2013/05/16 16:12:53
- ふ、ふ、煙突のある風景いいですね
- SUR SHANGHAIさんへ
ふ、ふ、今でこそ、煙突をいえば、下町では、銭湯。
そ昔、我が家は五右衛門風呂で、毎日のお風呂を沸かす係りでした。
年に一回、煙突掃除のお兄さんが来て、顔を真っ黒にして、
作業を終えて帰る様が不思議ながら、ご苦労さまと心でつぶやく来ました。
その後、ガス湯沸かし風呂釜の登場で、必要なくなしりましたが、
下校が遅くなると、いつも叱られました。
ふ、ふ、そんな思い出が懐かしい、旅行記でした。
ありがとうございました。
失礼しま〜す♪
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2013/05/18 19:52:48
- RE: ふ、ふ、煙突のある風景いいですね
- 昔は、お風呂を沸かすのも一仕事だったんですよね。
おじいちゃん、おばあちゃんの古い家のお風呂が薪で焚くお風呂で、おじいちゃんが薪割りや風呂焚き当番でした。(ノ∀`)
で、ブリキで出来た煙突がお風呂場の窓の上から外に突き出していて。
民家のストーブやお風呂、かまどの煙突って、都会では今はもう絶滅状態じゃないでしょうか。
懐かしいですね。
> SUR SHANGHAIさんへ
> ふ、ふ、今でこそ、煙突をいえば、下町では、銭湯。
> そ昔、我が家は五右衛門風呂で、毎日のお風呂を沸かす係りでした。
> 年に一回、煙突掃除のお兄さんが来て、顔を真っ黒にして、
> 作業を終えて帰る様が不思議ながら、ご苦労さまと心でつぶやく来ました。
>
> その後、ガス湯沸かし風呂釜の登場で、必要なくなしりましたが、
> 下校が遅くなると、いつも叱られました。
>
> ふ、ふ、そんな思い出が懐かしい、旅行記でした。
>
> ありがとうございました。
> 失礼しま〜す♪
- 一歩人さん からの返信 2013/05/19 06:25:23
- RE: RE: ふ、ふ、煙突のある風景いいですね
-
> 民家のストーブやお風呂、かまどの煙突って、都会では今はもう絶滅状態じゃないでしょうか。
> 懐かしいですね。
はい、ありがとうございました。
ふ、ふ、絶滅種だったんですね。
鶴田浩二さんの古い奴ほど〜♪でしょうか。
失われた思い出がよみがえる旅行記でした。
蒸気機関車物は、よくありましたが。煙突はこがつきませんでした。
ふ、ふ、これから、朝ぶろをして、浅草へ行きま〜す♪
ありがとうございました。
失礼しま〜す♪
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