九十九里旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2026.05.27.3年ごとの車の更新を6月に控えて、最後の小旅行に匝瑳市(旧八日市場)を訪れた。<br /><br />千葉県の房総地域を走ることも多かったが、匝瑳市(旧八日市場)が歴史的にも、自然環境にも富んでいた事を覚えていた。<br /><br />この日は急に匝瑳の夏の風物詩「祇園祭」が開催される(恋愛成就の)八重垣神社を訪れてみた。<br /><br />手元に匝瑳市の観光資料がある。<br />それを手に出かけた。<br /><br />ナビに入れた八重垣神社はすぐ見つかった。<br />すぐそばに、無料の駐車場(数台)があり、工事車両関係の車が2台停まっていただけで、幸い駐車できた。<br /><br /><匝瑳市(旧八日市場)の八重垣神社><br /><br />〒289-2144 千葉県匝瑳市八日市場イ2939<br />銚子連絡道路 横芝光ICから約15分<br />JR総武本線八日市場駅から徒歩約5分<br /><br />八重垣神社は<br />御祭神として縁結びの神様、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、<br />事代主命(ことしろぬしのみこと)、<br />倉稲魂(うかのみたまのみこと)の三神を祀っている。<br />西暦812年、物部匝瑳足継(もののべのそうさのたりつぐ)が鎮守府将軍として派遣された際に、出雲の牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)を祀り、創建したと伝えられている。<br /><br />写真:八重垣神社と境内はこぢんまりしていた。

匝瑳市旧八日市場町には懐かしい風情のある街並みがあり、勇壮な夏祭りで知られた八重垣神社がある。

42いいね!

2026/05/27 - 2026/05/27

82位(同エリア403件中)

旅行記グループ 日本の小旅行2

2

40

jijidaruma

jijidarumaさん

2026.05.27.3年ごとの車の更新を6月に控えて、最後の小旅行に匝瑳市(旧八日市場)を訪れた。

千葉県の房総地域を走ることも多かったが、匝瑳市(旧八日市場)が歴史的にも、自然環境にも富んでいた事を覚えていた。

この日は急に匝瑳の夏の風物詩「祇園祭」が開催される(恋愛成就の)八重垣神社を訪れてみた。

手元に匝瑳市の観光資料がある。
それを手に出かけた。

ナビに入れた八重垣神社はすぐ見つかった。
すぐそばに、無料の駐車場(数台)があり、工事車両関係の車が2台停まっていただけで、幸い駐車できた。

<匝瑳市(旧八日市場)の八重垣神社>

〒289-2144 千葉県匝瑳市八日市場イ2939
銚子連絡道路 横芝光ICから約15分
JR総武本線八日市場駅から徒歩約5分

八重垣神社は
御祭神として縁結びの神様、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、
事代主命(ことしろぬしのみこと)、
倉稲魂(うかのみたまのみこと)の三神を祀っている。
西暦812年、物部匝瑳足継(もののべのそうさのたりつぐ)が鎮守府将軍として派遣された際に、出雲の牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)を祀り、創建したと伝えられている。

写真:八重垣神社と境内はこぢんまりしていた。

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配
  • 房総半島の地(現在の千葉県)は、かつて北部の下総(しもうさ)の国、中部の上総(かずさ)の国、南部の安房(あわ)の国という三つの国があった。<br /><br />今日は下総の国の九十九里浜近くまで走る。<br /><br />参考写真:房総半島・旧三国図<br /><br /><br /><br />

    房総半島の地(現在の千葉県)は、かつて北部の下総(しもうさ)の国、中部の上総(かずさ)の国、南部の安房(あわ)の国という三つの国があった。

    今日は下総の国の九十九里浜近くまで走る。

    参考写真:房総半島・旧三国図



  • 【匝瑳市旧八日市場町には懐かしい風情のある街並みがあり、勇壮な夏祭りで知られた八重垣神社がある。】<br /><br />想像していた神社より、こぢんまりした神社だった。<br />ちょうど、神社横の石段を整備中で、小さなブルドーザーが入って作業していた。8月の夏祭りに向けて、準備しているのだろう。<br /><br />匝瑳の夏の風物詩「祇園祭」が開催される、恋愛成就の神社として近隣では知られている。<br /><br />参考写真:夏祭りの提灯などで飾られた八重垣神社の正面

    【匝瑳市旧八日市場町には懐かしい風情のある街並みがあり、勇壮な夏祭りで知られた八重垣神社がある。】

    想像していた神社より、こぢんまりした神社だった。
    ちょうど、神社横の石段を整備中で、小さなブルドーザーが入って作業していた。8月の夏祭りに向けて、準備しているのだろう。

    匝瑳の夏の風物詩「祇園祭」が開催される、恋愛成就の神社として近隣では知られている。

    参考写真:夏祭りの提灯などで飾られた八重垣神社の正面

  • 毎年8月4日・5日に行われる八重垣神社祇園祭は、300年以上の歴史をもつ伝統的な神事として近隣に知られている。<br /><br />祇園祭は千葉県でも成田市や香取市・佐原、小見川、多古などで盛大に行われているから、山車や神輿の大掛かりな姿を知っている。<br /><br />八重垣神社の祇園祭も千葉を代表する祭りのひとつで、毎年5万人以上の見物客が訪れると云う。<br />私は人が大勢集まるのを好まないので、まだこの祭りを見物したことがない。<br /><br />この祭りの見どころは、20基ほどの神輿と囃子連が、延々と連なって街中を練り歩く神輿連合渡御(みこしれんごうとぎょ)だそうだ。<br />その勇壮な姿はなかなかのものだと云う。<br /><br />八重垣神社の祇園祭は八重垣神社を中心に10町内から神輿みこしが繰り出され、「あんりゃぁどした」という威勢のよい掛け声で練り歩き、沿道から神輿に向かって大量の水を豪快に浴びせかけるのがこの祭りの特徴で、担ぎ手は大盛り上がりすると云う。<br />また、従来許されなかった女性だけが担ぐ女神輿も人気だとか。<br /><br />祇園祭以外にも、神社行事としては1月には御奉射祭、2月には節分祭、7月には駒真似祭が開催される。<br /><br />尚、「八重垣神社祇園祭」は、県民参加により選定した「次世代に残したいと思う『ちば文化資産』」(千葉県ホームページ)に登録されている。<br /><br />参考写真:匝瑳市八日市場の八重垣神社ご祭礼:令和7年に開催された祇園祭のポスター

    毎年8月4日・5日に行われる八重垣神社祇園祭は、300年以上の歴史をもつ伝統的な神事として近隣に知られている。

    祇園祭は千葉県でも成田市や香取市・佐原、小見川、多古などで盛大に行われているから、山車や神輿の大掛かりな姿を知っている。

    八重垣神社の祇園祭も千葉を代表する祭りのひとつで、毎年5万人以上の見物客が訪れると云う。
    私は人が大勢集まるのを好まないので、まだこの祭りを見物したことがない。

    この祭りの見どころは、20基ほどの神輿と囃子連が、延々と連なって街中を練り歩く神輿連合渡御(みこしれんごうとぎょ)だそうだ。
    その勇壮な姿はなかなかのものだと云う。

    八重垣神社の祇園祭は八重垣神社を中心に10町内から神輿みこしが繰り出され、「あんりゃぁどした」という威勢のよい掛け声で練り歩き、沿道から神輿に向かって大量の水を豪快に浴びせかけるのがこの祭りの特徴で、担ぎ手は大盛り上がりすると云う。
    また、従来許されなかった女性だけが担ぐ女神輿も人気だとか。

    祇園祭以外にも、神社行事としては1月には御奉射祭、2月には節分祭、7月には駒真似祭が開催される。

    尚、「八重垣神社祇園祭」は、県民参加により選定した「次世代に残したいと思う『ちば文化資産』」(千葉県ホームページ)に登録されている。

    参考写真:匝瑳市八日市場の八重垣神社ご祭礼:令和7年に開催された祇園祭のポスター

  • <祇園祭の歴史><br /><br />八重垣神社の記録によると「享禄三年(1530)六月二十日、大祭始まる、この時神輿新造、同六月十五日」とあり、この頃から八重垣神社の祭礼が始まったとされ、500年近い歴史があるわけだ。<br /><br />参考写真:匝瑳市八日市場の八重垣神社ご祭礼:令和7年に開催された祇園祭のポスター・・・神輿の練り歩きコース図

    <祇園祭の歴史>

    八重垣神社の記録によると「享禄三年(1530)六月二十日、大祭始まる、この時神輿新造、同六月十五日」とあり、この頃から八重垣神社の祭礼が始まったとされ、500年近い歴史があるわけだ。

    参考写真:匝瑳市八日市場の八重垣神社ご祭礼:令和7年に開催された祇園祭のポスター・・・神輿の練り歩きコース図

  • 令和8年の予定:<br />2026年8月4日(火)・ 5日(水)<br />8月4日(火)女神輿連合渡御 19:00~ <br />8月5日(水)神輿連合渡御 12:00~22:00<br /><br />参考写真:匝瑳市八日市場の観光案内冊子・・・八重垣神社ご祭礼

    令和8年の予定:
    2026年8月4日(火)・ 5日(水)
    8月4日(火)女神輿連合渡御 19:00~ 
    8月5日(水)神輿連合渡御 12:00~22:00

    参考写真:匝瑳市八日市場の観光案内冊子・・・八重垣神社ご祭礼

  • 勿論この日は祭りもない静かな水曜日故、八重垣神社の境内は参詣客の姿は見えない。<br />こぢんまりした神社に参拝して、境内を巡る。<br /><br />写真:八重垣神社の境内、狛犬の像

    勿論この日は祭りもない静かな水曜日故、八重垣神社の境内は参詣客の姿は見えない。
    こぢんまりした神社に参拝して、境内を巡る。

    写真:八重垣神社の境内、狛犬の像

  • 写真:八重垣神社の正面<br /><br /><先述した神社行事の一つ、7月の駒真似(こままね><br /><br />毎年7月25日の晩、八重垣神社の境内で行われる駒真似は、江戸時代から伝わる由緒ある祭りである。<br />境内の一隅に注連縄を張って祭場をつくり、そこで近所の人々が持ち寄った青竹を焼いて、五穀豊穣・商売繁盛・無病息災を祈る。<br /><br />天正15年(1587年)に紀伊の国の商人、岡田屋惣兵衛が八日市場(福岡)を訪れ、月岡玄藩という武士に了解を得て、6月12日から8日間、市を開いた。この市の行われた場所が現在の八重垣神社の境内でした。<br />境内では、4隅に生竹の柱を立て、注連縄を張り、商売繁盛の神様を祀りました。商売上手な惣兵衛は、駒(馬)を使って村々を走らせ客集めをした。<br />この馬が帰ってくるとお祭りも最高潮に達し、後に人が馬の代わりをするようになり「駒真似」と呼ぶようになったと云う。

    イチオシ

    地図を見る

    写真:八重垣神社の正面

    <先述した神社行事の一つ、7月の駒真似(こままね>

    毎年7月25日の晩、八重垣神社の境内で行われる駒真似は、江戸時代から伝わる由緒ある祭りである。
    境内の一隅に注連縄を張って祭場をつくり、そこで近所の人々が持ち寄った青竹を焼いて、五穀豊穣・商売繁盛・無病息災を祈る。

    天正15年(1587年)に紀伊の国の商人、岡田屋惣兵衛が八日市場(福岡)を訪れ、月岡玄藩という武士に了解を得て、6月12日から8日間、市を開いた。この市の行われた場所が現在の八重垣神社の境内でした。
    境内では、4隅に生竹の柱を立て、注連縄を張り、商売繁盛の神様を祀りました。商売上手な惣兵衛は、駒(馬)を使って村々を走らせ客集めをした。
    この馬が帰ってくるとお祭りも最高潮に達し、後に人が馬の代わりをするようになり「駒真似」と呼ぶようになったと云う。

  • 写真:八重垣神社本殿の正面

    写真:八重垣神社本殿の正面

  • 写真:八重垣神社本殿のしめ縄<br /><br />【駒まね(駒まねき)の伝説】<br />伝説の地(中央地区東本町)<br /><br />ずうーと昔の神々の時代のことだがな、このあたりは、低い土地には葦(あし)、小高い台地には竹が、びっしりと生えておったそうだ。<br /> ここをおとおりになったある神が、 <br /> 「この土地は、なかなかよく肥えている。畑にすると作物が、たくさんとれる」<br />と、お考えになって、大ぜいの神々を呼び集めて知恵を出し合ったそうだ。<br /><br /> 「石おので、なぎ倒してひらいたらどうかな」<br /> 「いや、みんなで踏みつぶしてはいかがか」<br /> 「それよりも、火を放って焼きはらったらどうかのう」<br /><br />いろいろの考えが出されたが、四方から火を放って、焼き畑とすることに決まったそうだ。<br /><br />神々は、たいまつをもって、野原の四方にちり、火をつけた。<br /> バーン、バーン、ポーン、ポーン<br /> ボー、ボー、ゴー、ゴー<br /><br />とたちまち火の手は、燃え上がり、そのいきおいは、すさまじかった。<br /><br />突然、その時、<br />「ヒ、ヒ、ヒーン、ヒ、ヒ、ヒーン」<br /> 駒のけわしい、嘶(いなな)きが聞こえてきた。<br /><br />神々は、びっくりして、その声のする方に目をやると、白馬が、たて髪をふりみだし、前足を高くふり上げて、飛び上がった。<br /><br /> 「あ、神馬だ」<br /> 「われわれの大親の神の使いの馬だ」<br /> 「何とか、助けねばなるまい」<br /><br /> だが、燃えさかる火のいきおいに、さすがの神々も、近寄ることができなかったそうだ。<br /><br /> 一夜が過ぎて、燃え残りの草木がくすぶる野原に目をやった神々は、そこに、きのうの白馬の焼けただれた姿を見つけた。<br /> 神々は、その地に神馬を埋めて塚をきずいたそうだ。<br /><br /> この地は、作物がよくできたので、人々が集まり、村が栄え、月の八日には、近くの村々から、米だの麦だの、野菜だの魚だの綿だのを持ちよってとりかえ合う「市(いち)」が開かれるようになったそうだ。<br />それで、「八日市場」という地名がつけられた。<br /><br /> ところがな、いつのことだか、この地にはやり病(やまい)やら、火事やら、害虫による不作やらの不幸が続いて、ずい分とにぎやかだった村もさびれる一方になってしまった。そこで村人たちは寄り合って話し合った。<br /><br /> その時、村一番の年寄りじい様が、こんなことをいったそうだ。<br /> 「わしが、まだ子どもの頃に、八十ばあさんから聞いた話だがな、『この土地には、火で焼かれた神の使いの白馬のたたりが、しみついている』ってことだ。<br />だからな、神馬(じんば)のたたりをはらうことがいいっぺよ」<br /><br /> そこで、村人たちは、青竹を切ってきて、四隅(よすみ)に立て、注連縄(しめなわ)を張った。火で焼かれた白馬のまねをみんなでして、神馬を招いて、お祭りをして、たたりを許してもらうお祈りをしたそうだ。<br /><br /> するとな、ふしぎなことに、だんだんと村は栄えるようになった。<br />それで、毎年旧の六月十二日はよ、駒まねきのお祭りをすることにしたそうだ。<br /><br />それが、「駒まねき」のおこりだそうだ。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・

    写真:八重垣神社本殿のしめ縄

    【駒まね(駒まねき)の伝説】
    伝説の地(中央地区東本町)

    ずうーと昔の神々の時代のことだがな、このあたりは、低い土地には葦(あし)、小高い台地には竹が、びっしりと生えておったそうだ。
     ここをおとおりになったある神が、 
     「この土地は、なかなかよく肥えている。畑にすると作物が、たくさんとれる」
    と、お考えになって、大ぜいの神々を呼び集めて知恵を出し合ったそうだ。

     「石おので、なぎ倒してひらいたらどうかな」
     「いや、みんなで踏みつぶしてはいかがか」
     「それよりも、火を放って焼きはらったらどうかのう」

    いろいろの考えが出されたが、四方から火を放って、焼き畑とすることに決まったそうだ。

    神々は、たいまつをもって、野原の四方にちり、火をつけた。
     バーン、バーン、ポーン、ポーン
     ボー、ボー、ゴー、ゴー

    とたちまち火の手は、燃え上がり、そのいきおいは、すさまじかった。

    突然、その時、
    「ヒ、ヒ、ヒーン、ヒ、ヒ、ヒーン」
     駒のけわしい、嘶(いなな)きが聞こえてきた。

    神々は、びっくりして、その声のする方に目をやると、白馬が、たて髪をふりみだし、前足を高くふり上げて、飛び上がった。

     「あ、神馬だ」
     「われわれの大親の神の使いの馬だ」
     「何とか、助けねばなるまい」

     だが、燃えさかる火のいきおいに、さすがの神々も、近寄ることができなかったそうだ。

     一夜が過ぎて、燃え残りの草木がくすぶる野原に目をやった神々は、そこに、きのうの白馬の焼けただれた姿を見つけた。
     神々は、その地に神馬を埋めて塚をきずいたそうだ。

     この地は、作物がよくできたので、人々が集まり、村が栄え、月の八日には、近くの村々から、米だの麦だの、野菜だの魚だの綿だのを持ちよってとりかえ合う「市(いち)」が開かれるようになったそうだ。
    それで、「八日市場」という地名がつけられた。

     ところがな、いつのことだか、この地にはやり病(やまい)やら、火事やら、害虫による不作やらの不幸が続いて、ずい分とにぎやかだった村もさびれる一方になってしまった。そこで村人たちは寄り合って話し合った。

     その時、村一番の年寄りじい様が、こんなことをいったそうだ。
     「わしが、まだ子どもの頃に、八十ばあさんから聞いた話だがな、『この土地には、火で焼かれた神の使いの白馬のたたりが、しみついている』ってことだ。
    だからな、神馬(じんば)のたたりをはらうことがいいっぺよ」

     そこで、村人たちは、青竹を切ってきて、四隅(よすみ)に立て、注連縄(しめなわ)を張った。火で焼かれた白馬のまねをみんなでして、神馬を招いて、お祭りをして、たたりを許してもらうお祈りをしたそうだ。

     するとな、ふしぎなことに、だんだんと村は栄えるようになった。
    それで、毎年旧の六月十二日はよ、駒まねきのお祭りをすることにしたそうだ。

    それが、「駒まねき」のおこりだそうだ。

    ・・・・・・・・・・・・・・

  • 写真:八重垣神社の飾り彫刻<br /><br />【駒まね(駒の真似)の伝説】<br />・・・概略、前述しているが、こちらの伝説話が詳しく面白い。<br /><br />伝説の地(中央地区東本町)<br /><br />戦国時代も、やっと終わりに近づいた天正十五年(1587年)紀伊の商人、岡田屋惣兵衛が、海を渡ってこの地にやって来た。<br />その頃、この地方は、紀州と非常に縁が深く、産業も、村々も、みんな紀州の人々によって拓かれた。<br /><br />八日市場(福岡)は、南条の荘、福岡郷と言われて、今の福岡台に村を拓いていた。横須賀のあたりには、大きな沼があり、まだまだ寂しい村であった。<br /><br />それに比べて、海辺街道は、魚がたくさん取れるので、大そうな賑わいようであったそうだ。毎年六月十二日に行われる野手の八坂神社のお祭りには、近くの村人たちも、おおぜい集まって来た。<br /><br />商売上手な惣兵衛どんは、このお祭りに目をつけ、市(いち)を開くことを思い立ち、月岡玄藩(つきおかげんば)という武士にお願いしたところ、<br />「六月十二日から八日間だけ。但し、八坂神社の周囲をけがさぬこと」<br />という条件で、許しがでた。<br /><br />そこで、惣兵衛どんは、場所選びにずいぶん頭をひねったそうだ。<br />よくよく考えた末、海辺の人々も、台地の人々も、集まりやすい大塚下(東本町八重垣神社の境内)に決めた。<br /><br />そこいらは、荒れるにまかせた砂洲(さす)で、葦竹(あしだけ)のうっそうと茂るところであった。惣兵衛どんは、葦竹を切り拓き、青屋の祠(ほこら)をつくった。その前の広場に、四隅に生竹の柱を立て、注連縄(しめなわ)を張りめぐらして、商売の神様を祀(まつ)った。<br /><br />「注連縄を張ったところで、若竹を燃やし、きよめをして、神様を迎える」<br /><br />とは言っても、商売上手な惣兵衛どんのこと、めずらしい行事をやれば、人集めになるだろうと考えていた。<br /><br />また、使いの者をまわりの村々に走らせて、神事や市のことをふれてまわったのである。六月十二日の夕方からは、火を梵(た)きあげて村の幸せ(家内安全、五穀豊饒、商売繁盛)を祈った。<br /><br />「リン、リン、リン」<br />「駒が帰って来たぞー」<br /><br />鈴をつけ、村々にふれて歩いた駒が神社の前に集まるとき、お祭りも最高潮に達するのだ。<br /><br />みんなが、若竹を持って集まり、火の中に投げ入れる。飛び散る火の粉、いよいよ燃えさかる火、・・・・・・・・大変な騒ぎである。<br /><br />市も、たいそうな賑わいようで、年寄りも、若衆も、子供も、みんな思い思いの売り買いをして家路(いえじ)へ向かうのである。<br /><br />注・・・初め、駒は神の使いとして考えられていたが、やがて、神格化(しんかくか)されて神そのものとされた。<br /><br />後に、人が駒の代わりをするようになると、「駅使(えきし)をやると神様になれるぞ」、「体の弱い者がやれば丈夫になれる」、「願いごとがある者がやれば成就(じょうじゅ)する」といったように、駅使になることは、大変名誉なことと言われて、希望する者が後を絶たなかったと言う。<br /><br />駅使は、白衣をまとい、白鉢巻をつけて唐草模様(からくさもよう)の布をかぶり、鈴をつけて、はねまわりながら、祭りを知らせて歩いたという。<br /><br />また、若竹を燃やす燎火(りょうか)をシテに分け、踊りながら、村々をきよめ歩いたとも伝えられる。<br /><br />駒の真似をしたところから、駒まねと言われている。<br /><br />(引用原話 そうさの伝説とむかし話、伊東公明編 )<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    イチオシ

    写真:八重垣神社の飾り彫刻

    【駒まね(駒の真似)の伝説】
    ・・・概略、前述しているが、こちらの伝説話が詳しく面白い。

    伝説の地(中央地区東本町)

    戦国時代も、やっと終わりに近づいた天正十五年(1587年)紀伊の商人、岡田屋惣兵衛が、海を渡ってこの地にやって来た。
    その頃、この地方は、紀州と非常に縁が深く、産業も、村々も、みんな紀州の人々によって拓かれた。

    八日市場(福岡)は、南条の荘、福岡郷と言われて、今の福岡台に村を拓いていた。横須賀のあたりには、大きな沼があり、まだまだ寂しい村であった。

    それに比べて、海辺街道は、魚がたくさん取れるので、大そうな賑わいようであったそうだ。毎年六月十二日に行われる野手の八坂神社のお祭りには、近くの村人たちも、おおぜい集まって来た。

    商売上手な惣兵衛どんは、このお祭りに目をつけ、市(いち)を開くことを思い立ち、月岡玄藩(つきおかげんば)という武士にお願いしたところ、
    「六月十二日から八日間だけ。但し、八坂神社の周囲をけがさぬこと」
    という条件で、許しがでた。

    そこで、惣兵衛どんは、場所選びにずいぶん頭をひねったそうだ。
    よくよく考えた末、海辺の人々も、台地の人々も、集まりやすい大塚下(東本町八重垣神社の境内)に決めた。

    そこいらは、荒れるにまかせた砂洲(さす)で、葦竹(あしだけ)のうっそうと茂るところであった。惣兵衛どんは、葦竹を切り拓き、青屋の祠(ほこら)をつくった。その前の広場に、四隅に生竹の柱を立て、注連縄(しめなわ)を張りめぐらして、商売の神様を祀(まつ)った。

    「注連縄を張ったところで、若竹を燃やし、きよめをして、神様を迎える」

    とは言っても、商売上手な惣兵衛どんのこと、めずらしい行事をやれば、人集めになるだろうと考えていた。

    また、使いの者をまわりの村々に走らせて、神事や市のことをふれてまわったのである。六月十二日の夕方からは、火を梵(た)きあげて村の幸せ(家内安全、五穀豊饒、商売繁盛)を祈った。

    「リン、リン、リン」
    「駒が帰って来たぞー」

    鈴をつけ、村々にふれて歩いた駒が神社の前に集まるとき、お祭りも最高潮に達するのだ。

    みんなが、若竹を持って集まり、火の中に投げ入れる。飛び散る火の粉、いよいよ燃えさかる火、・・・・・・・・大変な騒ぎである。

    市も、たいそうな賑わいようで、年寄りも、若衆も、子供も、みんな思い思いの売り買いをして家路(いえじ)へ向かうのである。

    注・・・初め、駒は神の使いとして考えられていたが、やがて、神格化(しんかくか)されて神そのものとされた。

    後に、人が駒の代わりをするようになると、「駅使(えきし)をやると神様になれるぞ」、「体の弱い者がやれば丈夫になれる」、「願いごとがある者がやれば成就(じょうじゅ)する」といったように、駅使になることは、大変名誉なことと言われて、希望する者が後を絶たなかったと言う。

    駅使は、白衣をまとい、白鉢巻をつけて唐草模様(からくさもよう)の布をかぶり、鈴をつけて、はねまわりながら、祭りを知らせて歩いたという。

    また、若竹を燃やす燎火(りょうか)をシテに分け、踊りながら、村々をきよめ歩いたとも伝えられる。

    駒の真似をしたところから、駒まねと言われている。

    (引用原話 そうさの伝説とむかし話、伊東公明編 )

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  • 写真:八重垣神社本殿の飾り彫刻・・・鳳凰<br /><br />

    写真:八重垣神社本殿の飾り彫刻・・・鳳凰

  • 写真:八重垣神社本殿の飾り彫刻・・・竜の彫り物

    写真:八重垣神社本殿の飾り彫刻・・・竜の彫り物

  • 写真:八重垣神社本殿

    写真:八重垣神社本殿

  • 写真:八重垣神社本殿・・・右柱の彫り物

    写真:八重垣神社本殿・・・右柱の彫り物

  • 写真:八重垣神社本殿:右柱・獅子の彫り物

    写真:八重垣神社本殿:右柱・獅子の彫り物

  • 写真:八重垣神社本殿・・・左柱の彫り物

    写真:八重垣神社本殿・・・左柱の彫り物

  • 写真:八重垣神社本殿:左柱・獅子の彫り物

    写真:八重垣神社本殿:左柱・獅子の彫り物

  • 写真:八重垣神社を左手横から

    写真:八重垣神社を左手横から

  • 写真:八重垣神社を右手横から

    写真:八重垣神社を右手横から

  • 八重垣神社境内左手に鎮座する社で、由緒は不明だが、秩父の三峰神社を勧請、伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)と伊弉册尊 (いざなみのみこと)を祀る。<br />当地から秩父は遠く、身近に社を置いて、信心したのだろう。<br />こうしたケースは多い。<br /><br />写真:八重垣神社の境内にあった三峰神社(秩父)

    八重垣神社境内左手に鎮座する社で、由緒は不明だが、秩父の三峰神社を勧請、伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)と伊弉册尊 (いざなみのみこと)を祀る。
    当地から秩父は遠く、身近に社を置いて、信心したのだろう。
    こうしたケースは多い。

    写真:八重垣神社の境内にあった三峰神社(秩父)

  • <個人宅の剪定されたイヌマキ><br /><br />匝瑳は植木の町として名高いのだが、八重垣神社の道にあった個人宅にも立派なイヌマキがあり、ツイ見事なたたずまいを撮らせて頂いた。<br /><br />防火樹・防風樹・防音樹・防潮樹ともなるイヌマキは重宝された。<br />千葉県はイヌマキの分布の東限にあたり、イヌマキは県の木に選定されている。<br /><br />見事に仕立てられた植木は「生きた芸術」として高い評価を受けていて、千葉県が認定する「植木銘木100選」の約半数を匝瑳市産の植木が占めていると云う。

    イチオシ

    <個人宅の剪定されたイヌマキ>

    匝瑳は植木の町として名高いのだが、八重垣神社の道にあった個人宅にも立派なイヌマキがあり、ツイ見事なたたずまいを撮らせて頂いた。

    防火樹・防風樹・防音樹・防潮樹ともなるイヌマキは重宝された。
    千葉県はイヌマキの分布の東限にあたり、イヌマキは県の木に選定されている。

    見事に仕立てられた植木は「生きた芸術」として高い評価を受けていて、千葉県が認定する「植木銘木100選」の約半数を匝瑳市産の植木が占めていると云う。

  • 参考写真:匝瑳市八日市場の観光案内冊子・・・植木を見て回るのも良いかもしれない。

    参考写真:匝瑳市八日市場の観光案内冊子・・・植木を見て回るのも良いかもしれない。

  • こちらが匝瑳市旧八日市場の『吾妻庵本店』である。<br />見学を終えた八重垣神社そばにあるので、昼食のため訪れた。<br /><br />【吾妻庵本店】<br />〒289-2144 千葉県匝瑳市八日市場イ2925 <br />TEL:0479-72-0107<br /><br />鄙(ひな)にはまれと云うと語弊があるが、古い街には必ずみられる立派な店構えをした老舗のそば屋さんだ。<br /><br />『吾妻庵本店』の創業は1896年(明治29)年、創業130年である。<br />『吾妻庵本店』は3階建の大きな店だが、4代目店主・石井幸成さんが1995(平成7年)に新築したそうだ。<br />1階は個人客用の席、2階は50名収容の団体用の宴会場を兼ねた席が用意されている。残る3階は自宅だ。1階の店内からは坪庭が見える。<br /><br />元々、『吾妻庵』の屋号は、初代・石井卯之助さんが千葉県銚子市に店を構えていた『吾妻庵』で修業したことに因んでいると云う。この時一緒に修業していたのが、先日訪れた茨城県土浦市にあると云う老舗『吾妻庵総本店』の青柳氏で、銚子の店が閉店したため、それぞれ八日市場が「本店」、土浦が「総本店」を名乗るようになったそうだ。<br /><br />写真:吾妻庵本店の正面で

    こちらが匝瑳市旧八日市場の『吾妻庵本店』である。
    見学を終えた八重垣神社そばにあるので、昼食のため訪れた。

    【吾妻庵本店】
    〒289-2144 千葉県匝瑳市八日市場イ2925 
    TEL:0479-72-0107

    鄙(ひな)にはまれと云うと語弊があるが、古い街には必ずみられる立派な店構えをした老舗のそば屋さんだ。

    『吾妻庵本店』の創業は1896年(明治29)年、創業130年である。
    『吾妻庵本店』は3階建の大きな店だが、4代目店主・石井幸成さんが1995(平成7年)に新築したそうだ。
    1階は個人客用の席、2階は50名収容の団体用の宴会場を兼ねた席が用意されている。残る3階は自宅だ。1階の店内からは坪庭が見える。

    元々、『吾妻庵』の屋号は、初代・石井卯之助さんが千葉県銚子市に店を構えていた『吾妻庵』で修業したことに因んでいると云う。この時一緒に修業していたのが、先日訪れた茨城県土浦市にあると云う老舗『吾妻庵総本店』の青柳氏で、銚子の店が閉店したため、それぞれ八日市場が「本店」、土浦が「総本店」を名乗るようになったそうだ。

    写真:吾妻庵本店の正面で

  • 参考写真:匝瑳市八日市場の観光案内冊子にもちゃんと紹介されていた。

    参考写真:匝瑳市八日市場の観光案内冊子にもちゃんと紹介されていた。

  • 本来は名物の三色せいろを食べるべきだが、蕎麦屋の天丼、かつ丼を好むため、夫婦で天丼セットを注文した。<br /><br />写真:吾妻庵本店で昼食・・・天丼セット

    本来は名物の三色せいろを食べるべきだが、蕎麦屋の天丼、かつ丼を好むため、夫婦で天丼セットを注文した。

    写真:吾妻庵本店で昼食・・・天丼セット

  • 店内には老夫妻、職人さん、観光客のご婦人、会社員風の男性二人、若いご夫婦といった人たちが、様々に昼食をゆっくり楽しんでいた。<br /><br />写真:吾妻庵本店で昼食・・・天丼セット

    店内には老夫妻、職人さん、観光客のご婦人、会社員風の男性二人、若いご夫婦といった人たちが、様々に昼食をゆっくり楽しんでいた。

    写真:吾妻庵本店で昼食・・・天丼セット

  • 写真:吾妻庵本店で昼食・・・デザートに甘味を頼んだ。

    写真:吾妻庵本店で昼食・・・デザートに甘味を頼んだ。

  • 見どころに「散歩のまち」を観光冊子で推奨するので、3つの文化財を見て回った。<br />地方都市のあるある!というべきか?<br />文化財が並ぶ本町通りは少々寂れてしまった様子で残念でしたが・・・。<br /><br />参考写真:匝瑳市八日市場の観光案内冊子

    見どころに「散歩のまち」を観光冊子で推奨するので、3つの文化財を見て回った。
    地方都市のあるある!というべきか?
    文化財が並ぶ本町通りは少々寂れてしまった様子で残念でしたが・・・。

    参考写真:匝瑳市八日市場の観光案内冊子

  • 昼食後はかつての商店街に匝瑳市の「国登録有形文化財(建造物)」があると云うので、吾妻庵本店からほど近い、本町通りに行ってみた。<br /><br />【八日市場本町通り商店街の町並み】<br /><br />古い街にはやはり見かける、レトロな町並み八日市場は、昔々、江戸と銚子を結ぶ「浜街道」の宿場町として栄えたと云う。その旧道沿いにある本町通り商店街は、その歴史を感じる建物と地方銀行、信用金庫などの金融機関の支店が並んでいた。<br /><br />今もちょっとしたレトロな町並みが残っており、国の登録有形文化財を3つ見ることができた。<br />本町通りを右手から行くと、新井時計店(閉業)、坂本総本店店舗、鶴泉堂菓子店の建物となる。<br /><br />写真:この日はお休みで閉まっていた鶴泉堂菓子店の正面<br />

    昼食後はかつての商店街に匝瑳市の「国登録有形文化財(建造物)」があると云うので、吾妻庵本店からほど近い、本町通りに行ってみた。

    【八日市場本町通り商店街の町並み】

    古い街にはやはり見かける、レトロな町並み八日市場は、昔々、江戸と銚子を結ぶ「浜街道」の宿場町として栄えたと云う。その旧道沿いにある本町通り商店街は、その歴史を感じる建物と地方銀行、信用金庫などの金融機関の支店が並んでいた。

    今もちょっとしたレトロな町並みが残っており、国の登録有形文化財を3つ見ることができた。
    本町通りを右手から行くと、新井時計店(閉業)、坂本総本店店舗、鶴泉堂菓子店の建物となる。

    写真:この日はお休みで閉まっていた鶴泉堂菓子店の正面

  • <鶴泉堂(かくせんどう)菓子店店舗兼主屋ほか><br />匝瑳市八日市場イ2871<br /><br />国登録有形文化財(建造物)<br /><br />八日市場から銚子へと向かう旧街道に往時の面影を残す和菓子店。<br />「茄子」を砂糖漬けにした銘菓『初夢』、『落花煎餅』などを販売する。<br />随所に良材を用い、屋号の「鶴」をあしらった瓦や雨樋を見ることができる。<br /><br />店舗兼主屋は、通りに2面する南北に長い敷地の北端に建つ。<br />昭和前期の建物で、間口6.6m、奥行10mの木造2階建、寄棟造妻入桟瓦葺、出桁造で垂木を配る。1階が店舗、2階が住まいになっている。<br />北正面から小路に面した西側には下屋庇をまわし、鉤の手にガラス戸をたて、開放的である。昭和前期における建ちの高い町家の一例である。<br /><br />石倉庫は、大正14年(1925)の建物で、敷地南端に建つ。桁行5.5m、梁間3.6m、石造2階地下1階建で、東西棟の切妻造桟瓦葺。北面には瓦葺庇を掛けて出入口を設け、上部に庇付窓を穿つ。切石を積み上げ、壁面を造り、水切りや鉢巻をまわす。大谷石の柔らかい風合いが落ち着いた景観をつくっている<br /><br />参考写真:鶴泉堂(かくせんどう)菓子店

    <鶴泉堂(かくせんどう)菓子店店舗兼主屋ほか>
    匝瑳市八日市場イ2871

    国登録有形文化財(建造物)

    八日市場から銚子へと向かう旧街道に往時の面影を残す和菓子店。
    「茄子」を砂糖漬けにした銘菓『初夢』、『落花煎餅』などを販売する。
    随所に良材を用い、屋号の「鶴」をあしらった瓦や雨樋を見ることができる。

    店舗兼主屋は、通りに2面する南北に長い敷地の北端に建つ。
    昭和前期の建物で、間口6.6m、奥行10mの木造2階建、寄棟造妻入桟瓦葺、出桁造で垂木を配る。1階が店舗、2階が住まいになっている。
    北正面から小路に面した西側には下屋庇をまわし、鉤の手にガラス戸をたて、開放的である。昭和前期における建ちの高い町家の一例である。

    石倉庫は、大正14年(1925)の建物で、敷地南端に建つ。桁行5.5m、梁間3.6m、石造2階地下1階建で、東西棟の切妻造桟瓦葺。北面には瓦葺庇を掛けて出入口を設け、上部に庇付窓を穿つ。切石を積み上げ、壁面を造り、水切りや鉢巻をまわす。大谷石の柔らかい風合いが落ち着いた景観をつくっている

    参考写真:鶴泉堂(かくせんどう)菓子店

  • 八日市場本町通り商店街を訪れる人々に、往時の風景や歴史を感じさせる貴重な存在となっている。<br /><br />写真:鶴泉堂(かくせんどう)菓子店の看板<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

    八日市場本町通り商店街を訪れる人々に、往時の風景や歴史を感じさせる貴重な存在となっている。

    写真:鶴泉堂(かくせんどう)菓子店の看板






  • <坂本総本店><br />匝瑳市八日市場イ2474<br /><br />坂本総本店店舗は、明治後期に建てられた土蔵造の建物です。<br />店舗の庇には「坂本総本店」の看板が掛けられ、黒漆喰塗の土蔵造の外観が特徴的である。<br /><br />写真:同じようにお休みで閉まっていた坂本総本店

    <坂本総本店>
    匝瑳市八日市場イ2474

    坂本総本店店舗は、明治後期に建てられた土蔵造の建物です。
    店舗の庇には「坂本総本店」の看板が掛けられ、黒漆喰塗の土蔵造の外観が特徴的である。

    写真:同じようにお休みで閉まっていた坂本総本店

    坂本総本店 グルメ・レストラン

  • <坂本総本店><br /><br />国登録有形文化財(建造物)<br /><br />東金と銚子を結ぶ旧道沿いに建つ商家。<br />「茄子」を砂糖漬けにした銘菓『初夢』、『落花煎餅』などを販売する。<br /><br />この一帯には、昭和中期頃まで土蔵造の建物が多く並んでいたが、現在ではほとんど残っていない。往時の街道に沿った八日市場の集落景観を偲ばせる。<br /><br />地棟下端にある墨書に、明治38年(1905)に建てられたことや、棟梁名(大木勘□)が記されている。平入の切妻造瓦葺、黒漆喰塗の土蔵造2階建。正面には庇が付くが、庇には鉄棒が掛け渡してあり、かつては地面に置いた重しとの間に暖簾をかけていた。正面庇の屋根には「坂本総本店」の大きな看板がのせられ、軒樋の呼び樋(鮟鱇)にも「坂本」の名がみられる。<br /><br />参考写真:坂本総本店

    <坂本総本店>

    国登録有形文化財(建造物)

    東金と銚子を結ぶ旧道沿いに建つ商家。
    「茄子」を砂糖漬けにした銘菓『初夢』、『落花煎餅』などを販売する。

    この一帯には、昭和中期頃まで土蔵造の建物が多く並んでいたが、現在ではほとんど残っていない。往時の街道に沿った八日市場の集落景観を偲ばせる。

    地棟下端にある墨書に、明治38年(1905)に建てられたことや、棟梁名(大木勘□)が記されている。平入の切妻造瓦葺、黒漆喰塗の土蔵造2階建。正面には庇が付くが、庇には鉄棒が掛け渡してあり、かつては地面に置いた重しとの間に暖簾をかけていた。正面庇の屋根には「坂本総本店」の大きな看板がのせられ、軒樋の呼び樋(鮟鱇)にも「坂本」の名がみられる。

    参考写真:坂本総本店

  • <新井時計店>(廃業)<br />匝瑳市八日市場イ2450<br /><br />新井時計店は昭和初期の洋風商家建築です。現在は使用されていない。<br /><br />写真:新井時計店(廃業)

    <新井時計店>(廃業)
    匝瑳市八日市場イ2450

    新井時計店は昭和初期の洋風商家建築です。現在は使用されていない。

    写真:新井時計店(廃業)

  • <新井時計店><br /><br />国登録有形文化財(建造物)<br /><br />東金と銚子を結ぶ旧道上にある八日市場本町通り商店街に構えた店舗。<br /><br />昭和6年(1931年)の建築で、木造2階建、瓦葺。洋風商家建築で、現在は使用されていないが、軒蛇腹の下に沿って「トケイハアライ」のネオンサインが掲げられており、昭和初期の商店街の面影をうかがうことができる。<br /><br />道路に面する側は、モルタルに目地を付け、石造風に仕上げ、隣家に接して道路から見えにくい部分は、波形の鉄板張りになっている。<br />通りに面した正面のみにデザインを施したいわゆる「看板建築」の建物。<br />2階部分は建築当初の姿をよくとどめており、正面上部の三角形の壁面(ペディメント)はギリシア神殿風の印象的な外観をつくる。ペディメント内の菱形の浮き彫りの中にはイニシャルも見られる。正面には、縦長の形の窓を3つ並べているが、中央の窓だけがやや大きく、変化をつけた形となっている。<br /><br />参考写真:新井時計店(当時)

    <新井時計店>

    国登録有形文化財(建造物)

    東金と銚子を結ぶ旧道上にある八日市場本町通り商店街に構えた店舗。

    昭和6年(1931年)の建築で、木造2階建、瓦葺。洋風商家建築で、現在は使用されていないが、軒蛇腹の下に沿って「トケイハアライ」のネオンサインが掲げられており、昭和初期の商店街の面影をうかがうことができる。

    道路に面する側は、モルタルに目地を付け、石造風に仕上げ、隣家に接して道路から見えにくい部分は、波形の鉄板張りになっている。
    通りに面した正面のみにデザインを施したいわゆる「看板建築」の建物。
    2階部分は建築当初の姿をよくとどめており、正面上部の三角形の壁面(ペディメント)はギリシア神殿風の印象的な外観をつくる。ペディメント内の菱形の浮き彫りの中にはイニシャルも見られる。正面には、縦長の形の窓を3つ並べているが、中央の窓だけがやや大きく、変化をつけた形となっている。

    参考写真:新井時計店(当時)

  • 写真:八日市場の個人宅の道路際に咲く紫陽花・・・ダンスパーテイ

    イチオシ

    写真:八日市場の個人宅の道路際に咲く紫陽花・・・ダンスパーテイ

  • 写真:紫陽花・・・ダンスパーテイ

    写真:紫陽花・・・ダンスパーテイ

  • <そうさ観光物産センター 匝り(めぐり)の里><br /><br />匝瑳市八日市場イ137番地1(JR八日市場駅前)<br />営業時間:9時から18時まで※定休日なし<br /><br />観光案内所と直売所を併設した憩いの場で、JR八日市場駅前にあり、匝瑳市(そうさし)の観光スポットを紹介する観光案内所となっている。<br />平屋で和風の建物の中には、散策スポットなどの見どころを紹介する「観光情報コーナー」があり、地元の新鮮野菜や果物、海産物、特産品をそろえた「物産販売コーナー」も併設されている。<br /><br />匝瑳市出身の俳優・故地井武男さんの私物を展示したコーナーや、彼が描いた作品の絵葉書もあった。<br /><br />参考写真:匝瑳市八日市場の観光案内冊子

    <そうさ観光物産センター 匝り(めぐり)の里>

    匝瑳市八日市場イ137番地1(JR八日市場駅前)
    営業時間:9時から18時まで※定休日なし

    観光案内所と直売所を併設した憩いの場で、JR八日市場駅前にあり、匝瑳市(そうさし)の観光スポットを紹介する観光案内所となっている。
    平屋で和風の建物の中には、散策スポットなどの見どころを紹介する「観光情報コーナー」があり、地元の新鮮野菜や果物、海産物、特産品をそろえた「物産販売コーナー」も併設されている。

    匝瑳市出身の俳優・故地井武男さんの私物を展示したコーナーや、彼が描いた作品の絵葉書もあった。

    参考写真:匝瑳市八日市場の観光案内冊子

  • 参考写真:そうさ観光物産センター匝りの里(めぐりのさと)

    参考写真:そうさ観光物産センター匝りの里(めぐりのさと)

  • 参考写真:そうさ観光物産センター匝りの里・館内<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />房総の小さな地方都市も、歴史や文化遺産を大事にしながら、それなりにまだまだ頑張っている。<br />伝説好きには、地方都市の埋もれてしまいそうな伝説が面白い。<br /><br />(2026年07月7日Wiki・HP参考、編集追記)<br /><br />

    参考写真:そうさ観光物産センター匝りの里・館内

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    房総の小さな地方都市も、歴史や文化遺産を大事にしながら、それなりにまだまだ頑張っている。
    伝説好きには、地方都市の埋もれてしまいそうな伝説が面白い。

    (2026年07月7日Wiki・HP参考、編集追記)

42いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

旅行記グループ

日本の小旅行2

この旅行記へのコメント (2)

開く

閉じる

  • pedaruさん 2026/07/09 07:01:17
    趣ある街並み
     jijidarumaさん おはようございます。

     千葉県に住みながら一部の町しか知らないなんて、もったいないですね。
     好きな歌「遠くへ行きたい」の歌詞に知らない街を歩いてみたい、というのがありますが、jijidarumaさんがご紹介くださっている街が正にそうだと思いました。
     観光地としてはあまり知られていない気がしますが、匝瑳と言う名前は、読めない漢字の横綱のようです。こんな町を歩いてみたい、と思わせる旅行記でした。
     車が無いのでいつかはきっと行ってみたいと思いました。

      pedaru

    jijidaruma

    jijidarumaさん からの返信 2026/07/09 18:57:33
    RE: 趣ある街並み
    pedaruさん、
    今晩は。いつもありがとうございます。

    投稿にもだんだん時間がかかるようになりました。
    都内に出るのも、近郊を走るのも少なくなりました。
    歳をとるという事はやはり困ったことです。

    さて、知らない町々、地元の千葉に限っても実に多いですね。
    実は「道の駅」に意外と上手いものがあるので、時々往復100kmぐらい
    のドライブをするのです。(幸い昼間の時間の運転はなんとかこなせ)
    その際に小さな町を訪れると、趣ある街並み、伝説などにあたります。

    先日は多古米で知られる多古町の道の駅で酒まんじゅう(地元の
    ご婦人のお手製の由)を数個購入してきました。
    酒まんじゅうは夫婦そろって大好きで、5月に姉の見舞いで行った、
    故郷青梅にはいまだに酒まんじゅうが販売されていて、いつも予約で
    50個ほど購入して帰ります。アンパンなどよりずっと安く、かつ美味い。
    近くの次女一家に20個おすそ分けし、残りを冷蔵庫に入れて、都度、
    お茶の時間に食べるのです(笑)。

    故郷の味は良いものです。

    それではまた。
    jijidaruma

jijidarumaさんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったグルメ・レストラン

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP