2025/03/31 - 2025/04/06
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chemireさん
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小山城。
別名、祇園城。小山氏が現在の城山公園の場所に築城したとき、城の守りの神として祇園社(現在の須賀神社)を祀ったことから祇園城と呼ばれるようになったと伝わります。
小山城は1148年(久安4)に小山政光によって築かれ、その後は北条氏が治めますが、秀吉の小田原征伐により北条氏に加勢した小山氏は領地を没収され滅亡。新たに入封した本多正純が、1619年(元和5年)に宇都宮へ移封されたことで、小山城は廃城となりました。
以上の情報くらいは調べられたのですが、実際に城跡を訪ねると案内図や説明板がなかったり、表示が薄れていて分かりにくかったりと疑問の残る見学となってしまいました。
でも、残されていた土塁や堀切を見るのは楽しかったです。好きな平城のひとつになりました。
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4月2日 (水) 旅3日目
6:17起床。
昨日に引き続き、今日もお天気は良くないみたい。 -
朝食中にも天気をチェック。
写真は撮らなかったけど、いろいろサンドstyleのパンが美味しかったです。サラダはないので、コンビニでトマトジュースと野菜を補充。
朝食後は、チェックアウト時間ギリギリまで部屋でうだうだ。小雨になってから、駅へ向かいました。 -
10:29
小山駅のコインロッカーに荷物を入れて、探索開始。
駅から徒歩8分、第1の目的地の広場には、まつり開催中の看板が出てるけど桜が咲いてない… 飲食用のブースもあるようだけど、夜から開店するのか誰もいません。
まぁ、桜まつりを見に来たわけじゃないからいいけど。 -
前方の小高くなっている所を登ってみます。
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小山御殿広場
祇園城の御殿曲輪にあたる範囲で、一般公募により命名されたそうです。小山御殿広場 公園・植物園
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小山氏は、天慶3年(940年)に平将門の乱を鎮圧したした藤原秀郷の子孫で、小山政光を初代として成立。政光の妻が源頼朝の乳母だったこともあり、頼朝に助力、鎌倉幕府の成立に貢献。御家人として東日本屈指の勢力を誇りました。
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徳川2代将軍秀忠は、小山評定の吉例にならい元和8年(1622)祇園城の一角に日光社参用の休泊施設「小山御殿」を造営。4代将軍家綱以降は財政難などの理由で日光社参は行われず、その間に大風などの被害もあり、天和2年(1682)古河藩によって解体。
御殿は厳重な造りで、周囲に堀を廻らせて二重の土塁を築き、16カ所の御番所を設けていたそうです。 -
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芝生のイベント広場として整備され、地元の方に親しまれているようですが、
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私は、進入禁止となっていたこっちが気になる。
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これは堀跡ですよね。
向こうに家があるってことは、道を回り込めば近付けるのかもなんて思ったけど、時間がないからズームして見るだけにしました。 -
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10:44
次は、御殿広場から歩いて3~4分の思川に架かる観晃橋へ。西に男体山をはじめとする日光連山、北には那須連山も望めるそうですが、雨は止んだものの雲が厚くて山はほとんど見えません。観晃橋 橋詰広場 名所・史跡
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下流には、未だ開花していないけど思川桜の並木があって、夏にはサマーフェスティバルの花火が上がるなど景観の良い場所だそう。
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ただの広場を見るだけになっちゃったけど、旅の記憶のために写しておきます。
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11:00
観晃橋の向かいにある丘陵の坂道を上って城山公園へ。中世小山氏の隆盛時の城跡で、現在は公園となっています。
土塁や空堀などが残る城跡は、小山氏城跡(鷲城跡・祇園城跡・中久喜城跡)のひとつである祇園城跡の名称で国の史跡に指定。 -
公園碑はありますが、城址碑がなかったです。
城跡の詳しい案内図も見つけられなかったので、Googleマップでチェックすると、道路から坂道を上ってすぐのここが城の南部にあった本丸跡のようです。いきなり本丸だったので驚きました。
だが、しか~し!
帰宅後に調べてみたら、公園整備などによって本丸と二の丸が一体化したようで(他のお城にもあったパターンですが)、本来はここが二の丸で、本丸は二の丸の北東部に設けられていたという記事を見つけてしまいました。
たしかに、実際に歩いた感じだと、ここは本丸じゃないような気もしたし…
結局、正確なことは分からないので、これから記載する名称はGoogleマップに準じることにします。疑問を感じる所は、~~らしいですという表記にするつもりですが間違っていたらごめんなさい。城山公園 公園・植物園
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マップがスクリーンショットに収まりきらないので切り貼り。
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見学したのは、この写真の下方(南)にある本丸跡から北へ進み、上の写真の北曲輪跡まで。
本丸跡 − 祇園橋 − 中曲輪跡(馬出し)− 本丸橋 − 塚田曲輪跡 − 公孫樹 − 上段曲輪跡 − 虎口跡 − 北久保跡 − 本祇園曲輪跡 − 北曲輪跡、逆ルートで城入口となる本丸跡へ。 -
先ずは、本丸跡の一角にある展望台からの眺望。
なんとなく見える山並み。ビューポイントマークがあったから、晴れていたらきれいだったはず。 -
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11:08
では、本丸跡から北曲輪跡まで行ってみよ~! -
「ぎおんばし」と書かれています。
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本丸と二の丸の堀切に架かる祇園橋。
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橋の先には、一段高い二の丸がありました。往時は食い違い虎口となっていたようです。
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階段を上った広場の端に、白い看板みたいなものが見えたので近付いてみたら、
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そこにあったのは、御殿広場で見た桜まつりと書かれた簡易的な立て看板のようなもの。「中曲輪跡」と記されているけど説明板にしては安っぽい感じだし、仮設なのかな。
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四阿のまわりに、木を伐採した跡がたくさん。Googleマップには、中曲輪=馬出しと表示されてます。
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堀切を覗いて見たけど、橋から見た方が高さが分かりやすかった。
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中曲輪跡から段差を下りると、また橋がありました。
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「本丸橋」と書かれています。本丸?と思ったけど、とにかく進みます。
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堀切
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芝生公園として整備されていた「塚田曲輪跡」。
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桜の見頃は、まだまだ先だな。
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とちぎ名木百選の公孫樹。天然記念物。
享和3年(1803)の書物に、すでに古木だったと記されているそうです。 -
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小山城の落城を嘆いた姫が井戸に身を投げてしまい、その供養のために家臣が挿した銀杏の小枝が根づきましたが、実を結ぶことがないという「実なし銀杏」の伝説があるそう。
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11:24
公孫樹を見ながら先に進むと、曲輪名の書いてある看板がぼんやりと見えました。 -
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ここは「上段曲輪跡」。
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ブランコを発見。奥に祇園橋が見えています。
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砂場みたいなものもありました。
あれ、待てよ。整備されて小さくなっちゃってるけど、この囲いは砂場じゃなくて何かの建物の跡じゃないの?御三階櫓みたいなものがあったりして?
詳しい説明板がないこともあって、見学しているうちに、想像だけじゃなくて期待・願いが強くなっちゃってます。 -
砂場のような先は少し高くなっていて、土塁だったけど削られちゃったのかなぁなんて考えながら見ていたら、ここが本丸みたいに思えてきました。
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写真だとわかりにくいけど、土塁がこの先を左にカーブするように設けられています。
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カーブの先の桜。
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曲輪を振り返って見ました。
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けっこう花びらが散っています。葉桜にはなってないし、雨のせいで満開になる前に散っちゃったのかな。
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古地図が雨に濡れ、桜が張り付いていて可愛い。
って、この時は何気なく撮ったけど、あとで重大な表記に気づくことになりました。 -
11:36
二の丸虎口へ。 -
いつ積まれたものだろう? すっきりし過ぎてる感じ。
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曲輪・堀切が多い。歩いていて、とても楽しい城跡です。
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また橋だ~。
こんなに堀切があったり見所も多いのに、なんでもっと丁寧な説明板を作ってくれないんだろう。
世の中は城好きな人ばかりではないし、予算の問題などいろいろあるとは思うけど、もう少し城跡に愛情をかけて欲しいなぁと思いながら進みます。 -
これは山中城を訪ねた時の写真だけど、経路のこんな表示とか、堀だったら往時の長さや幅を記した説明板があるとよかったのにって思います。分からないのなら不明だとかも。最近、公園の整備をされたそうなのですが、城跡としての魅力を伝えてくれたらもっと楽しめるのになぁ(余計なお世話ですみません)。
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小さな川が流れてる。ここは覗き甲斐があります。往時は、どんな様子だったんだろう?
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橋を渡ったすぐ右側に階段(写真では分かりにくいですが手すりが見えてます)があって、正面の道は分岐してます。
とりあえず、右にある階段を上ってみようっと。 -
階段の先には中央に竹が密集する広場があって、まわりは完全に市街地化しています。ここは、駐車場になっていました。
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木に隠れた場所に、「北久保跡」と書かれた立て看板がありました。詳しい説明板がない(← しつこい)から「窪」があった場所かなと想像してみたけど、整備され過ぎていてイメージが広がらなかったです。
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北久保跡を戻って、階段を下り北方向を見たところ。
さっき分岐してると思って見た道は、北久保曲輪と中久保曲輪を分ける空堀で、正面に見える橋は本来は無かったのだとか。
あとで、この鉄橋を渡ってみましたが住宅地に続いていて、城跡を歩いていたのに変な感じ...と頭の切り替えがすぐにはできませんでした。 -
空堀より左手の、緩やかな坂を登ってみます。タイヤで土砂崩れを防いでいる(?)のが公園らしいけど、城址として見るとなんだかなぁ...
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「本祇園曲輪跡」
小山氏城跡祗園城跡 名所・史跡
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右に階段が現れて、さらに高い曲輪に登れるようになっています。
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ここはGoogleマップに記された北曲輪みたい。
見張り台のような角櫓とか、久保(窪)に近いし倉庫みたいな建物があったのかなとか、いろいろと妄想。 -
帰りがけに古地図を見てみました。
別の曲輪にもあったけど、ここではじっくりと確認します。赤丸印が現在地の本祇園曲輪で、その周囲は、え~っと... えぇっ⁈ -
写真を拡大してみました。
現在地の本祇園曲輪から南下して行くと、北久保、塚田曲輪、本丸、三ノ丸と書かれています。ニノ丸ではなく、三ノ丸のすぐ上に本丸があることになってるし、本丸の位置がGoogleマップとかなり違うじゃん! -
地図の下方には、読みにくいけど二重に囲まれた御殿。なんてこと。そんな遺構を示す表示は無かったよね?
城主が変わり、城の改修によって曲輪の様子が変わっていくのも分かるけど、この古地図の信憑性は??
わざわざ広島市立中央図書館にあった資料を展示するなら、◯◯頃に描かれた地図ですとか説明して欲しいし、現状との差があるけど改修された経緯は分かりません・調査されておりませんとか、何でもいいから書き添えて欲しかったです。 -
いろんな疑問を感じたけど、来た道を折り返します。
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12:00
北から南へと曲輪を抜け、祇園橋を渡って本丸跡へ戻って来ました。 -
ここは本丸土塁跡でいいのかな。
向かって右の芝生公園を歩いてみると、翁像や顕彰碑、忠魂碑が建っていましたが、城跡を想像させるような遺構は見つけられませんでした。 -
思川桜。見たかったなぁ。
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本丸跡を一周。では、そろそろお城を出ます。
一一一一一一一
これは帰宅してからのことですが、ネットで祇園城のことを調べていたら残念な記事を見つけてしまいました。ショックだぁぁ...
記事1.国史跡「祇園城跡」で無許可工事 ←えぇ~⁈ 古くなった公園を再整備するため2022年度に工事を始めましたが、盛り土などで許可を得なかったため指導を受け工事は一時中断。市の担当者のコメントは「市の権限の範囲内と考えていた」と文化財保護法について詳しくなかったようです(以前も、どこかで聞いたなぁ)。
続報を見つけられなかったので、その後の対応などは分かりませんが、この記事のおかげで、曲輪に立て看板が置かれたのは、詳細な説明板を設置する熱意もなかったのねなんて思ってしまいました(その後の変化を見学された方がいらしたら4トラで紹介してください)。
記事2.公園内のウッドデッキや木製ベンチに、スケートボードによるとみられる破損が見られ、警察に被害届を提出。← 再び、えぇ~っ⁈ 国の史跡である場所に、きれいな公園を作ってくれたんだから大切にしてほしいです。お願いだからお城を傷付けないで。
一一一一一一一
では、気を取り直して旅行記を続けます。 -
12:18
坂を下り、城跡を振り返って。
再訪するなら、桜が咲く時期に来てみたいな。 -
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12:30
小山市役所の近くにあったマンホール。
その地の名物などがデザインされたものを多く見かけるけど、こちらは、小山氏が繁栄していた頃の中世と同じ時代に発展していた西洋ロマネスク時代の馬のレリーフをデフォルメしたものだそう。
って、小山からかけ離れ過ぎじゃない? 見つけた時に、デザインの由来を想像できなかったわけだ。 -
市役所の敷地内に小山評定跡の碑がありました。
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小山評定。
一説によれば、慶長5年(1600年)に、ここ小山の地で開かれたといわれています。小山評定跡 名所・史跡
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徳川家康は、上杉景勝を討伐するために会津に向かっていた途上、小山に本陣を置きました。その時、石田三成挙兵の報が入り、家康は本陣に諸将を招集して軍議を開き、「このまま上杉を討つべきか、反転西上して石田を討つべきか」を質し、石田三成を討伐するため西上することを決しました。
家康率いる東軍に結束と勝利をもたらすこととなったのが、この「小山評定」で、歴史上最も重要な軍議のひとつと評されています。
小山の寺社めぐりに続く。
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