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ふくうめちゃんさんのトラベラーページ

ふくうめちゃんさんのクチコミ(43ページ)全1,236件

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  • 基本情報
  • 華寧殿の入口(外門)

    投稿日 2013年03月10日

    外三門 (水原) 水原

    総合評価:3.5

    華寧殿の入口、外側の門です。彩色されていない木造りの華寧殿と調和がとれた門、こちらも落ち着いた雰囲気でした。
    祭祀があったので、宮殿内には見学する多くの人。外三門には守門将が立っていて、いつもと違い少し物々しい感じがしました。

    旅行時期
    2011年10月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 1795年の行幸の際‘刺水間’として使われた建物

    投稿日 2013年03月10日

    書吏庁 水原

    総合評価:3.0

    書史庁は文書の記録及び受領、発行を担当する役人が使った建物。華城行宮内、新豊楼の南・裨将庁と塀を挟んで並ぶようにあります。
    以前の禁盜庁の建物を増築、1795年正祖王の行幸の際には王の食事を調理する台所(刺水間)として使われたそうです。裨将庁と建物自体は同じだと思いました‥。

    旅行時期
    2011年10月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 裨将が使っていた建物

    投稿日 2013年03月10日

    裨将庁 水原

    総合評価:3.0

    裨将庁は、華城留守部(地方の役人)の裨将が使っていた建物。華城行宮内、外整理所前の南向きの建物です。裨将とは観察使や節度使など地方官がつれて回った幕僚で、朝鮮時代の後期には守令までみな裨将を抱えて率い、民政を探らせたりもしたそうです。
    王が使う施設ではないせいか‥かなりシンプル。建物自体は書史庁と同じだと思いました。

    旅行時期
    2011年10月

  • 正祖王が臣下と接見した場所

    投稿日 2013年03月09日

    維与宅 水原

    総合評価:4.0

    華城行宮にあります。世祖王が水原行幸の際政務を行ったり臣下と接見した建物。向かって右側の供宸楼は休憩所として使われたそうです。形は両班屋敷みたいな感じでちょっと変わっているなと思いました。丹青は施されておらず‥普段は華城を治める役人のお屋敷として使われていたそうです。

    旅行時期
    2011年10月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 壮勇営の宿衛所(南)

    投稿日 2013年03月09日

    南軍営 水原

    総合評価:4.0

    華城行宮入口・新豊楼の左右にある宿衛所。王を護衛する精鋭部隊・壮勇営の騎馬兵だった親軍衛が、‘南軍営’‘北軍営’それぞれ100人ずつ入直・宿衛していました。南側(門の左)にあるのが‘南軍営’。色々な武官の衣装をきた人形が展示されていました。

    旅行時期
    2011年10月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 長楽堂の門の役割も果たした‘景龍館’

    投稿日 2013年03月09日

    景龍館 水原

    総合評価:4.0

    ‘景龍’とは皇帝を意味する大きな龍のことです。華城行宮正殿・奉寿堂の南側にある付属物。長楽堂への出入口(門)しての役割も果たしました。一番下には支柱が立っていて、なるほど、確かに門の様です。回廊を連想させる独特の造りをしていました。

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)

  • 新豊楼があります

    投稿日 2013年03月09日

    華城行宮入口 水原

    総合評価:4.0

    華城行宮入口には正門である新豊楼があります。1795年の行幸の際、新豊楼前で正祖王はじきじきに民へ米を分け与えたり、飢えた民に粥をふるまう行事を催したそうです。‘聖君’といわれる正祖らしいエピソード。中央にあるケヤキの木は樹齢350年だとか、この場所であった様々な出来事をずっと見てきたのですね‥。

    旅行時期
    2011年10月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 御行幸の際、正祖の寝所として使われた建物

    投稿日 2013年03月03日

    福内堂 水原

    総合評価:4.0

    長楽堂の南側にある小さな門をくぐるとある建物。華城行宮を増築した李朝第22代王・正祖が御行幸の際寝所として使った建物。こちらも色鮮やかな丹青が美しい、でも華美さはなくこじんまりとしていて、王の寝所にしては小さいなあと思いました。
    ‘福内’=‘福は内から生じる’の意味。

    旅行時期
    2011年10月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • この門をくぐる前の風景がとても好き

    投稿日 2013年03月06日

    左翊門 水原

    総合評価:4.5

    華城行宮入口‘新豊楼’と、華城正宮・奉寿堂入口‘中陽門’の間にある門。左翊とは‘そばで助ける’の意味で、中陽門を助け行宮を守る役割の門です。
    門自体はあまり存在感がないというか、正直普通です。でもこの門の前から見る華城行宮の風景がすごく雰囲気があって良い。左翊門の向こうに建つ行宮、その背後に八達山と未老閑亭‥とても好きな風景です。

    旅行時期
    2011年10月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 華城行宮正殿・奉寿堂の入口

    投稿日 2013年03月06日

    中陽門 水原

    総合評価:4.0

    華城入口の新豊楼をくぐり真っ直ぐ進むと‘左翊門’その次にあるのがこの‘中陽門’、正宮である奉寿堂の入口です。奉寿堂に入る人を制限・調整し守る役割を果たしました。中陽門をくぐると石畳の道が真っ直ぐ、奉寿堂へ続いていきます。門をくぐる瞬間、何とも言えない迫力というか・独特の空気が感じられ、感激しました。

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 華城行宮 後苑に造られた東屋

    投稿日 2013年03月07日

    未老閑亭 水原

    総合評価:4.0

    水原の華城行宮裏、行宮後苑の中に造られた六角形の東屋。華城行宮に入ると八達山の山麓に見えます。正祖は1804年に王位を世子に譲り、華城行宮で隠居生活を送りたいと考えていました。なのでこの東屋に‘将来年をとったらのんびり過ごす場所’=‘未老閑亭’と命名したそうです。
    水原八景の一つ‘亭品菊’は‘菊の花が咲く秋の未老閑亭の景観’。訪問した10月は菊の花を見るにはまだ早過ぎました。

    旅行時期
    2010年10月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 弓矢を射るための東屋

    投稿日 2013年03月09日

    得中亭 水原

    総合評価:3.0

    弓矢を射るために建てた東屋。正祖は行幸の際に毎回弓を射っていて、 1790年に新しく作られたこの東屋で射った弓矢4発全てを命中させたことを記念し'得中亭'と名づけたそうです。華城行宮北側あり、飛び出ているような小さな建物。かなり地味でした。

    旅行時期
    2011年10月

  • 昌慶宮 最も大きな内殿

    投稿日 2013年03月08日

    通明殿 ソウル

    総合評価:4.0

    昌慶宮にある王と王妃の寝所。1790年に火災で焼失し、1834年に再建された建物。
    内殿では最も大きく、宴会場所としても使われた建物。1759年、李朝第21代王・英祖が66歳の時に15歳の貞純王妃と婚礼を挙げたのがここ‘通明殿’、歳の差51歳!当時もかなり話題になったんでしょうね。

    旅行時期
    2011年06月

  • 昌慶宮 悲劇の現場‥・?

    投稿日 2013年03月08日

    文政殿 ソウル

    総合評価:4.0

    昌慶宮の正殿・明政殿の南側にある建物。
    昌徳宮は歴代王とかかわりの深い宮殿の一つで、とりわけドラマ「イ・サン」で主人公としてとりあげられた‘李朝第22代王・正祖’にかかわる出来事がここでは起こっています。正祖の父‘思悼世子’が実父である第21代王・英祖に米櫃に閉じ込められ餓死に至った現場が、この文政殿の前庭だと‥ドラマの一場面が思わず脳裏に浮かびました。

    旅行時期
    2011年06月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 華西門~長安門を見下ろす角楼

    投稿日 2013年03月07日

    西北角楼 水原

    総合評価:4.0

    華西門南側にある山の斜面を上がると‘西北角楼’があります。水原華城の角楼は4箇所、どの場所も眺望がよいのが特徴で、この西北角楼からは西の華西門~長安門・城壁の外を見下ろすことができました。非常時には軍事指揮所の役割、普段は兵士の休憩所として使われた施設です。

    旅行時期
    2011年10月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 長安門の左右にある敵台、ここは東側

    投稿日 2013年03月07日

    北東敵台 水原

    総合評価:3.5

    敵台は城門の左右にある雉城(城壁から外側に突き出したところ)で、城門と甕城に近づく敵から城門・華城を守るための防御施設。長安門を挟んで‘北西敵台’‘北東敵台’があり、ここは東側にあるものです。城外に砲口を向けた黒い大砲が中央、長安門がよく見えます。敵台の役割が良くわかりました。

    旅行時期
    2011年10月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 長安門の左右にある敵台、ここは西側

    投稿日 2013年03月07日

    北西敵台 水原

    総合評価:3.5

    敵台は城門の左右にある雉城(城壁から外側に突き出したところ)で、城門と甕城に近づく敵から城門・華城を守るための防御施設。長安門を挟んで‘北西敵台’‘北東敵台’があり、ここは西側にあるものです。楼閣はありません、中央に大砲が‥城外の敵に一撃を与える準備万端って感じです。

    旅行時期
    2011年10月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 水原華城の北側にある鋪樓(軍事待機場)

    投稿日 2013年03月06日

    北鋪楼 水原

    総合評価:4.0

    ‘北鋪樓(ポル)’は華西門と長安門の間にあります。この付近は割と起伏のない平坦な所で、高台にある東北鋪樓や西鋪樓とは少し立地が異なりました。でも雉城の上に建てられた構造も、木の板の隙間から攻撃や偵察ができるようになっている楼閣の造りも他の鋪樓と同じ。華西門(西大門)~長安門(北大門)すなわち華城北西エリアの警備・防御の砦としての役目があったようです。

    旅行時期
    2011年10月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 水原 華城行宮の表門(入口)

    投稿日 2013年03月05日

    新豊楼 水原

    総合評価:4.0

    華城行宮最大の門、入口(表門)。‘新豊’とは‘王の新しい故郷’の意味。正祖が将来この地を‘第2の故郷’にしようとしていたことが、この名をつけたことからもわかりました。行宮内には複数の門がありますが、唯一楼閣を備えるこの門はかなり個性的。遠くからみても非常に目立ちました。

    旅行時期
    2011年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    5.0
    門を見るだけなら無料
    人混みの少なさ:
    3.0
    公演の時は人が集まります

  • 水原華城の北東にある鋪樓(軍事待機場)

    投稿日 2013年03月03日

    東北舗楼 水原

    総合評価:4.0

    ‘北東鋪樓(ポル)’は訪花随柳亭と練武台の間、一番高い所にあります。見晴がよいので華虹門~練武台の警備が役割でした。
    西鋪樓・北鋪樓と同じ造りで雉城(チソン)の上に建てられた楼閣、板の隙間や壁の穴から偵察や攻撃ができるようになっています。板に描かれた模様は動物?少しコミカル、でも何だか味があって好き。

    旅行時期
    2011年10月
    利用した際の同行者
    一人旅

ふくうめちゃんさん

ふくうめちゃんさん 写真

4国・地域渡航

14都道府県訪問

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ふくうめちゃんさんにとって旅行とは

日々の原動力、旅行のために仕事してるかも‥ ⇒だったのに、助けを求めて我が家に来た猫達のために働いている‥旅行は「憧れの、最高の贅沢」になってしまいました。

自分を客観的にみた第一印象

デカイおばちゃん!へチ君に真っ黒なぐるぐるパーマのカツラをかぶせて、鼻と口を小さくした感じかも‥。

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