toratoraさんのクチコミ(3ページ)全124件
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投稿日 2013年02月18日
総合評価:4.5
天正13年(1583年)、藩祖前田利家が金沢に入城すると、政治の理念を日蓮宗・法華経の中道精神に求め、藩を守護する祈願所を建立した。
寛永20年(1643年)、三代藩主利常が金沢城の近くから移築建立する。利常は徳川幕府の改易を避けるため、徳川家から嫁を迎え、母親を人質に出し、鼻毛を伸ばして馬鹿殿様を演じることで、幕府を欺き安心させる。一方、多くの武士が起居できる寺院群(現在の寺町寺院群)を新築し、その中心に監視所(城でいう本丸)として妙立寺を建立する。要塞としての機能を備えた妙立寺は、隠し階段・隠し部屋・落とし穴・見張り台・金沢城へ続く地下通路など外敵を欺く種々な仕掛けを備える。忍者寺と呼ばれるのは、忍者がいたのではなく、その複雑な建築構造からそう呼ばれる。
戦火を免れた妙立寺は、歴代藩主の祈願所として崇拝される。北陸の豪雪に耐え、その独特の建築様式を現在に伝えている。- 旅行時期
- 2012年09月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.5
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投稿日 2013年02月18日
総合評価:4.5
東茶屋街は金沢百万石の城下町の風情を現在最もとどめている街の1つです。金沢市には三箇所の茶屋街があり東茶屋街の他ににし茶屋街、主計町茶屋街があります。それぞれが当時の景観をとどめていて修景計画も着々と進んでいます。東茶屋街はそのうちでも最大規模を誇り、現在でも8件が営業していて、芸子さんや芸者さんが20名ほどいるそうです。町の中には笛や太古、三味線などの音が流れ、昔からの景観とあわせてなんとも言えない雰囲気があります。金沢の町割りが進む中、文政3年(1820)に茶屋と呼ばれる遊郭を整備したのが始まりで「東廓」などと呼ばれ歓楽街として栄え、時には文化人達の社交場にもなりました。茶屋様式と言われる建物が軒を連ね特に「志摩」や「懐華樓」などは江戸時代当時をよく伝えており文化財にも指定されています。二番丁では大方の建物の修景が終わり石畳や電柱の地中化、街路等のデザイン化なども随時行われています。路地に入ってもその風情が連続していて、数年前に訪れたときと比べても比較にならないほど整備されています。重要伝統的建造物群保存地区に指定されている中の3分2が明治初期までに建てられた建物で埋め尽くされています。
- 旅行時期
- 2012年09月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2013年02月18日
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投稿日 2013年02月18日
総合評価:4.5
熊本市北区植木町の中心から南に伸びる舌状台地(京町台地)の尖端、茶臼山丘陵一帯に築かれた平山城。現在の地名では中央区の本丸、二の丸、宮内、古城、古京町、千葉城町に当たる。
中世に千葉城、隈本城が築かれ、安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて加藤清正がこれを取り込み、現在のような姿の熊本城を築いた。日本三名城の一つとされ、「清正流」と呼ばれる石垣の上に御殿、大小天守、五階櫓などが詰め込んだように建てられ、一大名の城としては「日本一」であるとの評価がある。- 旅行時期
- 2012年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.5
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投稿日 2013年02月18日
総合評価:3.5
旧門司税関は明治42年(1909)に門司税関が発足したのを契機に、明治45年(1912)に煉瓦造り瓦葺2階建構造で建設されたものです。昭和初期までは、税関庁舎として使用されていました。平成六年には北九州市が赤煉瓦を特注し、建物の復元を行い、近代的なデザインとモダンなネオルネッサンス調が交わり非常に奥深い建物となりました。1階は天井吹き抜けの広々としたエントランスホール、休憩室、喫茶店「レトロカフェ」、展示室、2階はギャラリーと関門海峡や門司港レトロを一望できる展望室となっています。
- 旅行時期
- 2012年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2013年02月18日
総合評価:3.5
旧門司三井倶楽部は大正十年に三井物産の社交倶楽部として、門司区谷町に作られました。建物はハーフティンバー様式(木骨様式)と呼ばれるヨーロッパ伝統の木造建築工法で作られたもので、木造の骨組みの間を漆喰やレンガ、石などを使って埋めて壁が作られ、木造の骨組みがそのまま外観デザインのアクセントとなっています。内装には各部屋にマントルピース(暖炉)が配置されドア枠、窓枠、大階段の親柱などには幾何学模様のアールデコ調の飾りがされており、大正モダンを深くうかがうことができます。当時、門司港がどれほどの経済力を誇っていたのかも容易に想像できます。また、アインシュタイン博士が全国を講演をする為に来日した際に、ここ三井倶楽部に宿泊しています。アインシュタイン博士は大変、門司港と三井倶楽部を気に入ったようで、福岡に宿泊した際も門司港の事ばかりしゃべられていたそうです。アインシュタイン博士が宿泊した部屋は今も当時のまま残されています。現在の旧門司三井倶楽部は、一階がレストランやイベントホール、二階にはアインシュタインメモリアルルーム、門司出身の女流作家林芙美子の資料室があります。この建物もJR門司港駅と同じく国の重要文化財に指定されています。
- 旅行時期
- 2012年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2013年02月18日
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投稿日 2013年02月18日
総合評価:3.0
慶長7年(1602年)、藤堂高虎によって築城開始され慶長9年(1604年)に完成した。普請奉行として渡辺了の名が知られている。今治城完成以前の今治の支配拠点は、唐子山山頂にあった国府城であったが、より能率的な都市経営を目指すため築城された。構造は、三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で、当時は海から堀へ直接船で入ることができるなど海上交通の要所今治らしく海を最大限に活用した城となっている。日本三大水城の一つに数えられている。
- 旅行時期
- 2012年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2013年02月18日
総合評価:5.0
松山市の中心部、勝山(城山)山頂に本丸を構える平山城である。日本三大平山城にも数えられる。山頂の本壇にある天守(大天守)は、日本の12箇所に現存する天守の一つである。この中では、姫路城と同じく、大天守と小天守・南隅櫓・北隅櫓を渡り櫓(廊下)で結んだ連立式で、日本三大連立式平山城にも数えられる。
幕末に建築された大天守ほか、日本で現存数の少ない望楼型二重櫓である野原櫓(騎馬櫓)や、当時の土木技術としては特筆される深さ44mにおよぶ本丸の井戸などが保存されている。敷地一帯は国の史跡に指定されており、建造物21棟は国の重要文化財に指定されている。ミシュランの観光版(ギード・ベール)日本編では二つ星に選定された。- 旅行時期
- 2011年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2013年02月18日
総合評価:3.5
大洲の地は、伊予を南北につなぐ大洲街道・宇和島街道の結節点にあり、また東には四国山脈を抜けて土佐国に出る街道がある。また、すぐ西には大洲の外港とも言える八幡浜(現八幡浜市)があり、大洲は歴史的にはややひなびた立地ながらも交通の要衝といえる場所にあった。宇都宮氏が創建した当初は、肱川と久米川の合流点にあたる地蔵ヶ岳に築城したことから地蔵ヶ岳城と呼ばれた。
江戸時代初期、藤堂高虎らによって大規模に修築がなされ、近世城郭としての体裁を整えた。伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していた。また、明治維新後から現在にいたる地元住民の城郭への保護活動と、2004年(平成16年)に主に市民による寄付によって完成した往時を出来る限り忠実に復元した4重4階の天守も特筆すべき点である。江戸時代から残る台所櫓・南隅櫓など4棟の櫓が国の重要文化財、城跡一帯が県指定史跡に指定されている。- 旅行時期
- 2013年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2013年02月18日
総合評価:4.0
開明学校の前身は1869年(明治2年)に左氏珠山の門下生や町民の有志により建てられた私塾申義堂であった。1872年(明治5年)、申義堂を校舎として開明学校が開校。1882年(明治15年)に現存する校舎が竣工した。その後、校名や用途をたびたび変更し、1976年からは教育資料館として、戦前の教科書と学校経営資料など約6000点を展示している。
旧開明学校校舎は、木造2階建、桟瓦葺きで、窓枠をアーチ状につくるなど、わずかに洋風の意匠を取り入れた擬洋風建築である。地元の大工によって建築された擬洋風建築であり、建築史上、教育史上に価値が高い。また、屋根裏から発見された「開明学校新築始末書」という銘札によって、建築の時期と事情が明らかである。歴史的価値の高いものとして評価され1997年5月に国の重要文化財に指定された。- 旅行時期
- 2013年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2013年02月18日
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投稿日 2013年02月17日
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投稿日 2013年02月17日
総合評価:4.0
八日市護国の町並みの特徴は、浅黄色と白漆喰で塗りごめられた重厚な外壁があり、棟を街路と平行に通す平入造りで、街路に面した壁面が通っています。隣家との間には、道路や水路空間を残し、この路地空間は、他所では見られない造形美を醸し出しています。
- 旅行時期
- 2013年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2013年02月17日
総合評価:3.5
明治末から大正にかけて内子の町が木蝋や生糸などの生産で栄えていた頃、地元の人々の娯楽の場として発案され、大正天皇の即位を祝して地元有志の出資により創建された。農閑期に歌舞伎や文楽、後に映画や落語なども演じられた。その後昭和40年代にはホール的に活用されていたが、老朽化により取り壊されようとしていた。しかしながら、町並み保存地区に近接していることもあり、まちづくりの核として活用していくべきとの町民からの要望により復原され、今日に至っている。今日では、歌舞伎のほか、各種講演やまちづくりの会合等に活用されている。
- 旅行時期
- 2013年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2013年02月17日
総合評価:5.0
道後温泉本館は、愛媛県松山市の道後温泉の中心にある温泉共同浴場。別名・愛称は坊っちゃん湯。
戦前に建築された歴史ある建物(近代和風建築)で、街のシンボル的存在であり、1994年に国の重要文化財(文化施設)として指定された。共同浴場番付において、東の湯田中温泉大湯と並び西の横綱に番付けされているほか、2009年3月、ミシュランガイド(観光地)日本編において2つ星に選定された。2009年、経済産業省の「近代化産業遺産」に認定。- 旅行時期
- 2013年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 泉質:
- 5.0
- 雰囲気:
- 5.0
- バリアフリー:
- 4.0
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投稿日 2013年02月17日
総合評価:4.5
紫雲山を借景として6つの池と13の築山を巧妙に配した大名庭園で、回遊式庭園の南庭と近代的に整備された準洋式の北庭からなっている。面積は約75ヘクタールと特別名勝に指定されている庭園の中では最大の広さである。
1625年頃、讃岐領主生駒高俊によって、南湖一帯が造営され、1642年入封した松平頼重に引き継がれ以後松平氏5代約100年をかけて完成した。明治新政府の管理下におかれた後、1875年に県立公園になり一般に公開された。1953年には特別名勝に指定された。- 旅行時期
- 2013年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.5
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投稿日 2013年02月17日
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投稿日 2013年02月17日
総合評価:4.0
海上交通の守り神として信仰されており、漁師、船員など海事関係者の崇敬を集める。神徳は極めて高いとされ、海上交通のみならず、交通安全に関しては日本でも随一の功徳を誇るとする声もあるほどである。時代を超えた海上武人の信仰も篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、戦後の朝鮮戦争における海上自衛隊の掃海殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られる。金毘羅講に代表されるように古くから参拝者を広く集め、参道には当時を偲ばせる燈篭などが今も多く残る。
長く続く参道の石段が有名で、奥社まで登ると1368段にもなる。例大祭に合わせて毎年、これをメインに「こんぴら石段マラソン」が開かれている。- 旅行時期
- 2013年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 4.5
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投稿日 2013年02月17日
総合評価:4.0
杵築は松平3万2000石の城下町で、街の東端の高台に3層の天守閣がそびえています。城の中は藩主の遺品など数多くの展示品があり、周辺の城山公園内には市内に散在していた国東塔などの石造物を集めた石造物公園があります。
城から北に1キロ弱いったところに北台武家屋敷があり、途中に“勘定場の坂”があります。この坂の周辺のたたずまいも昔の風情が残っており、なかなか良い場所です。“勘定場の坂”を登った所が“北台武家屋敷”で、“藩校の門”や“大原邸”などがあり、道の両脇は昔ながらの土塀などがあり、いかにも武家屋敷といったたたずまいです。ここが杵築一番の観光名所となっている場所です。そこから南には“南台武家屋敷”、少し離れて寺町などがあります。この杵築には消えかけた日本の城下町の面影がよく残っています。- 旅行時期
- 2011年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0























