2024/06/13 - 2024/06/13
46位(同エリア216件中)
旅人なおさまさん
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この旅行記スケジュールを元に
午前中は新宮殿見学にあて、夕方訪問するサンスーシ宮殿に行くまでにツェツィリエンホフ宮殿やグリニッカー橋へ向かいます。
ポツダムにはトラムとバスが運行しているのですが連絡が悪く移動に苦戦しました
交通チケットはベルリンウエルカムカードABCゾーン対応でカバーできます
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 2.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
新宮殿最寄りのバス停からバスに乗り
乗り換えのバス停で待つこと20分・・・・・・
バスがやって来ないため徒歩25分ほどかけてツェツィリエンホフ宮殿へ向かっている途中にあった建物
道路工事&道路封鎖などの影響でバスの運行が変則的になっていました
あと、バス停も変更されていたりポツダム苦戦しました -
説明書きによると
ソ連占領下において、ソ連の軍事防諜活動本部として使われていた
1945年以前 女子寄宿学校
1945年~1991年 ソ連スパイ部門ドイツ本部
現在 商業施設を備えた住宅用建物
ソ連のスパイ部門長官は上の写真のテラスのある部屋を執務室として利用していた
とてもかわいらしい建物だと思ったのですが、こんな過去があったんですね
Am Neuen Garten 31, 14469 Potsdam, ドイツ -
上の建物から10分ほどでツェツィリエンホフ宮殿の入口案内が出てきました
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どこに何があるのかの案内図も掲示されています
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牧歌的な建物ですね
◆ツェツィリエンホフ宮殿は2024年11月1日から改修工事のため閉鎖されます◆ -
牧場の写真と言われれば納得しそうです
恐らく、この建物は厩舎などだったのではないでしょうか -
ここは見学の入口ではないのでご注意を
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以前はホテルであったことがうっすら分かります
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チューダー様式のツェツィリエンホフ宮殿
ドイツ皇帝ヴェルヘルム2世が長男夫妻に宮殿建設の許可を出し1913年から建設が始まりました
第一次世界大戦が勃発し工事が中断しましたが1915年から再開
167室を持つ宮殿建設が進められていきます -
見学ができるエリアが掲示されています
赤色部分
ポツダム会談、美術館ツアー 11月~3月 ガイド付きツアーあり
美術館があったんですね 知りませんでした
ポツダム会談 博物館ツアー 4月~10月
ガイド付きツアー 11月~3月
橙色部分 ガイド付きツアーのみ
皇太子夫妻私室とゲストアパートメント
こちらは通年のようです -
完成時、入居したのは宮殿の名前にもなっている皇太子妃ツェツィーリエのみ
皇太子は第一次世界大戦の前線に赴いていました
しかし、第一次世界大戦でドイツは負け、皇帝は退位させられ皇太子一家も亡命を求められます -
見学入り口から入ったところ
コインロッカーにバックパックを預けてください(2ユーロ/リターン式)
チケットブースでサンスーシ+チケットチェックの方に提示し入場券を発行してもらいますツェツィーリエンホーフ宮殿 城・宮殿
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さて、私はSPSGのアプリを日本で入れていきました
Cecilienhof SPSG という鳥の絵が描かれているアプリです
WiFiに接続すると日本語オーディオガイドが利用できます(無料です)
また自宅でもオーディオガイドを聞くことができます -
見学ルートに入ってすぐの廊下でWiFiにつないでアプリを入れたら便利ですよ、と案内してくれます
見学最初の部屋
こちらのお二人がドイツ帝国最後の皇太子夫妻
皇太子フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヴィクトル・アウグスト・エルンスト
皇太子妃ツェツィーリエ・ツー・メクレンブルク・シュヴェリーン
二人は1905年ベルリンで成婚しました
1918年第一次世界大戦後、フリードリヒ・ヴィルヘルムはオランダに亡命
ツェツィーリエは亡命を拒否し子供たちとベルリンに残ることに
夫婦仲は非常に良かったそうですが別居生活でフリードリヒ・ヴィルヘルムは多くの愛人たちと子供を作っていた
1923年フリードリヒ・ヴィルヘルムがドイツへの帰国を許されるとツェツィリエンホフ宮殿で暮らすことを許されるのですが夫婦仲は破綻しました -
皇帝とその家族の写真
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皇太子一家 1950年代ごろまでの写真
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フリードリヒ・ヴィルヘルムはナチス政権を歓迎していました
ドイツに帰国する条件は「一切の政治活動は行わず私人としてっ暮らすこと」だった -
20世紀初頭のヨーロッパではイギリス式別荘/チューダー様式建築が流行
ツェツィリエンホフ宮殿もその流れで設計・建築された -
ツェツィリエンホフ宮殿の全体模型
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戦勝国ビッグ3
ソ連 ヨシフ・スターリン
イギリス ウィンストン・チャーチル
アメリカ ハリー・S・トルーマン -
ポツダム会談開催時の各国が占拠(逗留)したポツダム市街エリア
A ソ連 その後も占拠し続け1950年代半ばまでソ連によって地域全体が封鎖された
B イギリス 家の元の所有者は屋敷を強制接収され立ち退きを余儀なくされた
C アメリカ 通称リトルホワイトハウス トルーマン大統領はここから日本に原爆投下の許可を下した -
上の写真
1945年7月17日のポツダム会議開会式後、宿舎に戻るトールマン大統領の車列
下の写真
戦勝三国の国旗 この順番は毎日変更された
宮殿への入口の利用も国ごとに異なり
イギリスは正面玄関から
左の入口はアメリカが利用した -
皇太子妃ツェツィーリエは北ドイツ地方出身で船旅が好きだった
この宮殿を作る際に船旅気分を味わいたいと作らせた部屋:キャビン -
ROOM6 白いサロン
ここは皇太子夫妻の音楽室として作られた部屋
この部屋でビュッフェスタイルの食事がふるまわれポツダム会談が始まった
ソ連代表団はこの部屋のテラスから出入りしていたそうです -
1945年5月20日からポツダム会談開催中の7月21日まで戦勝国はドイツ国民に対し誰が政治的権力を持っていか権威を誇示するためパレードをおこなっていた
写真はソ連、イギリスがベルリンで行った政治パフォーマンスの様子 -
会談に使用される前の部屋の様子
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ポツダム会談期間中、戦勝国のビッグ3はベルリンやポツダムの観光も楽しんだ
ポツダムでは「総統地下壕」へ足を運び
三者ともに互いをディナーやコンサートに招待した -
スターリンの控室
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日当たりのよい部屋です
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ソ連は第二次世界大戦後、超大国として復活
世界で唯一の国家社会主義国
スターリンは秘密警察の力を借り権力を維持していった
バルト三国、フィンランドの一部、ポーランド東部はソビエト連邦に編入された
戦争で壊滅した都市機能の復興はドイツからの賠償金で賄われた -
戦勝国による会談が行われた会議場
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当時の席次
首脳の左に通訳、右に外務大臣が座った
アメリカ大統領トルーマンが一番身分の高い政治家として議長を務めた
席次画像はスマホでQRコードを読むと表示されます -
上の映像の角度はこんな感じかな
手前のテーブルは書記官席 -
ここでポツダム宣言書の条項が決定されていった
テーブルはモスクワで作成された -
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上の写真右側の階段
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ランプも同じものだと思います
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ROOM9 アトリウム
イギリス代表団が会談開催中に利用した宮殿の正面玄関 -
アトリウムにあるベンチ
1945年7月イギリス下院選挙で負けたチャーチルは最後までポツダム会談に参加することはできませんでした
終戦間際のドイツ国民はソ連軍からの逃亡に疲弊していたそうです
大規模な性的暴力、暴行が横行しておりポツダム会談が始まるまでにドイツ東部から数百万人がソ連以外の占領地域に逃れたそうです -
中庭に出ます
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宮殿というと石造りのイメージが強く、ここは巨大な屋敷って感じがします
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中庭エーレンホーフと赤星
赤星はゼラニウムの花で形作られています
ポツダム会談に際しホスト役のスターリン(ソ連)を引き立てるために植えられ、現在も維持されているそうです -
あれれ???
トルーマンの控室を見ないまま外に出てしまいました(´∀`)
どこで間違えたんだろ・・・・・・ -
気持ちの良い天気ですので庭園を散策します
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私の視点ではこうですが
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2階や3階からは湖が良く見えそうです
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花が沢山咲いていました
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ツェツィリエンホフ宮殿はポツダム市街地からはちょっと遠いので空いています
ヨーロッパの学校は6月から順次夏休みになるのですが夏休みになる数日前から自己学習や課外授業が増えるため日本式にいうところの小中高校生の小グループ(入場無料)が見学に来ていました
※他の施設や国でも同様でした 6月~7月はヨーロッパの学生さんの卒業旅行シーズンでもあります -
上の写真の右側の丸い石に何やら彫り物が
ソ連マークが彫られていました
いたずらなのか、あえて掘ったのかわかりませんが -
ここから次の目的地へ徒歩で向かいます
湖畔の平坦な道のりで半分以上が木陰で歩きやすいです -
ここもツェツィリエンホフ宮殿の敷地内なので使用人用の建物だったものだと思います
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小川の水も澄んでいて空が綺麗
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ここで人生初のヌーディストに遭遇(笑)
ピクニックをしている人たちがいるなぁ~っと思ってはいました
パラソルにビーチチェア、上半身裸で横になって日光浴かぁ♪
などと思っていたら草むらからスッポンポンのお兄さんが!!!
え!!!っと思っていたら横になっていた人たちが立ち上がり(笑)
むこうは堂々としているのに、こっちはドキマギしました -
正気に戻り進行方向確認
誤って写真に裸族の方々が写りこまないようスマホは上目に構えなおしました(笑) -
何のゲートかな?
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テレビ塔かな?
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ゲートの先にある建物
Googleマップによるとここはアジアンレストラン -
なにやら説明があります
ドイツ航海発祥の地
1841年以来、プロイセン王室は軍が運営するこの水夫基地を遊覧船の出発点と補給所として利用していた
1890年ヴィルヘルム2世(旅する皇帝と呼ばれていた)は、ここユングフェルン湖の水夫基地をノルウェー風に再建することにした
1892年から1896年にかけて整備し、帝国船員基地へと発展
ホーエンツォレルン家の航海拠点にもなった
ホーエンツォレルン家の人々は様々なウォーターアクティビティをここで楽しんだ
帝政廃止後は帝国ヨットクラブのメンバーによって使用され現在も利用され続けている -
道を挟んだ場所には似たような作りの建物が数棟あり宿泊所などに利用されているそうです
-
歩みを進めていくとドイツ風の建物が
数軒似たような建物が並んでおりテラスでお茶を楽しまれているお宅や庭でお子さんが遊んでいるお宅も
このような建物は歴史的建造物として保護されていると案内が出ていました -
さぁ、次の目的地が近づいてきました
ここは東ドイツ国境の壁跡地
説明によると
1961年8月13日、東ドイツ政府は西ベルリンの国境を155kmの突破できない壁で封鎖した
少なくとも140人がベルリンの壁で殺害されたか、東ドイツ国境管理に関連して死亡
西ベルリンとポツダム市及び地区の間には43kmの境界があり、うち7kmは水域であった
グリニッカー橋はポツダム市とベルリン西部をつないでいましたが1952年に民間の自動車通行が禁止され、1961年歩行者の通行も禁止された
ベルリンの壁崩壊の翌日1989年11月10日、橋はついに再開通した -
裏側にはどこに何があるのか地図と番号で示しています
現在1.の場所にいます -
ヴィラ・シェーニンゲン
公開 金曜~日曜 12:00~18:00
カフェ 火曜~日曜 11:00~18:00 -
ヴィラ・シェーニンゲンの入口
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いわゆるベルリンの壁
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ここに残されている壁は薄め
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ベルリンの壁とヴィラ・シェーニンゲン
ここのカフェはセルフ式だそうです -
見えてきました!
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1961年~1989年までの橋の歴史が説明されています
が、文字をハッキリ読める程度に拡大して撮影すればよかったです -
世界遺産に登録されています
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向こう岸はベルリン
グリーニッカー橋 建造物
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この橋では西側のスパイと東側のスパイの交換が行われていました
本当はベルリン側に渡り公園に行く予定でいたのですが、市街地の道路封鎖などにより交通機関の運行が不透明なためポツダム市街地に戻ることにしますグリーニッカー橋 建造物
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ポツダム側の橋の手前にある看板
ここでドイツとヨーロッパは1989年11月10日午後6時まで分割されていた
グリニッカー橋のすぐそばにバス停とトラム停留所があります
市街地まではトラムとバスを乗り継ぎます -
スムーズにサンスーシ庭園まで戻ってきました
ここから急にアジア系の人が多くなって驚きました
ドイツにやってきて3日目にして初めてです
このオベリスクは1747年に建てられたもので刻まれている象形文字に意味はありません
芸術家がエジプト風に作成したもので、当時はまだ象形文字は解読されていませんでした -
ミューレンベルク凱旋門
この門は1850年~1851年にプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世によって建設された美しい門です
ローマの凱旋門をモデルに作成され、テラコッタで作った軍事場面や花が装飾に使われています -
ミューレンベルク凱旋門のそばから庭園内に入ります
遠くに新宮殿のドームが見えています -
ここはフリードリヒ大王が1746年に設計したロンデル公園
円形にローマ皇帝、哲学者、古代の衣装を着た4人のアフリカ人の胸像が設置されています -
18世紀当時、有色人種を文明的に表現した作品はこの作品が初めてだと考えられているそうです
この公園は長らく「モーレンロンデル」との名称が定着していたが2020年に差別的であるとして「エルステスロンデル」に名称が改められたそうです -
現在公開展示されている胸像はオリジナルではなく1992~1997年にかけて作成されたレプリカだそうです
-
この時点で15:10分
予定より1時間ほど遅くなってしまいました
ツェツィリエンホフ宮殿行のバスのせいです(笑)
見えているのはサンスーシ絵画館 -
キスするアモンを眺めつつ
-
庭園案内を確認
当初予定では庭園内をのんびり散策してから絵画館を見学しサンスーシ宮殿を見学する計画だったのですが
庭園を散策していたら間に合わないと判断 -
絵画館へ向かいます
サンスーシ絵画館は通年営業ではありません
開館 5月~10月
開館日 火曜~日曜 (月曜休館日)
開館時間 10:00~17:30 -
扉を開けて絵画館に入館すると受付カウンター的なものがあり
係の方にサンスーシ+チケットを提示すると言語を尋ねられたうえで絵画説明のこちらを渡されました
A3サイズです
オーディオガイド対応でない言語の場合に渡されるようで英語表示ですサンスーシ絵画館 博物館・美術館・ギャラリー
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いや、字が小さいので老眼の私には無用の長物(笑)
展示順に作者と作品名が記載されておりオーディオガイド対応の絵画には青い文字で別の番号が振られています
ルーベンスの作品が多くあることが分かります -
夕方であったこともあるのでしょうが見学者は少な目
収蔵作品のうち高名な画家だとルーベンス、カラバッジョ、ヴァン・ダイクがあげられます
絵画の展示方法ですがバロック期の流行で額装された絵画を上下密に並べてあるので現代の美術館の展示に慣れているせいか私は鑑賞し辛いです
サンスーシ絵画館はドイツの支配者が建てた美術館相当施設のうち現存する最古の建物とのこと -
個人的興味の問題ですが、私は建物の装飾の方が見応えがありました
天井はわずかに弧を描く丸天井でドームを強調させた作りで金色にギルティングされた繊細な装飾に圧倒されます -
建物中央部のドーム天井
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明り取りの窓にまで精緻な装飾が施されています
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細かい装飾
財力を見せつける意味もあったんでしょうね -
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似てはいても 上と同じ装飾ではないんですよ
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装飾は期待以上でしたが
私がサンスーシ絵画館に来た一番の目的はこの作品を見るためです
一点だけライトアップされている作品 -
聖トマスの不信
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ作
1601年製作
ライトが当てられているせいでいるせいで逆に見づらい気がします
っていうか絵画館の展示作品は光が入りすぎなのか見づらい
真っ黒の背景に浮かび上がる登場人物たち
この陰影を自然光と蝋燭しかなかった時代に表現できる構成力と画力
本当にすごい人だと思います -
イチオシ
うわぁぁぁぁぁぁ
脇腹に指突っ込んでますよ!!!!
カラヴァッジョと言えば破天荒な人生を送った天才画家としてご存じの方も多いと思います
私が語学は全くできないのに(笑)ひとり旅を始めるきっかけになったのはカラヴァッジョの作品をマルタに見に行きたかったからなのです
あれから12年(きみまろ風) -
他の作品はほぼ鑑賞せずカラヴァッジョの絵を何度も眺めながら天井の装飾を鑑賞
異様に熱心に天井を見ているのでキュレーターに若干不審な目で見られていました -
一番奥には小ぶりの絵画が別に展示されています
マントルピースの左右の絵が外されています
ヴァン・ダイクの絵があったようですが修復のため展示されていないそうです -
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装飾が大変凝っていて見ていてあきません
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イチオシ
わあぁ~
かわいい
ヤァーーーーー!って言っていそう -
遊び心ある装飾ですね
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コンパスを手に持ち天球儀を眺めていますね 海図を作っているのかな?
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こちらには絵を描いている装飾
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数学、天文学でしょうか
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カラヴァッジョと天井の装飾を堪能し絵画館から本日最後の宮殿へ向かいます
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絵画館とサンスーシー宮殿は位置的には真横にありますが、横にそのまま移動できません
※絵画館への出入りは道路側からも庭園側からの可能ですが、どちらの場合も真横には移動できません
一旦、噴水のある底辺まで降りて宮殿へはぶどう棚をの上がっていきます -
16時過ぎですが、まだまだ日本でいえば13時くらいの感じです
-
青々とぶどうの葉が茂っています
-
よく見るとぶどうの実も
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棚の上はこのように整備されています
-
わき道からオランジェリーパレスを覗いてみました
2019年から改修工事が行われており2029年ごろから公開予定だそうです
サンスーシ庭園内の施設は順次改修工事が行われているようで見学できない施設がいくつかあります
詳しくは、SPSGの公式HPでご確認ください
HPはこちら→https://www.spsg.de/startseite -
鳥かごのような美しいアイアン装飾
これと同じものが庭園側から見て右にもあり、そこに大王の墓所があります -
ここにも楽器が
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サンスーシ宮殿への入場時間まで40分ほどありますのでビジターセンターに向かいます
サンスーシ宮殿のわき道を降りていくと -
ここがサンスーシ宮殿のビジターセンターです
カフェなどは併設されていません
トイレは建物の向かいにあります(有料)
新宮殿のビジターセンターの方が充実しています(笑) -
ビジターセンター内で涼みます
ベルリン・ブランデンブルク城館庭園財団が管理するポツダム周辺の施設の地図が掲示されています
ショップでフリードリヒ大王関連の土産も売っていましたが
新宮殿のビジターセンターにあったフリードリヒ大王のマウスパッドがない!!
サンスーシ宮殿のショップにあることに期待します -
ビジターセンターから5~80mほど登ると風車の見学もできます
サンスーシ+チケットで見学できますが登って風車を見学しサンスーシ宮殿に行くのは時間的にハードだな、と行くのはやめました
風車の近くにカフェがあるようで見学者がえっちら登って行っていました -
20分前になったのでサンスーシ宮殿の見学入口へ移動しました
見学できる部屋の案内がここにもあります
黄色部分が見学できる部屋でフリードリヒ大王の時代からのものです -
ファサードも壮麗です
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遠くにルイネンベルクを望めます
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ぶどう棚から入ってきた場合は裏側になります
16:40からの見学予約でしたが5分前で入れてくれました
チケットチェックの人にチケットを提示しオーディオガイドを借ります(日本語あり) -
オーディオガイドを首にかけ見学スタート
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見えている部屋はぶどう棚に面した大ホールですがエントランスからはいけません
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エントランスにある彫刻
タイトルは分かりませんが 天使がふくらはぎにキスしています
服従や従属のキスでしょうか -
かわいい廊下ですね
フリードリヒ2世(フリードリヒ大王)と言えば戦争に明け暮れた国王ですが、彼は芸術を愛し、特に音楽の才はバッハにして「王でなければ偉大な音楽家になった」と言わしめるほどだったとか
美的感覚も男性らしい雰囲気よりロココ様式を好んでおり優美です
ちなみみ、右側の極端に座面が短い椅子は装飾用で着座することは想定されていないそうです -
サンスーシ宮殿は平屋でフリードリヒ大王が夏の離宮として造営したのですが34歳から亡くなるまでのほとんどを、12部屋しかないこの宮殿で過ごしています
サンスーシー宮殿 城・宮殿
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こちらも天井に凝った装飾が
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ライティングデスクと時計付きキャビネットが本来あるそうですが、現在修復のため撤去されているそうです
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フリードリヒ大王がなくなったときに腰掛けていた椅子
フリードリヒ2世
1712年1月12日~1786年8月17日(74歳没)
フリードリヒ2世は158cmと小柄だったそうです
私と同じ身長だったとは -
フリードリヒ2世は兵隊王と呼ばれた父王から虐待を受けながら育ち
18歳のころ従妹であるイギリス王女アミーリアとの縁談を契機に逃亡を図りました
しかし、その日のうちに捕まり連れ戻され逃亡をほう助したハンス・ヘルマン・フォン・カッテ少尉は見せしめにフリードリヒ2世の目の前で処刑されました -
1733年、フリードリヒ2世は父の命令に従いオーストリアから4歳年下のエリザベート・クリスティーネを妃に迎えました
マリア・テレジアとの縁談の話も出ていましたがハプスブルク家はローマカトリックでフリードリヒ2世はカルバン派から改宗する見込みがないため縁談は立ち消えになっていました -
フリードリヒ2世の妃エリザベート・クリスティーネは美しく聡明で信心深い妃でしたが、ついぞフリードリヒ2世との仲を深められないまま生涯を閉じます
通常、王宮や宮殿には王妃の間があるのですがサンスーシ宮殿にはありません
この宮殿には気心の知れた男友達が集まっていたようです
※姉のヴェルヘルミーネとは仲が良かったのですが基本的に女嫌いだったようです
この宮殿に王妃は立ち入り禁止でした
一人だけ愛人が確認されていて爵位を与え囲っていたそうですが愛人の方は何度か逃亡を画策
最後は外国の貴族と結婚して大王から逃げた?そうです
金銭的援助もしたうえで渋々結婚を認めたようです
確認されている子女はおらず、弟夫妻の嫡男を世継ぎに指名しています -
音楽の間
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とても華やかで洗練された雰囲気のお部屋です
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大王愛用のフルート
フルートソナタだけでも100曲以上作曲しているそうです
現在でも演奏される曲もあるそうです -
愛用の譜面台
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シャンデリアの根元には蜘蛛の巣の装飾が施されています
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ロココといえば自然植物を装飾に組み込んだものですね
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エントランスから見えていた大広間
宮殿じたいが小さいので大広間も小さいです -
ぶどう棚から見えるドーム部分がこの広間です
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遊び心がありますよね
サンスーシ宮殿の最初の設計は大王自身によるもので、それを元に建築家が設計していったそうです -
シノワズリの部屋
シノワズリは中国風のことで18世紀の流行のひとつです -
-
ベッドを見てください
158㎝の私でも横になれません
当時、高貴な人たちは横になって寝ることはなかったそうです
座った状態で足を延ばして寝る、のでベッドはこのくらいのサイズです
ベッドの左右に絵画がかけてありますが隠し扉になっています
使用人が隠し通路から出入りできるように作ったそうですが(ほかの部屋も同じようになっています)
ほとんどテラス側の掃き出し窓を利用していたそうで有効活用はされていなかったとのこと -
壁に使われているブルーストライプがモダンなお部屋です
-
ヴォルテールの間
1750年、フランスからヴォルテールを招待し歓迎したフリードリヒ大王
ヴォルテールが滞在したこの部屋は南国の植物をモチーフにしたレリーフが施されています -
ヴォルテールを大歓迎し迎えた大王ですが意見が合わずたびたび衝突
-
ヴォルテールは3年程でフランスへ帰国
しかしルイ15世と折り合いが悪かったヴォルテールはパリに戻ることがなかなかできなかったそうです -
動物は立体的
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今にも動き出しそう
この部屋でサンスーシ宮殿の見学は終了です -
現在もアーティストにインスピレーションを与えるフリードリヒ大王
こちらはアンディ・ウォーホルがデフォルメしたフリードリヒ大王の肖像画
最後の通路に飾られていました -
最後にショップに行こうと外に出て
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コリーにサングラスと帽子をかぶせ記念撮影している人たちを眺め
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写真を撮り
-
うっかりぶどう棚を降りていき
-
ホテルに戻って気が付いた
マウスパット買ってない・・・・・・ -
噴水のヘリでのんきに寝ている鴨
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この噴水 結構臭いです(笑)
-
庭園の出口付近にある川の水を吐き出す彫刻
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こっちは怖いな
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さらば!サンスーシー宮殿 アデュー
※大王はフランス語が好きだったらしい -
マンホールの蓋に方向が描かれています
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最後に大王の彫刻
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恐らく実物大と思われます
-
敷地を出て隣には
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大王の側近ヤーコブ・フォン・カイト兄弟の屋敷があります
こちらは公開されていません
他にいくつか大王が側近のために用意した屋敷が周囲にあるのですが公開されているところはありませんでした(2024年6月現在) -
ポツダムの街を少し歩いて凱旋門までやってきました
ここからバスに乗ってポツダム中央駅へ向かいます -
これで18時ごろです
日本でいうと15時くらいかな -
バス停のそばにあった3人の皇帝の王冠
という名称ですが記念碑なだけで歴史的なものではないそうです
そして、バスなんですが全くやって来ず
30分以上待ったんです
電光掲示板にあと〇分は出るんですけど全くバスは来ず
私と同じように待ちぼうけになる観光客多数(笑)
こんな時はBVGアプリ(気づくの遅い)
別のバス停からポツダム中央駅行バスのルートを検索してくれました
待っていた間にGoogleマップで散々検索してたんですが、現在地優先で検索するのでバス停が固定されてちゃうんですよねGoogleマップ
BVGのおかげでポツダム中央駅行のバスにサクッと5分で乗車できました -
往路はパークサンスーシ駅でしたが
復路はポツダム・バーンホフを利用します -
ホームの屋根の曲線も綺麗です
-
ベルリンウエルカムカードで使える交通チケットはDBにも有効です
帰りもRBがちょうど来たので乗車しました
が、途中で何度も駅ではないところで停車
アナウンスに乗客が憤慨していたので前便に遅延が発生してその煽りだったみたいです -
乗車したRBです
今朝は赤色でしたが今回は黄色でした -
この駅はアレキサンダープラッツ駅のDB用ホーム
Sバーンのホームとは別にあるので乗車する場合はTRAINと書かれた案内のあるホームへお越しください
アレキサンダープラッツ駅からホテルのあるハッケシャーマルクトまではトラムを利用しました
今日も沢山歩き、足がパンパンです
おやすみなさい
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旅行記グループ 中欧ひとり旅21泊23日☆再挑戦の旅☆
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