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今年のGW 私は中国地方を旅してきました。<br /><br />旅の始まりは広島から。<br />真っ先に向ったのは広島平和記念資料館。<br />以前修学旅行で訪れて以来2度目の訪問。<br /><br />倉敷を回った事やその他の事は覚えている<br />けれどこの広島の事はあまり記憶に残って<br />いないのが不思議。<br /><br />「一瞬にして世の中が変り...<br /> 多くの人が命を落とし....<br /> 例え生き延びても、心と体に大きな痛手を<br /> 受けどれだけ生きる事が辛かったか。」<br /><br />そんな、被爆経験者の語り部を聞いて、<br />気持ちが重く、辛く。<br />せっかく訪れた平和記念公園も、断片的に<br />川沿いや原爆ドームの風景しか記憶に<br />残っていない。<br /><br />年を重ね、ある研修会で特攻隊だった方の<br />講演会に参加したのがきっかけで、<br />「戦争」というものを知りたいと思うように<br />なり。土浦予科練平和記念館・鹿児島では<br />知覧の平和会館、沖縄の平和祈念館、<br />ひめゆりの塔はもちろん...<br />パールハーバー戦艦ミズーリ記念館にも<br />何度か訪問。<br />「戦争を知る」と言うことは、戦場体験者<br />の生々しい声を直接聞き...<br />それまでのパールハーバーでの日本の過去や、<br />社会的背景も含めて考えることが戦争を知る<br />と言うことなのだと思うように至り...<br />その後はよくその類の講演会に参加したものです。<br /><br />毎年8月になると、広島平和記念式典が<br />テレビに流れ、原爆ドームの姿を目にする<br />その度に...深まる思い。<br /> 「被爆国の国民なのだから、<br />    いつかもう一度時間をかけて<br />     きちんと見てみたい。<br />           知りたい。」<br /><br />今回その思いを実現するために<br />旅のスタートを広島の地に選びました。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

恋すら知らぬまま。無辜の子供達の笑顔が消えた日。 ~広島旅より~

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2021/04/29 - 2021/04/29

44位(同エリア2749件中)

旅行記グループ 2021.5 中国地方回遊記

29

20

チーママ散歩

チーママ散歩さん

今年のGW 私は中国地方を旅してきました。

旅の始まりは広島から。
真っ先に向ったのは広島平和記念資料館。
以前修学旅行で訪れて以来2度目の訪問。

倉敷を回った事やその他の事は覚えている
けれどこの広島の事はあまり記憶に残って
いないのが不思議。

「一瞬にして世の中が変り...
 多くの人が命を落とし....
 例え生き延びても、心と体に大きな痛手を
 受けどれだけ生きる事が辛かったか。」

そんな、被爆経験者の語り部を聞いて、
気持ちが重く、辛く。
せっかく訪れた平和記念公園も、断片的に
川沿いや原爆ドームの風景しか記憶に
残っていない。

年を重ね、ある研修会で特攻隊だった方の
講演会に参加したのがきっかけで、
「戦争」というものを知りたいと思うように
なり。土浦予科練平和記念館・鹿児島では
知覧の平和会館、沖縄の平和祈念館、
ひめゆりの塔はもちろん...
パールハーバー戦艦ミズーリ記念館にも
何度か訪問。
「戦争を知る」と言うことは、戦場体験者
の生々しい声を直接聞き...
それまでのパールハーバーでの日本の過去や、
社会的背景も含めて考えることが戦争を知る
と言うことなのだと思うように至り...
その後はよくその類の講演会に参加したものです。

毎年8月になると、広島平和記念式典が
テレビに流れ、原爆ドームの姿を目にする
その度に...深まる思い。
 「被爆国の国民なのだから、
    いつかもう一度時間をかけて
     きちんと見てみたい。
           知りたい。」

今回その思いを実現するために
旅のスタートを広島の地に選びました。






旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
レンタカー
旅行の手配内容
個別手配

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  • 4月29日<br />『平和記念公園・資料館へ』<br /><br />朝から視界不良でフライトが危ぶまれるほどの土砂降りの雨。<br />空港から平和記念公園に着くまでもワイパーがひっきりなしに右から左へ。<br />滴を吹き払うのが追いつかないくらい。<br />それが、公園につくと嘘のように雨が止み。<br />祈りの泉には綺麗な虹がお出迎え。<br /><br /><br /><br />

    4月29日
    『平和記念公園・資料館へ』

    朝から視界不良でフライトが危ぶまれるほどの土砂降りの雨。
    空港から平和記念公園に着くまでもワイパーがひっきりなしに右から左へ。
    滴を吹き払うのが追いつかないくらい。
    それが、公園につくと嘘のように雨が止み。
    祈りの泉には綺麗な虹がお出迎え。



  • 『原爆死没者慰霊碑』<br /><br />正面まっすぐに続く原爆死没者慰霊碑へと足を進め、何はともあれ真っ先に慰霊碑に手を合わせる。<br />もう少し重苦しい雰囲気をイメージしていたけれど犬を連れて散歩する人、ジョギングする人。<br />市民の方の憩いの場所ともなっているのには少し驚いた。<br />でも皆ここで止まり帽子を取り、手を合わせていくのがとても印象的。<br /><br />「安らかに眠って下さい<br />    過ちは繰返しませぬから」と。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

    『原爆死没者慰霊碑』

    正面まっすぐに続く原爆死没者慰霊碑へと足を進め、何はともあれ真っ先に慰霊碑に手を合わせる。
    もう少し重苦しい雰囲気をイメージしていたけれど犬を連れて散歩する人、ジョギングする人。
    市民の方の憩いの場所ともなっているのには少し驚いた。
    でも皆ここで止まり帽子を取り、手を合わせていくのがとても印象的。

    「安らかに眠って下さい
        過ちは繰返しませぬから」と。







  • 『平和の池』<br /><br />原爆被害にあった人達が、乾いたのどを<br />潤すために水を求めてさまよったことから、<br />この公園の至るところに池が設計されている。<br /><br /><br />

    『平和の池』

    原爆被害にあった人達が、乾いたのどを
    潤すために水を求めてさまよったことから、
    この公園の至るところに池が設計されている。


  • 『平和の灯』<br /><br />2016年5月27日にアメリカ合衆国大統領バラク・オバマ氏が来館した時も同じように燃えていた灯。<br />手首を合わせ、手のひらを大空にひろげたような形の中で焚かれている。<br />1964年東京オリンピックの時からずっと消えたことがない灯。<br />そして、この地球から核の脅威がなくなるまでその炎が消えることはないという。<br />私が生きている間にそのような平和な日は訪れるのだろうか。<br />

    『平和の灯』

    2016年5月27日にアメリカ合衆国大統領バラク・オバマ氏が来館した時も同じように燃えていた灯。
    手首を合わせ、手のひらを大空にひろげたような形の中で焚かれている。
    1964年東京オリンピックの時からずっと消えたことがない灯。
    そして、この地球から核の脅威がなくなるまでその炎が消えることはないという。
    私が生きている間にそのような平和な日は訪れるのだろうか。

  • 公園の一角にあるバラ園。<br />平和を願い各国から寄贈された花が、見頃を迎えている。<br />見渡せば木々の緑にあふれ、その新緑が目にまぶしい。<br />とても良い時期に訪れることができたわ。<br />なんだか、そんな気がした。<br />よく見ると多くの種類の木。<br />供木といって各地から寄贈された木らしい。<br />公園を囲むようにきれいに植えられている様はここが爆心地であったことを忘れるよう。<br />

    公園の一角にあるバラ園。
    平和を願い各国から寄贈された花が、見頃を迎えている。
    見渡せば木々の緑にあふれ、その新緑が目にまぶしい。
    とても良い時期に訪れることができたわ。
    なんだか、そんな気がした。
    よく見ると多くの種類の木。
    供木といって各地から寄贈された木らしい。
    公園を囲むようにきれいに植えられている様はここが爆心地であったことを忘れるよう。

  • 『被爆したアオギリ』<br /><br />熱線と爆風をまともに受け、枝葉はすべてなくなり枯れ木同然に。<br />幹は爆心側の半分が焼けてえぐらた跡が今もはっきりと見える。<br />でもこの木は生きている。そして原爆の被害を無言で語り続けている。<br /><br />当時 被爆したこの地は75年以上は草木も生えず、人々も生きてはいけないだろうと....生きる気力も失い全ての希望を失った場所であった。<br /><br />それがやがて冬を越え、春になり芽吹き...<br />それを目にした人々をどれだけ勇気づけたことだろう。<br />今では、沢山株分けをして2世・3世が平和を願い各地に寄贈されているという。

    『被爆したアオギリ』

    熱線と爆風をまともに受け、枝葉はすべてなくなり枯れ木同然に。
    幹は爆心側の半分が焼けてえぐらた跡が今もはっきりと見える。
    でもこの木は生きている。そして原爆の被害を無言で語り続けている。

    当時 被爆したこの地は75年以上は草木も生えず、人々も生きてはいけないだろうと....生きる気力も失い全ての希望を失った場所であった。

    それがやがて冬を越え、春になり芽吹き...
    それを目にした人々をどれだけ勇気づけたことだろう。
    今では、沢山株分けをして2世・3世が平和を願い各地に寄贈されているという。

  • 『原爆ドーム』<br /><br />何十年ぶりかで見る 目の前の原爆ドームに心がどよめく。<br />私達が訪れる少し前まで修復工事を行っていた原爆ドーム。風がふけば煉瓦が落ちて危険な状態であったという。<br />市民の間には<br />「戦争を思い出すので取り壊して欲しい」<br />との声も上がったようだけれど、忘れてはいけない歴史の証人として保存されることになり、今もなお原爆の愚かさを静かに語り続けている。

    『原爆ドーム』

    何十年ぶりかで見る 目の前の原爆ドームに心がどよめく。
    私達が訪れる少し前まで修復工事を行っていた原爆ドーム。風がふけば煉瓦が落ちて危険な状態であったという。
    市民の間には
    「戦争を思い出すので取り壊して欲しい」
    との声も上がったようだけれど、忘れてはいけない歴史の証人として保存されることになり、今もなお原爆の愚かさを静かに語り続けている。

  • 『原爆の子の像』<br /><br />5年前オバマ氏が来館された際に、モデルとなった佐々木禎子さんに関心を示し、自ら折った鶴を寄贈している。<br />彼女の死をきっかけに原爆でなくなった子供達の慰霊のために建てられた像。<br />折鶴を掲げる禎子さんをイメージする少女のブロンズ像が立っている。<br />

    『原爆の子の像』

    5年前オバマ氏が来館された際に、モデルとなった佐々木禎子さんに関心を示し、自ら折った鶴を寄贈している。
    彼女の死をきっかけに原爆でなくなった子供達の慰霊のために建てられた像。
    折鶴を掲げる禎子さんをイメージする少女のブロンズ像が立っている。

  • 『リニューアルされた平和記念資料館』<br /><br />館内はフラッシュ以外の撮影は許可されている<br />けれど、厳かな展示室で、シャッター音を<br />切って写真を撮る気持ちにはなりにくて..。<br /><br />※平和資料館へ写真の提供を申請した上で一度アップしました。<br />追加で資料申請をした際に、異なる学芸員さんより<br />個人で撮影した写真も全て使用申請をしなくてはいけないとのことで<br />写真(絵)の入れ替えを行いました。<br />イメージ絵に変更して挿入いたしました。ご理解くださいませ。<br />

    『リニューアルされた平和記念資料館』

    館内はフラッシュ以外の撮影は許可されている
    けれど、厳かな展示室で、シャッター音を
    切って写真を撮る気持ちにはなりにくて..。

    ※平和資料館へ写真の提供を申請した上で一度アップしました。
    追加で資料申請をした際に、異なる学芸員さんより
    個人で撮影した写真も全て使用申請をしなくてはいけないとのことで
    写真(絵)の入れ替えを行いました。
    イメージ絵に変更して挿入いたしました。ご理解くださいませ。

  • 『遺品の展示』<br /><br />多くの方が亡くなった中で...<br />展示の中には子供の遺品・遺影が多いのに気づき<br />見ていて心が打ち拉がれる。<br /><br />ぼろぼろの衣服。血のついたシャツ。<br />ガラスが刺さった姿。<br />折り重なるように横たわる亡骸。<br /><br />※写真を取りやめてイメージ図を挿入しました。

    『遺品の展示』

    多くの方が亡くなった中で...
    展示の中には子供の遺品・遺影が多いのに気づき
    見ていて心が打ち拉がれる。

    ぼろぼろの衣服。血のついたシャツ。
    ガラスが刺さった姿。
    折り重なるように横たわる亡骸。

    ※写真を取りやめてイメージ図を挿入しました。

  • 原爆による痛ましい死への想像力をより身近なものとして感じる。<br />命を落とすことも、またこのような状況の中家族や友人を失った悲しみに耐え、<br />心身に残る傷や病を抱えながら生かされることも....<br />どちらも私には耐えられない。<br /><br />あの一瞬がもたらした<br />悲しみ 苦しみ 不安や絶望。<br />穏やかな日々、幸せなひとときが..<br />一瞬にして消え、<br />消えることのない心の痛みを抱いて<br />被爆者や遺族はその後の人生を歩んできたのですね。<br /><br />耐えられないね。<br />でも、しっかり見なくちゃ。<br />知らなくちゃいけない。<br /><br />※写真を取りやめてイメージ図を挿入しました。

    原爆による痛ましい死への想像力をより身近なものとして感じる。
    命を落とすことも、またこのような状況の中家族や友人を失った悲しみに耐え、
    心身に残る傷や病を抱えながら生かされることも....
    どちらも私には耐えられない。

    あの一瞬がもたらした
    悲しみ 苦しみ 不安や絶望。
    穏やかな日々、幸せなひとときが..
    一瞬にして消え、
    消えることのない心の痛みを抱いて
    被爆者や遺族はその後の人生を歩んできたのですね。

    耐えられないね。
    でも、しっかり見なくちゃ。
    知らなくちゃいけない。

    ※写真を取りやめてイメージ図を挿入しました。

  • 時代を選べず生まれ、食料不足で口にするのは貧しい食事。<br />お腹を一杯に満たす幸せを、知らずに命を落としてしまった。<br /><br />もんぺ姿で..おしゃれもしたかったことでしょうね。<br />これから沢山学びたかったことでしょうね。<br />両親にわがまま言ったり...<br />もっと甘えたかったりしたかったことでしょうね。<br /><br />本当に...胸が苦しいよ。<br />涙なしには見れないよ...。<br /><br />※写真を取りやめてイメージ図を挿入しました。

    時代を選べず生まれ、食料不足で口にするのは貧しい食事。
    お腹を一杯に満たす幸せを、知らずに命を落としてしまった。

    もんぺ姿で..おしゃれもしたかったことでしょうね。
    これから沢山学びたかったことでしょうね。
    両親にわがまま言ったり...
    もっと甘えたかったりしたかったことでしょうね。

    本当に...胸が苦しいよ。
    涙なしには見れないよ...。

    ※写真を取りやめてイメージ図を挿入しました。

  • いつもなら、思い出が新鮮なうちに旅行記を<br />アップするのに...<br />何故か今回は書き始めるのに時間がかかった<br />のは、なかなか言葉が見つからなかったから...<br />でも、自分の備忘録として訪れた事を残したかった。<br /><br /><br />

    いつもなら、思い出が新鮮なうちに旅行記を
    アップするのに...
    何故か今回は書き始めるのに時間がかかった
    のは、なかなか言葉が見つからなかったから...
    でも、自分の備忘録として訪れた事を残したかった。


  • 『佐々木禎子さんの展示』<br /><br />原爆の子の像のモデルとなった彼女。<br />彼女は2歳のときに自宅で被爆。<br />奇跡的に外傷もなく、その後元気に成長したけれど。9年後の小学校6年生の秋に突然、白血病と診断され、8か月の闘病生活の後亡くなりました。<br />親に心配をかけまいと、不治の病であることを知らないふりをして、無邪気に振る舞い...<br />高価だった痛み止めなども我慢....<br />鶴を1000羽折ると願いが叶うと信じて、借金のある親を思い、鶴を折る紙は薬の包装紙。ずっと隠れて折っていたそうです。   <br />            資料より<br /><br />※写真を取りやめてイメージ図を挿入しました。

    『佐々木禎子さんの展示』

    原爆の子の像のモデルとなった彼女。
    彼女は2歳のときに自宅で被爆。
    奇跡的に外傷もなく、その後元気に成長したけれど。9年後の小学校6年生の秋に突然、白血病と診断され、8か月の闘病生活の後亡くなりました。
    親に心配をかけまいと、不治の病であることを知らないふりをして、無邪気に振る舞い...
    高価だった痛み止めなども我慢....
    鶴を1000羽折ると願いが叶うと信じて、借金のある親を思い、鶴を折る紙は薬の包装紙。ずっと隠れて折っていたそうです。   
                資料より

    ※写真を取りやめてイメージ図を挿入しました。

  • まだ12年の短い生涯。<br /><br />怖かったに違いありません。<br />どんなに苦しかったことでしょう。<br />恋すら知らずに命を落とすなんて。<br />青春を味わいたかったことでしょう。<br />少女から女性へそして母となり幸せな将来を夢抱いたことでしょう。<br />戦争はこんな無辜な子供の命まで奪う必要があったのでしょうか。<br /><br />※写真を取りやめてイメージ図を挿入しました。<br /><br />

    まだ12年の短い生涯。

    怖かったに違いありません。
    どんなに苦しかったことでしょう。
    恋すら知らずに命を落とすなんて。
    青春を味わいたかったことでしょう。
    少女から女性へそして母となり幸せな将来を夢抱いたことでしょう。
    戦争はこんな無辜な子供の命まで奪う必要があったのでしょうか。

    ※写真を取りやめてイメージ図を挿入しました。

  • 『原爆投下許可書』<br /><br />展示の後半は原子爆弾の開発過程 被害の状況などの記録が。<br />そして原爆が投下されるに至った<br />「投下許可書」<br /><br />1945年8月6日午前8時15分<br />もしあの日広島上空が晴れていなかったら....。<br />

    『原爆投下許可書』

    展示の後半は原子爆弾の開発過程 被害の状況などの記録が。
    そして原爆が投下されるに至った
    「投下許可書」

    1945年8月6日午前8時15分
    もしあの日広島上空が晴れていなかったら....。

  • 『メッセージ』<br /><br />オバマ氏が来館した時に残した<br />手書きのメッセージ。<br /><br />We have known the agony of war.<br /> Let us now find the courage, together,<br /> to spread peace, and pursue a world<br /> without nuclear weapons.<br /><br /> 戦争という激しい苦しみを私たちは<br /> 知っています。  <br /> 今こそ共に勇気を奮い起こし平和を広め、<br /> 『核兵器のない世界』を実現しましょう。<br /><br />※写真を取りやめてイメージ図を挿入しました。

    『メッセージ』

    オバマ氏が来館した時に残した
    手書きのメッセージ。

    We have known the agony of war.
    Let us now find the courage, together,
    to spread peace, and pursue a world
    without nuclear weapons.

     戦争という激しい苦しみを私たちは
     知っています。
     今こそ共に勇気を奮い起こし平和を広め、
     『核兵器のない世界』を実現しましょう。

    ※写真を取りやめてイメージ図を挿入しました。

  • 海外からも多くの方が来館し、ノートにメッセージを残しています。<br />望むことは皆同じ・・・<br />平和な世界を守るのは私達の義務だから。

    海外からも多くの方が来館し、ノートにメッセージを残しています。
    望むことは皆同じ・・・
    平和な世界を守るのは私達の義務だから。

  • No more HIROSHIMAと言えば<br />Remember Pearl Harborと返ってくる....<br /><br />オバマ氏が広島の地を訪れた年の暮れ<br />安倍首相がパールハーバーを訪れています。<br />遺恨は消えなくても、<br />1国の代表として、言葉には表せなくても、<br />両国の間には過去の出来事を乗り越える<br />何かが動き始めたのかなと感じます。<br /><br />

    No more HIROSHIMAと言えば
    Remember Pearl Harborと返ってくる....

    オバマ氏が広島の地を訪れた年の暮れ
    安倍首相がパールハーバーを訪れています。
    遺恨は消えなくても、
    1国の代表として、言葉には表せなくても、
    両国の間には過去の出来事を乗り越える
    何かが動き始めたのかなと感じます。

  • 当たり前のように思える平和は、実は当たり前ではなく<br />平和であることを努力しなくては行けない...。<br />今もなお続く核の脅威。<br />核保有国は9カ国もあるという。<br />核を廃絶するために小さな私にできる事は...<br />無関心ではなく積極的に「知る」と言うこと。<br /><br />7月の開催が危ぶまれているオリンピック。<br />単なるスポーツ競技会だけではなく『平和の祭典』でもあります。<br />コロナと戦う今こそ、<br />人類の叡智を絞り世界が一つになって<br />核を捨て「平和」に乗り越える時であると強く感じた旅でした。<br /><br /><br /><br /><br /><br />

    当たり前のように思える平和は、実は当たり前ではなく
    平和であることを努力しなくては行けない...。
    今もなお続く核の脅威。
    核保有国は9カ国もあるという。
    核を廃絶するために小さな私にできる事は...
    無関心ではなく積極的に「知る」と言うこと。

    7月の開催が危ぶまれているオリンピック。
    単なるスポーツ競技会だけではなく『平和の祭典』でもあります。
    コロナと戦う今こそ、
    人類の叡智を絞り世界が一つになって
    核を捨て「平和」に乗り越える時であると強く感じた旅でした。





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この旅行記へのコメント (29)

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  • nomo1215さん 2022/03/06 08:17:39
    広島、
    チーママちゃん おはよー
    春の気配を感じる朝になってまいりました。
    昨年、この時期 冬眠から覚めなかった私(笑)
    今年は、不穏漂う国があり、核を使うだの使わないだの?コロナだけで辟易しているのに なんだかな~、って朝刊を見て考えます。
    で、
    こちらの旅行記 原爆の悲惨さ

    『写真を取りやめてイメージ図を挿入しました。』

    チーママちゃんらしい、配慮とイメージ図に目頭がウルウル
    子供ネタにめちゃくちゃ弱い私。

    広島には行った事がないけれど、長崎の原爆資料館で身体全体が震える感覚を経験致しました。その記憶が蘇った感覚です。
    チーママちゃんの旅行記の作り方に脱帽
    素晴らしい☆

    今月末、長崎に行きます。
    もう一度、原爆資料館に行ってみようかな?
    な~んて考えてしまいました。

    nomo1215

    チーママ散歩

    チーママ散歩さん からの返信 2022/03/06 23:19:50
    Re: 広島、
    nomoさん 今朝旅行記を読んでくださってありがとうございます♪
    少しお休みされていた間に広島からぐるり島根・鳥取・岡山と
    廻ってきました。

    つい数年前までは 疫病や戦争は昔の歴史の出来事。
    そう思っていましたが、まさか自分の生きている時代に、
    このようなことがまた起こるとは...
    思ってもみませんでした。

    資料館で見た一人の少女の短い人生の話は胸が苦しくなる思いで読みました。今また同じ事を繰り返しているなんて。
    彼らは過去から何を学んだのか 残念な気持ちでニュースを見ております。

    今日、友達が赤ちゃんを連れて遊びに来ました。
    純真無垢な目でまっすぐ見つめ、無邪気に遊び。
    そして無防備に眠るその姿。
    無から生まれる愛おしさ。
    こんな世の中ですが、この子供達の笑顔が何より大切なことだな
    と感じた一日でした。

    平和であることを努力するというのはおかしな言い回しですが
    唯一被爆国の日本人の私達ができることは....
    無関心ではなく積極的に知り、広めることなのかなと思います
    ご主人様のご実家におでかけですか?
    ぜひ長崎の資料館今度行かれたらお話を聞かせてくださいな。
    私も旅を終わって久しぶりに読み返すことができて改めて平和を強く願う思いでおります。
    ありがとうございます。



  • DAMMANNさん 2021/05/12 20:45:07
    体験談に敬服いたしました。
    とても素敵な文章に感激しました。
    政治的な思想、いろいろ立場はあるのはわかりますが
    与野党とかどこの国が好き嫌いとかそういう考えをこえて
    わたしは核兵器はなくすもの、戦争はしてはいけないと思っていますし
    その思いだけは妥協したくないと今でも思います。
    広島にいくたびにいろいろ考えてしまいますが
    観光にせよ食事にせよ素敵な街です。
    改めて素敵な文章ありがとうございました。
    心からお礼申し上げます。

    チーママ散歩

    チーママ散歩さん からの返信 2021/05/12 22:14:37
    Re: 体験談に敬服いたしました。
    はじめましてDAMMANNさん。

    私の旅行記にお越し頂きましていいねとコメントまで残してくださりありがとうございます。
    私は政治的なことや難しいことはわかりません...。

    ただ、人間としてどうあるべきか。
    そして私たち日本人が原爆を通して学んだことだを忘れないためにも無関心ではなく積極的に知ることを続けていきたいなと感じました。
    ありがとうございました

    DAMMANNさんもお体に気をつけてお過ごしくださいませ。


  • ムロろ~んさん 2021/05/11 14:28:50
    平和って宝!
    チーママ散歩さん(^_-)-☆

    こんにちは、ムロろ~んです。
    広島へ行かれた旅行記を拝見しました。

    無事に晴れて良かったって思いました。虹も歓迎(^_-)-☆。
    素晴らしい旅のスタートですね(^_-)-☆。

    私も原爆投下の8月6日の日に式典参加のために行ったことがあります。
    大分前ですけど(^▽^;)。
    暑くて暑くて(;´Д`)。式典会場に冷水が飲めるサービスやら冷たいおしぼりサービスもありました。
    そんな暑い状況下で苦しんだのを考えると・・・。
    ボランティアガイドさんと色々と巡ったのですけれど、ホントに苦しかっただろうなぁって。

    また年を改めて記念公園へ行ったんです。
    そこでシュークリームとコーヒーを持って、のんびりコーヒーブレイクしたんです。
    このようなことができるひとときって宝なんだなぁって。
    平和の大切さを感じずにはいられなかったですよ。

    ムロろ~ん(-人-)

    チーママ散歩

    チーママ散歩さん からの返信 2021/05/12 15:04:54
    Re: 平和って宝!
    こんにちは。

    コメントいつもありがとうございます。
    ムロろ~んさんも式典にご参加なさったのですか。
    さえぎるものがなにもなく、厚かったでしょうね。
    あの日も同じように暑かったことでしょう。
    本当にお疲れ様でした。

    私もガイドさんにお願いしてお話を聞いてきました。
    時間がいくらあっても全てを見ることはできませんでした
    慰霊碑には名前がわからず世帯主の名前の他その妻としか
    標記されていない方もおり、身元すらはっきりしないまま
    の方もいるのですね...。

    韓国の方の慰霊碑の所にも韓国人らしき方が集まっておりました。
    今も色々過去の問題がありますが、これからの私達は先を見ながら
    平和を願いたいものです。
    広島は2度でも、3度でも足を運びたい場所ですね。
    ありがとうございました。(-人-)合掌
  • ほいみさん 2021/05/10 22:30:15
    ジェノサイド認定!
    GWも終わって、いよいよ「サンデー毎日」正常運転に入りました。

    密を避けて、コメントは今まで控えてました・・・マスクしてないし。
    私が両親に連れられて原爆ドームに行ったのは1958年らしいです。新幹線はまだ無かったから「駄々っ子」を連れて延々と列車で行ったんでしょうね。もちろん記憶はほとんど残ってないし、戦争も原爆の意味も分かってるわけないから経験値は得られてません。当時は原爆が落とされて、まだ10数年しか経っていなかったから、広島には多くの被爆者・体験者がいたはずです。父親は軍隊体験者だったし、母親は空襲で焼け出され数人の同級生をそこで亡くしたそうです。どんな思いでヒロシマを見ていたのでしょう。

    そういう私はその後、広島を訪れることも無く、次に平和公園に行ったのは「55年後」の2013年「シフォンと一緒」にです・・・ほんと、日本は平和な国になりました。高速道路を国産車でビューン! です。原爆は近代史においてきわめて悪質な虐殺だったわけですが、アメリカでは「戦争を早期に集結させるための手段として正当だった」という意見が大多数を占めていたし、日本も何となく「仕方が無かった・・」と教育され来た様な気がしてます。それがここ30年くらいでアメリカでも見直され始めていますから、私が孫に手を引かれてヒロシマに行く頃にはどうなってるか楽しみですね。

    中国共産党の赤旗で埋め尽くされてたりして!

    ほいみ

    チーママ散歩

    チーママ散歩さん からの返信 2021/05/11 06:29:57
    Re: ジェノサイド認定!
    おはようございます。

    密のご配慮ありがとうございます。
    そうですね。ご両親は戦争体験されている年代ですね。
    お父様が戦場で体験された事など、小さい頃からいろいろお話を聞いてお育ちになられたことと思います。平和ぼけの私達には想像もつかない世界だったと思います。
    私の両親も戦争を知りませんが一度父が祖父母とそんな話をしているのを聞いたことがあります。ただ幼い私には興味のない話で全く。。。

    2013年にまた行かれていたのですね。
    とても爆心地とは思えない緑豊かな公園で、沖縄のそれとは異なり、市の中心という場所柄...重々しい雰囲気はなく地元住民の犬のお散歩コースになっているようで、何人か拝見しました。
    そこに眠る方々も季節の花に囲まれて、賑やかで寂しくないかなと。
    シフォンちゃんも慰霊に訪れていたのですね。

    原爆に対しても色々な話があり、国によっても考えも異なるようですが、
    どこの国であれ、罪のない人を殺すことを正当化してはならない....。
    そう感じます。
    目を背けず被爆国の国民として、日本が犯したパールハーバーの出来事を含め過去の悲惨な出来事を知って行きたいと思います。

    サンデー毎日正常運転再稼働! では…我们一起学习中文吧。
    ご一緒に。
  • 前日光さん 2021/05/09 23:39:05
    行くべき、見るべきところです。
    こんばんは。
    広島、長崎、沖縄の平和祈念館、ひめゆりの塔等々、職業柄何度となく生徒を引率して訪れました。
    今時の若い子は、怖いと言って最初から記念館への入場拒否をする子もいました。
    強制するわけにもいかず、そのままロビーに残しておきましたが、食わず嫌いでいいのか?と、いつも疑問に思っていました。
    見なければ、行かなければ分からないことはたくさんあり、悲惨な過去のことにも目を背けてばかりはいられないと言ってやりたかったです。

    広島に落とされた原爆はウラン型、そして長崎はプルトニウム型です。
    同じ種類を落とさなかったのは、両方とも実験だったからという説もあります。
    どちらがどんな被害を及ぼすか知るために、違う種類のものを落としたというのです。
    極論かもしれませんが、科学は突き詰めていくと結論が知りたくなり、いろんなことを試してみたくなるようです。
    原爆が落とされて初めて、科学者たちは自分たちの責任を問い直し、朝鮮戦争での原爆使用計画を、多くの署名運動によって阻止したと聞きます。
    戦争を終結させるために原爆を投下するというのは、どんな風に考えても間違っていると思います。
    それによって失われる人々の命の膨大さ、それが分かっているのに原爆を投下するというのは詭弁です!

    と、つい力が入ってしまいましたが、青々と茂る木々がそびえる平和大通りを走りながら、爆撃機が飛んでくることもない今の時代に生きる幸せをしみじみ感じます。
    資料館に展示された遺品を眺めながら、この人々の未来を奪った一発の原子爆弾が、二度と投下されることのないようにと思わずにはいられません。


    前日光

    チーママ散歩

    チーママ散歩さん からの返信 2021/05/10 21:21:48
    Re: 行くべき、見るべきところです。
    こんばんは。前日光さん。

    そうでしたね。先生は何度となく修学旅行で訪れていることでしょうね。
    確かに資料館で原爆が2種類あったことを知りました。
    実験説もその後のアメリカの対応を見ると頷けます。
    被爆者にはしばらく「原爆」という言葉の使用を禁じたり...
    手当を行うでもないのに定期的に施設に呼びつけ...
    行かないと自宅であろうが、職場であろうが、車で乗りつけ連行して行き、
    薬をくれるわけでもなくただ、データを取って解放。
    そのように聞きました。 悲しい話です。

    まだ核の保有国がある限り、本当の平和は訪れないのかなと思っております。
    平和の灯が消える日が、私の生きている間にくることを望みます。
    いつもありがとうございます。
    また 続きが出来たら、遊びにいらしてくださいませ。


  • Decoさん 2021/05/09 21:26:29
    長崎と広島
    チーママ散歩さん、こんばんは。

    広島の平和記念資料館、随分前ですが、私も行ったことがあります。
    広島の知人を訪ねて行って、案内されました。
    実はこのとき、私は気がすすまなかったのです。
    それはそのずっと前に、長崎の原爆資料館を訪れて、あまりにも悲しく衝撃を受けたから。その記憶は何十年も生き続けていました。まだ学生の頃で友人グループでの長崎旅行でしたが、その日の昼ごはんは皆食べることができませんでした。

    広島の平和記念資料館、遺品の展示やジオラマを見て、被爆した人はどんなに熱く痛くつらかったことか。私もそのとき体が熱くなるような気がしました。
    広島の知人は、「たとえつらい思いをしても、見ておかなければならない」という気持ちで案内したのだと思います。今はその知人に感謝しています。

    話がチーママ散歩さんの旅行記から離れてしまってごめんなさい。でも、もう二度とあんな悲劇は起こしてはいけませんね。

                                  Deco

    チーママ散歩

    チーママ散歩さん からの返信 2021/05/10 21:03:33
    Re: 長崎と広島
    Decoさんこんばんは。

    コメントありがとうございます。
    長崎の資料館はまだ行ったことがなく、いつかは行ってみたい。
    そう思っておりました。
    確かにリアルな状況を伝えたいという資料館の思いから、亡くなった方を撮影されたもの、また被爆した際の「死の斑点」などを人体から切り取ったような一部があり、目を向けることができないものが沢山ありました。
    ご友人のように、気分を悪くされる方もいらっしゃるかも知れませんね。
    ショックが大きく、しばらく会話もできませんでした。
    資料館を出て、目にした緑が私の心を癒やしてくれました。
    今は 見学して良かった。そう感じております。

    オバマ氏の鶴の写真を入手したくて再度広島平和資料館へ申請したところ、先に掲載した自分で撮った写真ですが、それも写真もネット掲載には申請が必要とあり、一部イメージ図と変更してあります。
    個人撮影OKではあるのですが、ネットに載せる場合は申請が必要みたいですね。余談ですが...。いろいろ勉強になりました。

    翌日はお天気に恵まれ素敵な風景を堪能してきました。
    また遊びにいらしてください。

  • ohanaさん 2021/05/09 14:30:06
    受け止めねばならぬ事実
    チーママ散歩様
    こんにちは

    広島原爆記念館など行くべきと考えています。
    まだ行ったこともなく、沖縄でも戦争に関わったところは行っていません。
    まだ整理が付かないこともあります。

    父から戦争のことは聞かされています。
    父は大阪商船の社員(現商船三井)で海外に赴任していました。
    戦争が始まり帰国し海軍航海学校へ入学。
    どうせ徴兵されるなら志願で海軍と決めていた。
    勿論戦時の航海へ向かいます。
    隣の兵隊が弾に当たり命落とした!
    生死の境目を生き抜いて終戦は三重県の軍港。
    最後の使命はアメリカ軍に船を没収される前に処分。
    処分は海へ沈める。
    何層も沖で爆破したそうです。

    父を両親をHawaiiへ連れて行ってもパールハーバーは行きません。
    私の恩師日系人会の副会長もパールハーバーは勧めません。
    父と日系人の恩師をHawaiiで対面させピクニックへ行きました。
    アメリカ軍と日本軍を乗り越えての和やかな時間。
    日系人会の副会長はJALハワイ就航のHawaii側の功労者。
    新婚旅行のときは私たちはビジネスでした(当時はサクララウンジはファーストだけ)が帰国時サクララウンジへ通してくれました。
    当時は飲み物とスナックを担当者が運んでくる障子があしらわれた和風のこじんまりしたラウンジ。
    JALの記念式典に招かれる地位の方で、Hawaiiに行く都度、戦時中の日系人や日系人部隊のお話しを聞きました。
    分かりやすく言われたことは
    「お父さん(日本)お母さん(米国)がケンカして僕はどうすれば良いのだ~
    アメリカに忠誠を誓う。
    日系人の愛車はプリムス(クライスラー)、日本車のらないのですかと聞けば、アメ車だ!少しでもアメリカに溶けこむような意識があったのでしょうか。
    その方のお仕事はHawaiiから日本への旅行を販売する旅行会社の社長。
    日本人以上に日本が詳しい。とても勉強になりました。

    その様に両軍の方から戦争経験を聞いてきました。
    また日系人社会を聞いてきました。
    一人旅でHawaiiに行きましたときやっとパールハーバーへ行く決心が出来行って来ました。日記に書いています。

    行ったときは父の話を思い出し涙が止まりませんでした。

    今回の日記を読み、亡くなった少女のことなど考え深い日記でした。
    日記をお書きになるまで言葉を探したお気持ち良く分かります。

    いつかは行って手を合わせたい場所です。

    私事も含み申し訳ないです。
     
    今後とも宜しくお願い致します。

            ohana

    チーママ散歩

    チーママ散歩さん からの返信 2021/05/09 15:41:43
    Re: 受け止めねばならぬ事実
    Ohanaさん こんにちは。
    コメントありがとうございます。
    お父様は戦場経験者様でいらっしゃいましたか。
    目の前でお仲間が亡くなるなんて。
    無残な戦場での出来事。
    トラウマを抱えたままその後をお過ごしになったという話も聞きました。
    お父様も船をご自分で爆破して沈める...。
    特攻隊の方も同じ話をされていましたが、本当に無念であったことでしょう。

    この旅行記を書くにあたり、歴史は、お立場によって、人によっていろいろな受け止め方があるので、書いていいものかどうかも迷いました。
    大人の常識としてタブーな話の中に「政治・宗教・野球」とありますが
    もしかしたらこれもそうなのかなと思いながら...。

    ただ、過去を問うのではなく..
    被爆国の国民として知りたい。そんな思いから書かせて頂きました。
    私の両親も戦争を知りません。
    だから余計に知りたい。そう思ったのかも知れません。
    Ohanaさんのパールハーバーの訪問の記録をあとでお邪魔させて頂きます。
    いろいろ教えて頂きましてありがとうございます。
  • yumikenさん 2021/05/09 10:27:07
    広島へ行かれていたのですね。。
    こんにちは。。

    原爆資料館へ行かれていたのですね。。
    私も一昨年前に資料館へ行って来ました。
    広島県産業奨励館(原爆ドーム)の周りには沢山の民家がひしめいて建っていたのに、一発の原子爆弾で全てが無くなり吹き飛んでしまった写真が壁一面に。。
    とても衝撃的でその後の展示物や説明を見ていると涙がどんどん出て来て止まらなくて。。本当に辛かったです。。
    当時はインバウンドで海外からも多くの方々が来ていて、アメリカから来た方々はどんな気持ちで見ているのかなと。。とても複雑な思いでした。。
    原爆ドームの隣に折り鶴タワーがあって上階では折り鶴を折って下へ落とす折り鶴の壁があって。。私達も平和を祈って落としてきました。。目標は100万羽の折り鶴だったと思います。。
    きっと佐々木貞子さんの折鶴にも関係しているのかなと。。。

    ここ最近は中国と周辺国とギスギスした関係が続いていますけど、こんなに多くの民間の犠牲が出てしまう戦争にならないように祈る日々です。。
    チーママさんの旅行記で改めて思い返されました。。本当に戦争は怖いです(ーー;)

    yumiken

    チーママ散歩

    チーママ散歩さん からの返信 2021/05/09 11:12:50
    Re: 広島へ行かれていたのですね。。
    こんにちは。 
    はい広島でした♪ 
    yumikenさんの成田お散歩のコメント欄ではお騒がせしました(^_^;)。
    飛行機が天候不良で「飛ぶ、引き返す」のごたごたは往復ともありましたが、
    観光地に着くと晴れてくれて、楽しんできました。

    ・・初日はしっかりと学んで来ました。
    yumikenさんの広島も拝見しました。
    (いいねは明日しますね(^_^;))
    私達が行ったとき「折り鶴タワー」がコロナの関係で休館という情報が入ってきて目の前にあるのに行けなかったんです。
    私も折りたかったな 鶴。
    飛ばしたかったな~。
    あんなふうに皆の思いが溜まっていくんですね。
    素敵な企画ですね。

    きゃー。。
    きっと来る~の「貞子」になっているよ(^_^;)
    禎子さん・・・。
    私も変換しても出てこないから、最初間違って入力していたけど笑
    鶴が平和の象徴として認識されたのも彼女の影響が大きいみたいですね。

    やっぱり、宮島も行かれていますね。
    私も今作成中です。
    またよかったら遊びに来てくださいね♪

    yumiken

    yumikenさん からの返信 2021/05/09 11:51:05
    Re: 広島へ行かれていたのですね。。
    ありゃま。。変換間違えていましたね(;^ω^)
    失礼しました。。
    チーママさんも宮島へ(´▽`)
    続きの旅行記を楽しみにしていますねぇ~(^^♪牡蠣&穴子かしら♪
  • salsaladyさん 2021/05/09 09:31:52
    No More Hiroshima ~Pearl Harber~
    ☆昨年の今頃、突然広島へ行ってました。(正に、突然何処かへ行きたい思いで)!

    ☆チーママさんの様に大義を感じて出掛けたわけでは無く、何処でも良いから連れてって!気分でしたので、折角記念館の傍のホテル投宿でしたが、夕刻合流した夫が「天気が崩れそうだから、今日の内に宮島へ行こう!」と唆かされて、遠出~

    ☆若き日の劇団時代にグループで原爆記念館を訪れ、気が滅入った事を思い出します。

    ☆オバマさんの折り鶴は感動的でしたが、その時だけって感じも有り、アメリカンは深くは考えない原爆の恐ろしさ~戦争を終える手段としてやむを得なかったと80%が承認してるらしい~つまらないお喋りで御免ね~

    チーママ散歩

    チーママ散歩さん からの返信 2021/05/09 10:19:01
    Re: No More Hiroshima ~Pearl Harber~
    こんにちは salsaladyさん。

    昨年の広島・宮島へ行かれたのですね? 
    私もこの次は宮島です。早速お邪魔して拝見しなくては♪

    さすがsalsaladyさんだなと思ったのは、多くのアメリカ人が終戦を迎えるために原爆投下は致し方なかったと思っているところを述べられて...。
    確かにあのまま戦争が続いたらもっと多くの犠牲者がでていたのは目にみえて危惧されますが...。
    今回行って聞いたお話では、終戦後「原爆」という名前を口にすることもアメリカに禁じられ、被爆者の手当もなく、強制的に施設に呼ばれ実験台のデータを収集するだけで何もしてもらえなかったと聞きました。
    私には難しくて..何も言えませんが....
    どんな状況であれ、どこの国であれ、罪のない人を殺すことを正当化してはならない....。
    それが、私たち日本人が原爆を通して学んだことだと感じております。
    今も各地で起きている戦争。 
    その教えを忘れたとき、日本も戦争の絶えない国になるかもしれないと思うと怖いなと思います。~すみません、こんなコメントしか出来なくて~
  • olive kenjiさん 2021/05/09 08:19:16
    平和祈念資料館は心の原点なり
    チーママさん おはようございます。

    近くへ来ていたと言ってたけど、広島へ来ていたのだ。
    本来ならば、近くに来たんだから寄りなさいよとお声をかけるのですが、今回は許してあげます。
    実は、私の娘もある事情で広島へ来ていたのですが、1年以上も会っていないので、ついでに帰省しなさいと言いたかったけど言えない。じゃ、こちらからから広島へ伺うことも出来そうで出来ない。近くても感染という海が、世間の目という海が立ちはだかっていたのです。だからチーママさんも許しちゃう。
    でも、香川に来ていて会えませんは許しませんぞよ。

    今回はいつもと違ってシリアスな旅行記となりましたね。
    私も平和記念資料館へ行ったのは、小学生の時と修学旅行でした。
    特に、子供の時に見た衝撃は激しく、一生忘れることはないです。
    戦争の悲惨さを原体験として知ることは、とても大事な事だと思います。
    その悲惨さを心と頭脳に刻み込んで、それから平和運動活動に行くなり、軍備で守る方へ行くなり、それは各個人の選択の自由と思います。
    ダメなのは、原点としての戦争の悲惨さを感じてないとか、チーママさんも書いているように無関心かと思います。

    私が懸念しているのは、私も含め戦争を体験していない世代が世界の中で多数を占めていることです。世界の指導者をみても実際の戦争体験も無い、軍隊の経験もない指導者ばかりです。そんな彼らが軍隊の総司令官なんですから、ちゃんちゃら笑っちゃいます。まるで幼い子供が戦争ごっこをする感覚になるのではと。
    話が長くなりましたけど私見を述べさせて頂きました。

    ところで、秘密の話は、チーママさんが来島した時にお話しましょう。
    この後続く旅行も楽しみにしています。




    チーママ散歩

    チーママ散歩さん からの返信 2021/05/09 09:59:08
    Re: 平和祈念資料館は心の原点なり
    キャラバン警部おはようございます(^-^)ゝ

    早速読んで頂きまして、ありがとうございます。
    こんな時期にと思う方も多いと思います。
    1年もお会いしていないお嬢様との再会も我慢なさっているのに。
    ごめんなさい。

    皆様「気遣って安全対策をして... 消毒を持って...」とお断りを入れて旅行記をアップされているのを多く拝見します。
    もちろんいろいろ悩みましたが、キャンセルできない事もあって私も決行してきました。
    また今回はその言い訳も書かずに旅行記を書き始めてしまいましたので。
    ご覧になる方によっては、いろんな思いをお持ちになるかと思います。
    大都市を外して宿泊をしたり、朝活で人より早く行動して密を避けたり
    できる限りテイクアウトで食事をしたり....
    安全対策は自分で出来ることはしております。

    ところで、戦争を知らない世代が増えてきた...。
    おっしゃる通りで、原爆体験を語り継ぐ方の高齢化で伝承していくのが難しくなってきているのが問題かと感じております。
    特攻隊で生きておられる方もすでにご高齢で講演会などでも椅子にお座りになってお話されているのを見ると、余計にそれを感じます。
    弾道ミサイル発射や実験による強い揺れを計測したなどのニュースを目にすると本当に怖いと感じます。
    まだ核を保有する国が9カ国もあるのが現実です。
    平和の灯は消える日がくるのでしょうか
    平和は努力しないと築けない物なのですね。
    同じ人間が人間を殺める実験って。。。悲しくなりますね..警部。

    ところで、あのKenjiさんの大失態の件。(^▽^)
    小豆島に行かないと伝承していただけないのですか?
    了解しました。 感染という海・世間の目という海を超えて
    歴史の証言者となるべく、落ち着いたら伺います。
    楽しみだわ~
  • フォートラベルユーザーさん 2021/05/09 07:37:04
    平和の灯を、ともす
    チーママさん、おはようございます。

    疫病の蔓延で、分断され
    人種差別や、迫害、ヘイト、DVなどで
    一番弱い立場の人々が一番被害をこおむっている
    今の世界情勢、、
    その節目に、広島に向かったチーママご夫妻。
    本当に頭が下がります。

    私は大人の癖に、臆病で、
    震えてしまうのです。恐くてたまらない。

    大人が、こうなんですから、
    なんの罪もない、あどけないお子達は
    どんなに、恐ろしかったことでしょう。

    心の中に平和の灯をともし、
    平和の花を咲かせたいです。

    改めて平和の大切さに気づかせてもらいました。
    ありがとうございました!


    チーママ散歩

    チーママ散歩さん からの返信 2021/05/09 09:23:57
    Re: 平和の灯を、ともす
    コトラユーザーさん。 いつもコメントありがとうございます。
    先日とあることから...過去の共通点がわかり..(^^;)
    なんとなく不思議なご縁を勝手に感じております。
    そんな私も広島は修学旅行以来で、特に山陰に関しては初めてとなる旅行でした。
    初日は少し沈む気持ちではありましたが、行って良かった。
    今はそう思っております。

    多くの大人・子供を含む人が被害に遭われ、またその後も心の傷と病気と闘って来られたのですが...。
    今回行って子供の遺品展示がとても多く目につきました。
    あどけない姿でお母さんに抱っこされて写っている写真など。
    もう胸が詰まります。
    写真も撮ってもいいのですが、とてもそれどころではなく。
    戦争を知らない私達は、目を背けずに「知る」ことをしなくてはいけないと
    感じてきました。

    疫病の蔓延で、分断され人種差別や、迫害、ヘイト、DVなどで一番弱い立場の人々が一番被害をこおむっている今の世界情勢、、
    ・・・コトラユーザーさんのご指摘にも胸が詰まります。
    確かに一番怖いのは戦争・病気ではなく人間の心かも知れません。
    戦う相手は人ではなく、別のもので有ることを改めて感じました。

    暗いお話になりましたが、次はお気楽観光です。
    もう、行き先はご存じですね♪
    数回にわけて書こうと思っております。
    こんなに人権について深く考えた旅なのに、途中「自殺志願者」と間違われるアクシデントも。
    そうなんです。遭難です。
    自撮り棒持ってにこやかに♪志願者と間違われました。
    どこかでこのおバカなアクシデントのお話を書こうと思っております。
    また遊びにお越しくださいませ。





  • ちーちゃんさん 2021/05/09 07:29:15
    忘れてはいけないもの。
    おはようございます。

    私は
    弱虫な人間だなあとつくづく思う。
    以前広島へ行った時に、
    記念館の前まで行ったのに、
    勇気が出ずに引き返してしまったから…
    あの原爆ドームを過ぎて歩いて行くうちに、
    涙が止まらなくなり、一歩も前に進めなくなってしまった。
    もう少し勇気を出していれば…
    自分の不甲斐なさをもう一度見た、
    今回の旅行記です。

    凄いね、チーママちゃんは。
    きちんと伝えようとしているその姿。
    尊敬しか無い。
    大切な事を思い出させてくれて、
    ありがとう。

    でもね、朝からまた泣いちゃった。
    ホント弱虫で困ったな。私。

    チーママ散歩

    チーママ散歩さん からの返信 2021/05/09 08:44:20
    Re: 忘れてはいけないもの。
    おはようございます。
    せっかくのお休みなのに、ごめんなさいね。
    重い気持ちにさせてしまって。涙ふいてね。
    むぎゅってしてあげる。

    人間ってみんな偉そうにしている人も、基本弱虫なんだと思うよ。
    だから皆寄添って生きているんだと思うの。
    私なんかどうしようもない弱虫。
    泣き虫選手権があったら絶対優勝者だわ。
    この手の。しかも子供の命をテーマにしているのってダメなんだよね。
    辛いよね。本当に。心えぐられる思いで見てきたわ。

    でも一方で人間って強いねっても思った。
    涙の数だけ強くなれるって本当だね。
    今ではあそこが爆心地であったことすら感じさせないくらい。
    同じ事はくりかえさない。そう誓ってきました。

    次からは涙不要のお気楽日記の予定ですので、また遊びに来てくださいね。
    むぎゅっ☆彡

    ちーちゃん

    ちーちゃんさん からの返信 2021/05/09 09:01:57
    Re: 忘れてはいけないもの。
    重い気持ちにはなっていないよ。
    大切な見つめ直す時間をもらって、
    ありがたい時間でした。

    それに、ムギュって2回もしてもらっちゃったから。
    暖かな気持ちを貰いました(^_^*)

    次はあの橋のある県かな?
    それとも、鹿のいる所かな?
    楽しみ♪

    チーママ散歩

    チーママ散歩さん からの返信 2021/05/09 10:37:45
    Re: 忘れてはいけないもの。
    キャー もう行き先バレバレ~
    自分で言ったくせにね(^_^;)
    あの県と鹿さんの場所ですよ~

    今日近くのおそば屋さんへ師匠と行くことになりました。
    もちろん県内。市内。
    ちょうどちーちゃんのお店を教えたら、そんな流れに・・。
    次ちーちゃんのお気に入りのお店のご紹介ですよね
    きっとそこなら師匠もご存じかも。
    楽しみにしております。
  • さつまおごじょさん 2021/05/09 04:51:19
    大人の修学旅行
    隊長、こんばんは!

    いつも大作を書かれますが、今回はいつも以上に大作です。
    こんな視点で書かれる隊長に敬意を表します。

    実はこのGWに広島方面へ行こうと思っていました。
    GWに姉が鹿児島へ帰省してくれれば、母を頼んで2~3日家をあけられると思っていたのですが、コロナのせいでそれは叶いませんでした。
    が、隊長の素晴らしい旅行記のおかげで行った気分になれました。自分で行って見るより、隊長の説明文を読んだほうがはるかによく理解できます。
    天災などは人間の意志では防ぎようがありませんが、この原子爆弾の投下は無くてよかったもの(防げたもの)だと思うと、被害にあわれた方々がお気の毒でなりません。

    私の父(生きていれば92歳)は、原爆が投下された時、広島の江田島にある旧海軍兵学校で学んでおりました。原爆が落とされる事は事前に情報があったそうです。
    そして広島市方面の原爆の光を自分の目で見たそうです。
    一瞬にして計り知れないほどの尊い命が奪われた一方で、海を隔てた島に居た父は助かった。そのおかげで今の自分が居ると思うと、感慨深いものがあります。

    いつか広島と江田島をますます訪問したくなりました。
    ありがとうございました。

    チーママ散歩

    チーママ散歩さん からの返信 2021/05/09 08:34:06
    Re: 大人の修学旅行
    姐さん おはようございます。
    早速読んで頂き、コメントありがとうございます。
    あのお時間..。その後眠られましたか?
    こんな重い旅行記など読んで..と心配しちゃいました。

    お父様はあの光をご自分の目で..?
    色々戦争のお話を聞かせてもらったりしたのでしょうね。
    運命というのは不思議なもので、同じ広島にいらして...
    ご無事であってなによりです。

    ご両親のおかげで自分がいると思うと感慨深いものがあります。
    確かにそうですね。 
    普段顔を合わせると文句ばかりですが、感謝への気付き、
    ご先祖の無数の命のおかげで自分がいる事に手を合わせる思いです。
    なんだか宗教っぽくなりましたね(^^) 
    大丈夫です。ご安心ください 私無宗教ですから。

    でも、最近おごじょ教に片足突っ込んでおります。
    初日に広島を訪れ、翌日は・・・
    すでにクイズにしたのでおわかりですね。
    今度は明るく行ってきました♪

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