2025/03/31 - 2025/04/06
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chemireさん
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富岡製糸場
明治政府が設立した官営の器械製糸場。
明治5年(1872)に操業を開始し、昭和62年(1987)の操業停止まで115年にもわたり生糸を生産し続け、日本の絹産業を支えました。
日本で最初の官営模範工場であり、平成26年(2014)6月にユネスコ世界遺産へ登録。主な建物は、コの字型に配された東繭倉庫(東置繭所)・西繭倉庫(西置繭所)・繰糸場の三棟で、国宝にも指定されています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
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4月5日(土)
10:50
富岡製糸場へ。
上州富岡駅から徒歩約15分。見学料 大人1,000円。
東置繭所/国宝
中央部分の入り口上はアーチ状に煉瓦が積まれ、その中央部分にあるキーストンと呼ばれる要石には、富岡製糸場が操業を開始した年の「明治五年」の銘が刻まれています。
現在1階は展示場や売店が有り、コンサートや催しも開かれることがあるそうです。ガイドツアーの受付もここで行われ、個人なら当日参加可。2階は、令和7年度末まで工事予定のため見学できませんでした。富岡製糸場売店 専門店
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ガイドツアー(200円)に参加。東置繭所の側面から説明が開始されました。
※ 掲載した写真は時系列通りではないものもあります。 -
煉瓦はフランス積みと呼ばれる、同じ列に長手と小口を交互に積む方式が用いられています。繰糸器などはフランスから輸入されましたが、石や木材などは群馬県内から調達し日本の瓦職人が製造。煉瓦の壁はかなり厚く頑丈で、現在の煉瓦の日本工業規格より大きなサイズとなっています。
東置繭所の煉瓦のサイズ
長さ227mm(210mm) ・横112mm(100mm)・厚さ61mm(60mm)。
※ ( )内は現在の日本工業規格
西置繭所・首長館(ブリュナ館)・検査人館は、東置繭所より後に建てられたもので、煉瓦の厚さが55mmと少し薄いそうです。 -
刻印。一生懸命探してしまった。
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東置繭所/国宝
明治5年(1872)築、木骨煉瓦造、2階建。 -
建設中の東置繭所の写真には髷を結った大工さんが写っているものもあって、時代を感じるとともに、なんだか不思議な気分でした。
散髪脱刀令の公布は明治4年(1871)9月なので、それ以前か、その近い時期に撮られたようです。 -
1階は、繭の選別を行う場所。
2階は、乾燥させた繭32トン(8,000袋)の保管庫として利用され、通気(換気)のために窓が2段設けられています。 -
長さ104.4m、幅12.3m、高さ14.8m(この3サイズは西置繭所と全く同じ)。
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高圧変電所(内部立ち入り禁止)
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検査人館(内部非公開)
周囲にベランダを巡らした造りが特徴。
明治6年(1873)に生糸や機械の検査を担当したフランス人男性の宿舎としてとして建築されましたが、無断欠勤や素行不良で解雇され、実際に暮らした可能性は低いとされています。 ← なんで慎重に人選しなかったのかなぁ。
その後、1階は事務所、2階は政府の役人や皇族が訪れた際の貴賓室として使用されました。 -
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検査人館と女工館は渡り廊下で繋がっていますが、当時の建築物としては珍しい造りだったそうです。
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女工館(内部非公開)
工女に器械操糸の技術を教える目的で来日したフランス人女性教師4人の宿舎として、明治6年(1873) に建設。 -
教師が帰国した大正12年(1923)以降は、間仕切壁を撤去して大部屋とし、1階は食堂、2階は会議室として使用されました。← 女性教師は真面目な方でよかった。無断欠勤をするような人が集まってたら、製糸場の発展に支障をきたしたはず。
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壁の煉瓦は繭倉庫(置繭所)の煉瓦より一回り小さいものですが、コロニアル様式で当時の日本建築にはない特徴が見られます。外廊下の天井の網目模様がお洒落。
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全国から集まった工女はフランス人技術者から器械製糸技術を学び、故郷に戻ってからは、各地に設立された製糸工場で指導者となり器械製糸の伝播に貢献しました。
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診療所(内部非公開)
産業医制度が整い医療費の他、寮費や食費も製糸場が負担していました。
この診療所は、昭和15年(1940)に新たに建てられたもの。当初は、北側の寄宿舎の近くに開業時から有ったそうです。 -
繰糸場/国宝
繭から糸を取り出す繰糸を行うための建物として、明治5年(1872)建設。採光を考慮して南向きに建てられています。 当時の西洋でも破格の300釜もの製糸器械を導入し、動力を蒸気とした大規模な製糸工場でした。
勤務時間は、7時間45分が基本。休日は日曜日と祭日、年末年始と夏季の各10日間を含み年間76日。1週7日で日曜日を休日とする「七曜制」が導入されたのは、富岡製糸場が最初といわれています。余暇を利用した工女余暇学校も設けられていたそうです。 -
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繰糸所は屋根の上にもうひとつの屋根(越屋根)があることが特徴で、繰糸場内でお湯を使って糸を取る作業をしていたため、その蒸気を逃がし換気する目的で設けられました。
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繰糸所は内部見学・写真撮影可。
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富岡製糸場開設にあたり、製糸場設置主任として5名が任命されています。
家業として養蚕を行なっていた経験のある渋沢栄一は主任のひとりとなり、フランス人技師ポール・ブリュナを雇うことを決議するなど、富岡製糸場の建設を進めました。
渋沢の従兄である尾高惇忠も主任に任命され、工場完成後には初代場長に就任。尾高は、フランス人が飲むワインが生き血に準られ、工女の募集が難航したことに対して、当時14歳だった実の娘ゆうを工女第1号として採用し噂を払拭しています。
また、富岡製糸場は一時、経営難などで工場閉鎖の危機に陥りましたが、製糸業の振興に力を入れていた楫取素彦が、製糸場の継続を強く要望したことで政府は閉鎖しないことを決め、後の三井家への払い下げにつながったそうです。
今回の北関東の旅で訪れた水戸や前橋で学んだ渋沢栄一や楫取素彦の名を、ここでも聞くこととなりました。 -
ここにも刻印。
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窓が大きく数が多い点も繰糸場の特徴。 当時、日本にはまだ電灯が無く、細い糸をとる作業では明るい空間が必要なため、大きな窓から自然な光が取り入れられるようガラスが多用されています。
壁際に設けたハシゴを上り、窓を開閉し換気をするのは男性の仕事でした。 -
建物の内部は、中央に柱が無く広くて長い空間が造られ、そのための工夫としてトラス構造が用いられています。現在の繰糸所の床はコンクリート製ですが、当時の床は煉瓦で造られていました。
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操糸器2台に対し、工女ひとりが配置されていたそうです。
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繰糸場内部は、昭和40~55年の間に設置された日産製の自動繰糸器があり、現存する繰糸器は昭和62年(1987)3月の操業停止時の状態で保存されています。これ以後、操糸器は日本では製造されていないそう。
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首長館(ブリュナ館/通常非公開)
富岡製糸場建設の総監督のポール・ブリュナとその家族のための宿舎として、明治6年(1873)築の木骨煉瓦造、高床・コロニアル様式の建物。 -
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当時、一番南の陽当りの良い場所に建てられ個人の住宅としては非常に大規模な建物で、県令(県知事)の月給は約100円でしたが、ブリュナの月給は約1,000円と高待遇だったそうです。
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ブリュナが去った後は、工女たちの読み書きやそろばん、裁縫や行儀作法などの学びの場として使用されました。
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下水竇及び外竇
創業当初に造られた排水溝で、繰糸所からの排水と雨水を鏑川に放水するために設けられた下水道。現在も雨水用排水として使用されています。 -
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ここで、約40分のガイドツアーは終了し解散。
この後、ガイドさんの説明を思い出しながら、もう一度施設内を見て回りました(そのため、ここまでに掲載した写真は、午前・午後に撮ったものが混在しています)。 -
富岡製糸場は桜の名所でもあるそう。
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直角を成している山は荒船風穴。
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寄宿舎
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寄宿舎
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役職者用住宅(民営化後)
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西置繭所の近くの広場で、演奏などのイベントが催されていました。飲食・お土産のテントもあったけど、常時出店されているのかは不明です。桜まつりの時期だけなのかも。
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西置繭所/国宝
明治5年(1872)築、木骨煉瓦造、2階建。東置繭所と全く同じサイズの建物で、繭を貯蔵していたほか、蒸気機関を動かすための石炭置き場としても使われました。 -
西置繭所は内部公開されていますが、撮影は禁止。
新しいレンガが積まれ外観が整えられた時期もありましたが、令和2年(2020)に屋根の総葺き替えが行われ、外壁は新しく積まれていたレンガが外され内側に残っていたオリジナルのガラス戸を現して改修。塗装の色は、昭和49年(1974)頃の塗装の成分を調べて再現されたもので、昭和49年は、富岡製糸場が操業していた115年間の歴史の中で生糸の生産量が最も多かった年であり、その頃の姿を修復年とし最後の生産期の様子を伝えています。
1階内部は鉄骨を骨組みとして壁と天井をガラスで囲った部屋(ギャラリー)を設置し、建築の様子や資料が見られるようになっています。洗練された独特な空間は見応えがありました。 -
ブリュナエンジン復元機
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ブリュナエンジンは、富岡製糸場が創業した1872年から約50年間、繭から生糸を作る繰糸機の動力源として使われました。
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この煙突は4代目で、昭和14年(1939年)に建てられもの。
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石炭を原料に蒸気を動力に変える蒸気釜所は、改修中なのかシートで覆われていました。
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13:25
約2時間半で見学を終了。
女工哀史のイメージがありましたが、明治期の労働環境としてはかなりの厚遇で、能力別の月給制度や就業規則が定められ、明治日本の威信をかけた官営の模範工場であった事を学びました。
のちに全国に広まった製糸工場では、過酷な労働条件で働く女工も多く、富岡製糸場のような労務管理がなされなかったことが残念です。
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