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熙政堂

史跡・遺跡

ソウル

観光の所要時間:
1-2時間

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熙政堂 https://4travel.jp/os_shisetsu/10430347

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施設情報

施設名
熙政堂
住所
  • ソウル市鍾路区臥龍洞2-71
アクセス
地下鉄3号線安国駅 3番出口 徒歩5分
休業日
月曜日(ただし祝日と重なった場合は開館)
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光
  2. 文化・芸術・歴史
  3. 史跡・遺跡
  1. 観光
  2. 建造物
  3. 城・宮殿
登録者
ふくうめちゃん さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(18件)

ソウル 観光 満足度ランキング 114位
3.34
アクセス:
3.71
地下鉄の駅から近いです by khkさん
コストパフォーマンス:
4.00
1人3,000ウォンです。 by khkさん
人混みの少なさ:
3.33
結構多いです。 by khkさん
展示内容:
4.04
韓国の宮廷建築を見学できます by khkさん
  • 王の生活空間

    • 4.0
    • 旅行時期:2023/05(約1年前)
    • 0

    宣政殿の隣にあるのが熙政堂。ここは王の生活空間であったが便殿である宣政殿が手狭で、たびたび国葬のための魂殿として使われたの...  続きを読むで、熙政堂が便殿の役割をはたすようになったとの事です。奥に回ったら煙突と思われるものもあって生活空間というのが実感できました。
      閉じる

    投稿日:2023/07/20

  • 王の寝殿と業務の場

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/12(約5年前)
    • 0

    ソウルの世界遺産の昌徳宮に行ってきました。敦化門から昌徳宮の中に入り仁政殿、宣政殿と見た後に次にあったのが、この熙政堂です...  続きを読む。熙政堂は、王の寝殿と業務の場だったそうです。王様の執務場所としては、そんなに大きな建物ではなく、観光客も多くはありませんでした。  閉じる

    投稿日:2018/12/17

  • 王様の寝室だったようです

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/09(約6年前)
    • 0

    今回は韓国・昌徳宮を見学してきました。入口でいただいたパンフレットの順路で宣政殿から大造殿へと行くのですがその前にこの「熙...  続きを読む政堂」があります。熙政堂の正面に門がありますが入れませんし内部を見ることもできません、しかし両側から奥へ行くと宣平門がありその背後から熙政堂の内部を見ることができます。当初は王の寝殿として使われていたようで椅子やテーブルなども置かれていました。見逃さない様にしてくださいね。  閉じる

    投稿日:2018/09/26

  • 国王の執務室である便殿として使用

    • 4.5
    • 旅行時期:2016/11(約7年前)
    • 1

    本殿である「仁政殿」の東側に「宣政殿」があり、更にその東側にあります。
    元々は寝殿として使用していたそうですが、朝鮮後期...  続きを読むから王の執務室である便殿で使用するようになりました。
    王と多くの人が参加して学問を論じる経筵や重要な政治的な会議をするために使われました。
    よく韓国歴史ドラマでもそのようなシーンがあるかと思います。
    また、1917年の火災を復旧する時、前面に車に乗車できる玄関(車寄せ)が設けられ、古い王宮が時代と共に共存した形跡も垣間見ることが出来て、興味深いです。  閉じる

    投稿日:2017/10/20

  • 王様の日常生活の場

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/08(約9年前)
    • 0

    熙政堂は昌徳宮内で王様が日常の生活をするための場所で、ちょっと奥まったところにあり入口が分かりずらかったです。建物の裏側は...  続きを読む扉が開かれていたため、内部の様子を良く見ることができました。床には赤いカーペットが敷かれていて、西洋風な雰囲気でした。  閉じる

    投稿日:2015/08/23

  • 王様の寝所と業務の場所だったそうです。

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/05(約9年前)
    • 0

    昌徳宮の中心部分にある建物です。王の寝所と業務を行う場所だったそうです。現在の建物は、1920年に建てられたものだそうです...  続きを読む。その時に、大造り殿も景福宮から移築したそうで、ここには王妃が住んでいたそうです。  閉じる

    投稿日:2015/10/23

  • もともとは昌徳宮の王の寝殿で、王はここで生活を送っていましたが、元々の執務室である宣政殿がたびたび国葬のための魂殿(遺体を...  続きを読む安置する場所)として使われたので、寝殿であった熙政堂が執務室の機能をするようになったのだそうです。

    仁政殿は対外的な昌徳宮の象徴で、大造殿と熙政堂は王が生活し、多くの時間を費やした本当の意味での王宮と言えるかもしれません。

    元々の名称は崇文堂でしたが、1496年(燕山2)に熙政堂と名称が変わりました。

    近代になると熈政殿は応接室として使われ、今でもに応接セットが残されています。

    今の熙政堂は、1917年に火災で焼失したものを1920年に景福宮にあった康寧殿を移して建てられたそうです。
    国宝東闕圖に描かれた熙政堂は石柱の上に建てた優雅で淡白な高床式建物で、今の姿とは全く違います。南に描かれている斉政閣(チェジョンガク)も今はもうありません。

    ここは純祖(23代王)の息子で憲宗(24代王)の父である孝明世子が崩御した所でもあります 。

    利発さや端麗な容姿、学究熱心なところが祖父である正祖(第22代王)に似ていたと伝えられる人です。
    父の純祖時代に19歳で摂政を務めるなど、若さに似合わない才能を発揮し、外戚である安東金氏の勢力と対抗して、王権を強める斬新な人事や、改革政治を行いました。
    王位につくことなく、22歳の若さで夭折したのは本当に惜しいことです。
    この事件に関しては陰謀説もあるようですが、定かではありません。

    現在 宝物第815号に指定されています。  閉じる

    投稿日:2015/05/21

  • 奥まったところに。

    • 4.0
    • 旅行時期:2015/04(約9年前)
    • 0

    すぐわかるところではなく、ちょっと奥まったところにあります。
    中庭?のような場所を通過して、奥にひっそりとあります。
    ...  続きを読むもちろん、中を覗くことはできます。
    昔の様子を感じることができるし、ドラマで見た雰囲気を感じました。  閉じる

    投稿日:2015/05/08

  • 王の寝殿

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/02(約9年前)
    • 0

    朝鮮王の寝殿であった建物で、昌徳宮内の建物とは少し形状が異なり、前方に玄関になるような建物を一棟設け、小さな中庭を経て初め...  続きを読むて建物に入ることができるようになっています。就寝する場ということで、やはり様々な危険から身を守る必要があったのでしょう。  閉じる

    投稿日:2015/02/27

  • 赤いじゅうたん

    • 4.5
    • 旅行時期:2014/03(約10年前)
    • 0

    王の生活空間であり、1日のうち最も長い時間過ごしす場所だそうです。
    前は王の寝室だったそうです。
    赤と緑がとてもきれい...  続きを読むな建物でした。
    昌徳宮の中にあるたくさんの数の建物のうちの一つです。
    内部は、西洋風な感じがしました。  閉じる

    投稿日:2014/04/21

  • 王様の寝殿でもあり執務室でもあった場所

    • 4.0
    • 旅行時期:2013/12(約10年前)
    • 2

    昌徳宮の中に有ります。

    王様が最も多くの時間を過ごされた所、
    つまり実質的な中心的な建物なのだそうです。

    1...  続きを読む920年に再建しながら
    景福宮にあった康寧殿を移して造った建物です。
    内部は絨毯やシャンデリア等、西洋風な感じでした。





      閉じる

    投稿日:2013/12/27

  • 王様の寝室

    • 4.0
    • 旅行時期:2013/09(約11年前)
    • 0

    世界遺産、昌徳宮にある、王の寝殿と業務の場であった煕政堂は幾度も火災に遭い、現在あるのは1920年のものです。景福宮にあっ...  続きを読むた慶寧殿が移されて造られました。一部、洋風に変えられてます。12時からの日本語ツアーに参加しました。  閉じる

    投稿日:2014/04/27

  • イ・サンの孫、孝明世子(翼宗)が崩御した場所

    • 4.0
    • 旅行時期:2013/08(約11年前)
    • 0

    熙政堂は孝明世子(翼宗)が崩御した建物だそうです。孝明世子は李朝23代王・純祖の息子(イ・サンの孫)。容姿端麗で聡明、本好...  続きを読むきで祖父・正祖に似ていたと伝えられています。

    純祖の命令で19歳で摂政になり、安東金氏勢力に対抗し斬新な人才登用など改革政治を行いましたが、王位につくことなく22歳の若さで死去。孝明世子の子供が僅か8歳で第24代王に即位した憲宗です。
    もし翼宗が若くしてこの世を去る事なく王位に就いていたら‥歴史が変わっていたかもしれませんね。

      閉じる

    投稿日:2014/06/05

  • 昌徳宮~8~熙政堂

    • 4.0
    • 旅行時期:2013/05(約11年前)
    • 0

    世界遺産の昌徳宮を見学。

    宣政殿の隣にある熙政堂。
    広場に面している表側の門からは入れないようになっていました。
    ...  続きを読む

    囲っている塀の横の通路からぐるっと回って、大造殿側から内部を窓から覗きます。

    王の寝殿だったのですが、先ほど見た宣政殿が使用できないときはこちらが執務室となっていました。

    内部はえんじ色のカーペットが敷かれ、椅子と机が置かれていました。  閉じる

    投稿日:2015/04/27

  • 寝殿

    • 3.5
    • 旅行時期:2012/10(約12年前)
    • 0

    寝殿でありながら執務室の機能をする大切な場所。
    1917年に火災で焼失したものの1920年に復旧しながら
    景福宮にあっ...  続きを読むた康寧殿を移してきたもの。
    でももともとの康寧殿と違い再建の際、カーペットが敷かれ
    ガラス窓やシャンデリアなどが設置され西洋式になっています。  閉じる

    投稿日:2014/12/27

  • 世界遺産・昌徳宮‘熙政堂’王の寝所

    • 4.0
    • 旅行時期:2011/06(約13年前)
    • 0

    世界文化遺産・昌徳宮内、当初は王の寝所でしたが後に御前会議室に変更されました。王の執務室・青瓦屋根の‘宣政殿’の隣。191...  続きを読む7年の火災で焼失、1920年に景福宮の‘康寧殿(王の寝所)’を移築したものが現在の建物、李朝最後の王・第27代純宗が逝去する1926年まで住んでいました。  閉じる

    投稿日:2013/03/14

  • 昌徳宮・王の寝殿と業務の場

    • 4.0
    • 旅行時期:2010/07(約14年前)
    • 0

    世界遺産・昌徳宮内の建物
    煕政堂は王の寝殿で、王はここで生活を送っていたが、やがて宣政殿と並んで執務室としても使われるよ...  続きを読むうになった。
    幾度かの火災で建て替えられて現在あるのは1920年のもの。
    この建物は景福宮にあった康寧殿を移築したものだそうです。
    色は韓国伝統建物ですが、少し西洋風な感じがします
      閉じる

    投稿日:2013/05/03

  • 王の寝殿・・・

    • 4.0
    • 旅行時期:2009/11(約15年前)
    • 0

    王の寝殿として王様が日常的な生活を送ったところですが、
    後に御前会議室として使われました。
    王と王妃の生活空間で、一部...  続きを読む西洋式に改造されていて、
    王の寝殿と業務の場であった煕政堂は幾度も火災に遭い、
    現在あるのは1920年のものです。  閉じる

    投稿日:2013/05/04

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このスポットに関するQ&A(0件)

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