toratoraさんのクチコミ(2ページ)全124件
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投稿日 2013年02月24日
総合評価:4.0
有明海に流れ込む筑後川の河口に広がる柳川は、町のいたるところに掘割が巡らされた美しい城下町です。文亀年間(1501~04)に蒲池氏が城を築いたのが柳川の始まりである。その後、城主は鍋島氏、立花氏、田中氏と目まぐるしく代わるが、元和元年(1615)に再び立花氏が返り咲き、以後12代にわたって統治し幕末を迎えている。 こうした大名たちが工夫を重ねて築いた城は、何重もの掘割に囲まれた要害堅固なものであって、掘割には3つの水門が設けられ、1つの水門を切ると外堀一帯が、残り2つを切ると城郭を残して城下全体が水没してしまう水城の機能を持っていたという。しかしその城も明治5年(1872)の出火で焼失する。現在は石垣や堀が残るのみだが、町に縦横に張り巡らされた掘割は健在だ。そして今、その掘割をめぐる川下りが柳川随一の観光名所となっている。
- 旅行時期
- 2013年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2013年02月24日
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投稿日 2013年02月24日
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投稿日 2013年02月24日
総合評価:3.0
戦国時代に、備前西部から美作、備中に勢力を伸ばした宇喜多氏が本拠としたことで近世城郭の基礎が生まれ、その後小早川氏、両池田氏により整備、拡張が行われた。
岡山城は標高が十数メートルの丘が連なる小高い土地に建設された。
当時、旭川河口部は複数の派川に分岐しており、その中の大洲原と呼ばれる広大なデルタ地帯中央に「岡山」(柴岡山とも)、その西隣に「石山」、さらにその北西には「天神山」(天満山とも)の3つの丘が連なり、各時代ごとに要害として使用されたとされる。その中の石山にあった石山城(いしやまじょう)に宇喜多直家が入城・改築し、後に子の宇喜多秀家が隣接する岡山に新たに本丸を設け、石山城を取り込む形で城郭が建造された。これが岡山城である。- 旅行時期
- 2013年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2013年02月24日
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投稿日 2013年02月19日
総合評価:4.5
八甲田山中の一軒宿であるが、豊富な湯量と各種効能から宿泊客が多いこともあり、宿の規模は大きい。またその効能から湯治客も多く、一般客向け以外に湯治用宿泊棟が設けられている。
名物は千人風呂。総ヒバ造りの体育館のような巨大な建物で、大きな浴槽2つ(「熱の湯」、「四分六分の湯」)と打たせ湯がある。「熱の湯」と「四分六分の湯」は隣同士であるが泉源が異なる。また名前から受ける印象と実際の湯の温度が異なっている。「熱の湯」は源泉の湯をそのまま使っているが、ややぬるめ(名前の由来は、熱の湯の方が体の芯から温まるから、あるいは源泉の湯をそのまま使っているから)。- 旅行時期
- 2012年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 泉質:
- 4.5
- 雰囲気:
- 4.5
- バリアフリー:
- 4.0
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投稿日 2013年02月19日
総合評価:3.0
1978年の着工から9年6ヶ月を経て1988年4月10日供用開始され、総事業費はおよそ1兆1338億円である。
橋梁上部構造部分は、上部に4車線の瀬戸中央自動車道が走り、下部にJR本四備讃線(愛称:瀬戸大橋線)が通る2階建ての構造であり、用途が2通りあることから「鉄道道路併用橋」と呼ばれている。- 旅行時期
- 2012年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 1.5
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2013年02月19日
総合評価:3.5
丸亀市街地の南部に位置する亀山(標高66メートル)を利用し、縄張りはほぼ四角形で亀山の廻りを堀(内堀)で囲む、輪郭式の平山城である。石垣は、緩やかであるが荒々しい野面積みと端整な算木積みの土台から、頂は垂直になるよう独特の反りを持たせる「扇の勾配」となっている。山麓から山頂まで4重に重ねられ、総高60メートルの石垣は日本一高く、三の丸石垣だけで一番高い部分は22メートルある。頂部の本丸には江戸時代に建てられた御三階櫓が現存する。この建物は唐破風や千鳥破風を施して漆喰が塗られ高さは15メートルあり、現存三重天守の中で最も小規模である。
- 旅行時期
- 2012年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2013年02月19日
総合評価:3.0
徳島県北西部、吉野川中流部の峡谷。ボケ、ボキは崩壊の字もあてるが、大股で歩いても小股で歩いても危ないほど谷の両岸が迫り、切り立った崖が続く所の意ともいわれる。またホケ、ホキには崖の意もある。JR土讃線、国道32号が通じているが、補修工事が絶えない。吉野川が北流する約20キロメートルは四国山地を横断する横谷で、とくに土讃線の大歩危駅から小歩危駅間4キロメートルは奇岩怪石や深い淵があり、剣山国定公園の一部になっている。大歩危駅から川下りの船着き場まで1.5キロメートル、川船に乗って洞床まで約20分を要する。近年ではゴムボートで急流下りを楽しむラフティングも行われている。洞床付近は三波川系の結晶片岩があり、別子層とその下部にある大歩危層の美しい露頭がみられる。
- 旅行時期
- 2012年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.5
- 景観:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- バリアフリー:
- 3.0
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投稿日 2013年02月19日
総合評価:4.5
鳴門海峡は、本州と四国の間にある瀬戸内海と太平洋とを結ぶ海峡の一つで、幅が約1.3km。潮汐により1日に2回、大量の海水が瀬戸内海に流れ込み、また同様に1日に2回瀬戸内海から流れ出す。瀬戸内海と太平洋の水位差は最高で1.5mにも及ぶ。海峡の幅が狭いことに加え、海底の複雑な地形も影響し、潮流は13~15km/hの速度で流れる。大潮の時には20km/hに達することもある。この潮流の速度は日本で一番速く、「世界三大潮流」にも数えられることもある。
この早い潮流と、海峡両岸に近い穏やかな流れの境目において、渦が発生する。
大潮の際には渦の直径は最大で30mに達するといわれ、渦の大きさは世界でも最大規模といわれる。- 旅行時期
- 2012年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 景観:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
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投稿日 2013年02月19日
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投稿日 2013年02月19日
総合評価:4.0
祖谷のかずら橋の場合、古文書によると、かって7ないし13の橋が存在したとされる。最古のものは、1646年(正保3年)の「阿波国図」にかずら橋が7つ存在したと記録されている。また1657年(明暦3年)「阿波国海陸度之の帳の写」の祖谷紀行には13のかずら橋があったとされる。
起源はその昔、弘法大師が祖谷に来たとき困っている村民のために架けたとか、あるいは平家の落人がこの地に潜み、追手が迫ってもすぐ切り落とせるように葛を使って架設したとの伝説もあるが定かではない。- 旅行時期
- 2012年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 1.5
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2013年02月19日
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投稿日 2013年02月19日
総合評価:2.5
江戸城は麹町台地の東端に、扇谷上杉氏の家臣太田道灌が築いた平山城である。近世に徳川氏によって段階的に改修された結果、総構周囲約4里と、日本最大の面積の城郭になった。
徳川家康が江戸城に入城した後は徳川家の居城、江戸幕府の開幕後は幕府の政庁となる。明治維新後の東京奠都で宮城となった。以後は吹上庭園が御所、旧江戸城西ノ丸が宮殿の敷地となっている。その東側にある旧江戸城の中心部である本丸・二ノ丸と三ノ丸の跡は皇居東御苑として開放されている。南東側の皇居外苑と北側の北の丸公園は常時開放され、それらの外側は一般に利用できる土地になっている。- 旅行時期
- 2012年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 2.5
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投稿日 2013年02月19日
総合評価:4.0
二重橋は、東京都千代田区千代田の皇居内にある橋の通称である。皇居正門から宮殿へ向かう途上、二重橋濠に架かる鉄橋で、本来の名称は正門鉄橋である。
正門には皇宮警察の皇宮護衛官の儀仗隊がおり、通常一般人は二重橋を渡ることはできない。ただし、事前に手続きをして皇居の参観をする場合は、鉄橋を渡ることができる。また、新年や天皇誕生日の皇居一般参賀時には正門が開放され許可なく渡ることができる。- 旅行時期
- 2012年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2013年02月19日
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投稿日 2013年02月19日
総合評価:4.0
山の神・海の神・戦いの神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めた神社である。源氏・平氏をはじめ多くの武将が武具を奉納して武運長久を祈ったため、国宝・重要文化財の指定をうけた日本の甲冑の約4割がこの神社に集まっている。近代においても、日本の初代総理大臣の伊藤博文、旧帝国海軍連合艦隊司令長官・山本五十六をはじめとして、政治や軍事の第一人者たちの参拝があった。現在でも、海上自衛隊・海上保安庁の幹部などの参拝がある。
全国に1万社余りある山祇神社・三島神社の総本社とされるが、一部の三島神社(主に東国)には静岡県の三嶋大社の分社もある。また、三嶋大社自体を大山祇神社の分社とする説や、逆に大山祇神社の方が三嶋大社の分社とする説があり、まったく別の神社とする説もある。
社殿・武具等の文化財として国宝8件、国の重要文化財76件(2012年現在)を有し、境内には国の天然記念物「大山祇神社のクスノキ群」がある。また、昭和天皇の研究を展示した海事博物館が併設されている。- 旅行時期
- 2012年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.5
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投稿日 2013年02月19日
総合評価:3.5
入江に面した急斜面には民家が山の中腹まで続き、それぞれの民家は、台風や季節風から家や暮らしを守るため、軒に達するほどの石垣が整然と積み上げられています。
その景観から石垣の里として知られ、独特の家並みを形成するこの集落は 「日本の美しいむら農林水産大臣賞」や「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」にも選ばれています。
また平成19年(2007年)には、(財)古都保存財団の「美しい日本の歴史的風土100選」にも選ばれ、日本を代表する石垣文化の一大景観地となっています。
集落を登っていくと、憩いの場・観光の拠点として利用できる「だんだん館」があります。石垣の里の眼下に広がる宇和海を臨みながら、コーヒーを飲んだり、軽食を食べながら、一服することもできるほか、予約をすれば郷土料理も食べることができます。- 旅行時期
- 2013年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- バリアフリー:
- 1.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2013年02月18日
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投稿日 2013年02月18日























