2012/05/15 - 2012/05/29
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jijidarumaさん
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Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅
期間 : 2012年05月15日(火)〜05月29日(火)15日間の旅
5月26日(土); 快晴で気持ち良い一日、26℃、140km
ハイルブロンからハイデルベルク間を流れるネッカー川沿い、ヒルシュホルン・アム・ネッカーの町とネッカー川を見下ろす高台に立つヒルシュホルン城(現在は人気の古城ホテル)がある。
写真はEiserne Jungfrauアイゼルネ・ユングフラウ(鉄の処女)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
この旅、44番目の古城になるSchloss Hirschhornヒルシュホルン城に17:25到着した。
ツヴィンゲンベルグから距離19km。ここの登り道はホルンベルグ城よりは上り下りがしやすい。
写真はネッカー沿いの古城街道図 -
≪Die Sage von Schloss Hirschornヒルシュホルン城の伝説≫
さて、歴史のあるヒルシュホルン城には幾つか伝説として、今に至るまで伝わる話がある。
以下に、4編の伝説を掲載する。
①≪伝説:“Jungfernkuss処女の接吻”≫
Blutiges vom Schlossbergシュロスベルク(城山)からの流血;
ヒルシュホルン城はOdenwaldオーデンの森のBuntsandstein雑色砂岩層に立っている。この砂岩はその赤みを帯びた色が特徴的である。
この為、山中の泉から流れ出て、麓の町に至る水が時によっては、赤く染まっている事がある。
この事は様々な伝説を生んでいます。
雑多な伝説にはヒルシュホルン城の魔女の仕業とか、とりわけ広く知られている“Jungfernkuss処女の接吻”といった伝説にもなっている。
ヒルシュホルン城主は中世の支配者が皆そうであったように、重大な犯罪人を裁き、死を持って償う重刑に処す権限を持っていました。
当時、死刑を宣告された犯罪人は事前に深く掘られた穴に連れて行かれる。
合図があると、“鉄の処女のやり方”で、接吻をするように抱かれ、悲惨な深い堀に落ちる。そこで犯罪人は取り付けられたナイフや剣に体中を刺され、死に至るのだと云う。
シュロスベルクの麓に流れ出る真っ赤な流れはそうした多くの人々の血が流れ出てきたものと信じられている。
写真はオーデンの森とヒルシュホルン城 -
補足『ウィキペディア(Wikipedia)から抜粋・編集』;
Eiserne Jungfrauアイゼルネ・ユングフラウ(鉄の処女)は中世ヨーロッパで刑罰や拷問に用いられたとされる拷問具。
ただし、「空想上の拷問具の再現」とする説も強い。
罪人はこの鉄の処女の内部の空洞に入れられ、扉を閉じられる。同時に扉の部分にある多くの鉄の針・釘に全身を刺される。現存するものは釘の長さが様々で、生存空間はほとんどないようなものから身体を動かせば刺し傷で済みそうなものまでがあった。
罪人が死亡した後に、前の扉を開けることなく死体がそのまま下に落ちるように「落し扉構造」があったという噂を記述した文献もある。
鉄の処女に類似した拷問あるいは処刑用の刑具として、両腕で罪人を抱きかかえて、像の胸部から飛び出した釘が身体を刺すという「アペガの像」や、像の前に落とし穴があって、近づいた罪人を穴に落すという「バーデン・バーデンの処女」などが、文献上は存在しているが、現物は一切存在しない。
写真はネッカー川とヒルシュホルン城 -
②≪Der Hexenturm魔女の塔≫
ヒルシュホルン城の中心に天守閣が立っています。以前はこの天守閣を“望楼”(見晴らし台)と呼んでいましたが、いろいろな伝説が言い伝えられた所為で、名前が“魔女の塔”と変った。
或る伝説では昔々、一人の男がHexerei魔法を使うとされ、この塔に監禁されていました。
あらゆる手段をもってしても、男が鉄の扉を、厚い壁を通りぬけて、逃げ去ってしまうと思われていました。その心配していた通り、男が人間どもに理解できない術で逃げ去ってしまうと、人々は否定しがたい魔法を見せつけられたと思ったそうです。
この日から、“望楼”の名は“魔女の塔”となったのです。
写真はヒルシュホルン城の“魔女の塔”の夜景 -
③伝説・ヒルシュホルンの「呪われた一族」
遡ること17世紀、この城の元々の城主フリードリヒ・フォン・ヒルシュホルンが 従兄弟のハントシュースハイムのハンスと君主への奉仕を競い合い、ついに二人は決闘となって、ハンスを刺し殺してしまった。
ハンスの母はこの事でフリードリヒを怨み、ヒルシュホルン家を呪い続けたそうだ。その怨みは深く、フリードリヒの息子達は次々とみな幼くして亡くなり、 最後の息子もハイデルベルク城の戦で戦死し、ハンスの母の恨みは成就された。
そして最後にフリードリヒがこの世を去ると、ヒルシュホルン家も断絶したと云う。
(先に書いたハントシュースハイム伝説に絡むので、知人の日記に書かれた伝説を紹介した。この伝説を調べてみたが、ヒルシュホルン城に関わる伝説の中には見つける事が出来なかった。・・・が、古城伝説としては面白い。)
写真はヒルシュホルン城のテラスからネッカーを望む -
④≪Die eingemauerte Frau城壁に塗り込められた女性≫
時が経過した1830年頃、ヒルシュホルン城の城壁の中から女性の靴が発見された。
(後略)
尚、前回に≪城壁に塗り込められた女性≫の話はすでに書いた。
http://4travel.jp/travelogue/10982769
写真はネッカー川とヒルシュホルンの町 -
高台の城に上がってみると、何やら住民の催しの最中で、ビールなどのスタンドが置かれ、少々着飾った人たちが声高に捲し立てていた。
天気も良く、気分が良さそうである。
その人たちの間を通り抜けて、レセプションに行った。テラスレストランも満席の様で、人手が無いらしく、レセプションには人がいない。通りかかった女性スタッフにチェックインをお願いする。駐車は城門を入って、少し下った中庭に駐車ができた。
トランクを坂の中腹から、レセプションまで持ち上げた女性スタッフ曰く、“先客がお宅の部屋の鍵を持ったまま、チェックアウトしたので、今はホテル側の鍵しかない。ともかく、部屋にご案内する。”とのことで、いささか吃驚した。
こちらも早く部屋で休憩したいので、案内してもらった。この古城ホテルには幸いエレベーターがあり、だんだん重くなった荷物も楽に運べた。
写真は部屋から見るテラス、ネッカー川 -
さて、本城館の4号室(2階)は新婚さん用Suiteです。
ちょっとメルヘンチックというか、若い女性好みの部屋でした。
広々とした部屋の中央に天蓋付きベッドが置かれ、白を基調にした室内、花柄のカーテン、張り出した角部屋は古城のテラスレストランに面していて、テラスの人々を見下ろすことになります。
窓からはネッカー川を挟んで、ヒルシュホルンの町が見られる絶好の部屋でした。
部屋の鍵を待っても、届けてくれないので、先ほどの女性スタッフを探しにレセプションに行くと、漸く鍵を渡してくれた。
忙しいのだろうが、暢気なお嬢さんだった。
写真は本城館の4号室(2階の寝室) -
≪Schloss Hirschhorn古城ホテル ヒルシュホルン(鹿の角)城≫
4号室(2階・本城館Suite;Kategorie HZZI ) Euro164(16,717円)
D-69434 Hirschhorn am Neckar 、Schlossstr. 39-45
Tel:+49 (0) 6272−92090 、Fax:−3267
http://www.schlosshotel-hirschhorn.de
全25室(本城館8室+別棟17室)、本城館(Kategorie HZZI )DZ=Euro164。
写真は窓辺に張り出した場所。座ってお茶が飲めるようになっている。 -
ハイルブロンからハイデルベルク(人気のハイデルベルクにはここから車で20分の距離)間を流れるネッカー川沿い、町とネッカー川を見下ろす高台に立つ古城ホテルである。
“ネッカー渓谷の真珠”と云われる中世の町は好ましい。
古城街道を何度か旅してきたが、この古城ホテルには街道を巡る途中に訪れて、昼食をとっただけで、宿泊は初めてである。
それも最初に予定していたSchloss Neckarbischofsheim古城ホテル ネッカービショップスハイム城が、当日は結婚式が入っていて、部屋の空きが無かった所為である。
川沿いの道から、山道を登ると小さな城門がある。その門を入ると、古城ホテル ヒルシュホルン城がある。
ヒルシュホルンとは鹿の角、鹿の角笛の意。
写真は浴室 -
快晴の日は眺めの良いテラスレストランから、ネッカー川を運行する貨物船や観光船、カヌー遊びの人も見える。その絵になる景観から、今では古城街道沿いの古城の中でも、人気の高い古城ホテルとなっている。
この城はオーデンの森を後背地にもっているので、野鳥獣の料理を得意としている。
写真は部屋の真下に見えるテラスレストラン -
城の歴史:
城の起源は13世紀に遡ると云う。ネッカー川を眼下に見るオーデンの森の山の尾根に最初は物見の塔が建てられ、後に城館や第一・第二の城壁が築かれた。13〜17世紀初めまでの400年という長い間をヒルシュホルンの騎士と呼ばれる領主が居城としていた。
中世のヒルシュホルン城は城壁とBergfried天守閣(Der Hexenturm魔女の塔と呼ばれる主塔)、本館、厩舎の他、多くの門や附属建造物が遺されている。
本館は16世紀のゴシック様式をベースにルネサンス様式に建てられたもので、1803年から町の所有となり、営林署として利用されてきた。
1959年、古城ホテルに改造された。人気も高かったが、2010年10月30日に廃業した。
その後、経営者が変わって、2011年7月、古城ホテルは再オープンした。
(2012.08.21.訳・編集)
写真はテラスの賑わい -
<夕食:古城ホテル ヒルシュホルン城のメインレストラン騎士の間で>
20:15〜21:30 Euro118.7 (12,125円)
ヒルシュホルン城はかつて何度か訪れたが、行程の関係上、通過するか、昼食・お茶のみで、宿泊した事がない。
今回、その点では漸く念願を果たし、夕食を食べる機会も得た。
鍵の事もあって、夕食時間が普段より遅れた。しかも、テラスを薦められたが、騒がしそうな雰囲気だったので、私共はメインレストラン“Rittersaal騎士の間”を希望した。
他に誰もいないレストランは何故か?ドイツ人たちはまだ明るいテラスレストランで食べるのを好むようだ。
すこし暑かったが、気楽に私共は其々3品の食事を楽しめた。
写真は他に誰もいないレストラン -
3品料理:
前菜;家内はポテトサラダの上に、海老、レモン・ペッパー入りクラストのロゼット。
スープ;私はカプチーノ風オレンジとニンジンの温クリームスープ。
メイン;イタリアのローマを代表する料理Saltimboccaサルティン・ボッカ。Polenta ポレンタ(とうもろこしの粉を練り薄く切って焼く、または油で揚げて食べる)、牛肉の3段の串刺しにフォアグラの肉汁かけ。本場ものより上品に見える。
デザート;パイナップルのサプライズ(パイナップルの薄切りにバニラアイスと生クリームを載せたもの)はウサギのような形で出てきた。
写真はレストランのメニュー -
飲み物;
シェリー辛口0.05lX2、お薦めのグラスワイン;バーデンの赤ワイン2008年Waldulmer Spaetburgunder・Kappelrodeck 0.25LX2、お水0.75L。最後にサービスでポートワインを頂いた。
http://www.waldulmer.de/cms/front_content.php?idcat=110
写真はシェリー辛口0.05lX -
写真はお薦めのグラスワイン;バーデンの赤2008年Waldulmer Spaetburgunder・Kappelrodeck 0.25L
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写真は前菜;家内はポテトサラダの上に、海老、レモン・ペッパー入りクラストのロゼット。
スープ;私はカプチーノ風オレンジとニンジンの温クリームスープ。 -
写真はメイン;イタリアのローマを代表する料理Saltimboccaサルティン・ボッカ。Polenta ポレンタ(玉蜀黍の粉を練り薄く切って焼く、または油で揚げる)、牛肉の3段の串刺しにフォアグラの肉汁かけ
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写真はメインレストラン“Rittersaal騎士の間”での夕食
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写真はデザート;パイナップルのサプライズ(パイナップルの薄切りにバニラアイスと生クリームを載せたもの)はウサギのような形で出てきた。
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昨年7月に再オープンしただけに、料理はいずれも凝ったものでしたが、私共には味が少々濃い目でした。
写真は最後にサービスでポートワインを -
食後は殆ど人もいなくなったテラスレストランに座り、気分の良い時間を過ごした。城主の気分で天守閣や眼下の町、ネッカーの夜景を眺めると、いっそう気分も爽快になる。
次回又チャンスがあるか?ネッカーの夜景を記念に撮ってみた。
写真は夕食後のテラスで -
写真はネッカー川とヒルシュホルンの町の夜景
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写真は長細い廊下の一番先に部屋がある。
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写真は翌朝のテラスレストラン・本館右の2階が私共のスイート
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この旅行記へのコメント (2)
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- のまどさん 2015/02/19 23:30:23
- 魔女
- jijidarumaさん、こんにちは。
ご無沙汰しております。
ヒルシュホルンは写真では風光明媚な町に見えますが、お城の歴史はおぞましいですね。鉄の処女や魔女の名を冠した拷問器具で処刑するとは。中には無実の罪を着せられた人もいたことでしょう。
この時代は魔女狩りも行われていたと思うので、人々の恐怖心が膨れ上がって魔女という創造物を生み出したのかもしれません。
古城ホテルの部屋は女性っぽいですね。古城ホテルは古かったり音が漏れたりなどの苦情を聞きましたが、最近は昔の雰囲気を残したままリフォームしたところが多いのでしょうね。
では、また。
- jijidarumaさん からの返信 2015/02/20 11:43:49
- 魔女(ヒルシュホルン城)
- のまどさん
こんにちは。
古城街道にはたくさんの古城があり、古城ホテルに形を変えた城も多くあります。だから、この街道は好きで何度、走ったことか!
この旅、古城めぐり44番目の城は短い話(訳す立場からは大変ありがたい)でしたが、見かけ以上に伝説話があって楽しみました。
やはり、城は中世に直結し、現代風に内部は改装されていても、夜のとばりと共に何やら城の周辺、空間には怖いものが潜んでいるような気がしてきますね。家内などは浴室の水滴の落ちる音や、扉のきしむ音に驚きますけど(笑)。
ご無沙汰しております。いつもご興味を持ってお読みいただきありがとうございます。
魔女狩りはキリスト教とともに出現したと云われますが、形を変えればいつの時代にもいた、あった、いえ現代にも存在しているようですね。
あのフランスの救世主、神の使い、ジャンヌ・ダルクでさえも魔女として、火刑されています。敵対する者を葬り去るには便利な言葉なのです。
キューバのような国でも多分、この話はあるのではないでしょうか?
難しい話はともかく、城めぐり好きは魔女話好きでもあり、また、そこには伝説話がつきもののようです。
この道はハイデルベルクに続き、さらにさまざまな話に出会えました。
それではまた。
jijidaruma
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旅行記グループ ドイツの伝説・民話その2
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