のださんのクチコミ(92ページ)全2,489件
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投稿日 2013年05月01日
総合評価:3.5
2012年4月1日に道の駅が移転し、伊達市観光物産館がオープンしたとのことで、私が行ったときとは状況が異なるかもしれません。
移転先はどの辺でしょうか。
前のところは、裏手に公園があり、いくつか碑がありましたので、私は回ってみましたが、現在はどうなのでしょうかね。- 旅行時期
- 2011年08月
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投稿日 2013年05月01日
総合評価:3.0
キリスト教の宣教師・バチラー夫妻の活動を記念し、昭和12年にバチラー夫妻記念教会堂が建てられました。
アイヌの人々が「カムイ・タッコプ(神の丘)」と呼んでいた場所です。
バチラー夫妻の養女・バチラー八重子さんも欠かすことのできない存在ですね。- 旅行時期
- 2011年08月
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投稿日 2013年05月01日
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投稿日 2013年05月01日
総合評価:4.0
2000年3月の有珠山噴火による噴火口群一帯が無料公開されています。
車を降りたら、まずは火山資料展示室を見学しましょう。
散策路は長くて、結構体力を使うかもしれませんが、噴火の痕を歩ける貴重な機会ですので、ぐるっと回ってきましょう。- 旅行時期
- 2011年08月
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投稿日 2013年05月01日
総合評価:4.0
洞爺湖ビジターセンター・火山科学館の山側にあり、歩いてすぐに行けますので、回らない手はないです。
熱泥流が流れ込んだ公営浴場や公共住宅がそのまま保存されています。
2000年3月のことだったそうですから、つい最近の話ですね。
自然の脅威を思い知らされます。- 旅行時期
- 2011年08月
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投稿日 2013年05月01日
総合評価:4.0
有珠山を歩く前に寄ってみました。
展示はわかりやすくて、スタッフの方も丁寧に説明してくださいます。
有珠山観光についてのアドバイスもしてくださいます。
山側には金比羅山コースがあり、熱泥流が流れ込んだ公営浴場や公共住宅がそのまま保存されているので、是非歩いてみると良いです。- 旅行時期
- 2011年08月
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投稿日 2013年05月01日
総合評価:4.0
洞爺湖温泉街の一番西のホテルなのかな。
サミットでイギリスの使節団(?)が宿泊したホテルですが、それをあまり宣伝しない控えめさを持ち合わせています。
私が行ったときは、ちょうど洞爺湖で花火が打ち上げられる時期で、ベランダから見て楽しめました。
リーズナブルに洞爺湖温泉を楽しめるという意味ではおすすめです。- 旅行時期
- 2011年08月
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投稿日 2013年05月01日
総合評価:4.0
サミットが開催されたホテルということで紹介されることがほとんどでしょうが、サミット抜きにしても、ここからの洞爺湖の眺めは最高、という話を聞いて行ってみました。
が・・・着いてみると、めちゃくちゃな霧です。
当然何も見えない。
洞爺湖目当てで行く場合は、天候を気にするべきです。- 旅行時期
- 2011年08月
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投稿日 2013年05月01日
総合評価:4.0
洞爺湖のお土産と言えば「わかさいも」ですが、私は子供のころ食べたときに、ここの名物だとは知りませんでした。
懐かしい味に再会できてうれしく思います。
洞爺湖の畔に建っているのですぐわかると思います。
カードが使えないってのは不便だな。- 旅行時期
- 2011年08月
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投稿日 2013年05月01日
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投稿日 2013年05月01日
総合評価:3.0
1856(安政3)年に江戸幕府の命を受けた南部藩が、蝦夷地警備のため、南部藩室蘭陣屋のヲシャマンベ分屯所として設置した「ヲシャマンベ陣屋跡」があり、今も当時の土塁の跡が残っています。
飯生神社の鳥居そばに碑が建っています。- 旅行時期
- 2011年08月
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投稿日 2013年04月30日
総合評価:3.0
箱館戦争時、旧幕府軍が五稜郭と四稜郭との結節点にあたる東照宮に砲台を設けたことから権現台場と呼ばれました。
新政府軍の攻撃を受けて社殿は焼失したものの、五稜郭や弁天台場の石垣造りを手掛けた井上喜三郎作の大鳥居は崩壊することなく現存します。- 旅行時期
- 2011年08月
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投稿日 2013年04月30日
総合評価:3.5
徳川義勝は、不毛の土地を開拓して、国家に貢献し旧家臣に授産の道を開き、美しく豊かな理想郷を作ろうとしました。
そこで、開拓使に輸送船を依頼したところ、開拓使長官・黒田清隆は大いに喜び、これを援助しました。
開拓移住者が上陸した場所に碑が建っています。
ちょっとわかりにくい場所かもしれませんので、根気よく探しましょう。- 旅行時期
- 2011年08月
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投稿日 2013年04月30日
総合評価:3.5
スイスを旅行で訪れた徳川義親は、民芸品として販売していた木彫り熊を八雲の農民の冬期間の副業に奨励しようと買い求め帰国しました。
これを見本に1924(大正13)年に八雲の農民が製作した木彫り熊が北海道の木彫り熊の第1号となりました。
その後、木彫り熊は全道へ広がり、北海道を代表する土産品の一つとなりました。
八雲町の木彫り熊の歴史と文化を顕彰する記念碑が、公民館敷地内の徳川義親胸像に隣接して建立されています。- 旅行時期
- 2011年08月
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投稿日 2013年04月30日
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投稿日 2013年04月30日
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投稿日 2013年04月30日
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投稿日 2013年04月30日
総合評価:3.5
法華寺の山門は檜山奉行所で使用されていたそうです。
本堂天井に描かれた「八方睨の龍」も有名だそうですが、公開されているのかどうかは知りません。
1869(明治2)年の箱館戦争では、敗残の旧幕軍兵20余名の生首をこの門にて晒したという話も伝わっています。
で、扁額は、新政府軍の指揮者である山田顕義が書いたそうで、よく見なかったので後悔しています。
1741(寛保元)年7月、松前大島が噴火した際に、江差を含めた沿岸120kmに寛保の津波が襲来し、1,467名(うち江差町120名)が亡くなりました。
寛保津波の碑は、説明板がボロボロで何を書いているのかよくわかりませんが、見つけたら手を合わせておきましょう。- 旅行時期
- 2011年08月
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投稿日 2013年04月30日
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投稿日 2013年04月30日
























