2024/02/01 - 2024/02/01
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kojikojiさん
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シャウエンを出たバスは昨晩通過した「ルッコス橋(Pont du Loukkos)」を通過してラバトに向かいます。車窓は丘陵地帯を走り抜ける感じで、昨日の午後と同じようにトラクターやロバや牧羊の風景が延々と続きます。ほんの一瞬通過するだけですが、人々の人生の一瞬に立ち会ったような感じがします。そんな連続の中で線路を渡るとT字路があり、標識には右へ行くとタンジールまで150キロ、左に進むと首都のラバトまで190キロだと分かります。タンジールは30年ほど前にスペインのアルへシラスからの1日ツアーでタリファ港からジブラルタル海峡を渡って初めて入ったモロッコの町です。「裸のランチ(Naked Lunch)」のウィリアム・バロウズ、「シェルタリング・スカイ(The Sheltering Sky)」のポール・ボウルズが愛した町です。昨今のモロッコツアーにはこの港町へのコースは皆無なのですが、妻に見せたかった町でもあります。バスは左折してラバトに向かいます。国道N1の車窓からは塩田が見えました。高速道路に入ってしまうと何となく旅の終わりも感じてきます。標識にカサブランカの文字が入って来るとラバトへの出口に差し掛かります。インターを降りると右手には守衛を置いた白い壁が延々と続いています。何となく今まで訪問した町とは違った雰囲気を感じます。さらに進むと左手に「ムハンマド6世タワー」が見えてきます。その姿からも映画「メッセージ(Arrival)」の宇宙船を思い出しました。右手の丘の上には「ハッサン塔(Tour Hassan)」が見えてきます。バスは丘の上まで進み「ムハンマド5世廟」の見学をします。廟に入った瞬間にパリの「アンヴァリッド」のドーム教会の下のナポレオン1世の廟を思い出しました。すると添乗員さんから同じ説明があったのでちょっと嬉しい気分になります。1時間ほどの首都ラバトの観光が終わるとカサブランカ迄最後のラストスパートです。バスのドライバーさんが気を利かせて夕日が美しいので海岸線を走ってから高速に乗ってくれました。お陰で「金曜ロードショー」のオープニングのような夕陽を見ることができました。陽が落ちた夜遅くにカサブランカ市内に到着し、「プリンス・デ・パリ(Prince de Paris)」というホテルにチェックインします。最後の夕食はホテルのレストランでビュッフェの予定でしたが、時間が遅かったのでプレートに盛りつけられたものをいただきました。元気だったらタクシーに乗って「リックスカフェ(Rick's Cafe)」に行きたいところでしたがもう十分な気持ちが勝ったのでホテルでゆっくり過ごしました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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シャウエンの旧市街の背後にある「ティソカ山(Jbel tissouka)」と「ラクラ山(Jbel Lakraa)」も見納めです。
シャウエン旧市街 (メディナ) 旧市街・古い町並み
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この日もバスの前の方の席に座ったので前方の車窓の決景色が良く見えます。海外のツアーの場合は自由席のことが多いのですが、粉期のツアーでは2日目から前方と中央と後方とに分けて、日替わりで席を入れ替えていました。45人乗りのバスに20人なので1人2席使えたのはありがたかったです。
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周囲の山々の緑はさらに濃くなり、地中海が近いことを感じさせます。それと同時にモロッコ南部のアトラス山脈の自然の絶景が素晴らしかったことも思い出します。
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町の孔kの人々の姿も南とではずいぶん違うようです。
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共通するのはイスラムの教えで、北に来てもアラビア語で「インシャーアッラー」と書かれた文字を見掛けます。
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こんな店で売っている本物のタジン鍋を1つ買いたいものでした。IH対応だったらなおさら良いのですが。
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昨晩も通過した「ルッコス橋(Pont du Loukkos)」を再び渡ります。
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1912年から1955年の間であればスペイン領だったモロッコの土地からフランス領のモロッコに入るわけです。現在はどちらもモロッコなので税関の建物は残っていてもその機能はありません。
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まだ行ったことは無いですが、モロッコの中に残るセウタというスペイン領がどんななのか行ってみたくなります。スペインの中にあるジブラルタルには行ったことがありますが、印象として残っているのはイベリア半島で何でこんなまずいものを食べなければならないのだろうということでした。日曜にの午後に空いていたのはパブが1軒だけで、そこで食べたフィッシュ&チップスはまずかった。
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学校帰りの子供たちはこれから何をして遊ぶのか相談中のようです。家の方向が同じだと遊び相手はおのずと一緒になってくるのは世界共通でしょうね。
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峠道を登り切ったところにザルや籠を売っている今にも壊れそうな店があります。きょだうなカボチャはどうやってここまで持ってきたのでしょう。
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フード付きのパーカーの上にフード付きの民族衣装「ジュラバ( Jellaba)」を着るとカッコいいことを知りました。東京に帰ったら真似しようと思います。
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このロバは前足同士をくくられていないので歩き回れますが、杭を中心に伸びたロープを半径にする範囲だけが彼の世界です。
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ロバは男性や女性、子供でも老人でも乗りこなせる万能の乗り物です。
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道端のパラソルの下で売られているのはオリーブオイルとオリーブの実を漬けたもののようです。商品は並んでいても、売る人の姿はどこにもありません。
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モロッコの市場でよく見かけるボンボンの付いた麦藁帽子は観光客向けのものだと思っていましたが、意外に田舎の人が被っているのを見ると欲しくなってきます。一応妻に「買ってあげようか。」と訪ねましたが断られました。
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ロバのパーキングには草が生えています。
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斜面でもどこでもパーキングに早変わりです。こんな草地に停めてもらえれば幸せですね。
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ロバが最初に家畜として飼われ始めたのは約5000年前に野生種であるアフリカノロバを飼育したものとされるそうです。古代から乗用や荷物の運搬などの使役に重用されましたが馬に比べると従順でない性質があり、小型でもあるのが家畜として劣る点でした。逆に馬よりも優れていたのが非常に強健で粗食に耐え、管理が楽な点ででした。
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傍から見る限りロバは大人しそうに見えますが実際は違うようです。スイスやドイツなどの欧州の国々では護衛犬の代わりに「ガード・ドンキー」というロバを使っている地域があると聞いたことがあります。ロバはオオカミと犬に対してきわめて攻撃的な性格だということです。
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一見のどかな牧羊の風景ですが、焚火で焼き印を熱して羊に押し当てているようです。
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インドのオートリキシャ―のような乗り物がやってきます。後ろのバンは追い抜くタイミングを計っているようです。
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小さい集落を幾つも超えていきますが、どこの町も立派なモスクとミナレットがあります。昔北キプロスのギルネという港町に3日ほどの予定で宿を取りました。1泊目の朝方に大音響のアザーンの声で飛び起きました。隣がモスクで、部屋の目の前にミナレットがありました。朝ご飯を食べた後に宿を引き払って港近くのホテルに移りました。
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食べられないオレンジがたわわに実った木の下ではお年寄りが集ってのんびり過ごしています。ある意味この世の楽園を見た気がしました。
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村を抜けるとまた荒野の中の道を走ります。
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シャウエンを出て2時間ほどでトイレ休憩になりました。「ウェザーン(Ouezzane)」というところのようです。
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カフェの窓から外を見てみると足元に七面鳥がいました。ローストされていない七面鳥を見たのは初めてです。
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その奥の草原にはコウノトリが3羽いました。数年前に釧路湿原へ丹頂を見に行ったことを思い出します。なつはなかなか見つからない丹頂も冬になると餌場に集まるのでいくらでも見ることができました。
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今回のツアーはこんなバスで1週間モロッコを走破しました。20名のツアーだったので1人2席使えてよかったです。
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20分ほどの休憩が終わるとバスは西に向かって走り出します。
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再びのどかな牧羊の風景が現れます。
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シャウエンは標高600メートルの高地にあったので、なんとなく海岸沿いのラバト方面へは下り道が多いように感じます。舗装された道路は日本ほどではないけれど整備されていると思いました。
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羊を見守る老人のまなざしは険しいです。
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整然と並んだ果樹かオリーブの木が美しい風景を造っています。
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ロバに乗った女の子に男の子が話しかけています。
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恋が生まれた瞬間に通りがかったような気がしました。
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昔観たロビン・ウイリアムスの映画「トイズ」の中に出てくる人里離れた草原にたたずむおもちゃ工場の「ジボ・トイズ」の建物を思い出します。経営者だった父親が急死して、新しく社長になった叔父はおもちゃを兵器にしようとします。息子薬のロビン・ウィリアムスがおもちゃで戦うというストーリーでした。トーマス・ドルビーのミラーソングもいいですが、おもちゃが戦うシーンのフランキー・ゴース・トゥー・ハリウッドの「ウェルカム・トゥー・プレジャードーム」は最高にカッコよく、破壊されていくおもちゃを見ると涙が出てきます。
https://www.youtube.com/results?search_query=the+mirror+song+thomas+dolby
https://www.youtube.com/watch?v=WzOGLKTmeuY -
時速60キロには程遠いスピードでロバがやってきます。
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畑帰りのトラクターの上には似つかわしくないピンクの「カフタン(Caftan)」です。
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美しい丘陵地帯です。ヨーロッパを移動していてもなかなかお目にかかれない風景です。シャウエンから県道R408沿いのウェザーン、マムーダ、ティーヌ・スラフェなどといった聞いたことも無い村を通過してきました。
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30年以上前にシチリアのピアッツァ・アルメリーナからヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレまで歩く羽目になり、その途中でヤギの群れに遭遇したことがあります。その群れのボスや偽は真っ黒い顔に白目の無い真っ黒い目をしていて、不審者を威嚇してきました。それ以来数多くの国を旅していますが、あの時ほど恐ろしい目に遭ったことはありません。
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シャウエンから県道R408を下りきった国道A5へのT字路の手前にはモロッコ国鉄の線路と踏切が見えます。鉄路は右が北方面の始点のタンジールで、左に進むとラバトやカサブランカを経由して一番南はマラケシュまで通じています。
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ここで国道N1に合流します。標識のタンジールまで150キロという数字を見ると、後ろ髪を引かれる想いがします。タンジールは30年ほど前にスペインのアルへシラスからの1日ツアーでタリファ港からジブラルタル海峡を渡って初めて入ったモロッコの町です。「裸のランチ(Naked Lunch)」のウィリアム・バロウズ、「シェルタリング・スカイ(The Sheltering Sky)」のポール・ボウルズが愛した町です。昨今のモロッコツアーにはこの港町へのコースは皆無なのですが、妻に見せたかった町でもあります。
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バスはそんな思いも知らずに南向きの左に曲がります。もっとも妻もタンジールについて詳しく知っているわけでもありませんし、行きたいとも思っていないと思います。
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国道N1の車窓も美しいと思ったのはこの辺りまでで、丘陵地帯とはここでお別れです。
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川筋の湿地には「ボーク製塩所(Salines Bork)」という塩田があり、その脇を通過しました。シチリア島の一番西にトラーパニという港町があり、そこもサリーネと呼ばれる塩田で有名です。「ニューシネマ・パラダイス」のジュゼッペ・トルナトーレ監督の作品に「みんな元気(Stanno tutti bene)」という映画があります。トラーパニに住む老人(マルチェロ・マストロヤンニ)がイタリア各地に住む子供たちに会いに行くというロード・ムービーなのですが、子供や孫はそれぞれ問題を抱えています。最後にトラーパニに戻って妻の墓前に「みんな元気だったよ。」と言って終わります。「東京物語」のオマージュでもある素晴らしい映画なのですが、興行的にはうまくいかずDVDにもなっていないのが残念です。レーザー・ディスクをダビングしておいて良かった作品の1つです。
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国道N1は南に向かうにつれてこれまでの風景とは変わってしまい、mぅ旅も終わったような気分になってきます。
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味気ないいくつもの町を通過していきます。
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それでもそんな国道沿いに牧羊の風景は残っています。
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またこの辺りからは畑作も盛んなようで、農家の人たちの姿もよく見掛けるようになります。ベルナルド・ベルトルッチ監督の「1900年(Novecento)」のオープニングの草刈りの場面のような風景です。ジュゼッペ・ペリッザ・ダ・ヴォルペオが描いた「第4階層」と言うタイトルの絵も素晴らしいです。
https://www.youtube.com/watch?v=aYIzAIHkWWg -
犬の散歩のような感覚で羊の群れを連れているように見えてきます。
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このタイプのロバに荷車もこの辺りからよく見掛けるようになります。
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農作業用に便利なように設計されているのだと思います。日本の軽トラの感覚だと思います。
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若い牧童は柱に裏側でスマホをいじっています。羊が車に轢かれないのか心配になります。
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草もさすがにこれだけ積んだら重いと思います。こちらは馬が牽いている1馬力の馬車です。
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空身の馬車は颯爽と走っています。
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お父さんが小さい子供2人を連れて畑から家に向かっています。積み上げられた草で見えませんが尖塔はロバが1頭います。
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路肩を走る荷車のドライバーはスマホの脇見運転です。
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セブ―川という小さな流れを渡ります。大西洋まではまだ10キロ以上あります。
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この量になると何キロくらいの重さがあるのでしょう。舗装道路でも牽くのは大変だと思います。
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草を退かせばこんな姿になるのでしょう。
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この辺りは平地ということもあり、畑の脇には用水路が設けられ、給水管も遠くに見えます。
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大きな牛の姿も見えます。ここは畑なのか牧草地なのか境界が曖昧です。
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バルビゾン派の画家のミレーかコローの絵画のような風景です。
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収穫されたばかりの美しい野菜が荷台に積み込まれています。きれいに洗われてあるので、このまま町の市場で売るのだと思います。
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久し振りにナンバープレートを見たような気がします。
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お父さんと息子2人を乗せた馬車が疾走しています。何気ないようでもちゃんとバランスを考えて座っているのでしょうね。
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地方ではほぼ100%ロバが活躍していましたが、都会になるにつれて馬の姿も多くなってきました。
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フォトジェニックなロバ車です。麦藁帽子のくたびれた感じがいいです。
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これまでずっと見てきたロバも羊もこれが見納めになりました。
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高速道路のラバト出口の看板が見えてきました。
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バスの左手に「ムハンマド6世タワー(Tour Mohammed VI)」が見えてきます。スペインの建築家のラファエル・デ・ラ=オズ・カスタニスとモロッコ人の建築家のハキム・ベンジェロンによってデザインされ、モロッコの建設会社のTGCCと中国の中国鉄建、ブルジュ・ハリファなどを施工したBESIXグループによって施工されています。今年竣工したばかりの建物です。
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アブールグルグ川の向こう側には大西洋が迫っています。
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「ムハンマド6世タワー」は高さ250メートルのモロッコ一高い超高層ビルです。その姿はドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の映画「メッセージ(Arrival)」の宇宙船のように思えました。
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バスはそのまま高台にある「ムハンマド5世廟」の裏側に停車して、ここから1時間ほどのラバトの観光になります。
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ガイドさんについて廟の敷地を反対側まで歩きます。
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ぐるりと回った公園の入り口には「ムハンマド5世博物館」がありました。
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博物館の上に乗った「西のパビリオン」は美しい装飾が施されています。
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その奥は広大な石を敷いた広場になっています。さらに奥には「ハッサンの塔(Hassan Tower)」が見えます。
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「ハッサンの塔」は未完成のモスクのミナレットで、12世紀末にアルモハド朝の第3代カリフであるアブー・ユースフ・ヤアクーブ・アル・マンスールによって命じられ建設が始まりました。塔は世界最大のミナレットとなる予定で、モスクが完成すれば西方イスラム世界で最大のものとなるはずでした。
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1199年にアル・マンスールが死去するとモスクの建設は中止され、ミナレットは44メートルの高さで工事が中断されました。モスクの残りの部分も未完成のままで、いくつかの壁と348本の柱が建設されただけです。
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塔は砂岩でできており、何世紀にもわたって徐々に赤い黄土色に変わってきました。 この地域の他のミナレットと同様に正方形の平面図で、一辺が16メートルあります。塔はスロープで登るようになっており、ムアッジンは馬に乗って頂上まで行き、祈りの呼びかけを発することができました。現在はミナレットに設置されたスピーカーからアザーンが流されますが、昔はムアッジンと呼ばれる人物がミナレットからモスクで1日5回の毎日の礼拝を唱えました。
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この塔はスペインのセビリアのヒラルダの塔のように、マラケシュで見てきた「クトゥビーヤ・モスク」のミナレットをモデルにしていますが、その高さとスロープの設置の方法からも古代エジプトのアレクサンドリア灯台の影響を受けています。ここで世界七不思議の1つに似たものを見ることができるとは思いませんでした。
ハッサンの搭 建造物
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「ムハンマド5世廟(Mausoleum of Mohammed V)」は名前の通りモロッコの国王であったムハンマド5世の霊廟です。1961年のムハンマド5世の崩御後に国王に即位したハサン2世の命令により、1962年から1971年にかけて建設されました。
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建設は1961年に始まり、「ハッサンの塔」と廃墟となったアルモハド時代のモスクの遊歩道の改修が含まれていました。建設は1971年に完了しムハンマド5世の遺体は同年にここに移されました。息子のアブダラは1983年にここに埋葬され、ハッサン2世も1999年に亡くなった際にここに埋葬されました。
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モスクの巨大な扉は男性1人ではなかなか開かないようでした。
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廟はベトナムの建築家コン・ヴォー・トアンによって伝統的な形と現代的な素材を使用して設計されました。豊富な素材と歴史的な工芸品やモチーフの意図的な使用は、ムハンマド5世に敬意を表するだけでなく、モロッコのアイデンティティの感覚を促進する手段として、伝統的な職人技を奨励することを目的としています。
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ムーア様式のアーチの柱廊とピラミッド型の緑の屋根が特徴です。アーチもポリローブで、その上の壁面には特徴的なモロッコのセブカのモチーフが刻まれています。
ムハンマド5世の霊廟 モニュメント・記念碑
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廟には4つの入り口があり、それぞれに儀仗兵が立っています。
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失礼にならないように横に建たせてもらい記念写真を撮らせてもらいました。モスクには異教徒は入れないのに廟には入れるというのがちょっと不思議です。ロンドン塔に行ったときに、不敬な観光客が衛兵の前でバク転したり悪ふざけしているのを見ました。彼らが去った後に妻と記念写真を撮らせてもらい、2人でありがとうの意味を込めてお辞儀したら彼はウインクを返してくれました。それは彼が出来る最大の個人的な動きだったのだと思います。
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廟を参拝させていただきます。中途半端な開き方ですが、今までモロッコで見てきた中で一番立派な扉です。
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廟に入った瞬間にパリの「アンヴァリッド」のドーム教会の下のナポレオン1世の廟を思い出しました。すると添乗員さんから同じ説明があったのでちょっと嬉しい気分になります。
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中央に安置されたのがムハンマド5世の棺です。角に置かれた一回り小さいのが息子の棺だと思います。ムハンマド5世の慰霊碑は白いオニキスで彫られ、職人イブン・アブデルクリムによって作られました。
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霊廟の内部は色ガラスとマホガニー材のドームで覆われており、壁はゼリージュモザイクタイルで覆われています。
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この天井のドームも素晴らしいクオリティで造られています。その美しさはハンガリーのブダペストの「パリジ・ウドヴァル」の天井を思い出させました。2018年の暮れにはハイアット・アンバウンド・コレクションのホテルに生まれ変わっていましたが、それ以前は美しい廃墟でした。
パリジ・ウドヴァル:https://4travel.jp/travelogue/10564605 -
4つの入り口は扉が開けはなたれ、それぞれに衛兵が護っているのが分かります。
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反対側にいる妻とツーショットになってしまいました。
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廟の中の部屋の四隅にも衛兵の姿がありました。常時8人で警備していることになります。
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深紅の色で預言者ムハンマドを象徴しており、緑の五芒星「スレイマン(ソロモン)の印章」もデザインされて、コンセプトは国旗と同じようです。
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壁を埋め尽くすゼリージュモザイクのタイルも大きなパーツで唐草模様や花柄が表現されています。その分ごまかしがきかないので、職人の技術の高さが感じられます。
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近くで見ると気の遠くなりそうな複雑な幾何学模様です。
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丁度衛兵の交代の時間になりました。
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四方の門を1つ1つ廻り1人づつ交代の儀式を行って生きます。
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モロッコの伝統料理に「バスティラ(Bastilla)」というものがあり、鳩のミンチ肉を使ったパイ料理です。今回は鳩料理は食べられませんでしたが、4月に行ったマカオでは久し振りに鳩のローストが食べられました。
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「ムハンマド6世タワー」に遊歩が当たってとてもきれいです。映画のせいでやっぱり宇宙から飛来した宇宙船に見えてしまいます。
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本来のルートであれば同じ道を高速道路に戻ってカサブランカに向かうのですが、ドライバーさんが気を利かせて海岸線を周る遠回りの道を走ってくれました。
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今回初めて見えた漁村です。河口の港には小さな木造の船しか入れないようです。そのブルーベースのカラフルなボートはマルタ島の「ルッツ(Luzzu)」という漁船を思い出させます。
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ルッツで使われる色の意味合いは緑が土地(安全、安息)、青が海(平和、男らしさ)、赤はマルタを象徴する色(情熱、生命)、黄は太陽(幸福、希望)でした。赤はモロッコを意味するのでしょうが、とても良く似たデザインです。バルサ材の船の模型キットを買ってきて家で組み立てて本物と同じ色で塗装したので懐かしさを覚えます。残念ながらモロッコの小型船には「フェニキアの目」は無さそうです。
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バスはウダヤのカスバにある「アンダルシアン・ガーデンズ」の下を通過するトンネルに向かいます。ここはかつての城塞だった場所で美しい庭と博物館も併設されているそうです。
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トンネルを抜けると海岸線に出ました。
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久し振りに眺める大西洋です。最後に眺めたのはポルトガルのロカ岬とナザレの海岸でした。まだ妻をポルトガルに連れて行っていないのでそろそろと考えています。
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ただ個人旅行で行きたいところと泊まりたいホテルを決めて行ったら4週間かかる日程になってしまい計画を中断しています。
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コロナ禍で救済されていたマイレージの期限も3月から切れ始めるので特典航空券が取れればポルトガルもいいなと考えていますが、楼老夫婦に久し振りの4週間の旅が耐えられるかが問題です。
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この景色を眺めていたら「金曜ロートショー」のオープニングの曲が頭に浮かんできました。https://www.youtube.com/watch?v=SSOCa8w1UpE
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美しい海が見られたことをドライバーさんに感謝です。
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1週間山の中ばかりを走ってきた目には海に沈む夕日が新鮮です。今回はモロッコの海の近くへ行くことはありませんでしたが、カサブランカや南のエッサウゥラにも行ってみたい気持ちが湧いてきます。もちろんその時はタンジールにも行きたいと思います。
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そろそろ旅の最終地でスタート地点でもあったカサブランカに着きそうです。
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そろそろお腹も空いてきたので、こんな看板も目に留まります。
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日が暮れた午後8時にカサブランカの「プリンス・デ・パリ(Prince de Paris)」というホテルに到着しました。
プリンス ド パリ ホテル
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シンプルな部屋でモロッコ最後の夜を迎えます。
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この時は特に問題も無かったバスルームです。
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部屋のチェックをしてすぐに2階のレストランに集合です。遅い時間にチェックインしたのでレストランは我々だけを待っていました。最後のフラッグビールで乾杯です。
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このホテルではハリラではないレンズマメのとろりとしたスープが出ました。これは乾燥して粉末にしたレンズマメを使ったもので優しい味がします。
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通常はビュッフェのレストランのようですが、時間が遅いのでプレートに乗った料理がサービスされました。モロカンサラダもこれが食べ納めです。
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メインはチキンのピカタにインゲンやニンジンなどの野菜にサフランライスという見た目がお子様ランチのようなワンプレートです。お腹が空いているのでぺろりといただきました。
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印象派の描いた静物画みたいに並んだ果物はバナナとオレンジだけいただきました。
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部屋に戻って荷物を軽くするために、日本から持ってきていた檸檬堂を空けます。
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サッポロ一番とエビスプレミアムエールも飲んで荷物も軽くなりました。翌日は少しだけカサブランカの市内観光をして空港へ向かいます。
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