寛保津波の碑
- 3.5
- 旅行時期:2011/08(約14年前)
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by のださん(男性)
七飯・江差 クチコミ:13件
法華寺の山門は檜山奉行所で使用されていたそうです。
本堂天井に描かれた「八方睨の龍」も有名だそうですが、公開されているのかどうかは知りません。
1869(明治2)年の箱館戦争では、敗残の旧幕軍兵20余名の生首をこの門にて晒したという話も伝わっています。
で、扁額は、新政府軍の指揮者である山田顕義が書いたそうで、よく見なかったので後悔しています。
1741(寛保元)年7月、松前大島が噴火した際に、江差を含めた沿岸120kmに寛保の津波が襲来し、1,467名(うち江差町120名)が亡くなりました。
寛保津波の碑は、説明板がボロボロで何を書いているのかよくわかりませんが、見つけたら手を合わせておきましょう。
- 施設の満足度
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3.5
クチコミ投稿日:2013/04/30
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