kummingさんへのコメント一覧(7ページ)全525件
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いつか見たようなお店
私が知っているイスラム圏は50年前のモロッコだけです。50年前のモロッコと現在のトルコを比べるのは不公平ですが、この旅行記の写真で見るトルコは、そのモロッコよりはるかに西欧的、フランスや、イタリア、スペインに近いみたい。
私の昔のトルコ人の友人は、トルコはヨーロッパだと言い張っていました。ボスポラス海峡から東がアジアというのは気にいらないみたいでした。
狭い路地や小さな食料品店などは、パリ下町の店とおなじような感じ。
写真のような八百屋さんは、私たちが住んでいた郊外の街にもありました。
こういう小さな小売店は、アラブ系のおじさんがやっていることが多かったので、なんとなくモロやんのお店と呼んでいました。
日曜もやっていて便利でした。親切だったし。
うちの息子が小さかったころ、かわいがってくれて、買い物に行くとおまけであめ玉などくれました。
おそらくモロッコ人のおじさんだったと思いますが、別に聞いたわけではないので、もしかするとトルコ出身だったかもしれません。
フランスは意外にトルコ人が多く住んでいるのです。
Re: いつか見たようなお店
しにあさん、こんばんは♪ 久しぶりに掲示板が賑やかになってきて、嬉しいです^ ^
おフランスは、十数年前に娘と行った時以来ご無沙汰ですが、その当時もイスラム系の方々はずいぶん増えたな(←そのまた数十年前渡仏当時との比較)とゆう印象でした。
商店街がどうだったかまで記憶にありませんが、アラブ系は西欧社会に溶け込んでいるのでしょうね。あの時、おフランスの何処かで迫り来るイスラム勢力を打ち負かして(進撃を食い止めた)いなかったら、今頃赤地に白の三日月マークの旗が、パリの街中に翻っていたやもしれません⁈ という話(←塩野七生さん説)も有名ですし。
所々にオスマン帝国時代の建物を散見しますが、あとは至ってフツー、というかヨーロッパ的かどうかは感じなかったけど。とにかく、設定した目的地、より、途中の街歩き、その佇まいに心惹かれたトルコでした。
あと、モスクや霊廟のターコイズブルー、大好きでした♪
この後、しつこくそーゆー写真upの予定につき、枚数の多さ(°_°)に呆れるしにあさんが目に浮かびます(笑)2024年12月07日22時58分 返信する -
遅ればせながら
ブルー・モスクで走り回ってるちびっ子ギャングちゃん。地元のちびっ子ですかね?観光客がそれをやるのは如何なものかな?ですが、ムスリムだったらそれで良いのですよ。
寺院や神社、教会は御神体、仏様、イエス様がいらっしゃいますから聖性がある場所なのでいつ如何なる時も厳かにしていなければならないですが、イスラームはマッカにしかアッラーはいらっしゃらないので、モスクには聖性がありません。だから礼拝の時を抜かせばモスクは信徒にとって安息の場になります。だから昼寝しようと世間話もオッケーです。大騒ぎしたり、汚したりしなければ、母親にとっては公園替わりです。お帰りなさいまし~♪
さっくんさん、帰国第一報?嬉しいかぎりでございます♪
ふむふむ、なるほど~、と、さっくんさんに比べる(←のもおこがましい)と、足の小指、いえ、は◯く△にも劣る、わたくしのイスラム愛、知ってる事、なので、聞くことが全て血となり肉となる^ ^
今回の旅もその延長上だったのでしょうね、ユーラシア大陸、中東、アフリカを股に繰り広げる「イスラム愛絵巻」byさっくん^o^ ブログ楽しみにしております♪
最近、Pouella Apuliae さんに拙宅(私んち)におこし頂き、「オスマン帝国外伝」ネタでひそかに盛り上がっていますww
また、色々お尋ねしたき事抱えて、さっくんさんお宅訪問させてもらいますね(←Q&Aで聞けよ!って話m(._.)m)
カキコありがとうございます♪2024年12月07日19時58分 返信する -
近くて遠い!?『鴨葱物語Part2』
いやいや『かもPart2』を楽しみにしていたのに
直前で回避されたのですか。ちょっぴりさびすぃ!?
簡単には騙されないのですね。
オラも最近ハンガリー人を名乗るおそらくエゲレス人と
WhatsAppで会話してて、あ?こいつ詐欺師だなと思い
急遽 葱を鉄砲に変えたことがありました。
Bursa ここではやはりイスケンデル・ケバブを
お召し上がりなされたのでせうか。
やや高いもののめちゃ美味しいですよね。
ついつい食べたくなってしまう... これもまた
鴨葱物語だったのかもしれません。
翌日はセマーの道場へも行かれましたか?
トルコ広しといえど無料でセマーが見られるのは
Bursaだけかと思い行きましたが、いやはやすごい!
フラメンコ以上に陶酔している感じがしました。
10月で-5℃ってですか!
この度は、秋篠宮ご夫妻の先遣隊お疲れ様でした。Re: 近くて遠い!?『鴨葱物語Part2』
ももさま~♪ 嬉し楽しい土曜日の昼下がり、拙宅をご訪問&カキコ、ありがたきしやわせ、嬉しゅうございます^o^
モロッコはInsta、トルコはWhatsApp交換が流行り? なのか、この後もう2件(1件はばあば自慢のネタとして、この後UP予定ww、もう1件は私からアタック、アプローチ、イケ可愛ポルトガル女子)交換しました。
私世代のなんちゃって英語力は、読む→書く→聴く→話す、の順なので、WhatsAppは重宝します。イタリアで鍛えられて、主張したり、文句言ったり、気が済むまで延々とやる、根気、しつこさだけは身についたみたい(笑)もちろん、お友だちもどき、になれた気分も♪
イスケンデル・ケバブは食べました、通りすがりの安いお店で、最終日かな?お肉の下にパンがぎっしり(*_*)
セマー、未体験、ポルトガルのファドも、スペインのフラメンコもイタリアのオペラも、同様ww 音楽好きなのに、夜で歩かず。そのかわり、カラギョス博物館で生カラギョス劇観ました♪
番宣ですが、1個前のエデイルネ医学博物館、ももさま興味もたれるんぢゃないか?と、あまりの写真数におススメするのは気がひけますが(-。-; 小児科と耳鼻科の友だちは面白かったそうです⁈ (正しい見方→文字through 写真スクロール)
色々目的地定めてはいますが、結局、その途中の歩いてる過程が1番楽しくて、街並み、人との絡み、など写真は増える一方で(;o;)
秋篠宮ご夫婦来土耳古、先んじての皇室の密偵、バレたか⁈2024年12月07日13時44分 返信する -
聖地巡礼ですね
ここでもお邪魔します。
ムスタファ皇子はあのドラマではとても好かれたキャラだったようで、ファンのお参りがしばらく続いたそうです。
私はバヤジット皇子君も好きでした(脳筋でしたけど)。お墓はシヴァス近郊らしいのでいつか行ってみたいです。トルコ東部はまだ行ったことないのです。
それにしても健脚でいらっしゃるので驚きです。イスタンブールもブルサも坂が多くて足が疲れました。
では続編お待ちします!Re: 聖地巡礼ですね
PauellaApuliaeさん、再再々のお運び、ありがとうございます♪ ←なんか、前回のカキコで強制しちゃった気もしていますが(-。-;
聖地巡礼、とゆーほど気張ってたわけじゃないんですが、ココだけそんな雰囲気になってますね(トルコ旅ブログの中で)
いつも、思うんですが、色んな事
にお詳しい! FDllの時も、私はあと、イエージとナポリ大学抑えれば、ほぼ巡礼終わり? とかって思ってたら、他にもいっぱいあるらしい(°_°)と、PauellaApuliaeさんに教えて頂き、知りました。
バヤジット皇子、そうですね、私も嫌いじゃない(セリムはNG!)、跡目争い、壮絶すぎて、後継者以外全員殺されてたんですよね?あの「鳥籠」?でしたっけ、どの時代だかに後継者になれなかった皇子たちを生涯閉じ込めて、生殺ししてた話(;o;)
ブルサ、公共交通機関の使い方分からないままで、歩き倒し、夜毎脚が攣ってました(笑)ジュマルクズクに行かなかったのが心残りです。
再再々カキコ嬉しかったです♪2024年12月06日17時24分 返信するRe: 聖地巡礼ですね
拝復、同じ好みの方がおられるのがとてもうれしいので、つい書いてしまいます。
鳥籠は後継者以外を殺さないため考えられた手段だそうですが、これもほぼ幽閉みたいなものなので残酷ですよね。
オスマン帝国外伝の続編にあたる「陰の女帝キョセム」の中でいくつかの例が出てきました。このドラマも2シーズンで長丁場でしたが、つい見てしまいました。ムラト4世役の俳優さんが良かったです。2024年12月06日21時50分 返信するオスマン帝国外伝、何シーズン?
オスマン帝国外伝って、1シーズンだけでも80話?とかゆー、長丁場ですよね。しかも、それが何シーズンあるんだか(*_*)
どうやら私が見たのは、シーズン4みたい、と、たった今調べて分かりました(笑)
その続編が「影の女帝キョセム」というシリーズなんですね。もしかして、キョセムって、ヒュッレムを上回る強者ですか?今、どこかのサブスクで見れるのかも?ですが、見始めたら沼落ちしそうで、こわい(-。-; ので、年末は探すの控えておこう!
「オスマン帝国外伝」のドラマ、もともとは、進展が遅くて、セットやコスチュームも安っぽい⁈ と、あまり入り込めなかったんですが、一度ハマったが最後、ずるずるのめり込んだ、という顛末。
本気で聖地巡礼しようとしたら、訪れる範囲はトルコ全土に及ぶかも?
また色々教えてくださいね♪ (沼りそうになる手前、寸止め程度で!)2024年12月06日23時02分 返信する -
めちゃくちゃ面白かったです!
再再度お邪魔します。
この博物館知らなかったのでとてもとても有り難いです。オスマン医学が想像以上にレベル高かったことがわかりました。当時のヨーロッパより上だと思います。
バヤジット2世なんて名前しか知らないスルタンでしたが、実は偉い人だったんですねー。では次のブルサ、お待ちします。イスケンデルケバブ食べられました?穴があったら隠れたい(-。-;
PuellaApuliaeさん、ようこそいらっしゃいまし~♪
こんな人さまの迷惑顧みず、無謀なブログupしてしまい、身の置き所もない今の心境ですが、オスマン医学について、少しでも知見広めるお役に立てたのでしたら、これにまさるお褒めの言葉?はございません^ ^
「暗黒の中世」この言い方も今ではあやしい(実際には暗黒だったわけではない、らしい)みたいですが、いずれにせよ、キリスト教が幅を利かせて、教義に合わない(気に入らん!)芸術、文学、科学、医学も含め、全ての学問、文化を禁止、制限していた時代、一方でそんな窮屈な世界から自由に研究できるイスラム圏へと数多の学者、文化人が移ってきて、イスラム世界の支配下で保護され、かつてのローマ・ギリシア文明が花を咲かせ、さらに更新された、って、そうゆう時代ですよね。
そんな時代にシチリアでルネサンスの先駆けとなったFDllの宮廷文化、確かサレルノの医学校もFDllが絡んでますよね?(創設した?)こういうイスラム医学や薬学に啓発されたのかしらん、とか思うと、ますますこの博物館見て廻りながら、ウキウキ♪
ヴァヤジド2世、なんとメフメトさまの息子でした^o^
オスマン帝国の歴代スルタンの名前、業績、代表的な人だけでも覚えたいのに、覚えられず(-。-; さっきgoogleったら、すごい語呂合わせの暗記法が載ってました(笑) オスマン帝国以前からのイスラム圏の王朝名も、絶対覚えらないわたくしですが、次はブルサ♪ ムスタファ皇子、出てきますよ~
イスケンデルも2日目?にいただきました。
再再再度、お待ちしております♪2024年12月02日19時58分 返信する -
パレルモだあ!
表紙の絵はパレルモかと思いました。
キリスト様、パランティーノ、マルトラーナやモンレアーレ聖堂にいらっしゃいました。なるほどこちらがビザンツ様式の本場なのですね。この上に乗っかったのがアラブ・ノルマンということか。
パラアンティーノ内陣祭壇背後のキリスト像なんて、そっくりです。
向かって右にちょっと眼を寄せる横目までそっくり。
でかいことはアヤソフィアのほうがおおきい。
ところどころのアラビア文字がなければ、まるでパレルモです。
オスマントルコは、ギリシャ正教にかなり寛容だった証拠ですね。
フランスで、トルコ人の友人がいましたが、「おれは悪いイスラム、したがって酒を飲む」とか言っておおっぴらに飲んでいました。
顔の輪郭はモンゴロイド系の横長、目鼻立ちはアラブ系でした。
トルコ人という人種はいないはず。
文化も人間もごちゃまぜ。
イスタンブールにゃんは白黒のハチワレが多いような。我が家の2匹の片割れがこの子にそっくりです。
あいつのルーツはトルコか。
ケバブが出てきません。逆三角形に貼り付けたお肉を遠火で焼く立体焼き肉みたいなやつ。あれはトルコではないのですかね。
パリではあれからそぎ落とした肉をバゲットに挟んで食べていました。元の肉がなんだか分からないので、やすくて、貧乏学生の救貧食でした。Re: パレルモだあ!
しにあさん、カキコありがとうございます!
パレルモ、確かに似たようなキリスト教系モザイク画、ございましたね。向こうのほうが綺羅びやかだったような気がします。パレルモはイスラム教がキリスト教徒をわりと優遇していたし、イスラム教徒を重用すること多かったみたいだし、一時期は共存共栄してたんですよね。
イスタンブールではたぶん、そこまで仲良くはなかったのでは?だって、征服されちゃったキリスト教側としては、憤懣やり方なし、当時のコンスタンティノープル陥落が西欧社会に与えた衝撃たるや!!でも、イスラム教が支配してた時代でも、ヴェネツィアやジェノバの商人たち専用地区、残してて、通商、貿易は盛んだったんですもんね。
いつも思うんですが、やっぱり排他性でカトリックにまさるものはないのでは!?イスラム教は征服しても、人頭税とか徴収するけど、他の面てはわりと寛大な扱いだったり、キリスト教側は弾圧の仕方が半端ない!同じキリスト教徒、身内同士の争いも多い、魔女狩りなんてその最たる例。間違ってたらごめんなさい、けど、そーゆー風に思い込んでいます(笑)
あ、話が何処に向かっているのか?(*_*;
トルコ人とゆー人種はいませんね。アラブ、クルド、アナトリア、色んな人種が混ぜこぜがトルコ人。
しにあさんちに居着いてしまったにゃん♪ちもトルコ産にゃんかも?
ケバブはイタリアではよく食べてました(笑)トルコ飯、私には合ってたみたい。で、また行きたい♪2024年12月01日18時05分 返信する -
エディルネ
kummingさん おはようございます。
エディルネなんて初めて聞きました。女性一人旅なのに知らない街を歩いてみたい、と言う冒険心には感服します。
ちょうどネットのポットキャストでケマル アタチュルクのことを聞き終わったところです。オスマントルコからトルコ共和国に生まれ変わるときの、建国の父の功績を学びました。これを聴いてからトルコに行くべきでした。
トルコはすべてが楽しく面白く、食べ物の種類も多く、おいしい。行くならまずトルコと言うほどですね。
モスクのことが書いてありましたが、写真ではよく解らなかったのですが、つまり
改修中で写真の幕をはってあって、張りぼてだったのですか?入場料はどうだったのですか?張りぼて分は割引だったとか?
トルコは親日の国ですね、エルトゥールル号遭難事件のことで未だに恩に着て、日本に感謝しているということですね。日本人は何人の人が知っているか疑問です。
行きたい国は?と言われたら、トルコと、いえ、エジプトと答えるでしょう(笑)。
私はトルコの土産にコーランの本を買いました。読めませんが、雰囲気だけでも味わいたいと思いました。kummingさんの情報をもとにコーランの意味をかみしめます(笑)。
pedaruRe: エディルネ
師匠、こんばんは、カキコありがとうございます♪
アタクチュル、建国の父って事で、名前だけは存じあげておりますが、なにしろ近代史には疎くってm(._.)m 私のばやい、オスマン帝国以前→オスマン帝国時代、に照準があっているみたいです。
だいぶ前になりますが、師匠のトルコ旅ブログを拝見した時、知らない国をバスで自在に旅していらした師匠に羨望のまなこ♪ その頃から憧れていたトルコをバスで!旅する、 まさかこんな日が来ようとは? 私の今日あるのも師匠の温かいご声援⁈とお導きあればこそ、でございます^ ^
いつもなんですが、ある所に興味もって、行きたいな~、と1番思っている時→実際に訪れるのは、5、7年後になるので、その頃は興味の対象が変わっていたり、なぜそこに憧れていたのか? けっこう忘れてしまっていたり(-。-; なので、毎度頭と心を逆戻りさせて、その頃の思い、熱意を思い出すのに時間がかかる、という怪現象(笑)
思い出してみると、地中海世界やキリスト教圏とイスラム教圏の興亡、興味は尽きない感じです。
セリミエ・ジャーミイは、トルコで一見たかったモスクでした。修復中らしい、と薄々知ってはいたものの、「そこに入れないのにエデイルネ来る人はいないやろ!」と、自分を騙しつつ参りましたが、やはり修復中で、中はハリボテ状態でしたT_Tモスクはフツー、無料で、アヤソフィアだけが例外的にぼったくり料金取られます(エルドレアンが決めた改悪政策)
エルトウール号遭難事件は、無知な私でも知っていますが、今の若い子たちにまで語り伝えないと!な、話ですね。
トルコ旅シリーズ、まだまだ続きます(-。-; また遊びにいらしてくださいね^o^2024年11月28日18時46分 返信する -
ブルサ、エディルネにも行かれたのでしょうか?
またまたお邪魔します。
私はイスラーム好き、イスタンブル好きなので、ついつい書き込んでしまいます。
スレイマニエ・ジャミィ、いいですよね。スレイマンとヒュッレムのお墓は見られましたか?リュステムパシャ・ジャミィというとドラマのあの悪役顔おじさんが即座に思い浮かびます。
なんだか寒そうに見えますが、気候はいかがだったのでしょう。私はいつも3月に行きましたが、大雪だの寒波だのととにかく寒かったです。ブルサは山麓なので更に寒いところでしたが温泉に入ってきました。その時はあのドラマのシーズン1がトルコでちょうど放送中でした。また行きたいです。ムスタファ皇子の墓がありますしね。Re: ブルサ、エディルネにも行かれたのでしょうか?
Puella Apuliae さん、ついついカキコ、大歓迎^o^ どんどん書き込んでくださいまし~
スレイマニ・ジャーミイ、たどり着くのに手間取って、スレイマンとヒュッレムのお墓⁈ すっかり忘却(;o;) こうゆー事、よくあるのがわたくし、気長に?お付き合いくださいね。
ドラマのオスマン帝国外伝は、TV放送では観ていなくて、コロナ禍で暇持て余してた頃、サブスクでまとめて観まして、ただ1シーズンだけ、なので、ホントは何シーズンもあるんですよね?
スレイマン、ヒュッレムのみならず、リュステム・パシャもミフリマーも、みんなあのドラマの俳優さんの「顔」がそのままイメージとして定着しています(笑)
この後、エデイルネ→ブルサ、参ります。ブルサではもちろん、ムスタファ皇子の霊廟を真っ先に訪れ、詣でて参りました♪ ただし、閉館時刻ギリギリに着いたので、駆けずりまわったのが、心残り(-。-; 後日再訪すれば良かったかな~
やたら写真が多くて、ブログ用に減らす作業で手こずっています。まだまだ、10個くらい残っています、「忍」の一字でお付き合い頂けたら幸い♪
カキコ、嬉しゅうございます^ ^2024年11月21日18時14分 返信する -
八角形の、21日(木)テレビでやります!
ホントーにお久しぶりです。
今、どちらにいるのかな?
もし海外だったら、このコメントは無駄になっちゃうけど、
とにかくお知らせします!
実は以前に偶然、私は見たことがあります。
だからこれは再放送かな?
リポーターは佐々木蔵之介だったから、間違いないと思う。
明日21日木曜日NHKBS午後八時「世界熱中ひとり旅」、
あの八角形の中で、チェロとバイオリンの演奏がありました!
もし私が見たものだったら、そういう内容だった。
コメントだけだと心配だけど、見てねヽ(^。^)ノ
前日光Re: 八角形の、21日(木)テレビでやります!
前日光さんほんとにホントに、お久しゅう♪
覚えていてくださって嬉しいです^o^
お知らせも、ありがとうございます。たぶんその番組、見ています、2回ほど⁈初回は気付くの遅くて、初めの部分見逃し、 再放送はちゃんと♪ 確か、しにあさんにはお知らせしたような記憶が?
前日光さんも、私らのしつこいFDll話を何度も聞かされ(←読まされ)たので、少し関心もたれたのかな? いつでも歓迎♪
FDllファンクラブ入会^o^
お待ちしております~
注)愛好会の筆頭会長はもちろん、しにあさん、わたくしは下っ端の使いっ走り。
またときどきは一緒に遊びたいな(掲示板に言いたい放題書きまくる!)♪
カキコ、ありがとうございます^ ^2024年11月20日14時24分 返信するRe: 八角形の、21日(木)テレビでやります!
ほんとにホントにお久しゅう♪
覚えていてくださって嬉しいです^o^
お知らせ頂いた番組、たぶん2回ほど、見ています。1度目は気付くの遅くてはじめのところを見逃し、2度目は再放送、ちゃんと♪ その時確か、しにあさんにもお知らせしたような記憶があります。
私らのしつこいFDll話を何度も繰り返して聞かされた(読まされた)ので、前日光さんも少しはFDllへの関心が芽生えたのかな? いつでも大歓迎、FDllファンクラブ入会♪
お待ちしております~
注)FDll愛好会筆頭会長はもちろんあの方、わたくしは
下っ端の使いっ走りでございますが。
またときどきは一緒に遊びたい(←掲示板に言いたい放題書き散らかす!)な♪
カキコ、ありがとうございます^ ^2024年11月20日14時34分 返信する -
海戦3部作
kummingさん
こんばんは。
あの「コンスタンティノープルの陥落」タイトル名をkummingさんが
お忘れとは思えず、でもコメントを残そうかと思いましたら
ちゃんと書かれていました。
「 」この空白はもしかしたらワナ?おとり?だった。
私の最初のトルコ旅はツアーでした。
その時の日本語がバリバリ堪能なガイドさん、この本のことは当然
ご存知で、あれは陥落ではなくて「奪還」とするべきですね、と主張。
確かにトルコ側から見たら奪還という言葉が当たっているのかも、
と思いました。
彼には持参していた文庫本をプレゼントしてお別れ。
メフメト2世のカリスマ性には私も惹かれました。
陥落後、旧市街に入城していった時の、あの門をわざわざ見に行ったほどだから。
ダンドロ総督のお墓も見つけられたんですね。
一番見たかったポイントが彼のお墓、、、
やはり海の3部作のどれかに登場されていましたね。
もしかしたらレパントの海戦?
続きの旅も楽しみにお待ちしてます。
mistralRe: 海戦3部作
mistralさん、お久でございます♪
ご訪問&カキコ、とっても嬉しゅうござい^o^
今でも覚えています、mistralさんのヴログでアヤソフィアのモザイク画を初めて見た時のこと。あと、歴史的背景もよくご存知で、印象に残っています。
本を読んで知ったことで、そこへ行きたくなる事も多いんですが、4trのみなさまのブログの影響で行ってみたくなることもあります。
mistralさんやpedaru 師匠、他にも色んな方の影響受けての今の私。これからもよろしくお願いいたします♪
3部作ですが、ずいぶん昔に読んだので、かなり記憶があやしい(-。-; メフメトに「やられる」きっかけになったセリフも正確に思い出せず、本の題名も⁈ 何日かパラパラめくり読みして探したのに、見つけられずに無念の「 」となりにけり。公開質問にさっそく回答頂き、そのページも見つかり、ホッと安堵(笑)
記憶力もあやしい上に、記憶の上塗り保存で、以前の記憶が消えてゆく~(;o;)年々、日に日に、刻々と、身体頭脳の劣化が甚だしく感じられる昨今、いつまで1人旅できるのかしらん(-。-;
続編だらだら続く予定にて、適度にお付き合いくださいね♪
2024年11月17日00時05分 返信する



