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Berg Heilさんへのコメント一覧(22ページ)全232件

Berg Heilさんの掲示板にコメントを書く

  • この絵の件ですが...

    Berg Heilさん今日は
    この絵の件ですがutamiumiuさんが近いうちに行くそうなので
    お願いしてみていいでしょうか?
    わたしもとても気になっていて...誰の作品なんでしょうね^^?

    PS  詳細な資料有難う御座いましたm(_ _)m
    今調べ中ですがかなり内容が濃く特にアレンシュタイン(オリュシュティン)近郊の残留ドイツ人のペンションなどの特定をしている所です。
    残留ドイツ人のかたにはかつて91年にElbing(エルブロング)〜ダンチヒ(グダンスク)間の列車の中で遭遇しかなり苦労したけどその土地を離れられなかったという話は聞きました。そのかたはそれなりにポーランド語は話せましたがあまり発音は上手くなかったのと、かなりドイツ語が早口で平べったい感じ(かつてのDDRの人の話し方に似ていた)でした。
    Elbing(エルビング?)のドイツ語サイト
    この街は行った事がありますが、かつての美しい姿とはかけ離れていて寂しい限りです。
    http://www.hans-pfau-elbing.de/
    ポーランド語サイトですがギャレリアをクリックすると写真がみれます。
    http://www.elbing.gabo.pl/
    2006年02月28日03時23分返信する 関連旅行記 関連写真

    RE: この絵の件ですが...

    絵の件 御願いいただければ幸甚です。utamuimuiさんのHPは時々拝見、更に書き込みも頂いております。私の独逸旅行のテーマは「ナポレオンに依る神聖ローマ帝国の崩壊から第三帝国の壊滅までの歴史」をメインにしております。(半分以上は物見遊山ですが、立て前として)従って、特に独逸帝国統一の中心だった旧プロイセンの歴史とバイエルンとの関係及びハプスブルク帝国の歴史に興味があります。歴史の専門家ではありませんので極めて物語的、野次馬的にこの方面の読書をしています。 何時の日にか波欄土
    洪牙利 チェコも訪れる機会があるやも知れませんがここしばらくは独逸中心となりそうです。
    2006年02月28日10時30分 返信する
  • ケルン大聖堂

    こちらにもお邪魔します。
    ドイツ3大塔、ケルン、ウルム、ミュンヘンと私は「馬鹿と煙は高いトコ上る」の文字通り、上りました。
    お写真を拝見してとても懐かしかったです。
    ケルンのときはハイデルベルク近くのヒルシュホルンというところから日帰りで塔だけ行きました。その他も周りたかったのですが夕立と雷に見舞われあきらめたのです。
    美しい街並のお写真を拝見していて「この次は!」とリベンジしたくなりました。
    2006年02月24日00時26分返信する

    RE: ケルン大聖堂

    Hirschhorn(鹿のホルン) 2000年6月に一度立ち寄りました。魔女の塔のある城跡からのネッカーの眺め 良いですね!!あの小さなホテルにお泊まりになったのでしょうか? 私も同病で4半世紀前の大学山岳部は「馬鹿と鶏」同様すぐ上りたくなります。ただケルンは雨で、ウルムはカミサン連れだったのであきらめましたが、一人旅で時間があればなにがしかのお賽銭をあげて上ることにしています。ヒルシュホルンの近くのMosbach(モスバッハ)も木組みの家が残る、こじんまりした良い街ですね。
    2006年02月24日10時43分 返信する

    RE: RE: ケルン大聖堂

    訂正 返事の文章中 「4半世紀前」 は 「半世前」に訂正願います。
    「粗忽」は我が家伝来の家風!!
    2006年02月24日12時58分 返信する
  • Burgsatzvey

    初めまして、Berg Heilさん(山、幸福さん?)
    Metalと申します。ドイツ語ならMetallですね。


    Burgsatzveyは非常に興味深いですね〜。
    私もshinesuniさんと同様、ヴァーチャルツアーを楽しんでみました。
    やや気が早いですが、GWにAachen〜Koeln〜Muenster〜Hannoverを旅する予定ですので、Koeln滞在の1日を使って訪れてみたいと思います。Die Bahnのサイトで調べてみましたが、Koelnから50分程度しかかからないようですので、エクスカーションにはぴったりのお城ですね。
    2006年02月23日23時04分返信する 関連旅行記

    RE: Burgsatzvey

    Satzvey イベントが無ければなんとゆう事もない城ですが、クリスマスのイヴェントはインターネットで見つけて訪ねたわけです。なおローカル線ですので、何も車内放送はありませんので(2001年当時)一つ前の駅を記憶しておかないと降り損なう場合がありますのでご注意!! おまけに独逸の駅のプラットホームには日本の様に次の駅名が書いてないのが不親切です。DBのHPで途中停車駅を良く検索していく事をお薦めします。それに古い客車の扉、開けるのに力がいりますね!! 何処の人達もお祭り大好き、皆さん笑顔です。 ここでは本当に村の人達と一緒に楽しんできました。
     なお「Berg Heil」とは”山万歳”の意味、多分大正時代スイス・アルプスに山登りに行った人達が持ち込んだ言葉だと思いますが?        他に「Ski Heil」”シーハイル・スキー万歳”(スキーとは発音せずシーです)という言葉もあります。
    「Sieg Heil」”勝利万歳”もありますが今日では一寸はばかられるとか。
    2006年02月24日11時05分 返信する
  • 綺麗な城館ですねww。

    ケルンとボンの間ですね^^
    今度行った時には是非行ってみます。

    PS またまた資料を送って頂き有難うございましたm(_ _)m
    アウグストゥフ近郊のプラスカ村の話などかなり興味をそそられています。
    スバウキからビァウィストクへの移動途中にアウグストゥフを通過しましたが湖が美しい綺麗な街で、後続の列車があれば是非寄りたい場所でした。
    そう遠からず行く場所だと思いますのでその時は旅行記をUPさせて頂きます。
    ドイツや旧ドイツ領関連の事などこれからも色々教えてください。
                     shinesuni
    2006年02月23日18時18分返信する 関連旅行記 関連写真
  • アルテマイスターのマドンナの作者

    Berg Heilさん
    ご無沙汰いたしております。それからいつもご訪問有難うございます。
    表記の絵、気に入り私も作者探しに興味が湧きました。
    (前にも書いたと思うのですがドレスデンに行ったのは1992年?でこの美術館にも行っておりますがこの絵には記憶にありませんでした)。

    昨日偶然に同様の作風の絵を同じ美術館所蔵で見つけました。
    http://www.wga.hu/index1.html
    で作者Correggiで索引。
    これから、作者はCorreggiと考えてほぼ間違えないと思います。
    2006年02月19日12時54分返信する

    RE: アルテマイスターのマドンナの作者

    マドンナの絵の件、ご教示深謝致します。早速Correggiで検索しました。確かに同じ作風のマドンナがありました。shinesuni氏が以前デンマークのサイトでこの絵を見つけてくださいましたが詳細は不明です。私も絵画に付いては大変興味が有りますが知識は残念ながら不足です。ただ独逸の街を訪問したときには時間さえあれば博物館 美術館、教会 お城、等は必ず訪ねる事にしています。ただ一つの街で2〜3カ所入りますと、10日以上になりますと拝観料、入場料が以外とかかり、後でこんなにかかったのかと驚きますが是も旅の必要経費、惜しむわけにはいきません。
    まだまだ懐さえ許せば一人旅(時には愚妻と)を続けたいと思っています。今後もアドバイスよろしく。
    2006年02月20日09時56分 返信する

    RE: RE: アルテマイスターのマドンナの作者

    Madonnaの作者をCorreggio(すみません末字のoが抜けてました)だろうといいましたが、どうも確信が持てずしらべましたが。以前として手がかりがないどころか疑いがますます増えて来ました。
    CorreggioのMadonnaまたは類似の絵でDresdenにあるのは4点ですがこれに一致する物はありません。一番似てるのが
    2006年02月21日14時25分 返信する

    RE: RE: RE: アルテマイスターのマドンナの作者

    マドンナの作者をCorreggio(すみません末字のoが抜けてました)だろうといいましたが、どうも確信が持てず調べました。依然として手がかりがないどころか疑いがますます増えて来ました。
    CorreggioのMadonnaまたは類似の絵でDresdenにあるのをいくつかのWeb辞典と所有の「西洋絵画作品名辞典」で調べると4点?でその中にはこれに一致する物はありません。一番似てるのが前に書き込んだ Adorazione dei pastori(Notte)独ではDie Heilige Nacht 日では羊飼いの礼拝(夜)ですが、この画風はその頃の皆さん例えばダヴィンチ、ラファエロ。チチアノに共通しますから・・・。
    という訳でいわゆるガセネタとして勘弁ください。

    私も旅の楽しみはハイキング以外では美術館、博物館、それにコンサートでして出かける前に調べるのも楽しみにしております。特にドイツの博物館はどこも楽しいですね。例えばフランクフルトのNaturmudeum Senkenberg.


    2006年02月21日14時55分 返信する
  • 大変参考になります。Wittenberg

    Wittenbergベルリンツォー駅からICEで1時間15分とあります。これなら日帰り可能ですね。
    ベルリンには4泊するので行ってみたくなりました。
    クリスチャンではないですが、ヴァルトブルク城には2回も行ってルターの部屋も2回見ています。エルフルトにも行ったことがあるのでルターに縁の地は見てみたいです。
    高校の歴史のおさらいしなくては。
    有難うございました。
    2006年02月09日13時33分返信する 関連旅行記

    RE: 大変参考になります。Wittenberg

    Wittengbergは素朴な田舎町ですが観光案内所には日本語のカラーのパンフレットがあります(有料)。私が買ったものは「公園」の「公」の地が逆さになっていましたので帰国後観光所に間違指摘の手紙を送ったのですがはたして訂正されているか否か?(大きなタイトルでしたので気になって) クラナッハの祭壇はみておいた方が良いかと思われます。宮廷教会は拝観していませんがやはり歴史的にも見学すべきかと思います。北独逸を旅しますと、バッハとルターの足跡が多いことに驚かされます。

    独逸の街を訪問するには少しでも歴史の知識の有無で印象が違ってきます。私も予習、訪問 帰国後のアルバム造りでなるべく深く印象を 老化しつつある脳細胞に刻みつけるようにしています。当地でそこそこ集めてくるパンフレット類で帰りの荷物はいささか重くなるのがやっかいですが。
    2006年02月09日17時33分 返信する
  • Magdeburg

    Dom St.Mautritius und St. Katharina はシブいですよね。
    この街は通過したことがあるのですが、時間がなくて立ち寄ったことはありませんでした。しかしこの落ち着き払った街並みは感動モノです。
    チャンスがあれば絶対行きたい街の1つです。

    PS Bunzlau(ボレスワビエツ)の街の写真集がありました。
    http://www.naszlaku.pl/dane/galerie/_gal_gm/boles/1.htm
    上のページの『Bolesławiec』の文字の右の→をクリックしていって下さい。
    かなり美しい街並みが続きます。
    もしこの街に行く事があれば一声おかけ下さい。
    地図やホテルのリストは入手してますから。
    2006年02月09日02時49分返信する 関連旅行記 関連写真

    RE: Magdeburg

    マグデブルクはかなりの都会で賑やかですが歩き回るにはそれほどの魅力はありません。教会廻りになります。ドームは施錠してあって、残念ながら入れなく目当ての中世の彫刻が見られませんでした。

    昨年10月、ニュルンベルクで”Nuerunberg Gestern 2006"というモノクロの昔の街の写真を載せたカレンダーを購入、帰国後裏を見ると独逸の各有名な都市の同じ様なものが沢山(80くらい)乗っていました。その中には旧独逸(現ポーランド)の街もあり、HPを見ますとネットで購入が可能ですので
    早速”Dresden"と"Ostpreussenn"を申し込みしたところ、陸上便で二月後に到着しました。たしか13,5Euro。なかなかレトロなカレンダーで来年も購入しようかなと思っています。元独逸は「Schlesien Danzig Ostpreussen Pommern Studetland」の5種類があります。興味が有りましたら下記HPを覗いてみてください。戦前の良き時代?の街並みが郷愁を感じさせます。
    発行元は「M+M Verlag」(ミューレンブルーフ+ミンケンベルク 出版)

    www.staedtekalender.de E-mail:mm-verlag@t-online.de




    2006年02月09日09時26分 返信する

    RE: RE: Magdeburg

    カレンダーのサイト拝見させて頂きました。
    オストプロイセンの内容が分らなかったのですが、
    どのような都市が掲載されていたのでしょうか?
    Marienwerder(ポーランド名Kwidzyn)は載っていますか?
    あの城のフォルムは最高です。
    http://www.odkrywca.pl/slajd.php?gn=zamki&f=7
    2006年02月12日06時38分 返信する

    RE: RE: RE: Magdeburg

    東プロイセンのカレンダーの写真は以下のとうりです。年号は撮影された都市。(但し全て「um」:何年頃)

    Koenigstein/1936 ・Interberg/1935・ Narmeln auf der Frischen Nehrung/1938

    Loetzen/1925 ・Braunberg/1940 ・Marienburg/1934 ・Ostsee Cranz/1905

    Allenstein/1935・Elbing/1940・ Karkeln/1930 ・Bartenstein/1939 Memel/1925

    以上ですがポーランド名は書いてありませんが撮影場所は書いてあります。
    来年は Schlesien を購入しようと思っています。
    2006年02月12日08時05分 返信する

    Bartenstein 嵌ってしまいましたww

    Bartenstein(Bartoszyce)は凄い綺麗ですねww
    知りませんでしたww。
    http://www.bartoszyce.pl/

    もし気になる行きたい街がありましたら一声かけて下さい。
    行ける方法調べてみます。
    ポーランド内ではドイツ語結構通じます。特に年配の方に...
    ある程度ルートを組んでいれば簡単にいけるものと思います。
    2006年02月13日05時17分 返信する
  • こんちは。初めまして

    私のページに3回もアクセスしてくださったのになにも反応しなくてごめんなさい。
    今shinesuniさんからの書き込みでピルナのところを見させていただいてます。
    じつは一昨年、ドレスデンに宿が取れなくて知人がピルナの駅から道路を渡ってすぐのホテルを紹介、予約してくれまして宿泊しました。
    静かないい街だという印象がありますが、なにしろドレスデンに行くための滞在場所としか認識がなく、土曜日、日曜日にかけた滞在だったので近隣の商店は皆閉まっていましたので、お散歩程度ですませてしまいました。
    ナチスに関係の深い場所だったなんてまったく知りませんでした。
    去年エルベ川遊覧するためにドレスデンから列車にのってバスタイのあるところまで行った時ピルナを通って「あっ!ピルナだ!同じ路線なんだ。」と思った次第です。今年は平日にドレスデンから訪問してあの精神病院を見に行ってみようかしら?と思いつきました。ワイマールの収容所は見学しました。私としては今年はベルリンのザクセンハウゼン収容所を訪れてみたいのですが同行の70歳の叔母がなんと言うかで行くか行かないかきまりそうです。
    2006年01月26日17時09分返信する

    RE: こんちは。初めまして

    お便り深謝致します。文面から想像するに独逸の「負や影」の部分にもご関心があられるようにお見受けします。私は貴方の叔母上と同世代ですので今次大戦の経験者です。65才以下の方は戦争は教科書で習った歴史の一齣かも知れませんが、焼夷弾空襲の中を掛け布団をかぶって(火の粉よけ)逃げ廻りました。同級生も何人かはその時亡くなっていますし、愚妻の姉も焼夷弾の直撃で火だるまになって即死した様は愚妻(当時5才)は母親の背中で見ていて強烈な印象を持っています。従って私も独逸を暢気に旅していますが「一般の市民や子供達はどのように過ごしていただろうか?」と常に考えています。

    時折 教会の壁や街の一角に戦死や戦没者に対する追悼の碑文を見かけます。気になりますのでいくつかは写真に収めていますのでいつかまとめて「旅行記」に投稿したいと思っています。それでも戦争の恐ろしさを実際に体験している人達が少なくなってきました。時代の流れの中で致し方ない事かも知れませんがやはり子供や孫には語り伝えていきたいと思っています。(といっても9条さえあれば戦争は無い!! なんて単細胞では無いつもりですが)

    当地の独逸語講座の先生に(独逸人:1932年生)に戦争体験を聞かせて欲しいといったところ「私は戦争が大嫌いだ! 戦争については語りたくない!」と強い口調で断られました。多分語りたくないトラウマを持っているのかも知れません。ヒトラーユーゲントの世代ですから。

    くだらぬ事を書きましたがこのサイトに参加している年輩者として 又独逸の旅を楽しんでいる一人として、こんな事も書いてみたくなります。

    独逸の情報を待っています。未だ一人旅は続けられそうです。時には愚妻と共に。厳寒の砌、御身御大切に!!


    2006年01月27日09時05分 返信する
  • 丁寧に撮られてますね!

    Berg Heilさん、こんにちは。

    ヒルデスハイムとブラウンシュヴァイクはなつかしいです。
    2002年に行ったとき、どちらもハイライトはちょっとずつだろうと思って、ハノーファーからの日帰りでどちらも1日で行こうと欲張りました。
    日曜日でなければ、この2都市の移動もあれほど待たされずにすんだかも。
    ブラウンシュヴァイクの次にヒルデスハイムに行ったときにはミヒャエル教会に入る時間はとってもなく。。予定を変更して翌日も行きましたっけ。

    いやぁ、Berg Heilさんの写真で、とてもなつかしくなりました@
    2006年01月21日22時59分返信する 関連旅行記

    RE: 丁寧に撮られてますね!

    書き込み深謝致します。この旅はHamburg Hannover Nuerunberg それぞれ4泊の旅、Hannover のホテルから、午前中 Hildesheim 午後 Braunschweig
    を訪問しました。

    午後は小雨の中の散策でしたので思うように歩けず、時間の関係もありドームは拝観しましたが残念ながらダンクヴァルデローデ城のアントン・ウルリッヒ博物館城は見学しませんでした。でもこのBurgplatz付近を何も考えないでぼんやりぶらつくのもよいものです。でも雨に濡れた石畳は以外に滑るものだと思いました。(半分山靴のような しっかりした靴を履いているのに)独逸の街は本当に都会の真ん中に不思議な空間があるものだといつも思います。 

    Hildeshaim と Coburg が何故「歩き方」に掲載されていまいのか不思議です。でもそっとしておきたい街や場所もあるのですが。
    2006年01月22日11時01分 返信する
  • Braunschweig〜〜!

    ブラウンシュバイクにも行かれていたのですね^^。
    写真で見ますと更に感動が倍化します。
    特にこの写真の街並みは涙モノですね。
    個人的には右から3軒目の細長い建物が特にお気に入りです。
    是非見に行きたいです。
    旧シレジアですがポーランド名では
    Breslau(ブロツラフ) Lauban(ルーバン) Bunzlau(ボレスワビエツ)ですね。
    Glatzだけまだ分りませんが、Breslau(ブロツラフ)は少し古いですが旅行記に、 Bunzlau(ボレスワビエツ)は口コミのポーランドの古城ホテル?か?に多少書いております。Lauban(ルーバン)については近いうちにこれまた豪快なポーランドの古城ホテル ツォハ城のところで紹介したいと思っております。http://www.zamekczocha.pl/ 
    ドイツ語もありますのでBerg Heilさんなら簡単に入っていけると思います。
    先ず右にある剣をクリックしてください。
    あとは適当にいじれば出てきます。特に写真集は必見ですよ!
    外観も内装も茶色のこれだけシブい城は見たことありません。
    是非ベルクさんの感想を頂きたいと思っております。
    2006年01月21日05時26分返信する 関連旅行記 関連写真

    RE: Braunschweig〜〜!

    いつも貴重なアドバイス深謝致します。小生あと2回は独逸へ行きたいと思っています。波欄土、洪牙利、チェコ等にも大変興味が有るのですが年齢の事を考えますとそのころには愚妻と小さなツアーに参加しなければと思っています。いつまで一人旅ができますやら??

    昨秋 シュレースヴィッヒの帰途、DBの中で隣席の老人に話しかけられました。何でもオーバーシュレージエンの出身で、戦後追い出され、現在フレンスブルクに済んでいるとか。どこか大きな病院へいく所でなにやらスタンプのいっぱい押された証明書のようなものを首からぶら下げていました。ポーランド語を小生に教えようとしつこく話しかけられ往生しました。だいたいスラブ系の「音」が全く捕らえられませんでした。

    昨年3月 高校の教師を定年退職された知人(独逸語2級:通訳もできる)がかねてからライフワークにしていた「シュレージエン地方在住の残留ドイツ人の研究」で独逸の大学で更に勉強するのだと渡独されました。ご子息もハイデルベルクで音楽留学中とか。何回も当地を研究のため訪れ、友人知人も数多く出来た由、送別会や一時帰国の時の報告会で当地の様子を興味深く拝聴しました。ポーランド語もある程度できるようです。当地には立て前としてドイツ人は残っていず、戦後ドイツ語は一切禁止だったとかところが、かなりの人達がひっそりと暮らしていて、壁の崩壊以来おおっぴらにドイツ人だと名乗る事ができたそうです。面白い話が沢山聞けました。陸地の国境の無い我が国ではなかなか理解不可能な事です。国境が何回も変わったヨーロッパの人達も社会変化に対する対応が大変だなと思いました。


    2006年01月21日09時25分 返信する

    ツォハ城

    書き込み有難うございました。
    ここはLaubanのやや南レシナの近郊(東に約5km)黄金湖(Jezioro Złotnickie)のほとりにあります。
    ここはホテルでもありますので風呂なしツインですと3,300円から泊まれますが、やはり『皇帝の間』約18500円に是非泊まってみたいと憧れています。
    ポーランドでは結構有名な城ですがまだ日本では全く無名です。
    しかし古くからあるシレジアの元ドイツ人領主所有の古城ですので一押しの城ではあります。
    2006年01月22日03時41分 返信する

Berg Heilさん

Berg Heilさん 写真

16国・地域渡航

10都道府県訪問

Berg Heilさんにとって旅行とは

独逸を中心に「中欧近代史の確認」そして「神聖羅馬帝国の影を求めて」なんて自分勝手に旅のテーマとして格好をつけてはいるが、よく考えてみれば何の事は無い、「物見遊山」以外のなにものでもない。

自分を客観的にみた第一印象

2022年 ついに86歳 2019年のポーランド訪問を最後に コロナ、それに加えてウクライナ戦争 未だ未だ旅する体力気力はあるもこの辺でヨーロッパ徘徊は打ち止め、これからは「惚けず 悟らず 枯れず 耄碌せず」連れずれなるままにのたりのたりとチャランポランに生きてゆく所存。この分では日が暮れて鬼籍に入るのにはソコソコ時間がありそうだ。これを人は「老害」と云うかもしれないがそんな事は知った事ではない!!まだまだ娑婆っ気たっぷりの不良老人である。


60歳にて浪人になり、独逸及び中欧の国々への旅18回。 訪ねた街々は 独逸153 オーストリア43 チェコ11 ハンガリー2 スロバキア1 リヒテンシュタイン1 ポーランド3(1970年代に 台湾 香港 澳門 マニラ シンガポール バンコック ロンドン ローマ パリを旅したが、当時の事ゆえ同業者仲間のグループツアー)

些かキザなれど、「旅への憧れ」と「少年の心」を持ち続けたいもの。往年の山男 老いてなおボヘミアン !!

大好きな場所

独逸を中心にした中央ヨーロッパ、歴史的に多かれ少なかれ、独逸の影響を受けている所。いわばかっての独逸のテリトリー。

大好きな理由

なんとなくこの地域は己の波長に合う。

行ってみたい場所

 三十年戦争講和の地 ウエストファリア条約が締結された ミュンスターとオスナブリュック。

現在16の国と地域に訪問しています

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