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年末に3ヶ月ぶりに再開した東海道ウォーク。<br />年末6日分の旅の荷物を背負って2日間東海道を歩き、熱田神宮の手前の本笠寺駅のそばで日没コールド。<br /><br />ようやくゴールが見えてきたものの、さすがに愛知県に入ると日帰りウォークは厳しくて、前回より1泊2日のお泊りウォークに変わりました。<br /><br />今年に入って2週目の週末は3連休だったこともあり、余った18きっぷを使って、2日間で本笠寺駅から四日市まで歩きました。<br />初日は本笠寺から宮宿までが旧東海道。<br />宮宿より桑名宿までは昔は船だったため、現在の東海道を歩いて三重県の長島まで、2日目は長島駅から桑名宿、四日市宿まで歩きようやく東海道全体の5分の4の地点まで到達し、ゴールの三条大橋まで100キロ足らずになりました。<br />あと4,5回歩けばゴールの京都三条大橋。<br />この分だと5月のゴールデンウィークにはゴールインできそうです。<br /><br />

目指せ京都三条大橋!  東海道ウォーク  19回目  本笠寺駅~長島駅 ついに三重県に突入

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2016/01/09 - 2016/01/09

2042位(同エリア5645件中)

旅行記グループ 東海道ウォーク

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ぬいぬい

ぬいぬいさん

年末に3ヶ月ぶりに再開した東海道ウォーク。
年末6日分の旅の荷物を背負って2日間東海道を歩き、熱田神宮の手前の本笠寺駅のそばで日没コールド。

ようやくゴールが見えてきたものの、さすがに愛知県に入ると日帰りウォークは厳しくて、前回より1泊2日のお泊りウォークに変わりました。

今年に入って2週目の週末は3連休だったこともあり、余った18きっぷを使って、2日間で本笠寺駅から四日市まで歩きました。
初日は本笠寺から宮宿までが旧東海道。
宮宿より桑名宿までは昔は船だったため、現在の東海道を歩いて三重県の長島まで、2日目は長島駅から桑名宿、四日市宿まで歩きようやく東海道全体の5分の4の地点まで到達し、ゴールの三条大橋まで100キロ足らずになりました。
あと4,5回歩けばゴールの京都三条大橋。
この分だと5月のゴールデンウィークにはゴールインできそうです。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 徒歩
  • 始発電車に乗って本笠寺の駅へ到着したのは11時30分。<br />年明け最初の東海道ウォークはここからスタートです。<br />

    始発電車に乗って本笠寺の駅へ到着したのは11時30分。
    年明け最初の東海道ウォークはここからスタートです。

  • まだ年初めなので前回スルーしてしまった笠寺観音へ参拝

    まだ年初めなので前回スルーしてしまった笠寺観音へ参拝

  • ここは真言宗のお寺で正式名称は笠覆寺といいます。

    ここは真言宗のお寺で正式名称は笠覆寺といいます。

  • 名古屋城を中心に恵方がめぐる尾張四観音の一つで、今年はここが恵方にあたるそうで節分の賑わいはすごくなりそうですね。

    名古屋城を中心に恵方がめぐる尾張四観音の一つで、今年はここが恵方にあたるそうで節分の賑わいはすごくなりそうですね。

  • この川を渡ってしばらく進むと次の宿場町宮宿へと入ります。

    この川を渡ってしばらく進むと次の宿場町宮宿へと入ります。

  • 裁断橋址<br />説明看板によると<br />「宮の宿の東のはずれを流れる精進川の東海道筋に架かっていて、現在の姥堂の東側にあった。天正18年(1590)に18歳になるわが子堀尾金助を小田原の陣で亡くし、その菩提を弔うために母親は橋の架け替えを行った。三三回忌にあたり、再び架け替えを志したがそれも果たさず亡くなり、養子が母の意思をついで元和8年(1622)に完成させた。この橋の擬宝珠に彫られている仮名書きの銘文は、母が子を思う名文として、この橋を通る旅人に多くの感銘を与えた」<br />とありました。

    裁断橋址
    説明看板によると
    「宮の宿の東のはずれを流れる精進川の東海道筋に架かっていて、現在の姥堂の東側にあった。天正18年(1590)に18歳になるわが子堀尾金助を小田原の陣で亡くし、その菩提を弔うために母親は橋の架け替えを行った。三三回忌にあたり、再び架け替えを志したがそれも果たさず亡くなり、養子が母の意思をついで元和8年(1622)に完成させた。この橋の擬宝珠に彫られている仮名書きの銘文は、母が子を思う名文として、この橋を通る旅人に多くの感銘を与えた」
    とありました。

  • その隣には都都逸発祥の地の石碑<br />これも看板によると<br />「 寛政12年(1800)ごろ、今の熱田区伝馬町の東方付近で歌い出され大流行した。江戸時代、この辺りは東海道五十三次の1つ宮の宿と呼ばれ、旅篭が約250軒もあったという。その中の“鶏飯屋”で働くお手伝いさんが大変な美声で『神戸節』『潮来節』などを歌い、終わりに「どどいつどいどい」などという囃子を入れたのが始まりで飲食関係の女性から名古屋全域に広まっていった。やがて七・七・七・五の字数に合わせ、土地の情景や人情ものを歌い込む人が現れ、名古屋の名物となった。」

    その隣には都都逸発祥の地の石碑
    これも看板によると
    「 寛政12年(1800)ごろ、今の熱田区伝馬町の東方付近で歌い出され大流行した。江戸時代、この辺りは東海道五十三次の1つ宮の宿と呼ばれ、旅篭が約250軒もあったという。その中の“鶏飯屋”で働くお手伝いさんが大変な美声で『神戸節』『潮来節』などを歌い、終わりに「どどいつどいどい」などという囃子を入れたのが始まりで飲食関係の女性から名古屋全域に広まっていった。やがて七・七・七・五の字数に合わせ、土地の情景や人情ものを歌い込む人が現れ、名古屋の名物となった。」

  • 宮宿の東海道はここから海路になります。

    宮宿の東海道はここから海路になります。

  • 江戸時代はここから7里先の桑名まで船に乗って進んでいったため、ここから桑名までは旧の東海道が途切れてしまいます。

    江戸時代はここから7里先の桑名まで船に乗って進んでいったため、ここから桑名までは旧の東海道が途切れてしまいます。

  • だからこの先熱田神宮の前からは現在の東海道を桑名まで歩くことになります。

    だからこの先熱田神宮の前からは現在の東海道を桑名まで歩くことになります。

  • 目の前にある丹羽家<br />幕末の頃、脇本陣格の旅籠だった伊勢久。<br />西国各大名の藩名入りの提灯箱が残されているそうです。<br />正面の破風付玄関は、かつての格式の高さを残しています。

    目の前にある丹羽家
    幕末の頃、脇本陣格の旅籠だった伊勢久。
    西国各大名の藩名入りの提灯箱が残されているそうです。
    正面の破風付玄関は、かつての格式の高さを残しています。

  • 明治29年に建てられた料亭「魚半」。戦時中は三菱重工業の社員寮として、現在は高齢者福祉施設として利用されています。<br />  

    明治29年に建てられた料亭「魚半」。戦時中は三菱重工業の社員寮として、現在は高齢者福祉施設として利用されています。
     

  • こちらは魚半の経営者の自宅<br />左側が大正時代に建てられたRC住宅 右が昭和の初期の建築の和館

    こちらは魚半の経営者の自宅
    左側が大正時代に建てられたRC住宅 右が昭和の初期の建築の和館

  • 現在はNPO法人が管理していて内部を見学することができます。

    現在はNPO法人が管理していて内部を見学することができます。

  • 道向かいにあるレンガ造りの蔵は明治36年に建てられた魚半別邸の蔵

    道向かいにあるレンガ造りの蔵は明治36年に建てられた魚半別邸の蔵

  • この行列は何?<br /><br />宮宿の陣屋跡地に明治6年に創業した蓬莱軒本店。<br />名古屋のご当地グルメの一つ、ひつまぶしの老舗料理店でした。<br /><br />せっかくなので食べたかったのですがこの時間で2時間半待ち<br />

    イチオシ

    この行列は何?

    宮宿の陣屋跡地に明治6年に創業した蓬莱軒本店。
    名古屋のご当地グルメの一つ、ひつまぶしの老舗料理店でした。

    せっかくなので食べたかったのですがこの時間で2時間半待ち

  • 熱田神宮の横を通るので新年の参拝を

    熱田神宮の横を通るので新年の参拝を

  • 年末も来たのですがわずか2週間の間に2回も熱田神宮を訪れました。

    年末も来たのですがわずか2週間の間に2回も熱田神宮を訪れました。

  • 実は年末を旅していて今年が3度目の前厄にあたる年だったことがわかり気になっていました。

    実は年末を旅していて今年が3度目の前厄にあたる年だったことがわかり気になっていました。

  • 女房は本厄<br />夫婦そろって厄年なのでここで二人分の厄除けのお守りを買いました。

    女房は本厄
    夫婦そろって厄年なのでここで二人分の厄除けのお守りを買いました。

  • 織田信長ゆかりの熱田神宮<br />桶狭間の戦いの前に、必勝祈願に訪れてから出陣したとされ、勝利のお礼に「信長塀」を寄進したとか

    織田信長ゆかりの熱田神宮
    桶狭間の戦いの前に、必勝祈願に訪れてから出陣したとされ、勝利のお礼に「信長塀」を寄進したとか

  • 摂社 上知我麻神社<br />こちらは恵比須様と大黒様を祀っていて商売繁盛にご利益あり

    摂社 上知我麻神社
    こちらは恵比須様と大黒様を祀っていて商売繁盛にご利益あり

  • その右手奥にある別宮八剣宮があります。

    その右手奥にある別宮八剣宮があります。

  • 本来なら宮の渡しから桑名の七里の渡しまで28キロ船で渡っていたのですが、今は船便がないので現在の東海道を歩くことになります。

    本来なら宮の渡しから桑名の七里の渡しまで28キロ船で渡っていたのですが、今は船便がないので現在の東海道を歩くことになります。

  • 当然現在の東海道なので桑名までは東海道名残の見るべきものが何もなく、ただひたすら歩き続けることに。<br />東海道を歩いていて一番つまらないパターンが夜まで続くことを思うとテンションが下がります。

    当然現在の東海道なので桑名までは東海道名残の見るべきものが何もなく、ただひたすら歩き続けることに。
    東海道を歩いていて一番つまらないパターンが夜まで続くことを思うとテンションが下がります。

  • 夕暮れ時が近づいてきて薄暗くなってきました。

    夕暮れ時が近づいてきて薄暗くなってきました。

  • 前回は日が暮れた時点でサスペンデットでしたが、今回は暗くなっても目的地までは歩くつもり。

    前回は日が暮れた時点でサスペンデットでしたが、今回は暗くなっても目的地までは歩くつもり。

  • 年末から再開した東海道ウォーク<br />晴天続きで毎回きれいな夕焼けを見ることができています。

    年末から再開した東海道ウォーク
    晴天続きで毎回きれいな夕焼けを見ることができています。

  • 日が暮れて暗くなって危ないので背中に点滅ランプをつけて歩いていますが、ここで日帰り天然温泉を発見。<br />ちょっと疲れたので温泉につかって一休み。

    日が暮れて暗くなって危ないので背中に点滅ランプをつけて歩いていますが、ここで日帰り天然温泉を発見。
    ちょっと疲れたので温泉につかって一休み。

  • 普段なら湯上りは迷わずビールなのですが、まだゴールの長島駅まで暗闇の中5キロほど歩かなければいけないのでポカリで水分補給

    普段なら湯上りは迷わずビールなのですが、まだゴールの長島駅まで暗闇の中5キロほど歩かなければいけないのでポカリで水分補給

  • 木曾川に架かる長い橋を渡れば桑名市。<br />いよいよ三重県に突入です。

    木曾川に架かる長い橋を渡れば桑名市。
    いよいよ三重県に突入です。

  • 電車の中の明かりが一本のラインになって写っています。

    電車の中の明かりが一本のラインになって写っています。

  • この日のゴールは関西本線の長島駅。<br />明日はここからスタートして四日市まで歩く予定です。

    この日のゴールは関西本線の長島駅。
    明日はここからスタートして四日市まで歩く予定です。

  • 今夜の宿泊地名古屋へ戻りナナちゃんとご対面。<br /> ナナちゃんのプロフィールは、1973年4月28日生まれの42歳。<br />身長約6メートル、体重約600キロ。<br />本業は名鉄百貨店の「広報部員」で、日々の業務を担っており、彼女にしか着こなせない最新ファッションを常に提案しているそうです。

    今夜の宿泊地名古屋へ戻りナナちゃんとご対面。
     ナナちゃんのプロフィールは、1973年4月28日生まれの42歳。
    身長約6メートル、体重約600キロ。
    本業は名鉄百貨店の「広報部員」で、日々の業務を担っており、彼女にしか着こなせない最新ファッションを常に提案しているそうです。

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