hiroさんのクチコミ(17ページ)全489件
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投稿日 2018年07月28日
総合評価:4.0
『百代橋』は、東武スカイツリーライン(東武伊勢崎線)「獨協大学前(草加松原)駅」東口から「県道403号線」を約350メートル(徒歩5分程度)先の交差点の「県道49号線」(足立越谷線)に沿って「草加松原遊歩道」(旧日光街道)に架かる和風の太鼓型歩道橋です。
この周辺は、江戸時代から「日光街道」および「奥州街道」の二番目の宿場町である「草加宿」として栄えており、松尾芭蕉の「おくのほそ道」の旅の第一日目にも記されています。
橋名は、松尾芭蕉の「おくのほそ道」の冒頭の句「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。」から引用された一般公募によるものです。
江戸時代より街道「草加宿」の北側部分が「草加松原」、「千本松原」などと呼ばれ松並木が名所となっていましたが、昭和の高度成長期による急激な都市化や自動車交通量の増大による道路舗装による根の切断や排気ガスなどにより、松並木の激減したことを機に松並木保存に向けた活動が高まり、松並木の保全を図り新しい都市空間を創出する歴史と自然を感じる歩道空間を形成する事業として「草加松原遊歩道」の整備が1985年(昭和60年)から本格的に行われ、埼玉シンボルロード整備事業の一環として1986年(昭和61年)に『百代橋』が完成しています。
常夜灯が設置されている木目調の高欄が特徴的な『百代橋』の規模は、長さ62.5メートル、幅が3.5メートルあり中央に自転車を押して歩けるスロープが設置されており、太鼓型の構造のため階段もゆるやかで幅も広くとても歩きやすい歩道橋です。
「草加松原遊歩道」は、南側の綾瀬川舟運の船着き場を再現して整備された「札場河岸公園」から、北側の「東京外環自動車道」手前までの約1.5キロメートルまで続いて整備されており、その遊歩道の途中に架かる『百代橋』は、江戸時代から「草加松原」、「千本松原」などと呼ばれた松並木の街道の雰囲気によく合う草加を代表するシンボルとして松並木と共に草加市のマンホールのデザインにも選ばれています。
ちなみに「草加松原遊歩道」には『百代橋』と同様の太鼓型歩道橋「矢立橋」が1994年(平成6年)に完成しています。
また、2004年(平成16年)に「奥州街道・草加の松並木のみち」が、日本ウオーキング協会により「美しい日本の歩きたくなるみち500選」に選定され、2014年(平成26年)には「おくのほそ道の風景地草加松原」が、綾瀬川に沿って線状に延びる並木道の風景は壮観であり、今なお「おくのほそ道」の時代の雰囲気を伝える一連の風致景観の一つとして評価され国指定名勝に登録されています。
『百代橋』の上から「草加松原遊歩道」松並木と遊歩道に沿って流れる「綾瀬川」を眺めていると、時の流れが止まったような気持ちになり、江戸時代に松尾芭蕉がこの街道を歩いている姿を想像してしてしまう雰囲気が味わえるお薦めの歩道橋です。
機会があれば、「草加松原遊歩道」の端から端までの約1.5キロメートルを『百代橋』、「矢立橋」を渡ることにより自動車道の横断歩道を利用せずに江戸時代の「おくのほそ道」の雰囲気を味わいながら遊歩道の各所に点在する石碑などを散策してみたいと思います!- 旅行時期
- 2018年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 獨協大学前(草加松原)駅東口から徒歩5分程度です。
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 太鼓型の構造のため階段もゆるやかです!
- 見ごたえ:
- 4.0
- 草加松原遊歩道・松並木の雰囲気によく合う和風の太鼓型歩道橋です!
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明治時代から大正時代に活躍した準鉄道記念物に指定されている機関車です!
投稿日 2018年07月22日
総合評価:4.0
『軽便鉄道機関車』は、「旧:日本国有鉄道(国鉄)」支社において日本の鉄道に関する地方的にみて歴史的文化価値が高く将来「鉄道記念物」になりうる事物等を指定して保存、継承するため制定された「準鉄道記念物」に『熱海軽便鉄道7号機関車』として1976年(昭和51年)に指定されています。
『熱海軽便鉄道』は、1907年(明治40年)から1923年(大正12年)に発生した「関東大震災」により軌道が寸断されて全線不通となるまでの16年間に渡り、「熱海」から「小田原」区間の約25キロメートルの14駅を所要時間2時間20分で運行していましたが、1924年(大正13年)に寸断された軌道復旧を断念して鉄道事業の幕を閉じています。
その後『軽便鉄道機関車』は、各地の鉄道建設工事に利用されたのち神戸市の国鉄鷹取工場内に標本車として展示されていたものを熱海市が払い下げをうけ修復して、ゆかり深い故郷へ貴重な交通記念物としてかえってきて「熱海駅」前に保存されています。
蒸気機関車による『熱海軽便鉄道』が開業する以前は、人力による人車軌道鉄道として「豆相(ずそう)人車鉄道」が1895年(明治28年)に「熱海」から「吉浜」区間で開業し、1896年(明治29年)に「熱海」から「小田原」区間が開業しています。
人車軌道による「熱海」から「小田原」区間の所要時間は約4時間で、急勾配の区間では乗客も降りて一緒になって押したいたそうです。
ちなみに「熱海」から「小田原」区間は、「豆相人車鉄道」以前の「駕籠」による所要時間が約6時間、現在の「東海道本線」で約25分、「新幹線」で約8分です。
家族旅行で17年程度前に「熱海駅」を利用して以来の久しぶりの「熱海駅」で、当時の記憶では『軽便鉄道機関車』の置かれていた場所が「熱海駅」改札を出て左手側にある足湯脇の植栽に囲まれてあったと思いますが、現在は「熱海駅」改札を出て右手側にある「平和通り名店街」と「仲見世名店街」入口付近の広場に置かれていて近くから細部を360度ぐるりと見ることがでるようになっています。
2014年(平成26年)に駅前広場の改修工事に伴い移設されたとのことでした。
『軽便鉄道機関車』の規格は、車両の長さが3.36メートル、高さが2.14メートル、幅が1.39メートルで、当時は40名から50名の客車を時速9.7キロメートルでけん引していたそうです。
昭和初期まで全国各地を走っていたSLなどと比較するととても小さく、遊園地にある小さな子供用の乗り物を連想させる微笑ましいサイズです。
『軽便鉄道機関車』を見ると熱海に到着したなと実感します・・・- 旅行時期
- 2018年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 熱海駅駅前広場にあります。
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 5.0
- 廻りに段差はありません。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 近くで細部まで360度ぐるりと見ることができます。
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投稿日 2018年07月16日
総合評価:4.5
『二天門』は、「浅草寺本堂」東側の「馬道通り」に面する側門(東門)で、1618年(元和4年)に当時の「浅草寺」境内に造営された「東照宮」(徳川家康を祀る神社)の「随身門」として建立したものと伝えられており、「豊岩間戸命(とよいわまどのみこと)」と「櫛岩間戸命(くしいわまどのみこと)」の二神を祀っていたとされています。
「随身門」とは、神社で外からの敵の侵入を防ぎその聖域を守るために門の左右にを「守護神像(随身像)」を安置された門の総称になります。
「浅草寺」は、長い歴史の中で幾度も被災と再建を繰り返していますが、1631年(寛永8年)および1642年(寛永19年)の二度にわたる火災で「浅草寺」境内の「東照宮」への参詣用に造られた「影向堂」前の石橋(国の重要美術品)を残して焼失したことにより「東照宮」は江戸城内の紅葉山に遷座されています。
「随身門」は、1649年(慶安2年)に「浅草寺」再建で境内の本堂他の諸堂と共に切妻造り本瓦葺きの朱塗り「三間一戸八脚門」様式による「浅草寺」側門(東門)として再建されたと伝えられています。
1884年(明治17年)の神仏分離によって「随身門」に安置されていた「随身像」は、「浅草神社」に遷座されて、鎌倉の「鶴岡八幡宮」から「帝釈天」に仕え、 八部衆を支配するとされる「四天王」(仏教の四人の守護神:東方を「持国天」、南方を「増長天」、西方を「広目天」、北方を「多聞天」)に数えられる「持国天」と「広目天」像が奉納され、太政大臣「三条実美(さんじょうさねとみ)」筆の「二天門」の額が掲げられたことにより、『二天門』と称されるようになっています。
その後『二天門』は、1923年(大正12年)の関東大震災、1945年(昭和20年)の東京大空襲にも倒壊、焼失することはありませんでしたが、「持国天」と「広目天」の「二天像」が1945年(昭和20年)に修理先で焼失しています。
現在『二天門』に安置されている「二天像」は、1957年(昭和32年)に上野「寛永寺厳有院」(四代将軍・徳川家綱霊廟)から譲り受けた「持国天」と「増長天」像になります。
また「浅草寺」境内に残る江戸時代初期の貴重な古建築として、1946年(昭和21年)に国の「重要文化財」に指定されています。
「浅草寺」といえば「雷門」から「仲見世通り」、「宝蔵門」を通り「本堂」を参拝する縦の通りと「伝法院通り」や「五重塔」の脇から西側の「浅草六区」方面への横の通りに人々の流れが集中して賑わいがあり、今まで「浅草寺本堂」の東側『二天門』方面を歩いたことがありませんでした。
今回は、『二天門』から「隅田川」沿いを散策しようと思い初めて『二天門』をくぐりました。
『二天門』は、2010年(平成22年)に改修工事が行わており創建当初姿を感じさせる鮮やかな朱色に塗られた立派な江戸時代初期の木造建造物です。
「浅草寺」の観光客が集まり人気のある主要な建物が戦後に復興した鉄筋コンクリート造による建造物の中、江戸時代初期の貴重な古建築である『二天門』の廻りには観光客がほとんどいない穴場スポットです!
浅草を訪れた際は、また立ち寄りたいと思います。- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 本堂の東側です。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 雷門と比較すると観光客は殆どいません。
- バリアフリー:
- 5.0
- 木製のスロープと手摺が設置されています。
- 見ごたえ:
- 4.5
- 江戸時代初期の木造建造物、国の重要文化財です。
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成田スカイアクセス線の利用でアクセス時間も短縮され便利に感じました!
投稿日 2018年07月15日
総合評価:4.0
1978年(昭和53年)に「新東京国際空港」として開港後、通称の「成田空港」として定着していましたが、2004年(平成16年)の民営化(特殊会社化)されたことに伴い正式に『成田国際空港』と改称されています。
『成田国際空港』には、6年前に「第2ターミナル」からの航空便を利用して以来久しぶりに「第1ターミナル」を訪れました。
また、「第1ターミナル」を訪れたのは今回で3回目となりおよそ22年ぶりでした。
今回は、旅行から帰国する家族を出迎えするのが目的で「第1ターミナル」まで、「日暮里駅」からおよそ32年ぶりに「京成スカイライナー」を利用しました。
以前は都心から『成田国際空港』まで少し距離があり不便なイメージでしたが、2010年(平成22年)に開業の「京成成田空港線(愛称:成田スカイアクセス線)」ルートによる「京成スカイライナー」を今回初めて乗車することにより、「日暮里駅」から「成田空港駅」区間の乗車時間が約40分と短く、ほぼ直線運行で揺れも少ない上に運行本数も多いので『成田国際空港』が便利に感じるようにイメージが変わりました。
『成田国際空港』には、久しぶりのほぼ初心者状態であったために帰国する家族を出迎えする前に「展望デッキ」や「ショッピングエリア」などの施設を見て廻ろうと思い少し早めに「第1ターミナル」に到着しましたが、家族が乗っている航空便の予定到着時刻が大幅に早くなっていることを掲示板で知り、「ショッピングエリア」をゆっくりと見て廻ることができませんでした。
本来であれば、「ショッピングエリア」にある外国人観光客向けのお土産品など日本の物らしい品を探して海外にいる知人の「バースデープレゼント」にしようと考えていましたが、時間の余裕もなくなり購入することができず残念でした
『成田国際空港』へのアクセスも「成田スカイアクセス線」で良くなっているので、航空便利用の有無に関わらず、また遊びに行きたいと思います。- 旅行時期
- 2018年05月
- アクセス:
- 4.0
- 成田スカイアクセス線の利用でアクセス時間も短縮され便利に感じました!
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 施設の充実度:
- 4.0
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色々な角度からダイナミックな絶景を楽しめるお勧めする観光スポットです!
投稿日 2018年07月08日
総合評価:4.5
『国賀海岸』は、日本海に浮かぶ隠岐諸島の有人島・4島の中で2番目に大きい西ノ島(西ノ島町)の北西部に位置する全長約7キロメートルに渡る隠岐諸島を代表するダイナミックな自然景勝地です。
この大自然の造形美は、日本海の強い風と荒波により630万年前から530万年前の火山活動でによって作られた岩石が浸食されて垂直な崖となった「海食崖」、その崖のもろい部分が浸食されて洞窟となった「海食洞」、さらに浸食が進み様々な形となった「奇岩」が数多く連続して見られます。
1938年(昭和13年)には国指定文化財として「名勝および天然記念物」に『国賀海岸』が指定されています。
また、隠岐諸島が「大山隠岐国立公園」として1963年(昭和38年)に追加指定され特別保護地区として保護されています。
2013年(平成25年)には「隠岐ユネスコ世界ジオパーク」として隠岐諸島が認定されています。
以前に『国賀海岸』の「摩天崖(まてんがい)」(海面から垂直にそそり立つ高さ257メートルの崖)の上から『国賀海岸』の景色をを堪能したことがありましたが、今回は天候もよく波も穏やかであるとの予報であったため、隠岐諸島で3番目に大きい中ノ島(海士町)「菱浦港」から20名程度で遊覧船をチャーターして海上からの『国賀海岸』観光を計画しました。
通常「国賀めぐり定期観光船」を利用し海上から観光する場合は、西ノ島(西ノ島町)の「浦郷港」または「別府港」から4月から10月までの期間限定で運行されています。
チャーターした遊覧船に乗船し中ノ島(海士町)「菱浦港」を出港して隠岐諸島の島前・3島(西ノ島、中ノ島、知夫里島)で囲まれている穏やかな内海を進み、西ノ島のほぼ中央南側(内海)と北側(外海・日本海)を結ぶ「船引運河」を抜けて西側に続く目的地の『国賀海岸』へと向かいました。
まずは、豆腐岩・亀島・鬼ヶ城・かぶと岩・金棒岩などの名前が付けられた奇岩を観光船から眺め、海面から垂直にそそり立つ高さ257メートルの「摩天崖」と名前が付けられた断崖絶壁をまじかで見上げると圧倒されます。
「摩天崖」の先には、アーチ状の岩の架け橋「通天橋(つうてんきょう)」と名前が付けられた『国賀海岸』の代表的なビュースポットを観光船から眺めながら、「国賀神社」(小さな祠)のある国賀浜に立ち寄り休憩を兼ねて観光船から一度降りて、「摩天崖」まで通じている全長約2.3キロメートル、高低差約250メートルに及ぶ「摩天崖遊歩道」(草原地帯)の国賀浜周辺だけでしたが、散策しながら「通天橋」や天上界・観音岩と名前が付けられた奇岩のビュースポットを地上からも眺めて楽しめました。
時間の都合で「摩天崖」まで(上りの所要時間は徒歩約60分)散策することはできませんでしたが、「摩天崖」草原地帯には野生の馬と放牧されている隠岐牛に出会えます。
尚、「摩天崖遊歩道」は、読売新聞(大阪本社)発刊50周年の記念事業して2002年(平成14年)に市民参加による投票と選考委員会によって「遊歩百選」に選定されています。
しばし『国賀海岸』のビュースポットを地上から堪能し、再び国賀浜から観光船に乗船し、西ノ島・西側の知夫里島との間から島前・3島の内海に入り中ノ島「菱浦港」に戻りました。
『国賀海岸』には、海上が穏やかなときに限り観光船に乗船したまま洞窟探検を楽しめるポイントがありますが、今回は予報と異なり島前の穏やかな内海を抜けると外海はうねりがあり洞窟の中に入ることができませんでした。
また機会があれば、『国賀海岸』を代表するエメラルドグリーンの海の色が美しい「乙姫御殿」、洞窟を出ると滝が見えるかのような「滝見の岩屋」、イタリアの青の洞窟に優るとも劣らないといわれる「明暗の岩屋」と名前が付けられた洞窟探検も経験してみたいと思います。
『国賀海岸』は、海上や陸上の色々な角度からダイナミックな絶景を楽しめる隠岐諸島を訪れた際にお勧めする観光スポットのひとつです!- 旅行時期
- 2017年08月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.5
- 海上や陸上の色々な角度から観光できます!
- 景観:
- 5.0
- 隠岐諸島を代表するダイナミックな自然景勝地です!
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.0
-
投稿日 2018年06月30日
総合評価:4.0
『廉(れん)』は、「熱海駅」から徒歩15分程度(約1.2キロメートル)、「熱海サンビーチ(お宮の松)」から徒歩7分程度(約550メートル)の「熱海銀座通り」と「糸川遊歩道」に挟まれた通りにある「鮨割烹」のお店です。
熱海市を訪れた目的が「熱海芸妓見番歌舞練場(通称:芸妓見番、略称:見番)」で行われた「熱海をどり」を観るためで、「熱海をどり」の開場までの時間を利用して市内散策をしながらランチで立ち寄りました。
過去に熱海で宿泊したこともありますが、「熱海駅」からバスなどを利用して宿泊先まで直接行き来をしていたために熱海市内を散策したことがなく、先ずは観光協会案内所でもらった観光ガイドマップに載っている食事処の中で”朝獲れの新鮮な地魚を使用した海鮮料理が自慢”の記載と共に海鮮料理の写真が目に留まり昼食のお店を『廉』に決めました。
外観は、「鮨割烹」のお店なので和風の固いイメージを想像していましたが、間口が1.5間弱程度(2.5メートル程度)と狭く看板が和風スナックを連想させるような雰囲気でした。
店内に入ると直ぐにテーブル席があり、奥にカウンター席とお座敷(敷居なし)が配置された奥行きのある造りで座席が全部で30席弱程度とこじんまりとしていますが、落ち着きのある洒落た感じの店内です。
メニューは、握り鮨の他にランチ限定による数種類の海鮮丼や会席料理があり、お酒も日本酒・焼酎・ビール・ウイスキー・ワインなど各種・種類も豊富です。
今回は、伊豆近海で水揚げされた鮮魚を乗せた「伊豆漁師丼」が気になり注文しました。
「伊豆漁師丼」は、”マグロ・生桜エビ・しらす”の丼でとても美味しかったです!
ランチ限定による海鮮丼も色々種類があるので、機会があれば今回と違う海鮮丼も食べてみたいです。
また、お酒の種類も豊富なのでお酒を飲みながらディナーも楽しんでみたいと思いました・・・- 旅行時期
- 2018年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 一人当たり予算
- 2,000円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 3.0
- 熱海駅から徒歩15分程度です。
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- サービス:
- 4.0
- 雰囲気:
- 4.5
- 料理・味:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.5
- 店舗は1階で階段なしです。
- 観光客向け度:
- 4.5
-
本堂、五重塔や東京スカイツリーをバックに様々な角度から写真撮影できます!
投稿日 2018年06月23日
総合評価:4.5
『宝蔵門』は、東京都内最古の寺院と伝わる創建が628年(推古天皇36年)の「浅草寺」(山号:金龍山)総門「雷門 (風雷神門)」から参道「仲見世通り」を本堂に向かい約250メートルほど進んだ場所にある山門の総称です。
『宝蔵門』の建立は、942年(天慶5年)とされ「仁王像」が安置されていることから現在の山門となるまで『仁王門』と呼ばれています。
当初の『仁王門』が建立されてから幾度かの焼失と再建が繰り返されており、1649年(慶安2年)に徳川3代将軍「徳川家光」により再建された『仁王門』が、江戸時代の庶民に開かれた寺院として多くの参拝者を「浅草寺」本堂へと向かい入れて賑わっていたそうです。
また、元旦、2月15日(涅槃会)、4月8日(仏生会)、7月15日・16日(盂蘭盆会)、春秋の彼岸中日の7日間に限り江戸庶民が『仁王門』の楼上に登ることが許され、江戸の街並みの眺望を楼上から楽しむことができたそうです。
現在の『宝蔵門』は、「徳川家光」により再建された『仁王門』が1923年(大正12年)の「関東大震災」でも倒壊することはありませんでしたが、1945年(昭和20年)の「東京大空襲」により焼失したため、1964年(昭和39年)に鉄筋コンクリート造、高さ21.7メートルの入母屋本瓦葺き屋根・和様三手先五間三扉重層門として再建されたものです。
門の上層部分が文化財の収蔵庫となっており、国指定重要文化財の経典「元版一切経」、寺宝などを収蔵していることから名称を『仁王門』から『宝蔵門』と改称れています。
2007年(平成19年)には、『宝蔵門』外部改修工事により屋根の本瓦が軽量で耐久性の高いチタン瓦への葺き替えが全国で初めて採用されています。
チタン瓦は、伝統的な本瓦葺きと比較しても落ち着いた重厚感が伝わり寺社建築に全く違和感を感じることはなく、その後に「浅草寺」本堂・五重塔・雷門の改修工事や全国各地で多くの寺社建築改修工事などで採用されるようになっています。
「浅草寺」では、「江戸開府四百年」となる2015年(平成27年)から記念事業の一環として夜間ライトアップが実施されており、今回は初めて昼間の人で賑わっている「浅草寺」と夜間のひっそりとしている「浅草寺」境内を見て廻ることができました。
昼間と夜間の「浅草寺」境内は、全く雰囲気が異なり楽しかったです!
「浅草寺」といえば、山門である『宝蔵門』よりも「雷門」(総門)の方が知名度が高いですが、建物の大きさは『宝蔵門』の方が大きく建物の廻りを一周することができて、様々な角度から「本堂」、「五重塔」や「東京スカイツリー」をバックに入れて写真撮影をすることができます。
昼間とライトアップされた夜間の『宝蔵門』を中心に写真撮影をするためにまた訪れてみたいと感じることができるので、写真撮影が好きな方にお薦めします!- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 昼間は、浅草寺参拝客で大変賑わいます!
- バリアフリー:
- 5.0
- 建物廻りは御影石で舗装されています!
- 見ごたえ:
- 4.5
- 建物は雷門よりも大きく様々な角度からの写真撮影で楽しめます!
-
レトロな小江戸の雰囲気を楽しむことができるショッピングゾーンです!
投稿日 2018年06月16日
総合評価:4.0
『甲州夢小路』は、「甲府駅北口」から東側へ約200メートル(徒歩3分程度)の「JR中央本線」線路沿いの敷地に「甲府駅北口再開発」(甲府市中心市街地活性化基本計画)により江戸時代から昭和初期の古き良き甲府の街並みを再現し、2013年(平成25年)にオープンした商業施設です。
また、街の活性化を意識した文化的な側面と芸術展示の近代を表現した装飾棟と美術館および物販店の蔵造り・古民家・倉庫などの建築に緑や水辺(水路)を積極的に取り入れ、訪れた人々の動線など細部まで考えられた石畳による路地の配置は、人の集まる魅力的な空間を創り出した商業施設として、平成25年度「山梨県建築文化奨励賞(一般建築物等の部門)」を受賞しています。
『甲州夢小路』のランドマークとしてシンボル的な存在の小江戸情緒を感じさせる高さ15メートルの「時の鐘」は、甲府城城下町に時を知らせる鐘として1661年頃(寛文年間)に設置され、その50年後に現在の甲府駅北口近くの愛宕町へ移転後、火災と再建を経て1872年(明治5年)の甲府城廃城まで使用されていた鐘楼を再建されたもので、ボタンを押すと鐘を鳴らすことができます。(ちなみにボタンを押してから鐘が鳴るまで20秒掛かります。)
その他に蔵作り・古民家・倉庫などの街並みによる建物内には、18世紀から20世紀初期のアンティークジュエリーを展示している「小さな蔵の美術館」(有料)、山梨を代表する甲州ワイン、天然石・アクセサリー、布小物、和紙・和雑貨、山梨県産の果物を使用したドライフルーツ、地元の食材を使用した食事処などの店舗が集結しています。
今回は、7名で電車を利用して昼食を兼ねた観光で初めて立ち寄りました。
『甲州夢小路』は、かつての城下町であったことが伝わってくるショッピングゾーンであり、レトロな小江戸の雰囲気を楽しむことができました。
到着後まもなく雨となるあいにくの天候でしたので、「甲府駅北口」周辺以外に甲府市内を散策することができませんでしたが、「JR中央本線」の踏切を超えた反対側(駅南口)には「甲府城跡(舞鶴城公園)」もあるので、機会があれば甲府市内を散策しながら、また『甲州夢小路』を訪れてみたいと思います。
『甲州夢小路』は、「甲府駅北口」に隣接しているので電車を利用しての観光で甲府を訪れた際や電車の待ち時間などにお勧めできるスポットです!- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 5.0
- 甲府駅北口から徒歩3分程度です。
- お買い得度:
- 3.5
- サービス:
- 4.0
- 品揃え:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 2階の店舗は、階段となります。
-
江戸時代の街並みを意識した江戸風木製看板などを掲げた商店が集結しています!
投稿日 2018年06月09日
総合評価:4.0
『浅草伝法院通り』は、「浅草寺」の総門「雷門 (風雷神門)」から表参道である「仲見世通り」を200メートル程度進んだ「宝蔵門(仁王門)」の手前を交差する通りで、浅草寺に向って左手側に「浅草六区通り」のある五差路交差点までの約200メートル、右手側に「浅草二丁目」交差点信号までの約100メートルの通りの名称です。
通りの名称になっている『伝法院(でんぽういん)』は、「浅草寺」の住職らが生活する場所として創建された「本坊」であり、浅草寺中興第四世の「宣存(せんぞん)」僧正の坊号をとって1690年(元禄3年)頃より『伝法院』と称されるようになっています。
『浅草伝法院通り』には、『伝法院』通用門があり「浅草六区」方面に行く際によく通りますが、門は何時も閉じられていて気にはなりますが中に入ったことはありません。
『伝法院』は、明治時代まで皇族および徳川家歴代将軍をもてなす場所とされて一般の立ち入りが一切認められない非公開の区域とされていましたが、現在は毎年桜が咲く3月中旬から5月初旬に特別一般公開が行われています。
2011年(平成23年)に『伝法院』庭園が「国指定名勝」に登録され、2015年(平成27年)には『伝法院』建物の客殿、玄関、大書院、小書院、新書院の6棟が国の「重要文化財」に指定されているので機会があれば、『伝法院』の中を拝観してみたいと思ています。
『伝法院』以外にも『浅草伝法院通り』の両側には、間口が二間程度の様々な浅草らしい商店が並んでおり、江戸時代の街並みを意識した商店の外装に掲げられた”江戸風木製看板”、”火の見櫓と半鐘”の装飾、商店シャッターに描かれた絵などを見ながら歩くのも楽しく感じさせてくれる通りです。
また、「石川五右衛門」、「鼠小僧」と並ぶ日本屈指の盗賊として歌舞伎演目にある「青砥稿花紅彩画(あおとぞうし はなの にしきえ)」(通称「白波五人男」)に登場する盗賊の首領「日本駄右衛門(にっぽん だえもん)」、女装の怪盗「弁天小僧菊之助(べんてんこぞう きくのすけ)」、神出鬼没の盗賊「忠信利平(ただのぶ りへい)」、元は小姓の最年少盗賊「赤星十三郎(あかぼし じゅうざぶろう)」、元漁師の船強盗「南郷力丸(なんごう りきまる)」の「白波五人男」と「鼠小僧(ねずみこぞう)」の人形が商店の屋根や外壁などに潜んでいるのを探して歩くのも面白いのでお勧めします!- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
- 江戸風木製看板を見ながら、白波五人男の人形を探して廻るのも楽しいです!
-
投稿日 2018年06月03日
総合評価:4.0
『草加市伝統産業展示室』(愛称:ぱりっせ)は、草加市の三大地場産業である「草加せんべい」、「ゆかた(染物)」、「皮革製品」の展示コーナーおよび販売コーナーを合わせ持つ「草加市文化会館・コミュニティー棟」1階に開設された施設です。
愛称の『ぱりっせ』とは、”せんべいを割る「ぱりっ」という音と「せっせ」と働く職人さんをイメージ”したもので、2011年(平成23年)に『草加市伝統産業展示室』を地場産業の発信拠点にするための改修工事によるリニューアルオープンに合わせて実施された公募により選ばれたものです。
三大地場産業の「草加せんべい」については、草加が古くから良質で豊富な水による米どころといわれ江戸時代から「日光街道」および「奥州街道」の宿場町である「草加宿」として栄えており、街道沿いの茶屋で利根川沿岸で造られるようになった良質の醤油を「焼きせんべい」に塗って販売したところ、手頃な値段と軽量で旅の途中での間食として香ばしい醤油の香りと味が旅人に好評となり草加の名物になったといわれています。
「ゆかた(染物)」については、江戸時代後期の江戸大火により神田の染織業者が焼き出され、水が豊富な草加に移住し事業を再開したのが始まりと伝えられています。世界的にも大都市であった江戸に生産した浴衣を出荷するために草加地方の農閑期の余業として受け入れられ、明治から大正と時代の移り変わりの中で製作方法の技術的な進歩にもいち早く対応して、高品質で生産性の高い地場産業となっています。
「皮革製品」については、1935年(昭和10年)に「皮革」の製造工程(なめし・染色など)で大量の水を使用するでため地下水が豊富であった草加に皮革会社の工場が開設されたのを基に東京三河島方面からの移転・進出などが続き、現在は素材(なめし・染色など)から最終作品(縫製・製品)まで幅広く生産する地域として全国的にも珍しい産地となっています。
今回は、「草加市文化会館・ホール棟」で実施されたテレビ番組の公開収録を閲覧するために「草加市文化会館」を訪れて「大ホール」が開場される間での時間を利用して、『草加市伝統産業展示室』に立ち寄りました。
草加といえば、「草加せんべい」のイメージしかありませんでしたが、『草加市伝統産業展示室』の展示コーナーで草加市の三大地場産業の歴史やそれぞれの製品の生産工程などが分かりやすくコンパクトに展示・紹介されており、草加市の地場産業について短時間で学ぶことができてとても良かったです。
販売コーナーでは、草加せんべいが沢山揃えてあり、ゆかた地の手ぬぐい・ブックカバー、財布・キーホルダー・カバンなどの皮革製品などの地元製品が揃っています。
(観光気分でオーブントースターで簡単に焼けるおせんべいの生地をゲットしました・・・)
その他に草加市内ガイドマップなどのいろいろなパンフレットが揃っていますので、近くを通った際にまた立ち寄ってみたいと思います。
『草加市伝統産業展示室』へのアクセスは、東武スカイツリーライン(東武伊勢崎線)「獨協大学前(草加松原)駅」東口から県道403号線を約450メートル(徒歩6分程度)で「綾瀬川」に架かる「松原大橋」を渡って右手の「綾瀬川」沿いの建物です。
また、毎月第4土曜日の10時から16時には、「せんべい焼き体験」、「レザークラフト体験」を行っているとのことなのでこちらも気になりました。(要予約、費用はそれぞれ500円)- 旅行時期
- 2018年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 獨協大学前(草加松原)駅東口から徒歩6分程度です。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 入館無料です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.0
- 草加市の三大地場産業について展示されています。
- バリアフリー:
- 4.0
- 草加市文化会館・コミュニティー棟1階です。
-
投稿日 2018年05月24日
総合評価:4.0
明治時代の文豪「尾崎紅葉」の代表作である「金色夜叉(こんじきやしゃ)」は、この小説を読んだことが無くても幾度も映画化やテレビドラマ化されているので、誰もがを思い浮かべるシーンといえば、熱海海岸で主人公「貫一」の”ああ…宮さん。こうして二人が一緒に居るのも今夜限りだ。お前が俺の介抱をしてくれるのも今夜限り。一月の十七日。宮さん、よく覚えておきな。来年の今月今夜は、俺はどこでこの月を見るんだろうか! 再来年の今月今夜・・・十年のちの今月今夜・・・一生俺は今月今夜を忘れやしないさ。忘れるもんか。死んでも俺は忘れない! いいかい、宮さん。一月の十七日だ。来年の今月今夜になったなら、俺の涙で必ず月を曇らせてみせるから、月が、月が、月が、曇ったなら、宮さん、俺がどこかでお前を恨んで今夜のように泣いていると思ってくれ”という名セリフと共に許婚(いいなづけ)の「お宮」を足蹴にして立ち去る場面ではないでしょか?
「金色夜叉」は、1897年(明治30年)から1902年(明治35年)にかけて新聞に連載の「前編」、「中編」、「後編」、「続金色夜叉」、「続続金色夜叉」、「新続金色夜叉」の全6編からなる長編小説として発表されましたが、執筆中に「尾崎紅葉」が37歳の若さで死去したため未完成となっています。
1909年(明治42年)に「尾崎紅葉」の門人である「小栗風葉」が紅葉の残した「腹案覚書」を基に「終編金色夜叉」を書き継いでいます。
『貫一 お宮の像』は、熱海を一躍有名にした文学作品「金色夜叉」による熱海での名場面(前編第8章)を再現した銅像で1986年(昭和61年)に制作された観光名所の一つです!また、2005年(平成17年)から夜間ライトアップも行われています。
『お宮の松』は、もともと道路中央にあり「羽衣の松」と呼ばれており、1919年(大正8年)に「小栗風葉」が「羽衣の松」のかたわらに「金色夜叉」の句碑を建てたことから『お宮の松』と呼ばれるようになっています。
自動車の復旧による道路の舗装や排気ガスの影響により、現在の『お宮の松』が2代目として1966年(昭和41年)に植樹されています。
現在、初代『お宮の松』の切り株が2代目『お宮の松』の脇に展示されています。
『お宮の松』と『貫一 お宮の像』へのアクセスは、「JR熱海駅」から、徒歩12分程度(約900メートル)の国道135号線沿い「熱海サンピーチ」に面しており、2014年(平成26年)に完成した「ジャカランダ遊歩道」の一角に位置します。(ジャカランダは、南米産ノウゼンカズラ科の樹木で世界三大花木の一つに数えられています。)
何年も前に自動車で何回か国道135号線を通り、『お宮の松』と『貫一 お宮の像』の前を素通りしていましたが、今回は電車で熱海を訪れて初めて立ち寄ることができました。
『お宮の松』と『貫一 お宮の像』周辺は、とてもきれいに整備されており、訪れた際は天気も良く海外の南国リゾートにいるような雰囲気が味わえるお薦めの観光スポットです。
6月に世界三大花木で青紫色の花を咲き開催される「ジャカランダフェスティバル」の時期や1月17日に『お宮の松』と『貫一 お宮の像』の前で開催される「尾崎紅葉祭」の時期に合わせて、また訪れてみたいです!- 旅行時期
- 2018年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
海水浴、バーベキュー、キャンプなどアウトドアには最適の場所です!
投稿日 2018年05月15日
総合評価:4.5
「島の女神がお産をした場所」という神話が残されている『明屋海岸』は、日本海に浮かぶ隠岐諸島で三番目に大きい「中ノ島」(「日本で最も美しい村」連合に登録されている海士町)北東部の豊田地区に位置し、「海水浴場」、「キャンプ場」施設として、駐車場・公衆トイレ・炊事場などの設備が整っている「観光スポット」です!
『明屋海岸』へのアクセスは、「中ノ島」(海士町)の玄関口となる「菱浦港」フェリーターミナルから自動車で20分程度となります。
『明屋海岸』高台の駐車場からは、眼下に草の緑色が映える「明屋海岸野営場(キャンプ場)」の広場より、大きな玉石が積み重なった海岸に繋がり、海の色も浅瀬部分である西側がエメラルドグリーンに見え、その奥に赤褐色の切り立った「屏風岩」の赤崖が海面から突き出ています。
視線を西側から北東側に移していくと水平線に向って紺碧の海が広がり、真っ青な空とともに東側には隠岐諸島で一番大きな島である島後(隠岐の島町)を望むことができます。
「屏風岩」などこの周辺で見られる赤褐色の赤崖は、約280万年前に『明屋海岸』を中心として隠岐諸島で最も新しい噴火が始まった「宇受賀玄武岩」と呼ばれる火山岩で発泡した多孔質な火山砕屑物(スコリア)や、火山弾を含むさまざまな火山噴出物でできたスコリア丘による「海蝕崖」や「海蝕洞」が約1キロメートルに渡って連続する「中ノ島」(海士町)の景勝地の一つにもなっています。
晴れた日は、キャンプ場広場の緑色の草、エメラルドグリーンと紺碧の海、赤褐色の断崖、青い空のコントラストが美しいお薦めのビュースポットです。
また、キャンプ場広場より海岸沿いに伸びる遊歩道を西側に向って落石の危険による立入禁止看板の近くまで行くと「屏風岩」中央下部分に空いている穴がハート型に見えるポイントがあり、「ハート岩」と呼ばれる幸運や縁結びのパワースポットにもなっているお薦めのポイントです。
今回は、「中ノ島」(海士町)最大のイベント「キンニャモニャ祭り」の翌日にバーベキューで訪れました。
天気も良く、景色と共に「中ノ島」(海士町)の食材を堪能でき楽しいひと時を過ごすことができました。
『明屋海岸』は、海水浴、バーベキュー、キャンプなどアウトドアには最適の場所であり、「中ノ島」(海士町)を訪れた際は必ず立ち寄りたいと実感することができます。- 旅行時期
- 2017年08月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.5
- 菱浦港フェリーターミナルから自動車で20分程度です。
- アクティビティ:
- 4.5
- 景観:
- 5.0
- お薦めのビュースポットです!
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 水の透明度:
- 5.0
-
投稿日 2018年05月06日
総合評価:4.0
『草加市文化会館』は、芸術文化の振興、市民の自主的な文化活動の支援、豊かな市民生活の実現と地域社会の発展に寄与することを目的として、「ホール棟」と「コミュニティー棟」を完備の1972年(昭和47年)に開館した草加市のた文化施設です。
「ホール棟」には、各種コンサートで利用できる本格的な「大ホール」があります。
「コミュニティー棟」には、1階に草加の伝統産業(せんべい・浴衣染め・皮革製品)の展示・販売を行っている「伝統産業展示室」や各種ミニコンサートやパーティーなど多目的に利用ができるな「レセプションルーム」があり、2階に歌やダンスの練習などで使用できる「音楽室」や調理などが行える「実習室」、お茶会や着付けの練習などで使用できる「和室」、「軽食喫茶室」などがあります。その他2階・3階に大小さまざまな「会議室」・「研修室」を完備しています。
『草加市文化会館』へのアクセスは、東武スカイツリーライン(東武伊勢崎線)「獨協大学前(草加松原)駅」東口から県道403号線を約450メートル(徒歩6分程度)で「綾瀬川」に架かる「松原大橋」を渡って右手の「綾瀬川」沿いの建物です。
『草加市文化会館』周辺は、江戸時代より「草加松原」、「千本松原」などと呼ばれる松並木の名所で、現在も「綾瀬川」に沿って線状に延びる松並木の「草加松原遊歩道」の風景は壮観で「おくのほそ道」の時代の雰囲気を伝える一連の風致景観が評価され「おくのほそ道の風景地草加松原」として国指定名勝に登録されています。
今回は、草加市制60周年記念として実施されたテレビ番組の公開収録を閲覧するために『草加市文化会館』を訪れ、公開収録まで少し時間があったので先ずは、「コミュニティー棟」1階の「伝統産業展示室」(愛称:ぱりっせ)に入ってみました。
(愛称の「ぱりっせ」とは、せんべいを割る「ぱりっ」という音と「せっせ」と働く職人さんのイメージからつけられたそうです。)
「草加」というと今までは、「せんべい」のイメージしかありませんでしたが、展示コーナーで「浴衣染め」や「皮革製品」が草加の伝統産業となる過程や草加市内ガイドマップなどのいろいろなパンフレットが揃っており、草加市について学ぶことができたのでとても良かったです。
「ホール棟」の「大ホール」客席部分は、1列目から4列目までが可動式となっておりオーケストラピットの設置可能な本格的な各種コンサートに対応できる最大座席数1,198席(車イス3席、オーケストラピット部分可動席98席を含む)のホールでコンサートなどを観覧するには申し分ありません。
但し、トイレ施設が身障者用についは、舞台下手側の通路奥にあり階段なしで利用できますが、一般用トイレが客席後方部分の地下にありロビーから少し急な階段で地下に降ります。また、階段・通路を通る際に洗面カウンターが見えてしまうので気になりました。
草加市は、1993年(平成5年)に「音楽都市宣言」を行い毎年「国際ハープフェスティバル」などのイベントが開催される「音楽の町」です。
機会があれば「国際ハープフェスティバル」の時期にまた『草加市文化会館』を訪れてみたいと思います。- 旅行時期
- 2018年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 獨協大学前(草加松原)駅・東口から徒歩6分程度(約450メートル)です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
栃木県を代表する観光拠点の玄関口に位置するので買い物や食事などの休憩場所として便利です!
投稿日 2018年05月04日
総合評価:4.0
『道の駅日光』は、愛称を『日光街道 ニコニコ本陣』と呼び、自動車だけではなく電車でも利用できる全国でも珍しい「道の駅」として、栃木県日光市今市地区の中心市街地に2015年(平成27年)オープンしています。
『道の駅 日光街道ニコニコ本陣』へのアクセスは、東武日光線「下今市駅」とJR日光線「今市駅」の中間地点にあり、東武日光線「下今市駅」から徒歩5分程度(約400メートル)、JR日光線「今市駅」から徒歩7分程度(約550メートル)で、「世界遺産」に登録されている「日光東照宮」などがある「日光の社寺」に通じる国道119号線および「鬼怒川温泉」・「川治温泉」・「湯西川温泉」に通じる国道121号線が交差する栃木県を代表する観光拠点の玄関口に位置します。
『道の駅 日光街道ニコニコ本陣』の敷地内には、地元の特産品・お土産品の販売処、食事処などの「商業施設」のほかに日光市に隣接する塩谷町の出身で日光市にゆかりのある作曲家「船村徹」氏の作品などがある「日本のこころのうたミュージアム・船村徹記念館」、いろいろなイベントが開催される「多目的ホール(ホール、楽屋、会議室)」、日光市観光協会の「観光情報館(観光案内所、観光情報コーナー)」などが集まった複合施設となっています。
今回は、家族旅行で自動車を利用して「鬼怒川温泉」に行く際に東北自動車道「宇都宮インターチェンジ」から日光宇都宮道路(有料道路)を通り「今市インターチェンジ」から一般道に降りて、休憩をするために『道の駅 日光街道ニコニコ本陣』に立ち寄りました。
「今市インターチェンジ」からは、約1.3キロメートルの距離なのでとても便利です。
駐車施設は、敷地内の第1駐車場のほかに敷地外に第2・第3駐車場があります。
土曜日の昼時に訪れて第1駐車場は、満車でしたが駐車場に誘導員の方が数名で対応しており、5~10分程度の待ち時間で駐車することができました。
「商業施設」内で、地元の特産品、お土産品を見て廻りましたが、お菓子、漬物などの特産物、地酒、農産物など種類も豊富に揃っていたので、「鬼怒川温泉」の帰りにまた立ち寄り、お土産品や産地の野菜などを買って帰りました。
休憩ついでに昼食も取りましたが、食事処は”日本そば処”と”定食・丼物・甘味処”のお店があり、”日本そば処”のお店は人が多く待ち時間もあるようでしたので、”定食・丼物・甘味処”の「かなめ屋」を利用しました。
旅館での夕食のことを考えて昼食は軽めに”山菜と生湯葉うどん”を注文しましたが、デザート付きで値段もリーズナブルの上、麺がモチモチとして美味しかったです。
また、この地域で毎年10月に江戸時代から受け継がれた伝統の「彫刻屋台」6台と「花屋台」4台が今市中心街大通りに繰り出し、華やかに彩る「今市屋台まつり」が開催されますが、『道の駅 日光街道ニコニコ本陣』の「屋台展示コーナー」に「彫刻屋台」・「花屋台」が展示されています。細かい彫刻が施された屋台は必見です!
「今市屋台まつり」も観てみたいと思います。- 旅行時期
- 2018年03月
- バリアフリー:
- 4.0
- トイレの快適度:
- 4.0
- お土産の品数:
- 4.5
-
投稿日 2018年05月03日
総合評価:4.0
『隅田川』は、一級水系として国土交通大臣が国土保全上および国民経済上特に重要な河川を指定している全国に109水系ある中の一つです。
また、一級水系である「荒川」水系の本流からの分流とし分岐点となる「岩淵水門」(東京都北区)から「東京湾」までの全長23.5キロメートルの河川となります。
『隅田川』の途中では、「新河岸川」、「石神井川」、「神田川」、「日本橋川」など11河川および運河と合流し、「一般自動車道」、「首都高速自動車道」、「歩行者専用道」、「鉄道」、「上水道」など30以上のさまざまな構造による橋梁が掛かっています。
『隅田川』河川敷の両側には、人が水辺に近づける親水性にも配慮した緩傾斜堤防事業として遊歩道の機能を備えた「隅田川テラス(親水テラス)」の整備工事が進められています。
「隅田川テラス」からのビュースポットと言えば、浅草水上バス乗り場のある「吾妻橋」周辺をお勧めします!
この周辺では、『隅田川』越しに人気の「東京スカイツリー」、ビールジョッキをイメージした「アサヒグループ本社ビル(アサヒビールタワー)」、燃え上がる炎のオブジェの「フラムドール(フランス語で金の炎)」を屋上にのせて聖火台をイメージした建物「スーパードライホール」を合わせて写真撮影ができ夜景もきれいです。
今回は、浅草に立ち寄った際に少し時間があったので、「言問橋」付近から「吾妻橋」までの短い区間ですが『隅田川』を運行する水上バスや『隅田川』越しの「東京スカイツリー」などを眺めながら歩いてくつろぐことができました。夕方の時間帯で自分以外にも大勢の方が『隅田川』などを眺めながらくつろいでいました。
「浅草(二天門)発着場」付近の「隅田川テラス」には、「東京スカイツリー」を望めるおしゃれなオープンカフェがあったりしますので、次回は、時間をかけてゆっくりとオープンカフェなどを利用しながら「隅田川テラス」を散策して廻りたいと思いました。
その他に『隅田川』の水上バス「隅田川ライン」に何回か乗船したことがありますが、水上バスから『隅田川』に架かるそれぞれ個性的な橋梁や河川沿いの建物などの近代的な都市景観を楽しむことができますので、水上バスを利用して『隅田川』を楽しむのもお薦めです!- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 景観:
- 5.0
- 河川敷の両側が隅田川テラスとして整備されています。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
-
投稿日 2018年04月30日
総合評価:4.0
『熱海芸妓見番歌舞練場』(通称:芸妓見番、略称:見番)は、熱海芸妓衆の稽古場として「熱海芸妓置屋連合組合」により1954年(昭和29年)に落成した地上2階、地下1階の建物です。
「芸妓(げいぎ)」は、関東で用いられる芸者の呼び名のひとつで、関西での呼び名は「芸子」となります。
ちなみに修行中の芸者の呼び名が「半玉(はんぎょく)」で、京都での呼び名が「舞妓(まいこ)」となります。
また、「見番(けんばん)」は、芸者衆が所属している仲介を行う「置屋(おきや)」の組合の呼び名になります。
最盛期の昭和30年代には芸妓衆が1000人を超え、置屋の数も200軒を超えていたそうです。
(現在は、芸妓衆が120名余り、置屋も50軒程度となっているようです。)
『熱海芸妓見番歌舞練場』へのアクセスは、JR「熱海駅」から約1.4キロメートル(徒歩17分程度)、路線バスを利用する場合はJR「熱海駅」より紅葉ヶ丘・ひばりヶ丘方面行きにて「清水町」下車(乗車時間約10分)となります。
今回は、1990年(平成2年)の『熱海芸妓見番』大改修工事を基に熱海のゴールデンウィーク看板イベントとして、毎年4月28日・29日(1日2部公演)に開催されている「熱海をどり」(第29回)を観に立ち寄りました。
現在は、建物の漏水(雨漏れ)補修工事のため建物廻りに工事用仮設足場が組まれていましたが、『熱海芸妓見番歌舞練場』の前を流れる初川の両岸には、現在活躍されている120名余りの「芸妓」の名前が入った「熱海をどり」の幟が立ち並びとてもとても華やかでした。
建物内部の写真撮影は一切禁止とのことで写真はありませんが、玄関を入ると正面に歌舞練場の緞帳付き舞台があり、舞台の前が客席となっている畳敷きの1階広間と2階に桟敷席があります。
2階まで吹き抜けの折り上げ格天井造りの大きな空間とその空間の1・2階の客席廻りには、芸妓衆の名前と置屋の屋号が入った丸提灯が賑やかに飾られており、熱海が日本屈指の華やかな「芸者街」であり伝統芸能として繁栄してきたことがうかがわれます。
今年の「熱海をどり」の演目は、常磐津「東都獅子(あづまじし)」と端唄・俗曲「積雪慕恋容(つのるおもいやこいすがた)」で、普段観ることの無いプロの芸妓衆27名による艶やかで見応えのあるお薦めの舞台です!
初日第二部の公演を観ましたが、客席はほぼ埋まっていました。また、第一部も大勢の方が観に来ていたようでした。
チケットは、一般席全席自由となっており当日整理券が配布されますので、観に行かれる場合は時間に余裕をもって行くことをお勧めします。
また『熱海芸妓見番歌舞練場』では、1998年(平成10年)から毎週土・日曜日(臨時休演あり)の11時から「湯めまちをどり華の舞」と題して約30分の公演もあります。
「湯めまちをどり華の舞」は、お茶とお菓子付きで公演を観ることができ、公演後には芸妓さんと一緒に記念写真撮影ができるそうです。
「熱海をどり」では、建物内部の写真撮影が一切禁止だったので、「湯めまちをどり華の舞」の舞台も観に行き芸妓さんと一緒に建物内部の写真撮影をしてみたいと思います。
「湯めまちをどり華の舞」の公演も人気があるようで事前予約を入れておくと良いそうです。- 旅行時期
- 2018年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 熱海駅から約1.4キロメートルです。
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 「熱海をどり」は賑わっています。
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.5
- プロの芸妓衆による艶やかな舞台です。
-
投稿日 2018年04月30日
総合評価:4.5
『江戸ワンダーランド日光江戸村』は、1986年(昭和61年)にオープンした江戸時代中期(元禄から享保年間)の町並みを「街道」、「宿場町」、「商家街」、「武家屋敷」、「忍者の里」の五つのエリアをリアルに再現し、江戸時代の文化や生活を体験できる総敷地面積49万5千平方メートル(15万坪)、開発面積16万5千平方メートル(5万坪)のテーマパークです。
今回は、家族3世代(5名)で自動車を利用して訪れました。(我が家では、『日光江戸村』がオープンして間もない時に妻が1度だけ訪れたことがあるそうですが、妻以外は全員今回が初めての初心者グループでした。)
自動車でのアクセスは、国道121号線(鬼怒川バイパス)沿いにある「日光鬼怒川3D宇宙恐竜館」近くの信号機から西側に800メートルほど入ったところに位置します。
ちょうど道路が左側にカーブしている場所の右手に「江戸村前駐車場」と矢印が記載さてた看板と共に農作業風の着物に菅笠を被った誘導員が駐車場のほうに手招きをしているので、駐車場入り口に向かうと誘導員の方が『日光江戸村』に入場するには駐車場脇の売店の中を通って行くと近道であると説明し、駐車場料金600円を前払いで請求されました。
少し誘導員の様子が変であると感じましたが、駐車場から誘導員の説明の通り売店の中を通って行くと道路の突き当りに『江戸ワンダーランド日光江戸村』村内駐車場の矢印が記載された看板を見て、利用した駐車場が『日光江戸村』と関係のない駐車場であることに気付きました。他にも数組の方がいてみんなで”騙された”と話しながら『日光江戸村』の「券売所」に向いましたが、『日光江戸村』の駐車場料金よりも「江戸村前駐車場」の駐車料金が200円安いのでトラブルにならないのだと思います。
自動車を利用して初めて訪れる方は注意して下さい。
電車でのアクセスは、東武鬼怒川線「鬼怒川温泉駅」から路線バスで約15分、タクシーで約10分程度になります。
先ずは出入口となっている「関所」の門をくぐって、園内に入ると「街道」の雰囲気がある道を歩きながら(途中に入園記念の写真撮影を受けて)「宿場町」ゾーンに・・・
今回は利用しませんでしたが、「宿場町」ゾーンの旅籠屋「変身処 時空」では、レンタル衣裳・小物で江戸時代の様々な姿に変身して自ら江戸時代の人になりきり園内を楽しむことができます。
『日光江戸村』スタッフはもちろんの事、来園者の方々が変身した様々な姿を見ているだけでも江戸の町にタイムスリップした雰囲気を楽しめます。
「宿場町」ゾーンを過ぎると左手に「忍者の里」ゾーン、正面の池に架かる「両国橋」を渡ると賑やかな「商家街」ゾーンに続き、いろいろな体験ができる店舗や食事処などの飲食店やお土産屋が建ち並んでいます。「商家街」ゾーンの奥には、花魁のお座敷遊びを劇にした「文化劇場 若松屋」、水芸の「水芸座」、人情劇場の「両国座」があり、それぞれ見て廻りました。「文化劇場 若松屋」では、観客の中から予告なしに1名が舞台に参加したり、萩本欽一さんがプロデュースした笑いあり涙ありの人情劇やそれぞれの芝居小屋で入場した際に配られた紙で最後におひねりとして舞台に投げたりして、どれも楽しめる芝居構成でした。
「商家街」ゾーンの奥に架かる「日本橋」を渡ると「武家屋敷」ゾーンとなります。こちらの「南町奉行所」で行われる芝居は、時間の都合で見ることができませんでした。
その他に「忍者の里」ゾーンの「大忍者劇場」での芝居や「花魁道中」なども今回は時間の都合で観て廻ることができませんでした。
事前に観て廻る順番などを決めておいたり、『日光江戸村』内で過ごす時間を多めに予定を組むとよいと思います。
次回は開園から閉園まで一日たっぷりと予定を組んで、「変身処 時空」のレンタル衣裳・小物を利用して、江戸時代の人になりきり楽しみたいと思います!
「鬼怒川温泉」を訪れた際にお薦めのテーマパークです!- 旅行時期
- 2018年03月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 施設の快適度:
- 4.5
- バリアフリー:
- 4.0
- アトラクションの充実度:
- 4.5
-
投稿日 2018年04月22日
総合評価:4.5
『草加松原遊歩道』は、県道49号足立越谷線(旧日光街道)に沿って綾瀬川沿いの南北に広がる松並木の遊歩道として、南側の綾瀬川舟運の船着き場を再現して整備された「札場河岸公園」から、北側は「東京外環自動車道」手前までの約1.5キロメートルまで続いています。
この周辺は、江戸時代から「日光街道」および「奥州街道」の二番目の宿場町である「草加宿」として栄えており、松尾芭蕉の「おくのほそ道」の旅の第一日目にも記されています。
江戸時代より街道「草加宿」の北側部分が「草加松原」、「千本松原」などと呼ばれ名所となっていましたが、昭和の高度成長期による急激な都市化や自動車交通量の増大による道路舗装による根の切断や排気ガスなどにより、松並木の激減したことを機に松並木保存に向けた活動が高まり、松並木の保全を図り新しい都市空間を創出する、歴史と自然を感じる歩道空間を形成する事業として『草加松原遊歩道』の整備が1985年(昭和60年)から本格的に行われています。
松並木の植樹と手入れと共に遊歩道整備は、南側から「歴史ゾーン」、「イベントゾーン」、「シンボルゾーン」、「松原ゾーン」、「せせらぎゾーン」のテーマを基に水と緑の調和する安全で快適なウオーキングコースとして歩道には石畳が敷かれ、県道をまたぐ交差点には草加市のシンボルともなっている「おくのほそ道」にちなんで名付けられた「百代橋」、「矢立橋」といった太鼓型の歩道橋が架けられています。
1987年(昭和62年)には、日本全国の特徴ある道路を「建設省(当時)」と「道の日」実行委員会により、綾瀬川と一体となった水と緑の美しい景観をもつ道として「日本の道百選」に「草加松原」が選定されており、遊歩道に「日本の道百選 日光街道」と刻まれた「日本の道百選」の石碑があります。
1988年(昭和63年)には、綾瀬川が利根川水系の一つであることから利根川近代治水百年記念行事の一環として制定された「利根川百景」に「草加松原」が選定されており、遊歩道に「綾瀬川と松原」と刻まれた「利根川百景」の石碑があります。
2004年(平成16年)には、日本ウオーキング協会により「美しい日本の歩きたくなるみち500選」に「奥州街道・草加の松並木のみち」が選定されています。
2014年(平成26年)には、綾瀬川に沿って線状に延びる並木道の風景は壮観であり、今なお「おくのほそ道」の時代の雰囲気を伝える一連の風致景観の一つとして、評価され国指定名勝に「おくのほそ道の風景地草加松原」が登録されています。
今回は、東武スカイツリーライン(東武伊勢崎線)「獨協大学前(草加松原)駅」から「草加市文化会館」に行く際に立ち寄りました。
「獨協大学前(草加松原)駅」東口から『草加松原遊歩道』に架かる「百代橋」のある交差点まで県道403号線を約350メートル(徒歩5分程度)の距離です。
「百代橋」の橋名は、松尾芭蕉の「おくのほそ道」冒頭の「月日は百代の過客にして・・・」から引用されおり、橋の袂には「松尾芭蕉文学碑」があります。
街道の雰囲気に良く合う木目調による和風の太鼓型歩道橋「百代橋」の上から『草加松原遊歩道』松並木と「綾瀬川」を眺めていると、時の流れが止まったような気持ちになり、江戸時代に松尾芭蕉がこの街道を歩いている姿を想像してしてしまう雰囲気が味わえるお薦めの遊歩道です。
機会があれば、『草加松原遊歩道』の端から端まで約1.5キロメートルを江戸時代の「おくのほそ道」の雰囲気を味わいながら遊歩道の各所に点在する石碑などを散策してみたいと思います!- 旅行時期
- 2018年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.5
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投稿日 2018年04月21日
総合評価:4.5
『きときと市場とやマルシェ』は、2015 年(平成 27 年)の「北陸新幹線」開通日に合わせて新幹線高架下の空間にオープンした「JR富山駅」直結の「ショッピングセンター」です。
「ショッピングセンター」の名称の一部になっている「きときと」とは、”新鮮”・”活きがいい”を意味する富山の方言と「市場」を意味するフランス語の”マルシェ”と「とやま」を掛け合わせた言葉「とやマルシェ」を付け加えたネーミングとなっており、一般公募により選ばれたものだそうです。
『きときと市場とやマルシェ』内は、富山を代表する人気のお土産や食事処が揃う店舗で充実しています。
「北陸新幹線」を利用して初めて富山市(1泊)を訪れて、2日目の昼食のために『きときと市場とやマルシェ』に立ち寄りました。
食事処としては、富山湾「氷見漁港」直送の回転寿司「廻る富山湾 すし玉」、富山湾「新湊漁港」直送の富山を代表する白えび・ホタルイカ・ブリを中心に提供する「白えび亭」、富山のご当地ラーメンであるブラックラーメンの元祖「西町大喜」、うどん・そばを主体に富山の郷土料理が堪能できる「海幸山幸越中茶屋」、富山県内の日本酒を揃えて富山の郷土料理が堪能できる「日本酒スローフード とやま方舟」があります。
今回は、富山湾の宝石ともいわれる「白えび」を気軽に食せる「白えび亭」で一番人気メニューの「白えび天丼」(白えびのすり身団子入吸い物/漬物/白えび煎餅付)を頂きました。「白えび」の天ぷらは、丁寧に1匹ずつバラバラに揚げてあり、ご飯も富山県産のこだわりがあるようでとても美味しかったです。店内は、カウンター席とテーブル席があり、入店時に自動販売機で食券を購入するシステムです。11時過ぎのお昼には少し早い時間帯に入店しましたが、11時30分前には行列ができており人気のあるお店であることを実感しました。但し、店内の回転が速いので待ち時間は気にならないと思います。
夕方の「北陸新幹線」の乗車待ち時間にも『きときと市場とやマルシェ』を訪れてお土産品を見て廻りました。
お土産処につても富山特産の「鱒ずし」をはじめとした「水産加工品」、「地酒」、「お菓子」、「工芸品」、「お弁当」など約30店舗ありとても充実しています。
『きときと市場とやマルシェ』内には、ヤマト運輸も入っておりお土産などの手荷物の宅配を頼めるので便利です。後で知ったのですが、手荷物を午前中にあずけると当日中に富山県内の宿泊施設まで運んでくれる「手ぶら観光便」という電車を利用しての富山観光の場合に最適のサービスもあるそうです。
『きときと市場とやマルシェ』は、「JR富山駅」に直結しており「北陸新幹線」を利用して富山を訪れた際にとても便利でお薦めの施設です!
また、富山を訪れた際に立ち寄りたいと思います。- 旅行時期
- 2017年04月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 5.0
- JR富山駅直結です!(新幹線高架下)
- お買い得度:
- 4.5
- サービス:
- 4.5
- 品揃え:
- 4.5
- 富山の特産品が充実しています!
- バリアフリー:
- 4.5
- 1階フロアのみです!
-
鬼怒川温泉街中心部から少し上流にある落ち着いたくつろぎの宿です!
投稿日 2018年04月14日
総合評価:4.5
首都圏から『若竹の庄』へのアクセスは、東北自動車道「宇都宮インターチェンジ」から日光宇都宮道路(有料道路)「今市インターチェンジ」より、国道121号線を約16キロメートル北上した場所に位置します。
電車を利用する場合は、最寄り駅は東部鬼怒川線「鬼怒川公園駅」(鬼怒川温泉街中心のとなる「鬼怒川温泉駅」のとなり駅)から約600メートル(徒歩8分程度)、事前予約で「鬼怒川温泉駅」までの送迎サービスもあります。
今回は、自動車による家族旅行(3世代5名)で『若竹の庄』に宿泊(1泊)しました。
自動車で『若竹の庄』の敷地内に入ると直ぐに従業員の方たちが数名で建物から出てきて駐車場に誘導するなど、とても素早い対応でお出迎えしてくれました。
『若竹の庄』は、客室数が全24室の温泉宿ですが大型旅館とは異なるきめ細かい”おもてなし”を感じました!
先ずは、アプローチの風格ある長屋門の”のれん”をくぐり竹庭から館内に入ると天井が高く窓が大きく開放感のある1階ロビーで抹茶サービス(和菓子付)を頂きながらチェックインを済ませて4階の客室へ・・・
宿泊した部屋は、「和室二間タイプ」(10帖+4.5帖:広縁付き)、洗面所も洗面台に洗面ボウルが2台並んでおり5名での利用でもゆったりとした造りの客室でした。
客室窓からは、鬼怒川温泉街中心部から少し上流に離れているので鬼怒川の清流と棚田のある山里の景色が眺められくつろぐことができました。
『若竹の庄』の客室は、「和室二間タイプ」の他にスタンダードタイプの「和室一間タイプ」(12.5帖:広縁付き)と1室限定の「和洋室タイプ」(広さ36平方メートル)があるそうです。
館内施設は、1階に内風呂と露天風呂のある天然温泉の大浴場があります。
泉質は、弱アルカリ性無色透明の単純泉で、源泉が高温で加水・加温の循環ろ過式の浴場となっていますが、客室数も少ないのでゆっくりと入ることができ、露天風呂からも鬼怒川の清流と棚田のある山里の景色を眺めながらのんびりとくつろぐことができました。
温泉施設は、その他に今回利用しませんでしたが『若竹の庄』に隣接する『若竹の庄 別邸笹音』1階の貸切風呂を予約制(別料金)で利用できます。
食事は、夕食・朝食ともに3階に専用個室が用意されており、和室ですがテーブルと椅子スタイルなのでゆったりとした落ち着いた雰囲気の中でいただきました。
夕食は、会席料理のコースで一品ごと料理が運ばれてその都度、食材の説明もありました。全部で15品程度ありましたが、それぞれの料理が適度な量なので残す事無く美味しくいただくことができました。(ボリュームは、年配者や女性向きの控えめの量なので、大食漢の方には物足りないかもしれません。)
食器についてもそれぞれ素敵なものばかりが使用され料理以外にもこだわりを感じましたが、一部ひびの入ったものがあり少し気になりました。
朝食は、和食で前日の夕食を終えた時に”ご飯”と”お粥”をお好みに合わせて選ぶことができます。ご飯を選びましたがご飯がとても美味しかったです。
また、今回利用していませんが2階にはカラオケスナックと夜食処の施設があります。
『若竹の庄』は、鬼怒川温泉街中心部から少し上流にある鬼怒川の清流と棚田のある山里を眺望できる落ち着いた雰囲気のくつろぎの宿です!
また、『若竹の庄』と合わせて隣接する『若竹の庄 別邸笹音』も気になりました。
機会があれば、宿泊してみたい宿です!- 旅行時期
- 2018年03月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 客室:
- 4.5
- 接客対応:
- 4.5
- 風呂:
- 4.5
- 食事・ドリンク:
- 4.5
- バリアフリー:
- 4.0





























































































