チーママ散歩さんへのコメント一覧(179ページ)全2,144件
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平和って宝!
チーママ散歩さん(^_-)-☆
こんにちは、ムロろ~んです。
広島へ行かれた旅行記を拝見しました。
無事に晴れて良かったって思いました。虹も歓迎(^_-)-☆。
素晴らしい旅のスタートですね(^_-)-☆。
私も原爆投下の8月6日の日に式典参加のために行ったことがあります。
大分前ですけど(^▽^;)。
暑くて暑くて(;´Д`)。式典会場に冷水が飲めるサービスやら冷たいおしぼりサービスもありました。
そんな暑い状況下で苦しんだのを考えると・・・。
ボランティアガイドさんと色々と巡ったのですけれど、ホントに苦しかっただろうなぁって。
また年を改めて記念公園へ行ったんです。
そこでシュークリームとコーヒーを持って、のんびりコーヒーブレイクしたんです。
このようなことができるひとときって宝なんだなぁって。
平和の大切さを感じずにはいられなかったですよ。
ムロろ~ん(-人-)Re: 平和って宝!
こんにちは。
コメントいつもありがとうございます。
ムロろ~んさんも式典にご参加なさったのですか。
さえぎるものがなにもなく、厚かったでしょうね。
あの日も同じように暑かったことでしょう。
本当にお疲れ様でした。
私もガイドさんにお願いしてお話を聞いてきました。
時間がいくらあっても全てを見ることはできませんでした
慰霊碑には名前がわからず世帯主の名前の他その妻としか
標記されていない方もおり、身元すらはっきりしないまま
の方もいるのですね...。
韓国の方の慰霊碑の所にも韓国人らしき方が集まっておりました。
今も色々過去の問題がありますが、これからの私達は先を見ながら
平和を願いたいものです。
広島は2度でも、3度でも足を運びたい場所ですね。
ありがとうございました。(-人-)合掌
2021年05月12日15時04分 返信する -
ジェノサイド認定!
GWも終わって、いよいよ「サンデー毎日」正常運転に入りました。
密を避けて、コメントは今まで控えてました・・・マスクしてないし。
私が両親に連れられて原爆ドームに行ったのは1958年らしいです。新幹線はまだ無かったから「駄々っ子」を連れて延々と列車で行ったんでしょうね。もちろん記憶はほとんど残ってないし、戦争も原爆の意味も分かってるわけないから経験値は得られてません。当時は原爆が落とされて、まだ10数年しか経っていなかったから、広島には多くの被爆者・体験者がいたはずです。父親は軍隊体験者だったし、母親は空襲で焼け出され数人の同級生をそこで亡くしたそうです。どんな思いでヒロシマを見ていたのでしょう。
そういう私はその後、広島を訪れることも無く、次に平和公園に行ったのは「55年後」の2013年「シフォンと一緒」にです・・・ほんと、日本は平和な国になりました。高速道路を国産車でビューン! です。原爆は近代史においてきわめて悪質な虐殺だったわけですが、アメリカでは「戦争を早期に集結させるための手段として正当だった」という意見が大多数を占めていたし、日本も何となく「仕方が無かった・・」と教育され来た様な気がしてます。それがここ30年くらいでアメリカでも見直され始めていますから、私が孫に手を引かれてヒロシマに行く頃にはどうなってるか楽しみですね。
中国共産党の赤旗で埋め尽くされてたりして!
ほいみRe: ジェノサイド認定!
おはようございます。
密のご配慮ありがとうございます。
そうですね。ご両親は戦争体験されている年代ですね。
お父様が戦場で体験された事など、小さい頃からいろいろお話を聞いてお育ちになられたことと思います。平和ぼけの私達には想像もつかない世界だったと思います。
私の両親も戦争を知りませんが一度父が祖父母とそんな話をしているのを聞いたことがあります。ただ幼い私には興味のない話で全く。。。
2013年にまた行かれていたのですね。
とても爆心地とは思えない緑豊かな公園で、沖縄のそれとは異なり、市の中心という場所柄...重々しい雰囲気はなく地元住民の犬のお散歩コースになっているようで、何人か拝見しました。
そこに眠る方々も季節の花に囲まれて、賑やかで寂しくないかなと。
シフォンちゃんも慰霊に訪れていたのですね。
原爆に対しても色々な話があり、国によっても考えも異なるようですが、
どこの国であれ、罪のない人を殺すことを正当化してはならない....。
そう感じます。
目を背けず被爆国の国民として、日本が犯したパールハーバーの出来事を含め過去の悲惨な出来事を知って行きたいと思います。
サンデー毎日正常運転再稼働! では…我们一起学习中文吧。
ご一緒に。
2021年05月11日06時29分 返信する -
行くべき、見るべきところです。
こんばんは。
広島、長崎、沖縄の平和祈念館、ひめゆりの塔等々、職業柄何度となく生徒を引率して訪れました。
今時の若い子は、怖いと言って最初から記念館への入場拒否をする子もいました。
強制するわけにもいかず、そのままロビーに残しておきましたが、食わず嫌いでいいのか?と、いつも疑問に思っていました。
見なければ、行かなければ分からないことはたくさんあり、悲惨な過去のことにも目を背けてばかりはいられないと言ってやりたかったです。
広島に落とされた原爆はウラン型、そして長崎はプルトニウム型です。
同じ種類を落とさなかったのは、両方とも実験だったからという説もあります。
どちらがどんな被害を及ぼすか知るために、違う種類のものを落としたというのです。
極論かもしれませんが、科学は突き詰めていくと結論が知りたくなり、いろんなことを試してみたくなるようです。
原爆が落とされて初めて、科学者たちは自分たちの責任を問い直し、朝鮮戦争での原爆使用計画を、多くの署名運動によって阻止したと聞きます。
戦争を終結させるために原爆を投下するというのは、どんな風に考えても間違っていると思います。
それによって失われる人々の命の膨大さ、それが分かっているのに原爆を投下するというのは詭弁です!
と、つい力が入ってしまいましたが、青々と茂る木々がそびえる平和大通りを走りながら、爆撃機が飛んでくることもない今の時代に生きる幸せをしみじみ感じます。
資料館に展示された遺品を眺めながら、この人々の未来を奪った一発の原子爆弾が、二度と投下されることのないようにと思わずにはいられません。
前日光Re: 行くべき、見るべきところです。
こんばんは。前日光さん。
そうでしたね。先生は何度となく修学旅行で訪れていることでしょうね。
確かに資料館で原爆が2種類あったことを知りました。
実験説もその後のアメリカの対応を見ると頷けます。
被爆者にはしばらく「原爆」という言葉の使用を禁じたり...
手当を行うでもないのに定期的に施設に呼びつけ...
行かないと自宅であろうが、職場であろうが、車で乗りつけ連行して行き、
薬をくれるわけでもなくただ、データを取って解放。
そのように聞きました。 悲しい話です。
まだ核の保有国がある限り、本当の平和は訪れないのかなと思っております。
平和の灯が消える日が、私の生きている間にくることを望みます。
いつもありがとうございます。
また 続きが出来たら、遊びにいらしてくださいませ。
2021年05月10日21時21分 返信する -
長崎と広島
チーママ散歩さん、こんばんは。
広島の平和記念資料館、随分前ですが、私も行ったことがあります。
広島の知人を訪ねて行って、案内されました。
実はこのとき、私は気がすすまなかったのです。
それはそのずっと前に、長崎の原爆資料館を訪れて、あまりにも悲しく衝撃を受けたから。その記憶は何十年も生き続けていました。まだ学生の頃で友人グループでの長崎旅行でしたが、その日の昼ごはんは皆食べることができませんでした。
広島の平和記念資料館、遺品の展示やジオラマを見て、被爆した人はどんなに熱く痛くつらかったことか。私もそのとき体が熱くなるような気がしました。
広島の知人は、「たとえつらい思いをしても、見ておかなければならない」という気持ちで案内したのだと思います。今はその知人に感謝しています。
話がチーママ散歩さんの旅行記から離れてしまってごめんなさい。でも、もう二度とあんな悲劇は起こしてはいけませんね。
DecoRe: 長崎と広島
Decoさんこんばんは。
コメントありがとうございます。
長崎の資料館はまだ行ったことがなく、いつかは行ってみたい。
そう思っておりました。
確かにリアルな状況を伝えたいという資料館の思いから、亡くなった方を撮影されたもの、また被爆した際の「死の斑点」などを人体から切り取ったような一部があり、目を向けることができないものが沢山ありました。
ご友人のように、気分を悪くされる方もいらっしゃるかも知れませんね。
ショックが大きく、しばらく会話もできませんでした。
資料館を出て、目にした緑が私の心を癒やしてくれました。
今は 見学して良かった。そう感じております。
オバマ氏の鶴の写真を入手したくて再度広島平和資料館へ申請したところ、先に掲載した自分で撮った写真ですが、それも写真もネット掲載には申請が必要とあり、一部イメージ図と変更してあります。
個人撮影OKではあるのですが、ネットに載せる場合は申請が必要みたいですね。余談ですが...。いろいろ勉強になりました。
翌日はお天気に恵まれ素敵な風景を堪能してきました。
また遊びにいらしてください。
2021年05月10日21時03分 返信する -
受け止めねばならぬ事実
チーママ散歩様
こんにちは
広島原爆記念館など行くべきと考えています。
まだ行ったこともなく、沖縄でも戦争に関わったところは行っていません。
まだ整理が付かないこともあります。
父から戦争のことは聞かされています。
父は大阪商船の社員(現商船三井)で海外に赴任していました。
戦争が始まり帰国し海軍航海学校へ入学。
どうせ徴兵されるなら志願で海軍と決めていた。
勿論戦時の航海へ向かいます。
隣の兵隊が弾に当たり命落とした!
生死の境目を生き抜いて終戦は三重県の軍港。
最後の使命はアメリカ軍に船を没収される前に処分。
処分は海へ沈める。
何層も沖で爆破したそうです。
父を両親をHawaiiへ連れて行ってもパールハーバーは行きません。
私の恩師日系人会の副会長もパールハーバーは勧めません。
父と日系人の恩師をHawaiiで対面させピクニックへ行きました。
アメリカ軍と日本軍を乗り越えての和やかな時間。
日系人会の副会長はJALハワイ就航のHawaii側の功労者。
新婚旅行のときは私たちはビジネスでした(当時はサクララウンジはファーストだけ)が帰国時サクララウンジへ通してくれました。
当時は飲み物とスナックを担当者が運んでくる障子があしらわれた和風のこじんまりしたラウンジ。
JALの記念式典に招かれる地位の方で、Hawaiiに行く都度、戦時中の日系人や日系人部隊のお話しを聞きました。
分かりやすく言われたことは
「お父さん(日本)お母さん(米国)がケンカして僕はどうすれば良いのだ~
アメリカに忠誠を誓う。
日系人の愛車はプリムス(クライスラー)、日本車のらないのですかと聞けば、アメ車だ!少しでもアメリカに溶けこむような意識があったのでしょうか。
その方のお仕事はHawaiiから日本への旅行を販売する旅行会社の社長。
日本人以上に日本が詳しい。とても勉強になりました。
その様に両軍の方から戦争経験を聞いてきました。
また日系人社会を聞いてきました。
一人旅でHawaiiに行きましたときやっとパールハーバーへ行く決心が出来行って来ました。日記に書いています。
行ったときは父の話を思い出し涙が止まりませんでした。
今回の日記を読み、亡くなった少女のことなど考え深い日記でした。
日記をお書きになるまで言葉を探したお気持ち良く分かります。
いつかは行って手を合わせたい場所です。
私事も含み申し訳ないです。
今後とも宜しくお願い致します。
ohanaRe: 受け止めねばならぬ事実
Ohanaさん こんにちは。
コメントありがとうございます。
お父様は戦場経験者様でいらっしゃいましたか。
目の前でお仲間が亡くなるなんて。
無残な戦場での出来事。
トラウマを抱えたままその後をお過ごしになったという話も聞きました。
お父様も船をご自分で爆破して沈める...。
特攻隊の方も同じ話をされていましたが、本当に無念であったことでしょう。
この旅行記を書くにあたり、歴史は、お立場によって、人によっていろいろな受け止め方があるので、書いていいものかどうかも迷いました。
大人の常識としてタブーな話の中に「政治・宗教・野球」とありますが
もしかしたらこれもそうなのかなと思いながら...。
ただ、過去を問うのではなく..
被爆国の国民として知りたい。そんな思いから書かせて頂きました。
私の両親も戦争を知りません。
だから余計に知りたい。そう思ったのかも知れません。
Ohanaさんのパールハーバーの訪問の記録をあとでお邪魔させて頂きます。
いろいろ教えて頂きましてありがとうございます。
2021年05月09日15時41分 返信する -
広島へ行かれていたのですね。。
こんにちは。。
原爆資料館へ行かれていたのですね。。
私も一昨年前に資料館へ行って来ました。
広島県産業奨励館(原爆ドーム)の周りには沢山の民家がひしめいて建っていたのに、一発の原子爆弾で全てが無くなり吹き飛んでしまった写真が壁一面に。。
とても衝撃的でその後の展示物や説明を見ていると涙がどんどん出て来て止まらなくて。。本当に辛かったです。。
当時はインバウンドで海外からも多くの方々が来ていて、アメリカから来た方々はどんな気持ちで見ているのかなと。。とても複雑な思いでした。。
原爆ドームの隣に折り鶴タワーがあって上階では折り鶴を折って下へ落とす折り鶴の壁があって。。私達も平和を祈って落としてきました。。目標は100万羽の折り鶴だったと思います。。
きっと佐々木貞子さんの折鶴にも関係しているのかなと。。。
ここ最近は中国と周辺国とギスギスした関係が続いていますけど、こんなに多くの民間の犠牲が出てしまう戦争にならないように祈る日々です。。
チーママさんの旅行記で改めて思い返されました。。本当に戦争は怖いです(ーー;)
yumikenRe: 広島へ行かれていたのですね。。
こんにちは。
はい広島でした♪
yumikenさんの成田お散歩のコメント欄ではお騒がせしました(^_^;)。
飛行機が天候不良で「飛ぶ、引き返す」のごたごたは往復ともありましたが、
観光地に着くと晴れてくれて、楽しんできました。
・・初日はしっかりと学んで来ました。
yumikenさんの広島も拝見しました。
(いいねは明日しますね(^_^;))
私達が行ったとき「折り鶴タワー」がコロナの関係で休館という情報が入ってきて目の前にあるのに行けなかったんです。
私も折りたかったな 鶴。
飛ばしたかったな~。
あんなふうに皆の思いが溜まっていくんですね。
素敵な企画ですね。
きゃー。。
きっと来る~の「貞子」になっているよ(^_^;)
禎子さん・・・。
私も変換しても出てこないから、最初間違って入力していたけど笑
鶴が平和の象徴として認識されたのも彼女の影響が大きいみたいですね。
やっぱり、宮島も行かれていますね。
私も今作成中です。
またよかったら遊びに来てくださいね♪
2021年05月09日11時12分 返信する -
No More Hiroshima ~Pearl Harber~
☆昨年の今頃、突然広島へ行ってました。(正に、突然何処かへ行きたい思いで)!
☆チーママさんの様に大義を感じて出掛けたわけでは無く、何処でも良いから連れてって!気分でしたので、折角記念館の傍のホテル投宿でしたが、夕刻合流した夫が「天気が崩れそうだから、今日の内に宮島へ行こう!」と唆かされて、遠出~
☆若き日の劇団時代にグループで原爆記念館を訪れ、気が滅入った事を思い出します。
☆オバマさんの折り鶴は感動的でしたが、その時だけって感じも有り、アメリカンは深くは考えない原爆の恐ろしさ~戦争を終える手段としてやむを得なかったと80%が承認してるらしい~つまらないお喋りで御免ね~Re: No More Hiroshima ~Pearl Harber~
こんにちは salsaladyさん。
昨年の広島・宮島へ行かれたのですね?
私もこの次は宮島です。早速お邪魔して拝見しなくては♪
さすがsalsaladyさんだなと思ったのは、多くのアメリカ人が終戦を迎えるために原爆投下は致し方なかったと思っているところを述べられて...。
確かにあのまま戦争が続いたらもっと多くの犠牲者がでていたのは目にみえて危惧されますが...。
今回行って聞いたお話では、終戦後「原爆」という名前を口にすることもアメリカに禁じられ、被爆者の手当もなく、強制的に施設に呼ばれ実験台のデータを収集するだけで何もしてもらえなかったと聞きました。
私には難しくて..何も言えませんが....
どんな状況であれ、どこの国であれ、罪のない人を殺すことを正当化してはならない....。
それが、私たち日本人が原爆を通して学んだことだと感じております。
今も各地で起きている戦争。
その教えを忘れたとき、日本も戦争の絶えない国になるかもしれないと思うと怖いなと思います。~すみません、こんなコメントしか出来なくて~2021年05月09日10時19分 返信する -
平和祈念資料館は心の原点なり
チーママさん おはようございます。
近くへ来ていたと言ってたけど、広島へ来ていたのだ。
本来ならば、近くに来たんだから寄りなさいよとお声をかけるのですが、今回は許してあげます。
実は、私の娘もある事情で広島へ来ていたのですが、1年以上も会っていないので、ついでに帰省しなさいと言いたかったけど言えない。じゃ、こちらからから広島へ伺うことも出来そうで出来ない。近くても感染という海が、世間の目という海が立ちはだかっていたのです。だからチーママさんも許しちゃう。
でも、香川に来ていて会えませんは許しませんぞよ。
今回はいつもと違ってシリアスな旅行記となりましたね。
私も平和記念資料館へ行ったのは、小学生の時と修学旅行でした。
特に、子供の時に見た衝撃は激しく、一生忘れることはないです。
戦争の悲惨さを原体験として知ることは、とても大事な事だと思います。
その悲惨さを心と頭脳に刻み込んで、それから平和運動活動に行くなり、軍備で守る方へ行くなり、それは各個人の選択の自由と思います。
ダメなのは、原点としての戦争の悲惨さを感じてないとか、チーママさんも書いているように無関心かと思います。
私が懸念しているのは、私も含め戦争を体験していない世代が世界の中で多数を占めていることです。世界の指導者をみても実際の戦争体験も無い、軍隊の経験もない指導者ばかりです。そんな彼らが軍隊の総司令官なんですから、ちゃんちゃら笑っちゃいます。まるで幼い子供が戦争ごっこをする感覚になるのではと。
話が長くなりましたけど私見を述べさせて頂きました。
ところで、秘密の話は、チーママさんが来島した時にお話しましょう。
この後続く旅行も楽しみにしています。
Re: 平和祈念資料館は心の原点なり
キャラバン警部おはようございます(^-^)ゝ
早速読んで頂きまして、ありがとうございます。
こんな時期にと思う方も多いと思います。
1年もお会いしていないお嬢様との再会も我慢なさっているのに。
ごめんなさい。
皆様「気遣って安全対策をして... 消毒を持って...」とお断りを入れて旅行記をアップされているのを多く拝見します。
もちろんいろいろ悩みましたが、キャンセルできない事もあって私も決行してきました。
また今回はその言い訳も書かずに旅行記を書き始めてしまいましたので。
ご覧になる方によっては、いろんな思いをお持ちになるかと思います。
大都市を外して宿泊をしたり、朝活で人より早く行動して密を避けたり
できる限りテイクアウトで食事をしたり....
安全対策は自分で出来ることはしております。
ところで、戦争を知らない世代が増えてきた...。
おっしゃる通りで、原爆体験を語り継ぐ方の高齢化で伝承していくのが難しくなってきているのが問題かと感じております。
特攻隊で生きておられる方もすでにご高齢で講演会などでも椅子にお座りになってお話されているのを見ると、余計にそれを感じます。
弾道ミサイル発射や実験による強い揺れを計測したなどのニュースを目にすると本当に怖いと感じます。
まだ核を保有する国が9カ国もあるのが現実です。
平和の灯は消える日がくるのでしょうか
平和は努力しないと築けない物なのですね。
同じ人間が人間を殺める実験って。。。悲しくなりますね..警部。
ところで、あのKenjiさんの大失態の件。(^▽^)
小豆島に行かないと伝承していただけないのですか?
了解しました。 感染という海・世間の目という海を超えて
歴史の証言者となるべく、落ち着いたら伺います。
楽しみだわ~2021年05月09日09時59分 返信する -
平和の灯を、ともす
チーママさん、おはようございます。
疫病の蔓延で、分断され
人種差別や、迫害、ヘイト、DVなどで
一番弱い立場の人々が一番被害をこおむっている
今の世界情勢、、
その節目に、広島に向かったチーママご夫妻。
本当に頭が下がります。
私は大人の癖に、臆病で、
震えてしまうのです。恐くてたまらない。
大人が、こうなんですから、
なんの罪もない、あどけないお子達は
どんなに、恐ろしかったことでしょう。
心の中に平和の灯をともし、
平和の花を咲かせたいです。
改めて平和の大切さに気づかせてもらいました。
ありがとうございました!
Re: 平和の灯を、ともす
コトラユーザーさん。 いつもコメントありがとうございます。
先日とあることから...過去の共通点がわかり..(^^;)
なんとなく不思議なご縁を勝手に感じております。
そんな私も広島は修学旅行以来で、特に山陰に関しては初めてとなる旅行でした。
初日は少し沈む気持ちではありましたが、行って良かった。
今はそう思っております。
多くの大人・子供を含む人が被害に遭われ、またその後も心の傷と病気と闘って来られたのですが...。
今回行って子供の遺品展示がとても多く目につきました。
あどけない姿でお母さんに抱っこされて写っている写真など。
もう胸が詰まります。
写真も撮ってもいいのですが、とてもそれどころではなく。
戦争を知らない私達は、目を背けずに「知る」ことをしなくてはいけないと
感じてきました。
疫病の蔓延で、分断され人種差別や、迫害、ヘイト、DVなどで一番弱い立場の人々が一番被害をこおむっている今の世界情勢、、
・・・コトラユーザーさんのご指摘にも胸が詰まります。
確かに一番怖いのは戦争・病気ではなく人間の心かも知れません。
戦う相手は人ではなく、別のもので有ることを改めて感じました。
暗いお話になりましたが、次はお気楽観光です。
もう、行き先はご存じですね♪
数回にわけて書こうと思っております。
こんなに人権について深く考えた旅なのに、途中「自殺志願者」と間違われるアクシデントも。
そうなんです。遭難です。
自撮り棒持ってにこやかに♪志願者と間違われました。
どこかでこのおバカなアクシデントのお話を書こうと思っております。
また遊びにお越しくださいませ。
2021年05月09日09時23分 返信する -
忘れてはいけないもの。
おはようございます。
私は
弱虫な人間だなあとつくづく思う。
以前広島へ行った時に、
記念館の前まで行ったのに、
勇気が出ずに引き返してしまったから…
あの原爆ドームを過ぎて歩いて行くうちに、
涙が止まらなくなり、一歩も前に進めなくなってしまった。
もう少し勇気を出していれば…
自分の不甲斐なさをもう一度見た、
今回の旅行記です。
凄いね、チーママちゃんは。
きちんと伝えようとしているその姿。
尊敬しか無い。
大切な事を思い出させてくれて、
ありがとう。
でもね、朝からまた泣いちゃった。
ホント弱虫で困ったな。私。
Re: 忘れてはいけないもの。
おはようございます。
せっかくのお休みなのに、ごめんなさいね。
重い気持ちにさせてしまって。涙ふいてね。
むぎゅってしてあげる。
人間ってみんな偉そうにしている人も、基本弱虫なんだと思うよ。
だから皆寄添って生きているんだと思うの。
私なんかどうしようもない弱虫。
泣き虫選手権があったら絶対優勝者だわ。
この手の。しかも子供の命をテーマにしているのってダメなんだよね。
辛いよね。本当に。心えぐられる思いで見てきたわ。
でも一方で人間って強いねっても思った。
涙の数だけ強くなれるって本当だね。
今ではあそこが爆心地であったことすら感じさせないくらい。
同じ事はくりかえさない。そう誓ってきました。
次からは涙不要のお気楽日記の予定ですので、また遊びに来てくださいね。
むぎゅっ☆彡
2021年05月09日08時44分 返信するRe: 忘れてはいけないもの。
重い気持ちにはなっていないよ。
大切な見つめ直す時間をもらって、
ありがたい時間でした。
それに、ムギュって2回もしてもらっちゃったから。
暖かな気持ちを貰いました(^_^*)
次はあの橋のある県かな?
それとも、鹿のいる所かな?
楽しみ♪2021年05月09日09時01分 返信する



