entetsuさんのクチコミ(71ページ)全3,931件
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投稿日 2015年10月22日
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投稿日 2015年10月22日
総合評価:4.5
水原華城に東西南北に4つある楼門の一つで、蒼竜門(チャンニョンムン)とも呼ばれます。一般的には東門と呼ばれるようです。
朝鮮戦争時に破壊されたものを、1975年の華城復元工事の際に華城城役儀軌の記録に従って完全に修復して今日に至ります。
すぐ前が綺麗な芝生の広場になっており、撮影スポットとして人気でした。- 旅行時期
- 2015年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 展示内容:
- 4.5
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投稿日 2015年10月21日
総合評価:4.5
「清渓川」は、一年を通じ今では観光客や市民の憩いの場所です。
しかし、昔はこうではなかった。ウォーキングツアーのガイドさんから聞きましたが、川沿いに居酒屋が並び、店にはトイレがなく、酔客はみんな川に向かって立ちションしてた・・・。朝鮮時代初期以来、周辺住民の生活排水が流入する下水道代わりの川でした。また、近くには多くの難民が押し寄せ、清渓川周辺は貧民街となっていました。
更に、1960〜70年代、韓国の目覚ましい経済成長・都市開発に伴い、清渓川の水質汚濁が更に悪化したため、川を暗渠化し、その上に清渓高架道路を造りますが、2003年7月から2005年9月にかけ、老朽化が問題となっていた清渓高架道路の撤去と、河川の復元工事が行なわれました。そして2005年10月1日、約40年間道路の下に隠れていた清渓川が再び姿を現し、今日の姿にまで回復したという訳です。
この様な歴史を知った上で、ここの遊歩道をそぞろ歩くと、この川を復元したソウル市民の先見の明を感じます。
川には小魚が泳ぎ、野鳥が集まって、その姿に癒されます。- 旅行時期
- 2015年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 景観:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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投稿日 2015年10月21日
総合評価:4.5
清渓川沿いの壁面にあります。
正祖班次図は、韓国歴史ドラマ「イ・サン」の主人公、朝鮮第22代王・正祖が父・思悼世子の還暦を記念し、母・惠慶宮洪氏と共に思悼世子の墓がある水原へ赴いた際の様子を描いた記録画です。
ここでは、5,120枚のセラミックタイルで作られた巨大な壁画になっていて、世界で最も長いタイル壁画として知られています。
1,779人の人と779頭の馬が行進する様子が描かれていますが、実際の行列はその他にも王を護衛した人数だけで3千人を超えていたといいますから当時の王権がいかに強大だったかが分ります。
セラミックのタイルも綺麗ですし、迫力あってすばらしい展示でした。- 旅行時期
- 2015年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.5
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.5
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投稿日 2015年10月22日
総合評価:4.5
水原シティツアーで訪れました。
別名「東北角樓」ともいいますが、訪花隨柳亭と呼ぶのが一般的のようです。
北水門に当たる「華紅門」から城郭に上がったところにあります。
元々の設置目的は八達山華城將臺が敵に奪われた際に、第2の臨時戦闘指揮所として使用するためでしたが、朝鮮王室の最も美しい東屋の一つに数えられているため、戦闘の機能よりは宴会の空間として活用されたようです。なるほど、こちらからの景色は最高でした。- 旅行時期
- 2015年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.5
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投稿日 2015年10月22日
総合評価:4.5
水原シティツアーで訪れました。
「水原華城」には東西南北に「門楼」4、南北に「水門」が2、「暗門」が5現存していますが、その北水門で、美しい虹門という意味を持つ華紅門と呼ばれます。華城の中心に流れる水原川なかかる美しい石橋で、その上に樓閣が設置されています。
今でも、樓閣には上がることも出来ました。- 旅行時期
- 2015年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.5
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「暗門」とは、有事の際に城内にひそかに物資を供給するための門でした
投稿日 2015年10月24日
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この日の「水原シティツアー」で、最後に訪れたスポットでした。
投稿日 2015年10月22日
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投稿日 2017年10月20日
総合評価:4.5
本殿である「仁政殿」の東側に「宣政殿」があり、更にその東側にあります。
元々は寝殿として使用していたそうですが、朝鮮後期から王の執務室である便殿で使用するようになりました。
王と多くの人が参加して学問を論じる経筵や重要な政治的な会議をするために使われました。
よく韓国歴史ドラマでもそのようなシーンがあるかと思います。
また、1917年の火災を復旧する時、前面に車に乗車できる玄関(車寄せ)が設けられ、古い王宮が時代と共に共存した形跡も垣間見ることが出来て、興味深いです。- 旅行時期
- 2016年11月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.5
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 展示内容:
- 4.5
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投稿日 2015年10月24日
総合評価:4.5
韓国歴史ドラマの名作「イ・サン」の正祖が本気で遷都を考えた城郭都市。ソウルから地下鉄で約1時間の水原市の中心部を取り囲むようにして建つ壮大な都城です。
正祖は、政争により悲運の死を遂げた父の墓を水原に移すにあたり、墓を保護するために城を建造を計画し、2年10ヶ月ほどの工期をかけて完成させました。
東西南北に置かれた4大門や水門、将軍が指揮を執る将台(チャンデ)や弓を射る弩台(ノデ)をはじめ、砲台、楼閣などの要塞都市としての建造物が現存し、みどころもたっぷりです。正祖は水原華城への遷都も計画しましたが、華城が完成した4年後に死去し、遷都計画も白紙に戻されました。「もし、正祖があと数年間生きていたら・・・」、歴史が変わったかもしれません。- 旅行時期
- 2015年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 5.0
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投稿日 2016年04月05日
総合評価:4.5
仁川国際空港からソウル駅までを結ぶ鉄道です。
仁川空港―ソウル駅までノンストップの直通列車と、12分間隔運行し各駅に停車する普通列車があります。
直通列車ですとわずか43分、普通列車でも1時間少しでソウル-インチョン空港間を結びます。
また、直通列車は全席座席指定、普通列車は自由席です。
直通列車はネットでも予約が可能です。
渋滞の多いソウルですが、時間も読めて価格も安いのでお勧めです。- 旅行時期
- 2016年03月
- 利用目的
- 空港-市内間の移動
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 利便性:
- 4.5
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投稿日 2017年10月20日
総合評価:4.5
24大王・憲宗が自分と王妃、そして大王大妃(母)のために用意した住まいで、丹青を塗っていない質素な両班屋敷風の建物群です。その後も後宮や女官が余生を送る空間として使用されました。
朝鮮時代の王は一般的には宮殿内で生まれ世子や王子を務めた後、国王に即位しますが、実際は外の私邸で生まれたり、子供時代を過ごした後、王位に上がった場合も多く、子供の頃の快適だった感じを復活させるために離宮として両班屋敷風の建物を造るといいます。
王朝末期の皇族たちが暮らした場所としても知られており、最後の皇太子である李垠(イウン)に、日本の梨本宮家から嫁いだ方子(まさこ)も晩年を過ごしました。- 旅行時期
- 2016年11月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.5
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.5
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投稿日 2017年10月20日
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投稿日 2017年10月19日
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「昌徳宮」の正殿で、朝鮮500年の間で最も長い間の法殿の役割をしていた所
投稿日 2017年10月19日
総合評価:4.5
「昌徳宮」の正殿です。文句なしの存在感。
ただ、景福宮の正殿である「勤政殿」が威圧的で壮大な面を見せる一方、昌徳宮の仁政殿は和やかな感じを与えるとガイドさんは言っていました。
豊臣秀吉の文禄の役で、景福宮が燃えてしまってから朝鮮末期に景福宮を再建するまで、朝鮮後期の政治の中心となった昌徳宮の正殿として青磁の中心でした。
現在の建物は、1803年に火災で焼失したものを、翌年再建したといい、時代の変化に合わせてシャンデリアやカーテンなど洋風の装飾が設けられているのも特徴的です。- 旅行時期
- 2016年11月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.5
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 4.5
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進善門を潜ったスペースの正面にある門です。宣政殿などの便殿への通用門です。
投稿日 2017年10月19日
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昌徳宮で、「敦化門」から入場して右に回り「錦川橋」を渡るとあるのが「進善門」。
投稿日 2017年10月19日
総合評価:4.5
昌徳宮で、「敦化門」から入場して右に回り「錦川橋」を渡るとあるのが「進善門」。
「進善門」をくぐると、かなり大きいスペースがあります。
スペースを進むと左に「仁政門」、正面に「粛章門」があります。
このスペースは、国王の即位式が開かれる実質的な外朝です。
「進善門」は日本統治時代に取り壊されましたが、1999年に復元されたといいます。
ここを潜れば正に宮殿の外朝という感じがして胸が踊ります。- 旅行時期
- 2016年11月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.5
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.0
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投稿日 2017年10月19日
総合評価:4.5
昌徳宮に来ると、一般的には「敦化門」から入場して、「錦川橋」を渡り右に進み正殿を目指しますが、真っ直ぐ進むと最近復元された「闕内各司」の建物群があります。
建物群のやや奥の方、場所的には正殿の仁政殿の西側にあります。
「養志堂」は祭祀を準備するための齋室として、国王が祭祀の前日に泊る施設です。母屋と行閣、出入り口などで構成されています。
こうやって、今でも徐々に創建当時の姿に復元されています。- 旅行時期
- 2016年11月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.5
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 展示内容:
- 4.5
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投稿日 2017年10月18日
総合評価:4.5
韓国の宮殿は、中国の影響を受け、必ず「禁川」とよばれる川があり、宮殿を外の世界と区別する象徴的な意味のある川です。
昌徳宮の禁川は、錦川と呼ばれ、北岳山から流れ落ちる小川を利用したものです。
錦川橋は、1411年に建てられたといい、現存する最古の宮殿石橋です。
しかも、錦川橋は長さ12.9m、幅12.5mあり、国王の行列が通り過ぎることができるほど広々としていて立派です。- 旅行時期
- 2016年11月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.5
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 展示内容:
- 4.5
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投稿日 2017年10月18日

















































