2002/06/09 - 2002/06/09
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SUR SHANGHAIさん
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河西回廊の街の一つ張掖からSUR SHANGHAIは長距離バスで嘉峪関の街を目指す。
嘉峪関市は万里の長城の西の終着点である嘉峪関がある街。
その嘉峪関の南には、万里の長城の最西端の物見台だった万里長城第一墩があるほか、北東には懸壁長城があって観光の目玉になっています。
張掖を7:30に出た長距離バスはゴビ灘の中の平坦な道を突っ走って、11:30過ぎには嘉峪関市に到着。
青海省の青海湖や前日までの張掖周辺では雨だった空も徐々に晴れて乾いた暑さ。
嘉峪関市での滞在は翌朝までの短い滞在。
宿を決めたあとは早速タクシーの運転手さんを見つけて行き先と値段の交渉。
ついにやって来た万里の長城の最西端の街。
SUR SHANGHAIを待つものは何だろう。
表紙の画像は、万里の長城の最西端の物見台、万里長城第一墩。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
張掖から嘉峪関市への長距離バスでは寝入ってしまったSUR SHANGHAI。
嘉峪関市に無事着いて、宿は長城賓館に決まり。
ホテルの外で客待ちしていたタクシーの運転手さんと行き先と料金交渉。
懸壁長城+嘉峪関+万里の長城第一墩+魏晋壁画墓で、言い値が02年当時で150元でしたよ。値引き交渉もしてくださいね。
まず着いたのが嘉峪関の北東7kmちょっとの位置にある懸壁長城。
ひゃ〜! 登りがいがありそう! -
上り口で、02年当時8元だったチケット購入。
タクシーの運転手さんには駐車場で待っていてもらうことにして、あとは懸壁長城の天辺を目指して城壁上の通路をテクテク。
途中に飲み物やちょっとした食べ物の小さい露店も出ていましたが、下で買って行くのがいいですよ。
トイレの用事も下で済ませていくのが○。
当時の設備は、…う〜ん、でしたが。
ティッシュやウェット・ティッシュは持参が吉。 -
イチオシ
この懸壁長城は1539年着工、完成までに19年かかったそうな。
傾斜角45度の石関峡口北側の黒山の山腹にあって、天に懸かったように見えるので、懸壁長城と名付けられたらしい。
もちろん今の長城は修復された姿。
途中で振り返ると、オアシスとゴビ灘の境がくっきりと分かれた風景。
右手遠方に嘉峪関市の町並みが蜃気楼のように写っているのがこの画像で見えるかな。 -
懸壁長城天辺へ上る途中の城壁左手の風景は、こんな乾いた岩山が続く。
水の湧いている所だけがパッチワークのように緑のオアシス。 -
同じく懸壁長城の天辺へ上る城壁左手に見える岩山。
あ、山腹に小道が通っている。
出来たら、天辺からの帰りはあの道を通って下りて行きたいな。 -
麓から見えた懸壁長城の天辺の物見台までSUR SHANGHAIの足だと30分。
ちなみにSUR SHANGHAIは普通の体力の持ち主です。
ああ、一休み、一休み。
ちょっと日が翳って風も通ると気持ちよく汗が引いていく。
天辺の物見台から見下ろした山肌には、ナスカの地上絵のように大小のハートの絵がたくさん。
この画像で見えるかな。
恋人たちが残していったに違いない。 -
一休みして汗も引いたあとは、山肌に見えていた小道を通って麓に向かうSUR SHANGHAI。
雲が流れると、その影もオアシスの脇を通る不思議に静かな風景。
さっきは天辺を目指して上って行った懸壁長城の一部も下に見える。 -
あ、あそこに自分も立っていたんだな。
と、下りていく途中で懸壁長城の天辺を見上げて感激。
上っている時にはそんなに感じなかったのに、改めて下から見上げるとその急角度が分かる。
ここにこの長城を築いた時の辛苦はどれほどだったろう。 -
懸壁長城がある黒山の麓近くに、お寺さんがあった。
あ、あそこにも行ってみよう、と歩き始めたら、雇ったタクシーの運転手さんが遠くから「お〜い! そっちじゃないよ〜!」
道に迷ったと思ったらしい。
あとで聞いてみたら、SUR SHANGHAIが帰りは山肌の道を下り始めたのでヒヤヒヤしたそうな。
ご心配をおかけしました〜。m(_)m -
最後に振り返る懸壁長城。
度重なる引越し騒ぎの荷物の中で、保存状態が悪い写真は、端っこの方が丸まったり変色してました。 -
さて、懸壁長城の次に訪れたのは嘉峪関。
嘉峪関は明代の初めに建造された長城に設けられた関所のようなものだったのだとか。
西域への出入り口になる場所のため、外側を長城に囲まれ、その中に、さらに11メートルの城壁で2重に囲まれた嘉峪関。
修復されたその姿は、SUR SHANGHAIには味気ない映画セットのように見えた…。 -
西域への出入り口という観点から、堅固な要塞としても造られた嘉峪関の城壁。
-
嘉峪関の敷地内に植えられた楊柳の木立が一抹の涼感。
前日、同じ甘粛省の粛南裕固族自治県にある馬蹄寺石窟ではみぞれ交じりのお天気だったのが嘘のように暑い! -
風が渡る楊柳の木立。
昔、嘉峪関を行き交った人々も、西域を吹き渡るこの風の声を聞いたんだろうな、と想像してみる。 -
似たような楼閣が多いので、これは碑亭がある側の嘉峪関楼だったと思うんですが、確信無し。
6月初めは観光シーズン前で、この広い嘉峪関にも人影なし。 -
これは嘉峪関外側の城壁。
内側の城壁と同様にこの城壁の上も歩けましたよ。
チケットは02年当時で40元だったような…。 -
嘉峪関外側の城壁の上を歩く。
青い空に浮かぶ白い雲は昔の歴史を語ってはくれず、長城の上を流れていくだけ。 -
イチオシ
どこまでも続くように見える万里の長城も、この嘉峪関市の外れで終わりになるんだな。
その様子はこのあとで見に行くことにして、もう少し嘉峪関の城壁の上を散策するSUR SHANGHAI。 -
嘉峪関外側の城壁向こうには工場や高層ビルの姿も見えた。
長城も周辺の景色の移り変わりにはびっくりしているだろうなあ。 -
イチオシ
この嘉峪関の南にある万里の長城第一墩が万里の長城の最西端。墩は物見台のこと。
祁連山脈の麓を流れる北大河のほとりに万里の長城第一墩はある。
そこまで延々と続く万里の長城。
この日の祁連山脈は靄と雲の向こうにうっすらと見えるだけ。
画面奥に左から延びているのは別の山です。 -
万嘉峪関から万里の長城第一墩へとタクシー移動。
嘉峪関から南に7kmほど。
途中、万里の長城が道路で断ち切られている個所があった。鉄道もそばを通る。 -
知らずに見たら、岩山や土手のようにも見える万里の長城の最西端近くの姿。
今は鉄道もそばを通っているのがシュールな眺め。 -
鉄道にも断ち切られて、もうこのまま崩れ去ってしまいそうな万里の長城最西端近くの姿は昼の光の中でうら悲しい。
-
そんなSUR SHANGHAIの感傷とは関係なく、通り抜けていった貨物列車の轟音。
これも時代の流れ…。 -
イチオシ
北大河が下を流れるこの絶壁の上の万里の長城第一墩が万里の長城の最西端。
知らずに見たらただの岩にしか見えないような物見台部分の後は、垂直に落ち込む断崖絶壁。
SUR SHANGHAIが立っているのは、土手くらいの高さになった万里の長城。
これが長城の西の外れの姿…。
涙が出そう。 -
そのぼろぼろと崩れてしまいそうな万里の長城第一墩に上って右を見ると絶壁の下を流れる北大河。
注: 02年当時は柵なども無くて上れるようになっていました。
肉眼ではかすかに見えた祁連山脈もこの写真では見えない。
空気が澄んでいれば、手前の山の向こうにくっきり見えたはず。 -
同じく万里の長城第一墩の上から左側を見ると、こちらも北大河の大絶壁の眺め。
-
その絶壁の上に誰か二人いるのが見えるかな。
小さな点のようになったその二人連れ。
万里の長城第一墩がある絶壁の高さがこれではっきり分かると思います。 -
万里の長城第一墩から下りて崖っぷちに寄ってみたSUR SHANGHAI。
ひゃ〜、ブルブル…。
怖さで膝がガクガクして、これ以上前進するのは無理。
一つしかない命だし、ここで退却。 -
逆光の中の万里の長城第一墩。
このまま崖の侵食が進んだら、土砂と一緒に北大河に飲まれてしまうんだろうか…。 -
魏晋壁画墓は嘉峪関市の東北20kmほどのゴビ灘の真っ只中にある魏や晋の時代の墳墓群。
小屋掛け風の建物の地下にあって、02年当時のチケット30元。
墳墓内部の壁画は撮影禁止、周囲の写真は目下行方不明ですみません。
あとは嘉峪関市に戻ってもらい、タクシーの運転手さんに別れを告げる。
効率よく回ってくれて助かりました〜。
これは路上でアヒル(?)のヒナを売り買いしていた地元の人たち。 -
嘉峪関市は新しく出来た街で、きっちりと区画が出来ていましたが、ゴースト・タウンのようにガラ〜ンとした町並みが不思議な感じ。
住宅街の辺りも森閑として、人の気配が無い。 -
嘉峪関市でよく見かけた、ガラスを多用したアパートのデザインも不思議な印象。
これで万里の長城の西の外れの景色を堪能したSUR SHANGHAIは、翌日はまた別の河西回廊の街、武威へと移動します。
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