2014/04/21 - 2014/04/21
30位(同エリア392件中)
- #遺跡・歴史
- #アフ・ナウナウの7体のモアイ
- #イースター島バイク旅
- #ホア・ハカナナイア
- #ホツマツア王のモアイ
- #ラノ・ララクとアフ・トンガリキ
- #ラノ・ララクの石切り場
- #正座姿のモアイ・トゥクトゥリ
- #無数のモアイ像
- #白砂のアナケナ・ビーチ
関連タグ
SUR SHANGHAIさん
- SUR SHANGHAIさんTOP
- 旅行記919冊
- クチコミ6826件
- Q&A回答49件
- 5,825,302アクセス
- フォロワー234人
今日の前半は、イースター島南岸沿いに点在するマイナーな遺跡を巡って来たので、後半はいよいよイースター島観光のハイライトと言っていいラノ・ララク(モアイを製造していた岩山)やアフ・トンガリキ(15体のモアイが海岸沿いに並んでいる場所)へ。
その名までは知らなくても、造りかけのモアイが野の中に点在する様子や、海岸沿いに巨大なモアイが横一列に並んだ姿の画像は、どこかで見たという方は多いんじゃないでしょうか。
SUR SHANGHAIとその旦那も、今回イースター島に行けて、これまでインプットされていたモアイのイメージとそれらの呼び名がやっと一致した感じ。(;^ω^)
モアイは島中に分散しているので、メジャーもマイナーも合わせると、3日間で無数ともいえるほどのモアイたちと出会えて感激!
その中には、これまで知らなかった正座姿のモアイもあったんですよ。
それに、一番意外だったのは、イースター島にはアナケナ・ビーチと言うヤシの木の茂るリゾートっぽい砂浜があったこと。
そのビーチの紹介も、この編のおしまいに載せておこうと思います。
表紙の画像は、アフ・トンガリキの15体のモアイのうち、お気に入りの三人衆。
遥かに遠い空を見上げるその表情には、≪望郷≫と言うタイトルが似つかわしい。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 徒歩 バイク
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
前編の最後に行った南海岸のアフ・アカハンガの遺跡からバイクで15分ほど。
ラノ・ララクが見えて来た。
この画像では、そこここに立っているモアイが黒い石碑のよう。
ラノ・ララクは、直径が550mの噴火口跡で、モアイの材料になった凝灰岩の切り出し場兼モアイ製造場所。
あれ? もっと岩がゴツゴツとむき出しになった岩山かと思っていたら、全体が短い草で覆われている景色。
これは、1888年にイースター島がチリ領になってから島全体が牧羊場とされた結果、古来からの自生植物が姿を消したからと言われています。
そのほか、現在のイースター島に大きな樹木が見られないのは、昔、モアイ搬送のために使われた木材切り出しによって土壌の侵食が進んだからとも言われているようです。 -
この日の前半見て回った南海岸沿いの遺跡には、売店やトイレなどの設備はありませんでしたが、ラノ・ララクは観光客が必ず訪れる場所になっているため、簡単ながら売店やカフェ、お土産店、トイレなどを備えた休憩所がありました。
まずはここでちょっと一休みしてからラノ・ララクを歩き始めるといいですよ。 -
ラノ・ララク観光のための注意事項。
ここだけでなく、その他の遺跡見学の際の注意点でもあるので、目を通して行きましょう。
遺跡に触れてはいけない、など、英語でも出ています。
モアイなどの遺跡への落書きや損壊行為は、禁固刑・罰金刑が適用されるそうです。
この画像はクリックして元画像にすると大きく表示されます。
必要な方はご覧ください。 -
ラノ・ララクへのゲートでは、ラパ・ヌイ国立公園の入場券をチェックされました。
イースター島入りした時にマタベリ空港のカウンターで買ったチケットは忘れずに持って行きましょう。
ゲートから先には、気付いた限りでは売店もトイレも見かけませんでした。
ゲート手前の休憩所で準備万端整えて行くといいですよ。 -
ラノ・ララクの歩き始めの道。
緩いアップダウンの遊歩道ができていて、それを辿ってモアイたちを見に行きます。
以前はモアイに自由に近づけたようですが、いたずらをする者が多かったので採られた措置なんだそう。
日差しや雨風を遮るものは何もありません。
その時々の天候によって、対策を講じて行きましょう。
4月下旬のこの日は、日差しもあって気温も高め。
よって、熱中症や紫外線対策をしていきました。
上の方で言ったように、ゲートから先では売店やトイレも見かけませんでした。
歩き始める前に飲み物くらいは準備して行くといいですよ。 -
ラノ・ララクで最初に目にしたのは、出来上がったものの運搬途中で放棄されたようなモアイ。
首が折れてしまったから放棄されたのか、放棄されたあとで折れたのかは不明。 -
ラノ・ララクのモアイ見学遊歩道は緩やかな起伏。
普通の体力のある方なら、無理なく歩いて行けます。
この角度から見ると、芝生の斜面に彫刻を置いた屋外美術館のように見える。
…と言ったら、罰当たりですね。(;^ω^) -
ラノ・ララクに残るモアイの一つ。
同一のモアイをいろんな角度から見てみました。
モアイが造られていたのは、10世紀〜17世紀。
同じこの場所で造られていたとは言え、時期によってモアイのスタイルも変遷したようで、一口にモアイと言っても見た目が随分違ってきます。
イースター島各地+このラノ・ララクでも、異なった時期に造られたモアイが見られますよ。
そのスタイルは次のとおりで、時代が下るにつれ、次第に巨大化して行ったそうです。
第1期 人の姿に近く、脚もある。
第2期 細長い腕でお腹を抱えるような格好。脚は無い。
第3期 頭に髷を表わしていると言う赤いプカオを乗せている。脚は無い。
第4期 抽象化が進んだ顔立ちで胸から上の部分のみ。よく知られているモアイの姿はこれでしょうね。
こうして見ると、この画像のモアイは第4期のもののような気がします。
モアイだけを撮るとその大きさが分かりにくいのですが、人物も入れて撮るとその大きさがありあり。
下段の画像だと一番はっきり分かるのでは?
このスタイルのモアイは耳が誇張されてとても長く見えますが、これは支配階層の長耳族が短耳族に造らせたからという説もあるんだそう。 -
ラノ・ララクに残るモアイの数例。
現在、イースター島全体では造りかけの物も含めると約900体、そのうちラノ・ララクには397体ものモアイが残っているんだそう。
ラノ・ララクでは、遊歩道からもこうしてご対面できるモアイも多数。
同じモアイでも、見る角度や光の加減で印象が異なってきますよ。
中段の画像のモアイが、立っている中では最も大きいモアイ・ピロピロ。
こうして見てみるとそうでもないようですが、地中には胴体部分が続いていて、全体の高さは21mあるそうです。
そんなに大きいと運ぶにも運べず、放置されたのかも?
こんなに大きいモアイの製造目的・運搬方法はいまも謎の部分があって定説は無いんだそう。
あれこれ検索してみるといいですよ。 -
ラノ・ララクに残るモアイの一部。
左手の画像のモアイの一つの胴体には、帆船らしき絵模様が浅い線彫りで描かれています。
右手の画像がそれですが、ちょっとよく見えないかも?
あとでタハイ儀式村そばのイースター島博物館に行ってみたところ、背面に壮麗な鳥人の絵模様を入れたホア・ハカナナイアというモアイがあるのも分かったんですが、目下は大英博物館に収蔵されているようです。
イギリス、恐るべし! -
ちょっと話が脇道にそれますが、これが上述のホア・ハカナナイア。
背中一面に鳥人(タンガタ・マヌ)の絵模様入り。
褌を締めたらしき姿も勇ましく、背中だけ見ると怖いおにいさんのよう。
…と言ったら、不謹慎ですね。( ̄m ̄*)
上の方で書いた分類によると、腕でお腹を抱えたような格好をしているから、第2期に造られたものなのかな?
このホア・ハカナナイアというモアイは、目下は大英博物館蔵。
元々は、オロンゴ儀式村にあったモアイのようで、1886年にビクトリア女王への贈り物としてイギリスへ運ばれたのだそう。
発見時には目が入れられていたり、赤と白のペイントもされていたんだそうですが、運搬の途中で失われてしまったのだとか。(´;ω;`)
大英博物館には、このほか、モアイ・ハヴァと言うモアイも収蔵されているそうです。 -
さて、話を元に戻して、ラノ・ララクのモアイの続き。
この彫像は、第4期に造られたモアイより一層抽象化が進んでいるように見える。
それとも造りかけのまま放置されたんだろうか。
ほっぺたの辺りに289と数字が出ているのは、個体を識別するための番号?
一つ一つに簡単な説明をつけてくれると、個人で来た観光客にも親切じゃないかな。 -
10〜17世紀にかけてこのラノ・ララクで造られていたモアイ。
それが突然放棄されてしまったのは、それまで造ったモアイを運ぶために大量の木材を切りだしたために土壌流出が起こり、ひいては食糧不足ともなったため、部族間抗争が始まったからと言われているようです。
1700年頃始まったその部族間抗争の結果、あちこちでモアイ倒し戦争が発生。
この日の前半、南海岸の遺跡で見た多くのモアイが倒れたままになっていたのはその名残なんだそう。 -
ラノ・ララクに残されたモアイたち。
出来上がったような形のものから、造りかけのものも混じっています。
どれもが直立しているとは限らず…、 -
…斜面に沿って仰向けやうつ伏せになったモアイ、前後左右に傾きかけているモアイ、中には今にもムクムクと起き上がってきそうなモアイまでさまざま。
造られた時期が異なるらしきものも混じっているのは、造ってはみたもののどこかに不具合があって運ぶのをあきらめてしまったから? -
モアイを造るのに使われた凝灰岩の石切り場や制作場所は、ちょっと上の方。
岩が露出した場所にあります。
そこへ行く遊歩道もあるので、興味のある方は行ってみては? -
モアイ造りには、まず凝灰岩を長方体に切り出してから顔や体を彫っていくんだろうと思っていたら間違いだった。 (;^ω^)
このラノ・ララクの石切り場では、まず顔や体の造作を決めてから、岩塊から切り離していたらしい。
この画像の場所では、頭と体が互い違いになったモアイ2体が同時に彫り進められていた様子が分かりました。
上段の画像では、左手に仰向けになった顔の造作がよく見えます。
そして下段の画像では、やはり仰向けになった顔の側面が見えています。 -
これもラノ・ララクの石切り場。
斜面の岩塊から切り離そうしていたらしき造りかけのモアイが横たわっています。
上段の画像は、足元の方向から見上げているので、顎や鼻部分が画像上方に見えています。
下段の画像は、同一のモアイを側面から見た様子で、額から鼻にかけての部分が写っています。
これは、未完成のモアイのうちでは最も大きく、高さは21.5mにもなるんだそう。
なんだかどこかで見たような気がすると思ったら、エジプトのアスワン近郊にある≪切りかけのオベリスク≫と似ている。
あそこでも、オベリスクの形を彫り上げたあとで岩塊から切り離す手法だった。
見比べてみたい方は、下記の旅行記を参照してみてください。
★エジプト記(17) −アスワン近郊を巡る
http://4travel.jp/travelogue/10471164 -
ラノ・ララクのまた別の石切り場。
階段が続いている先が岩屋風に刳り貫かれていて、やはり仰向けになった小振りのモアイの顎や鼻部分が見えています。
その周りには失敗作?らしき岩も。
石材としては柔らかい部類の凝灰岩で加工しやすかったとはいえ、人よりもはるかに大きいモアイを岩塊から彫り上げるのは容易ではなかったに違いない。 -
4月下旬、イースター島のあちこちで咲いていた花。
一つ一つの花は小さくても、パッ!!と目が覚めるほど色鮮やか。 -
ラノ・ララクの敷地内。
ゲートから一番奥の部分まで来ると、もう林立するモアイの姿は無し。
それでももう一つ、ポツリと離れているモアイがあるそうなので、それを見に行ってみます。
遠くの海岸そばにアフ・トンガリキのモアイ15人衆が横一列に並んでいる姿が見えて来た。
わ〜! ラノ・ララクの次にはあそこまで行くんだね。(*^。^*)
ひょっとしたら、このまま斜面を下りて行けば、歩いてもあそこまで行けるのかも?
いやいや、やっぱりおとなしく駐車場まで戻ってバイクで行った方がいいかもよ。 -
イチオシ
アフ・トンガリキのモアイ15人衆を見下ろすラノ・ララクの遊歩道折り返し地点には、第1期に造られたらしいモアイがポツリ。
その名もモアイ・トゥクトゥリと言うこのモアイは、初期のモアイの特徴がありありと残っています。
人間に近いその顔立ちもそうですが、一番印象に残るのはその姿で…、 -
…なんと、このモアイ・トゥクトゥリは正座姿のモアイなんです。Σ(ノ)゚д゚(ヾ)
角度を変えて見てみると、きちんと膝を揃えて座っているのが分かってびっくり。
え〜、こんなモアイもいたんだあ〜。(◎◇◎) -
このモアイ・トゥクトゥリは地中に埋もれていたのをヘイエルダール(コンチキ号で有名な人類学者・探検家)によって掘り起こされたモアイ。
モアイは製造時期によってスタイルが異なりますが、空を見上げるように造られた顔はどの時期にも共通するもの。
モアイ・トゥクトゥリの顏をこの角度から見ると、あごひげを生やした禿頭のチョイ悪親父がサングラスをかけて空を見上げているように見える…。(;^ω^)
たびたび不謹慎ですみません。(;´・ω・`)ゞ -
アフ・トンガリキが遠くに見えるモアイ・トゥクトゥリからは遊歩道を折り返してラノ・ララクの休憩所に戻って一休み。
そしてバイクで数分。
ついにイースター島最大の見所と言えるアフ・トンガリキ入口の駐車場に到着。
┣¨キ(*゚Д゚*)┣¨キ
ここではラパ・ヌイ国立公園のチケットのチェック無し。
マイナーな遺跡同様、売店やトイレなども気付いた限りでは見かけなかったので、ラノ・ララクを出て来る時に用事は足しておきましょう。 -
まずはバイクを停めて、アフ・トンガリキ周辺を一望。
遠くに見える楯状のなだらかな山は、イースター島東端のポイケ半島のてっぺん。
アフ・トンガリキのモアイたちは、その半島の付け根の海岸にありました。
ああ! ここにもついにやって来た! -
駐車場からアフ・トンガリキをズームで。
これまでに見て来たモアイたちとはその大きさも数も格段に違う!
高さ5m以上のモアイが15体も横並びになっています。
その土台になっているアフ(祭壇)も桁外れで、その長さは100m。
アフの前の石に腰掛けてモアイを見上げている人と比べると、そのスケールの大きさがよく分かります。 -
上掲の画像のように見る人を圧倒するアフ・トンガリキも、立てられた当時から無傷でいたわけではなく、他の遺跡のモアイ同様、部族間の争いで引き倒されたり、さらには1960年のチリ地震津波でも被害が出たそうです。
それが、チリと日本のモアイ修復委員会の合意で今見る姿に復元され始めたのは1992年。作業が終了したのは1996年。
修復のためのクレーンや資金を提供したのは、日本の大手クレーン会社ということで、この画像のプレートには日本語での説明も出ていました。 -
駐車場からアフ・トンガリキへの途中に立っているモアイ・ホツイティ。
このモアイは1982年のイースター島展のため、来日したことがあるんだそう。
背景の山は、さっき行って来たラノ・ララクがある岩山。
この画像だと、山を左手に回り込んだ向こう側がラノ・ララク。 -
現在、15体のモアイが残るアフ・トンガリキは、元々は更に多くのモアイが立っていたとも言われているようで、周辺の草地にはそれらしき岩や、頭に乗せていたプカオだったらしき赤い岩もゴロゴロ。
プカオになる赤色凝灰岩を切り出して加工していた場所は、この画像奥に見えるラノ・ララクがある岩山よりもさらに向こうで、ハンガ・ロア村近くというのだからびっくり。
そこへは翌日行ってみようと思います。 -
現在見られるアフ・トンガリキの15体のモアイ勢揃い。
早朝、この背後の太平洋から昇る朝日も有名ですが、SUR SHANGHAIたちはスルー。
ハンガ・ロア村からアフ・トンガリキまでは、車で直行しても30分はかかるようなので、ここで朝日を見たい方は寝坊にご用心。 -
イチオシ
アフ・トンガリキのモアイ15人衆をまとめて撮るには、ちょっと斜めからが一番いい感じ。
褌を締め、腕でお腹を抱えたような造りは全員同じでも、大きさや顔の表情はそれぞれ違っています。
お気に入りのモアイを探してみては? -
アフ・トンガリキのモアイたち。
ここのモアイに限らず、どの遺跡のモアイにも共通しているのは、全員揃って顔を上げ、空を見つめるその視線。
よって、モアイは宇宙とのミステリーとも関連付けられたこともあったのだそう。
その表情を一つ一つ見て行くと…、 -
イチオシ
…確かに、虚空を見つめるモアイの表情には、空の彼方の故郷を想う念が現れているようにも思える。
なんだかせつない表情よね。
モアイたちは全員で、「お〜い! 俺たちはここだぞ〜! 早く見つけて迎えに来てくれ〜!」と心で呼びかけ続けているのかも。
この写真にタイトルを付けるなら、『望郷』がふさわしい。 -
イチオシ
もう一度振り返って眺めるアフ・トンガリキ。
一番心がしんみりとなった場所だったね。 -
アフ・トンガリキのあとは、ポイケ半島の付け根を横断してイースター島の北側へ。
アナケナ・ビーチと言う浜辺にあるアフ・ナウナウと言う5体のモアイが今日の最後の訪問地。
そこへ向かう途中の島の北側にも、モアイが残るマイナーな遺跡がいくつかあるんですが、それらは省略して道の脇で見つけたPUOHIROをご紹介。 -
上掲の画像のPUOHIROと言う看板を道の脇で見つけ、何だろうと行ってみると、こんな形の石が一つ置いてあるだけ。
これもモアイの一つなの?
それにしては膝位の高さしかないし、穴がいっぱい開いている。(・・?
そばには絵入りの説明プレートがあって…、 -
…これは魚を岸に呼び寄せるための道具だったと判明。
部族間の争いのあとでは、戦利品として島のあちこちを行き来していたんだそう。
何でそれが今ここにあるんだろ?
この画像のように、石を抱えて息を吹き込み音を出していたようです。
オカリナの巨大版?
ほら貝のような音がするんだろうか。 -
イースター島の北側で見つけた植物。
パッと見ると、ランブータンのよう。
でも、違うよね。(ノω`*)
赤い実が青と緑の背景に映える。 -
さて、ここがイースター島の北海岸にあるアナケナ・ビーチ。
アフ・トンガリキからだとバイクで30分足らず。
これまで見てきた島の海岸は、太平洋に落ち込む崖だったり、ゴツゴツした岩ばかり。
アナケナ・ビーチも似たり寄ったりかと思っていたら、小さいながらも立派な砂浜。
海水浴や日光浴のお客さんたちも来ているし。
わ〜! これは意外だわ〜! (◎◇◎) -
イチオシ
イースター島北側にあるアナケナ・ビーチ。
こんなにきれいな砂浜がイースター島にあるなんて思ってもいなかった。
ちょっと不思議なのは、波打ち際の岩場は黒いのに、砂は黄色味を帯びていること。 -
アナケナ・ビーチの砂地が陸の緑と出会うあたりに立っているアフ・ナウナウのモアイが見えて来た。
ちょっと日差しがきついけど、あそこまで行ったらビーチの食堂で一休みにしよう。
…と砂に足を取られながらも行ってみると…、 -
…アフ・ナウナウの7体のモアイがお出迎え。
砂に埋もれていたため保存状態がよかったというモアイで、1978年に復元されたもの。
ここで発見されたと言うモアイの目は、タハイ儀式村そばのイースター島博物館で見られます。
小さい博物館なので、夕日を見に行く前の時間で見学に行ってみるといいですよ。 -
このアナケナ・ビーチは、伝説の王ホツマツアがイースター島にたどり着いた時に上陸したとされる場所なんですが、現代のアナケナ・ビーチには、大胆な水着や格好で日光浴を楽しむ旅行客も。
アフ・ナウナウの罰が当たりそうな気もするけど…。(;^ω^)
このビーチ脇の小高い場所にはもう1体のモアイが立っていて…、 -
…こんな寂しげな背中を見せています。
これは何を隠そう、上述のホツマツア王のモアイで、1956年にヘイエルダールと島民が、イースター島に伝承されていたモアイの立て方によって復元したものなのだそう。
その方法と言うのは、横倒しにしたモアイの背中と地面の間に、木の棒も使って大小の石を積み、徐々に立たせて行くというもので、12人がかりで18日かかったそうです。 -
現代のアナケナ・ビーチにはヤシの木が生い茂っていますが、これは1961年にタヒチからイースター島に運ばれて来て根付いたものなんだそう。
今では駐車場周りに、ちょっとした食堂や露天のお土産屋さんがいくつか店開きしていたので、SUR SHANGHAIたちも軽食休憩。
そのうち、このアナケナ・ビーチにもリゾート・ホテルが出来るかもね。 -
アナケナ・ビーチからハンガ・ロア村へは、内陸を通る舗装道路ができているから移動は30分足らずで楽チン。
今日は朝からずっとモアイ巡りをして、無数と言ってもいい位のモアイたちと出会えてよかったね。
制作時期によって、モアイのスタイルもさまざまあるのも勉強したし、モアイのその後の運命の歴史も感じ取れた。
でも、今日はもう疲れちゃったし、ハンガ・ロア村に戻って宿で一休みしよう。
明日はイースター島の南側と西側を見て回ろうか。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
SUR SHANGHAIさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
47