zenkyou01さんのクチコミ(7ページ)全2,189件
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投稿日 2024年01月16日
総合評価:3.0
薩摩島津藩上屋敷は、NEC本社ビル周辺に広大な面積を持っていました。その跡碑がNEC本社ビルの北側、電機通沿いに建っています。往時の面影は全くありません。うっかりしていると見落としそうな石碑です。徳川十三代家定に嫁いだ篤姫も、短い間ですがここに住まわれたらしいですが、歴史やドラマを思い起こさせてくれます。できれば箱型の掲示板を設け、古地図、有れば古い写真等を展示していただけると有難いと思います。石碑だけでは想像しがたい面があります
「日時」 2022年10月27日
「アクセス」都営地下鉄浅草線三田駅下車、徒歩3分- 旅行時期
- 2022年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2024年01月16日
総合評価:3.5
創建は2005年、御穂神社と鹿島神社が合祀されて御穂鹿島神社となる。御祭神は藤原藤房と武御加豆智命です。御穂神社の創建は1525年、藤原藤房が庵を構えたのが始まり、鹿島神社の創建は1624~1644年です。旧鹿島神社があった所に、2006年に新しく建てられました。鳥居横に、落語家橘右近奉納の「芝浜囃子の碑」があります。鳥居を潜ると、正面に拝殿、その奥に本殿、右手に稲荷社・天満宮・住吉社の境内社があります。社殿は新しいので、ピカピカという感じですが、拝殿前に鎮座する狛犬は歴史を感じさせる古い石造、アンバランスな感じです。本芝公園の一角にあるので、散策途中公園で休憩・トイレする際に寄ると良いかもしれません
「日時」 2022年10月27日
「アクセス」都営地下鉄三田線三田駅下車、徒歩1分- 旅行時期
- 2022年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2024年01月16日
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投稿日 2024年01月16日
総合評価:3.0
最初のオランダ公使宿館跡は港区三田にある西応寺に在りました。西応寺は浄土宗の一寺で、創建は1368年、開山は妙見法尼(鎌倉幕府執権北条高時の娘)、本尊は阿弥陀如来像です。山門前にオランダ公使宿館跡碑と説明版が建っています。最初はイギリス公使館でしたが、1859年オランダ公使館に指定されています。オランダ公使館の期間は数年だったようです。当時の寺の庫裏や書院が公使館として使用されていたようで、現在は併設されている幼稚園の場所辺りと考えられています。当時の面影はなく、門前に碑と説明版が建っているのみです。ちなみに当時のイギリス、アメリカ、フランスの公使館も三田や元麻布あたりに集中していたようです
「日時」 2022年10月27日
「アクセス」都営地下鉄浅草線三田駅下車、徒歩6分- 旅行時期
- 2022年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2024年01月16日
総合評価:3.5
慶応大学三田キャンパス東門隣にある神社です。神社の創建は958年、武蔵国国師藤原正房が任国の際、春日大社の天児屋根命の御神霊を勧請したのが始まりです。御祭神は天児屋根命です。鳥居を潜り石段を登ると、拝殿、その奥に本殿があります。その他、石塔、境内社赤羽稲荷、境内社福徳稲荷、旧大鳥居基礎石等があります。石段両脇の手摺、拝殿、本殿、灯篭は紅色、境内社の鳥居は朱色、赤系がひと際目立つ神社です。喧騒な都心にある神社ですが、参拝者は自分以外誰もおらず、静寂さを感じる神社でした
「日時」 2022年10月27日
「アクセス」都営地下鉄三田線三田駅下車、徒歩6分- 旅行時期
- 2022年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2024年01月16日
総合評価:3.5
真言宗の一寺で、創建は816年、本尊は弘法大師です。本堂が新しく立て直された後のブログを見ると門柱の標識には高霊山龍生院とあります。現在ある門注には三田高野山弘法寺になっています。名前が変わったのか不明です。門柱手前には高霊山龍生院という標柱は残っていました。山門を通ると、正面にお寺には見えない建物があり、三階に本堂があるようです。納骨堂もこのビル内にあるようです。最近よく見かける山門は木造、本堂はコンクリート製破風付入母屋造というアンバランスな感じのお寺が増えてきましたが、斬新的な龍生院(弘法寺)の方が好ましいような気がします
「日時」 2022年10月27日
「アクセス」都営地下鉄浅草線三田駅下車、徒歩6分- 旅行時期
- 2022年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2024年01月16日
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投稿日 2024年01月16日
総合評価:3.5
創建は伝1005年、一条天皇の勅命により創建、御祭神は天照大神です。古くは元神明宮と言われていて、明治政府によって天祖神社と定められる。石段を登る途中に境内社天白稲荷神社、鳥居を潜ると、左手に稲荷社が二社、平川稲荷神社、正面に超モダンな建造物、社殿の前に稲荷神社が更に一社あります。境内社に多くの稲荷があるのには驚きました。鳥居の先に超モダンな拝殿、神社では初めて見る光景で、興味津々で二階に登り中を覗いたら、よく見かける和風社殿がありました。モダンな建物が社殿の覆い殿の役目をしているように見えました
「日時」 2022年10月27日
「アクセス」都営地下鉄大江戸線赤羽橋駅下車、徒歩7分- 旅行時期
- 2022年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2024年01月16日
総合評価:3.0
三田一丁目にある龍原寺から北にある天祖神社(元神明宮)に下る坂を言います。天祖神社
を元神明と言ったところから神明坂という名が付いたと言われています。坂の勾配は、ママ
チャリで登るにはちょっとキツイという程度の坂ですので、歩いて登るのはたいした問題
はありません。坂にまつわる歴史的話題はありませんので、坂の西側にあるお寺や神明宮を
訪れた時に併せて歩くと良いと思います
「日時」 2022年10月27日
「アクセス」都営地下鉄大江戸線麻布十番駅下車、徒歩7分- 旅行時期
- 2022年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2024年01月16日
総合評価:3.5
和田義盛は鎌倉殿重臣13人の一人です。やはり13人の一人三浦義澄の甥で、侍所の初代別当(長官)で、勇猛果敢な武将で、鎌倉殿に近侍した重臣です。1213年、北条義時との和田合戦で敗れ、自刃します。ここ和田塚は和田一族の屍を埋葬した塚と言われています。墳墓跡と言われる塚の上に「和田義盛一族墓」「和田一族戦没地」「和田一族の碑」の石碑が建っています。2022年には大勢の人が、来られていたそうですが、本日は私以外おりませんでした。墓には花が添えられていましたが、毎日どなたかが、管理されているのでしょう
「日時」2023年5月9日
「アクセス」江ノ電和田塚駅より徒歩2分- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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鎌倉散策(15)鎌倉殿13人重臣で鶴岡八幡宮(2)に寄りました
投稿日 2024年01月16日
総合評価:4.0
八幡宮は1063年創建、御祭神は応神天皇、比売神、神宮皇后です。武家源氏の守護神です。中学時代の遠足で行ったのが初めてで、その後10回以上訪れています。本日は鎌倉殿13人の関係するスポットの一つとしてここに寄りました。源氏池の中にある政子石、源実朝が暗殺された二代目銀杏、朱塗りが鮮やかな本宮楼門、本宮(拝殿は写真撮影禁止)、本宮に劣らぬ立派な若宮(下宮)、長い向拝を持つ境内社白幡神社、丸山稲荷等見るものは多くあり、飽きさせません。ウイークデーにもかかわらず、相変わらず人出が多いです
「日時」2023年5月9日
「アクセス」横須賀線鎌倉駅より徒歩5分- 旅行時期
- 2023年05月
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2024年01月02日
総合評価:3.0
本覚寺山門を出て、目の前の滑川に架かる橋が夷堂橋です。源頼朝が鬼門除けにこの辺りに夷堂を造営しました。その名にちなんだ橋名です。当時の堂はなくなりましたが、新しい三角屋根の夷堂が本覚寺山内に建っています。鎌倉名数めぐりの一つである鎌倉十橋の一橋で、鎌倉時代に武士や町人の往来が多い橋が十橋のようです。名数とは鎌倉五山、七口(切通し)、十井、五名水、七福神、三十三観音霊場等があります。各名数は半部以上終了していますが、十橋は始めたばかりです。夷堂橋はコンクリート製の現代の橋で、特筆するものはありません
「日時」2023年5月9日
「アクセス」横須賀線鎌倉駅より徒歩5分- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2024年01月02日
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投稿日 2024年01月02日
総合評価:3.5
鎌倉駅の西を走る今小路を北に進み、英勝寺のある片隅にあります。鎌倉殿13人とは関係ありません。阿仏尼は藤原定家の息子藤原為家の妻で、冷泉家祖の冷泉為相の母です。為相と義兄との相続争いで子為相の正当性を幕府に訴えるために鎌倉に親子でやってきて、鎌倉で没しました(京から鎌倉までの阿仏尼が書いた道中記が十六夜日記です)。その阿仏尼の墓です。やぐらの中に石造六重塔が建っています。通常、重塔は木造でも石造でも奇数が普通ですが、阿仏尼の墓は六重の塔です。偶数重塔を初めて見ました。息子のために鎌倉まで下向、いつも母は強いですね。息子冷泉為相の墓は横須賀線を挟んで、北東にある浄光明寺の高台に向かい合って建っています
「日時」2023年5月9日
「アクセス」横須賀線鎌倉駅より徒歩10分- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2024年01月02日
総合評価:3.0
鎌倉駅の西を走る今小路を北に進み、英勝寺手前の道を右に折れ、横須賀線を渡りすぐ左手不動茶屋の奥にあります。または小町通りを北に進み、鉄の井を左に曲がりしばらく行くと右手不動茶屋の奥にあります。鎌倉殿13人とは関係ありません。創建は不詳、源頼朝が鎌倉入りする前にはあったと伝えられる、本尊は不動明王です。当初、不動明王はやぐら内部の壁に浮き彫りされていましたが、風化が激しく新しく彫られた石造が祀られています。崖下に 鳥居と堂宇と不動明王があります。時代的に新しい庚申供養塔が数基もあります。付近に散在していた庚申塔を集積したのでしょうか? 門柱に巌窟不動尊という表札が無いと、お茶屋さんと思い入り難い場所です
「日時」2023年5月9日
「アクセス」横須賀線鎌倉駅より徒歩15分- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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鎌倉散策(15)鎌倉殿13人重臣で大蔵幕府跡(2)に行きました
投稿日 2024年01月02日
総合評価:2.5
現清泉小学校脇に建ち、頼朝が政権を得た時から、妻政子が亡くなるまでの間の幕府の主要施設や頼朝の館等がありました。その他、東御門、西御門跡碑が付近で見られます。跡碑のみなので、当時を想像するのは難しく、この碑のみを目的で行くのではなく、鎌倉幕府に関係する人の屋敷跡、寺社、墓等を含めて散策するのが楽しいと思います。この後幕府は、北条泰時(13人の一人、北条義時の嫡男で第三代執権)が気分一新を図り、現在、宇都宮稲荷神社がある宇都宮辻子幕府に庁舎を移転します
「日時」2023年5月9日
「アクセス」横須賀線鎌倉駅より徒歩15分- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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鎌倉散策(15)鎌倉殿13人重臣で大江広元・毛利末光・島津忠久の墓に寄りました
投稿日 2024年01月02日
総合評価:4.0
新法華堂跡の奥にある石段を登ったところにあります。三基の墓が並んでいます。大江広元は13人の一人で、京都から下った実務官僚で、政所の別当(長官)として活躍した頼朝殿の側近です。隣にある毛利末光は広元の四男で、鎌倉幕府の役人になり長州毛利家の祖となる人です(宝治合戦で三浦泰村方に付き、敗戦自刃する)。子孫の毛利斉煕がこれら二基を江戸時代後期に造営する。島津忠久(一説に頼朝の子といわれる)は鎌倉幕府の役人で薩摩島津藩の祖となる人です。子孫の島津重豪が江戸時代後期に造営しました。三基ともやぐらの中に五輪塔の墓が安置されています。江戸時代の大大名島津家と毛利家は鎌倉時代から存在する家柄で、江戸時時代幕末には薩長連合を結び江戸幕府討幕に協力しあった。見えない糸で結ばれていたのですね
「日時」2023年5月9日
「アクセス」横須賀線鎌倉駅より徒歩19分- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2024年01月02日
総合評価:4.0
日蓮宗の本山、1436年創建、開山は日出上人、本尊は釈迦三尊像です。日蓮の遺骨を分骨して移したことから東身延と言われる。伽藍は江戸時代創建の仁王像が安置されている山門、大きな本堂、ちょっと特徴のある屋根を持つ夷堂、鐘楼、分骨堂等が建っていて、広い山内です。鎌倉七福神の恵比寿天が祀られています。特筆は墓地にある刀匠岡崎五郎正宗の墓です。西の備前長船兼光(正宗の弟子筋)と双璧刀匠です。石台を含めて2M余り高さの、歴史を感じさせてくれる宝篋印塔のお墓です
「日時」2023年5月9日
「アクセス」横須賀線鎌倉駅より徒歩5分- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2024年01月02日
総合評価:3.5
本日は鎌倉殿13人の関係するスポットの一つとしてここに寄りました。近辺に居を構えた藤原行政は地名になった二階堂を称し、二階堂行政と呼ばれました。行政は母方が頼朝と同じ熱田大宮司家で、京都で財政のキャリアを積んだ実務官僚で、13人重臣の一人です。永福寺跡は国指定史跡です。源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした後、源義経、藤原泰衡、数万人の将兵の鎮魂のために、中尊寺の二階堂(大長寿院)を模倣した大伽藍の永福寺を建てました。発掘調査の結果、阿弥陀堂、二階堂(二階建てから二階堂と言われる)、薬師堂、池、橋、庭園の配置が明らかになり、盛土をして遺跡を保護し、その上に基壇、礎石を再現しています。CGによる復元図を見ると、池を含めた伽藍の壮大さ、建屋の大きさが伺えます
「日時」2023年5月9日
「アクセス」横須賀線鎌倉駅より徒歩30分- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2024年01月02日
総合評価:3.5
鶴岡八幡宮は1063年創建、御祭神は応神天皇、比売神、神宮皇后です。武家源氏の守護神です。中学時代の遠足で行ったのが初めてで、その後10回以上訪れています。本日は初めて八幡宮の境内社丸山稲荷社に寄りました。稲荷社は商売繁盛にご利益があります。本殿は八幡宮の中では一番古く、室町時代建立で、国重要文化財に指定されています。広場から本殿にかけて石段が続きその両側に鮮やかな朱色の奉納鳥居が多く建っています。京都伏見稲荷の千本鳥居には及びませんが、ミニ千本鳥居です。鳥居入口から二本目に漫画家・タレントの蛭子能収奉納の鳥居を見つけました
「日時」2023年5月9日
「アクセス」横須賀線鎌倉駅より徒歩5分- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5





































