kummingさんへのコメント一覧全525件
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充実のウルグベク
kummingさん
こんなに丁寧にウルグベクのことをほめたたえて下すってありがたうござります。
って、わたしゃウルグベクのママか^^?
唐辛子婆Re: 充実のウルグベク
唐辛子婆さんさま、最近寂しい我が掲示板へようこそおいでまし~m(._.)m
ウルグベグまま、なんとも良い響き♪
あちこちで贔屓を見つけてはのめり込むタイプのわたくし、ウズベクでもやっと「推し♪」に出会えまして、一件落着ww
世界中に「推し」がいれば、それだけで人生が豊かになりそーですよね^o^
事前申告になりますが、次回ウズベク旅最終回にて、また「唐辛子婆さんさま」登場しますm(._.)m←連呼、はナシ、
テイムールさんとウルグベグさんがあまりにも似ていらして、どっち? となった肖像画、テイムール博物館での出来事、それが唐辛子婆さんさまとのご縁の始まりでございました。
それにしても、自分が婆さんなのに唐辛子婆さん、と呼ぶのはどうなんだ⁈ と毎度自問しております。
カキコ嬉しゅうございました♪2025年12月09日23時33分 返信するRe: 充実のウルグベク
kummingさん
>次回ウズベク旅最終回にて、また「唐辛子婆さんさま」登場します
わあ、ワクワク。ところで「さま」は要りませぬ。
>自分が婆さんなのに唐辛子婆さん、と呼ぶのはどうなんだ⁈
来年2月には喜寿やで!私の勝ちや^^。
唐辛子婆2025年12月09日23時49分 返信するRe: 充実のウルグベク
ま、負けたっ⁈
てか、来年古希やでー、そうは変わらんのやないか?←心の声
海外滞在歴、旅キャリア、実人生、全てにおいて先輩やのに、「さま」敬称略していいんかな(-。-;
2025年12月10日19時14分 返信する -
AIさまに知られてしまった私?
kummingさん
何度も唐辛子婆さまと連呼されてこっぱずかしや^^
AIさまにまで知られていたなんて知らんかったわん。
でも嬉しいです。
唐辛子婆RE: AIさまに知られてしまった私?
そうですね、今や有名人(笑)
> 何度も唐辛子婆さまと連呼されてこっぱずかしや^^
すみません、勝手にお名前拝借、しかも、連呼!?
このような無断借用→事後承諾は、常套手段でございますm(_ _)m
今後も覚悟のほどを、よろしくですー
> AIさまにまで知られていたなんて知らんかったわん。
Chat GPTはガセ情報も多いですが、ティムールさんと孫のウルグベグさんの絵、似てますよね?何処かに展示されてた肖像画の見分けがつかず、質問したら、唐辛子婆さんさまのタシケントのティムール博物館のブログに誘導されました。
> でも嬉しいです。
ご迷惑ではなかったかな(←連呼し過ぎは?)、と、反省しております、が、有名税と思ってください!?
2025年11月15日22時54分 返信する -
忘れないうちに
kummingさん
こんばんは。
このところ忙しくて新着旅行記のチラ見もできないほどで、
以下の続きを書いておかなくちゃと思いつつ失礼いたしておりやした。
「A先生がソグド人調査のためにウィグル(かどっか)の博物館を訪れたら
ガラス張りの展示品になにかの契約書らしきものがあった。」
これはソグド語ではないか?
ほかの契約書と違って何か特別なもののやうに感じる。
時分はソグド語は読めないが一緒に来るはずだったのに来られなくなったB先生
には読める。それで書き写してB先生に見せようと思った。
ガラスが反射するし、まるきり知らない言語を書き写すのがこんなに困難だったなんて!
疲れてふと目をそらすと、どこまで書き写したかがわからなくなってしまうのである。
(漢字と仮名混じり文だったらなんとなくカタチが違うので区別がつきやすいでせうが)
もうもう何度も気が狂いそうになってガラスをたたき破って契約書を取り出したいという思いに耐えてなんとか写し終えた。(写メのできない時代だったんでせうね)
帰国してB先生に見せたらまさしくそれはソグド語の売買契約書だった。
しかも女奴隷の売買契約書!
翌年B先生と一緒にウィグルの博物館に行って、とても価値のあるものだから共同研究をしようと館員に告げたらものすごく驚かれた!
そしてその後の研究はNHKの膨大なシルクロード番組へと発展していったやうです。
亡びた民族の言語を読み書きできるまで研究する人が日本にいらしたということにも驚きましたし昨年、A先生がお亡くなりになったと聞いて唐辛子婆よりもお若いのにとショックを受けました。
唐辛子婆
2025年11月15日19時36分返信するRE: 忘れないうちに
> このところ忙しくて新着旅行記のチラ見もできないほどで、
> 以下の続きを書いておかなくちゃと思いつつ失礼いたしておりやした。
お忙しい中、わざわざおてまみ、お手数おかけしましてm(_ _)m
そういう経緯があったのですね!
唐辛子婆さんさまの掲示板のどこかにどなたかが、NHKのシルクロード番組について言及されておられましたね。アレってアーカイブとかで今でも視聴できるのでしょうか?NHKプラスで探してみよう!
今まで漫然と観ていた番組も、今みなおしてたら、もっと興味深いかも、ですよね。
自分は、博物館などで説明文も初めの方は読んでも、だんだんめんどーになり、残りは写メって帰国→帰国後翻訳機能使ってちゃんと読むと、あーこういう事だったんだ!と、後で理解が深まる事が多いです。もったいないけど、現地では時間と気力、脳力に限界あり(笑)
ご紹介のA先生などは、写メもできない時代に、コレは貴重だ!と読めない文字を粛々と書き写されたと!そういう熱意があるから、滅びた民族の文字を読み書きできるまでの研究を全うされたんですね。
なんだか分からない、読めないけれども、何か契約書のようなもの、他と違って何か特別なもののよう、と直感されたのも、それまでソグド人について調査されてきたからの勘、嗅覚でしょうか。
ガラスを叩き破って契約書を取り出したい!という思いが切々と伝わってきます。
私はアフラシャブの壁画を見て解説読むまでソグド人の事は知らず、そして、唐辛子婆さんさまのブログに出会わなかったら、すーっと通り過ぎていたはずで、ご縁に感謝♪
未だに理解不足で、説明文を丸々写し、小冊子の翻訳もてきとーに意訳交えて、ブログに載せてしまいましたが、消化不良(;O;)
唐辛子婆さんの絵画を鑑賞される視線にとても好感持ってしまいました。よく観ておられる!解釈も面白いです♪
なんか、話があちこち飛んでしまいましたが、1つ興味を持つと、極められるみたい?(←私は中途半端)
これからも楽しみに追っかけさせていただきます♪
「A先生がソグド人調査のためにウィグル(かどっか)の博物館を訪れたら
> ガラス張りの展示品になにかの契約書らしきものがあった。」
>
> これはソグド語ではないか?
> ほかの契約書と違って何か特別なもののやうに感じる。
>
> 時分はソグド語は読めないが一緒に来るはずだったのに来られなくなったB先生
> には読める。それで書き写してB先生に見せようと思った。
>
> ガラスが反射するし、まるきり知らない言語を書き写すのがこんなに困難だったなんて!
> 疲れてふと目をそらすと、どこまで書き写したかがわからなくなってしまうのである。
> (漢字と仮名混じり文だったらなんとなくカタチが違うので区別がつきやすいでせうが)
>
> もうもう何度も気が狂いそうになってガラスをたたき破って契約書を取り出したいという思いに耐えてなんとか写し終えた。(写メのできない時代だったんでせうね)
>
> 帰国してB先生に見せたらまさしくそれはソグド語の売買契約書だった。
> しかも女奴隷の売買契約書!
> 翌年B先生と一緒にウィグルの博物館に行って、とても価値のあるものだから共同研究をしようと館員に告げたらものすごく驚かれた!
>
> そしてその後の研究はNHKの膨大なシルクロード番組へと発展していったやうです。
>
> 亡びた民族の言語を読み書きできるまで研究する人が日本にいらしたということにも驚きましたし昨年、A先生がお亡くなりになったと聞いて唐辛子婆よりもお若いのにとショックを受けました。
>
> 唐辛子婆
>
>2025年11月15日22時41分 返信するRE: RE: 忘れないうちに
kummingさん
> 唐辛子婆さんさまの掲示板のどこかにどなたかが、NHKのシルクロード番組について言及
arfaさんですね。
詳しく教えてくださったおかげで私も堪能しました。
さて、以下で解説は最後になると思います。
王国というものが早くに崩壊していたので憲法などによる縛りも保護もないため商売を続けるため契約という仕組みが発達していたと思われ。結婚の時にも男女とも契約書を取り交わしていたやうです。
「その契約書は女奴隷を売買するものだった。
当時、戦争や親や夫の借金のカタに婦女子が売り飛ばされるのは日常茶飯事だった。
その契約書には「この奴隷には付随する借金の他には別の権利書(?)などはない。この者には暴力をふるうなり何をやってもいい。」と書かれていた。
つまり言語を話す家畜のやうな存在です。
サマルカンドには奴隷用の学校があり読み書きそろばんはもちろんのこと買主の要求に従って武道、舞踏、サーカス、楽器などがキビシク教え込まれ、唐の都に送り込まれた。」
舞姫などは唐の金持ちの妾になって裕福に暮らしたり、買い主の息子よりも出来が良いと見込まれて優遇され貯金で自分の奴隷の地位を買い取り自由の身になったものもいたやうです。が、多分、ほとんどが召使のままだったのでは。
うろ覚えのまま参考になる本を図書館に返却してしまったので、これにて。
おつきあい下すってありがたうございました。
唐辛子婆
2025年11月16日20時39分 返信するRE: RE: RE: 忘れないうちに
唐辛子婆さんさま、
何度も丁寧に解説して頂き、ありがとうございます。
滅びてしまったというソグド人の国のありようについての詳しい情報、しかと拝見。
その、尊敬されているA先生がこれは他のとは違う貴重な契約書では?と閃かれてからの写し取り→解読された内容ですね。
法律的な制度がなかった代わりに契約という仕組みが必要だったと。
何やら奴隷のような奴婢のような待遇だった売り飛ばされた婦女子の話は、朝鮮が中国へ貢いでいた貢女、という制度とその状況下での女性たちを彷彿とさせるものですね。(←韓ドラにハマって朝鮮や中国史をかじってる影響)
私事ですが、晩年ローマ帝国に始まり、地中海世界、イスラム圏、中東、ユーラシア大陸と興味の対象が移っていく中で、現在自分でも行けるかな?かつ円安が影響しなさそうな処を狙って旅を目論んでいます。ウズベキスタンもその流れの中にあったのですが、サマルカンドに着くまで、シルクロード的な要素をあまり感じられず、気落ちしていたタイミングで、唐辛子婆さんさまやこの後行ったウルグ・ベグ天文台の博物館などで、シルクロードで活躍していたソグド人の話や、サマルカンドーイスタンブールーカイロ、サマルカンドー中国ー朝鮮、などの文化的交流の足跡を確認できて、救われましたww
いつか行きたい中東は、政情不安で渡航困難な国が多いので、今は今後行ける処を模索しているところかな?
こちらこそ、興味そそられるお話を教えて頂き感謝!です。
それから、実際に目の前にしても、自分に知見や好奇心がないと、大事なもの、ことに気付かずに、見逃しているんだなー、と痛感させられました。
お忙しい中、ほんとうにありがとうございました♪
> 王国というものが早くに崩壊していたので憲法などによる縛りも保護もないため商売を続けるため契約という仕組みが発達していたと思われ。結婚の時にも男女とも契約書を取り交わしていたやうです。
>
> 「その契約書は女奴隷を売買するものだった。
> 当時、戦争や親や夫の借金のカタに婦女子が売り飛ばされるのは日常茶飯事だった。
>
> その契約書には「この奴隷には付随する借金の他には別の権利書(?)などはない。この者には暴力をふるうなり何をやってもいい。」と書かれていた。
> つまり言語を話す家畜のやうな存在です。
>
> サマルカンドには奴隷用の学校があり読み書きそろばんはもちろんのこと買主の要求に従って武道、舞踏、サーカス、楽器などがキビシク教え込まれ、唐の都に送り込まれた。」
>
> 舞姫などは唐の金持ちの妾になって裕福に暮らしたり、買い主の息子よりも出来が良いと見込まれて優遇され貯金で自分の奴隷の地位を買い取り自由の身になったものもいたやうです。が、多分、ほとんどが召使のままだったのでは。
>
> うろ覚えのまま参考になる本を図書館に返却してしまったので、これにて。
>
> おつきあい下すってありがたうございました。
>
> 唐辛子婆
>2025年11月16日22時40分 返信する -
サービスショットありがとう♪
kummingさん
クサポンです
ビールとワインのコラボ情報ありがとうございます!
旅には欠かせないアイテム。大切な情報よ♪
次の旅行記で、お偉いさんのお墓参りされたのかしら(笑)
再来年くらい本気で行くわ!
ビールあるしね(^_−)−☆ -
お酒
一点にしぼってコメント。アルコールですが、ここは特別なお店ですか。
それとも街中OKなのでしょうか。
フランスにいたころ、最初のころ、80年代くらいまで、アラブ人さんはかなりアルコールにゆるやかだった記憶があります。
ブザンソンで学生やっていたころは、トルコ人の友達がおおっぴらに飲んでいました。「おれはわるいイスラムだ。だから飲む」とか言っていました。
その後パリでも、うちの息子をかわいがってくれたモロッコ人のおっさんは、小さなスーパーのオーナーでしたが、ワイン、ビールなんでも売っていました。
それがどーも90年代になると、なんとなくこういう自由な(だらけた)雰囲気がなくなってきたような。
イスラム原理主義が高まってきたころと一致するような感じです。
そういえば、写真には黒づくめの女性はいないみたいですね。
もっとも女性の姿そのものが少ないけれど。
Re: お酒
しにあさん、毎度カキコありがとうございますm(._.)m
結論から言いますと、ウズベクでは、レストランでも街中のliquor shopでも、大らかにお酒販売されているかと。みなさん大っぴらにビール、ワイン、飲んでいらっしゃいました。
同じイスラム圏でも、近年訪れた国々、モロッコ、トルコ、インド(←ヒンドゥ教国ですが)、多少の程度の差はありますが、アルコール全面解禁ではなくて、一部のスーパー(国によっては外資系に限る、とか)、一部レストランでは飲める、部屋飲みO.K.など。この中で1番入手困難だったのは、インド、ヒンドゥ教の聖地でしたね。それでもホテルで提供されてたり、探せばliquor shopありました。
タシケントで泊まる予定だったホテルは、アルコール館内持ち込み、部屋飲みNGという事もありました(←宿泊せず、部屋飲みN.G.だから、ではなく)。
飲まない私には、どーでもよいww案件ですが、旅にアルコールが欠かせない方々にとっては、重要テーマでしょうね。
ウズベク旅、フライト抑える時点では地獄の門に行くつもりだったので、それを端折ったら、日程が余りにあまり、何もしないDayが3日ほど(笑)加えて、移動が簡単で隙間時間もいっぱいできて、こーゆー、アップしなくても⁈なブログが増えてしまいm(._.)m
次からやっとサマルカンド編に行きます♪ この先も、たらたら長くなりますが、おヒマな時に覗いてやってくだしゃんせ^o^
2025年11月07日15時13分 返信する -
トイレの利用料金
くみさん こんにちは。
トイレの料金は入って、出たら
どこからともなく人(大人と限らん子供のこともある)が来て手を出すのよ。
フィーコRe: トイレの利用料金
フィーコさん、ようおこしやす♪
トイレ料金、いつも使用前に徴収されてた気がする、あ、1個前の民家のトイレは、出たら子供らがワラワラ寄って来たんやけど、おかーさんにドヤされてたわ!
ここはどっかで見張ってないと、分からんし、それか、鍵かかってたのかもね?
ところで、お孫さんの病気や同伴者で苦労された挙句、直近では膝半月板損傷ですか(*_*) わたしも先月お友だち(気のおけないお友)と一緒の釜山で誕生日、とうとう古希までのカウントダウンが始まってもうた(-。-;
椎間板ヘルニア2ヶ所もっとるのに、お医者さんが運動続けんと、筋力落ちるでー、と脅すもんで、今も週1~2回テニスとプール(合わせて3回ね)、通ってま♪
まわりのみんな、病自慢で、レーザー治療や再生医療、もみほぐし、筋膜剥がし、マッサージなどなど、がんばっとるんよ。
フィーコさん、12月のバンコク旅までに、元気になっておくんなましー^o^
端折っても良かったこのブログ(予定なくフラつく日)に、カキコありがとさん♪2025年11月04日22時21分 返信する -
古都ブハラにて
kummingさん
再びのコメントに参上しました。
「古都ブハラ、トルコのブルサのイメージを持って訪問」
とのコメントにちょっと刺激を受けました。
ブルサのイメージは緑豊かな古都、という感じでしたが、それに比べると
確かにブハラは整然としている感じですね。
ちょっと隠れたくなるような路地もないし、吹き溜まりなどもなさそう。
それでも綺麗な街並みには、それなりのコストもかかっていることと想像。
見栄えの良い街を好む今時の若者と、あちこちを歩き回ってきた成人女子の
感性のちがいがあるのでしょうね。
それでも夜分遅くに宿を訪ね歩いてくれたドライバーさん、お友達の家に泊まったかのようなアットホーム感一杯の宿のオーナーさん、日本人の男子旅行者たち、気立ての良さそうな人々に恵まれた旅と想像。
それというのもkummingさんのお人柄ゆえとおもいました。
mistral
Re: 古都ブハラにて
mistralさん、再度のおこし嬉しゅうございます♪ (←再々も再々サイも期待したいww)
で、仰せの通り、ブハラもかなり修復、整備されたもよう←2~3年前の他の方々の4虎ブログと比較しても明らか!そんな中、滞在後半に路地を見つけて、ホッと一息(笑)
特にヒヴァとブハラでは日本人遭遇率高くて、それもほぼ若者層だったのは、SNS世代中心に人気なのかな、と推測。ですが、今時の若者(わたくし基準で若い30~40代)は、とても親切、人当たり優しい方ばかりで、色々助けられました。
Yandexのドライバーさんも無口な方含めて、みなさん好印象でしたし、宿泊先のオーナーさん、スタッフさんも概ね親切♪ブハラで宿泊した、ここのオーナーさんは別格でした!
mistralさんご夫婦でレンタカーの旅♪ 羨ましい限りです。ビクトリア駅近くのオックスフォード行きのバス停、たぶんわたしも利用した処?と、懐かしく拝見しました♪
次のブログ冒頭に紹介予定ですが、ウズベクの配車アプリYandex、20回利用してもTotalで5000円未満でした(*_*)いつも公共交通機関利用で、ムダに時間、エネルギー消耗するので、今回この移動が楽ちんで助かりました。が、ジモテイとの絡みも捨てがたい!
今後は自分の年齢、身体、脳力、を鑑みて移動方法を選択したいと思います♪
ご訪問&カキコ、ありがとうございます^o^2025年10月24日16時00分 返信する -
こんばんは
ウズベキスタンに行かれていたのですね。私は16年前と昨年訪れましたが浦島太郎です。何せ16年前に写真をせがまれた少女が結婚して子供もいるんです。変わって当然です。16年前寂れた街並みが寧ろイチャン・カラより気に入ったデシャン・カラですが、鉄道がヒヴァ迄開通した為駅からイチャン・カラ迄大規模造成されて大通りになっている姿見て号泣しそうになりました。
ビザが無くなりインフラが整備され、滞在証明もオンライン化された事で事実上旅人自身の手続きも無くなり、極めつけはインスタ映えで訪れる旅人は増大し、私のフォロワーさんもウズベキスタンの旅を挙げる人が増えました。また、外部にリンクされたのか、私の昨年の中央アジアの旅行記が異常な閲覧数が出たりと注目されている旅先になったのでしょう。
インバウンドで相当儲かっているのでしょう。旅人はイチャン・カラのレストランに集まりますが,ローカルは駅前の高級レストランで食事をしています。16年前は見られなかった光景です。
侘び寂びを重んじるのは多分日本人だけです。ミャンマーでは仏様の後光は電飾のイルミネーションです。日本の様に廃れたままに侘び寂びを愛するのは不信心だと…涙
ブハラやサマルカンドも相当変わったと思います。昔は大手代理店のツアーでも、ブハラからヒヴァの移動中のトイレは青空トイレになります!なんて注意書きがあったのに変わるものです(笑)
時代が変われば人も変わります。遊牧民族として殆ど何も後世に残さなかったジンギス・ハーンのフォロワーが遠く離れたインドでタージ・マハルを作ってしまうのですから…。
インドの次はウズベキスタン!ちょいと驚くと共に幾ばくかの責任感を感じてしまいます。ブハラやサマルカンドも楽しみにしています。ちょっくら、思い残す事の無いようにリビアへ行って来るので、ちょいと開けます。Re: こんばんは
さっくんさん、final destination へ旅立たれる前に、コメントいただき光栄の至り♪
思い残すことのないように! まだ、残っていたんですね(笑)
いつも、ダマスカスだのアレッポ、トリポリだのと、私の心を波立たせる街への旅、羨ましく、指を加えて拝見しております。
「幾ばくかの責任感」は、とーゼン背負っていただかないとね⁈ ウズベク編の2個目の冒頭にSっくんさんとゆーイスラム贔屓の大先輩の多大なる影響を受けて、とちゃんと宣言しています。
そーなんです、ヒヴァもブハラも残念過ぎる変貌を遂げてしまったみたいで、インスタでウズベクに興味を持ったであろう(←あくまでも私見)若者たちが大挙して押し寄せていて、滞在中、ヒヴァだけで10組以上の日本人と会いました。私は飛行機でIn、Outでヒヴァ駅を利用したのですが、駅前の大通りには空いた口が塞がらないほどびつくりポン(°_°)
これからリヴィアですか?序章だけでも期待に胸が高まりましたが、帰国後のブログ、楽しみにしております♪
私には現実的にも、頭の中でも「イスラム圏を旅して記憶する旅」は難しいので、これからもさっくんさんの旅をなぞって、お勉強♪ ←試験は課さないでね^o^
では、いってらっしゃいませ~2025年10月22日21時08分 返信する -
ヒヴァ、初耳
ヒヴァははじめて聞きました。
母親と息子夫婦と思われたそうで、いいんじゃないですか。
一家だと入場料がお安くなるとか。
ここまで日本人旅行者が来ている。
ウリはイスラムの雰囲気ということですね。
あまりぱっとした目を引く遺跡みたいなのはないみたい。
王様の寵姫の皆様、コスプレらしいですが、座っているだけ?
頼むと並んで写真を撮らせてくれるのですね。
右端のやや太めの寵姫さん、片足靴ぬいじゃって、くつろいだ雰囲気。
左のおじさん、スマホに夢中ですが、この人が一座のマネージャーですか。
別のブログで、大官ふうのおじさんを中心にした一団の動画がありましたが、あれも観光用のコスプレですよね。
この国はこういうのが好きなんですね。
次はブハラ。名前は聞いたことある。
Re: ヒヴァ、初耳
しにあさん、毎度のカキコ、恐れ入りますm(._.)m
mistralさんのコメントへのお返事にこの時期(ヒヴァ~ブハラ)の心境を吐露、ブログでは自粛したつもりでしたが、そこはかとなく熱意の無さ(笑)が漂っているじゃーありませんか⁈
例えば、イタリアだったら、旧市街に歴史的建物、遺跡が集中していて、だからって新市街が真新しいわけでもなく、それなりの街の歴史を感じるのですが、ここヒヴァと次のブハラでは、城壁の中が歴史的建造物の集中地域、外は現実的な街、という構造なのに、その城壁内が「新築、改修、人工的、作り物感、満載」なうえ、城壁の外は幾分の経年劣化含む街並み(-。-;
この逆転現象は何⁇ おそらく、観光収入を次の観光振興策に注ぎ込んで、じゃんじゃん、新しく作り変えの真っ最中らしい(;o;)
出会う日本人も、ほぼ若者で、SNS中心に情報収集する世代にとっては「映えスポット」多い街として認識され、人気があるんだと思います。
コスプレも観光客向けパフォーマンスの一部ではないかと。
遺跡は、サマルカンドまで、一切出てこないので、期待されませんように!
映画のセット内を歩いてるだけで、かなり凹んでいましたが、ブハラの路地歩きで息を吹き返し、サマルカンドで蘇りますので、そこまで辛抱してのお付き合い、お願い申し上げm(._.)m
↑
いや、途中お付き合い頂けなくても大丈夫、サマルカンドでお会いしましょう(笑)2025年10月19日13時04分 返信する -
思い出ふつふつ
順番はこちらもいい加減になっています。
全部まとめてコメントと思ってください。行ったり来たりします。
タシュケント→Khiva →Bukhara →サマルカンドの日程ですね。
もう何十年も前、中央アジアにこったことがあります。何故だったか覚えていないのですが、こういう地名を眺めていて、地図で確認しました。
なんとこれは天山南路経由のシルクロードではありませんか。敦煌を出て天山山脈の南を抜けて、中央アジアに抜けるとタシュケントですよね。
漢帝国の時代に漢はこのあたりまで攻め込んだはず。
高校の世界史の教師が古代中国史に偏執狂的に熱心で、高仙芝だとかなんだとか、わけのわからん人名をおぼえさせられた記憶あり。
唐の時代には唐とイスラムがどんぱちやったのもこのあたりのはず。
仏教も盛んで、8世紀くらいですかね、玄奘三蔵さんも通ったんじゃないですか。その頃の面影は何か残っていませんでしたか?
写真を見る限り仏教のかけらも残っていませんね。
ここいらあたりは西域を抜け出して中央アジア、高校時代の血沸き熱踊る世界史の授業を思い出しました。受験に役立った記憶一切ありません。
あの頃は受験に関係ない授業に情熱を傾ける教師がいました。
でも、脳髄に染み込んだ古代中央アジア史が、少しづつ蘇りつつあります。
Re: 思い出ふつふつ
しにあさん、どのブログに関するコメントでも、どこでも受け付けO.K.です♪
実は今、釜山に来ていて、せっかくのカキコへのお返事は、2−3日後に、改めて書かせてもらいたくm(_ _)m
ということで、今日のところはお礼だけお伝えして、失礼つかまつります。
コメントありがとうございました♪2025年10月14日23時24分 返信するRe: 思い出ふつふつ
しにあさん、コメントありがとうございます♪
高校時代の熱血世界史教師、に擦り込まれた「古代中央アジア史の記憶」が今蘇る! 良かったです⁉︎
私は「熱血日本史教師」に「飛鳥~奈良」に特化した、血湧き肉踊る授業を受けての、今、時代限定日本史しか残っておらず(-。-; 中国史は宮城谷昌光氏の作品に沼って(←ハマって)いた時期があり、そこで得たものが唯一の手がかり。
そんな曖昧な記憶と、「世界の歴史シリーズ」読後の曖昧な知識←これも数年前、をつてに、いわゆるシルクロード界隈の旅、をちょこっとかじっている感じ。
しにあさんみたく大局観でブログ書けるわけではないので、こんなふうに大きな視点で見てもらえるとは!ありがたいコメントです♪
今後も「脳髄に染みこんだ古代中央アジア史」を蘇らせてのご意見、お待ちしております♪
返信する、に返信したら、最初に戻る?のだったかな(-。-;
2025年10月17日10時30分 返信する



