2015/02/01 - 2015/02/01
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たびたびさん
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今日は午後3時頃に大阪で用事があるので、京都を回れるのは半日です。まあ、焦る必要はないんですが、それならと三条通と以前から気になっていたお菓子屋さんを訪ねることにしました。この日は、京都市内は雪が積もって、寒い中でしたが、これもこれで風情があったでしょう。
あと、大阪でも用事を済ませてからはミナミの気になるスポットをうろうろ。それぞれ中途半端な回り方ですけど、こういう回り方もあり。私の中の空白地帯がこれでまた少し埋まったと思えば、ちゃんと意味があるんです。
それに、だいたいは分かっていたようなところでも、回りなおすと新たな発見があったり、確認ができるもの。どこをどんなふうに回っても、旅ごころは同じです。
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ほー。京都市内は一面の雪景色。
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堀川通りの銀杏並木もこんな具合です。
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寺ノ内で、ちょこっとバスを降りて、
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寺ノ内通りを進んだ先にあるのは、
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イチオシ
百々橋の礎石です。
堀川通りから入って宝鏡寺を過ぎたところ。この石は、応仁の乱に関係する遺構。山名宗全と細川勝元の覇権争いは、他の守護大名のいさかいや内紛なども加わって西軍と東軍に分かれた泥仕合の合戦になったのですが、この橋をはさんで何度か大きな戦いが行われたということです。雪が積もって、さびたかんじがいいですね。 -
再び、バスに乗って下ります。
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今回チェックしていたのはまるき製パン所。
京都市内の住宅地にあって、地域密着のお店と言いたいところですが、人気店だけあって、たぶんそれなりに遠くからでもお客さんはやって来ます。こんな日でも朝からお客さんの流れが途切れないような感じでした。 -
イチオシ
お店に並んだ総菜パンはどれもごくんと唾を飲んでしまいそうな出来栄えです。ピリ辛のソーセージにカレー味のキャベツが合わさったホットドックをいただきましたが、心までほんわかするようなうまさでした。やっぱり京都は最高で〜す。
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そして、ここから散策開始です。
住吉神社といえば、大阪にある住吉大社が思い浮かぶし、海の神様でしょう。京都にはそぐわないような気もするのですが。。 -
本殿は銅板を張った趣のある構えですが、後白河天皇が和歌の三神を勧請するために勅したというのが始まり。何やら書いてある文字もちょっとそれらしい雰囲気です。
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管大臣神社は、その名の通り、菅原道真を祀る神社ですが、何んとこの地は菅原道真の旧宅跡なんだそう。
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道真の産湯を汲んだ天満宮誕浴の井も残っているということでしたが、あいにく、それは本殿の裏で立ち入りは出来ませんでした。
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菅家邸址の杭もあって、そっちが菅原道真の邸宅があった場所を示すもの。この紅梅殿と呼ばれていた邸宅には、道真の書斎があって、「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」で歌ったのは、その書斎に植えてあった紅梅を思って詠んだ歌だということです。なるほど〜。
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そこから、少し上がって。
杉本家住宅は、蛤御門の変による「どんどん焼け」で一度焼失。現在の建物は、明治3年に再建されたもので、焼け残った土蔵3棟も合わせて国の重要文化財となっています。 -
外から外観を見るだけでしたが、けっこうな規模。土壁の虫籠窓と戸板の格子の対比が面白い意匠です。
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これも近くで見つけた化粧水の碑。三井ガーデンホテル京都四条のはす向かいです。
小野小町ゆかりの史蹟で、この辺りに、小野小町の別荘があったということで。小野小町が使っていた邸内の井戸水が化粧水と名付けられたということを伝えるもののようです。 -
若菜屋は四条通りに面しているんですが、これまでちょっと気づきませんでした。栗阿彌というお菓子があって、これってお店の名前でもありますけどと言ったら、それは姉妹店なのだそう。そうなんですか。
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ここでは、一番人気という焼き栗きんとんをいただきました。食べた瞬間、野趣あふれる栗の香りがすごい。栗ってこれこれ。この香りだよねっていう感じです。
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四条京町家は四条通り沿いにある町家です。隠居所として建てられたもののようで、民間で維持しながら、京都文化に気軽に触れてもらう場所として公開をしていたようですが、たぶん、維持費もかさんだのでしょうか。昨年末に閉鎖をしたよう。表にそんな経緯が説明してありました。今はそのようなことがあったんだということに思いを馳せるしかありません。
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四条通りをさらに上がって。
寺町通りにある本能寺は、本能寺の変のあった本能寺とは違う場所だということは知られていると思いますが、その本能寺跡はこちらです。まさに歴史の動いた場所というべきでしょう。
以前は本能寺小学校があったようですが、今は福祉施設となっています。 -
と、これは前田珈琲。幕を張った店構えの喫茶店。京都ならではの奇抜な意匠です。
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では、ここで一服しますか。
普通にモーニングを食べようと入ったのですが、バルーンというお菓子が目に入って、急きょそれに変更。クレープで包んだ外観はまさに風船のよう。面白いですねえ。 -
イチオシ
中にはフルーツケーキ。生クリームの味わいも抜群だし、朝からヘビーなスイーツをガツンといただいてしまいました。
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落ち着いたところで。
旧第一勧業銀行 京都支店は、烏丸通り沿い。三条通から少し上がったところです。 -
元々は明治後期に建てられたもののようですが、現在の建物は再建されたもの。赤煉瓦に白い石のラインが走る辰野式と呼ばれる意匠です。
なお、今でも現役で、みずほ銀行の京都中央支店です。 -
ところで、京都市内ではひょっこりとレトロビルに出くわすことが多いのですが、この文椿ビルヂングもその一つ。
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大正9年に建てられたもので、呉服商社だった洋館を再生したビルだそう。外観はそうは見えないんですが、木造のビルだということでちょっとびっくり。確かに入ってみると木の廊下に木の階段。いろんなお店が入っているようですが、この建物は、この内部の雰囲気が一番の魅力でしょう。
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三条烏丸御所跡は、三条烏丸ホテル京都の敷地内。杭が立っているだけですが、ここは平家物語に因む場所。
というのも、こちらにあったのは、後白河法皇崩御のの後、代わって院政を敷いた鳥羽法皇の御所。
ところで、鳥羽天皇の後は鳥羽天皇の子である崇徳天皇が次ぐのですが、崇徳天皇は鳥羽天皇の祖父、白河法皇の子と言われていたことから、鳥羽上皇は崇徳天皇を疎みます。そして、院政を敷いた鳥羽上皇は、崇徳天皇から弟である、近衛天皇、近衛天皇が亡くなると後白河天皇へと譲位を進めますが、鳥羽法皇の崩御により、崇徳上皇の不満が爆発。これが、保元の乱の原因となるという平家物語の始めの頃の話になります。 -
近くにある宮井ふろしき袱紗ギャラリーです。
明治34年に創業の宮井株式会社の本社ビル一階に設けられた施設なんですが、販売所も兼ねているので、気に入ったものがあれば即購入可能。ふろしきを使う生活習慣はもう馴染がないものになってしまいましたが、やはり日本文化そのものだと思います。 -
ここからは、三条通を歩きます。
道路元標は、京都市道路元標は、烏丸通から三条通に入るところ。三条通は東海道の終点なのですが、河原町通りから西側は細い通りになっていて、どうかするとそんな主要道とは気が付かない。しかし、やはり、道路元標が三条通りにあるということには納得感があるでしょう。 -
さらに東に進んで。
いずれにしても、三条通は車の通りもほとんどない細い道なので、ぶらぶら歩くにはちょうどいいですよね。ひょっこりいろんないいお店にも出会える通りです。 -
そして、石黒香舗もそのひとつ。
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イチオシ
におい袋のお店ですが、観光客でごった返す場所にある店と違って、じっくりいいものを探したくなるようなお店。店頭に飾られた商品もどれも上品。楽しく拝見させていただきました。
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SACRAは、旧不動貯金銀行京都支店をリニューアルしたもの。大正期の建物で、1階が煉瓦造、2・3階が木骨煉瓦造。国有形文化財に登録されています。細かい幾何学模様で装飾された外壁が特徴的。力強さより、装飾に力を入れたビルでしょう。
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日本生命京都三条ビルは、気が付かずに一回通り過ごしてしまって、そういう意味では意外に目立っていないかもしれません。
ビルは、大正3年の竣工。レンガの上から石を貼っているようですが、特徴は銅板葺の塔屋部分でしょう。規模は小さいですが、辰野金吾の風が感じられる部分です。 -
で、こちらの家邊徳時計店も三条通の名物建物。明治23年に建てられた木骨レンガ造り2階建。1階の三連アーチに、二階は少し奥まっていて、これは珍しいかも。全体に赤煉瓦が黒く変色していて、歴史を経た建物であることが分かります。
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三条通沿いのビルに隠れるようにしてある弁慶石。これはこの辺りに住んでいた弁慶の愛でていた石。弁慶の死後、最期となった高舘にあったらしいのですが、この石が「三条京極に帰りたい」というので、京都に返された石なのだそうです。
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こちらは、河道屋。
それにしても、ここのそばぼうろって、なんておいしいんでしょう。 -
そばぼうろなんて、あちこちでありますけど、河道屋さんのそばぼうろのおいしさは、本当に頭抜けてますねえ。
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イチオシ
カリカリサクサクとした少し固めの焼きは噛みごたえがあるのに、一方で食べているうちに今度はすっと軽くなっていく。絶妙な加減。甘さもほんわりいい感じで、この食感にあってます。すごいそばぼうろです。これは日本一間違いなしですね。
東京だったら、たちばなのかりんとうに匹敵するんじゃないかと思います。 -
御池通りに出て。
京都市役所本館は、昭和初期の建物。中央に時計塔を持つ鉄筋コンクリート造り4階建て。関西建築界の父と言われる武田五一の意匠設計。
京都の街並みの雰囲気を壊さないように工夫をしたのでしょうが、むしろ、新旧の建物が適度に混じっているのが京都風。その象徴的な建物だと思います。この建物の前で、よさこいの祭りが行われたりすることもあって、十分に活用されていると思います。 -
ゼスト御池は、御池通りの地下街。寺町通りの北端だし、東西線の京都市役所前駅に直結しているので、それなりにアクセスがいいということなのでしょうが、
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実際のところは、観光スポットが本能寺くらいしかなくて、観光客にとってはあまりいい場所ではないでしょう。活気の方もイマイチかなあと思います。
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で、御池通りから木屋町筋に入るところに、加賀藩邸跡の駒札がありました。
本来は、藩邸を京都に置くことは徳川幕府からは禁止されていたのですが、幕末、幕府の権威が失墜すると、情報収集等のために各藩は藩邸を京都に置くようになります。
しかし、加賀藩は何代にもわたって徳川家との縁組を行ってきたので、外様ではあるものの、はっきりとした討幕には踏み切れないような中途半端な存在。そんな藩でも幕府の禁を無視して藩邸を置いていたんですね。ただ、その優柔不断は、また、豊かな藩であったことも原因の一つかもしれませんが。。 -
御池大橋の西詰には、ひっそりと夏目漱石の句碑もありました。碑には、「春の川を隔てて男女哉」。これは、夏目漱石が祇園の文人茶屋、大友の女将、磯田多佳に送った句。
ちなみに、その多佳は、夏目漱石をはじめ谷崎潤一郎、吉井勇など多くの文学者との交流した有名人。「かにかくにの碑」も関係しています。 -
御池大橋は、鴨川に架かって御池通りを通します。広い通りなのですが、京都市役所の方から渡るとそのまま突き当りになってしまって、変な感じ。結局、御池通りから一本南の三条通が本来は東海道にもつながっていたメインストリートだったんですよね。ちなみに御池の御池とは神泉苑のこと。御池通りが拡幅されたのは、空襲の被害、特に火災に備えるためだったそうです。
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木屋町の方に入って。
武市瑞山寓居跡は、木屋町の中ほど。同じ土佐藩出身の吉村寅太郎寓居跡も隣りです。
ちなみに、武市瑞山は、土佐勤王党のリーダー。どちらかといえばというか、基本は全くの佐幕派の土佐藩にあって、一時は尊王攘夷に藩論をまとめることに成功しました。しかし、8月18日の政変で長州藩が京都を追われると失脚。山内容堂から切腹を命じられています。 -
吉村寅太郎寓居跡もその隣り。
ちなみに、吉村寅太郎は土佐藩出身の勤王の志士。明治天皇の従弟でもある中山忠光を擁立して天誅組を組織、五条の代官所襲撃事件を起こすなど、攘夷の急先鋒としての役割を担いますが、8月18日の政変で、過激な攘夷派は京都を追われることとなり、朝敵ともなってしまいます。寅太郎まんじゅうというのが、五条にはありました。
しかし、この時期、攘夷という考えはあっても討幕という考え方が果たして明確だったのかどうか。そこはちょっと疑問かなあと思います。 -
三条通地区がどの範囲なのかははっきりしないのですが、私はこの三条小橋の辺りの雰囲気が一番好きですね。
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特に、日が暮れてから、木屋川に灯りが映ったりして、四条河原町とは違って、しっとりとおしゃれな大人の雰囲気が漂います。ただ、キルフェボンは遅い時間はやっていないので、ご注意。
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先斗町歌舞練場は、昭和2年に竣工した建物。劇場建築の名手といわれた大林組の技師、木村得三郎の設計。木屋町の方に入口があるのですが、むしろ、鴨川の方から見る方が建物の趣がよくわかるでしょう。以前、鴨川をどりを見たことがありますが、何回も見るほどではないかなあという感じです。
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彦根藩邸跡も木屋町通り。
徳川幕府は、諸大名が京都に藩邸を設けることは禁止していたことは述べましたが、その幕府の権威が失墜する大きなきっかけは桜田門外の変。その張本人である彦根藩自身が禁を犯して、藩邸を設ける。何とも皮肉なものですねえ。
ちなみに、情報収集の効果もあってか、彦根藩は鳥羽伏見の戦いの後、いち早く天皇派に恭順。変わり身の早さにつながったということでしょう。 -
天気はイマイチですが、まあいいでしょう。
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これは、京都の土佐藩邸跡。
伏見にも土佐藩邸があって、こちらは鳥羽伏見の戦いの際、板垣退助らが藩の命令を無視して、薩長に加わるといった話があるのですが、こちらの藩邸はあまりそうした動きがわからない。
討幕に傾く、薩長に対して、大政奉還を主導したのは土佐藩。徳川幕府の力がやはり必要というのが山内容堂の考え方。その考え方は時代の本流からすれば、少し、求心力を欠いたもの。京都では、その考え方で動いていたはずで、こちらは地味な存在だったのかもしれません。 -
木屋町通りに、日本映画発祥の地の駒札がありますが、これってどういう意味なんでしょうか。明治30年、実業家の稲畑勝太郎がここで日本初の映画の試写実験に成功したところなのだとか。京都電燈会社の中庭で行われたのだそうです。京都は、今も映画村とかがあって、映画界では独特の存在。やっぱり、それなりの歴史があったということでしょう。
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角倉了以翁顕彰碑は、元立誠小の玄関脇。
ちなみに、角倉了以は、丹波と京都の嵯峨を結ぶ保津川(大堰川)の開掘に続き、二条から伏見までの運河である高瀬川の開削に成功し、京都の物流発展に多大な貢献をした大恩人。高瀬舟の浮かべてある一の舟入の方が有名ですが、こちらの方もよろしくお願いいたします。 -
岬神社も木屋町の一角ですが、目立たない場所です。
これは、元々は、京都の土佐藩邸内にあった神社。土佐藩邸はなくなっても、そこにあった神社がこうして残るというのは、時々ある事例です。藩邸は用がなくなればおしまいですが、神社は心を寄せる人がいれば残って行く。面白いことだと思います。 -
光明寺は、河原町通りから少し入った裏通り。いくつか寺がある一角です。洛陽四十八願所地蔵尊第30番札所ということですが、正直言えば、どうということはないような。中にも入れないし、観光スポットではないように思います。
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高野堂妙心寺もその続き。
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門前に、「醒ヶ井地蔵尊」と書いた立派な石杭が建っていて目を引きました。洛陽四十八願寺の第三十一番札所ですが、醒ヶ井地蔵尊は公開されているのかどうか。よく分かりませんでした。
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河原町通りに出ると。これは近江屋跡。龍馬が暗殺されたのはここなんですが、こんなふうに、当然、人気のスポットです。
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桂小五郎像は、京都オークラホテルの一角。
薩摩藩出身の西郷隆盛、大久保利通に対して、長州なら桂小五郎ということで、維新の三傑と並び称されますが、明治10年西南戦争勃発した最中、京都で亡くなります。
ただ、長州の巨人と言えば吉田松陰や高杉晋作もいて、どちらかといえばこの二人の方が分かりやすいような気もします。 -
再び、木屋町通りです。
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桂小五郎・幾松寓居跡は、これ。
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幾松という料理屋さんの前にあります。そして、この幾松には、抜け穴、飛び穴、のぞき穴、つり天井など不意の敵の襲来に備えた仕掛けが今も残っていて、食事をすると女将さんがいろいろ丁寧に説明してくれます。ここから鴨川の方に逃げれますとか、その当時の様子がよく分かります。
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佐久間象山と大村益次郎遭難の碑も木屋川沿い。並んで建っています。川を挟んで建っているので、ちょっと気が付きにくいかもしれません。
佐久間象山がここで刺客に襲われたのは、元治元年(1864年)。一橋慶喜に招かれて上洛。公武合体論と開国論を説いたというのですが、これが攘夷派の反発を買ったよう。前年に8月18日の政変が起き、長州藩を中心とする急進的な攘夷派は京都を追われたのですが、やはり尊王譲位派は暗躍していて、こうした悲劇となりました。
大村益次郎の襲われたのは明治2年(1969年)。兵制の改革に恨みを持つ人物の仕業。最期は大阪の病院で亡くなっています。 -
ここから、少し上って。
善導寺は、参道の先の特徴的な竜宮門と傍らにある大理石の駒札が変わっています。境内に入ると静かな普通のお寺なんですが、さらに変わっているのは、「ソワンエステ ティラ」というエステサロンがあるようで、心身ともに清らかになれるお寺です。 -
舎密局は、化学技術の研究、教育のため、大阪と京都に設置された機関。
京都の舎密局の設立は、明治3年。工業製品の製造指導や薬物検定に七宝焼などの製造改良など。島津製作所の創業者、島津源蔵もここで学んだ一人。田中耕一さんのノーベル賞もこんなところに遡った歴史があると思うと、明治政府の目の付け所は素晴らしいことだったような気がします。 -
女紅場跡は、丸太町橋の西詰。
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ちなみに、女紅場は明治期の女子教育機関のことで、高等教育を目指しました。設立は明治5年。英学と女工(手芸・手工)の二科があって、後の京都府立京都第一高等女学校につながって行くことになります。
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イチオシ
さて、散策は以上。大阪の用事の前に、お土産のお菓子を買いましょう。
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まずは、ふたば。
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イチオシ
京都最強のお菓子はこの豆餅しかないでしょう。
あまりにおいしいし、ここの豆餅を食べると他で豆餅を食べるのが怖くなる。そんな特別な味わいなんですよね。東京の豆餅や大福も有名店がありますが、ここに匹敵するものは残念ながらないと思います。 -
次は、美玉屋のくろみつ団子。
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最近やたらに取りざたされているんですが、パックで売っているので一人で食べることができない。そういうことで、ちょっと敬遠していたのですが、いつまでも食べれないのはしゃくなので今回は思い切って買ってみました。
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うーん。期待が高かったせいもあるんでしょうが、まず見た目がよくないですよね。団子もちょっと固い感じが私には合わないような。黒蜜と黄な粉のコラボもそうまででもないような。予想に反して厳しい評価になってしまいました。
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並びにあった鳴海屋って、名前からすると、たぶん、堀川通りに本店がある鳴海餅の流れを汲んでいるお店でしょう。赤飯もしっかりおいているし、品ぞろえからしてもそんな感じ。で、あれっと思ったのは、なるみだんご。これって、美玉屋のくろみつだんごにそっくりなんですけど。。同じ並びにあるし、パクリなのかなあ。また今度確かめてみたいと思います。
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で、向かったのは鳴海餅本店。ここは、堀川下立売です。堀川通り沿いにあって、どでかいお店なので、バスで通っていてもすぐ目につきます。
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ただ、この辺りはこれといった観光スポットがないので、何かのついでに寄るといったことができない。それで、やっと今回訪問した次第です。
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イチオシ
買ったのはお赤飯と赤飯まんじゅう。赤飯まんじゅうは予約と紹介されていたりするのですが、これがあったのはラッキーでした。関東にもいが饅頭と言って、赤飯を饅頭に入れたものがありますが、こちらは餡子は入っていない。素材の味だけで真っ向勝負の饅頭です。
それと、店員さんの対応がなんか優しくて、これもいいところ。老舗だからと胡坐をかいたようなことは一切ありません。さすがです。
これでお土産は揃いました。大阪に向かいましょう。 -
で、約束の時間までまだ間があるので、谷町辺りですが、少し、散策します。
最初に来たのは小河博士頌徳碑。小河博士とは小河滋次郎のこと。とても大きな碑です。
大正期に、社会福祉政策に熱心だった第14代大阪府知事大久保利武のブレーンの一人として、啓蒙活動に始まって、諸制度の整備など精力的な活動をしたということです。大阪米騒動にも遭遇。民生委員の先駆けとなる制度を作ったりもしています。 -
そして、これが近松門左衛門の墓。ガソリンスタンドの脇に小さな入口があって、
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ゲートを自分で開けて中に入るとありました。普通ならお寺にあるはずなんですが、その法妙寺が引っ越してしまったため、こうして墓だけが残っているようです。最近、傾城阿波鳴門を見ましたが、何度見ても泣ける。日本のシェークスピアと言われるのは、全然過大評価ではないと思います。
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近くには、井原西鶴の墓もありまして。誓願寺という寺の境内のはずなんですが。。
もっと大きな寺を想像していたのですが、けっこう目立たない寺でした。 -
門から墓地に向かった先に井原西鶴の墓があって、分かりやすい。墓石には「仙皓西鶴」と書いてあって、すぐにそれと分かりました。西鶴は上方文化を支えた巨人の一人。お参りする価値は高いでしょう。
うーん。巨人二人の墓がこんなに簡単に回れてしまいましたが、大阪けっこうすごいですね〜。 -
薄田泣菫文学碑は、小さな公園の入口。
ちなみに、薄田泣菫は、明治10年生まれで、岡山県出身。大阪で活躍し、詩集が与謝野鉄幹にも高く評価されたということ。「金剛山の歌」は、明治36年に発表した作品。大阪から見る金剛山に心を動かされて歌ったものだそうです。 -
大福寺は、大阪新四十八願所阿弥陀巡礼第22番ということですが、観光スポットとしては、大阪での最初の病院である浪華仮病院が建てられた場所だということでしょう。
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大阪で初めての病院である「浪華仮病院跡」の石杭は、大福寺の門前。
この大福寺自体が病院の跡地だった場所です。浪華仮病院の医師は、オランダ生まれのアントニウス・ボードウィン。このボードウィンは東京の上野公園を作るよう提言を行った人物としても知られています。 -
境内に入ってみましたが、けっこう広い敷地。寺の建物も小さいし、そんな感じです。
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ここから、東に向かって移動します。
鎌八幡というのは、変わった名前ですが、これは真田幸村に因むもの。大坂冬の陣の際、幸村が陣所を構えていたこの地で、御神木に鎌を打ち込み、必勝を祈願。戦いに勝利したといわれます。
一方で、圓珠庵は、国指定の史跡。契沖という僧侶がここで暮らしていたということのようです。しかし、境内は、ちょっと荒れていて、史跡と言った雰囲気は感じられませんでした。また、境内の撮影も禁止です。 -
船石だけ撮らせてもらいました。
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ここからは真田山。
真田山公園は、大阪冬の陣で真田幸村が陣を張った古戦場跡。山全体が公園となっていてそれなりの規模もあるので、敷地内には天王寺スポーツセンターや野球場などの施設が充実。総合的な運動公園のような感じになっています。 -
真田山陸軍墓地は、真田山公園と通りを挟んで向かい側。この辺りだろうというのは、遠くから見ても検討が付くのですが、どこから登るのかとなるとちょっと分かりにくいかもしれません。
陸軍墓地というのは、全国で80か所以上あるのだそうで、こちらでは5千基以上の墓碑があるのだとか。海軍の墓地は、乗っていた船が何々とか書いてあって、勇ましいのですが、陸軍だとそういうことはなく、逆に、その墓碑の数の方で凄味があるような気がしました。 -
三光神社は、真田山陸軍墓地から回りました。
ここは、大坂冬の陣で、真田雪村が出城「真田丸」を置いた場所。徳川方の前田利常、井伊直孝、松平忠直らの軍勢をここで散々に打ち破って、真田の名を不動のものにしたのは有名な話。真田の聖地のような場所かもしれません。 -
真田の抜け穴は、小高い場所に建つ三光神社の中腹と言った場所。ここに真田丸が築かれた際、ここから大阪城まで抜け穴が掘られていたという言い伝えによるもの。抜け穴の入口がありましたが、後で整備されたものではあるでしょう。
さて、ここで散策終了。待ち合わせの場所に向かって、用事を済ませます。 -
用事が済んで。
せっかくなので、買い物をして帰りましょう。
鶴橋高麗市場は、JR鶴橋駅からすぐ。どこをどう行ってもここにつながるみたいな感じなんですが、地元の人に「高麗市場はどこですか」と聞いても、誰も皆、さあ?というばかり。つまり、高麗市場という名前は地元では言われていない。単に市場という認識のようですね。 -
さて、市場の方ですが、もう狭い場所にぎっしり。
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東京だと大塚が有名ですがそんなの比ではない。
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とってもディープな市場です。
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イチオシ
で、晩飯はグリルキャピタル東洋亭です。ここは、なんば高島屋の7階にある人気の洋食屋さん。日曜日の夕方5時前に行ったのですが、もう行列が出来ていました。
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いただいたのはハンバーグ。前菜に丸ごとトマトにドレッシングをかけた一品とハンバーグの傍らにはでかいじゃがバタも。もちろんハンバーグもぐつぐつに煮立った状態で、うまーい。難波だと重亭が一番のお気に入りなのですが、ここも捨てがたいお店になりました。
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では、ついでになんばも少し探索。
平田春一歌碑は、法善寺横丁の一角。正弁吾亭という店の前にありました。
碑には、「かくばかり 鯛を食はゝ鯛の奴 うらみつらむか 或は否か」。鯛が好きで食べまくっていたということでしょうが、食道楽の大阪に相応しい歌を選んだところがにくいですねえ。 -
石濱恒夫歌碑は、法善寺の手前。フランク永井の歌でヒットした「大阪ぐらし」の歌詞の一説が刻まれています。
「がたろ横丁で行き暮れ泣いて ここが思案の合縁奇縁 おなごなりやこそ願かけまする 恋の思案の法善寺」
歌は知りませんが、なるほど、恋の歌ですか。 -
法善寺から、
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大阪松竹座をチェックして。
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新戎橋は、戎橋と御堂筋を挟んだ反対側。リバーウオークを行くとすぐです。
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和紙を挟み込んだガラスと赤い枠がネオンのように光っていて、ちょっと独特の美しさがありますね。この感じは、夜にならないと分かりません。夜を彩る橋でしょう。
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大黒橋は、リバーウオークをさらに進んでドン詰まりのところに架かる橋。大黒神社への参道になっていたのが名前の由来ですが、橋自体は新しい感じ。石造りのがっちりした美しさがあると思います。ここまでくればリバープレイスももうすぐです。
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湊町リバープレイスは、やたらと目立つ大型の建物なんですが、たぶん地元の人もLIVEハウスのなんばハッチがあるのは知ってるけど、前を通るだけというくらいの場所だと思います。上の方では、リバーカフェだけが明るくなった場所。周囲が暗い分、夜景がきれいに見えるのかもしれません。
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向かいはキャナルテラス堀江です。
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その向こうが浮庭橋。道頓堀川に架かる人道橋なんですが、湊町リバープレイスやキャナルテラス堀江とともに、南堀江の辺りの夜を彩る景観を構成しています。暗い中にライトアップされた吊り橋が浮かんで、とってもいい感じです。
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OCATは、大阪シティエアターミナルの愛称。ミナミの中心はなんば駅なんですが、そこから歩くと少し距離があって、けっこう離れているなあと思ってしまいます。
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なので、高速バスを使う時くらいしか行かない場所でしょうか。久しぶりに行ってみました。
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それなりの商業施設ではあるんですが、なんば駅の賑わいと比べると格段の差。閑散としているといった印象はぬぐえませんでした。
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OCATから難波に帰ってくる途中のなんばウォークに入った辺り。
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地下道の壁面を使った、陶版の絵画を飾るギャラリーがありました。
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イチオシ
大阪市とシカゴ市の姉妹都市提携30周年を記念して、シカゴ美術館コレクションを陶板画複製したものだそう。けっこう見応えのある一角です。
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さて、もう時間がぎりぎり。これから関空経由で東京に帰ります。
お疲れ様でした。
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