2025/03/31 - 2025/04/03
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chemireさん
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史跡足利学校を見学。
足利学校の創建については、奈良時代・平安時代など諸説ありますが、歴史が明らかになるのは、室町時代の永享11年(1439)に関東管領・上杉憲実が現在国宝指定されている書籍を寄進し、初代の庠主として鎌倉円覚寺から招かれた僧・快元が経営にあたるなどして学校を再興させてから。
以後、引き続く戦乱の中でも学徒三千といわれるほどに隆盛しましたが、江戸時代の末期には「坂東の大学」の役割を終え、明治5年(1872)に幕をおろしています。
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4月3日(木)
13:20
渡良瀬橋から足利学校を目指して国道を歩いて来たら、中央通りの表示を見つけました。Googleマップでは学校様通りとなっているけど、それは通称?
まあ、細かいことは気にしないで、このまま進んじゃいます。 -
足利のわかりやすい遊学館。面白いネーミングに惹かれたので入ってみました。
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展示物は多くはありませんが、見学は無料。事前申し込みで有料の文化体験ができるみたい。
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自販機とテーブル・イスもあったので、休憩するには良い場所でした。
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遊学館を出てすぐに遭遇したアッシー。公募で決まった愛称は足利を走るバスだからこそなんだけれど、ツボにハマって笑ってしまった。
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道案内を見たら、論語が書かれています。さすが足利学校のある町ですね。
でも、習ったことのあるものだから分かったけど、初見だったらスルーしてたかも。
子曰、学而不思則罔、思而不学則殆。
子曰く、学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)。 -
13:40
昨日の夜に下見した孔子石像の建つ道に入り、学校の門へと向かいます。
昨日も思ったけど寺社ではないのに、この道は参道みたいな雰囲気です。稲荷社があるから、もしかして参道なのかな? -
史跡 足利学校
日本最古の学校と言われ、室町時代から戦国時代にかけては関東地方の最高学府として全国から集まった人々が学び、フランシスコ・ザビエルが「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」と書簡に記したことで、世界的にも有名な教育機関となりました。 -
大正10年(1921)には国の史跡指定を受け、昭和63年(1988)から建物や庭園の復元工事が進められて、平成2年(1990)12月に江戸時代中期の姿へ甦っています。
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入徳門
足利学校に入る最初の門。寛文8年(1668)徳川幕府第4代将軍家綱の時の創建。 -
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扁額「入徳」は、紀伊徳川家第11代藩主 大納言徳川斎順の書。
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平成27年(2015)
弘道館(茨城県水戸市)、閑谷学校(岡山県備前市)、咸宜園(大分県日田市)とともに、日本遺産「近世日本の教育遺産群 一学ぶ心・礼節の本源一 」に認定。 -
13:44
ここから先は有料です。 -
受付で参観料を支払うと「ご入学おめでとうございます」と、入学証と學生証、パンフレットをいただけました。
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旅行後に観光協会のサイトを見たら、學生証(シール)を胸に貼ってお進みくださいと書かれていたけど、受付でその説明はなかったと思うし、誰もつけていなかったです。
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孔子立像
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正一位霊験稲荷社
創建 不詳
御祭神 稲倉魂命
天文23年(1554)学校鎮護のため稲荷社を再建。明和7年(1770)稲荷大明神を改め正一位霊験稲荷社となりました。 -
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学校門
寛文8年(1668)創建。 -
学校敷地内にあったマンホールのデザインの由来を調べてみたら、いろいろとありました。
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中央にある「学」の文字は、関ヶ原の戦いの際に徳川家康の本陣に参陣した庠主(校長)が、家康直筆の丸に学の字が書かれた旗をもらったという記録から。そして、その「学」を、「かなふり松」が覆っています。
外周を取り囲む「卦」は、足利学校に国宝に指定されている易占いの本が伝わることから、 開運大吉や学業成就の他に「水が流れるように物事が良く進む」という意味を持つのだそう。
それから、まだあります。松葉には漢数字の「五」が隠されていて、指でなぞると「五を書く」=「ごをかく」=「合格」の願かけができて、丸い形のマンホール蓋は向きが変っても穴に落ちてしまうことがないため蓋の上に乗った人が「落ちない」、表面の凸凹比を50%にしてあるから「滑らない」と、いろんな思いの込められたデザインなのだそうです。
以上は、旅が終わってから分かったこと。足利学校を訪ねる方がいらしたら、「五」を探してなぞってみてください。 -
日本で唯一の「學校」の額がかけられた門。
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扁額「學校」の文字は、明の書家が来日した時の書が縮模されたもの。
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字降松(かなふりまつ)
第7世庠主九華和尚(1550年~1577年在任)の頃、読めない字や意味の解らない言葉などを紙に書いてこの松の枝に結んでおくと、翌日にはふり仮名や注釈がついていたことから、「かなふり松」と呼ばれるようになったと伝わるそうです。 -
杏壇門(きょうだんもん)
孔子廟の門。寛文8年(1668)創建。近隣からの火災による焼失後、明治33年(1900)に再建。 -
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杏壇は、孔子が弟子たちを教えた所に、杏の木が植えられていたことに由来するそう。紀伊徳川家第10代藩主 大納言徳川治宝の書。
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一年中実が落ちることがない不断梅。
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東郷平八郎お手植えの月桂樹。日露戦争の勝利記念に植えたものだそうですが、他に2人の海軍提督が植樹した月桂樹もあるようです。
「学」=「平和」のイメージがあるので、学びの象徴であった足利学校に、海軍提督が揃って祭礼に参加したというのがしっくりしませんでした。 -
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孔子廟
建物の名称は「大成殿」で、寛文8年(1668)の造営。
建物内には入れないため、柵越しに拝観しました。 -
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孔子坐像
孔子の坐している姿は珍しく、天文4年(1535)に彫刻され納められたことが明らかになっています。 -
頭巾をかぶり儒服を着けた像で、この姿は「行教像」といわれ日本最古の孔子の彫像として大変貴重なようです。
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小野篁(おののたかむら)像
平安時代初期の公家・文人・学者で、足利学校創建者説もあり、武芸だけでなく学問にも大変優れていたことから菅原道真に並ぶ「学問の神様」とも言われています。 -
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南庭園
書院庭園の築山泉水。 -
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玄関
本瓦葺きで唐破風があり、鬼瓦の「學」の字は足利学校を中興した上杉憲実(のりざね)の筆跡を模写したもの。
玄関からは入館できず、その先に入口がありました。 -
靴を脱いで入館。入口わきには宥座之器が展示されています。
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方丈/寄棟造りで屋根は茅葺き、禅宗寺院の方丈形式であるのが特徴。
庫裡/庠主や学生の日常生活の場。
書院/庠主の接客の場。 -
宥座之器。
宥座とは、常に身近に置いて戒めとするという意味で、孔子の説いた『中庸』を教えるもの。
桓公の墓にあった器は、空の時は傾き、水を適度に入れるとまっすぐに立ち、水が満ちるとひっくり返ってこぼれてしまいます。この宥座の器を見た孔子は、弟子たちに「満ちて覆らない者はいない」と無理をすることや満ち足りることを戒め、謙譲や謙遜の大切さを諭したといいます。
孔子にまつわるものとして各地に宥座之器の展示があるようで、初めて見たのは長崎にある孔子廟を訪れたときでした。
2020年2月 長崎の旅
https://4travel.jp/travelogue/11597557 -
建物内には足利学校の歴史を中心に、ゆかりのある資料などが展示されています。
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脇仏壇には東照宮大権現(徳川家康)の位牌を、尊牌の間には徳川家歴代将軍の位牌を安置。
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年表や史料を読んでみると「天正19年(1591)豊臣秀次 の命により第9世庠主が学校什物・書籍とともに上京/文禄4年(1595)徳川家康、書籍等を足利学校へ返還/慶長5年(1600)第9世庠主が関ケ原合戦の際に徳川家康に従い、家康自筆の丸に「学」の字の旗指物を与えられる」とあり、足利学校と家康との関係は、とても深いもののようでした。
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建物内から見た北庭園。
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北庭園
築山泉水庭園で奥の庭として南庭園より格が高く、亀の形をした中之島を配し弁天を祀る石の祠があります。 -
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足利氏の氏寺・鑁阿寺の紹介文を読んでから退出して、方丈以外の建物の見学へ。
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衆寮
僧房または学生寮。 -
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木小屋
薪や農具などの置き場のほか、漬物などの食料品を保管した建物。 -
土蔵
大切なものを格納する耐火建築として建てられました。 -
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城でもなく寺社でもなく、堀や土塁がある不思議な感じのする場所でした。
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孔子廟を後方より。屋根には鯱が上がっています。
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14:55
旧足利学校遺蹟図書館
明治36年(1903)3月に足利学校遺蹟図書館が発足し、大正4年(1915)に現在の建物が完成し開館。足利学校伝来の書籍を保存。 -
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修復のためシートに覆われて全景を見ることはできませんでしたが、モダンな建物は素敵です。
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振り返り、もう一度じっくりと門を眺めて。
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滞在時間は90分。しっかり見学できました。
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15:18
案内板には、先ほどとは異なった論語。
子曰、放於利而行、多怨。
子曰く、利によりて行なえば、うらみ多し。 -
和菓子屋さんの前で陣屋大門の碑を見つけましたが、陣屋跡は市街地となっていて当時の面影はありませんでした。この路地が陣屋へと続いていたので、陣屋大門と呼ばれたそうです。
香雲堂 専門店
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通三丁目。街灯がお洒落。右側に見える落ち着いた外観の建物は、もと足利銀行本店だった足利商工会議所 友愛会館。金庫を改装した無料のギャラリーや足利まち歩きミュージアムがあるそうで、時間があれば見学したかったけど、社務所が閉まる前にと急いで足利織姫神社へ向かいました。
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