mikuwankoさんのクチコミ(57ページ)全1,741件
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投稿日 2019年11月14日
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投稿日 2019年11月13日
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投稿日 2019年11月09日
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投稿日 2019年11月09日
総合評価:4.0
平和祈念公園内にある慰霊塔で背後には海が広がっています。沖縄戦の学徒動員で犠牲になった沖縄県立工業学校の生徒97名と引率の教職員7名を弔うために建立されました。沖縄戦では、21の学校から学徒隊が結成されましたが、その中で最も戦死率が高く、生徒97名中88名、教職員は7名中7名全員戦死となっています。青春時代を「鉄の暴風」と形容されたすさまじい戦場で過ごし、若くして命を落としていった方々のことを考えるとやるせない気持ちになりました。恒久平和を願い静かに手を合わせてきました。
- 旅行時期
- 2019年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2019年11月09日
総合評価:4.0
摩文仁の丘から長い坂を下って訪れました。沖縄戦の学徒動員で戦場に駆り出された沖縄師範学校の13歳から19歳の学生で構成された鉄血勤皇隊の犠牲者の霊を慰めるために建立された塔です。すぐ近くには、師範学校生たちが集団自決した壕もあります。夜間の敵陣への斬り込みや爆発物を抱えての特攻、成りの果ては集団自決と悲惨な末路をたどった若者たちのことを思うと深い悲しみと強い憤りがこみ上げてきました。このような惨劇が二度と繰り返されてはならないという思いを新たにし、手を合わせてきました。
- 旅行時期
- 2019年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2019年11月09日
総合評価:5.0
国道331号の近くにあります。案内看板が無いので、グーグルマップで探して訪れました。石段を登っていくとその先に地面に大きな口を広げた場所にたどり着きます。そこから階段を下りていくと壕の入口にたどり着きます。大規模な壕で、糸洲の壕とつながっているそうです。沖縄戦では、先に避難していた住民たちを押しのけ、軍部が陣取っていたという証言が今に伝わっています。内部を見学することができますが、懐中電灯は必携です。また、糸洲の壕から流れてきている水で足場も悪いので訪問時は注意が必要です。
- 旅行時期
- 2019年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 団体客とかち合う可能性大
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2019年11月09日
総合評価:4.0
糸洲の壕とは国道331号を挟んで反対側にあります。糸洲の壕横の道路をそのまま直進していくとあるので、比較的見つけやすいかと思います。沖縄戦の激しさが増した1645年5月下旬に南風原からここに沖縄陸軍病院の第二外科が移転しました。沖縄県女子師範学校と沖縄県第一高等女学校の女学生で構成されたひめゆり学徒隊もこの壕に移ってきました。壕の入口から中を覗くとコンクリートの塊があり、中には入れないようになっていました。無能な首脳陣によってはじめられた無謀な戦争のおかげで、多感な青春期が踏みにじられ、ここで命を落としたと思うとやるせない気持ちになりました。壕の近くには、「命こそ宝」という意味の「ぬちとうたから」と刻まれた碑がありました。この言葉意味をかみしめながら手を合わせてお参りしてきました。
- 旅行時期
- 2019年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2019年11月09日
総合評価:4.0
国道331号の案内看板を手掛かりに訪れました。積徳高等女学校の女学生25名で構成されていたふじ学徒隊も動員されていた旧 帝国陸軍第24師団第二野戦病院が沖縄戦の激化に伴い、豊見城跡にから当地へ移転しました。このガマ跡には、院長で山3487部隊の部隊長でもあった軍医の小池勇助少佐にまつわるエピソードがいくつか残っています。傷病兵一人ひとりに声をかけて励ましたり、学徒隊の女学生には戦闘に巻き込んだことの謝罪や自決することなく自分の命を大切にしてほしいと訓示をしたりと、人となりが伝わっています。そのため、学徒隊25名中22名が生き残ることができました。このような軍属が多ければ、沖縄戦での戦没者はもっと少なくて済んだのにと思いました。数年前から立入禁止となり、外観の見学とガマ前にある慰霊碑のお参りのみできます。周囲はひっそりとしており、静かに歴史を語っているようでした。
- 旅行時期
- 2019年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2019年11月09日
総合評価:5.0
ひめゆりの塔から車で2~3分ほど5分ほどの場所にあります。大戦時、地元の伊原集落の方からは、「アブチラ壕」と呼ばれ、集落の住民の方の避難壕となっていました。沖縄戦が激化に伴い、高津嘉山にあった旧 帝国陸軍沖縄守備隊第32軍の津嘉山経理部が当地にやってきて、伊原第一外科壕という名称になり、機能も野戦病院へと変わりました。このとき、避難していた住民は追い出されたり、幼い子どもは泣き声で敵に居場所がわかってしまうという理由で殺されたりしたそうです。道路脇の地底に大きく口を開いた地下壕になっており、降りていくと壕の入口が見えました。壕内は埋め立てられ、中に入ることはできません。壕の内外では多数の死傷者を出しているとのことで、さながら時刻絵図が広がっていたことは想像に難くありません。このような惨劇が再び起きることが無い恒久平和を小さな祭壇の前で強く祈りました。
- 旅行時期
- 2019年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2019年11月09日
総合評価:3.0
1998年に開園した公園で、1993年の第44回全国植樹祭の会場跡地に造成されたそうです。、眼下には海が広がり、敷地面積も広いので、開放感あふれる公園です。園内には、沖縄戦で付近の山城集落の人が逃げ込んだマヤーアブと呼ばれるガマがありました。日本軍があとからやってきて集落の方は追い出されてしまい、再避難の途中に米軍の攻撃で多くの方が亡くなられたとのことです。そのことを知り、やるせなさを感じました。ガマ跡は、平和学習の活用で事前に申し込んだ団体のみ見学でき、個人では立入禁止になっていました。
- 旅行時期
- 2019年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 園内にいる方は少ないが、近くの海岸に行く者の車が多く、駐車場を探すのが大変
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2019年11月09日
総合評価:3.0
喜屋武岬の近くにある13世紀から15世紀にかけての城跡です。石垣と虎口跡が残っています。海岸線にあめため景色が良く、ぼーっと過ごすのには良い場所でした。午前中に訪れましたが、昼近くになると人が増え始めてきました。この後、喜屋武岬を訪れましたが、やはり同じ人たちがってきたので、午前中の早い時間に回ってしまうことをお勧めします。
- 旅行時期
- 2019年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2019年11月09日
総合評価:2.0
先の大戦の沖縄戦にて当地で自決した旧 帝国陸軍第32軍司令官で大将の牛島満と同参謀長で中将の長勇の2人を慰霊するために建立されたものです。摩文仁の丘の頂上にありました。慰霊碑周辺には美しい景色が広がっていますが、当時この丘にいた人々はみな絶望を抱いていたのでしよう。そう思うと寒々とした景色に見えてきました。付近にはたくさんの慰霊碑や慰霊塔がありますが、この2人だけ特別扱いというのもどうかなと冷めた感想を持ちました。
- 旅行時期
- 2019年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 2.0
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投稿日 2019年11月05日
総合評価:3.0
沖縄戦の際に殉職した島田叡沖縄県知事、荒井退造沖縄県警察部長、沖縄県職員の慰霊碑です。島田知事と荒井部長らは、戦闘が激しいさなか自ら先頭に立って島民の安全を守ることに尽力したとのことです。たくさんの歌碑や鎮魂碑が並び、大変丁重に扱われているのが印象的でした。平和の尊さを改めてかみしめました。
- 旅行時期
- 2019年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2019年11月04日
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投稿日 2019年11月04日
総合評価:3.0
昼ピーク過ぎに訪れました。客はほかに誰もいませんでしたが、修学旅行シーズンで、すでに大量の団体を扱っていたため、食べ物は沖縄そばと肉そばしか注文できないといわれました。団体客が多い時期は避けた方が無難かと思います。味は悪くなく、値段も高く感じませんでした。
- 旅行時期
- 2019年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 1,500円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 2.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- サービス:
- 3.0
- 雰囲気:
- 3.0
- 料理・味:
- 3.0
- 観光客向け度:
- 3.0
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投稿日 2019年10月27日
総合評価:4.0
四万十川橋は、渡川橋とも呼ばれる1926年に造られたトラス橋です。鮮やかな赤で塗られているため、赤鉄橋という通り名を持っています。色もさることながら、8連のトラスの形状がとても美しく感じられました。時間を忘れて様々な角度から写真を撮って過ごしました。
- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2019年10月26日
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投稿日 2019年10月22日
総合評価:5.0
理想的なプロポーションのホルスタイン像を製作し、アメリカで「牛の吾蔵」と有名になった彫塑家の川口吾蔵の作品が並ぶ美術館です。前述のホルスタイン像をはじめ、第一生命館に展示されているマッカーサー像と同じものも展示されていました。それらの作品群は素人の私にも素晴らしいものだとわかりました。龍岡城の近くにあったので、なんとなく入りましたが、思わぬ大収穫でした。美術や歴史に興味がある方にお勧めの施設です。
- 旅行時期
- 2019年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
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投稿日 2019年10月22日
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投稿日 2019年10月22日
総合評価:3.0
大給松平氏が1864年から1867年にかけて造らせた城郭跡です。龍岡五稜郭とも呼ばれています。現在は、市立の田口小学校の校地となっており、校舎もあるので、学校に人がいない時間に訪れました。地元の方から土塁の上を歩いても大丈夫だと教えていただいたので、土塁上をぐるりと一周してみました。実際に歩いてみると、五稜郭の形状がしっかりと残っていることがわかりました。建物遺構は、城域には御台所しか残っていませんが、城の周辺には移築門が残っています。
- 旅行時期
- 2019年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 学校に人がいない時間を見計らって訪問
- 見ごたえ:
- 3.0
























