2014/05/06 - 2014/05/06
434位(同エリア1683件中)
ぬいぬいさん
五街道を歩く旅 そんな旅を前からしてみたいと思っていました。
でも、なかなか決断がつかないまま延び延びになってました。
特に出かける予定もない、今年のゴールデンウィーク。最近ウエイトオーバーも続いていることだし、やってみようかな・・・・。
そんな感じで東海道ウォーク、始めてみました。
とりあえず3日をかけて大磯まで到着。
ここまで歩いた距離は69キロ。
日本橋からゴールの京都三条大橋までの距離は492キロ。
当時の旅人は13日から15日をかけて歩いたようですから、15日で計算しても1日平均33キロ。
それを考えると、あちこち寄り道しながらとはいえ、ちょっとペースが遅い。
4日目の今日は大磯から海岸線を小田原まで歩く予定です。
今日で3日間連続のウォーキング。
左ひざは痛いし、右の足にはマメだらけ。
今までが見どころもなく比較的単調な街道ウォークでしたが、大磯、小田原は見どころ満載で楽しい街歩きになりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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東海道を歩き始めて4日目の今日は、相模湾の海岸線に沿って小田原までを歩く予定。
早めに家を出たため、大磯の駅に到着したのは8時30分 -
毎日日帰りで歩いているため、徐々にスタート地点までの移動距離が長くなり、スタート時間も遅れ気味。
-
イチオシ
特に今日は、趣ある大磯と小田原の街歩きにも時間がかかりそうなので、ホントなら箱根路の途中まで距離を進めたかったところですが、1日の歩行距離は短めに設定しました。
昨日帰りがけに見た駅前の洋館
こちらの山口勝蔵別邸は日本の現存するツーバイフォー住宅の最古の建物
現在はイタリアンレストランとして使われています。 -
ハーフティンバーのドイツ風の外観のこの建物は人気のケーキ屋さん「鴫立亭」
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和泉常はもともとグルメな大磯の別荘地の人たちのための精肉店として開店したお店。
それが今では、国内外の珍しい調味料、お菓子、飲料、乾物、麺類、缶詰、瓶詰などが、所狭しと並んでいるさしずめ大磯の紀伊國屋か成城石井って感じのお店です。 -
今までの宿場町と違って大磯宿、旅館や料理屋、和菓子屋の老舗が並んでいます。
こちらは明治31年創業の『大内宿』
もともと大内本陣のあったところに建っています。 -
島崎藤村や吉田茂もお気に入りだったという和菓子屋『新杵』
火・水と定休日で名物の西行饅頭を買うことができませんでした。 -
明治11年創業の井上蒲鉾店
鎌倉にもありますがあちらは姉妹店ですかね。
あの吉田茂もごひいきにしていたとか。
駐車場に朝から交通整理のガードマンがいたので、それだけお客さんの多いお店なんでしょうね。 -
広重の描く江戸時代の大磯宿
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小島本陣跡は現在はお蕎麦屋さん
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今から210年前の享和年間に旅籠として開業した『國吉屋』
現在は鰻専門の料理屋「國よし」に業態変更 -
信用金庫の前にある石碑の正面には大磯小学校発祥の地、側面には尾上本陣跡
明治末期、尾上本陣に私塾が開かれ、それが 明治の学制令によって 公立の学校となったそうです。
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その信金の脇道の突き当たりにある地福寺
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本堂の脇に、梅の木に囲まれるようにしてあった島崎藤村夫妻の墓
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日本の海水浴場発祥の地の石碑
せっかくなので海岸まで行ってみることに。 -
海岸に向かう途中にあった原敬別邸跡の看板
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大磯の街は明治から大正にかけて活躍した歴代総理のお気に入りの避暑地だったようで、なんと8人もの総理大臣がここに別邸や邸宅を構えていました。
その8人は、伊藤博文・山県有朋・大隈重信・西園寺公望・寺内正毅・原敬・加藤高明・吉田茂
錚々たるメンバーですね -
こちらは海岸の入口にあった謝恩碑
初代軍医総監をつとめた松本順の尽力により、日本で初めての海水浴場が、ここ照ヶ崎海岸につくられたのは明治18年のこと。 -
当時の海水浴とは潮流で身体に刺激を与え、海辺の清涼な空気を吸うことだったそうで、大磯町のホームページにある当時の絵を見ると、泳ぐのではなく、岩の所々に差してある鉄棒につかまって海水につかっているだけで、いわば潮で湯治する感じだったそうです。
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海岸の入口の双眼鏡を手にした人の姿が
ここ照ヶ埼海岸はアオバトの日本一の集団飛来地として有名だそうです。
アオバトというのは緑色のハトで頭から胸にかけて黄色が入っていてお腹は白
写真がうまく撮れませんでしたがきれいな色をしたハトでした。
丹沢山地から海水を飲みにやってくるそうで、見ることができるのは5月の初旬から10月頃で、一番のピークは7月8月の夏場だそうです。 -
海岸沿いの景色に何かが足りない。
そうです、右端に見えるはずの富士山が、この日はどんよりとした曇天のため姿を見せることがありませんでした。
そういえば歩き始めて4日間、まだ富士山の姿を見たことがありません。 -
イチオシ
同志社大学の創始者『新島襄』終焉の地
去年の大河ドラマ八重の桜にも出ていましたが、ここにあった百足屋旅館で静養していた新島襄の容態が急変し47歳の生涯をここで閉じています。 -
湘南発祥の地の石碑
説明文によると
湘南発祥の地大磯の由来
崇雪と言う人が寛文4年(1664)頃 西行法師の詠んだ名歌
「こころなき身にもあはれは知られけり
鴫立澤の秋の夕暮」
を慕って 草庵をここに結び 標石をたて 東海道を往還する旅人に鴫立澤を示し 「著盡湘南清絶地」と景勝を讃えて刻んだのがはじめです
中国湖南省にある洞庭湖のほとり 湘江の南側を湘南といい, 大磯がこの地に似ているところから湘南と呼ばれるようになりました -
イチオシ
その隣にある鴫立庵
先ほどの石碑の説明の通り、西行法師の歌で名高い鴫立沢に、今から350年前に崇雪が草庵を建てたのが始まり。 -
京都の落柿舎、滋賀の無名庵とともに日本三大俳諧道場の一つになっています。
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イチオシ
ちょっと寄り道して島崎藤村旧宅へ
亡くなるまでの2年間ここに住んでいたそうです。 -
三部屋しかない小さな平屋の家で、藤村はこの家を「靜の草屋」と呼んでいたそうです。
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苔むした庭には四季折々いろんな花が咲いています。
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西湘バイパスの下のトンネルをぬけるとこゆるぎの浜
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その昔、政財界の重鎮や文豪たちが愛し歩いたこゆるぎの浜
よく、映画やドラマなどで吉田茂が和服姿で海岸を歩いている姿が登場していましたが
この海岸だったんですね。 -
ここはハマヒルガオの群生地としても有名です
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再び東海道に戻ってこのあたりは立派な松並木が続きます。
この光景 いかにも東海道といった感じの町並みですね。 -
このあたりはいろいろ見どころがあって、あちこち寄り道してばかりで、なかなか先に進みません。
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松並木を抜けたあたりにあるこちらの建物は、初代内閣総理大臣を務めた伊藤博文邸の滄浪閣跡
この建物は大磯プリンスホテルの別館の結婚式場として使われていましたが、売却されて今は閉鎖されています。 -
滄浪閣の横の細い道の奥にあるこの洋館
門の上にバラセンが張り巡らされて閉鎖されていますが、こちら日銀総裁や大蔵大臣を務めた池田成彬の旧邸(西園寺公望邸跡)
隣の滄浪閣と合わせて大磯町が中心になってファンドを絡めた官民連携した景観・観光資源再生・利活用計画を進めているようです。
ちなみにこちの旧池田邸は、この建物を整備してレストラン・バンケット・オーベルジュとしての活用を図っているようです。
平成30年の開業を目指しているようなのでまだ先の話ですね。 -
イチオシ
東海道をしばらく先に進んでいくと今度は吉田茂旧宅跡があります。
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平成21年の3月、旧宅は火災で焼失してしまい、今残っているのはこの兜門と、旧宅の脇にあった温室と七賢堂だけ
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海側の高台に日米講和条約締結の地、サンフランシスコと首都ワシントンの方角をむいて吉田茂像が建っています。
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旧宅が建っていたのはこちら
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藤棚で咲いていた藤の花はピークが過ぎていたので元気な花だけをズームアップ
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入口にはバラ園もありました。
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旧吉田邸の手前の城山公園前の交差点まで戻り、旧東海道は右に迂回していきます。
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17個目の一里塚を通り越してしばらく進むと、国府新宿の交差点で1号線に合流します。
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1キロほど進んでいくと二宮町に入ります。
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海岸沿いの漁師町なのでお昼はおいしい魚を食べようと思っていたのですが、町境にあった蕎麦屋でシラス天丼とそばのセット腹ごしらえ
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こちらの吾妻神社は創建の年代は不詳のようですが、言い伝えでは日本武尊が東征の折り浦賀水道で暴風にあいそれをおさめるためその妃である弟橘姫命が入水し、その後弟橘姫命の櫛が流れ着き、それを祀ったのがこの神社だったとか。
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「江戸より十八里」の一里塚から旧東海道は左に迂回します。
ここから大磯宿と小田原宿の距離が長かったため二宮町は間の宿『梅沢の立場』としてにぎわった宿に入ります。 -
間の宿にあった松谷本陣跡
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1号線に合流する手前にあった道祖神
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合流して間もなく本日のゴールの小田原市に入ります。
このあたりは市境が入り組んでいて、すぐににまた二宮町の表示が出て数百メートルでまた小田原に入ります。 -
このあたりで東海道は平行して走る西湘バイパスに近づき、橘ICの先で海岸に降りてみました。
どんよりとした曇り空の向こうに伊豆半島が見えています。
ここからも富士山は見ることができませんでした。 -
国府津の駅を抜けたあたりから通りには昭和の初期にはやったこんな看板建築の商店が並んでします。
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日本橋から80キロあたりから短い松並木が現れます。
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こちらの小さな社の中にあるのは上杉龍若丸の墓。
北条氏康によって殺害された龍王丸の墓は、山王小学校の入口の民家の庭先にありました。 -
これより小田原宿
本日のゴールに近づいてきました。 -
広重の東海道五十三次に出てくる小田原宿は、馬入橋のあたりが描かれています。
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旧東海道は日本橋から84キロの新宿の交差点を左折してすぐに右折して、かまぼこ屋の老舗や干物屋さんが並ぶこの通りは、地元ではかまぼこ通りと呼ばれているようです。
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明治天皇行在所跡
明治天皇が宿泊した清水金左衛門本陣跡 -
小田原宿惣町の総鎮守 松原神社
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この小田原宿なりわい交流館は、昭和7年に建設された旧網問屋だった小田原の典型的な商家の造りの建物。今は観光案内や街歩きのお休み処として使われています。
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ここで東海道ウォークはひとまず終了
とりあえずここから周辺の街歩きを開始
御幸の浜の矢印表示を見て何かあるのか行ってみたものただの海岸
明治6年に明治天皇ご夫妻が、地引網を見に訪れて以来「御幸の浜」と呼ばれるようになったとか。 -
イチオシ
偶然見つけた小田原文学館
鎌倉にも文学館がありますが、小田原も北村透谷や尾崎一雄など当時の文壇で活躍した作家たちが数多く住んでいた場所
建物は、幕末の志士で、元宮内大臣でもある田中光顕伯爵が別邸として昭和12年に建てた洋館。 -
奥には移築した尾崎一雄の書斎や、白秋童謡館として公開している和館もあります。
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先ほど大磯の滄浪閣を通ってきましたが、伊藤博文が最初に滄浪閣を建てたのは、胸像の建っているこちらの場所。大磯に本宅を移す前の別邸がここにあったそうですが、今は石碑とこの胸像が民家の庭先に残るだけ。
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文化財に指定されている正恩寺の鐘楼門
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門をくぐって背中に感じた視線をたどっていくと門の上に2匹の猫
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人車鉄道???
軽便鉄道???
小田原駅跡? -
これが人車鉄道の正体
トロッコのような小さな客車を人力で押しています。
小田原から熱海まで人力で押すのっていったいどのくらいの時間がかかったんでしょうね。 -
最後に立ち寄ったのは小田原城
城址公園の御感の藤はちょうど見ごろを迎えていました。 -
小田原城は戦国時代から江戸時代にかけての平山城。北条氏の居城としても有名ですね。
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城内の建物は明治の初めに取り壊されてしまい、現在のお城は1960年に再建されたコンクリートの建物
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駅に向かう道の途中にあった唐破風の立派な建物は「だるま料理店」
地元の網元が明治26年に創業した老舗料理店
見た目が立派すぎで敷居が高く入りませんでしたが、後で調べたら私でも充分食事のできるお店でした。
次回は必ず寄ってみましょう。
とりあえずGWの休暇中に無事に予定通り小田原までたどり着くことができました。
でも、この先箱根越えがいつになるのか、まだ決まっていませんがなんとか月内には次の東海道ウォークやりたいものですね。
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この旅行記へのコメント (2)
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- みかりさん 2014/05/16 16:58:26
- もう小田原なんですね〜
- ぬいぬいさん、こんにちは!
東海道ウォーク楽しく拝見しています。
健脚のぬいぬいさん、GWにもう小田原まで到着したんですね。
小田原の街はじっくり見ると風情もあって魅力的な所ですよね。
「だるま料理店」は私も行った事があります。立派すぎて入りずらいけど
実はそんな事も無いんですよね。大行列で入れなかったので、いつか
リベンジしたいお店です。
東海道は静岡辺りまでは海の風景が多いですよね〜。ホントに綺麗。
甲州街道は、山・山・山の風景でとっても綺麗ですが、海の風景は
新鮮に感じますし、とっても気持ちが良さそうです。
次回はいよいよ箱根の峠越えですね。楽しみにしています!
みかり
- ぬいぬいさん からの返信 2014/05/19 05:31:40
- 思ったように進みませんね
- みかりさん おはようございます
とりあえず始めてしまった東海道ウォーク
1日の距離を当時の人のように30キロくらいは歩けるのかなと思っていましたが、あちこち寄り道しているとはいえ意外に進まないものですね。
4日間かけてなんとか小田原までたどり着きましたが、1日平均すると22キロほど。
戸塚あたりまでは自分の仕事場のエリア、普段は車で移動していたので歩く目線で見る街並みは、いつもと違って新鮮に見えました。
ようやう海のそばや山の中を歩くようになり、景色の変化があってこれから楽しくなりそうです。
歩くのはお金がかからず、ダイエットにもなると思って始めたものの、誤算だったのは、東京からの距離が離れるに従ってその日のスタートまでの移動費がだんだんかさみ始めたことと、歩くとお腹がすくので飲んだり食べたりで、消化したカロリー以上に摂取してしまい、いまだダイエット効果が全く現れないこと。
京都にたどり着くのは一体いつになるのやら。
気長に続けるしかなさそうですね。
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